著者
三村 衛 吉村 貢 寺尾 庸孝 豊田 富士人 中井 正幸
出版者
The Japanese Geotechnical Society
雑誌
地盤工学ジャーナル (ISSN:18806341)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.141-155, 2011

岐阜県最大の前方後円墳である昼飯大塚(ひるいおおつか)古墳の史跡整備の一環として実施された発掘調査に伴い,地盤工学の観点から墳丘盛土の調査を行った。破壊的な調査・試験方法が適用できないことから,本質非破壊調査手法である表面型RI密度水分計と針貫入試験を適用した。針貫入試験による力学的な特徴から墳丘盛土がほぼ水平の構造を持つことが明らかとなった。部分的には斜めの層構造も確認され,古墳墳丘の築造材料の掘削・運搬・荷降ろしの過程を考察する資料を得た。また,強度の変動パターンを分析することにより,墳丘盛土が15~40cm程度の層厚で築造されたという痕跡が得られ,墳丘試料に対する締固め試験により,墳丘盛土の築造時の締固めエネルギーは,およそ人が足で踏み固めたものに相当する0.1×E<sub>cJIS</sub>程度であることがわかった。墳丘復元に使用される候補材料についても室内地盤材料試験を行って,現墳丘の性状に近い材料を選定し,墳丘復元工事の施工方法を提案した。
著者
高橋 正記 服部 芳明 橘田 紘洋 藤田 晋輔 古川 惠子
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿兒島大學農學部學術報告 (ISSN:04530845)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.89-96, 1995-03-31
被引用文献数
2

教員や児童・生徒の疲労自覚症状の訴え率は校舎構造や建築材料によって違いがあるかどうかを検討した.本論文では, 教員および児童・生徒の疲労自覚症状を調査し, 校舎構造別の訴え率を比較した.なお, 学校校舎は校舎構造によって木造校舎, 内装木質校舎, 典型的なRC造校舎の3種類に分類した.内装木質校舎とはRC造校舎でも教室の腰壁と床面が木質材料である校舎とし, それ以外のRC造校舎を典型的なRC造校舎と定義した.調査対象は九州地方おける小学校と中学校の教員および児童・生徒である.調査表は日本産業衛生学会・産業疲労研究会が提案した調査表を用いた.この調査表は30の疲労項目から成り, 10項目ごとにI群「ねむけとだるさ」, II群「注意集中の困難」, III群「局在した身体違和感」に分けられる.これらの疲労自覚症状について, 校舎構造別の訴え率を比較した結果, 以下のことがわかった.1.教員および児童・生徒の疲労自覚症状の訴え率はI群が最も高く, III群が最も低かった.訴え率の大小関係は「I>II>III」であった.児童・生徒の自覚疲労はねむけの症状が多かった.2.教員も児童・生徒もともに寝不足になるほど, 訴え率が高くなっていた.また, 小学5年生よりも中学2年生のほうが訴え率が高かった.3.木造校舎と典型的なRC造校舎の訴え率を比較した場合, 教員も児童・生徒もともに木造校舎の訴え率のほうが低かった.特に一般的症状と精神的症状に有意差が認められた(I群とII群, p<0.01).4.内装木質校舎と典型的なRC造校舎の訴え率を比較すると, 児童・生徒の場合, 内装木質校舎のほうが訴え率が低かった.しかし, 教員の場合は内装木質校舎のほうが典型的なRC造校舎よりも訴え率が高く, 児童・生徒の場合とは反対の傾向を示した.5.児童・生徒の場合は, 昨夜の睡眠時間に対する満足度が寝不足であったときに, 典型的なRC造校舎より木造校舎のほうが訴えが少なく, 有意差が認められた.教員の場合は, 昨夜の睡眠時間に対する満足度が「十分」であったときに校舎構造別の訴え率に有意差が認められた.すなわち, 典型的なRC造校舎より木造校舎のほうが訴えが少なく, また内装木質校舎より典型的なRC造校舎のほうが訴えが少なかった.
著者
鈴木 裕美
出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.398, pp.68-72, 2008-05

