著者
田中 耕市
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.30-39, 2017
被引用文献数
1

<p>本稿は,2015年に実施された「地域ブランド調査」を利用して,1,000市区町村を対象とした主観的評価に基づく地域の魅力度の構成要素とそのウェイトを明らかにした.はじめに,地域の魅力度に関わると考えられる同調査の75項目から,主成分分析によって13の主成分を導出した.次に,それらの13主成分を説明変数,市区町村の魅力度を被説明変数とする重回帰分析を行った結果,魅力度は11の構成要素から成り立っていた.それらのうち,魅力度におけるウェイトが最も高かったのは観光・レジャーであり,農林水産・食品,生活・買い物の利便性,歴史がそれに続くことが明らかになった.本稿で解明した地域の魅力度の構成要素とそのウェイトをもとに,客観的な地域の魅力度を評価することが可能となる.</p>
著者
有江 賢志朗 奈良間 千之 福井 幸太郎 飯田 肇 高橋 一徳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.109, 2019 (Released:2019-09-24)

1.はじめに 福井・飯田(2012)と福井ら(2018)は,飛騨山脈の多年性雪渓において,近年の小型かつ高精度な測量機器を用いて氷厚と流速の測定を実施した.その結果,流動現象が確認された六つの多年性雪渓は氷河(小窓氷河,三ノ窓氷河,カクネ里氷河,池ノ谷氷河,御前沢氷河,内蔵助氷河)であると判明した.飛騨山脈は,氷河と多年性雪渓が存在する山域となった.しかしながら,飛騨山脈のすべての多年性雪渓で氷河調査がおこなわれたわけではなく,飛騨山脈の氷河分布の全貌は明らかでない.福井ら(2018)は,飛騨山脈の未調査の多年性雪渓のうち,氷体が塑性変形を起こすのに十分な氷厚を持ち氷河の可能性があるのは,後立山連峰の唐松沢雪渓,不帰沢雪渓,杓子沢雪渓などごくわずかであると指摘している.そこで,本研究では,唐松沢雪渓において氷厚と流動の測定をおこない,現存氷河であるかどうかを検討した.さらに,本研究の唐松沢雪渓で測定された氷厚と流動速度を,氷河の塑性変形による氷河の内部変形の一般則であるグレンの流動則で比較し,唐松沢雪渓の流動機構について考察した.2.研究手法 氷河と多年性雪渓は,氷体が顕著な流動現象を示すかどうかで区別される.本研究では,唐松沢雪渓の氷厚を測定するために,アンテナから電波を地下に照射し,その反射から地下の内部構造を調べる地中レーダー探査による氷厚測定を実施した.また,縦断測線と横断測線との交点ではクロスチェックをおこない正確な氷厚を求めた.測定日は2018年9月21日である.さらに,雪渓上に垂直に打ち込んだステークの位置情報を融雪末期に2回GNSS測量を用いて測定し,その差分から唐松沢雪渓の融雪末期の流動速度を測定した.また,雪渓末端の岩盤に不動点を設置し,2回の位置情報のずれをGNSS測量の誤差とした.2回の測定日は,2018年9月23日と10月22日である.図1に地中レーダー探査の側線とGNSS測量の測点を示した.3.結果 地中レーダー探査の結果,唐松沢雪渓は30m以上の氷厚を持ち,塑性変形するのに十分な氷厚を持つことが確認された. また,流動測定の結果,2018年融雪末期の29日間で,P1で18cm,P2で25cm,P3で19cm,P4で18cm,P5で19cm,北東方向(雪渓の最大傾斜方向)に水平移動していた.雪渓末端部の河床の岩盤の不動点(P6)での水平移動距離は2㎝であった.今回の測量誤差を2㎝とすると,雪渓上の水平移動で示された雪渓の流動は,誤差を大きく上回る有意な値であるといえる.流動測定を実施した融雪末期は,積雪荷重が1年で最も小さいため,流動速度も1年で最小の時期であると考えられている.このことから,唐松沢雪渓は一年を通して流動していることが示唆され,現存氷河であることが判明した. さらに,唐松沢雪渓で測定された表面流動速度は,グレンの流動則による塑性変形の理論値を上回っていた.このことから,唐松沢雪渓の融雪末期における底面すべりの可能性が示唆される.引用文献福井幸太郎・飯田肇(2012):飛騨山脈,立山・剱山域の3つの多年性雪渓の氷厚と流動―日本に現存する氷河の可能性について―.雪氷,74,213-222.福井幸太郎・飯田肇・小坂共栄(2018):飛騨山脈で新たに見出された現存氷河とその特性.地理学評論,91,43-61.
著者
大矢 雅彦 金 萬亭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.75-91, 1989-02-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
51
被引用文献数
1 1

We have conducted a comparative research on the fluvial plain between Japan and South Koreabased on geomorphological land classification. There are distinct regional differences in thegeomorphology of Japan and South Korea even though they are adjacent to each other. The fluvialplains in Japan are depositional plains, but in South Korea they are basically erosional plains, eventhough they are thinly covered with sand and gravels. Based on the combination of geomophological elements, the plains of Japan and South Korea areclassified as follows: <Japan> (“On” group =basic form) Fan+Natural Levee (Back Marsh)+Delta.(“Od” group) small fan+small natural levee+Delta no fan+no natural levee+Delta. <Korea> (basic from) Pediment+Pen-pediment+Natural Levee (Back Marsh)+Tide land.(R. Naktong) Pediment+Peri-pediment+Natural Levee (Back Marsh)+Delta+Tide land. The above outlined differnces were formed by the following factors: 1) In Japan, erosion in the mountainious region is pronounced due to the steep topography andbecause of the torrential rainfall. Sand and gravels were supplied to the valley bottom by land collapses and transported to the plainby rivers during the flood season. They were deposited at the boundary between the mountainousregion and plains, and formed fans. In South Korea, a great deal of fine-grained material is produced because of the wide distributionof gneisses and granitic rocks which are easily weathered and by mechanical weathering in themountainous region due to the low temperatures during the winters. The debris which was formed onthe surface of the mountanious regions was washed away by torrential rainfall during the summerseason. The gravels were deposited on the gentle piedmont slopes, especially the lower parts ofpediments which were thinly covered with sand and gravels were formed as peri-pediments. 2) The coefficients of river regimes are large in the rivers of both countries. The ratio in Korea islarger than that of Japan. The longitudinal profile of rivers in Japan is steeper than that of Korea. Due to the above mentioned features of the rivers, a great deal of sand and gravel was transportedin Japan and sand were transported in South Korea, so that natural levees are developed better in South Korea than in Japan. 3) In Japan, the deposition of sand and gravels a t the lowest reaches is remarkable. Because manyrivers pour into inland bays, many big deltas are formed in the lowest reaches. In South Korea, the deposition of sand and gravels in the lowest reaches is difficult partly becausethe rivers pour into the open sea directly, and partly because of the very wide tidal range, for example 8.1m at the lowest reach of the Han River. 4) The differences between the two groups based on the combination of geomorphologicalelements in Japan are related to whether a river has intermontane depressions and gorges in the upperreaches or not: the “On” group has no intermontane depressions or gorges in the upper reaches, whilethe “Od” group has. The differences in the combination of geomorphological elements in Korea are based on naturalconditions at the river mouth.
著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.53, 2004

