著者
岩城 麻子 前田 宜浩 森川 信之 武村 俊介 藤原 広行
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

地震ハザード評価において、長周期(ここでは周期およそ1秒以上を指す)の理論的手法による地震動計算では一般的には均質な層構造からなる速度構造モデルが用いられることが多いが、現実の地下構造には様々なスケールの不均質性が存在する。長周期地震動ハザード評価の対象周期を周期1~2秒まで確保するためには、特に数秒以下の周期帯域で媒質の不均質性の影響を評価することは重要である。本研究では、首都圏の詳細な地盤モデルを用いて、深部地盤以深の媒質のランダム不均質性がVS=350m/s程度の解放工学的基盤上での長周期地震動へ及ぼす影響とその周期帯域を評価する。首都圏の浅部・深部統合地盤モデルの深部地盤構造部分(地震本部, 2017)(最小VS=350m/s)のうち、上部地殻に相当する層(VS=3200, 3400 m/s)の媒質物性値に、指数関数型の自己相関関数で特徴づけられるランダム不均質を導入した。相関距離aは水平、鉛直方向で等しいと仮定し、1 km, 3 km, 5 km の3通りのモデルを作成した。標準偏差εは本検討では5%に固定し、物性値に不均質性を与える際、平均値±3ε を上限・下限値とした。地震波散乱の影響は不均質の相関距離と同程度の波長に対応する周期よりも短周期の地震動に表れると考えられる(例えば佐藤・翠川, 2016)。波長1、3、5 km に対応する周期はそれぞれおよそ0.3、0.9、1.5秒であり、周期1秒以上の長周期地震動の計算結果に対する系統的な影響は大きくはないことが予想されるが、不均質性の導入による地震動のばらつきを見積もることも必要である。異なる震源位置やパルス幅(smoothed ramp関数で3.3秒および0.5秒幅)を持つ複数の点震源モデルを用いて、3次元差分法(GMS; 青井・他, 2004)で周期1秒以上を対象とした地震動計算を行った。パルス幅が3.3秒の場合、震源から放出される波の波長はおよそ10 kmとなり、不均質媒質の特徴的な長さaよりも長い。パルス幅が0.5秒の場合、波長はおよそ1.7 kmであり、aと比べておおむね同等から短い波長となる。各震源モデルについて、不均質媒質を導入していないモデルによる計算結果に対する不均質媒質を導入したモデルによる計算結果の比(不均質/均質比)をPGVや5%減衰速度応答スペクトルについて調べた。不均質/均質比の空間分布は地震動の強さそのものには寄らずランダム不均質媒質に依存することが分かった。不均質/均質比は計算領域全体の平均としてはほぼ1になった。つまり、領域全体で見た場合、この条件下でこの周期帯では不均質媒質によって系統的に地震動が大きくまたは小さくなるということはほとんどなかった。一方、不均質/均質比のばらつき(標準偏差)は震源距離に応じて大きくなった。また、パルス幅の短い震源モデルの方が、パルス幅の長いモデルと比べて不均質性の影響が大きく、比のばらつきも大きかった。パルス幅の短いモデルでは震源から放出される波の波長が媒質の特徴的な波長に近く、パルス幅の長いモデルと比べて同じ伝播距離に対する波数が多いため、不均質媒質の影響がより強く出るものと考えられる。同じ震源距離で見ると比のばらつきは地震動の短周期成分ほど大きいことも分かった。今回検討した範囲では、地殻内のランダム不均質媒質が周期1秒以上の長周期地震動の計算結果におよぼす影響として、計算領域全体の平均値への系統的な影響よりもむしろ、予測問題における地震動ばらつきを生じさせる影響がより顕著に認められた。今後はパラメータ範囲を広げた検討や、より浅い地盤構造の不均質性をモデル化した検討も必要であると考えている。
著者
萬年 一剛
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

現行の降下火山灰のシミュレーションコードは、いずれも火口から垂直に上昇する噴煙柱を仮定している。この仮定はシンプルではあるが、実際の噴煙柱は風の影響を受けて曲がり、その効果は弱い噴煙ほど大きい。このため、どちらかと言えば弱い噴煙を対象としている現行の移流拡散モデルでは、強い風の環境下で発生した噴火における降下火山灰の分布を再現できない。広く利用されている移流拡散モデルに基づく降下テフラシミュレーションコードTephra2もその例外ではない。 最近、風による噴煙柱の曲がり方の定式化が試みられてきている。今回、Woodhouse et al. (2013)に基づき、風の影響を取り入れた改造版Tephra2(仮称Windy Tephra; wt)を開発したので報告する。 Woodhouse et al. (2013)では、風がある環境下で、噴煙中心の座標、噴煙の径、上昇速度、温度などを計算できる。一方、Tephra2では粒度別、噴煙高度別に、地表における分布中心の座標が計算される。wtはWoodhouse et al. (2013)による各高度の噴出中心の座標に、オリジナルのTephra2で計算される落下開始地点を原点とした分布中心の座標を足して、地表における分布中心の座標を求めた。また、Tephra2では地表における粒子の拡がりは、噴煙径と落下中の拡散の和として表現されるが、wtではこの噴煙径をWoodhouse et al. (2013)のものにした。 発表では新燃岳2011年噴火を例に、実際の堆積物分布とwtにより計算された堆積物分布の比較検討を行う。
著者
福原 絃太 谷岡 勇市郎
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

