著者
土屋 敦
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.190-197, 2007-09-20

本稿の目的は、1960年代半ばから1970年代初頭にかけて全国地方自治体で展開された「不幸な子どもの生まれない運動」の内実及び、この「障害児」の出生抑制政策がこの時期興隆した社会構造的要因を明らかにすることを通じて、そこにこの時期日本社会における優生政策の再興隆の契機が存在したこと、そしてこの運動が日本の優生政策上の一つの転換点を画する運動として存在した事実を跡付けることを目的とする。また、同時期に、この政策が導入された社会的土壌及び「障害児」の出生抑制が「必要」とされた同時期の社会構造的要因を明らかにすることにある。
著者
伊藤 幸郎
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.25-31, 2002-09-17 (Released:2017-04-27)
参考文献数
7
被引用文献数
2

20世紀末から医学界に流行したEBMは、複雑な現実世界に決定論的因果関係を求める代わりに、着目する集団に見られる諸現象の特性を確率論的な関係として明らかにする。EBMは19世紀に起こった実証主義に端を発する方法論で、帰納論理に基づいているから、その結果はだれでも納得するエビデンスとして示される。EBMは医療の標準化に役立ち、臨床医学の予言が確率的でしかないことをわれわれに自覚させるという点で意義がある。従来の機械論的生物医学とEBMとは科学的医学の車の両輪である。しかし科学は人生の価値や意味に中立的で、確率論的な予測を提供するのみである。EBMは人生にとって価値あることのために利用すべき道具なのだ。
著者
菊井 和子 山口 三重子 渡邉 美千代 白岩 陽子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.120-126, 2005-09-19

医療が宗教と乖離した今日でも、ホスピスでは宗教者がケアチームで重要な役割を担っているが、仏教僧侶の関与についての報告は少ない。本研究は仏教僧侶の終末期ケアへの参加状況について調査し、その現状と将来への展望を明らかにすることを目的とする。調査対象は中国地方真言宗青年会の僧侶で、29名中23名(79.3%)が回答した。約3分の2が何らかの形で終末期患者・家族に援助をした経験を持っていたが、彼らはそれを医療と関連のある活動とは認識していなかった。死については、仏教の教えを説くよりも現代社会に受け入れやすい言葉で助言をする者が多かった。今後の活動として、日頃から壇信徒と交流を持ち、相談相手になることに意欲を示していた。全人的ニーズに対処するには宗教的ケアは重要であり、特にグリーフケアは仏教僧侶に最も適した領域と考えられる。終末期ケアに関する僧侶の継続的な研修と並行して、社会も僧侶に活動の場を拓くことの必要性が示唆された。
著者
熊倉 伸宏
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.61-67, 1997-09-08 (Released:2017-04-27)
参考文献数
11

ホスピスや在宅ケアにおいて患者は、単に延命に始終する治療を拒否し、いかに死ぬかを自分の意志で選ぶことができるようになってきた。この目的のために「死ぬ権利」が、患者の自己決定権を根拠として導入された。しかし自己決定権の原型は、Mill JSが「自分自身、その身体とこころに対しては個人に主権がある」とした点にある。ここに新たな問題が生じてきた。もし「死ぬ権利」が「死の選択権」を意味するのならば、耐えがたい心理的苦痛から逃れたい者が、論理的に「自殺する権利」を主張できる可能性が生じたからである。そのような考えから「自殺する権利」が主張され、致命的薬物を使用し、あるいは「自殺マシーン」を用いて自殺幇助する医師が登場した。この論文では、「死ぬ権利」を持続的植物状態、末期状態、自殺の3つの臨床類型に分けて比較検討し、その構成概念と正当化論理の異同を論じ、「死ぬ権利」の現在的な定式化を試みた。結論的には、1)医療行為として主張される「自殺する権利」と個人への医療の不可侵性としての「死ぬ自由」を区別する必要性を示し、2)「死ぬ権利」を「死の選択権」としてではなくて、「死が切迫した状況下において疾病過程によって患者の主体消滅が不可避な場合に、死に方を選択する権利」と定式化して論じた。この定式化によって、安楽死と自殺幇助の間に想定すべき明確な差異について論じた。
著者
三羽 恵梨子 中澤 栄輔 山本 圭一郎 瀧本 禎之 赤林 朗
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.61-74, 2018-09-29 (Released:2019-08-01)
参考文献数
19
被引用文献数
1

