著者
宮之原 匡子 Kyoko Miyanohara 桃山学院大学文学研究科博士後期課程
雑誌
国際文化論集 = INTERCULTURAL STUDIES (ISSN:09170219)
巻号頁・発行日
no.26, pp.81-99, 2002-07-20

By confining the whole action of the play to an island in the sea in The Tempest, Shakespeare presented it as the place of purification or regeneration, the locus of sea-change. In this island for twelve years Prospero continued to devote himself to the study of white magic, while at the same time fostering Miranda to be a pure and wonderful woman. The mutual love at the first sight between her and Ferdinand, the crown prince of Naples, encourages to cultivate virtues of endurance and devotion. The “marriage of true minds” not only leads to the new auspicious relationship between Milan and Naples, but also brings the hope of prosperity and happiness of both countries. Experiencing distress and suffering in the island, the hateful enemies to Prospero, except for his brother Antonio, repent of their past foul acts and regenerate themselves. Prospero himself also undergoes spiritual growth, and he forgives even his incorrigible brother who usurped the dukedom of Milan and put him and his three-year old daughter to certain death. Under Prospero's theurgical power, the island becomes the place of regeneration, enabling true love of the innocent young, repentance of the wicked through suffering, spiritual growth after discovering their true selves, reconcilation of the adversaries. Thus, a hope of the restoration of peace and order once destroyed is made possible.
著者
北島 純
雑誌
社会構想研究 = Journal of Social Design (ISSN:2433670X)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.35-44, 2022-09-30

本論文は,広告をはじめとする表現活動が「文化の盗用」の非難を浴びせられるリスクを回避するために必要な考慮要素を,ジェームズ・O・ヤングの文化的盗用論,文化的植民地主義論及び無形文化遺産保護条約制度を参考にして検討したものである。伊ヴァレンティノのCMが非難を浴びた事案等の検討を通じて,無形文化遺産保護条約の規定する無形文化遺産一覧表の該当性,広告内容の強度性,不当な危害・不快感の有無,強者の視点への偏り(少数者への配慮),広告市場の客観的状況と歴史的コンテクスト,広告当事者の「声」の想起(対話性)という要素が,伝統文化に関わる広告等の表現活動の適切性を事前判断する基準になりうることを論じた。
著者
永井 敦子 ナガイ アツコ Atsuko NAGAI
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.23, pp.1-10, 2023-03-31

本論文では16世紀の王令における文書作成に関する規定を検証する。1490年代から16世紀にかけて、王権は長大な王令を繰り返し発布し、王国の司法制度・課税制度をそこに書き表しただけでなく、高等法院その他の裁判所に、王令の文字どおりの遵守、および王令に基づいた判決を命じた。またそれらの王令においては、それぞれの裁判所の判決、公証人の証書類、貴族の名簿、そして教区簿冊といった、文書記録の作成と参照についての規定が増えていく。これを本論では行政の文書化として捉える。16世紀後半のフランスは宗教戦争期にあたるが、文書化の視点を加えることによって、当時の治安行政(ポリス)を含めた行政体制を見直すきっかけとしたい。
著者
服藤 早苗 Sanae FUKUTO
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 = Bulletin of Saitama Gakuen University. Faculty of Humanities (ISSN:13470515)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.342(27)-327(42), 2011-12-01

十世紀から十二世紀にかけて、新嘗祭・大嘗祭に舞った五節舞姫で名前や出自がわかる44人を検討した。十世紀初期は公卿層でも実子を舞姫に献上していたこと、十世紀から十一世紀中頃にかけて現存の受領層女が公卿層の舞姫になっていたこと、殿上五節舞姫は十世紀後半以降も実女の可能性が高い事、十一世紀中期以降は、大嘗祭献上舞姫叙爵が実際に行われた事、十二世紀には公卿献上者の高位の親族や近臣女性が舞姫になっていたこと、等を指摘した。

3 0 0 0 OA 熊祭りの起源

著者
春成 秀爾
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.57-106, 1995-03-31