1611年慶長津波地震は、1896年明治三陸津波地震の1つ前の津波地震として知られている。この地震の震度は4程度であり、津波の高さが高い所で30m程度あったとの歴史史料から津波地震であったとされている。さらに津波は本震の4時間程度後に襲っており、大きな津波は余震(最大震度3程度)により発生したとされている。しかし、この津波被害を記述した歴史史料の中には信頼性が低いとされているものも多く存在するとされてきた。最近になり、蝦名・高橋(2014)や蝦名・今井(2014)により歴史史料が精査され、信頼度の高い歴史史料のデータセットが作成された。そこで本研究では、蝦名・今井(2014)の歴史史料データを全て説明できる1611年慶長三陸津波地震の最適断層モデルの推定を試みる。まず、1611年の歴史史料データと2011年東北地方太平洋沖地震津波で調査された浸水域を比較すると1611年慶長津波の浸水域は2011年東北地方太平洋沖津波の浸水域と同程度または上回っていることが分かった。特に岩手県宮古や岩手県小谷鳥,宮城県岩沼では1611年の方が内陸まで浸水していることがわかった.このことから1611年慶長津波地震は2011年東北地方太平洋沖地震と同程度またはそれ以上の規模であったと考えられる.次に断層モデルによる津波遡上計算を実施し、歴史史料の記述との整合性を比較する。断層の傾斜角とすべり角はプレート境界型地震を仮定し、10度および90度とした。また、津波地震であったことを考え断層は日本海溝まで達するとした。津波の数値計算は震源域を含む広域では線形長波近似を用いて水平方向30秒格子間隔で実施した。さらに、歴史史料(蝦名・今井2014)の存在する地点を全て含む6つの地域では津波遡上計算を実施した。遡上計算実施地域は30m格子間隔を用いた。津波痕跡分布から断層の位置と長さを推定するために1枚の矩形断層を仮定し,津波の線形長波計算を行いおおよその断層位置と長さを推定した.その後,津波痕跡データがある6つの地域において津波浸水計算を行い,用いたデータすべてを説明できるモデルを推定した.その結果,長さ250km,幅100km,すべり量80mが必要であることが分かった(Mw9.1).しかし、この断層モデルでは仙台平野において、浸水範囲が過大評価になっていることが分かった.そこで,断層を長さ100kmの北部と150kmの南部の2枚の矩形断層に分け、最適のすべり量を推定した。その結果,北部のすべり量は80mのままで、南部の断層のすべり量は40m程度で歴史史料と整合的な結果を得ることができた。その結果から推定された1611年慶長三陸津波地震のMwは9.0となった。上記の結果を2011年東北地方太平洋沖地震のすべり量分布と比較すると、今回80mの大すべりが推定された北部の断層は2011年東北地震ではすべっていないことが分かった。しかし、今回40mのすべりが推定された南部の断層は、2011年東北地震により大きくすべった場所と一致することが分かった。つまり、1611年慶長三陸津波地震で大きくすべった場所が2011年東北地方太平洋沖地震で再びすべったこととなる。さらに、869年貞観地震によりすべった場所が742年後に1611年慶長三陸津波地震ですべり、400年後に2011年東北地方太平洋沖地震によりすべったこととなる。太平洋プレートのこの地域での収束速度は1年間に約9cmであることを考えると742年後に60m程度すべる巨大地震が発生することは可能であり、1611年慶長三陸津波地震での40mのすべりは十分可能と思われる。さらに400年後には36mすべることが可能となるが2011年東地方太平洋沖地震の最大すべりは50m程度であり、少し大きすぎる。しかし、1611年慶長地震は津波地震であることなどから2つの巨大地震の詳細なすべり量分布が違っていると考えれば説明可能かもしれない。 参考文献蝦名裕一・今井健太郎,2014,史料や伝承に基づく1611年慶長奥州地震の津波痕跡調査,津波工学研究報告,第31号,p139-148蝦名裕一・高橋裕史,2014,『ビスカイノ報告』における1611年慶長奥州地震津波の記述について,歴史地震,第29号,p195-207
著者
寺田 健太郎 横田 勝一郎 斎藤 義文 北村 成寿 浅村 和史 西野 真木
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

Oxygen, the most abundant element of Earth and Moon, is a key element to understand the various processes in the Solar system, since it behaves not only as gaseous phase but also as the solid phase (silicates). Here, we report observations from the Japanese spacecraft Kaguya of significant 1-10 keV O+ ions only when the Moon was in the Earth’s plasma sheet. Considering the valence and energy of observed ions, we conclude that terrestrial oxygen has been transported to the Moon from the Earth’s upper atmosphere (at least 2.6 x 104 ions cm-2 sec-1). This new finding could be a clue to understand the complicated fractionation of oxygen isotopic composition of the very surface of lunar regolith (particularly the provenance of a 16O-poor component), which has been a big issue in the Earth and Planetary science.
著者
緒方 誠 岩田 訓 後藤 和彦
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