_I_ はじめに 中世以降,近世を中心に開創された地方霊場の多くは現在も存続するとともに,さらに新たな開創が続いている。こうした地方霊場の種類,開創年代,範囲,巡拝路の形態,さらに霊場数あるいは霊場密度などには,全国的に差異がみられる。地方の三十三観音霊場などでは,観音像は本堂でも脇侍とされたり,境内の観音堂にまつられたりする。さらに堂庵や神社,石塔などのことも多い。そもそも霊場はその起源においても仏教のみならず修験との深いかかわりが認められ,神仏習合のもとでは観音を本地とする神社も多いため,札所は神社の内や隣接することも多く,さらに背景に民間信仰が認められるものも多い。_II_ 霊場と寺社の調査 北海道から北陸に至る北日本において,主要な地方霊場について施設や景観などを調べるとともに,それらの分布と関連する寺社などの分布との比較をとおして,霊場の開創の要因や経緯などについて明らかにする。まず,歴史が古く代表的な霊場を選び,霊場および札所寺院の位置や景観,宗派などの特色を,現地調査にもとづいて明らかにする。次に,現在の宗教法人の寺院の主要宗派別の分布を明らかにし,それとともに著名神社を選んでその分布も明らかにする。さらに主要仏教宗派の分布が成立した経緯や,著名神社の成立の経緯などにもとづいて,霊場開創地域の宗教的基盤の特色を明らかにする。さらに,それらを通して明らかにされた地方霊場開創にかかわる要因の中から,とくにかかわりが深い山岳信仰について分析を加え,霊場の開創とその地域的差異の検討を試みる。_III_ 地方霊場と寺社分布 各県ほどの規模の霊場では,札所はおよそ平野や盆地の縁である山麓にみられ,札所は岩や沢の傍らなどに設けられている。札所として,真言系寺院をはじめ,天台系や禅系の寺院が多く選ばれているが,修験の寺院もあり,神社境内にある観音堂のこともある。寺院は当該地域の南西部では浄土系,北東部では禅系などが多く,平野では浄土系,山地側では禅系,天台系,真言系が多い。この天台系・真言系寺院は古くから進出し,霊場と深くかかわり,禅系寺院も霊場とのかかわりを保つ。一方神社は,当該地域には八幡社が広く分布し,稲荷社は北部に多く,神明社は南部に,熊野社は内陸部に多い。_IV_ 山岳信仰の影響 とくに熊野社は,熊野三山や天台系と結びつき,霊場とかかわりが深い。もともと巡礼では札所のほかに多くの霊山が参詣されており,巡礼には山地での修行が含まれる。 廻国巡礼は富山では立山に至り,西国・坂東・秩父巡礼は出羽三山参詣と類似のものとみなされていた。東北地方北部でも,地方霊場は山岳霊地に連なり,お山参詣は修験の影響を受けて,山岳信仰の要素を含んでいる。霊場と結びつく,天台系・真言系や熊野社などが深く結びついており,これらは開創年代が古く,周辺に位置し,とくに観音とかかわっている。さらに修験や山岳信仰と結びついており,それらは霊場の基本的性格を形成したと考えられる。
著者
伊藤 修一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000237, 2018 (Released:2018-06-27)

