著者
岩間 陽子
出版者
GRIPS Policy Research Center
雑誌
GRIPS Discussion Papers
巻号頁・発行日
vol.16-19, 2016-10

西ドイツ初代首相であり、1949年から1963年まで在任したコンラート・アデナウアーは、西ドイツの核保有を志向していたと言われるが、その実態はそれほど単純ではなかった。アデナウアーは、1954年のパリ協定署名時に、ABC(核・生物・化学)兵器の自国領内での製造を行わない宣言をしており、政権中にこの枠組みからはみ出すことはなかった。しかし、その範囲内で、西ドイツを核抑止の時代に適応させていった。まず、在独米軍の核兵器持ち込みを、事前協議制度なしで認めた。また、NATOの核備蓄制度を利用して、西ドイツ連邦軍の核搭載可能兵器を装備し、戦時には、それまで米軍管理下にある核兵器(弾頭)の配備を受ける制度を始めた。NATOの枠内での多角的核戦力(MLF)にも前向きな姿勢を見せながら、アデナウアーは何らかの形の「ヨーロッパ・オプション」に最後までこだわり続けた。それは、彼が米ソに大国のみが核を持つ世界では、ヨーロッパが見合うからの運命を決定する能力を失い、場合によっては超大国の取引対象となることを恐れたからであった。しかし、仏独エリゼー条約に対するアメリカの反応は、そのような道が非常に困難であることを示していた。Konrad Adenauer, the first West German Chancellor who was in office from 1949 to 1963, is said to have sought nuclear weapons for his country. But the truth is not that simple. Adenauer had renounced production of ABC weapons at the time of the signing of the Paris Treaties in 1954, and he never stepped out of this pledge. Instead, he adjusted his country to the nuclear age within that limit. First he allowed the American troops in West Germany to bring in nuclear weapons almost without any system of prior consultation. Next he put his country into the NATO nuclear stockpile system, by equipping the West German Bundeswehr with nuclear capable weapons. The nuclear weapons(warheads) to these weapons were usually under the control of American troops, and were passed onto the Bundeswehr at wartime. He also responded positively to the NATO multilateral force (MLF) plans, but also never ceased to look for an ‘European option.’ The reason for this was that he thought in a world in which only the US and USSR possessed nuclear weapons, Europe will no longer possess the ability to decide its own fate, and may become an object of deals between the two superpowers. But the American reaction to the Franco-German Elysée Treaty showed how difficult such an option was.
著者
石丸 昌彦 Masahiko Ishimaru
雑誌
放送大学研究年報 = Journal of the Open University of Japan (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.1-23, 2010-03-23

統合失調症は1%近い発症危険率をもち、世界的に広く認められる代表的な精神疾患である。思春期・青年期に好発し、多彩な精神症状を呈しつつ再燃を繰り返しながら慢性的に経過するもので、クレペリン以来、進行性かつ予後不良の疾患とされてきた。かつて統合失調症には有効な治療法が存在しなかったが、1952年に最初の抗精神病薬であるクロルプロマジンが開発されて以来、薬物療法が長足の進歩を遂げた。その結果、予後は劇的に改善され、既に重症疾患ではなくなったとの認識があるが、わが国では精神科入院者数の60%以上を依然として統合失調症の患者が占めており、その中には少なからぬ社会的入院者が含まれている。 統合失調症の発症機序に関しては、抗精神病薬の作用機序や覚醒剤精神病の知見などにもとづいて、ドーパミン神経伝達の過活動を想定するドーパミン仮説が有力視されてきたが、陰性症状や慢性化した陽性症状には抗精神病薬の効果が乏しいことなどから、同仮説の限界も指摘されている。ドーパミン仮説を補完しより包括的な疾患理解と治療方略を指向するものとして、統合失調症脳内におけるグルタミン酸神経伝達の低活動を想定するグルタミン酸仮説が挙げられる。本稿ではグルタミン酸仮説の根拠を紹介するとともに、統合失調症死後脳におけるグルタミン酸受容体研究の成果を紹介するとともに、その課題と将来性について論じた。また、死後脳研究におけるグルタミン酸受容体増加所見の分布を踏まえ、前頭連合野と頭頂連合野の変調が統合失調症の症状形成に関与することを推定し、「統合失調症の連合野仮説」の可能性について検討した。解決すべき課題は多く残されているものの、今後の研究の方向を決定するうえで「連合野仮説」は有益な示唆を含むものと考えられる。
著者
萩野 貴史
出版者
名古屋学院大学総合研究所
雑誌
名古屋学院大学論集 社会科学篇 = THE NAGOYA GAKUIN DAIGAKU RONSHU; Journal of Nagoya Gakuin University; SOCIAL SCIENCES (ISSN:03850048)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.187-205, 2017-03-31