桜島の大正大噴火の際、1914年(大正3年)1月12日18時28分頃に発生した地震については、当時の震度分布や被害等から鹿児島湾に震源があり、その規模はM7.1というのが現在の通説となっている(Omori(1922)、宇津(1982:気象庁カタログ採用)や、阿部(1981))。今般、大正噴火から100年が経過し、次の大正級噴火が近づく中、現存する地震記象紙や原簿・文献等を再点検し、現在気象庁で使用している速度構造(JMA2001)を用いて震源位置の再評価を試みることにした。この地震については、当時、鹿児島測候所に設置されていたグレー・ミルン・ユーイング式地震計の地震記象紙が現存しており、強震動の初動部分のみ記録し、その後は記録針が振り切れて記録は途絶えている。今回の調査では波形をデジタイズし、初動部分の解析を行った。その結果、初動から期待される震央の方向は、鹿児島測候所(鹿児島市坂元町)から見て南東象限であることが明らかとなった。次に、文献や原簿等に記載された日本国内(一部当時の統治領含む)のS-P時間(初期微動継続時間とされているもの)について収集・整理を行った。この際、地震記象紙が現存しているものについては、可能な限りP相、S相の読み取りを行った。そして、収集したS-P時間データを用いて震源決定を行った。S-P時間を収集した観測点数は20数点となったが、原簿や文献、読み取り値により同一観測点で複数の値が存在し、その値が大きく異なる場合もあるため、後藤(2013)が1911年喜界島近海の巨大地震の震源再評価で用いた手法を参考に震源計算に使用する観測点やS-P時間の選別を行った。最終的には、9観測点のS-P時間データで震源計算を行い、鹿児島市付近に震源が求められた。なお、震源計算には、気象庁カタログ(過去部分)の改訂作業に使用しているツール(走時表は、気象庁が現行の震源計算に用いているJMA2001準拠であるが、観測点の距離による重みは観測網を考慮しJMA2001前に使用していたもの)を使用している。本調査には、気象官署が保管している地震記象紙を地震調査研究推進本部が(公財)地震予知研究振興会に委託して行っている強震波形収集事業で高解像度スキャンしたファイルのほか、国立国会図書館、東京大学地震研究所所有の資料を使用しました。
著者
郡司菜津美 岡部大介# 大内里紗 松嶋秀明 有元典文
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第58回総会
巻号頁・発行日
2016-09-22

企画趣旨 本シンポジウムでは,学校インターンシップに着目し,状況論から見える2つの「思い込み」について議論してみたい。 学校インターンシップとは,「教員養成系の学部や学科を中心に,教職課程の学生に,学校現場において教育活動や校務,部活動などに関する支援や補助業務(文部科学省,2015)」のことであり,教員免許取得に必須である「教育実習」とは異なる位置付けで導入されはじめている。文部科学省は,この学校インターンシップの導入により,「理論と実践の往還による実践的指導力の基礎の育成」が達成されることを期待しているが,その学びを確実なものとするためには,十分な環境整備が必要であることも強調している。実際に,学生を受け入れる学校の確保,学生への事前・事後指導,学校側のニーズを把握する情報提供機会の確保といった環境整備のためには,教育委員会と学校,及び大学が十分に連携する必要があるだろう。 しかし,実態として,学生・現場教員・大学教員が連携するためのシステムは未だ十分に構築されているとは言い難く,学生が「理論と実践を往還する」ための十分な取り組みがなされていない現状がある(麻生,2016)。本シンポジウムでは,こうした現状を打開する一つの手立てとして,2つの「思い込み」に着目してみたい。2つの「思い込み」とは⑴学校インターンシップは「インターン個人が学習する機会」であり,⑵指導者が「その場で指導するもの」であるといったものである。これらの学校インターンシップに関する思い込みは,学校インターンシップという「インターンの学習のための制度」が前提となったカメラワークによって現前してしまうものであり,状況的学習論は個人から状況へとカメラをズームアウトすることにその特徴がある。本シンポジウムでは,2人の話題提供者から,それぞれの「思い込み」についての知見を提供していただき,今後の学校インターンシップのあり方について再考していきたい。本シンポジウムでは話題提供・指定討論の後,参加型のワークショップ形式でフロアとの対話を深めていきたいと考えている。話題提供学校インターンシップは「インターン個人が学習する機会」なのか?大内里紗(横浜国立大学大学院) 横浜国立大学大学院のカリキュラムには,「教育インターン」という必修科目が設けられている。今回は筆者の「教育インターン」における実践について紹介することで,学校インターンシップでは誰が・どのように・学習するのか,ということについて議論していきたい。 本実践は,非行・いじめ・校内暴力・学級崩壊などの問題を持つ課題集中校である公立中学校で行った。生徒指導上の問題を持つ男子生徒2名(P, Q)に対し,中学校教員と大学チームが連携して支援を行った。実践では,P, Qにとって必要な教材や人材といった支援・指導は何かを,かれら当事者2名と教員,大学の支援チームが共に話し合うオープン・ダイアログ形式(Seikkula and Olson, 2003)を採用した。この支援実践は「中・大連携学習環境デザイン研究」と名付けられ,中学校と大学チームの共同研究いう形式でP, Qも研究者の一員として始められた。2016年5月までに6回の実践を行い,うち3回が面接を,3回が学習支援を中心とした実践であった。 本シンポジウムでは第6回の実践における支援とその後の中学校教員と大学チームの対応を事例として,学校インターンシップが誰にとっての,どのような学習の場であるのか,を検討する。第6回はP, Qが中学3年生になって初めての,面接を中心とした実践であった。実践ではP, Qにまず学習,生活面それぞれにおいて「今困っていること」について尋ねた。志望高校についての意思表明とそのために必要な勉強への言及があったその後,「部活のルールが納得できないでいる」という話題が始まった。昨年,彼らが2年生の時に顧問によって作られた10のルールが,今年に入ってから25に増えたという。そのルールには挨拶や荷物の整理整頓といったかれらにとっても了解可能な内容のほかに,部活を続ける条件としての成績,関心意欲に対する評価の下限が設定されているのだという。他の生徒に比べて学力が低いという認識のある彼らには,これは「自分たちの力でどうにもならないルール」だと思え,納得できないと主張した。「筋が通らないことだ」,と彼らは大学チームにその憤りを伝えた。大学チームはかれらの前で意見交換をした。いわく,二人の不満は理にかなっているように思える。これを教員に伝えた方が良いだろうか。そして二人に先生たちに伝えても良いかを問うた。