背景:近年、コミュニケーションと機器の操作を目的とした出力型BCI (Brain-Computer Interface)の実用 化に向けた研究開発が進められている。現在のところ、医療応用が中心だが、将来的には社会全体に大きな影響を与える技術と評価されている。そのため、技術的課題の克服と同時に倫理的・社会的議論も併せて行う必要が指摘されているが、議論は整理されておらず、具体的な提言に至っていない。目的:出力型BCIに関する倫理的問題について、現在提出されている議論を系統的に整理し全体像を明らかにする。方法:先行研究の体系的収集と主題分析による分析を行った。結果:BCIに関する倫理的議論は、【BCIの研究倫理】、【BCIがもたらす社会への影響】、【BCIがもたらす人間性への影響】、【BCI倫理とは何か】に大別された。考察:議論の現状として、トピックの提示にとどまっており、議論としての内実を伴わない傾向がみられた。 今後、方法論を含めた、議論のさらなる深化が求められる。
著者
遠矢 和希
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.71-78, 2009
参考文献数
43

ART(Assisted Reproductive Technology)を利用できる成人の法的制限について、諸外国では議論になっている。性的マイノリテイの家族形成権について欧米ではそれぞれに法的対応をとっており、ARTを利用した性的マイノリティの挙児・育児は盛んである。親のセクシャリティと子どもの発達に関する研究においては性的マイノリテイの育児には問題がないとする結論が多いが、多数派の価値観からマイノリティを判断する限界もあるという。一方わが国における性的マイノリティの状況と法制度を鑑みても、同性カップルがARTにより挙児・育児に至る可能性のあるパターンは5つある。欧米の性的マイノリティの家族形成権の法整備は(1)宗教的・文化的問題、(2)子どもの福祉や健全な発達の問題、(3)国際政治的問題などによって各国で判断されていると推察され、日本でのARTに関する法整備においても性的マイノリティへの視点が必要であると思われる。
著者
佐倉 統 福士 珠美
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.18-27, 2007-09-20 (Released:2017-04-27)
参考文献数
31
被引用文献数
1

近年、脳神経科学における高次脳機能画像の研究や脳-機械インターフェイス(BMI,BCI)などが普及することにより、極端に言えば「誰でも脳を研究できる」ようになった。その結果、非医療系研究者のおこなう実験において、脳に器質的な疾患が偶発的に発見される可能性が高まっている。医療行為に従事する資格を持たない研究者が直面するかもしれないそのような事態に備えて、非医療系基礎研究に関する倫理体制の整備が必要である。また、脳の情報はゲノム情報やその他の生理学的情報に比べると、一個人の精神活動に直接関係する度合いが高いという特徴をもつ。すなわち、社会においては脳といえば意識や自我、人格などと密接な関係にあるものとして位置づけられている。しかしこれらのトピックについて、そのような社会からのニーズに明解に応えるほどには科学的な解明は進んでいない。このような科学と社会の「はざま」に付け込むようにして、科学的に不正確な一般向け通俗脳科学書が氾濫している。マスメディアと科学の関係も含め、科学と社会の接点領域をデザインする展望が必要である。また、これらの諸課題に適切に対応するためには、省庁や学会の縦割り構造を超えて横断的に対応できる組織と指針の整備が必要である。
著者
土屋 貴志
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.125-129, 1994

オーストラリアの哲学者ピーター・シンガーは選好功利主義に立って、重い障害をもつ新生児の安楽死を擁護するが、この主張はドイツ語圏の人々に、ナチスの「安楽死」の苦い記憶を想起させることになった。シンガーを招いたシンポジウムは障害者を中心とする広汎な抗議行動のために軒並み中止に追い込まれ、ドイツのマスコミはシンガーを「ファシスト」呼ばわりした。攻撃はさらに生命倫理学や応用倫理学、果ては分析哲学全般にまで飛び火し、これらの分野の研究者は学問的生命すら危ぶまれている。日本国内にも、バイオエシックスを弱者を切り捨て生命操作を押し進めるためのイデオロギーとみなす見方が一部にある。「シンガー事件」は、バイオエシックスの本質と意義を再考し、今後の日本の生命倫理学のあり方を考える上で、看過できない重大な問題を提起している。
著者
末永 恵子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.52-59, 2009
参考文献数
31

