著者
德永 洋介
出版者
東洋史研究会
雑誌
東洋史研究 (ISSN:03869059)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.577-610, 2015-03

Many instances of illegal activities are recorded in the Song historical literature. These involved not only unlawful trafficking in items that were government monopolies, but also transregional operations of organized crime across districts and administrative units. These organized groups of burglars and/or bandits, were called qundao 群盜or junzei 軍賊. The gradual increase in the scale and number of crimes and the better organization of these groups caused significant social unrest in the Song. Deeply concerned, the dynasty answered by improving the law enforcement system to arrest these criminals and developed a mechanism to maintain the security of local communities at the neighborhood level. Strict measures were taken against burglary and banditry, and several rural areas were named top priority areas (zhongfa difen 重法地分), where an all-out crackdown was carried out. These legal measures were collectively called Daozei zhongfa 盜賊重法. The Daozei zhongfa was in effect for 43 years during the late Northern Song period. It started with the institution of the Wocang Zhongfa 窩藏重法 in 1065 (the second year of the Zhiping 治平 era) under the reign of Emperor Yingzong 英宗, and was followed by the Jiedao Zhongfa 劫盜重法 introduced the next year. What was groundbreaking about the Wocang zhongfa was that it was security legislation aimed not at the criminals themselves, but at collaborators and acts of support, such as harboring criminals (wocang 窩藏), providing renegades hideouts and offer necessary services and goods. The law was intended to destroy criminal organizations by clamping down on those who helped them. Wocang zhongfa punished the family members of the criminals. The Jiedao zhongfa stipulated that the authorities could punish those criminals more heavily than preceding punitive laws. Both these laws were indeed harsh. However the jurisdiction of the new legislation, Daozei zhongfa, was very limited from the time of its promulgation. Its maximum geographic range was reached in 1086, the first year of the Yuanyou 元祐 era of Emperor Zhezong 哲宗. However, even at that time it never extended beyond Kaifeng 開封, the capital city of the dynasty, and some other main prefectures and counties along the transport network in the middle and lower reaches of the Yellow River and the Huai River which were linked to Kaifeng nor beyond the mountainous area of Fujian. As time went on, the burglars and bandits became stronger and more daring, and the situation worsened. The Daozei zhongfa was tested by this reality and its effectiveness was increasingly questioned. The Song authorities' response wavered. On the one hand, the central government as a temporary measure expanded the legislation's jurisdiction beyond the original areas, and also repeatedly attempted to appy the Wocang zhonfa as a nationwide legal norm. The zhongfa difen were quickly abolished in 1108, the second year of the Daguan 大觀 era under Emperor Huizong 徽宗. The aforementioned context was the underlying cause, but the law had become more and more inconsistent and most of the Wocang-related regulations in the legislation were incorporated in the general laws (海行法) of the Chiling geshi 敕令格式. In the Southern Song the general laws also included an article on family collective responsibility and a provision providing rewards from confiscated property. This fact indicates that these measures were then reckoned effective to combat the problem of wocang. It also means that the regulations that were in the beginning a stopgap measure in the interim legislation of zhongfa finally became formal components of universal law. Put into historical perspective, this legal environment of the Song dynasty proved to have paved the way for the appearance of the Qiang qie daozei wozhu li 强竊盜賊窩主例 of the following Yuan dynasty and the Daozei wozhu fa 盜賊窩主法 of the later Ming dynasty.
著者
三井 美穂
出版者
拓殖大学言語文化研究所
雑誌
拓殖大学語学研究 = Takushoku language studies (ISSN:13488384)
巻号頁・発行日
no.142, pp.279-295, 2020-03