「むしろそうしてほしい」と二人は支援を求め,大学チームは彼らの意見を中学校教員に伝えた。その結果,中学教員と大学チームからなる支援委員会で,今後このことを切り口に,指導・支援の質について検討していくことになった。 以上のエピソードから,「教育インターン」をただ単に,インターンが現場の実践を体験的に学ぶ場としてだけ観察することはできない。大学チームと生徒と中学校教員も,一方通行的に影響を与える関係ではない。「オープンに対話する」という意思疎通の回路を開いておくことで,互いに互いが影響しあい,知り合い,そのことで学習し合うような,弁証法的で集合的な学習の場を組織していると観察することもできるだろう。有元(2016)は学校インターンシップを「社会的な相互行為と,そのことに起因する人と組織と制度の発達のきっかけ」と表現している。立場によってさまざまに観察可能な変化が同時に生起し,進行し続ける多面的な現実の中で,大学院生個人の学習としての「教育インターン」はそのとらえのほんの一部であり,「教育インターン」から始まる支援者・生徒・学校の相互作用そのものを,大きな集合体の発達と捉えてみることに意味があるのではないだろうか。なぜなら,このような相互作用において,誰が作用の主体というのでもなく,どこにも正解はなく,ただ今より未来の自分たち,という「より良さ」に向けた参与者の共同的な相互作用があるだけなのだから。指導者は「その場で指導可能」なのか?郡司菜津美(国士舘大学) 教員養成課程の大学教員として,学生を教育現場に送り出す際の不安は非常に大きい。「きちんと教師として振る舞えるのか」「児童生徒に対して適切な指導ができるのか」「現場教員と上手くコミュニケーションが取れるのか」といったようなことは,考え出したらきりがない。大学教員は,教育実習や学校インターンシップの際に「事前・事後指導」,研究授業等で「教育実習生の指導」をすることが求められるが,それらの指導は,あくまでも「教師としての学び方」の指導でしかない。児童生徒とのやりとりは決まった形式があるわけではなく,その指導方法が1対1対応ではないため,教師として自律的に振る舞うことができるような「学び方を学ばせる」ことしかできない。これは学校インターン・教育実習を受け入れる先の指導教員にも言えることだろう。非常にもどかしいが,その指導は間接的で,しかも遠い未来に教員になった時を想定したものでしかない。それはまるで,現場教員が児童生徒を指導する際のもどかしさと似ているだろう。学校を卒業した後,自律的な人間として振る舞えるようになることを期待はしているが,その未来に,教員がそばで付き添っていることはできないし,ましてやその場に居合わせて指導することはできない。小学校・中学校・高等学校・特別支援学校の教員も,学校インターンシップや教育実習に学生を送り出す大学教員も,こうした同じようなもどかしさを感じながら,指導者として,指導をせざるをえないのが現実だ。 本シンポジウムでは,こうした指導者のもどかしさを皆で共有し,指導者が「その場で指導するもの」といった思い込みを捉え直してみたい。具体的には,事前・事後指導のあり方,インターンや実習生を送り出す・受け入れる側のあり方,発展的に,教師は「その場で指導可能なのか」といった問いに皆で答えてみたい。
著者
西村 太志
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-05-19

2016年熊本地震では、2016年4月14日21時のM6.5の約1日後の16日1時25分にM7.3の地震が発生した。内陸でさらに大きな地震が続けて起きることは珍しく、希な現象が起きたと考えられる。また、余震数が多く大分の別府地域でも地震活動が活発化したことに加え、2015年11月14日に南東部の鹿児島沖でM7.0の地震が発生していること、一連の地震は中央構造線につながる別府島原地溝帯で起きていること、などから、周辺地域での大地震のさらなる発生が懸念されている。また、阿蘇山や九重山など、火山活動の活発化も懸念されている。本研究では、今回の地震活動の特異性や周辺地域への影響を考えるために、世界で観測されている地震のデータをもとに、大地震の連発性と周辺火山への影響を統計的に評価したので、報告する。 地震データは、現在コロンビア大学が管理するCMT解(いわゆる、ハーバードCMT解)を利用した。1976年から2015年までの40年間の浅発地震(深さ70km以浅)のCMT解のマグニチュードとセントロイドの位置データを用いた。また、火山との関係では、NOAAによるGlobal Significant Earthquake Database、Smithsonian InstituteによるGlobal Volcanism Programの火山データベースを利用した。 M6以上の地震(4176個)を検索した結果、M6.0以上の大地震の発生から2週間以内に、その地震より大きな地震が水平距離100km以内に起きる例は、約3 %であることがわかった。また、M6クラスからM7クラス以上になる地震は0.3%であった。従って、今回の熊本地震のような例は、世界でも珍しい事象といえる。 さらに、大地震がある地域で発生した場合、周辺で同規模あるいはそれ以上の地震がどの程度発生するかを調べた。M7.0以上の地震について、発生時間からの経過時間Tと震央距離D内で起きた地震を連発地震と考える。T=7, 14, 30, 60, 180, 365, 730 days, D=25,50, …, 2000 kmについて、40年間に世界で発生した連発地震の数を調べた。なお、3個以上の地震が連発することも想定し、Dは連発した地震間の距離をもとに微調整した。さらに、連発地震の発生頻度を評価するため、地震の発生位置は固定する一方、時間的にはランダムにしたデータを作成し、連発地震数を調べた(これを通常レベルとする)。その結果、ある大地震が発生した後の数週間は、距離1000km程度までの領域で、連発地震の発生数は通常レベルよりも数倍以上大きくなることがわかった。また、経過時間とともに、発生数が通常レベルに近づき、かつ、領域が小さくなることがわかった。 続いて、大地震による火山活動の活発化を調べるため、大地震の発生からの経過時間と距離による、火山噴火発生数の変化を調べた。データが十分記録されていると考えられるM7.6以上およびVEI(爆発指数)2以上の噴火の1900年から2015年のデータを調べた。その結果、地震からの水平距離から200km程度以内の火山噴火数が増加することが明らかとなった。 以上のように、大地震の発生後の、大地震や火山噴火の発生の確率を経験的に調べることができる。大地震の連発性や火山噴火の誘発例は必ずしも多くはないが、大地震後に起きる活動のシナリオを、火山噴火予測で用いられるような噴火事象系統樹のように、確率を用いて表示することは、地震活動を俯瞰的に理解するために役立てられると考えられる。
