著者
落合 仁司
出版者
宗教哲学会
雑誌
宗教哲学研究 (ISSN:02897105)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.18-29, 2010

Theology of Simone Weil is part of the revival of theology of the cross in 20th century. Theology of the cross argues the main kerygma of christianity is God's compassion with suffering beings. God suffers with our suffering like He suffered with Jesus's suffering on the cross. However has God the infinite power so able to create the world? One suffers because of the bound of one's power. Why does God suffer although His power is infinite? There is the logical contradiction. <br><br>This article tries to resolve this contradiction by means to compare God to topological space. General topology was constructed by Bourbaki whom André Weil, Simone's brother, leaded. Topological space can be bounded although infinite. If God may be compared to topological space, God is able to be infinite and bounded. If so, God is possible to have the infinite power and suffer because of the bound of His power. There will be no contradiction.
著者
江連 崇
出版者
名寄市立大学
雑誌
名寄市立大学社会福祉学科研究紀要 (ISSN:21869669)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.47-55, 2014-03-31

今日、日本における更生保護領域において刑務所と福祉施設の連携など、その枠組みの再検討が課題として挙げられている。その再検討の一環として本研究では『大日本監獄協会雑誌』を用いて、日本における更生保護の揺藍期でもある明治期に焦点をあて、関係者の出獄人保護についての思想を検討した。そこでは「犯罪予備軍」の減少を目的として就労支援を出獄人保護の目的とするものや、保護は国民の義務として、その必要性を説くものがあった。また各論者によって出獄人保護の役割と意義は異なっていたが、共通する点として、監獄事業の一環として出獄人保護を位置付けている点があげられる。これは今日の更生保護の課題でもある、刑務所と福祉施設の連携を考える上でも参考になる点が多いであろう。
著者
岡崎 正道
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
言語と文化・文学の諸相
巻号頁・発行日
pp.105-119, 2008-03-21

1970年11月25日,作家三島由紀夫(1925-70)は「楯の会」の同志とともに東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に乱入,広場に集まった自衛隊負に向かいバルコニーから「檄」を飛ばす演説を行なった後, 総監室内で「楯の会」会員森田必勝の介錯のもと割腹自殺を敢行した。その「倣文」に日くわれわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし,国の大本を忘れ,国民精神を失ひ,本を正さずして末に走り,その場しのぎと偽善に陥り,自らの魂の空自状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗,自己の保身,権力慾, 偽善にのみ捧げられ,国家百年の大計は外国に委ね,敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ,日本人自らの歴史と伝統を汚してゆくのを, 歯噛みをしながら見てゐなければならなかった。われわれは今や自衛隊にのみ,真の日本,其の日本人,真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。敗戦後の「ヤルタ・ポツダム体制」により民族精神を去勢され,自衛隊は米国の傭兵になり下がり,国家の根本義たる防衛問題がご都合主義的法解釈によってごまかされ,それが日本人の魂の腐敗,道義の退廃の根本要因となっていると,三島は満腔の憤激をこめて主張した。「建軍の本義とは,天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守ることにしか存在しない」とも喝破した。平和と民主主義を謳歌する“昭和元禄”の時世に突然の雷鳴の如き衝撃を与えたこの三島事件は,「三島は気が狂ったとしか考えられぬ」(佐藤栄作首相),「気違いはどこにでもいるものだよ」(大内兵衛元東大教授)というように,あくまで発狂者の常軌を逸した凶行と捉える論調が大勢であった。その政治的意味についても,大かたは狂信的右翼思想の発露と認識されたように思う。他方三島は死の前年,1969年5月13日に東大で開催された「全共闘と三島由紀夫の公開討論会」に出席,全共闘活動家の芥正彦・小阪修平らと国家や天皇等をめぐっての激論を展開している。その中で三島は,「諸君らが戦後日本の欺瞞と対決しようとしている姿勢に共鳴する。君たちがただ一言“天皇万歳”と言ってくれたら,私は一緒に闘って死ねる」と発言した。当時「新左翼」と呼ばれ,社会党・共産党などの旧左翼を超えるラデイカリズムを行動の核心としていた全共闘運動に対する三島のシンパシー濃厚なスタンスを見れば,左翼=進歩革新,右翼=保守反動などといった単純な図式的規定はあまり意味をなさないことが明らかとなる。本論考では,日本の左翼・右翼という概念が明治維新以来の近代日本の歴史の展開の中でどのように形作られていったのかをそれぞれ左右両翼の祖と言われる中江兆民(1847-1901) ・頭山満(1855-1944)という二人の人物,および彼らに連なる諸群像を軸に考察してみたい。
著者
宇治橋 祐之
出版者
NHK放送文化研究所
雑誌
放送研究と調査 (ISSN:02880008)
巻号頁・発行日
vol.68, no.8, pp.46-72, 2018 (Released:2018-09-20)