Ⅰ.はじめに 1990年代以降の先進諸国では自動車保有率の上昇が鈍化,低下に転じているなど(奥井 2004,橋本 1999),モータリゼーションは成熟・停滞期とみられる.モータリゼーションが進む地域において,一般に女性は自家用車の利用可能性が低い「交通弱者」と位置付けられ,就業機会とのアクセスが制限されやすく,家事や育児を担う役割も重なる場合には専業主婦や低所得者となりやすいとされてきた(Hanson and Pratt 1988). 総務省『労働力調査』によれば,日本の年齢別女性就業率に表れる「M字型カーブ」の谷底は1991年には50%を上回り,2007年以降は60%を超え,全体の女性就業率も2010年代に入ってからは上昇している.よって,自家用車の普及と女性就業の促進との関係を検証する必要がある.既に,岡本(1996)はパーソントリップ調査の結果に基づいて,就業女性の自動車利用率が専業主婦よりも高く,世帯の自動車保有率が高くなれば利用率が高まることを指摘している.日本の乗用車保有率の要因を分析した奥井(2008)も女性就業が自動車普及の一因であることを示唆している. なかでも,近年の軽乗用車の普及は女性就業に大きな影響を及ぼしたと考えられる.自動車検査登録協力会編『自動車保有車両数』によれば,普通・小型乗用車台数は1990年代中期以降停滞するなか,軽自動車は年1~3%の増加が続く.また日本自動車工業会『軽自動車の使用実態調査報告書』によると,男性が過半数だった主たる運転者が1995年以降には既婚女性のみで過半数を占めるようになったからである. 本研究では軽乗用車保有台数の増加と女性就業率の高まりの時期が重複する1990年代中期以降に注目して,軽乗用車の保有状況の地域的傾向を把握したうえで,軽乗用車の普及と既婚女性の就業者の増加との空間的な関係を,統計的な裏付けに基づいて検討する.Ⅱ.分析対象とデータ 軽乗用車の地域的な普及状況を把握するために,全国軽自動車協会連合会『市区町村別軽自動車車両数』(1996年3月末版,2016年3月末版)により台数データを入手した.ここでは普及状況を測る指標として,軽自動車台数を総務省『国勢調査』(1995年,2015年)による一般世帯数で除した保有率を用いる.既婚女性の就業に関するデータも『国勢調査』による.就業状態は就業者総数のほか,年齢別,「主に仕事」と「家事のほか仕事」との別に分けて分析した. 分析対象は国内全ての市区町村であり,1995~2015年度間の市町村合併や福島第一原発事故の影響を受ける自治体などを考慮して,1833の部分地域に整理された.Ⅲ.軽乗用車保有率の分布 2015年度の全国保有率は39.8%で,空間的偏りがみられる(モランI統計量1.52,p<0.01).ローカルモランI統計量による検定結果に基づくと,三大都市圏や北海道に10%未満の市区町村が集中する統計的に有意なクラスターが認められ,仙台市と熊本市のほか広島市と福岡市の中心地区といった政令指定都市にも低率のクラスターや局所的に低い地域が形成されている.対照的に山形,宮城両県を中心とした東北地方南部や,中国山地や讃岐山地付近,九州地方は70%以上の高いクラスターがみられる.これは奥井(2008)が指摘する,北海道で高値,東北地方や西日本に低値の地域が広がるという乗用車全般の傾向と異なる. 2015年度の全国保有率は1995年度の13.6%の約3倍にもなる.両年の分布パターンはよく類似しており(r=0.89,p<0.01),高保有率だった地域で保有率が上昇している(r=0.74,p<0.01).保有率が減少したのは低普及率の有意なクラスターに属する東京都千代田区と中央区のみである.Ⅳ.軽乗用車保有率と既婚女性就業率との関係 2015年度の保有率と就業率の相関係数は0.52(p<0.01)で,1995年度よりも上昇している.「主に仕事」とし,年齢の高い者ほど大幅に上昇している.全国的には軽自動車の普及が,フルタイム労働者のような既婚女性の(再)就業の促進により関わっており,その関係が深まっていると解釈される. また,保有率の上昇幅と就業率の上昇幅との関係は大都市圏内において統計的有意差が認められる.保有率の上昇幅のわりに就業率の上昇幅が小さい地域は東京都荒川区を中心とした都区部北東側や,天王寺区を除く大阪都心5区に有意なクラスターが形成されており,大都市圏中心部の公共交通の利便性の高さが影響したものとみられる. 一方,保有率の上昇幅のわりに就業率の上昇幅の大きい地域は,東京圏においては三鷹市周辺や横浜市神奈川区周辺に,大阪圏では神戸市に有意なクラスターが現れる.こうした傾向からは大都市圏内では,軽乗用車の取得可能性などの経済面の影響も示唆される.
著者
畠山 輝雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.12, 2007 (Released:2007-04-29)

1.はじめに 平成17年国勢調査では、住民の調査拒否に伴う調査員の大量辞退、調査票の紛失、偽調査員による調査票の回収など、さまざまな問題がマスコミで報道された。これらの報道や個人情報保護法の施行に伴うプライバシー意識の高まりなどにより、調査票の未回収率が高くなった。 総務省によると、全国における調査票の未回収率は、4.4%(平成12年は1.7%)であり、都道府県別では東京都が13.3%と最も高いように、大都市部を中心に調査票を回収できなかった割合が高い。このため、悉皆調査としての平成17年国勢調査の精度は低いといわざるを得ない。それゆえ、国勢調査を使用して地域差を分析し、地域特性を明らかにすることがこれまで多く行われてきた地理学において、統計の精度が低く、また地域によって回収率が大きく異なっていることは、地域分析の手法の再考が必要な事態となっている。 2.調査票の未回収率が高かった要因 調査票の未回収率が高くなった要因は、調査員が世帯を訪問しても接触できない(不在、調査拒否、居留守など)、世帯が調査票を提出したいときに提出できないなど、現行の調査員による調査票の直接配布・回収の方法に限界がきているといえる。また、個人情報保護法は、国勢調査には適用されないにもかかわらず、法律を楯に調査拒否をするなど、国勢調査への国民の理解が低いことも原因となっている。 調査票の未回収率が高いのは、大都市部における若者の単身者層が多く居住している地域である。報告者が首都圏の大学生224人を対象に実施した国勢調査の認知度に関するアンケート調査によると、国勢調査の実施間隔49.1%、最近の実施年47.3%、国勢調査の義務性45.1%、回答拒否・虚偽申告による罰則12.1%、調査結果の活用方法(8種類の平均)48.8%などいずれも認知度が過半数にいたっておらず、大学生の国勢調査への理解度が低い実態が明らかとなった。 3.国勢調査に関する政府の対応 平成17年国勢調査において、調査票の未回収率が高かったことを受け、総務省は2006年1月に「国勢調査の実施に関する有識者懇談会」(座長:竹内啓東京大学名誉教授)を設置し、原因や今後の対策について議論した。そこでは、調査票の配布・回収方法の見直し(郵送、インターネットなど)や国民の理解および協力の確保(広報の展開、マスコミ活用、中長期的な教育)などが提言された。その後、この懇談会による報告を受け、2006年11月に「平成22年国勢調査の企画に関する検討会」(座長:堀部政男中央大学教授)が設置され、次回の国勢調査の実施へ向けて、現在議論をしているところである。 これらの会議における議論は、これまでのところ配布・回収方法などの方法論が主となっている。国勢調査への国民の理解については、議論はされているものの、具体的な対策はまだ出されていない。 4.おわりに 国勢調査の未回収率が高かった要因には、若者の調査への理解度の低さがあげられるが、国として調査の理解度の上昇に対する具体的な対策はまだ考えられていないようである。調査への国民の理解が得られないまま、郵送やインターネットによる配布・回収をすることになれば、さらに回収率が低くなることは確実である。国がマスコミ等を利用し、調査に関する理解度を得ようとしても限界はある。また、中長期的に小中高校などにおいて教育をすることは意義があるといえるが、次回の調査時には間に合わない。 そこで、国は社会学、行政学、統計学などの国勢調査を活用する学界(会)への依頼を通して、大学における教育を促す必要がある。地理学界(会)としても大学における講義を通して、学生への国勢調査への理解度を上げることが、平成22年国勢調査の回収率を上げる一助となると同時に、地域分析の有効な一指標として国勢調査を位置づけられよう。 また、平成17年の国勢調査については、使用時に回収率に応じた補正が必要であると考えられる。しかし、総務省は都道府県単位での未回収率しか公表していないため、最低でも市区町村単位における一律の未回収率の公表が望まれる。
著者
町田 知未
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>1.はじめに</p><p></p><p> 高度経済成長期における国主導の画一的な大型施設の整備やリゾート開発は地域の不均衡発展をもたらした。産業振興を優先させたことが居住環境の悪化や生活の質の低下を招いた側面もあった。結果として,多くの自治体が基幹産業の衰退,少子高齢化に伴う過疎化に見舞われた。都市部から離れた遠隔地においてその傾向は顕著であった。現在こうした地域においては,それまでの地域振興策を見直し,地域独自の自然・人文環境などの地域資源を保全し,地域の魅力を高めこれを活用することによって,地域外から人を呼び込み内外の交流を促進して,地域経済を活性化させる地域づくりが目指されている。しかしながら,自然・人文環境や産業構造といった地域特性は地域それぞれで異なるため,地域づくりのあり方にも違いが生じるはずである。それゆえに,さらなる事例研究の蓄積が必要である。</p><p></p><p> 本研究の目的は,北海道中川町を事例として,地域資源を活かした地域づくりに対する地域住民の意識と,地域外からの来訪者の行動と地域資源に対する意識を併せて分析することによって過疎地域における地域資源を活かした地域づくりの意義と課題を明らかにすることである。</p><p></p><p>2.データと方法</p><p></p><p> 地域住民の意識を把握するために,中川町の地域づくりに携わる主要組織である役場,教育委員会,商工会,観光協会において聞き取り調査を実施した。また,中川町への来訪者の意識を把握するために,2019年の6月から9月まで中川町内の主要施設(温泉施設,キャンプ場,中川町エコミュージアムセンター,道の駅,飲食店)においてアンケート調査を実施し,256のサンプルが得られた。</p><p></p><p> </p><p></p><p>3.調査結果</p><p></p><p> 中川町は明治期より化石産地として名高い地域である。1990年代後半に国内最大級のクビナガリュウ化石が2度発見され,「化石の町」として脚光を浴びた。化石の町として注目されたことが,町内に存在する地域資源を活かした地域づくりを行う契機となった。1997年に町全体を博物館とみなした地域づくりを目指した「エコミュージアム構想」が提唱されて以後,化石を中心とした地域資源を活かした地域づくりが中川町エコミュージアムセンターを中核施設として行われている。</p><p></p><p> 聞き取り調査によると,中川町では化石以外の地域資源を活かした取り組みも様々な組織によって行われていた。たとえば,役場による林業の町のイメージを活かした取り組み,商工会による地場産業のブランド化,観光協会によるエコモビリティの推進である。化石に係る取り組みは教育委員会を中心として行われているが,教育委員会以外の主要組織の化石に係る取り組みへのかかわり方はいずれも消極的であった。</p><p> 来訪者の意識をみると,化石の見学を目的とした来訪者が最も多い。来訪者の行動からは,休憩施設である道の駅を除くとエコミュージアムセンターを訪れた者の割合が最も高かった。しかしながら,来訪者の目的と町内での行動を中川町への来訪回数別に分析すると,化石を目的として訪れる者は来訪回数の少ないものには多いが,来訪回数が増えると減少する傾向があった。対照的に,温泉施設やキャンプ場を目的とした来訪者は来訪回数の少ない者には少ないが,来訪回数が増えると増加する傾向があった。これらのことから,化石という地域資源の価値を再認識し,来訪回数による来訪者の特性の違いを考慮した誘致策を練るために組織間の協力体制を見直し,住民がより主体的に継続して地域づくりを行う必要があると考えられる。</p>
著者
山本 晴彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.186, 2010 (Released:2010-11-22)

