著者
長 純一
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.75, 2008

〈緒言〉<BR> 長野県は男性1位、女性3位と長寿ながら、老人医療費が全国平均の約8割と最低であり、見習うべきモデルとされてきた。97年には厚生省が国保中央会に委託し、全国の統計調査と長野の調査がおこなわれ「市町村における医療費の背景要因に関する報告書」にまとめられた。報告書を一般書にした「PPKのすすめ」(水野肇・青山英康編・紀伊国屋書店)でも分析されているが、病床数など医療供給体制以上に医療費が抑制されているのが最大の特徴である。その要因分析では、ベッド数が少ない・平均在院日数が短い・在宅死が多い・保健師の数が多い・などから、地域医療が充実している・医療従事者の専門職としての自立性が高いなどがあげられている。しかしこの報告書は統計上の数値のみに注目し、いわば現象論のみの分析で、長野に特徴的な活動の歴史的社会的分析が科欠けている。またここ数年長野においても、『医療崩壊』とも表現される状況は深刻になっており、上記の報告書で分析された時点から大きく状況が変化している。これらの点をふまえ、新しい『健康長寿・低医療費の長野』の解釈を提示する。<BR>〈方法〉<BR> 97年の報告書と書籍を再検証すると共に、そこで取り上げられなかった長野県の医療特性を確認する。現状と医療史をたどると『厚生連農村医療』と『国保地域医療』が長野県医療の特徴と考えられるため、この活動を文献等から検証する。特に報告書等で低医療費の要因とされ『長野県は在宅医療・地域医療が充実しており、在宅死が多く、そのために医療費が低い』との在宅医療・死の神話ついて再検証する。<BR>〈結果〉<BR> 医療供給体制では民間医療機関が全国45位と少なく、県立や国立も少なく、一方公的医療機関(厚生連が病床数で18%強)が多い。これは厚生連が故若月俊一氏の下、戦後まもなくの時期に殆ど県立などに移管しなかったためと考えられる。また国保医療機関も多く、全国の国保地域医療を牽引してきた。厚生連と国保の活動は、保健活動や生活環境や食生活の改善等、病院の中での治療医学だけではなく、地域活動・予防医学を重視するなどの点で共通点を持つ。このような地域・患者にとって必要な活動は不採算でも積極的に取り組んできた事が、低医療費で健康長寿に貢献した可能性が高い。この姿勢と、それを公的及び公立医療機関が提供してきた事から、長野では高邁な理念のもと医療を『社会的共通資本』として捉え、実践してきた医療者の姿が読み取れる。この結果の一つが、高い在宅死率であったと考えられるが、近年極端に減少している。92年には32.4%と全国平均19.9%を大きく上回って全国一であったが、06年には13.7%と全国の12.2%と大差がないところまで低下した。特に94年以降極端に低下している。これは医療の機能分けが進められ、診療所が在宅医療を担い、一方で特に地方病院を窮地に追いやった医療政策が展開された時期に一致する。長野の在宅医療は実は国の描くような診療所ではなく、地域医療を実践する病院が不採算でも支えていたことが推定される。病院に厳しい医療情勢の上、在宅は診療所という方針により、長野の在宅死は激減した可能性が高い。このように長野を見習えと言ってきた国により、長野の医療神話は崩壊の危機に瀕している可能性が高く、再度長野の医療特性を検証し、歴史を踏まえた上で実情にあった医療政策を提言する必要がある。
著者
栄原 永遠男
出版者
大阪市立大学日本史学会
雑誌
市大日本史 (ISSN:13484508)
巻号頁・発行日
no.6, pp.1-12, 2003-05

はじめに : 天武天皇は、その一二年(六八三)一二月に、「凡そ都城・宮室、一処に非ず、必ず両参造らむ(下略)」という詔(後掲)を出した。著名な「」である。この詔によって打ち出された複都制の構想については、天武がいかなる構想を描いていたのか、それはどのような意図にもとづいていたのか、また、複数の都という構想は、当時の都の在り方として、どのように位置づけられるのかなど、検討すベき点や不明な点、興味深い点が多い。
出版者
宝島社
巻号頁・発行日
2016
著者
智頭町誌編さん委員会編
出版者
智頭町
巻号頁・発行日
1976
著者
北野 拓磨 福井 幸男 三谷 純 金森 由博
出版者
一般社団法人 映像情報メディア学会
雑誌
映像情報メディア学会技術報告 (ISSN:13426893)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.41-44, 2014