NHK放送文化研究所では,全国の学校現場におけるメディア環境の現状を把握するとともに,放送・ウェブ・イベントなどNHK教育サービス利用の全体像を調べるために,2013年度から「教師のメディア利用と意識に関する調査」を実施している。2017年度は全日制,定時制,通信制課程の高校と中等教育学校を対象として,教師個人の調査を実施した。6月号で全日制(理科,地歴科,国語科,外国語科)の結果を中心に中等教育学校後期課程(理科,地歴科)で特徴的な結果を紹介したのに続き,本稿では定時制(理科,地歴科),通信制(理科,地歴科)の結果について報告をする。調査結果から,定時制ではパソコンやプロジェクターなどのメディア環境は,全日制と同様に整っており,NHKの放送番組や市販のDVD教材などの映像を授業で利用する教師が全日制より多かった。『NHK高校講座』またはNHK for Schoolの,放送番組あるいはウェブサイトの動画などのコンテンツを利用した「NHK高校講座・NHK for School教師利用率」は定時制理科で31%,全日制社会で22%,NHK一般番組の授業利用または,NHKが実施する教育イベント等も含めたNHKの教育サービスのいずれかでも利用した教師は,定時制理科で55%,全日制社会で41%であった。通信制のスクーリング(面接授業)で利用できるメディア環境は全日制,定時制とあまり変わらないが,全体に利用は少ない。その一方で『NHK高校講座』はスクーリング(面接授業)だけでなく,レポート課題作成や授業準備等でよく利用されていた。 定時制,通信制の教師はいずれも,授業に役立ちそうな番組を録画するなど,授業外でのメディア利用も行っていた。また,今後必要なメディアとしてタブレット端末を挙げる教師が多いなど,授業に利用できるメディアを期待する教師が多いことも明らかになった。
著者
大西 秀紀
巻号頁・発行日
2018-04

京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター
著者
上田 隆一
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.55, no.12, pp.1320-1323, 2014-11-15

本稿では,2014年9月末に見つかったbashの脆弱性(CVE-2014-6271およびその修正の際に見つかったもの)について,脆弱性が起こる仕組み,影響が大きくなった理由,現状と今後の対応について,実際にあった攻撃の例を交えながら説明する.Shellshockと名付けられたこの脆弱性は,ある条件の下でWebサーバを通した攻撃の機会を与えること,実際にそのような攻撃が観測できること,bashがshの代用として用いられているサーバや機器で影響が大きくパッチを当てる以外の対策が困難であることを述べる.
著者
片山 共夫
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.89, no.12, pp.1775-1811,1893-, 1980

The Keshik (Kesig) was a group of people which came to have an important relationship with the system of administration after Qubilai Qa'an started to rule over China. Hitherto it has been explained as a reserve corps of high-class government officials. This study is an attempt to clarify the circumstances and conditions of appointments of Keshikten (=pl. 怯薛丹) to government offices. The results can be summarized as follows. The appointment of a Keshiktei (=sing. 怯薛歹) to a government office took the form of Jang Shih (任使) which was different from the ordinary method of appointment. The relationship between the Qa'an and a Keshiktei was based on the lord-vassal relationship and not on the ordinary relationship between the sovereign and an official. When the need arose to organize Keshikten into the traditional Chinese system of administration, the duality of the system of Keshik and the traditional Chinese system of administration and the possible conflict between them were avoided by appointing the Keshikten to one of the Qa'an's Household offices. Moreover, the lord-vassal relationship between the Qa'an and the Keshikten was preferred to that between the sovereign and an ordinary official. Thus the Keshikten recommended by the chief (Kesigud-un Otokus 怯薛長) and subleaders (Kesik-un-Nojad 怯薛官) of the Keshik was commissioned directly by the Qa'an. It was called Belge Appointment (別里哥選) and the Chung-shu-sheng (中書省), the government department that controlled the general system of administration, had nothing to do with it. The rank to which a Keshiktei was appointed varied according to the Qa'an's favour, the man's position in the Keshik, his family origin and his calibre. Their ranks ranged from the first original rank (正一品) to the ninth original rank (正九品). The chief of the Keshik was appointed especially to higher ranks, i.e., the third original rank (正九品) and above. The subleaders of the Keshik were appointed to the fifth subordinate rank (従五品) and above. The Keshikten who were sons of men who had rendered distinguished services and were appointed to the offices in the Keshik called Boghorci (寳兒赤), Bichikchi (必闍赤), Sughurci (速古兒赤), etc., were appointed to the seventh subordinate rank (従七品) and above. Besides there were Keshikten who were appointed only to the lower ranks and could be promoted only to the fifth subordinate rank (従七品) at most. Above all the fact that the average Keshikten was appointed to the seventh subordinate rank (従七品) at the lowest corresponded to the fact that the People of Kitai (漢人) and the Manzi (南人) who mainly took up appointments as clerical officials (吏員) and school officials (学校官) were promoted only to the sixth or seventh rank (六・七品) at most. This was a manifestation of racist policy of the Mongol rulers. The Keshikten were appointed to a wide variety of offices at the start of their official career and held successively various other higher offices : the chief and vice ministers of the Chung-shu-sheng (中書省), the Shu-mi-yuan (枢密院) and the Yu-shih-t'ai (御史台) which were the three most important government departments, the Hsuan-hui-yuan (宣徽院), the Chung-sheng-yuan (中政院) and other similar Household departments, the T'a-tsung-cheng-fu (大宗正府), the Han-lin-yuan (翰林院) and other similar government departments that held the first subordinate rank (従一品), and major positions in the local administration. It will be observed that the Qa'an of the Yuan Dynasty intended to keep a firm hold on the whole system of administration and to rule the Chinese people by appointing the Keshikten to important offices of government both central and local.
著者
織原 彦之丞 酒見 泰寛
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

