著者
中牧 弘允 アルベルト イケダ アメリコ ペレグリーニ 古谷 嘉章 荒井 芳廣
出版者
国立民族学博物館
雑誌
海外学術研究
巻号頁・発行日
1987

ブラジルは多人種・多民族からなる複合社会で, 民族的・地域的な文化伝統が強く残っている. また社会的・経済的格差が大きく, エリート文化と民衆文化の差異が顕著である. そうした背景のもとで, 本研究は, ブラジル諸地域における民衆文化の実態を調査し, その地域的個性の把握と相互の影響関係を明らかにすることを目的としている.中牧はロンドニア州ポルトベーリョにおいてインディオの宗教的伝統を中核にカトリシズムとスピリチャリズムの伝統が付加されたシンクレティックな教団の調査をおこなった. また北東部の伝統をつぐ民衆詩リテラトゥーラ・デ・コルデルの蒐集とインタビューをおこない, きたるべき第2次調査にそなえフェスタ・ジュニーナ(6月祭)と民衆劇ボイ・ブンバの情報収集につとめた. さらにロンドニア州では生長の家, サンパウロ州では本門仏立宗を中心に日系宗教のブラジル民衆文化への影響関係について調査した. 古谷はパラ州ベレンならびにアマゾナス州マナウスにおいて北部のアフロ・ブラジリアン・カルトの研究に従事した. とくに儀礼歌を多数収録し, その文字化の作業に着手した. さらに北部のカルトが南東部のそれと連続性をもちながらも, それとは独立した伝統を形成していることを明らかにするため, サンパウロ市とリオデジャネイロ市で比較調査を実施した. 荒井は北東部のレシフェでカーニバル, 民衆詩, 民衆劇に焦点をあてて研究をおこない, カーニバルでは黒人系民衆文化を強く残す団体を調査した. ブラジル側の研究分担者であるアメリコ・ペレグリーニ・フィリョとアルベルト・イケダはそれぞれミナス州とゴイアス州においてフォリアス・デ・レイス(三博士の祭)と民衆舞踊パストリニャを中心に調査を実施した. 研究者全員でサンパウロ州チエテのフェスタ・ド・ディヴィーノ(聖霊降臨の祭)の調査をし, イケダを除く全員でサンパウロ州サントス, プライア・グランデでイエマンジャーを中心とする年末年始の祭を調査した.
著者
庄司 博史 渡戸 一郎 平高 史也 井上 史雄 オストハイダ テーヤ イシ アンジェロ 金 美善 藤井 久美子 バックハウス ペート 窪田 暁
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

1980年代後半からの日本の急激な多民族化の進展のなか、移民とともにいくつかの移民言語が生活言語として定着しつつある。同時に日本語を母語としない移民にとって、生活、教育の面でさまざまな言語問題も生じている。本研究は、いままで日本ではあまり注目されることのなかった移民言語に焦点をあて、社会言語学的立場から、その実態、および移民にかかわる言語問題への政策に関し調査研究をおこなった。その結果、国家の移民政策、移民の地位、ホスト社会の態度とのかかわりなど、移民言語を取りまく状況は大きくことなるが、今後日本が欧米のような多民族化に向かう上で、移民、国家双方の利益にとっていくつかの示唆的な事例もみられた。
著者
久岡 加枝
出版者
国立民族学博物館
雑誌
若手研究
巻号頁・発行日
2021-11-01

近年のロシアでは、アディゲ人をはじめとするコーカサス系諸民族の歌謡や舞踊が、若い世代の間で大衆的な人気を持つが、アディゲ人の歌謡や舞踊の担い手の活動を考察する本研究からは、ロシアにおけるマイノリティのアイデンティティと結びついた表演活動のあり方だけでなく、現代ロシアの若者文化の動向を明らかにすることが可能である。
著者
大貫 良夫 Yoshio Onuki
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.709-733, 1979-03-30

