著者
米浜 健人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.59, 2005

1.はじめに<BR>近年、地方都市における中心市街地の衰退が問題として取り上げられるようになって久しく、商業分野においても中心商業地の衰退という形で問題提起がされている。中心市街地活性化法におけるTMO認定団体においても、商工会議所主導型のTMOが高い割合を占めており(山川2004)商業者のこの問題への注目度の高さが伺えよう。一方で、これまでの中心商業地研究では、中心商業地の衰退について一律に捉える傾向があった。中心商業地内での空間的な違いについては、旧来の商店街と鉄道駅前において衰退傾向の相違が見られることを指摘した研究や、地方都市において大型店同士が駅前立地型と郊外立地型で競合することを指摘する研究があったが、一方でどのような来街層が現在でも中心商業地に残り、どのような層が抜け落ちているのかという点を含めた研究が必要とである。<BR> 当研究では群馬県高崎市をフィールドとして、中心商業地に立地する大型店の特定ターゲット向け改装ならびに中心商業地における個人商業者、路面店舗入居者の動向をまとめた上で、中心性の高い地方都市において、中心商業地が若年齢層向けの街として生き残りを図りうる可能性がある点を指摘する。<BR><BR>2.高崎市における大型店の動向<BR> 高崎市における大型店立地は、中心市街地立地から駅前立地へと移行してきた(戸所1986) また、大店法改正後の1995年ごろになると、郊外への大型店進出が目立つようになった。この流れの中で、駅前立地型大型店4店のうち1店が撤退、残りの店舗も業態転換や大規模改装を行なった。<BR> この中でも、GMSの高崎SATYはファッション主体の高崎ビブレへと改装を行い、若年層向けのファッションを扱う店舗へと性格を買えた。ここでは、若年層とくに10代向けのファッションをリードするとされる東京渋谷のSHIBUYA109などのファッション店より積極的に人気店舗を誘致することによって、高崎における10代とくに中高生のファッション情報の発信地としての生き残りを図った。群馬県では唯一の店舗という戦略を取ることによって、県内全域ならびに近隣県からの集客にターゲットを絞った。ビブレの成功に続く形で、駅ビルの高崎モントレーも同様に、改札口直結階を同様にSHIBUYA109からの店舗誘致する大規模改装を行なった。<BR>3.中心商業地に立地する中・小小売店の動向<BR> 近年になって若年層向けのファッション店の中心商業地進出が目立つようになった。ビブレの改装の成功による高崎駅前への商業核の創出が一つの理由となり、駅前ならびに中心商業地への若年層向けファッション店の立地が目立つようになった。これらの店舗は、ビブレからの回遊客を狙う店舗が主だが、ビブレの客層である10代向けの安い古着などを売る店舗と、ビブレを卒業した20代を主なターゲットとするセレクトショプなどの高額な商品を取り扱う店舗となっている。前者は、主に旧来の空き店舗などに比較的小さなスペースで入居し、後者は区画整理事業によって、これまで中心商業地の中では動線ではなかったビブレ裏側の通りに作られた商業ビル群への入居という分化が見られる。<BR><BR>4.まとめ<BR>高崎市においては、高崎ビブレの10代向け業態転換を機会として、中心商業地における若年齢層向け店舗が増加した。ビブレの改装とそれに伴う周辺店の増加は、東京と同じようなファッションを求めたいが、可処分所得などの理由によって東京への距離が遠い中高生をターゲットとして、高崎駅前に「群馬県における渋谷のミニチュア版」的な空間を作り出し、これまでの商圏よりもより広い地域を睨んだ中心商業地へと変貌したといえる。これらのファッション店舗は客のターゲット層を10代から20代前半の若者へと絞っていることから、公共交通機関を使って中心商業地へと集まる層が主にこの年代なのではないかと考えられる。このことは、高崎のように、ある県内でトップクラスの集客力を持つ可能性がある都市の駅前においては、公共交通機関を利用して来街する若年層をにターゲットを絞り、そのニーズに対応した形でのまちづくりに可能性があることを示唆するものである。一方で課題も見られ、駅前立地型大型店についてはこのような形での生き残りが十分に可能だと考えられるが、その周辺小売店については、粗利が決して高くない中高生向けの商店経営が果たして持続できるか否かという、課題も残っている。<BR><BR>参考文献<BR>山川充夫(2004)『大型店立地と商店街再構築』 八朔社<BR>戸所隆(1986)『商業近代化と都市』 古今書院
著者
助重 雄久 佐竹 里菜
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

Ⅰ 本報告の背景とねらい<BR> 歴史都市を散策する「まち歩き観光」は、古くから老若男女を問わず人気を博してきた。近年では、従来「まち歩き観光」が盛んでなかった地域でも、地域資源を巡るまち歩きによって誘客を図ろうとする動きが広がっている。またインバウンドの促進により、まち歩きをする外国人も増加してきた。<BR> 「まち歩き観光」で求められるのが、散策コースや観光スポットの位置を人々にわかりやすく知らせる観光案内である。「まち歩き観光」を推進する自治体等のなかには、街頭にある観光案内図の整備に力を入れるところも増えてきた。しかし観光案内図のなかには、地図表現に問題があるなど、観光客に的確に情報を伝える役割を果たさないものも目立つ。<BR> 本研究では、街角に設置する観光案内サインの整備に力を入れてきた金沢市と京都市の事例を中心に、観光案内図の問題点とその改善に向けた取り組みを考察し、観光客にとって「わかりやすい観光案内図」に求められる要件を探った。<BR><BR>Ⅱ 金沢市における観光案内サインの整備と問題点<BR> 金沢市は従来、観光案内図や市街図等を課ごとに作成しており、デザインもスケールも不統一であった。また、地図の更新は行っていなかったため、情報が古い地図や汚損した地図も多く、観光客から多くの苦情が寄せられていた。<BR> こうした状況を憂慮した金沢市では、2008年から観光客にもわかりやすい案内図づくりの指針を定め、地図や矢印サイン、歴史説明板等のピクト、文字の大きさや書式、色彩、図面サイズ、地上高等の統一を図った。地図はどこに設置する場合でも正面に見ている方角が上になるようし、表示範囲も観光客が徒歩で行ける範囲を考慮して1km四方とした。<BR> 金沢市は、同時に地図に掲載する情報やマスターマップを課ごとに管理する「縦割り方式」をやめ、景観政策課がとりまとめるようにした。景観政策課では各課から集まった地形・道路・観光地等の情報を収集し、それらをマスターマップ上に盛り込んで地図を作成する。地図は汚損や情報変更の有無に関係なく2年に1度定期更新する。<BR> 本研究では、金沢市が設置した地図が観光客にとって本当にわかりやすいのかを検証するため、観光客100名に聞き取り調査を実施した。また、兼六園下から兼六園に向かう紺屋坂に設置された3枚の観光案内図を観光客の動線上のあらゆる方向から撮影し、見やすさを検証した。<BR> ヒアリング調査の結果、地図の色彩、表示情報、見ている方角を上にした点、目線からみた高さについては大部分の観光客が「わかりやすい」と評価していた。一方、表示範囲に関しては半数の観光客が「他の観光地や駅の位置がわからない」、「広域案内図が必要」と回答した。<BR> また、撮影した写真の分析からは、①案内図の裏側が空白であるため、後方からは地図だと気づかない、②側方から見ると、地図の表示面はまったく見えない、③市以外が設置した案内板や周辺の木々に囲まれ、案内板が観光客の目線に入らない、といった問題点が明らかになった。<BR><BR>Ⅲ 観光客の行動や目線を考えた京都市の観光案内サインアップグレード<BR> 京都市街地は道路が直交していて交差点に特徴がないため、現在位置が把握しにくいことが指摘されていた。また、既存の観光案内図は地名等を4カ国語で表記した結果、寺社等が密集する地域では地図が文字で埋まってしまい、肝心の目的地がわからない状態となっていた。<BR> 京都市ではこうした問題を解消するため、「シンプルで、わかりやすく、京都の町並みに調和した」観光案内サインの設置を検討すべく、平成22年度に「観光案内標識アップグレード検討委員会」を設置した。平成23年度末からは、委員会で策定したガイドラインに基づいた観光案内サインの設置が進められている。観光案内図を含む観光案内板は、日本語と英語のみで観光地や通り名・建物名等を表記するシンプルなデザインに変更された。案内板から徒歩で行ける観光地までの所要時間も表示した。<BR> また、金沢市の案内図に関して指摘した諸問題も、a.遠い観光地間までの移動は徒歩でなく公共交通機関を使うと考え、市内の地下鉄・鉄道路線図を案内図の下に入れる、b.目線に入りやすい地下鉄の出口正面や横断歩道横に設置する、c.案内板の面と垂直方向に「iマーク」を表示して、側方からくる人にも一目で案内板の存在がわかるようにする、d.案内板の裏面に巨大な矢印表示を配置することで、反対側の歩道から横断歩道を渡ってくる人にも一目で案内版だとわかるようにする、といった配慮をすることで解決している。今後観光案内図を設置する地域においても、京都市のように観光客の行動や目線を考慮した案内図づくりが必要といえよう。
