著者
田中 卓也
出版者
静岡産業大学経営研究センター
雑誌
環境と経営 : 静岡産業大学論集 = Environment and management : Journal of Shizuoka Sangyo University (ISSN:13415174)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.31-43, 2020-06

戦後の「女学生」を対象とした二誌は、女子中学生・高校生ら「ジュニア」世代を誌面内容や附録などを工夫しながら、巧妙に読者に取り込んだ。誌面づくりのために、生き残りをかけて少女の心を引き留めることに苦心した。しかしながら両誌は、発刊および廃刊の時期は異なるものの、「女学生」としての教養の習得をめざすことは忘れておらず、クイズや懸賞形式を採用しながらも誌面に学習教材としてのものを掲載し続けた。しかしながら『女学生の友』はその後、ジュニア向けファッション誌『プチセブン』に、『女学生コース』は、『中1コース』、『高1コース』のように学習内容を残しながらも、ファッション、マンガなどの要素をとりいれたものへと変化を遂げることになり、「娯楽」や「流行」を求める少女雑誌の台頭を促すことになった。
著者
市来 弘志
出版者
学習院大学
雑誌
東洋文化研究 (ISSN:13449850)
巻号頁・発行日
no.5, pp.141-157, 2003-03

Dai rai castle was built by Liu Weichen of Xiongnu tiefo tribe in 376A. D. in present Ordos area. Liu weichen dominated Ordos area based on this castle. In 391, the castle was fallen and abandoned by attacks of Xianbei Tuoba tribe. After that, the location of the CaStle WaS nOt Clear. Yang Shoujing elaborated on a location, Which was in and around Yijinhuoluo of Ordos in Inner Mongolia. However, it was not enough grounds. In 1991, the Civilizatioll Bureau of the Chinese Government authorized a theory of Dai Yingxin that the castle is the ruins of Baichengtai in Yulin-City, as a result of his field survey in 1987. Iinspected the Baichengtai ruins on August 23「d 2001. I think it is an adequate theory as of today that Baichengtai ruins are the Dailai castle, considering special construction method by using lime, Characteristics of castle walls, and geographical location,
著者
クウィーラダーヴィト= ドミニク
出版者
九州大学大学院比較社会文化研究院
雑誌
障害史研究
巻号頁・発行日
no.2, pp.15-39, 2021-03-25

本稿は、社会思想史の視座に立ち、子どもを例に上げて、〈障害者〉をめぐる見識や見解の歴史的多様性に関してより深く、多面的な理解の実現に寄与すべき試論である。 / 前近代の日本社会において「不具」や「片輪」、もしくは「異形」、「奇形」などと称されていた、身体の構造不全や形態異常、あるいは身心的機能上の不足や欠如のある子どもたち、〈障害児〉や〈奇形児〉の宿命については、既に研究がなされてきているが、親による遺棄、社会的排除を中心として、ネガティブな側面のみに着目したものが主流となっている。特に「異児」の遺棄に対しては、明治時代を迎えるまで〈罪意識〉や〈罪悪感〉は殆んどなかったという見方が現在も通説となっている。 / 日本国内においても進んできたDis/ability History研究という新分野の開拓に伴い、近年より、前近代における〈障害〉という現象の捉え方についてのイメージを問い直す必要性を指摘する声が徐々に上がってきてはいるが、近現代と比較すると、前近代についてはまだ解明し難い論点が多く残されている。 / 江戸時代に関しては、従来の日本近世史研究では、人口史や社会経済史、庶民生活史、児童史研究等により、〈捨て子〉や〈子殺し〉といった社会的事象は、これまでも多く論考されてきたテーマであり、〈障害児〉や〈奇形児〉を含めて研究が少なくない。それらの研究は捨て子や子殺しの原因や理由についてまでは言及されているが、そういった行為が〈障害児〉らに対してなされた場合、どのようにみなされ、認識されていたのかについては、未だ解析されていないままである。当時の一部の知識人(主に国学者、儒医として活躍した儒学者、さらに僧侶等)が書き残した史料の中に、特に江戸中・後期に渡り、遺棄を勧めた声の他に、養育の義務を重要視とした理論的見地が見出せ、その両方を本論の主たる分析対象としたい。
著者
清水 泰生 岡村 正史 梅津 顕一郎 松田 恵示
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.25-45,119, 2006
被引用文献数
1

