2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1923年05月31日, 1923-05-31
著者
菅野 峰明
出版者
地理空間学会
雑誌
地理空間 (ISSN:18829872)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.79-98, 2009

本稿は1960 年代後半からの経済成長と人口増加というサンベルト現象を経験した南部がその後どのように変化したかを経済,人口,都市,生活の側面から検討したものである。1960 年代から合衆国南部と南西部はサンベルトと呼ばれ,その後の成長が約束されたかのようであった。南部の製造業は躍進し,就業者は増加し,人口流入が続き,まさに太陽の輝いている地域であった。ところが,南部農村部のもっていた低賃金という相対的有利性が崩れ,労働集約的製造業の分工場が閉鎖され,製造業の重要性は低下した。しかし,所得水準の上昇と増加した人口に対応してサービス産業が成長し,サービス産業が集中した都市圏は発展を続けた。また,高齢者人口の増加とリタイアメント・コミュニティの開発によって,医療・社会支援部門の雇用が増加し,南部の産業構成も変化した。
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネスassocie (ISSN:13472844)
巻号頁・発行日
vol.10, no.6, pp.134-136, 2011-04-05

「何だこれ? 読めない…。きっとあいつの仕業だな」。解読不能の文字が書かれた伝言メモに頭を抱える課長。かなりイライラしている。恐らく同僚のSが殴り書きして置いていったに違いない。Sは部内でも字が汚いことで有名だ。上司に用件を伝える時ぐらい、丁寧に書けばいいのに──。 もしかするとSさんは、きれいに書こうとすら思っていないかもしれない。
著者
兵庫県内務部統計課 [編]
出版者
兵庫県
巻号頁・発行日
vol.昭和4年12月末日現在, 1934
著者
阿江 通良
出版者
公益社団法人 計測自動制御学会
雑誌
計測と制御 (ISSN:04534662)
巻号頁・発行日
vol.36, no.9, pp.622-626, 1997-09-10 (Released:2009-11-26)
参考文献数
6
被引用文献数
2
著者
赤枝 尚樹
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-16, 2013 (Released:2014-09-01)
参考文献数
74

都市社会学ではこれまで多くの都市理論が展開されており,その中でも,C.S. Fischerの下位文化理論は現在最も有力な都市理論として位置づけられている.そこで本稿では,受賞論文を参照しながら,下位文化理論のもつ意義と可能性について考えてみたい.下位文化理論の意義と可能性については,(1)様々な国や時代への適用可能性の広さ,(2)都市社会学の議論形式を発展・精緻化する可能性,の2点が挙げられる.よって本稿では,それに対応して,第一に,下位文化理論の日本への適用可能性に関するより総合的な検討,第二に,下位文化理論の今後の展開可能性について議論する.そしてそのために計量研究の側から考えていくべきこととしては,社会調査やデータ分析の過程において,理論の再現可能性を高めていくことが挙げられる.
著者
加藤 大鶴
出版者
早稲田大学
巻号頁・発行日
pp.1-309, 2015

早大学位記番号:新7239
著者
永瀬 禎
出版者
水文・水資源学会
雑誌
水文・水資源学会研究発表会要旨集
巻号頁・発行日
vol.25, 2012

近年,日本ではゲリラ豪雨による被害が続出している.これはゲリラ豪雨の予測が難しいためである.そこで本研究ではゲリラ豪雨の際に高い確率で発生する雷に着目した.雷によって正確な位置でのゲリラ豪雨を予測できれば,被害が軽減されることが予想される.本研究では雷の探知装置に大阪大学所属の河崎善一郎教授のグループが発明したVHF波帯広帯域デジタル干渉計を用いる.また降雨観測レーダーには国土交通省が管理しているXバンドMPレーダーを使用する.探知された雷およびレーダーエコーをGrADSというソフトを用いて二次元の一つの図に表し,それらの間の相関を目視で確認して調査する.ただし,現時点では雷と豪雨の相関関係で未解明な点が多くいきなりゲリラ豪雨の予測をすることは困難と考えられるため,まずは豪雨と雷の相関関係の調査を研究の第一歩とする.そこからゲリラ豪雨の予測につながるようにしていく.本研究の結果として豪雨の発生地点の移動先に雷が発生していることがわかった.また雷雲は高層の風の影響を受けやすいこともわかった.ただし,雷が最初に発生した地点からほぼ移動しないなど未解明な点が多く見られたため正確な位置での豪雨の発生位置を予測することはまだ難しいと考えられる.今後は高さ方向も考慮に入れた三次元の図を作成し,そこからゲリラ豪雨と雷の新たな相関関係を模索していくことが必要であると考えられる.