著者
尾崎 正紀 水野 清秀 佐藤 智之
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

5万分の1富士川河口断層帯及び周辺地域の地質編纂図は,既存の地質図情報と活断層調査の成果に,産総研の「沿岸域の地質・活断層調査」プロジェクトで実施した入山瀬断層の成果を加えて作成した,海陸のシームレス地質情報集である.本図は,研究及び減災に活用されるよう国土の基盤情報図となりうることを目的としており,今後の研究成果に基づき修正を行う予定である.また,大縮尺の編纂図では,編集部分と確認部分が識別できるように,どのように断層などの精度・確度を表現するかが課題として残されている. 本地域は駿河湾北縁部に位置し,蒲原丘陵,星山丘陵,鷺ノ田丘陵,富士川扇状地,浮島ヶ原,富士南西側山麓,天子山地及び蒲原山地を含む.また,後期中新世〜鮮新世のトラフ充填堆積物である富士川層群,鮮新世の佐野川岩体,前期〜中期更新世の前縁盆地に形成された主に海陸の扇状地堆積物からなる蒲原層及び鷺ノ田層,第四紀の火山(前期〜中期更新世の岩淵火山岩類,中期〜後期更新世の愛鷹火山,後期〜完新世の富士火山),後期更新世〜完新世の河川〜浅海成堆積物が分布する.入山瀬断層,大宮断層,安居山断層,入山断層,芝川断層などからなる富士川河口断層帯は,ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界に位置し,東西圧縮場で概ね南北方向の断層と褶曲で特徴づけられる. 富士火山の溶岩流と古富士泥流(津屋,1968など)は,これら富士川河口断層帯の変位量推定の重要な基準となっていた.しかし,最近の富士火山の新層序(山元,2014など)に基づくと,古富士泥流は火山麓扇状地Ⅳ堆積物(離水面はMIS4)と火山麓扇状地Ⅲ堆積物(離水面はMIS2)に区分され,活断層の変形を受けた溶岩流の一部も層序と年代が修正されている.これらに基づき既存研究の見直しを行った結果,一部,従来の基準面の設定及び平均変位速度には再検討が必要であることが分かった.また,富士川河口断層帯との関係を理解するため,下部~中部更新統の層序と地質構造の再検討を行った.以下,その概要を示す.(1)入山瀬断層は,今回実施した陸域沿岸域の反射法地震探査(伊藤・山口,2016)及びボーリング調査(石原・水野,2016)と,沿岸海域の反射法音波探査(佐藤・荒井,2016)の成果に基づき,沿岸域の連続性が明らかとなった.また,蒲原地震山を挟んで雁行ないし並行した2つの断層が発達している可能性が高いことが分かった.(2)入山瀬断層の平均変位速度7m/103年は,上盤側の水神溶岩流と富士川扇状地下の大淵溶岩流が同じ溶岩流であるとし,その分布標高の差から求められていた(山崎,1979).しかし,水神溶岩流は富士川沿いから南東へ流れ出たもので1.7万年前の年代を示すのに対して,大淵溶岩流は富士南南西側山麓から南西へ流れ出たもので年代も約1万年と異なる.また,山崎(1979)は,村下(1977)による扇状地下の溶岩流は標高分布から,下盤側の両溶岩流の比高を推定して,それを入山瀬断層の変位基準としていた.しかし,村下(1977)の図では,富士川扇状地下の富士宮期溶岩流の分布は南西方向に低下する1万年前の富士山麓の形状を示しており,入山瀬断層の東側沿い幅約2kmの松岡から五貫島に至る地域のボーリング資料には溶岩流がほとんど認められない.この地域は,入山瀬断層による沈降が著しい地域であると同時に,最終氷期以降,古富士河川による最終間氷期の下刻作用と後氷期の堆積作用が行われた地域のため,基準となる溶岩や古富士泥流が連続して分布していないと考えられる.更に,約1万年前と約1.7万年前とでは,海水準が60〜70mも異なり(例えば, Siddall et al., 2003),その影響も考慮しなければならない.現状では,これらの諸条件の組み合わせにより,入山瀬断層の変位量は,既存の値より大きくも,小さくもなりうる.このため,入山瀬断層の正確な平均変位速度を推定するためには新たな調査が必要である.(3)入山瀬断層と同様に,大宮断層や安居山断層の溶岩流や古富士泥流堆積物を基準とした平均変位速度の推定についても,見直しの必要がある.しかし,再検討した結果,従来の見積を変更する必要はほとんどなかった.(4)芝川断層及び入山断層は,地質断層としては連続するものの,活断層として連続する可能性は低い.両断層が屈曲しながら接合する富士川周辺では,地質断層とは斜交する南北方向の長さ0.5-1kmほどの断層が幾つか発達する.これら断層のうち,月代断層(大塚,1938)は活断層であると考えられる.(5)星山丘陵及び羽鮒丘陵に分布する下部〜中部更新統の地質構造は,中期更新世までの変形の影響を大きく受けており,富士川河口断層帯による変形とは合致しない.[引用文献]石原武志・水野清秀(2016) 海陸シームレス地質情報集(S-5),「駿河湾北部沿岸域」,産業技術総合研究所地質調査総合センター.伊藤 忍・山口和雄(2016) 海陸シームレス地質情報集(S-5),「駿河湾北部沿岸域」,産業技術総合研究所地質調査総合センター.村下俊夫 (1977) 工業用水,no.225,30-42.彌之助 (1938) 地震彙報,16,415-451.Siddall et al. (2003) Nature, 423, 853-858.佐藤智之・荒井晃作(2016) 海陸シームレス地質情報集(S-5),「駿河湾北部沿岸域」,産業技術総合研究所地質調査総合センター.津屋弘逵(1968) 1:50,000富士火山地質図及び富士火山の地質.特殊地質図, no.12,地質調査所.山元孝広 (2014) 地質調査総合センター研究資料集,no.606,産業技術総合研究所地質調査総合センター.山崎晴雄 (1979) 月刊地球,1,571-576.
