著者
鹿野 嘉昭
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.199-257, 2011-09

論説(Article)本論文は、中近世における欧州諸国の貨幣史を簡単に振り返ったあと、商品貨幣という貨幣供給にかかわる制度的な制約の下で経済発展とともに生じた通貨不足や金銀貨の並行流通に起因する通貨間の換算問題という中近世欧州諸国における貨幣をめぐる諸問題について各国の政府や民間部門がどのように対応してきたかに関する議論を経済学的な視点から展望するものである。その際、貨幣制度と決済という2つの概念を基軸に据えるところに特色があり、その結果、次のような事実が確認された。第1は、対外交易と国内取引との間での決済手段の分離である。第2は、計算貨幣と実体貨幣の分離である。第3は、貨幣以外の決済手段の開発と集中的な支払決済機構の確立である。This paper surveys the discussions on the history of money in European medieval and early-modern times. In these times, gold, silver, and copper coins were used to denominate and settle commercial transactions. As the economy developed, most countries and regions faced the problem of monetary shortages due to the limited supply of gold and silver bullion and the high cost of coinage for copper coins. Debasement of silver coins was adopted as a common measure, and hampered monetary circulation. We found that government and private sector efforts to cope with these problems led to the emergence of (a) the dual currency system, or separation of payment media for overseas and domestic transactions; (b) the use of money of account for bookkeeping and settling large transactions; and (c) the establishment of the central funds settlement institution via exchange bills across the European countries.
著者
内藤 浩光 林 浩司 西﨑 博則
出版者
横浜植物防疫所
雑誌
植物防疫所調査研究報告 (ISSN:03870707)
巻号頁・発行日
no.52, pp.1-6, 2016-03

臭化メチルは、長年植物検疫の効果的なくん蒸剤として使われてきたが、オゾン層保護の観点からその使用を最小限にとどめる努力が国際的に進められている。日本の検疫病害虫の一つであるグラナリアコクゾウムシに対しては、臭化メチルの代替剤としてリン化水素が有効であるが、本調査においては、酸素濃度を高くした条件下でリン化水素くん蒸によるグラナリアコクゾウムシ蛹の感受性がどう影響を受けるかについて試験を実施した。さまざまな酸素濃度とくん蒸日数において、リン化水素2.0mg/l、15℃でくん蒸した結果、同じくん蒸期間でみると、より高い酸素濃度で殺虫効果がより高くなった。100%の殺虫効果が酸素濃度30及び40%、9日間で達成された。ロジット解析による酸素濃度40%でのLT50、LT95及びLT99は、それぞれ0.93、3.38及び4.75日であり、LT50及びLT95は通常大気条件下で行われた過去の調査結果の値の半分以下であった。酸素濃度40%以上でのリン化水素くん蒸が、グラナリアコクゾウムシ蛹に対して95%以上の殺虫効果を得るために効果的であると考えられた。リン化水素0.3、0.5及び1.0mg/l、酸素濃度30及び40%、9日間、15℃でのくん蒸の結果、100%の殺虫効果は得られなかった。同じ薬量で比較すると酸素濃度40%で殺虫効果は高く、酸素濃度40%、薬量0.5及び1.0mg/lでは、99.7%以上の殺虫効果が得られた。以上の結果から、グラナリアコクゾウムシ蛹は、酸素濃度30%以上、9日間、15℃で、くん蒸中リン化水素濃度2.0mg/lを維持することにより100%殺虫されることが明らかとなった。また、酸素濃度を40%よりも高くすることにより、グラナリアコクゾウムシ蛹を100%殺虫するリン化水素の投薬量及び処理期間を、低下、短縮することが可能であることが示唆された。
著者
小池 唯夫
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1174, pp.92-95, 2003-01-13

昨年10月下旬の日本シリーズで、読売ジャイアンツと対戦したパシフィック・リーグの西武ライオンズが4連敗しました。一方的な試合が続いたこともあって、「パ・リーグが弱体化している」という指摘が、マスコミを通じて大々的に報じられています。確かに、ここ10年、パ・リーグ優勝チームは日本シリーズで2勝8敗と負け越しました。
著者
譚 謎
出版者
九州大学大学院地球社会統合科学府
雑誌
地球社会統合科学研究 = Integrated sciences for global society studies
巻号頁・発行日
no.1, pp.29-42, 2014

This paper attempts to describe the ways in which the Esperanto movement in the early twentieth century Japan aimed at achieving a broadly-defined international solidarity. Esperanto is a planned language that was designed as a medium for advancing intercultural communication and understanding, but at the same the movement concerned with it gave high importance to the concept of an ethnic group, in a nationalistic manner. In Japan, Esperanto achieved popularity after the Russo-Japanese War in 1904-05, because of the development of Japan's international relations. At the beginning of this period, some intellectuals-positively aimed to assimilate European culture and at the same time spread Japanese tradition and culture overseas, therefore they had an interest in Esperanto as an international language. This study reveals that what made the Esperantists come together, despite their political differences, was an interest in the pragmatic usefulness of Esperanto. However, there appeared clearly different political tendencies amony them, Which led to three groups in the Japanese Esperanto movement in early 1920s, including some people who promoted Esperanto but did not practice it themselves. This paper aims to reveal why in the period immediately after the First World War these intellectuals attempted to adopt Esperanto, how Esperanto could be used for political purposes, and how Japanese Esperantists promoted international solidarity in a world where socialism and nationalism were on the rise. This paper explores some reasons and back ground of a growing Japanese Esperanto movement in the early twentieth century and the way in which Japanese Esperanto movement has oscillated between internationalism and nationalism.
著者
安藤 隆人
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネスassocie (ISSN:13472844)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.4-6, 2011-01-18