本稿は、平成15、16年度の2年間にわたり、本学会において設置された「スポーツとことば」に関するプロジェクト研究報告である。最初にテレビのスポーツ実況中継の特長について整理をした。そして、札幌オリンピックと長野オリンピックの純ジャンプ競技の中継を文字おこししたものを基に両者に違いがあるかどうかを調べた。札幌は文の形 (主語+述語) がしっかりしているのに対して長野は述語の反復の表現が目立つなどの違いが見られた。このことを踏まえて考えると1972年から1998年の間に実況中継に変化があったと考えられる。次に、この変化を説明するために、プロレスと「古舘伊知郎」という問題に着目してみた。プロレスはスポーツにとって周縁的な存在である。近代スポーツが真剣勝負を追求することによって抜け落ちた要素を体現したからだ。古舘伊知郎は1980年代初頭にプロレスの虚実皮膜性を過剰な言葉で表現し、それ自身虚実皮膜的な「古舘節」を創った。プロレス実況を辞めた後の彼は主として芸能畑をフィールドとしたが、舞台でのトークショーの試みの中で新境地を開き、今ニュースキャスターとして、「古舘節」を抑える日々を送っている。そして最後に、我々は1980年代における新日本プロレスブームと古舘節の、ポストモダン的文脈について考察した。周知のようにプロレスは80年代に再びテレビ文化の主役に踊り出たが、それはかつての力道山時代ような大衆文化としてではなく、若者を中心としたサブカルチャーとしてであった。そして、1980年代における状況は、その後のポストモダン状況に比べればほんの入り口に過ぎず、東浩紀も指摘するように、日本の若者文化は1996年以降、ポストモダンの新たなる段階へと突入する。そうした中80年代型スノッブ文化の申し子とも言うべきプロレスは埋没し、古舘節だけがプロレスという本来の文脈を離れ、スポーツ観戦のサブカルチャーにおける、ある種の「萌え要素」として機能することとなったのである。
著者
日下 JA
出版者
明治学院大学言語文化研究所
雑誌
言語文化 (ISSN:02881195)
巻号頁・発行日
no.36, pp.63-81, 2019-03

特集 トランスレーション・アダプテーション・インターテクスチュアリティ
著者
栗原 信征
出版者
上武大学
雑誌
上武大学経営情報学部紀要 (ISSN:09155929)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.61-71, 2008-03

日本の新聞広告費は1990年のバブル崩壊後、低落を続けている。この背景には、新聞が特に若者に読まれなくなってきていること、他メディアの台頭もあって、新聞のジャーナリズム機能が落ちてきていることなどがあり、これが新聞広告の低迷に反映されているのではないか。メディアの中で若者にとって新聞がどのような役割を果たしているのか、またどの程度読んでいるのかについて、上武大学の学生を対象にメディア接触状況を調査した。結果をみると、若者が新聞を読んでいる比率は決して高くはない。しかし、新聞に対するイメージは新聞を読んでいなくてもまだ、教養に役立つなど好意的なものが多かった。こうしたイメージが残っている間に新聞社は若者に対して、新聞に接触する手法を考えるべきだろう。一方、いろいろなイメージの中で新聞を「楽しいメディア」とみる回答が極めて低い。普段読んでいない学生にはまったくない。新聞を読むことによる楽しさを最初に訴える必要がある。新聞に対する興味を高めることが、新聞広告費の維持・回復につながる。
著者
池田 光穂 井上 大介 Ikeda Mitsuho Inoue Daisuke イケダ ミツホ イノウエ ダイスケ
出版者
大阪大学COデザインセンター
雑誌
Co*Design (ISSN:24349593)
巻号頁・発行日
no.9, pp.31-45, 2021-01-31