「人体の不思議展」は、プラスティネーションという技術で作製された人間の死体の標本を有料で一般公開する展示である。本稿は、同展の倫理的問題点について考察することを目的とする。死体には尊厳が存するので、安易な利用は許されず、相当の目的と意義が認められる利用に限定されるべきである。同展は、教育的展示を謳っているものの、標本の展示方法に問題があり、かつ教育効果についても疑問である。中国における献体といわれる標本の由来にも不透明な部分が多い。そもそも日本では現行法によって無償の「献体」を展示商品とすることは、不可能である。よって、同展は日中間の法律の間隙をぬって開催されていることになる。研究・教育用に真に必要な遺体供給の条件を整えるためにも、提供者の厳密な意思確認や倫理的条件を明記した法律が不可欠である。このような法の構想のためにも、現行法の間隙をついて開催される同展の倫理的問題点を抽出すことは、必要な作業であろう。
著者
田中 達也
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.111-116, 2001-09-17 (Released:2017-04-27)
参考文献数
14

「身体」は「主体」の実質的器であり、それに対する医療は「主体」の大きな関心事である。現在、医療は患者主体の契約と考えられるようになり、そこではインフォームド・ディシジョンという言葉に表されるような患者の自己決定権と医師の裁量権が重要な概念となる。前者は「実際に医療を受け、医療サービスの顧客である患者が、自らの身体に関して、医師の説明を理解した上で、社会的に認められる範囲で決断する権利」と、後者は「説明、理解、決断のいづれかが不可能な場合や、患者の意志が社会的に認められない場合、あるいはやむを得ない現場の事情によって、医師が専門的立場から、社会的に認められる範囲で、生命優先で対処する権利」と定義できる。今後は、患者の自己決定が浸透する一方で、高齢化に伴い意志が不明解な患者も増加すると思われる。双方の権利の区分を明解にした上で、適切に用いる必要性を痛感する。
著者
堂囿 俊彦
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.55-63, 2018-08-01

<p> 「福祉」 (welfare) の概念は、生命をめぐる問いに対して一定の方向を指し示す、生命倫理学の基礎概念で ある。しかし福祉概念に関しては、①誰の福祉を保障するべきなのか、②どのようにすれば保障したことになるのか、いずれの問いについても充分に論じられてきたとは言えない。そこで本論文では、これら二つの問いを、福祉の根底にある「人間の尊厳」との関わりにもとづき検討した。具体的にとりあげたのは、マーサ・ヌスバウムと、その批判者であるエヴァ・フェダー・キテイの尊厳論である。考察の結果われわれは、二人の尊厳論を相補的にとらえる必要があるという結論に至った。尊厳を内在的価値と見なす点において、ヌスバウムの立場は支持される。しかし尊厳に関しては、ケイパビリティだけで捉えられるのではなく、ケアという関わりを通じて、個別的に判断される必要がある。その意味で、ケアと尊厳のつながりを重視するキテイの立場も、重要な洞察を含んでいる。</p>
著者
南 貴子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.40-48, 2018-09-29 (Released:2019-08-01)
参考文献数
20

オーストラリア・ビクトリア州において、2017年11月29日にVoluntary Assisted Dying Bill 2017(自発的幇助自死法案)が議会を通過し、2019年6月19日までに施行されることになった。ビクトリア州に住む18歳以上の成人で、意思決定能力があり、余命6か月以内の末期患者に対して、自ら命を絶つために医師に致死薬を要請する権利が認められる。オーストラリアでは、北部準州において1995年に世界で初めての「医師による患者の積極的安楽死並びに自殺幇助」を認める安楽死法Rights of the Terminally Ill Act 1995(終末期患者の権利法) が成立したが、施行後9か月で無効となった。その後20年の歳月を経て、ビクトリア州で幇助自死を認める安楽死法がオーストラリアで唯一成立したことになる。 Andrews政権が「世界で最も安全で最も抑制のきいたモデル」と評するビクトリア州の「自発的幇助自死 法」の成立と特徴について、そのセーフガードに焦点を当てつつ、他国の安楽死・幇助自死法との比較も踏まえながら分析する。
著者
稲村 一隆
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.46-53, 2013-09-26 (Released:2017-04-27)
被引用文献数
1