著者
深見 聡
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>わが国における観光産業は、2010年代の急速な訪日外国人の増加、過疎地域における交流人口・関係人口の拡大、団体と個人・小グループといった形態の選択肢の多様化など、21世紀の基幹産業としての成長が期待されてきた。そのようななかで、2019年末に中国武漢市での報告に端を発する新型コロナウィルス感染症は、2020年3月にWHOはパンデミック相当との見解を表明した。本稿提出の同年7月末現在、わが国でも経済活動の停滞をはじめ「新たな生活様式」の登場など、その渦中にある。</p><p></p><p> 2020年4月、政府は新型コロナウィルス感染症緊急経済対策の一種として、「Go Toトラベル」キャンペーン事業を打ち出し、7月22日より東京都を対象から外して開始された。星野佳路氏の造語であるマイクロツーリズム、すなわちスモールツーリズムの伸長や、持続可能な観光への後押し効果を期待する論調もある(古田,2020)。また、自治体首長などからは、経済活動の回復への理解や、感染拡大を懸念する声といった賛否両論の声も挙がっている。</p><p></p><p> そこで、本報告は、観光産業への依存度が高い島嶼部に焦点をあて、「Go to トラベル」がもたらす効果と課題を、奄美群島の与論島を事例として予察的な検討を加えていくことを目的とする。</p>
著者
中村 努
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>Ⅰ.はじめに</b></p><p> 本発表では,COVID-19の感染拡大に伴って,地域包括ケアシステムにかかわるアクターの行動がどのように変化したのか,今後の感染防止策を踏まえて,地域包括ケアシステムにいかなる対応が求められるのか検証する。従来,地域包括ケアシステムは,地域内外の資源のネットワークに基づいて形成されてきたが,このことは地域によってシステムの形態にバリエーションを生ずることとなった。この地域差がCOVID-19の脆弱性や対策のあり方を決定付ける,いわば要因となって,地域包括ケアシステムにいかなる地域差を新たに生ずるのか考察する。</p><p></p><p><b>Ⅱ.COVID-19感染症対策にみる国別の合理性のバランス</b></p><p> COVID-19の感染拡大の時期において,各国政府が採用した3つの合理性のバランスは図のように整理できる。欧米では,感染者の急拡大を受けて,都市封鎖や厳しい外出規制を敷くようになった国が多くみられる。ただし,スウェーデンは厳しい外出規制を敷かずに,集団免疫の獲得という例外的な措置を採用し続けた。ブラジルも同様に経済活動の維持を基本とした戦略を採用している。一方,中国や韓国,台湾では,ICTによる行動監視という医学的合理性の追求が早期の感染収束に貢献したといわれる。ただ,こうした政策の違いが感染拡大の防止の成否を分けたとは必ずしも言えない。この分類はあくまで感染拡大時の政府の対応を大別したに過ぎず,福祉国家論の枠組みでは差異の要因を説明しきれない。それぞれの政策は,国や地域によって異なる歴史的文脈において,固有の政治,制度,文化,経済の各要素が相互に関連しあうプロセスの帰結とみなせる。今後はウイルスと国内外のアクターとの関係の変化を,長期にわたるプロセスにおいて解釈していく必要がある。</p><p></p><p><b>Ⅲ.地域格差の拡大の可能性</b></p><p> 日本政府が採用した政策は,医学的合理性と経済的合理性を両立させるため,都市封鎖を伴わない比較的緩やかな外出規制にとどまった。しかし,社会的合理性の視点の欠如によって,高齢世帯や障がい者,ひとり親世帯,生活困窮世帯などへの従来の支援が損なわれる可能性がある。彼らはリテラシーの欠如や通信環境の整備にかかる費用負担の大きさから,デジタル格差の被害者にもなりやすい。こうした支援の欠如をカバーする,ソーシャル・キャピタルもまた乏しく,特に人口密度の低い中山間地域において,平常時においても孤立する傾向にあると推察される。他方で,人口密度の高い都市部においても,平常時から長期の自宅待機による虚弱化や孤立が予想され,コミュニティ機能の希薄な地域では必要な支援が行き届かない可能性が高い。以上の地理的条件は,自然災害の発生時に,支援格差としてより先鋭化して現れると考えられる。</p><p></p><p> 医療・介護事業者は非感染患者の外出控えや感染患者への対応を背景に,利益の確保に苦慮している。再び感染症が拡大すれば,閉鎖や倒産による医療・介護崩壊の懸念がある。その空白地域を埋める最後の砦として,子ども食堂や小規模多機能拠点の役割期待がある。しかし,運営者の多くは,COVID-19の感染リスクの懸念と,支援継続の意志との間で揺れ動きながら,十分な支援を実施できていなかった。こうした草の根ともいえる活動団体の運営者とその潜在的利用者もまた,ウィズコロナ政策の被害者といえる。結果として,支援の地域差を伴った地域包括ケアシステムの空間的変容が生じているものと考えられる。</p>
著者
西井 稜子 松岡 憲知
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.114, 2008 (Released:2008-07-19)

はじめに 重力性変形地形として認識されている山向き小崖や山上凹地は,大規模崩壊・地すべりの前兆現象の一つとして指摘されており,災害対策の点からも注目されている.しかし,前兆現象として認識されているこれらの地形が崩壊へ移行する過程は,観測事例が少なく,詳細はわかっていない.本研究では,崩壊発生直後に形成されたテンションクラック群を含む岩盤斜面を対象に,変形過程を明らかにすることを目的とする.調査地 調査地は,赤石山脈・間ノ岳の東斜面に位置するアレ沢崩壊地頂部である.一帯の地質は,四万十累帯白根層群の砂岩頁岩互層からなる.主稜線周辺には,岩盤の重力性変形を示す山上凹地や山向き小崖が数多く分布している.一部の山向き小崖を切って存在するアレ沢崩壊地では,2004年5月に岩盤崩壊(推定約15万m2)が発生した.この崩壊によって,崩壊した斜面の直上部とその周囲には多数の小規模なテンションクラックが形成された.観測を行っているのは,崩壊地頂部にあたる標高約3000 mの岩盤斜面上である.調査方法 岩盤斜面に27の測点を設置し,2006年10月~2007年10月までの計5回,トータルステーションによる測量を行った.幅約10 cmのクラックには変位計を設置し,降水量,地表面温度の通年観測も同時に行った.結果および考察 変位計の観測結果から,幅約10cmのクラックは,融雪期にのみ3mm程の急激な変位が認められ,季節変動を示した.一方,岩盤斜面全体の変形は,大きく2タイプに分かれる.岩盤斜面上に存在する比高3~5m,長さ60m程の谷向き小崖を境に,下部斜面では,崩壊地へ向かって加速的に変位が進行しており,年間変位量は約50 cmを示した.小崖より上部斜面では,年間変位量は約10cmを示した.したがって,谷向き小崖を境にスライドが生じ,割れ目が拡大していることが推定された.また,ひずみが大きいことから,近い将来崩壊する可能性のある不安定領域が拡大していると推測される.