1.わが国における区内観測所の雨量観測記録のデータベース化とアメダス観測データとの統合・雨量変動解析 全国各地の主要な都市には、約130ヶ所の気象官署が設置され、観測当初からの気象観測原簿のデータベース化が実施されている。しかし、気象官署以外のアメダス観測所では、アメダス観測が開始される1976年以前の区内観測所の気象観測記録については、気象官署や気象庁図書館に紙媒体の気象観測原簿や気象月報の状態で保存されている。(財)気象業務支援センターでは、気象観測原簿や気象月報をスキャナーで読み取り、紙媒体資料のデジタル化を行い、資料の劣化防止に努めている。しかし、その資料は、デジタル数値データではなくデジタル画像(TIFF形式)として保存されていることから、数値データとして利用することは出来ない。筆者らは、西中国(広島県・山口県)および九州7県の計9県について、1976年以前の区内観測記録を対象にデータベースの構築を行った。 構築したデータベースを基に、大分県について1976年以前の区内気象観測所と1976年以降のアメダス観測所における移設距離が2km以内の降水データ(9地点)を接続し、長期にわたるデータベースを構築し、年間降水量・年間降水日数(50mm以上、80mm以上、100mm以上、200mm以上の降水日数)の長期トレンドの検証を行った。また、降水の多い6-7月、8-9月における降水日数(50mm以上、80mm以上、100mm以上、200mm以上の降水)の長期トレンドについても検証を行った。線形トレンドについてはt-検定を行い、非線形トレンドについては、Mann-Kendall検定を用いた。 200mm以上の降水日数は、犬飼で増加傾向、他の地域では減少傾向が認められた。増加傾向が確認された犬飼は、過去80年にわたる日降水量の上位(1位に1993年台風13号、2位に2005年台風14号、次は11位に2003年7月12日梅雨前線豪雨)は最近の観測年である。しかし、3-10位と順位の多くをアメダス以前に観測された降水量が占めた。減少傾向が見られた中津で、アメダス観測期間(1976~2006年)では100mm以上の降水日数トレンドは増加傾向を示している。以上のことから、1976年以降のアメダス観測記録30年間における100mm以上の降水日数トレンドは増加傾向があることから、近年災害につながる豪雨が頻発していることが示唆される。しかし、1976年以前の区内観測記録を接続した長期トレンド(1926~2006年)では、増加・減少傾向は観測所により異なった。 2.中国における満州気象データのデータベース化と戦後の気象データとの統合・気温変動解析 戦前期の満州における気象観測業務は、日露戦争に際して軍事上の目的から中央気象台(現在の気象庁)が1904年8月に大連(第6)・營口(第7)、1905年4月に奉天(第8)、5月に旅順(第6・出張所)に臨時観測所を設けたのが始まりで、その後は関東都督府に引き継がれ、1925年以降は、南満州鉄道株式会社に一部を委託された。南満州の観測所では、1904・05年から1945年の終戦までの約40年間にわたる観測業務が実施されている。一方、満州国が建国(1932年3月)され、その翌年11月に中央観象台官制が制定されたため、それ以降に開設された北満の観測所では観測期間はかなり短く、扎蘭屯では観測期間が1939年からの7ヶ年に過ぎない。1942年の満州国地方観象台制では、中央観象台(新京)、地方観象台4ヶ所、観象所46ヶ所、支台46ヶ所と簡易観測所が設置されている。 筆者らは、東亜気象資料 第五巻 満州編(中央気象台、1942)をデータベースの基礎資料とし、満州気象資料、満州気象月報、満州気象報告、気象要覧(昭和18年10月号において、新京他17ヵ所の記載がある)などに掲載されている気象観測データを収集・整理し、観測開始の1905年から1943年(1941年以降は一部)までの30万データを越える月値について、データベース化を行った。さらに、中華人民共和国の建国(1949年)以降の中国気象局により観測されたデータを統合して1世紀気温データベースを構築し、中国東北部の3大都市(瀋陽、長春、ハルピン)における気温変動の解析を行った。約100年間の1月の月最低気温の推移を見ると、ハルビンでは+6.5℃、長春は+5℃と顕著な高温化が認められている。しかし、瀋陽ではこの40年間で徐々に低温化する傾向が認められており、3大都市における冬季の気温変動に違いがあることが明らかになった。