4月1日の19時過ぎ。「高松が自慢できるとっておきの店」という評判を聞き、居酒屋「贔屓屋 かくれんぼ」へ向かおうとした記者を、1人の常連客が引き止めた。「この時間じゃあ入れるかどうか。もう少し遅くなってからでないと、店の外までお客が並んでるんじゃないかなあ」─。 平日の夜、116席の広さの飲み屋で、しかも車でないと行きにくいロードサイドの店である。
著者
森住 哲也 木下 宏揚
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. SITE, 技術と社会・倫理 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.105, no.68, pp.25-34, 2005-05-13
被引用文献数
8

現代社会に潜む情報漏えいと改ざんの問題について, インターネットをツールとする情報処理システムをアクセス制御の視点から考察する.考察対象とする社会システムは, ルーマンの社会システム論をベースとし, 意味生成の過程に対してはクリステヴァのテクスト理論的な見方を導入する.ルーマンの機能分化的社会システムにあって, テクストとしての情報はCovert Channelを必然的に引き起こす性質を内包しており, これがオートポイエーシス的社会システムの瓦解に結びつくことを示す.次に, "Community Based Access Control Model"をルーマンの社会システム理論の概念的枠組みをベースとしたモデルへと発展させる.そして, 機能的に分化したコミュニティに於いて, アクセス権限の分析と制御を実行する社会装置としてのコンセプトを示す.
著者
Long John A.
出版者
日経サイエンス
雑誌
日経サイエンス (ISSN:0917009X)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.34-41, 2011-04

2005 年の8月,豪メルボルンにあるビクトリア博物館の研究チームは,同国北西部の有名な化石産地ゴーゴーで太古の魚の化石を見つけ,持ち帰ります。約3億 7500万年前の古生代デボン紀の海を泳いでいた最も原始的な魚類にして,最初に顎をもった脊椎動物,板皮類(ばんぴるい)の化石です。
著者
普光江 洋
出版者
特定非営利活動法人 日本顎咬合学会
雑誌
日本顎咬合学会誌 咬み合わせの科学 (ISSN:13468111)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.100-107, 2009

咬合学は臨床家にはとっつきにくい学問と思われがちですが,決して難しいものではありません.正常な咬合を有しているすべての人が,すでに有している機能を科学することで機能不全に陥った患者さんを治療する,あるいはその前段階で病気を食い止めようという学問です. 有歯顎の治療はもちろんのこと,義歯の咬合,近年はインプラント治療における上部構造物の咬合の与え方が,その予後を左右することは異論を挟むことのない事実です. かつて,咬合学は難解な学問でしたが,それは咬合のメカニズムを機械的に構築し論理づける,という長く根気のいる時代が背景にあったからです.しかし,現代では先人と同じ苦労をする必要はありません.いま,目の前にある結果と必要最小限のテクニックを身に付けることで,咬合を自分のものにすることができます. 前回の咬合教室,第1限目では,咬合のスタートラインである「基準点を何処に求めるのか」,「ターミナル・ヒンジ・アキシスとセントリックの関係」についての話を進めるために,日本の近代歯科学に道筋をつけた先生方に登場していただきました.今回の2時限目は「基準位」をどのように考え,どうすればそれを臨床に応用することができるのか,さらにセファロ分析を加えることによって「治療計画」の中で,"何が変わるのか"といったことを,具体的な例を交えて展開していきます.
著者
酒井 哲哉
出版者
JAPAN ASSOCIATION OF INTERNATIONAL RELATIONS
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
no.117, pp.121-139,L12, 1998