わが国の刑法学では,死体遺棄罪の「遺棄」概念について,これまで議論が活発とはいえない状況にあった。しかし,現在の社会状況や近時の判例に鑑みると,これを検討する意義は少なくないように思われる。 そこで,本稿では,死体遺棄罪における「遺棄」概念の内容を検討し,その処罰範囲について一定の視座を与えることを目的とする。 そのために,まず日本の刑法における死体遺棄罪の沿革を概観したうえで,刑法学において法益を明らかにすることが当該条文の解釈に際して指針となるとされている点に鑑みて,死体遺棄罪の保護法益を検討する。その後に,死体遺棄罪の「遺棄」概念について他分野の知見を参照しつつ,一定の視座を提供する。最後に,不作為による「遺棄」概念についても触れることとするが,不真正不作為犯に関する総論的な視点も必要となるため,私見を展開する前段階として,現在の議論状況とその検討課題を明らかにする。
著者
半田 結
出版者
関西福祉大学社会福祉学部研究会
雑誌
関西福祉大学社会福祉学部研究紀要 = The journal of the Department of Social Welfare, Kansai University of Social Welfare (ISSN:1883566X)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.31-42, 2016-03-25

本論は,『日本絵巻大成』を手掛かりに,わが国で最初期の絵である絵巻に描かれた病の絵を分析し,病の図像の意味と意義について述べ,病の図像は古代中世の我々の祖先が生き延びていくためには必要欠くべからざるものであったことを明らかにしている.絵画は仏教と共に伝えられたため,その歴史は,礼拝の対象である仏画として描かれることに始まる.平安後期になるとわが国独自の文字や絵の描き方が生まれる.このころから貴族階級や仏教関係者を中心に絵巻が盛んに制作され,鎌倉時代には武家から庶民階級にまで広がっていく.この時期の絵巻を集めたものが『日本絵巻大成』である.ここに描かれた病の図像を抽出・分類して,その描かれ方を整理した.その結果,当時の病の概念は広く曖昧なものだったこと,姿の見えない曖昧な病に対応するには病を可視化した絵がふさわしかったこと,見えない病を描く図像には病の原因と共に仏の御力が描きこまれていること,病を取りまく多数の人々の存在は様々なレベルでの病への関わり方があることが明らかになった.病という個人の体験に形を与えて普遍化し,共有することは,芸術の機能であるとともに,社会の一員として生きる大きな支えであったと結論づけている.
著者
張 帆
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.113-130, 2021-10-29