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出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.6, pp.370-376,385_1, 1997-06-01 (Released:2008-12-25)
著者
佐藤 善輝 小野 映介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>I </b><b>はじめに: </b>伊勢平野は養老山地,鈴鹿山地,布引山地によって区切られた海岸平野である.同平野中部(鈴鹿川~雲出川)では,丘陵・段丘の海側に東西約1 ~2 km幅の浜堤列平野が発達しており,雲出川などの河口部にはデルタタイプの沖積低地が広がる.雲出川下流低地では,3千年前頃に&ldquo;弥生の小海退&rdquo;(太田ほか 1990)に対応して浜堤列が形成された可能性が指摘されているが(川瀬1998),当時の海水準を復元する直接的な指標は報告されていない.本研究では志登茂デルタと,その左岸の浜堤平野を対象として,2~4千年前頃の地形環境を復元するとともに,相対的海水準変動について検討した.<br> <b>II</b><b> 調査・分析方法: </b>計3地域において電動ドロップヒッター,ポータブル・ジオスライサー,ハンドコアラーを用いた掘削調査を行った.コア中の試料20点について,AMS法による<sup>14</sup>C年代測定を地球科学研究所およびパレオ・ラボに依頼して行った.珪藻分析は各試料200殻を目安に計数した.珪藻の生息環境は千葉・澤井(2014)などを参照した.<br> <b>III</b><b> 結果: </b>3地域の層相と堆積環境は以下のとおりである.<br><b></b> <b>(</b><b>1</b><b>)志登茂川デルタ </b>細粒砂~砂礫層とそれを覆う砂泥互層から成る.細粒砂~砂礫層はデルタ前置層堆積物と考えられ,同層上部から3,175-3,275 cal BPの年代値を得た.砂泥互層はデルタ頂置層で,標高0.0~-1.7 mでは平均潮位~平均高潮位の指標となる<i>Pseudopodosira kosugii</i>(澤井 2001)が優占し,同層準からは3,230-3,365 cal BP(標高-1.3 m),2,920-3,060 cal BP(標高-0.2 m)の年代値を得た.<br> <b>(</b><b>2</b><b>)浜堤</b><b>I</b><b>の後背地 </b>有機質泥層とそれを覆う砂層が認められた.有機質泥層は標高1.6 m以深に分布し,基底深度は不明である.この地層中の標高-0.1 m付近は<i>Tryblionella granulata</i>を多産し,潮間帯干潟の堆積物と推定され,5,985-6,130 cal BPの年代値が得られた.<br> <b>(</b><b>3</b><b>)浜堤</b><b>I</b><b>・</b><b>II</b><b>の堤間湿地 </b>海浜堆積物と推定される砂礫層とそれを覆う泥層から成る.砂礫層最上部と泥層下部(標高-0.5 m付近)では<i>P. kosugii</i>が優占的に産出し,同層準から3,245-3,400 cal BPの年代値を得た.標高-0.15 m以浅は有機質な層相を呈し淡水生種が卓越することから,淡水池沼あるいは淡水湿地の堆積物であることが示唆される.<br> <b>IV</b><b> 考察: </b>四日市港の平均高潮位を考慮すると,<i>P. kosugii</i>の優占層準の標高から3,000~3,400 cal BP頃の海水準は標高-1~-2 m程度と見積もられる.さらに,雲出川下流低地の海成層中から得られた年代値とその標高値から(川瀬 1998),3,400~4,000 cal BP頃に1~2 m程度,海水準が低下したと推定される.3,000 cal BP以降,遅くとも1,600 cal BP頃までには標高0 m付近まで海水準が上昇した. 海水準が低下した時期は浜堤IIの形成開始時期と対応する.雲出川下流低地でもほぼ同時期に浜堤が形成され始めており(川瀬 1998),海水準の低下が浜堤の発達を促進した可能性が示唆される. 当該期における海水準低下の要因の一つには&ldquo;弥生の小海退&rdquo;が考えられる.また,対象地域が安濃撓曲と白子-野間断層(ともに北側隆起の逆断層)との中間に位置し,両断層が連続する可能性もあることから(鈴木ほか 2010),断層変位によって海水準低下が生じた可能性もある.白子-野間断層の最新活動時期は5,000~6,500 cal BPとされるが(岡村ほか 2013),陸域への断層の連続性や活動時期については不明な点も多く,さらなる検討が必要である. 本研究は,河角龍典氏(故人・立命館大学)と共同で進められた.<br> <b>文献:</b>岡村行信ほか (2013) 活断層・古地震研究報告13: 187-232. 太田陽子ほか (1990) 第四紀研究29: 31-48. 川瀬久美子 (1998) 地理学評論76A: 211-230. 澤井祐紀 (2001) 藻類49: 185-191. 鈴木康弘ほか (2010) 国土地理院技術資料D・1-No.542. 千葉 崇・澤井祐紀 (2014) 珪藻学会誌30: 17-30.
著者
濱田 浩美 斎藤 礼佳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.223, 2010 (Released:2010-06-10)