著者
清杉 孝司
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

噴火記録から噴火の発生率を見積もる際には,噴火記録の数え落しを考慮する必要がある.世界の大規模爆発的噴火(LaMEVE)データベース(Crosweller et al., 2012, Brown et al., 2014)の内,日本の噴火は39%を占める(Kiyosugi et al., 2015).一方,これまでの分析の結果,噴火の規模が大きくなると数え落しの程度は減少するものの,第四紀以降の大規模噴火にも数え落しがあることがわかっている.例えば,89 %のVEI 4噴火が10万年以内に,65–66 %のVEI 5噴火が20万年以内に,46–49 %のVEI 6噴火が30万年以内に,36–39 %のVEI 7噴火が50万年以内に失われていることがわかった(Kiyosugi et al., 2015).また,日本と世界の噴火頻度の比較から,世界の噴火記録の数え落しは日本の7.9倍から8.7倍であると示唆される(Kiyosugi et al., 2015). 噴火の数え落しをモデル化するためには,こうした日本全体のデータの分析に加え,地域ごとや時代ごとに見たときのデータの不均質性を検討することが必要である.数え落しの主要な原因は,歴史記録がないことや,火砕堆積物の浸食・変質,新しい堆積物による被覆,浸食や被覆による給源火山自体の消失などであると考えられる.そのため噴火の数え落しは地質学的・歴史学的事情を反映して時空間的な不均質性を持つ.例えば,伊豆‐ボニン弧は大規模噴火の火砕堆積物が保存されにくい小規模の火山島からなっているため,大規模な噴火の地質記録が多く失われていることが示唆される.こうした異なる地質条件による噴火の数え落しを理解することは,噴火の再発生率を推定する際に重要である.また,小山(1999)は日本の歴史地震記録が政治的・社会的状況に応じて二つの時期(7世紀末から西暦887年までの時期と17世紀初めから現在までの時期)に増加することを指摘した.このような歴史記録を含む最近の噴火記録は,噴火の数え落しをモデル化する際の重要なファクターであるため,記録の時間的不均質性の詳細な分析が必要である. 本研究では日本の噴火記録の時空間的不均質性について議論する.日本の噴火記録は世界の噴火記録の約39%を占めるため,日本の噴火記録の分析は世界の噴火記録の数え落しと噴火再発生率の推定に有用である. 引用文献:Brown et al (2014) Journal of Applied Volcanology, 3:5.Crosweller et al (2012) Journal of Applied Volcanology, 1:4.Kiyosugi et al (2015) Journal of Applied Volcanology, 4:17.小山 (1999) 地学雑誌, 108(4), 346-369.
著者
高田 亮
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

マグマの移動は,上部地殻では岩脈を使って行われるので,応力場の変化とマグマ活動には,密接な関係がある.(1)水平方向の応力場の変化の影響は,割れ目噴火位置の変化に現れる.火山体周辺の地震活動により,例えば,地震により開放された山腹側への割れ目噴火位置のシフトなどとして,観察される(Takada,1997).世界の活動的な火山について,火山周辺の地震活動と割れ目噴火位置の時系列の変化を紹介する.(2)垂直方向の応力場の変化は,最小圧縮主応力軸の変化や,マグマの浮力と同等の応力勾配の変化として,マグマの上昇を抑制したり促進したりすることができる(Takada,1989;1999).つまり,“休眠中の火山“下のマグマ供給系に対して,ある条件の応力場変化が,深部ないし横からマグマだまりに新たにマグマを注入したりや,マグマだまり上部の地殻でマグマ上昇を促進する方向に働く.(3)休眠中の火山の例として,富士火山1707年宝永噴火に至る,応力場変化のモデルを紹介する.また,フィリピンピナツボ1991年噴火に至るプロセスをレビューする.(4)応力変化がマグマ上昇に与える影響について,ゼラチン中の液体で満たされたクラックを使ったアナログモデル実験を紹介する.
著者
行谷 佑一 安藤 亮輔 宍倉 正展 野村 成宏
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

富士川河口域西岸部である静岡県旧富士川町(現富士市)や旧蒲原町(現静岡市清水区)は、1854年安政東海地震の前後で富士川流路が変遷したこと[行谷・他(2015)]や「蒲原地震山」[例えば、羽田野(1977)]に代表される地変により、同地震によって広域的に隆起した可能性が高い。この隆起は、南海トラフ・駿河トラフの破壊に伴い入山瀬断層またはそれに関連した断層が破壊した可能性を示唆するものであり、本地域の地下構造を解明することは今後の地震活動を検討する上でも重要である。そこで本調査ではこの富士川河口域西岸部において、地表近くの地層に断層の伴うずれや変形が存在するか知るために、2016年1月4日~8日かけて地中レーダー探査(Ground Penetrating Radar, GPR)を行った。調査地域を通るとされる入山瀬断層は南北方向の走向を持つと考えられているので[例えば、地震調査研究推進本部(2010)]、ほとんどの測線についてそれに横切るように東西方向に設定した。総測線長は13 km程度に及ぶ。GPR探査において使用した電波の中心周波数は100 MHzであり、地下の不均質な電磁波伝播構造による反射波を解析することで地下5 m内程度の地質構造を知ることが期待される。この結果、海岸から2 km程度内陸までの測線で少なくとも4カ所において反射面に断層のずれと解釈される層序の不連続が存在することがわかった。不連続は盛土と思われる層の直下まで存在し、比較的新しい地層まで切っている可能性がある。これらの不連続の位置は地震調査研究推進本部が設定した入山瀬断層の位置とさほど離れていない。また、最も海側の測線および地震山の北端付近の測線における不連続の位置付近は、反射法地震探査により数十m~数百mの深度で伊藤・他(2014)が推定した断層位置に近い。一方、蒲原中学校の北側や旧庵原高校の東側といった、地震調査研究推進本部による入山瀬断層の断層線から離れた位置においてもこのような不連続が存在することがわかった。これは伊藤・他(2014)が指摘する「陸域における入山瀬断層が1本の明瞭な断層ではなく、複数の断層に分岐していることを示している」ことを支持する内容である。すなわち、この富士川河口域西岸では複数の分岐断層が地表面近くにまで達している可能性がある。 【文献】羽田野誠一, 1977, 地図, 40-41.伊藤忍・山口和雄・入谷良平, 2014, 平成25年度沿岸域の地質・活断層調査研究報告, 59-64.地震調査研究推進本部, 2010, http://jishin.go.jp/main/chousa/katsudansou_pdf/43_fujikawa_2.pdf行谷佑一・安藤亮輔・宍倉正展, 2015, 日本地震学会講演予稿集2015年度秋季大会, S10-11. 【謝辞】 本調査を実施するにあたり便宜をはかって下さった関係諸機関のみなさまに御礼申し上げます。本調査の一部は「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」の予算で実施しました。