風船を用いて造成物をつくる行為のことをバルーンアートといい,特に,ツイストバルーンと呼ばれる細長いゴム風船をひねるなどして造成物をつくる行為を,バルーンモデリングという.本研究では,バルーンをふくらませるときの過渡的現象に焦点をあて,その物理的挙動を,非線形特性をもつばね質点モデルを用いて近似的にシミュレーションする手法を提案する.バルーンのゴム膜の弾性表現を,張力に対しては,非線形特性を持つ直線上のばねモデル,曲げモーメントに対しては,線形なばねを導入し,内部の空気を,粒子法を用いて表現し,ゴム膜と空気粒子の自己干渉,及び相互干渉を考慮する.弾性率の変化の度合いをモデル化するため,実物のバルーンにかかる力を計測し,バルーンの弾性係数のヒステリシス特性を推定する.推定した弾性係数をばねモデルに適用し,逐次的に膨らんでいくバルーンの挙動をCG表示して本モデル化の有効性を確認した.
著者
永田 久紀
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.1-10, 1978 (Released:2008-02-26)
参考文献数
44

体温調節の面からみると,ヒトはもともと寒い地域では生存できない生物である。今日人類が地球上のあらゆる地域で生存し繁栄しているのは,人類が衣服,住居,暖冷房などによって気候を人工的に調節する方法を考案したからにほかならない。この一事をみても衣服がヒトの体温調節の補助手段として非常に重要なものであることがわかるが,衣服の体温調節に果す役割が科学的に解明されはじめたのはそんなに古い時代のことではない。勿論,19世紀にMaxvon Pettenkoferが近代衛生学を確立した時点ですでに衣服の重要性は認識され,次いでMax Rubnerによって衣服の研究が行われたが,本格的に衣服の衛生学的,体温生理学的研究が始められたのは,わが国では昭和のはじめ頃,世界的には(主に米国で)第2次世界大戦のはじまる少し前の頃であった。その後研究は急速に進展し,衣服の体温調節に果す役割についていろいろな重要な事実があきらかにされたが,最近十数年は研究の進展にやや頭打ちの傾向が認められる。しかし勿論,衣服の体温調節に果す役割についてすべてが解明されたわけではない。いくつかの重要な問題がほとんど解明されないままになっている。この小文では,著者の乏しい知識の範囲内に限定されるが,衣服による気候調節,あるいは衣服の体温生理学的研究に関する従来の研究の経過をふりかえるとともに,今後いかなる研究が必要であるかを考えてみたい。
著者
金原 ひとみ
出版者
新潮社
雑誌
新潮
巻号頁・発行日
vol.117, no.6, pp.7-36, 2020-06
著者
萩原 真代
出版者
Nagasaki University (長崎大学)
巻号頁・発行日
2017
被引用文献数
20

identifier:Nagasaki University (長崎大学), 博士(医学) (2017-09-20)
著者
Sumida Stephen H.
出版者
東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター
雑誌
アメリカ太平洋研究 (ISSN:13462989)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.101-111, 2002-03

本稿では、1794年にハワイで起こったクキイアフという戦いを例に、抹消されていたネイティブ・ハワイアンの歴史上の出来事を再現し、その出来事を抹消した力がどれだけ強力なものであり続けてきたかを示していく。この作業は、サミュエル・マナイアカラニ・カマカウが著したRuling Chiefs of Hawai'i(1866)を基に行う。この本はネイティブ・ハワイアンが自らの土地を支配していた時代の著書であり、ネイティブ・ハワイアン中心の記述となっている。クキイアフとは、1794年にオアフ島で起こった、オアフ島の支配者カラニクプレと、カウアイ島・マウイ島・モロカイ島・ラナイ島の支配者であったカエオクラニとの間の戦いである。結果は、白人傭兵と彼らの軍艦の力を借りたカラニクプレの勝利に終わった。後のカメハメハ王のハワイ諸島統一にも影響を及ぼした、ネイティブ・ハワイアンの歴史上、重要な戦いである。戦いの舞台の一つとなったのは現在のパール・ハーバーであり、この地名はリリウオカラニの時代に別な事件で登場し、さらに1941年の日本軍の攻撃で有名になっているが、クキイアフについて知っている者は、今や殆どいない。歴史は誰のものなのか、誰が語り伝えていくのか、また誰が主体なのかが、その根底にある。ハワイの歴史が、ネイティブ・ハワイアンの手から別な者たちの手に移っていく過程で、クキイアフの抹消が起こった。本稿ではさらに、リリウオカラニの著書Hawaii's Story by Hawaii's Queen(1898)、ジョン・ドミニス・ホルトのWaimea Summer(1976)、ゲーリー・パクのThe Watcher of Waipuna and Other Stories(1992)、ロイス・アン・ヤマナカのWild Meat and the Bully Burgers(1996)を題材として、ハワイの文学作品を論じていくことで、植民地支配という状況下での文化的な作用、先住民の文化の喪失、自らの文化を取り戻していこうという試みなどについて明らかにしていく。また、多文化主義あるいはハワイの地元文化と、ネイティブ・ハワイアン中心の歴史抹消との関係についても検証する。
著者
秋葉 和温
出版者
養賢堂
雑誌
畜産の研究 (ISSN:00093874)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.267-272, 2015-03