著者
小島 泰雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1.中国の辛い地域<br> 四川料理が辛いことを説明するのは、夏が暑いことを論じるようなある種の徒労を感じる作業である。「麻辣」が正しい辛さの表現である、四川料理にも辛くない料理がある、湖南人の方が「怕不辣」であるといったことも、耳を傾けるべき指摘であるが、ここでは中国のどこが辛い料理を好むのかについてなされた興味深い報告を紹介したい。藍勇(2001)は、シリーズとして刊行された中国12省市の料理書の調味記載を定量的に分析(「辣度」)し、辛さの地域分化を提示している(下表)。この表は、中国食文化の多様な地域的展開において、一つの特色ある地域文化として四川料理を捉えるべきことを示唆している。<br>2.とうがらしの伝播<br> 辛い四川料理はそれほど長い歴史をもつものではない。その辛さにはとうがらしが主たる貢献をなしていることから、新大陸原産のそれが四川に到達して以降であることは容易に思い至るだろう。<br> この方面の研究も近年、詳細さを深めている。丁暁蕾・胡乂尹(2015)は、明清期の地方誌に記載されたとうがらし関連の記載を全国にわたって丹念にたどり、とうがらしの中国国内での伝播を復原している。初期のとうがらしの呼称である「番椒」は、明朝末期から18世紀までは主に東南沿海地区と黄河中下流という離れた2つの地域で確認され、19世紀前半に東南沿海から北上および内陸に展開している。四川の方志にとうがらしの記載が見られるのは、19世紀になってからとする。方志が数十年間隔で編纂されたことを加味するならば、四川でのとうがらしの普及が18世紀に遡る可能性はあるが、それにしても清朝中期のことである。<br> 新大陸原産の作物が、現代中国の農業と食において欠くべからざる存在となっていることは、とうもろこしやさつまいも、じゃがいもといった主食となる作物、あるいはトマト、なす、かぼちゃといった野菜の名を挙げるだけで十分に理解されよう。これらの入っていない中国料理はなんとみすぼらしいことだろうか。こうした新大陸原産作物の伝播は、時間と空間において決して単純なものではなく、繰り返し様々なルートでもたらされたものとされる(李昕昇・王思明2016)。<br>3.自然地理と歴史地理<br> 熱帯で栽培される胡椒と異なり、とうがらしは温帯でも栽培できる香辛料であり、新大陸から運び出された種子は持ち込まれた世界各地に定着していった。食文化の地域性は、その素材となる動植物の分布・農牧業を媒介項として、気候や地形といった自然地理と結びつけられて解釈されることが一般的である。中国は季節風により夏季温暖多雨であり、とうがらしは農耕地域であればほとんどの地域で栽培しうる。したがって中国における辛さを好む地域性は異なる理路で説明されることが求められることとなる。<br> とうがらしは、寒冷や湿潤に伴う身体的反応と結びつけられてきたが、類似の気候条件で辛さを好まない地域を容易に提示できることから明らかなように、環境決定論的な単純な推論は説得力を持ち得ない。そこで考慮すべきなのが、社会経済的な、あるいは文化的な、言い換えれば歴史地理的な推論である。<br> 現在、中国では各地で四川料理が食べられているが、共通するのがその庶民性である。とうがらしの入った料理は素材の善し悪しをそれほど問わない。とうがらしが定着していった清朝中期、四川はまさにフロンティアであった。多くの移民を受け入れ、人口過剰な情況になった四川には普遍的な貧しさがあり、「開胃」(食欲増進)に顕著な効果のある(山本紀夫2016)とうがらしは、地域住民に歓迎されたと考えられる。<br> ただし前近代の農村の不安定性は、四川に特権的な貧しさを認めないであろう。そこで食文化の連続性が浮かび上がる。中国在来の香辛料である花椒が陝西から四川にかけて多く使われていたとする指摘は、さらに深く考究してゆくに値するであろう。<br> モンスーンアジアに視野を拡げると、胡椒産地であるインドが熱烈なとうがらし受容地域であるのに対して、食文化に関して多様な地域性をもつ中国がとうがらしの受容において選択的であることは、まさに食文化の連続性を物語る対照性と言えるのではないであろうか。
著者
小野寺 淳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.74, 2008 (Released:2008-07-19)

1.生態移民による新しい農村空間 生態移民とは、生態系を保全するために行われる移住行為やその行為に参加した人々(移民)のことを指す。寧夏回族自治区においては、“吊庄”と呼ばれる移民がよく知られており、人口圧が高く自然環境が悪化しつつある南部山間地帯から、黄河揚水灌漑事業が進展する北部平原地帯への移民を指している。南部の転出地の貧困や環境の問題についてはこれまでよく研究されてきたが、本研究では北部の転入地に焦点を当てて新しい農村空間の形成について考察したい。 2.自治区内の地域性と移民の歴史 南部が自然環境に恵まれず、大量の余剰労働力を抱えているのに対して、北部は土壌が肥沃で地勢が平坦で日照が十分であり、水利が整備されれば土地資源が豊富であると言えよう。図は南部と北部の経済水準の違いを端的に表している。こうした地域性の中で、1983年以来40万人を越える南部の貧困農民が北部へ移住した。 図 寧夏各市県の農民一人当たり純収入(2004年) (寧夏統計年鑑2006より作成). それ以前も、寧夏は中国の辺境かつ少数民族集住地区であり戦略的に重要な位置にあると認識されて、国営農場による開墾が行われていた。生態移民においても、まず政府が投資・建設をして水利施設や居住条件を整備した。そして、転出県が移民村の建設と管理を行い、それが軌道に乗ってからはじめて行政全般を転入地の地元政府に移行するという手順を踏んだ。 3.移民村の事例 永寧県閩寧鎮は銀川市の南に位置し、東は黄河の西部幹線用水路に面する。南部の西吉県や海原県からの移民4,300戸、2.2万人が相前後して定住し、うち回族は70%を占める。元は西吉県玉泉営経済開発区として始まり、1997年に先進地域である福建省の支援を得て閩寧村が成立し、2000年に閩寧村は永寧県に引き渡され、翌年に閩寧鎮となった。小麦やトウモロコシの他、菌類、果物、薬材などの生産が近年増加しつつある。隣接する国営農場の土地が請負契約に開放されたことも含めて、土地使用権の流動化が見られ、農業の大規模経営が始められている。 銀川市興泾鎮は銀川市南郊に位置し、1983年に泾源県政府が興した芦草洼移民開発区として建設が始まった。無人の荒地が今では総人口2.5万人となり、回族は99%を占める。2000年には泾源県から銀川市郊外区へ引き渡され、翌年に興泾鎮が成立した。鎮中心市街地の開発が、イスラム圏のサウジアラビアやクウェートなどからも資金が流入して進められている。羊や牛などの交易が活発であり、小麦やトウモロコシの他、施設園芸などの積極的な取り組みが見られる。 4.農村空間の形成と変容のメカニズム 本研究では、上記2つの移民村における特に土地の所有・使用関係を中心とした農家経済の分析から、農村空間の形成と変容のメカニズムを検討する。 政府の灌漑開墾事業から始まるため、土地の所有権は国にある。その上で土地の使用権がどのように移民たちに請け負われ新しい農村空間が形成されていったかを明らかにする。他方、南部の転出地の土地の所有権・使用権も移民たちの手に残されている。 また、人の流動性が高く、同時に土地の権利の流動性も高い。土地が集団所有され実際の権利関係がしばしば曖昧な中国の一般的な農村に比較して、農業経営の大規模化や多角化、さらには非農業への産業構造の転換もダイナミックに進行する可能性がある。