アメリカ社会を理解するためのテクストとして映画を使用する場合,どのようなトピックをどのような切り口で扱うのが効果的だろうか。本稿では映画『フォレスト・ガンプ一期一会』をテクストとし,アメリカがどのように描かれているかを考察する。1994 年に製作されたこの映画は,1950 年代から1990年代はじめにかけてのアメリカ社会を背景として,一南部人の半生を描いたものである。20 世紀後半の社会の動きを知るだけでなく,1994 年当時の社会にスポットを当て,この映画が製作された土壌について考察することもできる。主人公が南部人であることから,取り上げるトピックは南部の地域性,人種問題,反体制運動の3 点とし,そのトピックを互いに関連させながら映画を解釈していく。それにより,映画に描かれているアメリカの保守的文化を浮かび上がらせ,それを取り巻く,或いは対立する動きを読み取っていく。アメリカ社会の一側面を提示することが本稿の狙いである。
著者
川瀬 裕子
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.83, pp.203-222, 2008-03

レイモンド・カーヴァーの作品,『ささやかだけど,役にたつこと』,『大聖堂』,『保存されたもの』の3作品には,共通の設定がある。いずれの作品においても,設定は都市周縁に発展し続ける郊外住宅街であること,登場人物たちは,30代前半の若い夫婦であることである。カーヴァーの作品を特徴づけるこの設定に何か作者の意図があるとすれば,この設定を文学空間とし,20世紀末のアメリカ社会の変貌とそこに関わる人物たちの人生の諸相を描出したことにあろう。郊外住宅街の開発は,アメリカの中産階級の庶民が,自分たちの家を所有するという願望の実現を可能にした。彼らが手中におさめたささやかな夢はその後どのように変化していったのだろうか。アメリカ文化の変容が行き着いた場として,郊外住宅街は新たにアメリカ的特質を生み出したニュー・フロンティアであるといわれて久しい。そこで何が起こっているのか,そこでの住民たちの人生の行方はどのような方向に向かおうとしているのか,カーヴァーは若い家族たちの日常を追いながら彼らの問題の本質に迫ろうとした。この小論においては,限られた空間で向き合う人物たちの周囲の行き場のない重苦しい空気や危げな関係を分析し,彼らに潜在する問題を考察することを意図した。大都市の喧噪や犯罪を避け,理想的な住宅街に見える環境は,やがて,孤独や退屈,不安や空虚の空気が満ちた住空間となっていった。精神的に不毛な日常生活に埋没する人物たちを描くカーヴァーの視点がそうした人物たちの危うい精神構造を見据えていることに留意し考察する。
著者
白田 英樹 富久 章子 笠原 猛
出版者
徳島県立農林水産総合技術センター畜産研究所
雑誌
徳島県立農林水産総合技術センター畜産研究所研究報告 (ISSN:1347099X)
巻号頁・発行日
no.3, pp.85-90, 2003-12

ブロイラーのコマーシャル鶏を用いて魚粉(動物性蛋白質)を用いない飼料がブロイラーの生産性に与える影響について検討を行った。平成14年10月15日から12月10日までの56日間、雌雄別飼で試験を実施した。8週齢までの育成率は、試験区:98.0%-100%、対照区:98.0%-100%であった。8週齢時の体重は、試験区雄:3554g、雌:3130g、対照区雄:3566g、雌:3093gで両区で差は見られなかったが、6-8週齢の1日1羽当たり飼料摂取量では試験区が有意に多かった。肉色では、むね肉及び腹腔内脂肪色でa値b値で試験区の色が薄く、差が見られた。浸透圧及び血液ガスでは一部で差は見られたが、飼料の違いによる傾向は確認できなかった。
著者
西村 由美子 有村 達之
雑誌
心理・教育・福祉研究 : 紀要論文集 = Japanese journal of psychology, education and welfare
巻号頁・発行日
no.19, pp.9-17, 2020-03-31

失体感症とは身体感覚を感じることができない状態のことを指す。本研究では母親の失体感症傾向と虐待傾向との関連性についての調査を行った。調査対象は,幼児以下の子どもを持つ母親172名,およびに小学生以上の年齢の子どもを持つ母親155名の合計327名であり,失体感症と子ども虐待傾向について質問紙による調査を実施した。幼児群,小学生以上群のそれぞれについて失体感症傾向と虐待傾向との間の関連性を分析したところ,失体感症と虐待傾向には有意な相関が観察された。失体感症傾向を持つ母親は,体調などの身体感覚を感じ取ることで適度に休憩をとったり,ストレスに対処することが苦手なため,ストレス反応として子どもに対して怒りを表出してしまう可能性が考えられた。
著者
松山 有美
出版者
日本福祉大学子ども発達学部
雑誌
日本福祉大学子ども発達学論集 = THE JOURNAL OF CHILD DEVELOPMENT (ISSN:24352802)
巻号頁・発行日
no.12, pp.47-52, 2020-01-31