1. はじめに 摩周湖は、北海道東北部に位置する屈斜路カルデラの一部で、摩周カルデラの凹地に水がたまった湖である。摩周湖は、流入河川、流出河川をもたないため、不純物が運び込まれず、1931年、41.6mの世界一の透明度が観測されたことで知られている。 また、摩周湖は、「霧の摩周湖」で有名である。これは、1966年、歌手布施明が訪れたことのない摩周湖を、想像だけで歌い上げた歌謡曲『霧の摩周湖』がヒットしたことで、「摩周湖=霧、神秘の湖」のイメージが過度に定着したものである。さらに、旅行者の間で「晴れた摩周湖を見ると出世できない、結婚できない」といったジンクスが語られる。これもまた、「摩周湖=滅多に晴れない霧」というイメージを定着させた。しかし、実際には、霧がなく、晴れていて美しい湖を望むことができる日も多いという。 これまでは、摩周湖の霧の発生を検証するためには、現地で摩周湖を目視する必要があり、不可能であった。しかし、2007年12月より、弟子屈町役場が、摩周第一展望台にライブカメラを設置したことにより、その映像によって、現地に赴くことなく、霧を必要期間中観測することが可能となった。そこで、本研究では、1分毎に撮影されるライブカメラの映像を解析し、年間を通し、摩周湖の霧の発生頻度を明らかにすることを目的とした。 また、一般的に、摩周湖の霧は、釧路やその沿岸で発生する海霧が侵入してきたものであるといわれるが、発生要因は明らかにされていない。そこで、霧の発生要因の考察を行った。 2. 研究方法 (1)発生頻度の検証 摩周湖ホームページより配信されている摩周第一展望台に設置されたライブカメラの画像を、フリーソフトSeqDownloadを用いて1分間に1枚ダウンロード保存し、その画像から、視程を読み取った。観測期間は2007年12月28日~2008年11月30日である。画像を14地点に分け、霧により「地点が可視・不可視」を読み取り、霧の発生頻度を求めた。 本発表では、摩周湖の中心部に位置するカムイシュ島(3.0km)をK地点とし、K地点の可視・不可視に重点を置いて検証した。 (2)発生要因の検証 検証には、気象庁アメダス観測所の川湯、弟子屈の気温、風向、風速を収集した。また、インターネットから、毎日午前9時の天気図を収集した。国立環境研究所のGEMS Waterで観測している摩周湖心部の10分毎の水温を用いた。 3. 結果と考察 1日の可照時間中、K地点まで視程のあった時間を100分率で示した。霧発生率ごとの、日数は以下の通りである。 霧発生率x(%) 霧発生日数(日) 0 119 0<x<50 131 50≦x 83 図1に、各月の可照時間中、霧が晴れ、K地点が可視の時間の割合を100分率で示した。 霧によって、もっとも視程が悪化する時間の長い月は、7月、次に、8月で、可照時間中、約半分が霧の発生により不可視である。それ以外の月は、霧が晴れ、K地点が可視の時間が長いことがわかった。とりわけ、秋季、冬季のK地点の可視頻度は20%前後と、低い割合である。 7月、早朝から霧が発生している日が15日を越し、18時に霧が発生している日は20日前後であった。日中に霧が少なくなくなってはいるものの、霧が発生している時間が長い。霧は気温の上がる日中に少なくなり、気温の下がる早朝と夕方に発生することがわかった。11月は、霧の発生した10日未満であった。11月も7月と同様に、早朝に発生した霧が、日中に晴れ、夕方、再び発生することわかった。 夏季に発生する霧は、南東の風によって運ばれた暖かい気塊が冷却され発生する海霧の進入が考えられる。釧路の沖合で発生する海霧は、日本南東の太平洋上から流れてくる暖かく湿った空気が北海道の海面に触れ、冷却されて発生する移流霧と考えられている。海霧との関係を見るために、釧路、鶴居、弟子屈の日照時間を見てみると、摩周湖で霧の発生している日、その3地点の日照時間が0.0時間であった。また、霧の発生している日、第一展望台には南東、南南東の風が吹いていた。このことから、摩周湖に、海霧が侵入したことが考えられる。釧路で日照時間が1.0時間の日の霧については、摩周湖の標高の高さが関係していると考えられる。通常、海霧は、気温の高い市街地で消滅する。しかし、南東の風により、運ばれた暖かく、湿った空気は、摩周湖のカルデラ壁面を上昇する時に断熱膨張し、霧が再び発生する。
著者
齋 実沙子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本研究は、結婚式場の広告において「場所イメージ」がどのように利用されているのか、また、どのような役割を果たしているのかを明らかにすることを目的としている。<BR> 「場所イメージ」とは、場所を想起する際のイメージのことであり(内田,1987)、消費社会における量産商品の広告では、商品イメージの差別化を図る手段の1つとして「場所イメージ」が利用されている。そこで本研究は、結婚情報誌として圧倒的な売り上げを誇る『ゼクシィ』を事例に、結婚式場の広告の中にある「場所イメージ」に関する表象を調べることで、結婚式場に求められる「場所イメージ」やその利用状況、またその役割を明らかにした。なお、その際に本研究では、エリア・会場形態・時間という3つの視点から「場所イメージ」の利用について検証を試みた。<BR> まず、『ゼクシィ』の特徴として、独自に区分されたエリア別に広告が掲載されていることが挙げられる。そこで、これらのエリア区分から【横浜・川崎】エリア、【湘南】エリア、【埼玉】エリア、【東京23区】エリアの4つを選定して「場所イメージ」に関する表象の分析を行った。その結果、各エリア毎に「場所イメージ」に関する表象の使用状況が明らかに異なることが分かり、例えば、【湘南】エリアでは「海」のイメージを想起させる広告が大多数であるのに対し、【埼玉】エリアではそこが「埼玉」であることを感じさせない広告が多くなっていた。このように、結婚式場の広告において「場所イメージ」は、結婚式場のイメージに相応しいものとそうでないものとが意図的に取捨選択された上で使用されており、すなわち、「場所イメージ」を利用する、あるいは不必要なイメージであれば利用しないことで、より結婚式場らしいイメージを広告の中で作り上げていることが分かった。<BR> 次に、『ゼクシィ』にはエリア別の広告掲載の他にも、【ホテルウエディング】という会場形態別の特集があるため、これとエリア別の掲載箇所を比較した。するとその結果、「場所イメージ」の利用は会場形態によって異なり、特に一流ホテルでは「場所イメージ」が全く利用されていないことが分かった。これは、ホテルが既に結婚式場に相応しい「高級感」や「特別感」といったイメージを持っているためであり、これに対して、そのようなイメージを持っていない会場では、広告の中で「場所イメージ」を利用することでそれらのイメージを補完あるいは強化しているのである。すなわち、「場所イメージ」は、結婚式場が既存のステレオタイプのイメージを持っていない場合において、特に有効に作用することが分かった。<BR> 最後に、これに時間軸を加えると2012年現在、このように巧みに利用されている「場所イメージ」は、2001年当時はそれほど利用されておらず、つまりこの間に結婚式場の広告において「場所イメージ」の利用が発達したことでより高度化・複雑化したことが分かった。これは、『ゼクシィ』が結婚情報誌市場を独占し、各結婚式場は1つの誌面上だけで他社との競合を強いられたため、広告でのイメージによる差異化が必須となった結果でもあるが、このような差異化はあくまでも微妙な差異の戯れに過ぎず、むしろ、皮肉にもそれによって並列されてしまっている。<BR> 以上、結婚式場の広告における「場所イメージ」の利用状況は、それらの背景の違いによって様々であることが分かったが、これら全ての類型に共通することは、「場所イメージ」を利用している利用していないに関わらず、本来の場所を「隠している」ということである。なぜなら、結婚式場が広告される段階で、既に「場所イメージ」は取捨選択されているため、結婚式場の広告の中で「場所イメージ」を利用していない場合はもちろん、利用している場合も不必要なものはいったん全て広告から排除されているからである。そのため、結果的にそこで表現される「場所イメージ」は、実際に私たちが抱く「場所イメージ」とはまた少し異なるものとなっており、すなわち、それらは結婚式場の広告用に「結婚式場に相応しい場所」として新たに作られた、よりキッチュな「場所」と「場所イメージ」になっているのである。そして、それらは繰り返し利用されることで再生産され、あたかも最初から「結婚式場に相応しい場所」であったかのように定着し、受け入れられるようになっていくといえよう。<BR> また、このように「場所イメージ」が気軽に多用されるようになったことで、「場所のステレオタイプ」化もより進行し、ステレオタイプ化され単純化された「場所イメージ」は、かえって複雑な現代社会を作り出しているようにもみえる。すなわち、結婚式場の広告における「場所イメージ」の利用とその変化は、現実とイメージとがより一層錯綜したハイパーリアルな社会になっていることの1つの現れであろう。
著者
福井 幸太郎 飯田 肇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