著者
桐村 喬 峪口 有香子 岸江 信介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>I はじめに</b><br> ツイッター(Twitter)は,140文字までの短文をウェブに投稿し,情報を発信・共有できる,代表的なマイクロブログサービスである.日本で投稿される1日7千万件以上(2013年12月)の投稿データの一部は,ツイッターのユーザーに対して無料で公開されている.投稿データには位置情報も含まれ,様々な空間分析も試みられている.<br> ところでツイッターは,ユーザー同士のコミュニケーションにも用いられる.そのため,投稿データには様々な文体で記述された文章が含まれ,方言もそこに含まれているはずであり,投稿データに付与された位置情報を利用して,特定の方言の使用/不使用の状況を地図化できる.すなわち,ツイッターの投稿データは,方言の地理的な分布を分析するための研究資源として活用できるものと考えられる.<br> そこで,本研究では,代表的なマイクロブログサービスであるツイッターの投稿データを,方言の地理的分析のための資料として活用することを目指す.まず,その予備的分析として,方言に関するアンケート調査の結果と,方言を含むツイッターの投稿データの地理的分布との整合性を検証することを目的とする.<br> <b>II 分析資料と方言の選定</b><br> 方言に関するアンケート調査の結果データとして,2007年に岸江が実施した「新方言調査」(以下,方言アンケートと呼ぶ)の結果データを利用する.この調査は,大学生を中心とする全国の1,847名の回答者を対象として行なわれたものであり,回答者の出身地は関東以西の地域に多いものの,全国に散らばっている.ライフメディアによる2013年の調査によれば,若年層ほどツイッターの利用者が多く,方言アンケート回答者の主要な年齢層と一致しており,比較に適している.一方,ツイッターの投稿データについては,2012年2月から2013年11月に投稿された,日本国内の位置情報をもつ約8,700万件を分析対象にする.<br> 方言アンケートの調査票は67項目からなり,地域差が表れやすいと思われるものについて,くつろいだ場面で親しい友人と話す際の言い方を回答させている.ここでは,利用頻度が比較的高いと考えられる,「だから」に注目し,方言アンケートの結果データとツイッターの投稿データを比較する.<br> <b>III 方言アンケートとツイッター投稿データの整合性</b><br> 方言アンケートからは,「だから」についての各方言形式(表1)を使用する回答者を都道府県単位で集計し,都道府県ごとの回答者数に占める割合を求めた.都道府県を比較の空間単位として用いるのは,方言アンケートの回答数が少ないためである.一方,ツイッター投稿データからは,それぞれの形式を含む投稿を抽出し,その位置に基づいて都道府県単位に集計し,都道府県ごとに1,000投稿あたりの投稿数を求めた.<br> 各形式についての方言アンケート回答者の割合と1,000投稿あたりの投稿数との相関係数は1%水準で有意であり,正の相関を示していることから,都道府県単位でみた場合には,方言アンケートの結果とツイッターの投稿データとの整合性はおおむね高いと考えられる.ただし,「だで」の相関係数は,他の形式と比較して小さく,方言アンケートの回答が愛知県に集中しているのに対し,ツイッターの投稿データの場合は愛知県だけでなく,鳥取県でも投稿が多くなっている.国立国語研究所の『方言文法全国地図』(1989)によれば,「だで」は,主に岐阜・愛知県を中心とした地域と,兵庫県北部から鳥取県にかけての地域で使用されており,方言アンケートよりもツイッターの投稿データのほうが伝統方言(高齢者が使用する方言)によく一致している.<br> <b>IV まとめと今後の課題</b><br> マイクロブログの一種であるツイッターの投稿データと,方言アンケートの結果データとの相関関係は正に強く,大規模な方言の調査に一般的に用いられてきたアンケートによって得られる結果と,ツイッターの投稿データから方言を抽出した結果との整合性は十分に高いと考えられる.ツイッターのユーザーに関する詳細な属性を得ることはできないが,22か月分のデータからユーザーの主な生活圏や,会話の相手を知ることができる.これらの情報を総合しながら,方言のアクセサリー化などの方言を取り巻く現代の状況を,広範囲で解明していくこともできよう.<br> 方言の分析資料としての今後の積極的な活用を図るためには,どのような表現がツイッターをはじめとするマイクロブログにおいて使用されやすいのかを,明らかにしていく必要がある.多くは話し言葉主体であるものと思われるが,親しい相手や仕事上の相手,あるいは不特定多数を相手とするのかによって,その文体は異なると考えられ,使用する方言の語彙や頻度も変化してくると予想される.
著者
鈴木 厚志 泉 貴久 福田 英樹 吉田 剛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.82, 2006

1.はじめに 2005年2月23日、イラクや北朝鮮の国位置がわからない大学生や高校生の存在を知らせる見出しが新聞紙面を賑わせた。地理教育専門委員会は、次期学習指導要領の改訂を視座に置き、同年2月22日、文部科学省記者クラブにて三つの提言を行った。その提言の基となる我々が実施した。世界認識調査(以下、調査)は、当時何と話題となり、マスコミにもよく取り上げられていた10か国の位置を問うものであった。我々は調査にあたって、「位置や場所の特徴を学習することは、国土や世界の諸地域を正しく認識する基礎となる」という考えに立った。調査結果は上述のごとくマスコミで大きく報道され、地理の重要性を社会に訴える機会をつくったともいえる。2.調査結果 調査は日本地理学会会員の協力を得、2004年12月から2005年2月上旬にかけて25大学(3,773名)、9高校(1,027名)にて実施した。大学での調査は、会員の担当する授業において実施しており、その結果は地理学に関心ある学生による結果と判断される。高校については、首都圏の進学校が大半を占める。国別の正解率は次のようになり、大学生については高校時代の「地理」履修の有無に基づきクロス集計を行った。3.報道と社会的反響我々は記者会見に先立ち、学会からの提言と調査結果の概要を、記者クラブへ事前配布をした。マスコミ各社はそれを読んで会見に臨んだため、その関心はかなり高かった。記者会見には、全国紙各社と通信社およびNHKと民放1社のテレビ局の記者らが出席した。会見そのものは30分程度であったが、終了後も活発な質問と取材があった。民放テレビ局は、事前配布した調査結果をもとに、会見当日に街頭にて独自取材を行い、我々の調査の妥当性を確認し、その結果を深夜のニュース番組で大きく取り上げた。翌日の朝刊では全国紙のみならず、通信社の配信により、広く地方紙でも記事が掲載された。その後、新聞や雑誌には調査結果をもとにした記者のコラムや読者からの投書、さらに会見当日に出席していなかったテレビ局からも取材依頼が相次いだ。