本研究は, 保育における多様性を論じるための試論として, 保育内容「言葉」に注目した. 特に, 米国における調査を通して, 保育における「多ような有りよう」は, いかに保障されうるのかを検討した. そこには, 子ども一人ひとりがどのような言葉を使っても・使わなくても, 発達が保障される保育の土壌と保育者の姿があることが明らかとなった.
著者
スミルノワ T.V.
出版者
日本スラヴ・東欧学会
雑誌
Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.57-82, 2007-03-30

今日かなり普及している比較的新しい学に言語文化学がある。この学にたずさわる研究者たちは先例現象理論を構築したが、これはロシア的コトバ=ヒトの特徴づけにも大いに役立っている。先例現象という領域には、先例テクストや先例状況、先例言説、そして先例人名が入る。先例人名(PI)とは、「個人名で、1)先例として広く流布しているテクストに関係する(たとえばオブローモフ、タラス・ブーリバ)か、2)当該母語使用者に広く知られている状況と結びつき、よく先例として引かれる名(たとえば、イワン・スサーニン、コロンブス)、また特定の価値をはかる基準となるべきそれなりの全体性を指し示す象徴名(モーツァルト、ロモノーソフ)のことである」。「それは、使用される際に、当該PIのもつ弁別的諸特徴の集まり全体への訴えかけが生じる、ある種の複合記号である。それはひとつ、またはいくつかの要素からなりたちうるが、あくまでもひとつの概念を意味するものである」(クラースヌィフV.V.「他者」の中の「身内」:神話か現実か、モスクワ、ITDGK『グノシス』、2003, p.197-198)。PIはロシア連邦国民によって活発に使用されているが、それはロシア文化も東方の文化がそうであるように、高度に文脈的なものに属しており、コミュニケーション主体間で交わされる情報の大部分がコンテクスト(内的な、あるいは外的な)のレベルに存在するためである。だが背景を共有しないものにとってPIを判別し理解することは、ふつうは辞書にも載っていなし解読もできないので、いちじるしく困難である。PIの意義は、異文化コミュニケーション実現のために必要なだけでなく、国民性の理解のための鍵でもある。なぜならPIは、その母語話者の心的特性や国民性ときわめて緊密に結びつき、情報の選択とその提示方法に影響を与えている、文化=コトバコードの重要な要素だからである。PIは種々のタイプのテクストで、いろいろな立場で使用される。われわれはメディア・テクストの見出しにおけるPI使用の特質を検討することが重要だと考える。新聞テクストでは見出しは第一級の役割を担う。一面で言えば見出しは、記事に対する読者の注意を惹きつける機能を果たしている。他面、見出は、まさにそこから読解が始まるのであり、情報提供の音叉となって記事内容の主題と記述の調子を規定している。現代の見出しは「意味緊張の強化を指向している。それは一風変わった形態に走りがちで、評価の押しつけ、ことさらな表現、宣伝調に傾き、あらかじめ何が語られるかを示しつつ、新聞が扱う題材の受容が一定の方向でなされるよう調子を整えながら、報道するのである」。現代の見出しがこうした特徴をもつとするなら、新聞見出しとは、記事を理解し情報を予測する、また書かれる内容への筆者自身の態度がいかなるものかを判定する鍵である、と結論づけることができよう。新聞・評論的文体には報道と感化という、ふたつの重要な機能がある。しかし「情報の受け手を感化するためには、まずその注意を惹きつけなければならず」、その点はジャーナリストが種々の手法を駆使して努めているところであり、先例現象の利用もその内に入るのである。マスメディア言語の研究者は、今日の「評論的ディスコースでは読者の注目をひく個性的な見出しの量が急激に増えており」、いろいろのタイプのPIが、さらにはPIの変形がますます多く現れるようになったと指摘する。したがって新聞・評論的テクストを読む過程はコミュニケーションの特殊な種類であり、そこで前面に出てくるのは、情報の受容というよりもむしろ筆者の情報に対する態度の理解である。