本稿は、サイバースペース(=インターネット空間)におけるサイバーパンクという概念を扱い、その倫理的あるいは非倫理的特質について人類学的に分析するものである。その際、社会に対するサイバーパンクの抵抗者としての特徴を確認するとともに、それがアイデンティティとよばれる社会的拘束に根差した概念ではなくエージェンシーという言葉で表現されうる、より行為実践に依拠した概念と関連する性質のものであることが論じられる。
著者
鹿島 あゆこ
出版者
奈良女子大学社会学研究会
雑誌
奈良女子大学社会学論集 (ISSN:13404032)
巻号頁・発行日
no.28, pp.1-18, 2021-03-31

The period of rapid economic growth from the 1950s to the early 1970s in Japan was a time when a style of social life, called 'Salaryman (Japanese office worker)' was standardized and became a central model for many male persons in Japan. This paper clarifies the transformation of the salaryman image that took place during that period through a famous manga titled Sazae-san (serialized in Asahi Shinbun from 1949 to 1973), which has helped to popularize it. From the 6087 episodes of Sazae-san, I extracted 3021 in which three male salaryman characters appear: they are Namihei, Masuo, and Norisuke. Through analyzing the 3021 episodes, I have identified three different stages in the formation process of the salaryman image. In the first stage (till around the middle of 1950s), the manga depicted the family life as the pleasant central aspect of salaryman's social life. In the second stage (till around the middle of the 1960s), the manga described the salaryman as a stable employee, who able to purchase massproduced consumer goods and to enjoy them together with his family as well. At the same time, the manga clearly presents that the salaryman could no longer maintain his prestige in the family if his income were not enough to cover such expenses. In the third stage (till around the early 1970s), the manga depicted the salaryman's life as follows. That is, family life became a hollow one in which only his consumer life could satisfy his ownone's desires., At the same time, the working life came to the fore in the salaryman's social life. The position in consumption life and working life became major elements for male employee's identity d worker. That was the very fulfilment moment of the 'middle-class salaryman' in Japan.
著者
下橋 淳子
出版者
駒沢女子大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02884844)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.17-22, 2004-03-03
被引用文献数
1

グルコースとグリシンによるアミノカルボニル反応で生成した褐変物質、ショ糖のカラメル化反応によって生成した褐変物質、魚醤に含まれる褐変物質、タマネギを加熱して得られる褐変物質についてDPPHラジカル消去能を測定し、次のような結果を得た。1. pH5.0、6.0、7.0および7.4で0.5M-グルコースおよびグリシンの等量混液を加熱し、アミノカルボニル反応を行ったところ、pHが高いほど着色度が高く、着色度が高いほどDPPHラジカル消去能も高くなった。着色度を示す440nmにおける吸光度とDPPHラジカル消去能の間にはr=0.993の非常に高い正の相関関係が認められた。2. カラメル化によって着色した糖液でも、着色が進行するにつれてDPPHラジカル消去能は高くなった。着色度を示す440nmにおける吸光度とDPPHラジカル消去能の間にはr=0.882の非常に高い正の相関関係が認められた。3. アミノカルボニル反応による褐変物質とカラメル化による褐変物質を比較すると、アミノカルボニル反応による褐変物質の方が抗酸化性は高いことが推測された。4. 薄口しょう油や臼しょう油と同程度の着色を示す魚醤に含まれる褐色物質にもDPPHラジカル消去能が認められたが、抗酸化性は着色物質以外の成分も関与していることが示唆された。5. タマネギを加熱し、黄色〜あめ色〜茶色と褐変が進行するに従ってDPPHラジカル消去能は上昇した。