著者
中川 光弘
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

数千年に及ぶ噴火活動休止期の後、南西北海道の3火山(北海道駒ケ岳、有珠山および樽前山)は、西暦1640~1667年にかけてVEI=5の大噴火を起こし、噴火活動期に入った。この3火山の噴火活動の再開については、その約30年前に起こった慶長三陸沖地震(西暦1611年)の影響が指摘されている。特にその震源域については、三陸沖だけではなく北海道十勝~色丹沖まで連動していた可能性が指摘されており、地震による影響が北海道南西部に及んだ可能性は十分に考えられるが、一方で摩周や雌阿寒などの北海道東部の火山は噴火していない。本研究では、まず北海道全域の活火山の完新世の噴火活動履歴をまとめ、特に17世紀前後の噴火活動度の地域差を明らかにする。さらに上記3火山のマグマ供給系の構造と噴火過程をまとめ、北海道における地震と火山活動の関係について検討する。 北海道は東北日本弧と千島弧の2つの島弧の会合部であり、火山活動は更新世を通じて活発である。そして完新世では、まず1万年前後に比較的大規模な噴火が全域で起こっていた。千島弧に属する北海道東部では1.3万年前の雌阿寒岳(VEI=5)、7000年前の摩周(VEI=6)の大噴火があり、また東北日本弧の南西北海道では1.2万年前の濁川、9000年前の樽前山、そして約7000年前に駒ケ岳がそれぞれVEI=5の大噴火を起こした。東部では知床半島の諸火山、摩周~アトサヌプリ、雄阿寒~雌阿寒1000年前頃までは定期的にマグマ噴火を起こしており、噴火活動は活発であったといえる。一方、道南の火山は樽前山が約2500年前にVEI=5の噴火を起こしているが、その他の活火山ではVEI<3程度の噴火が散発する程度であり、活動度は低い状態が続いていた。会合部である北海道中部では、完新世ではVEI=5に達する噴火はなく、大雪山と十勝岳においてVEIが3以下の噴火が散発している。 そして17世紀になって前述したように、南西北海道では3火山が大噴火を連動したかのように起こし、その後も現在まで噴火活動は継続している。さらに3火山だけではなく、周辺の恵庭岳や恵山などでも活動が活発化した。一方、北海道東部では約1000年前頃の摩周(VEI=5)、雌阿寒岳(VEI=4?)および700年前の羅臼岳(VEI=3)のマグマ噴火を最後に、活動は低調になったようである。特に17世紀以降に限ると、北海道中部の十勝岳で小規模なマグマ噴火が散発する程度で、北海道東部ではマグマ噴火は発生していない。以上の北海道全域での火山噴火活動履歴を考えると、仮に慶長三陸地震のような大地震が北海道の火山活動に影響を与えたとすると、北海道東部の活動を低下させて、逆に南西北海道の諸火山の噴火を誘発させたことになる。つまり17世紀に起こった現象は北海道全域の応力場に影響を与えたと考えるべきであり、これは北海道が2つの島弧会合部にあることと調和的である。 次に17世紀に噴火活動を再開した、南西北海道の3火山のマグマ系について検討する。これまでの研究をまとめると、これらの火山の噴火履歴およびマグマ供給系にはいくつかの共通点が認められる。それは、1)いずれも2000~5000年あるいはそれ以上の長い休止期の後に噴火活動を再開したこと、2)主要に活動したマグマは珪長質で、その全岩化学組成はデイサイト質安山岩~流紋岩質マグマと組成差があるが、それらのメルト組成はいずれも流紋岩質であったこと、3)この珪長質マグマ溜りに噴火の数年前以内の時期にマフィックマグマが貫入して噴火した点、の3点である。このことからこれら3火山では休止期の間に、十分な量のマグマを蓄積していたと考えられる。そのため大地震で噴火を誘発することはあり得るが、例えば大地震によりマフィックマグマの活動が活発になって上昇を開始する、あるいは地殻内の応力場の変化により珪長質マグマが活発になるという可能性は、慶長地震の後に約30年の間隔をおいて、3火山の噴火が始まったことの説明が困難である。
著者
杉山 芙美子 長谷中 利昭 安田 敦 外西 奈津美 森 康
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

阿蘇-4巨大噴火(89 ka)と阿蘇-3噴火(123 ka)の間には,何枚かのテフラ(A, B, C, D, , , M, N, α,β,,,η)が記載されている(小野ほか,1977).このうちAso-ABCDテフラは最上位に位置し,一連の噴火の産物だと考えられている.長橋ほか(2007)はAso-ABCDテフラ年代を97.7 kaと見積もっている.テフラの等層厚線から給源は阿蘇カルデラ内・中央火口丘群の南側に推定され(小野ほか,1977),噴出物の体積は3.5km3と見積もられている(町田・新井,1992).阿蘇-4火砕噴火の直前には大峰火砕丘の噴火とそれに伴う高遊原溶岩の流出が起こった.溶岩とそれを覆う阿蘇-4テフラの間に土壌を挟まないので,大きな時間間隙は考えられない.噴出物の体積は2 km3である.阿蘇-4後の中央火口丘群の活動中,最大の珪長質マグマの噴火は3万年前の草千里ヶ浜火山の軽石噴出で,体積は1.4km3(宮縁ほか,2003)に過ぎないので,阿蘇-4噴火前にある程度の大きさの噴火が続いたことがわかる.阿蘇カルデラ東方約20 kmの大分県竹田市荻町野鹿の露頭で阿蘇-4火砕流堆積物直下に層厚3mの降下軽石層と降下火山灰層の互層として露出するAso-ABCDテフラの軽石および火山灰を採集し,岩石記載および全岩XRF分析,鉱物のEPMA分析および鉱物中のメルト包有物のFT-IR分析をした.斑晶鉱物組合せは斜長石,斜方輝石,単斜輝石,マグネタイトで,阿蘇-4に普通にみられる普通角閃石は含まれなかった.軽石の全岩化学組成(SiO2= 63-66 wt.%)はKaneko et al. (2007, 2015) の阿蘇-4ではなく阿蘇-3組成トレンド上にプロットするものが多かった.斜長石や輝石に含まれるメルト包有物組成はSiO2=70-72 wt.%に集中し,Aso-3の組成とほぼ一致した.斑晶鉱物のコアの組成は,斜長石An40-64,斜方輝石Mg# =70-74,単斜輝石Mg#= 74-81であった.ホストの鉱物組成がAn40-61,斜方輝石Mg#=73-76,単斜輝石Mg#=76-79に対応するメルト包有物の含水量は1.0-4.8 wt.%と見積もられた.ホスト単斜輝石組成と含水量から見積もられる温度は860-950℃,圧力は1.1-2.7 kbar(Putirka,2008)であった.マグマ溜りの深度は地表から約3-9 km下となり,この深度は須藤ほか(2006)の草千里マグマ溜り深度6kmと一致する. 古川ほか(2006)は阿蘇-3,阿蘇-4間のテフラ組成,推定温度,推定含水量,推定酸素分圧が漸次変化していくことを示したが,本研究ではAso-ABCD組成はAso-3の組成に近いことが分かった.阿蘇-4噴火の9千年前にはAso-4組成のマグマ溜りはまだ存在していなかったか,あるいはAso-ABCDとは独立して相互作用なく成長していたことが考えられる.
