著者
宮下 修行
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.100, no.12, pp.3490-3496, 2011 (Released:2013-04-11)
参考文献数
10
被引用文献数
1

従来,わが国では市中肺炎診療は主に入院治療が一般的であった.しかし新しい抗菌薬や診断試薬の開発はめざましく,医療費削減(医療費の適正化)の社会的要請から今後は欧米と同様に外来治療がさらに推進され,入院期間の短縮が求められる.さらに耐性菌の出現や蔓延を抑止するため適性抗菌薬使用を考慮しなければならない.その対策として医療の効率化と質の向上を目指したガイドラインは,貴重な参考資料となる.
著者
糟谷 大河
出版者
Yamashina Institute for Ornitology
雑誌
山階鳥類学雑誌 (ISSN:13485032)
巻号頁・発行日
vol.36, no.2, pp.105-115, 2005-03-20 (Released:2008-11-10)
参考文献数
15
被引用文献数
1

2002年10月から2003年2月にかけて,関東平野中部においてムクドリの冬季塒の配置と採食範囲について調査し,1953~1962年に実施された調査結果(黒田1955,1956,1962)と比較検討した。調査地域内においてムクドリの冬季塒は37ヵ所発見され,これらは3ヵ所の大規模塒と34ヵ所の小規模塒の2つに分類された。大規模塒に就塒する群れの採食地は塒を中心として放射状に遠距離まで展開するが,小規模塒のそれは塒から近距離の特定地域に限られていた。大規模塒の中で,新浜鴨場(千葉県市川市)に就塒する群れの個体数と採食範囲には,1953~1962年当時と比較して顕著な変化は認められなかったが,埼玉鴨場(埼玉県越谷市)の就塒個体数は大幅に減少し,また就塒する群れの採食範囲も異なっていた。関東平野における近年のムクドリの塒は冬季分散型,夏季集中型であると考えられていたが,現在のムクドリの冬季塒には大規模塒と小規模塒の両者が存在することが示された。
著者
谷 信一
雑誌
美術研究 = The bijutsu kenkyu : the journal of art studies
巻号頁・発行日
no.68, pp.22-31, 1937-08-25
著者
笹田 耕一 卜部 昌平 松本 行弘 平木 敬
雑誌
情報処理学会論文誌プログラミング(PRO) (ISSN:18827802)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.25-42, 2012-03-30

我々は,高性能なRuby処理系の開発を行っている.Ruby処理系は仮想マシン(VM)を用いて実現されているが,現在のVMでは,同時にたかだか1つのRubyスレッドのみ実行するという制約があり,並列実行をサポートしていない.また,複数のRubyプロセスを用いて並列実行すると,計算に必要となるオブジェクトの転送がプロセス間転送となり,オーバヘッドが大きいという問題がある.そこで,我々は1つのプロセスに複数のVMを並列に実行できるマルチ仮想マシン(MVM)の開発を行っている.各VMはオブジェクト空間を独立に管理するが,各VMが同一プロセス内にあることを活かしたVM間の高速なオブジェクト転送を行うことができる.また,これらの機能をRubyから利用するためのプログラミングインタフェース(API)を設計した.さらに,Rubyの遠隔メソッド呼び出し機構であるdRubyをMVM上で利用できるように拡張し,MVMの利用を容易に行うことができるようにした.MVMの実装は,現在の処理系との互換性を維持するため,既存の処理系のプロセス全体で共有されるデータ,たとえばC言語のグローバル変数やI/O資源などを,VMごとに保持するようデータ構造を変更することで行った.本論文では,開発しているMVMの設計と実装について述べ,MVMを用いるためのAPIを説明する.そして,MVMを用いた並列処理の現在の実装での性能評価について述べる.
著者
上田寅之助 編
出版者
上田竹翁
巻号頁・発行日
1927
著者
京都市 編
出版者
京都市
巻号頁・発行日
1916
著者
太田 昌孝
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.57-69, 2005-01-14

本論は、1、詩「白い鳥」に見られる宮沢賢治の宗教観について、と、2、宮沢賢治作品の原風景としての安倍氏の興亡(白鳥伝説)とに分けられる。1においては大正11年11月の、妹宮沢トシの死を契機に賢治の宗教観(死後観)が如何に推移したかを、詩「白い鳥」の作品分析を行うことにより明らかにした。それによると、「白い鳥」制作時(大正12年6月)における賢治は未だトシの死がもたらした喪失感から抜け出す気配はなく、『古事記』に描かれている倭建命の死後の姿に仮託する形でトシの死を受け止め、やがて賢治が立ち向かうことになる、「青森挽歌」での、トシの死の意味づけとは遠い境地にあることを考察した。また、2においては、岩手に生まれ、岩手に生きた宮沢賢治の意識の原風景の中に刷り込まれていると考えられる、前九年の役における安倍一族の興亡の現実と賢治の作品への影響を、具体的な作品を提示することにより論考した。宮沢賢治の作品(詩)に前九年の役(安倍氏の興亡)を明らかに表しているものは発見できなかったが、それをイメージの源泉にしていると考えられる作品は幾つか提示した。加えて、前九年の役に内包されている〈白鳥伝説〉と賢治詩との相関についても若干の考察を試みた。
著者
山本 勝太 牧野 一成 石塚 弘道
出版者
一般社団法人 日本機械学会
雑誌
日本機械学会論文集 (ISSN:21879761)
巻号頁・発行日
vol.83, no.856, pp.17-00337-17-00337, 2017 (Released:2017-12-25)
参考文献数
10