This essay intends to analyse the formative process of discourses on international politics in post-war Japan, and by doing so shed light on the hitherto neglected aspects of Japanese political thought. Most of previous studies have understood discourses on international politics in post-war Japan as a simple dichotomy, realism/idealism, and paid little attention to the intellectual contexts in which these discourses had their own roots; While "idealists" have searched for their identity in that Japan was reborn as a "peace-loving" nation after the end of the Pacific War, "realists" have acused the "idealists" of being naive. Both of them, however, seem to have overlooked or possibly masked from what kind of historical background discourses on international politics in post-war Japan had emerged and to what extent post-war discourses had been influenced by pre-war ones. Therefore, this essay will uncover the complicated relationship of political thought between post-war and pre-war Japan.<br>Chapter I "Morality, Power and Peace" treats how relationship between morality and power in international politics was argued during the early post-war era. Dogi-Kokka-Ron (Nation Based on Morality), the dominant discourse on peace immediately after Japan's surrender, insisted that Japan search for morality rather than power and by doing so exceed the principle of sovereignty, characterestic of modern states. In spite of its appearance, however, Dogi-Kokka-Ron contained echoes of philosophical argument of the Kyoto School which had advocated morality of Japan's wartime foreign policies vis-à-vis Western imperialism. Thus Maruyama Masao and other leading intellectuals, who belonged to the school known as Shimin-Shakai-Ha (Civil Society School), tried to differentiate their arguments from Dogi-Kokka-Ron and create another discourse on morality, power and peace. Since the Kyoto School had criticised harshly the modernity and nationalism during the Pacific War, Shimin-Shakai-Ha's undertakings resulted in reestimation of the modern nation-state. This chapter further elucidates Shimin-Shakai-Ha's ambivalent attitudes toward power and norm in international politics with special reference to its understandings of the concept of the equality of states.<br>Chapter II "Regionalism and Nationalism" focuses on Royama Masamichi's argument on regionalism. Regionalism was a difficult topic to handle during the early post-war era because it could bring to mind the idea of the Great East-Asia Co-Prosperity Sphere during the Pacific War. Royama, founder of the study on International Politics in Japan, was one of the rare figures who continued to advocate the significance of regionalism. This chapter surveys Royama's argument on regionalism from the mid-1920's to the mid-1950's and investigates how his concern about development and nationalism of Asian countries appeared within the framework of regionalism. Royama's argument is also suggestive for better understanding of the context in which the "Rostow-Reischauer line" surfaced in the early 1960's.<br>Chapter III "Collective Security and Neutralism" elucidates several aspects of this issue which have not been hitherto fully investigated. Whether positively or negatively, neutralism in post-war Japan has been understood as a typically "idealistic" attitude toward international politics. However, the context in which the concept of neutrality was understood and argued in the early post-war Japan was more complicated. Discourses on neutralism at that time had still echoes of the controversies over collective security during the inter-war years. The Yokota-Taoka Controversy which took place in the late-1940's witnessed the continuity of pre-war and post-war arguments on this issue. This chapter, therefore, focuses on the Yokota-Taoka Controversy and analyses its impact on the following arguments of
著者
西中 康明 石井 実
出版者
日本鱗翅学会
雑誌
蝶と蛾 (ISSN:00240974)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.202-216, 2006-06-30
参考文献数
36
被引用文献数
10

