著者
橋田 光代 松井 淑恵 北原 鉄朗 片寄 晴弘
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.1090-1099, 2009-03-15

音楽研究用のデータベースは近年の音楽情報検索技術の発展とともに整備されつつあるが,音楽の印象を決定づけるうえで重要な役割を担っている演奏表情を扱った共通データベースは,一部の民俗音楽学を対象とするものに限られてきた.我々は,音楽情報科学,音楽知覚認知,音楽学などにおける共通研究基盤の構築を目的として,伝統的西洋音楽におけるピアノ演奏を対象とした演奏表情データベースCrestMusePEDBの作成を進めている.現在,ver.1.0/2.0として計60演奏に対する演奏表情データが用意され,本データベースを利用した連携プロジェクトも開始された.本論文では,音楽演奏表情データベース構築上の課題を整理したうえで,CrestMusePEDBの概要,演奏表情データの作成手順について述べ,現在の利用状況,応用領域,課題について議論する.
著者
深澤 俊
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.77, pp.109-130, 2013-10-10

デイヴィッド・ロッジの『作者だ、作者』は、文学史上の大人物であるヘンリー・ジェイムズを素材に、伝記ではなく小説として作りあげたものである。ジェイムズは一時期、劇作家として表舞台に出ることを望んでいたが、戯曲『ガイ・ドンヴィル』公演初日に「作者だ! 作者!」の歓声に応えて舞台に立つと、ひどいブーイングにさらされて衝撃を受け、以後劇作家の道を断念する。そしてジェイムズは、後期の偉大な小説群を生み出すことになる。ロッジはこの事実に焦点を当て、当時の売れっ子であったデュ・モーリェとジェイムズとの交流に比重をかけて小説化した。この小説の背景となるヴィクトリア朝の演劇事情、大当たりをとったデュ・モーリェの小説『トリルビー』に言及しながら、ロッジの小説に込めたメッセージを解きほぐす。
著者
橋本, 養邦
出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],
著者
原田 卓弥 鈴木 貴之 戸花 善紀 湯口 雅史 Takuya HARADA Takayuki SUZUKI Yoshiki TOHANA Masafumi YUGUCHI
出版者
鳴門教育大学地域連携センター
雑誌
鳴門教育大学学校教育研究紀要 = Bulletin of Center for Collaboration in Community Naruto University of Education (ISSN:18806864)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.95-102, 2019-02

新学習指導要領では,「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善を求めており,主体的に学びに参加する子どもの育成を推し進めている。体育科では,運動への好意的なかかわりの2極化傾向が課題として挙げられ,負の極に位置する子どもに焦点を当てた授業展開に大きな関心が寄せられている。陸上運動・リレーにおいて,走力の差が主体的な学びへの参加の差にも現れている現状をふまえ,「運動の本質的なおもしろさ」に着目して,走路が全て円形という教材の開発を図った。そして,ワークシートから収集したデータをテキストマイニングにより分析した結果,主体的に学びに参加している子どもの姿を確認することで,「サークルリレー」という教材の有用性が示唆された。

1 0 0 0 OA 江戸暦

出版者
巻号頁・発行日
vol.[10], 1727
著者
斎藤謙 撰
巻号頁・発行日
1834-04-01
出版者
水産総合研究センター
雑誌
水産総合研究センター研究報告 (ISSN:13469894)
巻号頁・発行日
no.30, pp.1-104, 2010-06

2006〜2008年に亘るアーカイバルタグなどを用いた標識放流の研究から以下のことが明らかとなった。すなわち、日本海におけるブリ0〜1歳魚の移動範囲は、小規模であり、能登半島以西の0〜1歳魚は放流海域付近に滞留し、大きな移動は行わない。日本海北部となる能登半島以北の0〜1歳魚は能登半島(輪島)〜青森沖の範囲に留まり、越冬期にも寒冷レジームであった1980年代と異なり能登半島以西には移動しない。アーカイバルタグの水温履歴の解析から、最低水温期(3〜4月)に能登半島以北の海域を遊泳していた若齢魚が見出され、環境水温は10℃以上であった。よって、現段階では、最低水温期に10℃以上の海域がブリ幼魚の越冬可能な海域であると仮定することができるとみられた。これに基づき、ブリ幼魚の越冬可能な海域の範囲について経年変化を調べた結果、冬期(最低水温期3、4月)における水温分布の変化が年代による分布回遊の変動の主要因になっていた可能性があるとみられた。既往の知見および本研究の成果を総合すると、日本海側に来遊したブリ未成魚(0〜2歳)は各地の沿岸で小規模な季節回遊を行い、回遊範囲を拡大しながら成長するものの、現在の温暖レジーム下では、産卵期を迎える3歳までは能登半島を境にして北部海域と中西部海域のそれぞれの海域で回遊するものと推定された。日本海側の海域別・年齢別漁獲尾数の解析から、同一年級の0歳時の漁獲尾数と3歳時の漁獲尾数の間には高い正の相関がみられ、日本海側各海域において漁獲された0歳魚の尾数をキーとしてその後の同一年級群の漁況予報を行うことの可能性が示された。異なる水温でブリ仔魚を飼育し、18〜22℃の範囲では水温が高いほど耳石の成長が良いという傾向を明らかにした。この関係と、実際に東シナ海、日本海で採集された仔稚幼魚の耳石の初期成長試料とを付きあわせることで、ブリの産卵海域は、産卵初期の2月には水温の高い東シナ海南部、その後徐々に低水温域に移行し、産卵終期の6月には日本海西部付近であった可能性が示された。
著者
寺尾 寿芳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.369-391, 2003