これら二次的なマスコミによる報道は、発表者らも予想しない展開でもあった。4.調査から得た教訓 地理教育専門委員会は、「基礎的な地理的知識を継続して学習し、地理的見方・考え方を確実に定着させることを目指した地理教育」への提言に向けて行った今回の調査と記者会見から、次の三点を教訓として得た。第一は、現状と問題点をきちんと公開することである。会員からすれば今回の調査は単純なものであり、今日の「地理」履修状況や学力低下傾向から、その結果は当然かもしれない。今回の発表は、その結果をありのまま公開したに過ぎないのである。第二は、学会と市民を結ぶチャネルを確保することである。次期学習指導要領の改訂に向けた文部科学省や中教審委員や文教族の国会議員等への陳情活動と並行し、我々は市民を納得させ、世論を味方にする努力を怠ってはならない。外に向かった効率良い情報発信を継続すべきである。第三は、我々会員が地理学や地理教育の基礎・基本をきちんと認識することである。単に地理の重要性やおもしろさを訴えたところで、社会の共感を得ることは難しい。子どもの発達に応じた基礎・基本が整理され、それらを次の世代へ創造的に継承していくことの重要性が、広く会員へ認識されなければならない。
著者
岩間 絹世 小野寺 淳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100354, 2017 (Released:2017-05-03)

享保2(1717)年,長久保赤水は常陸国多賀郡赤浜村(現,高萩市)の農家に生まれた。本年は赤水生誕300年を迎える。赤水は「改正日本輿地路程全図」をはじめ,「大清廣輿図」などの中国図,本研究で扱う世界図「地球萬国山海輿地全図説」を刊行し,江戸時代中後期を代表する地図製作者として広く知られる。長久保赤水作製の地図については,すでに数多くの優れた研究がある。この中で,赤水作製の世界図は赤水のオリジナルではあるものの,参照した世界図が古典的であるとの評価がある。さらに,世界図の刊行は赤水主導か否か,むしろ板元の浅野弥兵衛から持ちかけられて出版したのではないかとの見解もある(金田・上杉2012),本研究では,これらの評価に対する検討を意図するものではなく,科研によって見出された長久保赤水の子孫宅や長久保赤水顕彰会収集の資料群から得た「地球萬国山海輿地全図説」に関する知見を報告する。 「地球萬国山海輿地全図説」は,寛政7(1795)年ころに刊行されたとされる(金田・上杉,2012)。当初は無刊記で発行され,板元の記載も無く,現在この初板の無刊記板は神戸市立博物館,国立歴史民俗博物館,長久保和良家(子孫の一家)所蔵(写真参照)の3鋪の現存が確認されている。その後,大坂の浅野弥兵衛より刊行され(一軒板)や,浅野弥兵衛を含む5つの書肆より刊行された五軒板があり,これらはいずれも大型版である(表1)。すでに蘭学系世界図が刊行される一方で,赤水没後には,長久保赤水閲とされる天保15(1844)年の中型版や小型版が嘉永3(1850)年まで刊行された。 ところで,享保5(1720)年,原目貞清「輿地図」が江戸の書肆出雲寺より刊行された。本図は最初のマテオ・リッチ系世界図の刊行とされ,赤水の「地球萬国山海輿地全図説」は本図を参照し,実際赤水の書き込みが残る「輿地図」(明治大学図書館蘆田文庫)が残されている。本報告では,長久保和良本と蘆田文庫本の比較,長久保赤水の子孫宅や長久保赤水顕彰会収集の資料群の検討を行った結果を報告する。 なお,本研究は科学研究費基盤研究(C)「長久保赤水地図作製過程に関する研究」(代表者:小野寺淳)の成果の一部である。
著者
浅見 泰司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.248, 2008

<BR>1.「地域の知」<BR> 現代社会が抱える諸問題解決のために、社会、経済、文化、自然などの様々な事象を表現する地域情報は基盤情報となる。「地域の知」とは、各地の行政機関や民間の研究機関が蓄積した情報や、地域に生きる人々が持つ情報、研究者が築き上げてきた情報や知識が含まれる。「地域の知」はこれまで、断片的で、共有化されず、時の流れと共に失われてきた。「地域の知」を正の遺産として継承するために、以下の整備が必要である。<BR>2.「地域の知」を充実するための制度整備<BR> 官庁統計のデジタルへの更なる推進、保存期間の見直しなどを行い、地域情報を蓄積する制度の整備が必要である。また、保存・蓄積されている情報を、ニーズに応じて再集計できる仕組みの整備が求められる。位置の高精度化を進め、地図、基本的な最小集計単位の空間データの不整合を解消し、時系列的に比較可能にする必要がある。また、地理参照の整備を行い、町丁目・字コードの利用条件や、住所照合の一致度を向上させる仕組みを検討すべきである。<BR> 民間機関、研究者などが収集した情報を蓄積し、共有化するための制度も整備すべきである。データベース作成が学術的業績になる仕組みや、データベースを評価する仕組みも打ち立てるべきである。<BR>3.「地域の知」統合のための技術開発と研究推進<BR> 「地域の知」を収集、保存、検索、出力などを効率よく行っていくためには、操作システムの開発が必要となる。そこで、以下の機能を持つ「地域情報の共有プラットフォーム」を早急に開発すべきである。<BR>(1)地理参照可能;(2)各種の時系列(暦)と時間に対応;(3)図形(地域)、テキスト、画像、動画、音声、質的データなど様々な情報を一元的に管理;(4)多言語に対応;(5)地理情報検索、暦・時間検索・テーマ検索ができる;(6)視覚化可能;(7)データベースが共有化可能。<BR> 地域情報の詳細化と空間分析手法の高度化の研究も必要である。センサー技術を利用した地域情報の取得に関する研究、地域情報の視覚化に関する研究、次世代GISの研究などにより、地域情報の効果的な取得、表示、分析に関する研究を推進していく必要がある。<BR>4.「地域の知」と社会との関わり<BR> 地域情報の詳細化は、個人と社会の利害関係が対立も懸念され、倫理的側面の検討、法整備が必要になる。<BR> 地域情報の発信者は、地域に携わる誰もが担える。地域情報の整備に関しては、単に公的な機関だけでなく、民間も貢献し、裨益しうる制度も重要である。「地域の語り部」のような、誰もが貢献できる仕組みの構築も必要である。<BR> 「地域の知」の充実は、教育や地域活動にも貴重な資源となり、相互理解や情報格差是正につながる。学校教育における地図やGISを利用した地域情報教育の推進、地域情報をNPOや民間企業などが地域資源として利活用することの促進、そのための産官学連携による地域情報利活用のための地域情報センターの設置などによって、格段に進むことが期待できる。また、常時最新の情報に入れ替えて常に鮮度の高い主題図を集約した電子版地域情報アトラスの刊行も教育や地域活動に有効であろう。<BR>5.「地域の知」の統合の実現<BR> 「地域情報の共有プラットフォーム」開発に対しては、技術的検討およびこれらの運営環境の検討を行うために、10年間程度の「地域情報の共有プラットフォーム」開発プロジェクトを起こす必要がある。そのために、機関横断型のコンソーシアムの設立が必要になると思われる。共有プラットフォームを活かした「地域の知」の蓄積とその応用は、重要な国際貢献の柱になりうる。<BR><BR>註 本稿の内容は日本学術会議地域情報分科会の成果をまとめたものである。