○和歌山市: (1) 近畿地区獣医師大会に出席した。宇治→京阪電車で淀屋橋→ここから御堂筋線で難波→南海線で和歌山駅→バスで県庁前の市民会館。終了後,和歌山城に登る。(2) 鳥取のクラス会が和歌山市の教職員宿舎で開かれ出席した。有馬先生も元気に出席された。その前に少し南の三井寺に参拝した。翌日,和歌の浦方面,北の根来(ねごろ)寺にお参りした。昼食後に解散となり,私は粉河寺,華岡青洲の家などを訪れ,五条→大和高田→奈良→宇治→黄檗下車,バスで帰宅した。○高野山: 陸軍獣医部の紫陽会主催の会合が高野山の宿坊であり,その世話を奈良県在住の小山方玄君がしたというので,出席した。宇治→近鉄特急で吉野口→ここからJRで橋本駅→ここで南海電鉄で高野山口下車→バスで会合の宿坊に行く。1泊した。何箇所かのお寺を拝観し,奥の院にもお参りした。ここで高野槙を購入した。500円だった。この木は今も我が家の庭にある。行きに吉野口でのJRへの乗り換えに時間がかなりかかったので,帰りはコースを変えた。このほうが,料金も安かった。南海電鉄で難波→御堂筋線で淀屋橋駅→京阪電鉄に乗り換え三室戸駅→バスで帰宅した。
著者
加藤 和生 丸野 俊一 田嶌 誠一 笠原 正洋 後藤 晶子 田代 勝良 大隈 紘子
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

3年間を通して,以下の一連の研究を行った.(1)一般サンプル(大学生)を対象に,潜在的児童虐待被害の実態およびその心に及ぼす影響を検討した.その結果,多くの潜在化した被害者が存在すること明かとなった.(2)これまでに開発してきた「多重性児童虐待目録」の併存的妥当性を検討した.その結果,理論的に予想される方向の結果が得られ,妥当性が確認された.また「多重型児童虐待目録」を養護施設に措置された被虐待児に面接形式で実施し,臨床的妥当性の探索的検討を行った.本目録が,これらの子どもの体験した虐待経験を概ね測定していることが確認された.(3)F県3市の保育園に在園する幼児について,親による虐待の実態の大規模調査を保育士に実施した.その結果,約1.5%の潜在的被虐待児が存在することが明らかなった.また同時に,1-3歳児用・4-5歳児用の「幼児用児童虐待症状尺度」を開発した.(4)保育士の被虐待児の早期発見と対応に伴う問題点に関する質問紙調査を行い,その結果を質的に分析した.この結果をとおして,潜在化する被虐待児の早期発見と対応のための対策を考案する上で,今後の研究の手がかりを得た.(5)保育士による園内での児童虐待の実態を,大学生の回想報告の調査を行うことで明らかにした.(6)大規模な精神科医療機関に通院する患者における潜在的児童虐待被害の実態を調査した.(7)虐待通報が十分に行われていない理由として考えられる「虐待・しつけの認知」に関するズレを,13の職種の人たち(児童相談所職員,医師,検察官,保育士,教師,その他の職種,主婦,大学生など)について調査し,比較検討した.その結果,児童相談所の児童虐待に専門性をもつ人たちは,一般人(主婦,他の職種,大学生)よりも,虐待的行為をより非虐待的に見なしていることが明らかとなった.また他の職種の人の評定値は,これら2群の間にくることがわかった.
著者
岡本 奨
出版者
一般社団法人 日本調理科学会
雑誌
調理科学 (ISSN:09105360)
巻号頁・発行日
vol.9, no.3, pp.135-141, 1976-09-20 (Released:2013-04-26)
参考文献数
17
著者
早川 智
出版者
診断と治療社
雑誌
産科と婦人科 (ISSN:03869792)
巻号頁・発行日
vol.81, no.8, pp.1015-1017, 2014-08