まさに陰から光。昨年のサッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会では、日本代表の登録23選手から漏れ、涙をのんだ。その香川真司が今、日本サッカーの将来を担う逸材として脚光を浴びている。 W杯後の7月、Jリーグのセレッソ大阪からドイツのプロサッカーリーグ、ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントに移籍。
著者
野崎 歓
出版者
一橋大学
雑誌
言語文化 (ISSN:04352947)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.23-42, 1995-12-25

論文タイプ||論説
著者
原 清治
出版者
佛教大学教育学部学会
雑誌
佛教大学教育学部学会紀要 (ISSN:13474782)
巻号頁・発行日
no.7, pp.59-72, 2008

先進諸国において近代化を促進するプロセスを解明するひとつの理論として人的資本(humancapital)論がある。人的資本論は、個人により高度な教育機会を提供することが人間の資本としての資質を向上させ、良質な労働力を多く輩出し、結果として国家の近代化が促進されることにつながるという文脈を辿るものである。たとえば、発展途上国における教育開発や教育計画の多くは人的資本論にもとついていた。しかしながら、先進諸国の経済成長から理論化された人的資本論は限界を迎えつつある。その証左として、先進諸国を中心として、正規雇用に就くことができずに非正規雇用に就かざるをえない若者である「使い捨てられる若者」の増加があげられる。本研究は、先進諸国のなかでもとくに高学歴フリーターの多い日本において、「使い捨てられる若者」がどのように排出されているのかという過程について、計量分析を用いて明らかにすることを目的としている。結果として、日本型の「使い捨てられる若者」は、学力を基底とした分布によって使い捨てられる過程に大きな違いがみられ、その背景に応じた就業支援をしなければ、彼らを再び正規雇用へ移行させることは難しいという実態が析出された。翻って、その対策としては、子どもたちに対する教育の熱意やまなざしが彼らの人的能力を向上させるという「教育資本」論の視点が、日本型の「使い捨てられる若者」に対して一定の効果をあげることができるのではないかという点にも言及している。人的資本教育資本使い捨てられる若者教育開発
著者
渡辺 澄子 村田 温子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.55, pp.193, 2003

【目的】中学・高校生の衣生活に対する意識や実態は、彼らのライフスタイルの中の一要因であり、服装単独で存在するものではない。本研究は、昨年報告した三重県下の中学・高校生の生活構造の結果をもとに、衣生活の実態が他の生活領域とどのように関連しているかを明らかにするものである。【方法】調査は第1報と同様である。調査内容は、制服に対する賛否とその理由、服装に対する興味関心(服装のセンス、ブランド服の好き嫌い、服の好み他)と他の生活領域項目(生活時間、生活空間、生活意識、人間関係、食生活、住生活、学校生活、経済状態、生活習慣・規範・態度)である。分析方法は、単純集計、クロス集計、重回帰分析、共分散構造分析による解析を行った。【結果】服装への興味関心は、中学生・高校生のライフスタイル全般からみたところ、その影響を強く受ける順に、友人関係、自分の将来への関心度、校則に対する態度、世界の動きや政治への関心度、お小遣いの額、生き方に対する態度、生活全般に対する満足度などとの関わりが強いことが明らかとなった。 一方、あまり影響がみられない項目として明らかになったものは、テレビ視聴時間の長さ、先生と会話をするかどうか、制服への賛否、勉強の目的、アルバイトの有無、タバコを吸っているか否か、ボランティア意識があるか否かなどであった。また衣生活の中でも、自分の衣服を洗濯するかどうかという基準では、お年よりのためのボランティア志向があるか否か等との関連がみられた。中高生の衣生活の有り様を考える場合は、個別のファッションを指摘することよりも、彼らのライフスタイルとの関わりで考える必要があることが明らかとなった。
著者
倉田 剛
出版者
九州国際大学
雑誌
九州国際大学教養研究 (ISSN:13410504)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.73-98, 2007-07
著者
高井 正三
出版者
富山大学総合情報基盤センター
雑誌
富山大学総合情報基盤センター広報 (ISSN:13490796)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.14-21, 2013