現代日本におけるカトリック教会が秘めるNPO的な可能性に配慮しつつ、宗教経営学の観点からことにその組織マネジメントを模索していく。現代の教会は、成長期であった戦後復興期と同様に生活上での激変つまり生活有事といえる事態を迎えるなかで、変革への条件を満たしつつある。また伝統的な小教区教会とその周辺に発生する諸共同体を加えた拡大形態を教会共同体と名づけるが、そこでは外国籍信徒の生活有事を背景とした流入により、「無縁」の原理さらにはコムニタスを体現したアジールたることが要請され、また文化相対主義に通じる多文化主義を採用せざるをえない現状を呈している。聖職者や修道者は場のマネジメントにおいてファシリテーターであり、現場の状況に添った形で教会共同体を運営する。ことに司祭は外部の公共イベントへの参加などを通じ、社会的認知の獲得のため、開かれた祭儀を企画するプロデューサー的機能を発揮する。このような視圏を提供する宗教経営学は共生の技法と呼べるものであろう。
著者
福田 景道
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 (ISSN:18808581)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.114-126, 2015-12-22

東宮保明親王早世の悲劇は、皇統の行く末を揺るがし、『後撰集』や『大和物語』の素材となって流布し、夭折した東宮を意味する「先坊(前坊)」は保明の別称として定着していった。その流れを承けて『源氏物語』の六条御息所の物語や『大鏡』の先坊と大后の物語が形成されたのである。『源氏』『大鏡』両作の影響は後世に広く及び、先坊像を発展させ、『今鏡』の先坊を生み出し、中世新時代に至るまで途絶することはなかった。十三世紀初頭には先坊は明確な形象を獲得し、『浅茅が露』『いはでしのぶ』などの中世王朝物語の世界で安定した存在感をもって多出するようになったと思われる。同時に、歴史物語の系統では皇位継承史の要諦として枢要な役割を果たし続ける。『大鏡』では先坊の母后として「大后」穏子が皇位継承を主導し、『今鏡』では立坊していない敦文親王が先坊として機能し、『六代勝事記』でも仲恭帝が先坊の扱いを受けて皇統変更を象徴する。これらの伝流を継受して、『増鏡』の先坊邦良親王が造型されたのである。和歌文学、歌物語、作り物語、歴史物語で醸成された先坊が『増鏡』の邦良親王像に結実したとも言える。
著者
能登路雅子
出版者
新曜社
雑誌
観光人類学
巻号頁・発行日
pp.93-102, 1996
被引用文献数
1
著者
江口 洌 エグチ キヨシ Kiyoshi EGUCHI
雑誌
千葉商大紀要
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.94-73, 2003-09-30

『書紀』は,天皇位に空白があってはいけないことを書いている。しかし『書紀』の紀年構成を見ていくと,その天皇位空白年が六ヶ所もある。それも3年に及ぶ空白もある。どうしてその空白を『書紀』は認めているのだろう。その理由を探ってみたい。紀年構成の理解には,暦数と易数への理解が必要である。日の皇子思想を強調する天皇王権は,太陽神と天皇権を重ねる目的で,太陽の運行(暦数)や天・地・人の相関関係の数字(易の三才関係の数字)を神秘化して,天皇紀を創っている。ここではその空位期間の1つである初代天皇神武崩御年から2代天皇綏靖即位年までの3年間の空位がどうして生じているのか,その理由を探ってみた。『書紀』時代の天皇を基軸として組み立てられた紀年構成において,神武と綏靖とを「威霊再生の関係」で以て,天武と元明とに関係づけようとした結果であることを説く。
著者
奥村 隆
出版者
関東社会学会
雑誌
年報社会学論集 (ISSN:09194363)
巻号頁・発行日
vol.1992, no.5, pp.25-36, 1992-06-05 (Released:2010-04-21)
参考文献数
22

Why does a person get contact with mass media? Why does he take part in “mass communication process”? In this paper, I answer this primitive question by referring to the apparatus with which an audience can make “subject” of himself. “Mass communication process” always includes this apparatus, which can involve so many people in this process so deeply. I examine this hypothesis in two ways. First, I analyse some media frames of the news on foreigners in Japan in 1980's. Second, I compare “mass communication process” with some cases of direct interpersonal process and try to extract the essence of “mass communication process” itself.