近年、学界では「グローバル国際政治学」(Global IR)に関する議論が高まり、日本の国際政治学の再考は重要な課題となった。とりわけ、高坂正堯、永井陽之助ら「現実主義者」の国際政治思想は大きく注目され、いわゆる「日本的現実主義」に関する研究が進んできた。しかし、既存の研究の多くが冷戦前期に焦点を当てるため、冷戦後期の日本的現実主義の展開は十分検討されていない。他方、同時期の安全保障・防衛政策に関する研究において「防衛計画の大綱」や総合安全保障戦略、防衛費「GNP 1%枠」の撤廃に対する「現実主義者」の関与がしばしば言及されるが、日本的現実主義の動向が議論の中心ではない。 以上を踏まえ、本稿では冷戦後期の日本的現実主義の展開を考察対象とする。同時期の日本的現実主義に関する重要な手がかりとされた「モチヅキ=永井説」は、「政治的リアリスト」対「軍事的リアリスト」という日本的現実主義の内部対立を示唆した。しかし、同説が必ずしも当時の日本的現実主義の全体像を示したわけではなく、その妥当性について議論の余地がある。これに対して、本稿では冷戦後期の防衛論争を顧みながら、同時期の日本的現実主義を再検討することを試みる。 本稿の構成は以下の通りである。第一節では、冷戦前期の日本的現実主義の展開を概観しながら、いわゆる「政治的リアリスト」の主張が七〇年代に体系化され、日本の安全保障・防衛政策と一体化する過程を分析する。第二節では、高坂、永井、猪木正道、岡崎久彦、中川八洋、佐藤誠三郎らの議論を中心に、冷戦後期の防衛論争を詳細に検討する。第三節では、防衛論争における主な争点をまとめ、「モチヅキ=永井説」の問題点を指摘したうえで、冷戦後期の日本的現実主義が「総合安全保障論」対「伝統的安全保障論」を軸に変容したことを解明する。
著者
松澤 俊二
出版者
桃山学院大学
雑誌
桃山学院大学社会学論集 = ST.ANDREW'S UNIVERSITY SOCIOLOGICAL REVIEW (ISSN:02876647)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.69-86, 2016-02-25

This paper is intended to study the proletarian tanka which rose during about 5 years from 1928 and declined immediately. Evaluation of proletarian tanka is not high so far. There are two reasons of low evaluation. First, because the tanka have been considered as politics, not Literary work. Second, the representation of tanka is a roar and vilification against the government and the capitalists, and this is because it is not individual, and mannerism and critics thought. However, it must be noted that such evaluation having been made from modern tanka's sense of values which considers that expression of individuality is the most important. Therefore, it is impossible from the sense of values to discuss the proletarian tanka which appeared as an antithesis of a modern tanka from the start. In the light of this fact, It is necessary to reconsider old research of a proletarian tanka and tanka work itself. In this paper, I gave priority to that I took up the expectations of the proletarian poet at that time. For this purpose, I chose "Proletarian Tanka poetics" as a research material. And it was clarified why the rut expression was repeated Tanka work, social circumstances surrounding its Tanka movement, and how was thought to increase the fan proletarian Tanka. In addition the existence of the proletarian tanka confirmed that it becomes a ruler to measure the political character of the modern tanka that attention had not been applied to until now.
著者
古田 吉史 田中 貴絵 甲斐 達男
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 = Bulletin of Seinan Jo Gakuin University (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.145-151, 2017-03-01

米糠を自然発酵させて調製する糠床に、種々の野菜を漬け込んで造る糠漬けは日本の伝統的発酵食品の一つである。糠床の微生物叢に関する研究は多いものの、糠漬け野菜の微生物叢とその変化についてはほとんど報告されていない。本研究では、85 年以上経過した熟成糠床3種と新たに調製した糠床1種にナスとキュウリを漬け込み、それら野菜に付着する微生物叢の変化を調べた。まず糠床中の微生物叢を調べたところ、今回使用した4種の糠床間で乳酸菌数と酵母数、その割合に大きな違いが見られた。浸漬野菜(糠床に18 時間浸漬後、水洗いした野菜)に関しては、コントロール(水洗いした野菜)と比べて、何れの糠床に浸漬した場合でも、一般細菌数は著しく減少し、乳酸菌・酵母数は増大した。付着した乳酸菌・酵母数は全体的にキュウリと比べてナスの方が多く、また糠床自体の乳酸菌・酵母数が多いほど付着菌数も多いと思われた。糠床中の乳酸菌数を高く維持すること等により、糠漬け野菜のプロバイオティクスとしての利用が今後期待される。
著者
筧 捷彦 中山 泰一 Katsuhiko KAKEHI Yasuichi NAKAYAMA
出版者
情報処理学会
雑誌
情報処理 (ISSN:04478053)
巻号頁・発行日
vol.59, no.7, pp.632-635, 2018-06-15