里山林における下刈りがチョウ類の種多様性および群集構造に与える影響を明らかにするために,1999年および2001年に,大阪府北部の三草山の里山林「三草山ゼフィルスの森」においてトランセクト調査を行った.調査地の林床は1999年にはササに被われていたが,2000年の秋以降,下層植生の下刈・非下刈帯を25m間隔で縞状に配置する管理(縞状管理)が試験的に行われた(Fig. 2). 2年間の調査の結果,合計52種1750個体のチョウ類が観察された(Table 1).そのうち日華区系(日浦, 1973)の種は35種(4種の日本固有種を含む)と全体の約67%を占めた.寄生植物に注目すると,落葉広葉樹食者(14種)や高茎草本食者(11),藤本食者(8),低木食者(7)などが多かったが,常緑広葉樹食者(2)は少なかった.低木食者にはササ食者を含めたが,そのうち3種のヒカゲチョウ類(クロヒカゲ,ヒカゲチョウ、サトキマダラヒカゲ)が両調査年ともに最上位の優占種であった(Table 2).このほか,落葉広葉樹食者であるミヤマセセリやミズイロオナガシジミ,アカシジミ,高茎草本食者であるヒメウラナミジャノメやジャノメチョウなども優占種に含まれた.チョウ類の種数と個体数は,縞状管理の完成前(1999年)の調査では41種975個体であったが,完成後(2001年)には46種775個体となり,種数は増加したものの,個体数は減少した(Table 1).チョウ類群集の種多様度や均衡度(H', 1-λ, J')は,いずれも2001年(3.99, 0.89, 0.72)のほうが1999年(3.40, 0.83, 0.64)よりも高かった.2001年のみに確認されたチョウ類は11種で,その中にはミドリヒョウモンやオオウラギンスジヒョウモンなどの森林性草本食者やウラミスジシジミ,ウラキンシジミ,ウラジロミドリシジミなどのゼフィルス類,環境省のレッド種であるオオムラサキなどが含まれていた.一方,1999年のみに確認されたチョウ類は6種で,そのうちの半数はオープンランド性の種(イチモンジセセリ,ジャコウアゲハ,ツバメシジミ)であった.寄生植物や成虫の食物,分布,化性などに基づいて分類した各グループの種の割合は,種数については調査年間での違いは認められなかった(Table 3).しかし,個体数の割合については,両調査年とも,日華区系の種であり,多化性,樹液食,ササ食の種でもあるクロヒカゲ,ヒカゲチョウ,サトキマダラヒカゲの3種が優占していたが,これらの種の割合は2001に大きく低下した(Tables 2, 3).それに対して,2種の1化性ヒョウモンチョウ類(ミドリヒョウモン,メスグロヒョウモン)を含む花蜜依存種や森林性草本食のチョウ類の個体数は2001年に増加した.季節変化をみると,種類は1999年には6月(16種)と8月(19)に2つの,2001年には6月(19),7月(16),8月(18),9月(12)に4つのピークが認められた(Fig. 3).密度については,両年ともに6月と9月にピークが認められたが,9月のピークは1999年(約フ5個体/km)の方が2001年(35)よりも高かった.また,種多様度(1-λ)は,両年とも5-9月の間,約0.8前後で比較的安定していたが,夏期と秋期については2001年の方がやや高かった.ヒョウモンチョウ類の密度は1999年より2001年の方が高く,特に9月下旬に最大(約3.5個体/km)となった.それに対して,ヒカゲチョウ類では2001年に密度が低下し,特に夏世代の密度は1999年(最大約65)に比べて,2001年(30)は2分の1以下であった(Fig. 4).以上のような結果から、縞状の下層植生管理は,調査地のチョウ類群集の種構成に大きな影響を及ぼさす,優占種であるササ食者の密度の低下や森林性草本食者の増加などを通じて,群集の種多様度を増加させることが示された.
著者
森 厚 川崎 宣昭 山崎 謙介
出版者
社団法人日本気象学会
雑誌
天気 (ISSN:05460921)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.113-116, 2010-02-28
著者
小田部 胤久
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.23-33, 1995-03-31

In European aesthetics in the first half of the eighteenth century "illusion theory" was predominant. This was founded on two basic postulates : 1) the copy, namely the work of art, should be 'transparent' in its representation of the original, 2) the 'address (i.e. skill) of the artist' arouses less interest as compared with "original'. The purpose of this paper is to show how Moses Mendelssohn, who had once accepted illusion theory in the Uber die Empfindungen (1755) and the Betrachtungen uber die Quellen...(1757), came to deny it, and what theoretical innovations he thence enabled. Lessing's explanation of the "vermischte Empfindungen" (see the Briefwechsel uber das Trauerspiel in 1757) made Mendelssohn aware of the insufficiency of the first postulate, and his own reflectiont on the sublime, especially on the 'subjective sublime' in the Uber das Erhabene... (1757) led him to deny the second postulate. The late Mendelssohn insisted : 1) the postulate of the transparency of representation is ill-founded because it does not take account of the representing subject, i.e. the recipient, 2) the work of art is a 'stamp of the abilities of the artist'. In conclusion : The traditional dualism 'original-copy' was about to transform itself into the modern scheme 'artist-work of art-recipient'.