飛騨山脈,剱岳(2999 m)にある小窓雪渓および三ノ窓雪渓で,2011年春にアイスレーダー観測を行い,厚さ30 m以上,長さ900~1200 mに達する日本最大級の長大な氷体の存在を確認した.同年秋に行った高精度GPSを使った流動観測の結果,小窓,三ノ窓両雪渓の氷体では,1ヶ月間に最大30 cmを超える比較的大きな流動が観測された.流動観測を行った秋の時期は,融雪末期にあたり,雪氷体が最もうすく,流動速度が1年でもっとも小さい時期にあたる.このため,小窓,三ノ窓両雪渓は,日本では未報告であった1年を通じて連続して流動する「氷河」であると考えられる.&nbsp;立山の主峰である雄山(3003 m)東面の御前沢(ごぜんざわ)雪渓では,2009年秋にアイスレーダー観測を行い,雪渓下流部に厚さ約30 m,長さ400 mの氷体を確認した.2010年秋と2011年秋に高精度GPSを使って氷体の流動観測を行った結果,誤差以上の有意な流動が観測された.流動速度は1ヶ月あたり10 cm以下と小さいものの,2年連続で秋の時期に流動している結果が得られたため,御前沢雪渓も氷河であると考えられる.
著者
有江 賢志朗 奈良間 千之 福井 幸太郎 飯田 肇 高橋 一徳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p><b>1.はじめに </b></p><p> 福井・飯田(2012)と福井ら(2018)は,飛騨山脈の多年性雪渓において,近年の小型かつ高精度な測量機器を用いて氷厚と流速の測定を実施した.その結果,流動現象が確認された六つの多年性雪渓は氷河(小窓氷河,三ノ窓氷河,カクネ里氷河,池ノ谷氷河,御前沢氷河,内蔵助氷河)であると判明した.飛騨山脈は,氷河と多年性雪渓が存在する山域となった.しかしながら,飛騨山脈のすべての多年性雪渓で氷河調査がおこなわれたわけではなく,飛騨山脈の氷河分布の全貌は明らかでない.福井ら(2018)は,飛騨山脈の未調査の多年性雪渓のうち,氷体が塑性変形を起こすのに十分な氷厚を持ち氷河の可能性があるのは,後立山連峰の唐松沢雪渓,不帰沢雪渓,杓子沢雪渓などごくわずかであると指摘している.そこで,本研究では,唐松沢雪渓において氷厚と流動の測定をおこない,現存氷河であるかどうかを検討した.さらに,本研究の唐松沢雪渓で測定された氷厚と流動速度を,氷河の塑性変形による氷河の内部変形の一般則であるグレンの流動則で比較し,唐松沢雪渓の流動機構について考察した.</p><p><b>2.</b><b>研究手法</b></p><p> 氷河と多年性雪渓は,氷体が顕著な流動現象を示すかどうかで区別される.本研究では,唐松沢雪渓の氷厚を測定するために,アンテナから電波を地下に照射し,その反射から地下の内部構造を調べる地中レーダー探査による氷厚測定を実施した.また,縦断測線と横断測線との交点ではクロスチェックをおこない正確な氷厚を求めた.測定日は2018年9月21日である.さらに,雪渓上に垂直に打ち込んだステークの位置情報を融雪末期に2回GNSS測量を用いて測定し,その差分から唐松沢雪渓の融雪末期の流動速度を測定した.また,雪渓末端の岩盤に不動点を設置し,2回の位置情報のずれをGNSS測量の誤差とした.2回の測定日は,2018年9月23日と10月22日である.図1に地中レーダー探査の側線とGNSS測量の測点を示した.</p><p><b>3.結果</b></p><p> 地中レーダー探査の結果,唐松沢雪渓は30m以上の氷厚を持ち,塑性変形するのに十分な氷厚を持つことが確認された.</p><p> また,流動測定の結果,2018年融雪末期の29日間で,P1で18cm,P2で25cm,P3で19cm,P4で18cm,P5で19cm,北東方向(雪渓の最大傾斜方向)に水平移動していた.雪渓末端部の河床の岩盤の不動点(P6)での水平移動距離は2㎝であった.今回の測量誤差を2㎝とすると,雪渓上の水平移動で示された雪渓の流動は,誤差を大きく上回る有意な値であるといえる.流動測定を実施した融雪末期は,積雪荷重が1年で最も小さいため,流動速度も1年で最小の時期であると考えられている.このことから,唐松沢雪渓は一年を通して流動していることが示唆され,現存氷河であることが判明した.</p><p> さらに,唐松沢雪渓で測定された表面流動速度は,グレンの流動則による塑性変形の理論値を上回っていた.このことから,唐松沢雪渓の融雪末期における底面すべりの可能性が示唆される.</p><p><b>引用文献</b></p><p>福井幸太郎・飯田肇(2012):飛騨山脈,立山・剱山域の3つの多年性雪渓の氷厚と流動―日本に現存する氷河の可能性について―.雪氷,74,213-222.</p><p>福井幸太郎・飯田肇・小坂共栄(2018):飛騨山脈で新たに見出された現存氷河とその特性.地理学評論,91,43-61.</p>
著者
奥山 好男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.39, no.5, pp.289-310, 1966
被引用文献数
2