本稿は、リベラル優生学の問題点、特に親が自分の受精卵に特定の遺伝子を挿入することによって子供の能力を増強しようとする積極的優生学の試みが、各人は自分の生き方を選択する権利を持っているというリベラリズムの基本原則に適合するかどうかを検討している。リベラル優生学によれば、子供の遺伝子を変えることと環境を変えることは同じように評価すべきである。しかし本稿の見解では、環境を変える場合、親は子供の意向を配慮しているが、遺伝的介入の場合、親は子供の反応を全く受け取ることなく、自分の望みを押し付けている。したがって親は「生殖の自由」を持っているが、単なるエンハンスメントを目的にした遺伝的介入を行う自由はないと本稿は議論している。また本稿はリベラル優生学に関する、カス、ハーバーマス、サンデルによる批判を検討し、これらの批判は人格に関する遺伝要因を強調しすぎている点を指摘し、人格に関する遺伝と環境の複合要因を認めたとしてもリベラル優生学の非リベラルな性質を指摘できることを示している。
著者
天野 拓
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.152-159, 2007-09-20 (Released:2017-04-27)
参考文献数
24

アメリカでは、国民皆保険が存在せず、歴史的に民間中心の医療保険制度が発展してきた。重要なのは、こうした制度のもとでは、現在約4600万人以上の無保険者が存在する点、さらにその数が近年急速に増加している点である。無保険者は、医療へのアクセスという面で深刻な制約を受けるとともに、その増加は、本人の健康状態のみならず、社会全体に広範な影響を及ぼす。しかし、リベラリズムが衰退し、保守主義が台頭する現在の政治状況のもと、政府による無保険者対策はなかなか進展していない。こうしたアメリカの無保険者問題の現状は、「医療は権利か否か」、「医療へのアクセスの保障は、個人の自己責任か、政府の公的責任か」という根源的な問い(対立)を提起する点で重要である。現在無保険者問題がさらに深刻化するなか、全ての人間に適正な水準の医療を受ける権利を保障する、セーフティー・ネットの構築を行う必要性は、ますます高まりつつある。
著者
根村 直美
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.117-121, 1998-09-07 (Released:2017-04-27)
参考文献数
6

道徳哲学的にみたとき、「自己決定」とは、「いくつかの選択肢の中からーつの選択肢を他人の強制によらずに選ぶ」ことを意味する。とすれば、純粋に「自己決定」による中絶とは、「産むことも可能であるが、あえて産まないことを選ぶ」ということになる。このような意味での中絶と「避けることのできないやむをえざる決定」としての中絶は明確に区別されなければならない。ところで、純粋な意味での女性の「自己決定」の権利が常に胎児の「生きる」権利に優越するということは自明ではない。女性の「自己決定権」は母体外で生存可能な胎児の生死を決定する権利を含んではいない。しかし、他方、母体外で生存不可能な胎児については、母体を使用する権利、したがって、「生きる権利」を与えるのは、女性の「同意」である。本稿は、この「同意」を妊娠が単なる「可能性」ではなく「現実」になったときに与えられるべきものとして位置づけている。
著者
田中 美穂 児玉 聡
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.107-114, 2016 (Released:2017-09-30)
参考文献数
38

日本において「尊厳死」法案が提案された背景には、医師による生命維持治療の中止行為が社会的・法的に問題となり、医師の行為の適法性の要件が医療的・社会的に喫緊の検討課題とされたという状況がある。最高裁まで争われた川崎協同病院事件は、当判決・決定の法的な含意が十分に理解されずに解釈されている可能性がある。そこで、当判決・決定に関する法律家の評釈を分析した結果、①治療中止の許容要件として示された「患者の自己決定権の尊重」と「医療者の治療義務の限界」の関係性が不明確であること、②家族等による患者の意思推定や代理決定の是非、③治療中止と差し控えは同等か否か、といった論点が抽出された。終末期における治療中止を許容する法律の是非について国会も含めて広く議論するべきである。また、家族等による同意や決定のあり方や、患者の選択を支援する仕組みについても十分に検討する必要がある。
著者
大桃 美穂
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.51-58, 2012-09-19