Murra's study, published in 1972, on the nature of environmentalexploitation among the Central Andean highlanders haselicited considerable interest in the cultural ecology of the Andesin an attempt to clarify the notion of "vertical control". Thisarticle (1) outlines the classification of natural or ecological zonesmost relevant to human life; (2) considers several cases of "verticalcontrol"; (3) analyzes, in a historical perspective, some tentativetypes of environmental exploitation; and (4) indicates some problemsfor future study.Although more individual case studies_are needed for a-precisediscussion, Brush has postulated three types for "vertical control",or "the manifold exploitation of multiple ecological zones", of theAndean Highlands. It is suggested here that a fourth type, "thespecialized type", may exist. In this type at least two differentethnic groups occupy different ecological zones, each devotingthemselves to the exploitation of natural resources of their particularzone of occupancy and exchanging specialized products.It should also be noted, that the four types, together with otherswhich may exist, are the products of historical conditions as wellas local circumstances, as is illustrated by the case of theChaupiwaranga, or the Huaris and the Llacuaces. However, itseems generally apparent that in the Central Andes there firstexisted the compressed type of exploitation, whereby each householdsought to maintain economic self-sufficiency, and that later whenthis became impossible, it was replaced by economic self-sufficiency on the community level, and a variety of exploitative types appeared.Where even this was difficult or impossible the specialized type wasfavored.Apart from the accumulation of precise data on individualcases, some of the tasks remaining are to clarify the local and historicalsituations that caused a shift from one type to another, and torelate types of vertical. control to various aspects or specific featuresof a given society and culture. It is also of great significance torelate such kinds of economic behavior to a people's system ofsymbols or cosmology, for the historical and present day basic unityof the cultures of the Central Andes may depend on the sharing ofthe essential nature of the system of symbols.
著者
高橋 沙奈美 Sanami Takahashi
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.235-251, 2015-11-27

マダム・ブラヴァツキーは幼少のうちから,ひとところに長く落ち着いて生活することのない「遊牧民的」生活を余儀なくされた。様々な民族と宗教が混在するロシア帝国の南方を転々と放浪する生活をしたこと,特にアストラハンで遊牧民のカルムィク人とそのチベット仏教に出会っていたことは,彼女のその後の人生に少なくない影響を及ぼしたと考えられている。母エレーナは,この放浪生活に耐えがたい疲弊を感じていたが,その一方で,西欧文明とは異なる生活の中にインスピレーションを見出し,「異郷」を舞台とした一連の小説を発表した。時に,1820–1830 年代のロシア文壇を風靡したロマン主義は,「カフカスもの」と称されるロシア南方を舞台とした小説を輩出していた。エレーナ・ガンの創作も,この潮流に棹差すものだったのであり,1838 年に彼女が発表した,カルムィクを舞台とする小説「ウトバーラ」もまた,ロシアのオリエンタリズムが生み出した作品の一つといえる。本稿はガンを育んだ人々や環境,彼女が抱き続けた理想や,彼女が生きた時代の歴史的・文化的背景を踏まえながら,ガンが見たカルムィクと仏教世界を小説「ウトバーラ」の中から読み解く試みである。
著者
井上 岳彦 Takehiko Inoue
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.215-233, 2015-11-27

本稿では,マダム・ブラヴァツキーが少女時代を過ごしたロシアにおいて,1830 年代から40 年代にカルムィク人やチベット仏教に関する知識がいかなる状況にあったかを考察する。18 世紀には外国人学者・探検家が中心となって,カルムィク人とその信仰は観察され描写された。カルムィク人の信仰はモンゴルやチベットとの類似性が強調され,カルムィク草原は東方への入口として位置付けられた。19 世紀になると,ロシア東洋学の進展ととともに,カルムィク人社会は次第にモンゴルやチベットとは別個に語られるようになった。こうして,学知としてはモンゴルやチベットとの断絶性が強調された一方で,ロシア帝国の完全な支配下に入ったカルムィク草原では,ロシア人の役人が直接カルムィク人と接触するようになる。マダム・ブラヴァツキーの母方の祖父A・M・ファジェーエフが残した『回顧録』からは,彼とその家族のカルムィク体験は鮮烈な記憶として家族のあいだで共有されていたことが読み取れる。
著者
和田 正平
出版者
国立民族学博物館
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1989