著者
中田 高 渡辺 満久 水本 匡起 後藤 秀昭 松田 時彦 松浦 律子 田力 正好
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

富士川河口断層帯は,平均変位速度が7m/1,000年を上回る活断層によって構成され,駿河トラフのプレート境界断層の陸域延長にあたると考えられてきた(山崎,1979:地震調査委員会,1998など).一方,活動度が高く1回の変位量が大きい逆断層であるとされながら,多くの地点で実施されたトレンチ掘削や群列ボーリング調査によっても,断層運動を示す明確かつ決定的な証拠は発見されず(下川ほか,1996:静岡県,1996: 丸山・斎藤,2007,Lin et al. 2013など),大きな疑問となっていた. 富士川河口断層帯を構成する活断層のうち,東側の断層列は津屋(1940)が最初に指摘したもので,羽鮒丘陵の東縁を限る安居山断層とその南の星山丘陵の北東縁と南東縁をそれぞれ限る大宮断層と入山瀬断層からなり,富士山を中心として円弧を描く急斜面の崖下に北西側を低下させる断層が存在すると推定されている.西側の断層列は羽鮒丘陵の西の芝川に沿った芝川断層と蒲原丘陵の西縁を限る入山断層から構成される.羽鮒丘陵と星山丘陵は北西−南東方向に延びる背斜状の細長い高まり地形をなす.丘陵を開析する谷には小規模な河岸段丘や新規の富士溶岩流(大宮溶岩流(津屋,1940))が分布し,丘陵の長軸に直交する胴切り的な正断層によって上下変位を受けている.古富士泥流堆積面からなる丘陵の北縁に沿って丸みを帯びた急斜面が発達し,その下位の段丘面も富士山側に向かって撓んでいるが,古い面ほど急傾斜となり累積的な変形が継続していることが読み取れる.最近,筆者らはフィリピン・ルソン島中部のタール火山のカルデラ湖を囲む外輪山に,重力性の変形により形成されたと考えられる高まり地形を発見した(中田他,2016).この地形は羽鮒丘陵・星山丘陵と酷似しており,両者の成因が共通する可能性が高い. 駿河トラフの海底には,ほぼ南北に延びる急峻で直線的な東向きの海溝斜面が南海トラフの東端部のから連なり,その基部に活断層が発達する.活断層は,海溝斜面を開析するガリーが形成する小扇状地や谷底を変位させ比高数10mの低断層崖を発達させており,活発な断層変位が繰り返していることを示唆している.この急斜面は湾奥では北北西に走向を変え,由比川河口に達する(中田他,2009).大陸棚斜面上には,海底活断層が富士川河口に向かって分岐することを示す変動崖も存在しない。また,星山丘陵の南東縁を限る入山瀬断層は逆断層とされており,1854年安政東海地震の際に蒲原地震山・松岡地震山がこの断層に沿って出現したとされてきたが,その根拠は必ずしも明確ではない. 近年,詳細な空中写真判読から,富士川沿いの地域で南北性の活断層が次々と発見・確認されている.水本他(2013a,2013b)は,松田(1961)が西傾斜の逆断層と認定した身延断層に沿って,富士川の河岸段丘面の西上がりの変位や支谷の左屈曲を発見した.このうち,山梨県南部町原戸付近の支谷の系統的な左屈曲や,同町井出における河岸段丘面を西上がりに変位させる直線的な低断層崖は,身延断層が左横ずれ変位が卓越する活断層であることを示す確実な証拠である.また,渡辺他(2016)は富士川の東岸,身延駅南の角打〜樋之下に系統的な谷屈曲をもとに新たに南北性の左横ずれ断層を認定し,段丘礫層を変位させる断層露頭を確認した. さらに, 糸魚川−静岡構造線と富士川河口断層帯との間に発達する西傾斜の逆断層(松田,1961)のうち,根熊断層と田代峠断層に沿って河谷の左屈曲が複数発達することを新たに見出した.これらの断層は,「日本の活断層」(活断層研究会,1980)では確実度III(活断層の疑いのあるリニアメント)として記載されているものにほぼ一致する.このうち田代峠断層では,興津川上流の大平付近で認められる支谷の左屈曲が極めて明瞭である.伊藤他(2013)は地下構造探査の結果から,田代峠断層は逆断層成分を有する西傾斜の高角左横ずれ断層とした.また,野崎他(2013)は,田代峠断層の北方延長に当たる音下断層(松田,1960)の断層岩を解析し,この断層が高角西傾斜の横ずれ断層である可能性を指摘した.以上の結果から,南部フォッサマグナでは、糸魚川−静岡構造線と富士川との間の横ずれ変形帯が,駿河トラフにおけるフィリピン海プレート境界沿いの変動帯の陸域延長部にあたると考えることができる. 上述の新知見を考慮すれば,富士川河口断層帯、特にその東列をフィリピン海プレート北縁における陸域プレートの境界をとする考えには再検討が必要である.由比川沿いでは富士川河口断層帯の西列に当たる入山断層が活断層として認められてきた(活断層研究会,2001).しかし,由比川の支谷に左屈曲が複数認められるものの,活断層を連続的に認定するにたる明確な地形的な証拠は得られていない.また,入山断層の北方延長とされる芝川断層についても活断層であることを示す確実な証拠は得られておらず,さらに入念なフィールドワークと詳細な分析が不可欠である.