日本では、医療機関で死を迎える患者が増加し、医療者は従来以上に望ましい死'good death'を主題化して取り組む必要が生じてきた。長年の透析生活の末に終末期を迎える維持透析患者は、いくつかの点で終末期のがん患者とは異なる問題に直面している。最も深刻な問題は、現在行っていない治療、例えば人工呼吸器装着や心臓マッサージを行わないなど、DNR (do not resuscitate)の方針について意思を表明することだけではなく、透析という長年続けてきた治療・生活を変化もしくは中止するといった現行から「差し引く」治療法の選択を考えなければならない点である。本稿では、慢性期から終末期へと向かう維持透析患者とその家族にとって、あるべき死への準備教育'death education'と看取りケアについて考察する。死への準備教育'death education'とは、人生の最期にむけて自分らしく生きること、これを患者・家族・医療者が共にめざすとりくみである。この教育が緩和ケアとして、死にゆく人特有の苦悩や苦痛の軽減に作用することを期待したい。
著者
松野 良一
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.69-74, 1998-09-07 (Released:2017-04-27)
参考文献数
7

国内で臓器移植が進まないのを背景に、日本の透析患者が、仲介業者の斡旋で発展途上国に渡り、現地のドナーから腎臓の提供を受けて移植を受ける「腎移植ツアー」が続いてきた。この種のツアーは、「臓器売買」の可能性が強いとされ、散発的にマスコミで報道されて来たが、その全容については明らかにされることはなかった。本論文は、9年間にわたり日本と現地で収集した資料の分析と当事者への面接調査をもとに、ツアーの全体像の把握を試みると同時に、倫理上の問題点の検討を行った。本調査結果によれば、ツアーの渡航先は、フィリピン、インド、バングラデシュ、タイ、中国の5力国におよび、少なくとも58人の日本人患者が、現地で腎移植を受けていることがわかった。ある日本人患者は、6,900万円もの代金を、仲介業者に支払っていた。また、計6人が感染症で死亡していた。1997年10月の臓器移植法の施行により、同種のツアーは排除されることになったが、一部の仲介業者は「情報サービスのみで、斡旋行為はしていない」と、営業を継続している。
著者
小西 恵美子 デービス アンJ
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.84-91, 2000-09-13 (Released:2017-04-27)
参考文献数
6
被引用文献数
4

「死ぬ権利」とは、終末期の患者が、さらなる治療を拒否して死を早めることを自らの意思で決定できる権利をさす。「死ぬ義務」とは、終末期の患者や老人は、家族の負担や医療コスト等の社会的要因から、延命のための治療は拒否して死を早める義務があると感じることである。日本、欧米の生命倫理に関心をもつ看護婦、医師および生命倫理学者それぞれ121名、64名を対象に、この二つの概念に対する意識を調査した。結果、死ぬ権利は欧米は全員、日本も大多数が支持した。死ぬ義務については、欧米の支持率は高かったが、日本は支持しない人のほうが多かった。自由記述からしばしば出現したテーマは、「自己決定」、「命の意味」、「公正」、「患者と家族との愛」である。それらの意味の両群の相違点と類似点を探索し、終末医療の問題をかかえる日本と欧米が相互に学ぶ必要を示唆した。
著者
児玉 聡
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.4-11, 2021-09-28 (Released:2022-08-01)
参考文献数
16

COVID-19(新型コロナウイルス感染症) のパンデミックについて、生命倫理学が検討すべきなのはパンデミック対策の倫理性、すなわちパンデミック対策のために行われる政策や活用される科学技術の持つ倫理的・法的・社会的含意である。本稿では主に公衆衛生的な側面に議論を絞り、市民的自由の制限、公平な資源配分、予防行動の責任という三つの倫理的課題について論じる。これらは生命倫理学においてこれまでにも議論されてきた問題であるが、今回のパンデミックにおいて、改めてその重要性が浮き彫りになったものと言える。いずれも直ちに答えの出せる問題ではなく、本稿でも主に課題を説明するだけに留まるが、理論的かつ実践的な課題として今後十分な議論が必要である。今回のパンデミックを受けて我々にできることは、生命倫理学の観点からパンデミック対策を詳細に吟味することにより、この経験から少しでも多くの教訓を学び、次回以降のパンデミック対策に活かすことである。