筆者が自分の書いた情報に対してとる態度の精髄が記事の見出しなのである。そうであるなら、コミュニケーションを効果的に行うための必須の条件は、先例現象が、事実に対する特定の見方を示唆する評価を含んでいるかもしれないということ、出来事に向けた筆者の視角を考えに入れるならしかるべき解釈が可能になる、ということを認識しておくことである。ロシア連邦の新聞は、見出しが直接出来事に関連するような場合、じかに名指しすることをできるだけ避けようとする。そしてこのことは一方では筆者が自分の立場をより正確に表明する助けになっているのだが、他方、外国人にとっては、PIを含めた先例現象がどんどん見出しの素材になるわけで、それだけ複雑さをも増す。メディア・テクストの見出しで使われているPIでいうと、たとえば、スチョーパおじさんとか、プローニン少佐、マザイ爺、ガヴロシ、ミトロファン、フィリーポック、ムム、サヴラスカ、ダンコ、モイドディル、ゴプセク、ヴァニカ・ジューコフなどは、ロシア連邦国民なら文学作品などを通して事実上全員が知っているために、すっかり流布している。ちなみにPIとなったこれらの主人公たちは人気児童文学の登場人物で、両親とか就学前児童施設の養育師たちが子供たちに読んで聞かせるか、小学校の文学カリキュラムで教育されたものである。例外は推理ものの主人公プローニン少佐で、アニメ『便器から覗くプローニン少佐の目』に出てくる流行の言い回しの中でそのイメージがクリシェとして定着した。これは何でもお見通しのKGBが持つ目のパロディーなのだ。PIにはほかにも、アフォーニャとか、ヴェレシャーギン、シュティルリツ、ヂェードチキンなどのように、映画のおかげでわたしたちの意識に焼き付けられたものもある。だがPIがなんといっても一番有名になるのは、文学と映画の二つの出典を同時にもつ場合で、ベゼンチューク、オスタプ・ベンデル、コレイコ、ヴァシュキ(ニュー・ヴァシェキ)、ヴォロナの町、パニコフスキー、シューラ・バラガーノフ、シュミット中尉の子供たち、角と蹄、人食いエロチカ、(郵便配達夫の)ペーチキン、アイボリート、アニースキン、ドゥレマル、雄猫バジリオ、ロビン・フット、ラスコーリニコフ、ソーネチカ・マルメラードヴァ、チーチコフ、フレスタコフ、ミュンフハウゼン、アレクセイ・メレシエフ、ドン・フアン、カサノヴァ、マウグリ、SHKID共和国、シンデレラ、ロビンソン・クルーソ、イリヤ・ムーロメツ、ミクラ・セリヤニノヴィチ、ガリヴァー、おやゆび姫、オブローモフ、シュトリツ、チムール、レフシャ、ドンキホーテ、ロシナンテ、コローボチカ、プリューシキン、パフカ・コルチャーギン、マニーロフ、ハムレット、キバリチシ小僧、プロヒシ小僧、カシュイ、バーバ・ヤガーなどがそれである。このほかにも、カラツューパ、ルイセンコ、ミチューリン、パヴリク・モローゾフ、ツシマ、ホディンカ、クリービン、スタハーノフ、ロモノーソフ、アレクサンドル・マトロソフ、アレクセイ・マレシエフ、イワン・スサーニンなど、ロシア連邦やソ連の科学や歴史、実在人物の伝記事実をもとにできあがった作り話がPIの出典となったものがある。ヘロストラテス、ユダ、バビロン、ペナーテース、トロイ、テルモピュライ、ヘラクレス、シシュフォス、ソロモン、デモステネス、キケロなど、ロシア連邦国民に知られている世界史や神話上の人物たちもPIの主人公として現れる。本論文ではメディア・テクストの見出しにおけるPIの使用を分析して、その局面での先例現象使用の特徴を反映させるような辞書を作ることが不可欠であることを論証し、言語文化学的辞書用の見出し語の事例をあげている。
著者
土倉 莞爾
出版者
關西大學法學會
雑誌
関西大学法学論集 (ISSN:0437648X)
巻号頁・発行日
vol.68, no.4, pp.695-734, 2018-11
著者
山口 久美子 加藤 敦夫 秋田 恵一 望月 智之
出版者
日本肩関節学会
雑誌
肩関節 = Shoulder joint (ISSN:09104461)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.587-589, 2010-08-04
参考文献数
4
被引用文献数
1