2 0 0 0 OA 講孟余話

著者
吉田松陰 著
出版者
武蔵野書院
巻号頁・発行日
vol.下, 1943
著者
長原 豊
出版者
経済理論学会
雑誌
季刊経済理論 (ISSN:18825184)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.27-40, 2007

Facing the historically specific socio-political situation of Japan since the 68 and the 89/91 under which nigh no marxian economist ventures to attempt to decipher the capitalist expropriation and exploitation as the historically specific continuous events, I, not only having in mind Toni Negri and Felix Guattari's desire such as "[n]ow everything must be reinvented," but also being inspired by a marxian Geist like "the Bliz of reason, the Jetzt of the moment of rupture" (Negri), would map out the European as well as the North American pole-mos around them. Paraphrazing from the political viewpoint, I perforce aim at intervening into the Japanese marxian circus so as not to shrink from theoretically setting up the praxis-laden arena where the Japanese autistic marxian academia cannot but at once re-member and re-cuperate the very point-the 1920s-from where they got their efforts started. The two diametrical poles are axiomatically established as the symbolic exemplars: the so-called Analytical Marxism (or Rational Choice Marxism) on one hand; the Operaismo type of marxian standpoint on the other. This setting is chosen not simply in terms of the theoretical standpoint per se but with a perspective for the praxis in the street to come. I describes the former as the camp which eventually arrests the theory of exploitation in that of PC type justice by introducing at the outset the very axiom of the methodological individualism which presupposes that the exploitation takes place in the rationally "equal" exchanges among the homogeneous "producers" fabricated following its own axiom, which, in its turn, eventually corners itself to discover as the cause of exploitation the so-called initial inequality of the assets even breaking the initial axiomatic circle of its own. In a stark contrast to the former, the latter, following Marx, grasps the expropriation-cum-exploitation as the processes of the formal/substantial subsumption of labour-power by capital. These two historically continuous as well as structurally juxtaposed processes can be lumped together under the Deleuzo-Guattarian notion of "appareil de capture". In other words, the latter posits it as that which takes place not simply in the capitalist processes as such but also in the socalled originary accumulation of capital incessantly functioning behind it since its advent, which eventually culminates in the total subsumption of the Socius up until to the point at which the reproduction of life itself is totally subsumed and commanded by capital (the advent of the bio-politique as the socio-political system of expropriation/exploitation). After having so mapped them out and then translated them as the very political contrast between the camp which insists on the very existence of the inequality of the initial endowments and the belated corrective of it by the State on the one hand and the camp which underscores the total subversion of "the state of affair" (Marx) where the living labour is being expropriated-qua-exploited by the dead labour (capital) on the other, I, by highlighting the specific parlance such as the "Arbeit der Oberleitung " and the "Strasse" in Das Kapital III-"Die kapitalistische Produktion selbst hat es dahin gebracht, dass die Arbeit der Oberleitung, ganz getrennt vom kapitaleigentum, auf der Strasse hermlauft"-, explicitly allude a viability of the strategy of "having-sabots-on" or of "le refus du travail" in the "Strasse" almost totally organized as the social factory: in order to re-capture back our living labour as the "form-giving fire" (Grundrisse) from the dead labour and substantially re-subsume it as our own "living time."
著者
高橋 佑磨
出版者
一般社団法人 日本生態学会
雑誌
日本生態学会誌 (ISSN:00215007)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.167-175, 2014-11-30 (Released:2017-05-20)
参考文献数
51
被引用文献数
2