米国Apple 社が最初のiPadを発売した2010年1月27日から3年が経った.昨年末に調達したiPad Retinaは4代目のiPadらしいが,iPhoneやAndroidなどのSmartphoneが一定程度普及しているにもかかわらず,我が国では未だにeBook(電子書籍)やTablet PC がそれほど普及していないように思われる.2012年には最新版Android OSを搭載したGoogle Nexus 7やAmazonからもKindle Fire HDが発売され,Windows 8を搭載したSlate PCも登場した.筆者はTablet PCとしてApple iPad Retina,Google Nexus 7,Amazon Kindle Fire HDを,eBookとして,Sony Reader PRS-T2,Amazon Kindle Paperwhite,Rakuten kobo glo,Booklive Lideoを入手したので,その使用記とあわせて,「電子書籍端末とデジタル教材で大学を変える(その3)=大学を変えられるか」というテーマで,大学教育の変革とeBookの活用法から,本誌3度目の提案したい.
著者
山内 進
出版者
日本評論社
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.105, no.1, pp.p62-82, 1991-01

論文タイプ||セミナー(法学部特集号 = Law and Politics)
著者
今井 小の実 Konomi Imai
出版者
同志社大学人文科学研究所キリスト教社会問題研究会
雑誌
キリスト教社会問題研究 (ISSN:04503139)
巻号頁・発行日
no.51, pp.63-84, 2002-12

論説正誤表: 69頁:「…、妻にも同等の権利があって(中略)家庭には礼儀など余り行われず…」→「…、妻にも夫と同等の権利があつて(中略)家庭には礼儀など余り行はれず…」70頁:「「社会は婦人の手を要してゐる」という女性の社会進出の内容は、「病毒に充ちた世を真っ白に沈ひ清めて、其慮に清純な美を生れ出させるのは、…」→「「社会は婦人の手を要して」いるという女性の社会進出の内容は、「病毒に充ちた世を真白に沈ひ清めて、其慮に清純な美を生れ出でさせるものは、…」71頁:「…、誰が思ひ子であったが、…」→「…、誰が思ひ子であったか、…」74頁:「…御精神を受けついで、(中略)…実地に行うて初めて…」→「…御精神を受ついで、(中略)…実地に行ふて初めて…」75頁:「…同じ関係を保つ人々も見受く…」→「…同じ関係を保つ人々をも見受く…」75頁:「…甚だしきは他人の良人、妻でも…」→「…甚だしきは、他人の良人でも、妻でも…」75頁:「…婦徳を打破し男子同様に自由放縦ならしめ度いと望まる〉るように…」→「…婦徳を打破して、男子同様に自由放縦ならしめ度いと望まる〉やうに…」76頁:「…凡べての人類の神を除いて…」→「…凡べての人類の父なる神を除いて…」76頁:「…自覚して其天性を発揮(中略)婦人方のように習慣に囚はれて、(中略)婦人がこれを自覚して之を守る…」→「…自覚して、其天性を発揮(中略)婦人方の様に習慣に囚はれて、(中略)婦人が自覚して之を守る…」77頁:「…呼ぶところのそのすべてを貫く…」→「…呼ぶところの一つの運動のそのすべてを貫く…」78頁:「…醜悪と堕落を包んでいるか…」→「…醜悪と堕落とを包んでいるか…」81頁:「…女性同盟第一号は、…」→「…女性同盟の第一号は、…」
著者
今井 一良
出版者
日本英学史学会
雑誌
英学史研究 (ISSN:03869490)
巻号頁・発行日
vol.1985, no.17, pp.7-17, 1984

Shigeko Uriu, nee Masuda is one of the first Japanese girl students sent to the U.S. in 1871. When she arrived at Washington D.C., she was only ten years old. In 1872 she was placed in the care of Rev. Dr. John S.C. Abbott in Fair Haven, Conn., and his daughter Miss Nelly Abbott became her second mother and teacher. For seven years she was brought up by Miss Abbott till she entered the Vassar College in Poughkeepsie, N. Y..<BR>In 1881, on her graduation from the Vassar College she came back to Japan. Next year she became a music teacher at the request of the Ministry of Education, and at the end of this year she got married to Sotokichi Uriu, a naval officer who was the first Japanese graduate of Annapolis. Thereafter besides teaching music and English at many schools, such as Tokyo Higher Girls' School, Tokyo Music School, and Tokyo Women's Higher Normal School, she lived to be a good wife and wise mother.<BR>On the 3rd of November, 1928, suffering from cancer of the rectum, she died at the age of sixty-seven.<BR>Now her fourth son is alive and has many articles left by his parents. Among them I found two interesting pieces of writing.<BR>One is her diary written in a notebook when she was at thirteen and fourteen years of age and the other is a document under the title of&lsquo;My recollections of the Early Meidji days&rsquo;.<BR>The former is written in fairly good English, though it was only a few years since she began to learn English. According to her diary she often made a trip around New England with Miss Abbott every summer vacation, and in July the 7th, 1875, after listening to Longfellow ricite his poems, she met him in Brunswick, Main. She also confessed the Christian faith in this diary of hers.<BR>The latter written in 1927, the year before she died, was printed in the Japan Advertiser on the 11th of September that year. In this article the observation of her childhood and the various amusing events which happened before and after her sending to America are described vividly, and it is concluded with the following:<BR>Our stay of three years in America was prolonged to ten years during which time we enjoyed perfect freedom as all American young girls of good families enjoy and the memory of our young lives in that dear country will nevelr fade.