東日本大震災に付随する福島第一原子力発電所事故に伴う放射能による環境汚染を検査するための測定系の開発がなされた。特に半減期が28.8年と長く、またγ線を出さずβ線のみによる放射能が問題となる90Srによる環境汚染の検査は重要視されている。放射線に対する社会的不安を払拭するためには、数時間で結果がわかり、100Bq/kg 以下の極微小の放射能濃度まで測ることが要求され、このため、2個の放射線検出器を同時に働かせてγ線とβ線を区別しβ線だけを測定しそのスペクトルをとる可搬型の装置を開発し極低バックグラウンド測定を行い、数時間の測定で数十Bq /kgの精度で食材などの放射能測定に成功した。
著者
大久保 耕嗣 浦上 弘 多村 憲
出版者
Japanese Society of Environmental Infections
雑誌
環境感染 (ISSN:09183337)
巻号頁・発行日
vol.13, no.3, pp.184-188, 1998-08-30 (Released:2010-07-21)
参考文献数
14

食塩水の電気分解で調製した強酸性水, および塩酸と次亜塩素酸ナトリウムで調製した酸性次亜塩素酸水の, 各種菌株に対する殺菌効果をin vitroで比較検討した.強酸性水, 酸性次亜塩素酸水ともに10秒以内に芽胞を形成する菌以外は死滅させた.また強酸性水または酸性次亜塩素酸水の原液, およびこれを注射用蒸留水で段階的に希釈した両液の殺菌能とpH, ORP, 残留塩素濃度の変化を調べたところ, 強酸性水と酸性次亜塩素酸水との間に差異が認められなかった.また塩酸水に次亜塩素酸ナトリウムを種々の濃度に添加し, 残留塩素濃度を段階的に変化させた場合のpH, ORPを測定した.その結果, 強酸性水が殺菌作用を示すのに必要な条件として提唱されているpH2.7以下, ORP+1100mV以上という性状は, 塩酸と次亜塩素酸ナトリウムで容易に作り出せることがわかった.この酸性次亜塩素酸水は調製が非常に簡単で, 調製に必要な費用も強酸性水に比べてきわめて安価であり, 今後の利用価値は高いと考えられた.
著者
白井 悠佑 佐々木 大樹 田中 美子 松夲 耕三
出版者
京都産業大学先端科学技術研究所
雑誌
京都産業大学先端科学技術研究所所報 (ISSN:13473980)
巻号頁・発行日
no.14, pp.13-29, 2015-07

2型糖尿病へのハチミツの影響を調べた研究はいくつか報告されているが、その真偽やメカニズムについてはよくわかっていない。そこで、本研究は肥満性2型糖尿病マウスを用いてハチミツが糖尿病に及ぼす影響やそのメカニズムの一端を見いだすことを目的に研究した。肥満性糖尿病マウスとしてKK-Ayマウスを使用。各グループ6~7匹になるように5つのグループ(PBS、グルコース、スクロース、ハチミツ(クリの花))にわけた。それ以降、グループ毎に体重を測定し、血糖値等を各グループ間で比較した。特に糖分として日常利用する佐藤との比較に重点をおいた。 KK-Ayマウスへの各種糖の投与により、ハチミツ群と比較してスクロース群は有意に高い体重を示した。また、各種糖類投与前に行った糖負荷試験(oral sugar tolerance test: OSTT)ではスクロース群とハチミツ群の間に有意な違いはなく、むしろ30分以降ハチミツ群はスクロース群よりも高い血糖値を示していた。しかし、投与8週間後に行ったOSTTではスクロース群はどの時点においてもハチミツ群の血糖値よりも高い値を示した。一方、血中脂肪関連物質に関しては、遊離脂肪酸、コレステロール、中性脂肪について有意差はない結果となった。各種糖投与前と投与後15分、30分の血中インスリン濃度測定では、各群ともに有意差は認められなかったが、ハチミツ群は15分血で高いインスリン値を示した。これに対し、スクロース群は有意差はないが最も低い傾向が見られた。肝臓および脂肪組織での遺伝子発現量の比較では、肝臓ではハチミツとスクロースでPBS と比較して有意な増加を示した。しかし、それ以外では各グループ間で違いは確認されなかった。 従って本研究において、KK-Ay糖尿病マウスへのハチミツ投与の影響は、スクロースの投与と比較して体重や血糖値の上昇を抑える作用のあることが確認された。即ち、糖尿病状態において、糖分として継続的砂糖投与は血糖値上昇を招くが、継続的ハチミツ投与ほとんど血糖値上昇が認められず、そのことはハチミツは砂糖に比べて、格段によい糖分であると云える。即ち、ハチミツは糖尿病に優しい糖分と云える。