Coracohumeral ligament (CHL) is situated in the gap between the supraspinatus and the subscapuralis. There are only a few studies concerning the CHL after Clark and Harryman II (1992) in spite of the important role that fills the rotator interval. In this study, we dissected six shoulders of three cadavers to observe the spatial distribution of the CHL in detail. Four shoulders of two cadavers were processed to analyze the attachment of the rotator cuff and the capsule histologically. For the histological analyses, whole parts of the CHL were removed emblock, and serial sections were made from proximal to distal. In gross anatomy, the CHL attached to the proximal lateral surface of the coracoid process in its most proximal part. It filled the rotator interval between the supraspinatus and the subscapularis. Most distal part of the CHL extended to both the superior and inferior surfaces of supraspinatus, and both the anterior and posterior surfaces of subscapularis. In the rotator interval, CHL connected to the superior glenohumeral ligament (SGHL). There was no clear border between the CHL and the SGHL in either gross anatomy or histologically. Histologically, the CHL contained only fine loose slack collagen fibers without any dense fiber that is normally observed in a ligament. With flexion and the extension, the CHL were stretched to pull the rotator interval. From these observations, the CHL seems to work with the SGHL for the stability of the long head of the biceps during shoulder movement.
著者
戸田 須恵子
出版者
北海道教育大学
雑誌
釧路論集 : 北海道教育大学釧路分校研究報告 (ISSN:02878216)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.101-108, 2005-10-30

本研究は、乳児が初語としてどのようなことばを発し、24ケ月までにことばをどれだけ獲得していくのかを明らかにすることを目的とした。27組(男児16名、女児11名)の母子の協力が得られた。縦断的方法によって、生後5ケ月から24ヶ月まで約2ケ月毎に家庭訪問をし、計10回の母子遊びを観察した。言語については、13ケ月から訪問時に母親から乳児の発語について聞いた。しかし、遊びで発したことばはデータに含まれていない。結果は、13ケ月から24ヶ月まで乳児はことばを獲得していき、18ヶ月以降の語彙獲得の増加は著しかった。最初の13ケ月時の調査で既に20語を獲得している乳児もおり、乳児はそれ以前に既にことばを獲得していることが推測された。13ヶ月〜24ケ月までに最も多く獲得した乳児の語数は470語で、反対に最も少ない語数は12語と、個人差が非常に大きいことが明らかになった。又、初語としては、パパ、ママのことばが一番多く、次いで、食べ物のマンマが多く、イナイイナイバー、イタイなどのことばも多く出ていた。さらに、24ケ月までに発語したことばを領域別に分類すると、乳児は、動詞・活勅語を最も多く獲得していることが明らかとなった。次いで、食べ物の名前が多く、そして質と属性のことぼか続いた。又、時間に関することばの出現は一番遅かった。時間に関することばは「あとで」ということばが多く、24ケ月までに時間に関することばが出ている乳児は11人であった。二語文については15ケ月頃から二語文が出ている乳児もいるが、一般には、20ケ月頃から発語する乳児が多かった。二語文が出始めると、三語文も出てくるようであった。言語が発達するにつれて、母子遊びはことばと行動を交えた遊びが加齢と共に展開していった。又、ことばの発達の個人差を見るために、4ケースについて検討した結果、母親のコミュニケーションと環境の重要性が示唆された。