東北地方においてイタコ、カミサマ、ゴミソなどと呼ばれる民間巫者を介して施行されている冥婚習俗の実態調査を行なった。まず金木町川倉地蔵堂、木造町弘法寺では、夭折した不幸な男女を供養する目的で、1955年頃から死霊結婚を具象する花嫁花婿人形の奉納が始まり、1970年代後半からその数が急増していることが判明した。これは、一般に言われているように冥界結婚が日本列島から消滅したのではなく、東北地方の一部では、むしろ新しい習俗として蘇生したことを意味している。おそらく、巫者の口寄せが人形製作者の商業主義とむすびついたと推察されるが、中牧弘允(民博助教授)の指摘するとおり、東北地方における深刻な農村の嫁不足に対応して、こうした冥婚習俗の施行が盛んになったと解釈されるのである。同様に、山形県山寺立石寺でも掲額されている死後結婚の絵、写真、肖像画、肖像写真は、現代風俗に合せた花嫁花婿人形に変りつつある。また、天童市鈴立山若松寺では、死者の彼岸での幸福な結婚を祈願して、婚礼場面を描いた絵馬が奉納されている。この種の絵馬は、この地方では「むかさり絵馬」と呼ばれ、古い風習として存続していた、「むかさり絵馬」の奉納者は山形県北部と宮城県の在住者が圧倒的に多いが、東京方面から奉納された絵馬も散見され、裾野の広いことが分る。通常、冥界結婚は民間巫者の口寄せ、すなわち、死者の結婚したいという烈しく切ない声を伝えることによって親兄弟等が死霊の怨念を除去するために施行されるが、最近では、病や事故で早世した未婚の子どもを不憫におもう親心から自主的に行なう事例が多くなってきた。東北地方の冥婚習俗はまだ調査を開始したばかりで、資料の整理も不十分であるが、民間巫者によって奉納物に変化があらわれても決して消滅しないものと考えられる。
著者
宇田川 妙子
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

近年グローバル化の一方で、ローカルなものへの注目が高まっている。本研究は、そのなかで改めてローカル、ローカリティが何かを考えるため、元来ローカルな文化が強いとされるイタリアにおいてローカルコミュニティの事例調査を行い、理論的な再考も行った。その結果ローカルとは、それ自体でグローバルと二項対立的に存在するものではなく、グローバル、ナショナル等の関連の中で再編されること、ゆえに近年のローカルブームには批判的視点も必要であること、また近年はローカルな場にこそグローバル等の他の空間が重なるようになり、時間観とともに空間観の再編が起きていること等を明らかにし、新たなローカリティ論への足掛かりを得た。
著者
三尾 稔 Minoru Mio
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.26, no.4, pp.603-662, 2002-03-29

この論文では,インド西部メーワール地方にあるスーフィー聖者のヒンドゥーの弟子たちを葬った2つの墓廟への信仰に関する民族誌的調査に基づき,同地方の生活宗教的な宗教実践の動態の把握を試みた。 コミュナリズムが政治的言説として支配的となりつつある南アジアにおいては,日常生活に根差した宗教実践もコミュナルな言説と無関係ではなくなり,宗教空間や信仰に関おる行為を特定の宗教イデオロギーと関連づけ,それらのアイデンティティーを純化しようとする動きが顕著になっている。 この論文が対象とする墓廟に眠る2人の宗教者は,高カーストのヒンドゥーでありつつ,スーフィズムの聖者を師とするという,コミュナルなアイデンティティーの分断線の狭間を生き抜いた。その墓廟はコミュナリズムが高揚する1980年代末から90年代にかけて造営されたが,その空間の構成やそこでの宗教的実践はスーフィズム的要素とヒンドゥー的要素が巧みに融合された形となっている。 論文では墓廟に眠る聖者やその弟子たちが,コミェナルな言説と交渉しながら,自分たちの宗教的実践をいかに維持してきたかを,墓廟の意味空間の分析や弟子たちとのインタビューによって把握する。その結果,ヒンドゥーとイスラームの境界にあって独自の宗教的実践を強固な意志で維持しつつコミュナリズムが要請する近代的主体への自己の回収をも回避するという,メーワール地方の聖者廟信仰の特質が明らかとなる。
著者
Yulong Jia 賈 玉龍
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.141-198, 2022-11-11

従来の人類学的中国研究では,「宗族(組織)」論と「関係(ネットワーク)」論が漢族社会論の 2 つのパラダイムとして注目されてきた。しかしこれらの研究は,儀礼的・非日常的な場面に注目するあまり,日常生活での人的集合を看過する傾向がある。そこで,本論文では個々人の村民の日常的な活動に注目し,隣人関係が生産と閑暇の場面でどのようにつながる/つながらないのかを明らかにした。具体的には,農繁期の作業現場と農閑期の「玩(wan)」(遊び)の場面をめぐる民族誌的資料を提示し,隣人間の日常的な「集まり」は不特定の相手との時間と空間の偶発的な重なりによって成立するものであることを明らかにした。そして現地語の「碰(peng)」(試しに当たる)がそのような「集まり」を生成する原理と見なせることを指摘し,この概念に着目することで新たな漢族社会論を発見できる可能性があると展望した。