熊祭りは,20世紀にはヨーロッパからアジア,アメリカの極北から亜極北の森林地帯の狩猟民族の間に分布していた。それは,「森の主」,「森の王」としての熊を歓待して殺し,その霊を神の国に送り返すことによって,自然の恵みが豊かにもたらされるというモチーフをもち,広く分布しているにもかかわらず,その形式は著しい類似を示す。そこで人類学の研究者は,熊祭りは世界のどこかで一元的に発生し,そこから世界各地に伝播したという仮説を提出している。しかし,熊祭りの起源については,それぞれの地域の熊儀礼の痕跡を歴史的にたどることによって,はじめて追究可能となる。熊儀礼の考古学的証拠は,熊をかたどった製品と,特別扱いした熊の骨である。熊を,石,粘土,骨でかたどった製品は,新石器時代から存在する。現在知られている資料は,シベリア西部のオビ川・イェニセイ川中流域,沿海州のアムール川下流域,日本の北海道・東北地方の3地域に集中している。それぞれの地域の造形品の年代は,西シベリアでは4,5千年前,沿海州でも4,5千年前,北日本では7,8千年前までさかのぼる。その形状は,3地域間では類似よりも差異が目につく。熊に対する信仰・儀礼が多元的に始まったことを示唆しているのであろう。その一方,北海道のオホーツク海沿岸部で展開したオホーツク文化(4~9世紀)には,住居の奥に熊を主に,鹿,狸,アザラシ,オットセイなどの頭骨を積み上げて呪物とする習俗があった。それらの動物のうち熊については,仔熊を飼育し,熊儀礼をしたあと,その骨を保存したことがわかっている。これは,中国の遼寧,黄河中流域で始まり,北はアムール川流域からサハリン,南は東南アジア,オセアニアまで広まった豚を飼い,その頭骨や下顎骨を住居の内外に保存する習俗が,北海道のオホーツク文化において熊などの頭骨におきかわったものである。豚の頭骨や下顎骨を保存するのは,中国の古文献によると,生者を死霊から護るためである。オホーツク文化ではまた,サメの骨や鹿の角を用いて熊の小像を作っている。熊の飼育,熊の骨の保存,熊の小像は,後世のアイヌ族の熊送り(イヨマンテ)の構成要素と共通する。熊の造形品は,オホーツク文化に先行する北海道の続縄文文化(前2~7世紀)で盛んに作っていた。続縄文文化につづく擦文文化(7~11世紀)の担い手がアイヌ族の直系祖先である。彼らは,飼った熊を送るというオホーツク文化の特徴ある熊祭りの形式を採り入れ,自らの発展により,サハリンそしてアムール川下流域まで普及させたことになろう。それに対して,西シベリアでは,狩った熊を送るという熊祭りの形式を発展させていた。そして,長期にわたる諸民族間の交流の間に,熊祭りはその分布範囲を広げる一方,そのモチーフは類似度を次第に増すにいたったのであろう。
著者
廣川 純也 深澤 拓海 松村 冬子 原田 実
雑誌
研究報告自然言語処理(NL) (ISSN:21888779)
巻号頁・発行日
vol.2016-NL-225, no.3, pp.1-7, 2016-01-15

言語処理システムの基盤技術である形態素解析では既に高い精度が実現されている.しかし,方言やネットスラングなどの標準語から外れた日本語文を解析する際,それらの表現が形態素解析で用いる辞書に登録されていないため,正しく解析ができない場合がある.本研究では方言の中でも特に関西弁を含む日本語文の形態素解析の精度向上を目指し,形態素解析器 JUMAN に関西弁特有の語の表記や活用形,連接規則を追加することで,従来は未知語として処理されていた語の正しい解析を実現する.
著者
西本 豊弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.1-15, 2003-10-31

これまで,一般的に縄文時代の家畜はイヌのみであり,ブタなどの家畜はいないと言われてきた。しかし,イノシシ形土製品やイノシシの埋葬,離島でのイノシシ出土例から縄文時代のイノシシ飼育が議論されてきた。イノシシ飼育の主張でもっとも大きな問題点は,縄文時代のイノシシ骨に家畜化現象が見られなかったことである。ところが縄文時代のイノシシ骨の中にも家畜化現象と疑われる例があることが分かった。また,イノシシがヒトやイヌと共に埋葬されている例が知られるようになり,改めてイノシシについてヒトやイヌとの共通性を議論する必要が出てきた。そこで,本論では千葉県茂原市下太田貝塚出土資料を紹介するとともに,イノシシ形土製品・イノシシ埋葬・離島のイノシシ・骨格の家畜化現象の4項目について再検討した。その結果,文化的要素からみれば,縄文時代中期以降にブタが飼育されていたことはほぼ確実である。また,離島への持ち込みという文化的項目と骨格の家畜化現象の点から見ると,縄文前期からすでにブタが飼育されていた可能性が大きいことが分かった。しかし,縄文時代のブタは,骨格的変化が小さいことから,野生イノシシと家畜のブタが交雑可能な程度のかなり粗放的な飼育であったと推測された。ブタの存在がほぼ確実になったことは,縄文時代が単純な狩猟・漁労・採集経済ではなく,イヌとブタを飼育し,ある程度の栽培植物を利用する新石器文化であったことを意味するものである。