The integrity of railway axles is a critical aspect for ensuring the safety of a railway system. Therefore, non-destructive inspections such as ultrasonic testing and magnetic particle testing are conducted periodically. Some railway operators conduct ultrasonic tests directly on axles mounted on the train. However, the axles have to be disassembled for conducting magnetic particle testing. In the present study, the effects of variable amplitude stress acting on cracks and axle bending stress during ultrasonic test on ultrasonic response are discussed. An ultrasonic test was conducted using a full-scale axle specimen that had fatigue cracks and no artificial notches. The ultrasonic response was evaluated for the cracks whose lengths were 10 mm, 16 mm, and 19 mm. Under an unloaded condition, the ultrasonic response for the 16-mm-long and 19-mm-long cracks was approximately 4 or 7 times higher than that for the 10-mm-long crack, although the cross-sectional area of each of these cracks was approximately 2.5 or 3.5 times larger than that of the 10-mm-long crack. The obtained results indicate that the contribution of the reflection area to the ultrasonic response under a variable amplitude stress differs from that under a constant stress condition. Moreover, the influence of axle bending stress ranging between -50 MPa to +47 MPa on the ultrasonic response was investigated. A higher bending stress led to a higher ultrasonic response. However, the decreasing rate of ultrasonic response caused under compressive stress was lower than the increasing rate under tensile stress. For example, the ultrasonic response was approximately 2 dB lower than that under the unloaded condition at a compressive stress of -30 MPa; however, the ultrasonic response showed an increment of approximately 4 dB at a tensile stress of 30 MPa. A similar trend was observed in the crack of each length. The results denote that the crack position influences the precision of crack detection in ultrasonic inspection. However, considering that the maximum static bending stress of axles used in Japan is 30 MPa, its effect on inservice axle inspection is negligible.
著者
今井 利宏 笠石 義広 原田 晴康 高橋 竜太 倉持 恵子
出版者
日本応用動物昆虫学会
雑誌
日本応用動物昆虫学会誌 (ISSN:00214914)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.65-67, 2011-05

クロメンガタスズメAcheronitia lacnesis(F.)は、インド・パキスタン・ネパール・インドネシア・フィリピン・中国・台湾・日本に渡る熱帯~温帯東洋区に広く分布するスズメガである.(Beck and Kitching、2000-2010).国内の分布は、1982年に刊行された日本産蛾類大図鑑では九州・屋久島と記載されているが、1997・1998年に環境省が実施した「種の多様性調査(動物分布調査)」では佐賀を除く九州全県に加え、愛媛・高知・広島・山口・和歌山・三重で記録されている(井上ら、1982;自然環境センター、2002).近年になって、分布は急速に東進しており、関東においては、2007年に神奈川県および千葉県で、2009年に埼玉県で、それぞれ発生が記録されており、ナガサキアゲハPapilio memnon thunbergii SieboldやツマグロヒョウモンArgyreus hyperbius hyperbius(L.)などとともに、分布の拡大が温暖化と関連付けられて語られることも多い(岸ら、2009;加藤、2010;工藤、2010;尾崎、2010;嶋村、2010).Acherontia属は、本種を含め世界で3種が記載されているが、いずれも成虫がミツバチの巣に侵入し、密を摂食する習性を有するため、ミツバチの巣内で死骸が発見されることが知られている(Kitching、2003).栃木県内でも、2008年にニホンミツバチApis cerana japonica Radoszkowskiの巣箱で死骸が発見されているが、本種は大型で飛翔力が高く、長距離飛翔が可能であるため、元来の生息域である西日本から飛来したものと推定されている(増渕・中村、2008).幼虫は広食性で、食草には、ゴマ・ナス・ジャガイモ・トマトなどゴマ科・ナス科に属する農作物が含まれているが、農林有害動物・昆虫名鑑には害虫としてリストアップされていない(一色ら、1965;井上ら、1982;日本応用動物昆虫学会、2006).タバコも本種の寄主植物とされているが(Scott、1941;一色ら、1965).旧来の分布域である九州のタバコ産地を含め、これまで国内に本種による経済的な被害は発生していない(高橋明、私信).2010年7月に栃木県小山市の日本たばこ産業株式会社葉たばこ研究所内のタバコ畑でタバコを食害する本種幼虫が広範囲から多数発見された.その生息状況および食害状況について調査を実施したので、結果について報告する.本事例は、本種の栃木県内における初めての発生記録である.
著者
森山 一隆 菊池 一郎 石井 則久
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.231-250, 2009 (Released:2011-02-07)
参考文献数
50

ハンセン病療養所において、妊娠・出産が可能であった国立療養所奄美和光園について、時代背景などを追いながら考察した。 和光園の創設は1943 年と新しく、1946 年から1953 年までの米軍占領を経て、日本のハンセン病行政体制に組み込まれた。 1949 年頃より、松原(のちの和光園事務長)の和光園でのカトリックの宣教、1951 年からのパトリック神父の宣教は入所者の妊娠・出産の考えを変えた。また、松原、パトリック神父、ゼローム神父、星塚敬愛園の大西園長などの指導のもと、療養所自治会、子供の親、大平園長などによって出産後の子供の養育に道筋が作られ、「夫婦舎の内則」としてまとめられた。実際面では、1953 年から1954 年まで新生児を看護婦ないし松原の家族が保育し、1954 年11 月からは保育所(「こどもの家」、後に「名瀬天使園」に名称変更)での保育が始まった。さらに2~3歳からは「白百合の寮」で養育が行われた。両親との面会は限られていたが、成長し、現在では立派な社会人となって社会で活躍している。 らい予防法のもとで療養所入所者の妊娠・出産は困難であったが、カトリックを中心とした妊娠・出産・保育・養育の制度を確立することで、和光園においてはハンセン病患者が子供をもつことが可能であった。