著者
高田 将志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<br><br>海外の地理学の現状に関しては、近年、地学雑誌において「世界の地理学(Part I)、(Part II)」と題した特集号が組まれた(地学雑誌、第121巻、4号、5号、2012年)。これは2013年に京都で開催された国際地理学会議に向けて企画された特集号であり(村山ほか、pp.579-585)、PartI(地学雑誌、第121巻、4号、2012年)では、イギリス(矢野、pp.586-600)、ドイツ(森川ほか、pp.601-616)、フランス(手塚、pp.617-625)、スイス(大村、626-634)、オーストリア(呉羽、pp.635-649)、スペイン(竹中、pp.650-663)、ポルトガル(池、pp.664-672)、スウェーデン(山下、pp.673-685)、フィンランド(湯田、pp.686-698)、ロシア(小俣、pp.669-716)、ポーランド(山本、pp.717-727)、スロヴァキア(小林ほか、pp.728-734)、ルーマニア(漆原、pp.735-742)、Part II(地学雑誌、第121巻、5号、2012年)では、オランダ(伊藤、750-770)、アメリカ(矢ケ崎、771-786)、カナダ(山下、787-798)、ブラジル(丸山、799-814)、韓国(金、815-823)、中国(小野寺、824-840)、台湾(葉、841-855)、ベトナム(春山、856-866)、インドネシア(瀬川、867-873)、インド(岡橋ほか、874-890)、オストラリア(堤、891-901)、ニュージーランド(菊池、902-912)である。これらの総説では、主に、地理学関連の学会組織や学術研究面の特徴について触れられており、地理教育の点では、主要大学の組織や教育など高等教育に関する記述が中心で、中等教育について触れられている部分は極めてわずかである。また東~東南~南アジアについてみると、韓国、中国、ベトナム、インドネシア、インドが取り上げられているものの、他の国々に関する情報は含まれていない。<br><br>一方、海外の中等教育に関しては、大分古くはなるが1970年代末~1980年代初頭にかけて、帝国書院から「全訳 世界の地理教科書シリーズ」全30巻が刊行されている。これは、主要国の中等教育で用いられている地理分野教科書を全訳したもので、アジア諸国の中では、インド(第11巻)、タイ(第12巻)、インドネシア(第13巻)、フィリピン(第14巻、中国(第23巻)、韓国(第24巻)の6カ国について、取り上げられている。したがってこの6カ国については、教科書分析を行うことで、中等教育レベルの地理教育における時代的変遷についても、ある程度分析することが可能である。<br><br>地理学における高等教育や先端研究の重要性は言うまでもないが、翻って日本の現状を顧みると、中等教育における地理教育は、高等教育や、その先の先端研究の場にも大きな影響を及ぼしていることは明らかである。このような点から、日本のみならず、各国の地理学や地理教育においても、中等教育の実情を明らかにしておくことは、当該国の地理をよりよく理解するために新たな視点を与えてくれるであろう。また、当該国における中等教育における地理教育の実態を明らかにする過程で、日本からの目線で見落としがちな地理的事項を認識できれば、当該国の地誌的記述や日本を含むアジア諸国との国際関係理解の面で、日本の地理教育に資するべきものが発見できることも考えられる。<br><br>発表者は、将来的には、アジア、特に東~東南~南アジアに対象を絞って、各国の中等教育の現場で、地理学がどのようなテーマを扱い、どのような教育システムの下で教えられているかについて、主に、使用されている教科書や資料類の分析と、授業見学、教員へのインタビューなどから明らかにし、各国間の相互比較を行いたいと考えている。そしてその結果をもとに、中等教育レベルでは、国毎にどのような地理的知識・技術・考え方を重視しているのか、とくに自国の地誌や、日本を含む主要な国との国際関係について、どのような観点を重視して教育を行っているか、などを明らかにしたいと考えている。<br><br>上記のような背景を踏まえ、今回の発表では、試みにまず、ブータンとシンガポールというアジアの国について、中等教育がどのような教育システム上の位置を占め、どのような教科書を使用して教育を行っているのかについて調べた結果について報告したい。
著者
川村 和司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.69, 2005

現在,我が国の地上波民間テレビジョン放送は,日本テレビとTBS,フジテレビ,テレビ朝日,テレビ東京の5系列と三大都市圏内の独立局で構成されている.全国展開が許可されなかった民放キー局各社は,NHKに対抗するため,全国の地方局と系列関係を構築した.すなわち地方の報道を系列局が担当し,多くの番組を在京のキー局が配信するという体制である. 民間放送局は効率的に全国を網羅するため,三大都市圏に次いで,地方中枢都市を有する北海道や福岡,宮城,広島などに系列局を開局した.これはNHKの置局展開を論じた東・宇賀神(1979)の結果に類似している.また,人口や経済規模による民力を反映し,静岡や新潟などの県でも系列局の置局が行われた.一方,民力の脆弱な県で系列局の置局が盛んに行われたのは,政策的に全国の民放4局化が進められた1989年以降である.しかし4局化を達成した岩手や山形, 石川を上回る民力を有しながら,青森や山口など3局化に止まった県も存在する.そこで本研究では,3局地域の中で民力度が最も高い県のひとつである青森県を事例にモアチャンネル需要の特徴とその地域性を明らかにする. 系列局の少ない区域では隣接区域の放送を視聴することで系列の空白を補完する傾向がある.その方法としてはアンテナでの直接受信と,ケーブルテレビが他区域の局の放送を行う区域外再送信があげられる.青森県においても,空白となっているフジテレビ系列やテレビ東京系列を視聴するため,北海道や岩手,秋田の放送をアンテナ受信やケーブルテレビの区域外再送信によって視聴する習慣がある. 青森県における,全県的なフジテレビ系列やテレビ東京系列へのモアチャンネル需要を裏付けるように,隣接区域の放送が受信しやすい地域ほど,アンテナ受信での視聴世帯の割合は高くなり,受信が困難な青森市などでは有料のケーブルテレビ区域外再送信の加入世帯が非常に多くなっている.また青森県内の放送が鮮明に視聴できない地域では隣接区域の放送に頼らざるを得ない状況となっている.一方で,旧南部藩領で岩手県側にも商圏を持つ八戸市周辺や,教育や医療などの一部の面で北海道函館市の都市影響圏に属する下北半島北部のような隣接区域との地域間関係の強い地域では,青森よりも岩手や北海道の放送に親近感を受ける住民も多く,青森県内の民間放送に代わり隣接区域の放送を視聴している世帯もみられた.また過去の隣接区域の放送の視聴経験もモアチャンネル需要に影響を与え,居住地が移動した後も,もとの隣接区域の放送を視聴する傾向が強いことが把握された.以上,青森県でのモアチャンネル需要は,系列局の空白状況,受信状況,地域間関係,また過去の習慣などによって特徴づけられ,地域性を生じさせていると考えられる.