関東平野を囲繞する山地帯の外縁および内縁-関東地方の周辺(外帯)および周縁(内帯)-には,機業地帯がつらなっている.ここは,日本における,いわゆる先染絹織物の主要な生産地帯である.とともに,ここは,林業もしくは畜産業を主業とする山村地帯である.この山村地帯に機業地帯がいち早く成立したことは,単なる偶然とは考えられない.<br> 近世幕藩体制下にあって, 近世領主的土地所有の対象とはならなかった存在としての林野.その林野を基盤として,近世以降ひきつづき存続しつづけた生産関係.そして,労働対象の土地からの解放.労働力の土地からの解放-自由な賃労働者の成立.これが,農奴制工業としての工場制手工業の存在,それの資本制工業として工場制手工業-本来の意味での工場制手工業-への発展の前提である.ここでは,これまでの経済史学の一般常識に反して,工場制手工業の原基型態が農奴制工業であると考えられるのである.<br> この農奴制経営の実存型態,ならびに,それの資本制経営への発展過程.この小論は,甲州郡内領の「延宝越訴状」を主題として,いくつかの史料を織りまぜつつ,これについての議論を展開する.林野の存在が工業と無縁でないこと,機業地帯と山村地帯が偶然の相関にあるのではないことも明らかとなるであろう.
著者
石川 雄一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.69, no.6, pp.387-414, 1996-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
32
被引用文献数
2 6

本稿では,郊外化がいち早く進展した京阪神大都市圏において,多核化へ向けてどのような動向が考えられるのかを,都心域と郊外核間の特性比較に焦点をあてて検討した.核の特性分析には,核の詳細な就業構造や多様な流動パターンを示すデータと,都市域よりも小地域単位のデータの利用が有効である.そこでこうした指標が利用可能なパーソントリップ調査を分析資料として,核の抽出と機能分類および交通利用パターン,核の勢力圏構造を検討した. 現段階では,京阪神大都市圏にはアメリカ合衆国にみられるような都心域を凌駕する郊外核成長の動向はみられないが,消費活動では階層構造的な「補完的多核化」が進展していることがわかった.そして就業活動では,弱い「補完的多核化」の兆しを示したが,機能的に都心域と類似した郊外核の成長はごくわずかであった.また女子就業構造・交通利用パターンにおいても,都心域と郊外核では異なる特色を示した.
著者
木戸 泉
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.74-100, 2020 (Released:2020-02-22)
参考文献数
40
被引用文献数
3

バルカン半島西部に位置するクロアチアは,1990年代のクロアチア紛争を経て,多民族国家ユーゴスラヴィアから独立を果たした.紛争終結から20年以上が経過した現在,クロアチア国内では紛争の記憶を強固にし,さらに次世代へ継承しようとする動きが見られる.特に激戦地となった都市ヴコヴァルでは,クロアチア系住民の紛争の記憶を強化し継承する行事の開催やモニュメントの設立が積極的に行われている.本研究では,それらの表象内容や設置主体を分析し,地域レベルと国家レベル,またナショナル・マジョリティとナショナル・マイノリティの間で,紛争に対する受け止め方に差異が生じていることを明らかにした.そしてこれを踏まえて,EU加盟を果たしたクロアチアという国家のナショナル・アイデンティティをめぐるダブルスタンダードについて検討を加えることができた.
著者
大嶽 幸彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.49-57, 1988-01-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
52

The object of this research is to examine the human being as individual from the point of view of humanistic geography, in connection with the concepts of distance, place and space. However, it goes without saying that the author does not totally deny the excellent results of research in positivism. This paper, rather, is an attempt to strengthen the aspects of the study of the human being in which the approach of positivism tend to be deficient. In this research, the author has reexamined the concepts of distance, map, place and spare, by analysing in particular the ideas of Bollnow, O. F., Tuan, Y.-F., Merleau-Ponty, Isnard, H., Claval, P. among a large body of literature.
著者
須崎 成二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.46, 2019 (Released:2019-09-24)

レズビアンの地理学的研究は,レズビアンが空間的領域を求めないというCastellsの主張に対する批判をめぐって展開してきた.Browne(2017)は,レズビアンの地理学がセクシュアリティだけでなく権力の問題にも着目する必要性を指摘しており,Pritchard et al.(2002)はゲイ・ディストリクトにおけるレズビアンの排除を議論している.本報告では,ゲイバーが集積する新宿二丁目のゲイ・ディストリクトにおいてレズビアンがいかにゲイと共存しているのか,いかに彼女らが排除もしくは危険性にさらされているかを明らかにすることを目的とする.首都圏に居住するレズビアン24名にスノーボールサンプリングによる半構造化面接を行った結果、英語圏で報告されるゲイ・ディストリクトにおけるレズビアンおよびレズビアンバーの排除は,新宿二丁目で得た本研究の知見との間で共通点もあるが限定的であり,レズビアンバー同士もしくはゲイバーとのつながりは,レズビアンバーの集積を維持し共存していくうえで重要な要素であると考えられる.一方で,ゲイ・ディストリクトにおける異性愛男性の存在は,空間を異性愛化させ,レズビアンにとっての安心感,安全性を低下させている.