著者
高橋 裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

Ⅰ はじめに<br> 2000年代以降,ネットカフェやビデオ・DVD試写室,サウナ,ファストフード店を代表とする24時間営業店舗などでの,ホームレス状態にある人の寝泊まりや住み込みがみられる.何かしらの要因によって貧困状態にあるなどの,このようなホームレス状態にある人の近年の特徴として,「見えにくさ」が挙げられる.彼らの姿や実態,そして彼らが多くみられる地域との関係性はよく分かっていない.そこで本研究では,東京都大田区蒲田を事例として,24時間営業店舗などに寝泊まりせざるをえない新たな不安定居住者層が集中する地域の特性について,東京都大田区蒲田の事例を中心として,不安定居住者・ネットカフェ利用者の立場と,地域性・場所性の両面からアプローチして分析・考察を試みた.なお,本研究では,特定の住居を持たず,ネットカフェやビデオ・DVD試写室,サウナ,ファストフード店を代表とする民間セクターの商業スペースなどで寝泊まりする人を不安定居住者とよんでいる.<br><br>Ⅱ 研究対象地域<br> 本研究では,近年みられる不安定居住者層が集中する代表的な地域として東京都大田区蒲田を選定した.大田区は東京都の南東部にあり,東は東京湾に面し,北は品川・目黒区に,北西は世田谷区に,さらに西と南は多摩川をはさんで神奈川県川崎市にそれぞれ隣接している.面積は東京都23区内で最も広く,人口は2015年の国勢調査では世田谷区・練馬区に次いで3番目の多さである.<br><br>Ⅲ 研究方法<br> 総務省統計局やネットカフェを運営する企業のホームページなどから抽出したデータ,各種文献などをもとに,不安定居住者層が蒲田に集中する要因を分析した.そして,蒲田のネットカフェ利用者への聞き取り調査などにより,蒲田の不安定居住者の実態や,彼らと蒲田との関係性・結びつきを分析した.考察においては,適宜,有識者・専門家・社会活動家・NPO関係者などへの聞き取り調査の結果を用いた.<br><br>Ⅳ 結果と考察<br> 蒲田には,交通の要衝や繁華街としての要素があり,ネットカフェやDVD鑑賞店の数も多く,城南地区の中心地となっていることや,他地域には見られない非常に安価で不安定居住者を客層としているような特異なネットカフェ店舗が存在すること,高度経済成長期に地方からの集団就職者層の歓楽街として発展したという歴史的経緯などの特性があることによって,蒲田は近年みられる不安定居住者層を集中させていたことがわかった.そのうち,交通の要衝であり繁華街的性格をもち,ネットカフェ・DVD鑑賞店など安価な24時間営業店舗を多く集積していることが,近年みられる不安定居住者層集中地域の普遍的要素であることが挙げられる.不安定居住者と同様のネットカフェ寝泊まり常連者も含めた蒲田のネットカフェ利用者が,蒲田のネットカフェを利用している理由としては,蒲田に居住しているためであること以外に,仕事場所への行き来のためであることが多く,彼らは蒲田を中心に東は京浜急行線に沿うように羽田まで,西は東急線に沿うように多摩川駅や五反田駅・目黒駅に至るように移動し,南は横浜市,北はJR田端駅付近までJR京浜東北線に沿うように移動していることがわかった.<br> それらをもとに,東京都内において,蒲田以外にも不安定居住者層集中地域を見出すことができ,近年みられる不安定居住者層の東京都内での「漂流パターン」も一定程度,想定できる.
著者
水野 一晴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.134, 2008

<BR> インドのアルナチャル・プラデシュ州(アッサム・ヒマラヤ)は、ブータンと中国・チベットとの国境に近く、22-24のチベット系民族(細分化すれば51民族)の住む地域である。長らくインドと中国の国境紛争が続き(現在でも中国の地図では中国領)、最近まで外国人の入国が禁止されていたため、未知の部分が多く、神秘的な領域である。現在外国人が入域をするためには、国と州の入域許可書が必要で10日間以内の滞在が認められる。今回は2007年7月の予備調査、とくにディラン・ゾーン地域の自然と人間活動について報告を行う。<BR> 1. 地形と土地利用:住居や農地の多くは、地滑り斜面と崖錐斜面に立地している。それらの地形はその形状と堆積物から住居と農地の立地に有利であると考えられる。<BR> 2. 森林利用:農地の肥料は樹木の落葉のみが利用されるため、落葉は住民にとって重要な財産になっている。森林は森林保護地域と非保護地域に区分され、それぞれ住民による利用の仕方が異なる。また、土地の所有者、同一クランの者とそれ以外の者では落葉の利用権が異なる。<BR> 3. 農業:農耕は標高2400m以下(稲作は標高1700m以下)、牧畜(ヤク)は標高2000m以上で行われている。放牧地は樹木を人為的に毒で枯死させてつくられ、そこではバターやチーズが現金収入になっている。<BR> 4. 住民の定着と農耕の起源:同じアルナチャル・プラデシュ州のジロ地域では、各所の露頭でみられる埋没腐植層の<SUP>14</SUP>Cの年代から、2000年前頃には人が定着し、500年前頃には焼畑が盛んであったことが推測される。ディラン・ゾーン地域の水田下から発見された埋没木の年代は、<SUP>14</SUP>C濃度から1957年-1961年のものと推測されるが、今後さらに埋没木や埋没腐植層を探し、タワン-ディラン・ゾーン地域で農地が拡大した時代を明らかにしていきたい。
著者
田中 誠也 磯田 弦 桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

近年,新たな観光資源としてアニメ作品の背景として利用された地点をめぐる「アニメ聖地巡礼」が注目を集め,ファンに呼応する形で地域も様々な施策を行っている.本報告では,SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の1つであるツイッターの位置情報付きの投稿データを用いて,アニメ聖地と認められている地域内で巡礼者がどのような地点を訪れているのかを,時系列に見ていくことで地域の施策の動きと聖地巡礼者の動きの関係性を分析していく.
著者
藤永 豪
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.201, 2005

1.中国の経済成長と農山村 周知のように、現在、中国は急速な経済発展を続けている。1990年代半ば以降は、さすがに経済成長率が10%を下回ったものの、その後も毎年7_から_9%を維持している。今後も2008年の北京オリンピックおよび2010年の上海万博に向けて,中国国内の需要拡大はほぼ確実であり、2005年も、8.4_から_8.5%の経済成長を予測している。これは、故!)小平中国共産党総書記の指導のもと、1978年より始められた改革開放政策の結果である。この改革はもともとは貧困に喘ぎ、経済発展から立ち遅れていた農村部から始められた。1979年には「農業の発展を加速する若干の問題についての決定」が可決され、さらに1980年代に入ると、国から請け負った以上の農業生産物は、原則として自由に売買でき、各戸で利益を上げることが許される、いわゆる「生産責任制(生産請負制)」が確立された。そして、「先に豊かになれるものから豊かになれ」という「先富論」のもとに、沿岸地域と内陸地域の経済格差の問題が顕著化しながらも、北京や上海などの大都市近郊の農村では、「万元戸」や「億元郷」が出現するに至った。2.北京市郊外における農山村の経済成長 このような経済情勢のもと、首都である北京市郊外の農山村も急速な経済成長を遂げた。とりわけ、前述した3年後の北京オリンピックを視野に入れ、急ピッチで開発が進んでいる。中心城区(西城区、東城区、宣武区、崇文区)に接する海淀区や朝陽区、石景山区、豊台区では大規模な宅地開発が行われ、農村は中高層マンションへと姿を変えている。また、北京市郊外を走る「五環路」沿線の農村は、環境政策の方針から、政府によって取り壊され、植林が進んでいる。 一方、さらに郊外に位置する門頭溝区や昌平区、順義区、通州区、大興区、房山区等では道路網が整備され、北京中心部へのアクセシビリティが向上したこともあり、土木・建設・製鉄業などの都市開発と直結した郷鎮企業が次々と設立された。それらの中には、近年の土地に関する法規制の緩和もあって、不動産業にまで手を広げ、住宅団地の建設・販売まで行う企業も出現している。このほか、観光開発が進む農山村もある。伝統的な景観を保全し、北京市やその周辺地域をはじめとする中国国内だけでなく、海外からの観光客をも積極的に呼び込んでいる。3.北京市郊外の農山村景観の変容 以上のような経済発展の中で、北京市郊外の農山村はその景観を大きく変容させている。マンションへと姿を変えた村、観光開発のために景観保護が施される村、政策によって移転・廃村が決定・実行された村、郷鎮企業の成功によって集落全体が近代的な住宅群へと変化した村など様々な景観が広がる。 本発表では、統計資料等には限界・不足する点があるが、これらの農山村の景観変化に関するいくつかの事例について、写真等を用いながら紹介し、景観から見えてくる中国農山村の現状について、若干の報告をしたいと考える。[付記] 本報告は、神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」における若手研究者の海外提携研究機関派遣事業の一部である。
著者
酉水 孜郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.12, no.6, pp.527-540, 1936

Since there is a large variety of vegetables cultivated by very intensive methods in the vicinity of T&ocirc;ky&ocirc;, it is possible to find various forms of cultivation, showing the regionality in agriculture of this part of the country.<br> The various forms of cultivation we see are mainly results of thenature of the soils, -climate, crop-rotation, and the intensive method of cultivation used.<br> As the loamy soil of the Musasino Upland, west of T&ocirc;ky&ocirc;, is light and readily holds moisture, barleys on the upland are cultivated by means of the dotted method (Fig 2), which makes it easier for the. farmers to avoid frost damage.<br> On the sandy soil of the Tama-gawa and Ara-kawa flood plains, barleys are cultivated, in line form (Fig. 3), because here frost scarcely does any damage.<br> To avoid the severe frost and the cold N. W. wind in winter, which often injure vegetables, the farmers use coverings to protect the vegetables from frost, but in such a way as not to shade them entirely from sunshine (Fig. 5, 6, 8, 10). The vegetables are also planted on the southern side of the barleys so as not to be damaged by N. W. winds (Fig. 11).<br> During the season from spring to summer, owing to circumstancesof crop-rotation and climate, the winter barleys are not cultivated so. intensively. In that case there are various forms of cultivation (Fig. 9, 12), and the wide spaces between the furrows of barleys is used for some kinds -of vegetables; thus certain forms of inter-tillage can be noticed (Fig. 14, 15 16, 18).<br> As the crop rotates very quickly in this neighbourhood, we have consequently many types of inter-tillage, thus showing the seedling and cropping periods of each plant at the same time (Fig. 17, 19). Inter-tillage applied only to vegetables also may be noticed in this part of the country (Fig. 20, 21) 23, 24).
著者
磯野 巧
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

本研究の目的は,オーストラリア・カナウィンカ地域において広域的に展開してきたジオパーク運動に地方自治体(LG)がどのように対応してきたのかを,観光地域としての特性を踏まえながら解明することである。カナウィンカ地域はオーストラリア大陸南東域のサウスオーストラリア州およびビクトリア州境に位置し,サウスオーストラリア州の3つのLG(マウントガンビア,グラント,ウォトルレンジ),ビクトリア州の4つのLG(グレネルグ,サザングランピアンズ,モイン,コランガマイト)が該当する。<br><br>オーストラリアでは,国内の地学協会や連邦政府によってジオサイトが大地の遺産として保全・評価の対象となっており,ジオツーリズムやジオパーク運動を実施するための基盤が早期より構築されてきた。2000年代になると,オーストラリア国内でジオパーク・プロジェクトが始動し,大陸南東域に位置するカナウィンカ地域に注目が集まった。カナウィンカ地域では火山景観を活かしたローカルスケールの観光振興が取り組まれており,1990年代以降,その取り組みは地域間連携によって広域的に展開するようになった。広域的観光振興の計画立案から着手までの経緯がスムーズであった背景には,全LGが観光地域としての条件不利性を共通の課題として認識していたことが指摘できる。2000年代には,カナウィンカ地域におけるジオパークの推進が正式に決定し,2008年に世界ジオパークネットワーク(GGN)に加盟するも,2013年の再審査時に連邦政府の判断によってGGNからの脱退が決定し,国内版ジオパークとして再編された。<br><br>カナウィンカ地域にはライムストーンコースト,グランピアンズ,グレートオーシャンロードの3つの観光地域に含まれる7つのLGから構成されており,これらのLGは各々の観光地域の特性を意識した観光戦略を策定してきた。こうした状況下においても,全LGはボランティア組織による広域的観光振興計画に理解を示し,ジオパーク運動に対する財政支援を行ってきた。しかし,ジオパーク運動の推進から十数年が経過し,カナウィンカ地域がGGN加盟から国内版ジオパークとして再編される過程の中で,ジオパーク運動に対するLGの対応に変化がみられるようになった。<br><br>カナウィンカ地域最大のLGであるマウントガンビアは,広域的観光振興の時代から積極的に活動に参与してきた。マウントガンビアには域内最大の観光資源のひとつであるBlue Lakeが存在し,ジオパーク運動の推進はマウントガンビアの観光振興に直結するため,国内版ジオパーク再編期以降もジオパーク運動に対する理解は深い。サザングランピアンズはグランピアンズに包含されるLGのひとつであるが,グランピアンズ国立公園への訪問に際しては,観光関連施設や都市機能が充実する北部域がそのゲートウェイとしての優位性を有しており,サザングランピアンズはグランピアンズ国立公園とは別の独自性のある観光戦略を策定する必要があった。そこで注目されたのがジオパーク運動であり,サザングランピアンズでは次席的な位置付けとしてジオパーク運動を観光戦略に組み込んでいる。サザングランピアンズはカナウィンカ地域において最大規模のインタープリテーション機能をもつ火山博物館を有しており,それを活用した周遊型観光地域の創出にも積極的な姿勢を見せている。一方で,グレートオーシャンロードの一部であるコランガマイトは,GGN時代まではジオパーク運動に対して積極的な姿勢であったものの,国内版ジオパークへの再編以降,LGによる支援は行っていない。その理由として,LGの逼迫した財政状況を受け,より経済効果の見込めるグレートオーシャンロードへと観光戦略を一本化したことが挙げられる。<br><br> 以上より,ジオパークに対するLGの対応は一定の地域差が認められ,それにはカナウィンカ地域がもつ「ジオパークとしてのステータス」が大きな影響を与えていると看取できる。
著者
坪本 裕之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>2020年4月7日に,新型コロナウイルス感染症(Covid-19)の感染拡大防止を目的とした緊急事態宣言が政府より発せられ,全事業者への通勤者7割削減が要請された.多くの企業ではオフィスへの出勤制限とともに在宅勤務に切り替えられた.しかし5月の宣言解除以降,7割を超える企業が出社を前提とする体制に戻った.さらに再度の全国的な感染拡大を受けて,7月には再び出社抑制および時差出勤の推進が企業に対して要請された.今回のコロナ禍の特異性として,強制的な在宅勤務要請の期間の長さとともに,感染収束やワクチン開発の時期が想定できず,先行きに対する不透明さがある.東京のオフィスを取り巻く状況は非常に流動的である.</p><p></p><p> 2020年6月に企業のオフィスファシリティ担当者に対して,緊急事態宣言前後における働く場所についてのwebアンケート調査を行った.自社オフィスを中心として,自宅やサテライトオフィス,カフェなど働く場所の複数の選択肢があった宣言前に対して,宣言以降は感染防止のため,在宅勤務と時差出勤を含めたオフィス勤務に制約されている.</p><p></p><p> コスト削減を目的として,オフィス内でのモバイルワークを前提とするフリーアドレスの導入を検討している企業が増加し,加えて数年後には「ジョブ型」人事制度に切り替える企業事例が報道されている.しかし,このような就労環境を構築できるのは,ファシリティとICT,人事制度に精通した人材の存在と推進体制を組むことのできる企業である.加えて,成果主義を前提とした人事制度の策定にも,施策を進める時間が必要だ.</p><p></p><p> 対面接触によるコミュニケーションの強い制約も今回のコロナ禍の大きな特徴だ.多くの企業における現状の取り組みは,コミュニケーションの維持と出社比率のコントロールの間にあり手一杯の状況だ.在宅勤務が長い期間継続すれば,単純なオフィスワークの場としての意義を包含するオフィスを,対面接触の場に絞り再定義する可能性があり,住環境を補完するシェアオフィスも広域的に展開すると予測できるが,そもそも対面コミュニケーションの制約のもとでは,オフィスの意義やそれに伴う立地の変化が起こるとは考えにくい.</p>