種内の遺伝的多型は、種分化の初期過程の例、あるいは遺伝的多様性のもっとも単純な例であることから、古くから理論的にも実証的にも研究が盛んに行なわれてきた。結果として、遺伝的多型に関する研究は、種分化や多様性の維持機構というような進化学や生態学において中核をなす重要なプロセスの理解に大きく貢献している。しかしながら、遺伝的多型の維持機構は実証的には検証が充分であるとはいいがたい。その理由の一つには、生態学者の中で多型の維持機構について正しい共通見解がないことが挙げられる。もう一つの大きな理由は、これまでに示されてきた多型の維持機構に関する証拠は状況証拠に過ぎない点である。選択の存在やその機構との因果性を担保できない断片的な状況証拠では多型の維持機構を包括的に理解することにはならないのである。そこで本稿では、まず、遺伝的多型の維持機構に関してこれまでに提唱された主な説を概説するとともに、それらの関連を体系的に捉えるための"頻度依存性"という軸を紹介する。ついで、負の頻度依存選択を例に、これまでに行なわれた多型の維持機構に関する実証研究の問題点を明確にしていく。そのうえで、選択のプロセスの複数の段階で選択の証拠を得、それらの因果性をできるかぎり裏付けていくという研究アプローチの重要性を述べたい。個体相互作用の引き金となる行動的・生理的基盤からその生態的・進化的帰結を丁寧に結びつけるこのような多角的アプローチは生態学や進化学が扱うあらゆる現象に適用可能な手法であると思われる。
著者
國本 学史
出版者
一般社団法人 日本色彩学会
雑誌
日本色彩学会誌
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.36-39, 2017

近代日本において,色彩論は欧米より輸入され,受容される.その過程で,日本画家である田口米作により,『色彩新論』が著された.同書は,当該書が刊行された明治40年前後の,欧米の近代的な色彩論を主に紹介する書籍とは性質が異なる.また,水彩・油彩画家等による絵画技法の解説・入門書のように色彩を説明する書籍とも性質を異とする.米作は著作の中で,色彩理論の解説に加え,日本の色彩文化論的内容を含む独自の視点を示している.これは当時の色彩論的書籍ではあまり見られない特徴である.独特の色彩理論が構築された要因として,米作が浮世絵師出身でポンチ絵師であったこと,美術学校のようなアカデミズムとは距離があったこと,日本画出身者としての問題意識のもとで色彩理論を独自に学んだこと,が挙げられる.一方で,米作は『色彩新論』刊行を待たず早世し,弟子筋へ技術や知識が継承されなかった.田口米作の特異な色彩論の知見は後世に受け継がなかった一方で,その後日本ではマンセル理論等が取り入れられ,日本の色彩論は,さらなる変化を遂げて行った.本論は,田口米作の『色彩新論』成立のこうした諸背景を整理し,その特異性を明らかにする.
著者
松崎 政代 春名 めぐみ 大田 えりか 渡辺 悦子 村山 陵子 塚本 浩子
出版者
一般社団法人 日本助産学会
雑誌
日本助産学会誌 (ISSN:09176357)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.2_40-2_49, 2006 (Released:2008-06-30)
参考文献数
42
被引用文献数
7 5

目 的 妊娠期の健康度や生活習慣を評価する客観的評価指標は少ない。そこで,妊娠期において酸化ストレスマーカーの一つである尿中バイオピリンを測定し,妊娠期での値の特徴とその関連要因を明らかにし,その利用可能性を検討する。方 法 2004年7月2日から8月31日までの調査期間中にNクリニックに来院した妊婦のうち594名を対象妊婦群とし,妊娠初期・中期・末期に分類した。また,妊婦群の年齢にマッチングさせた,現病歴のない,非妊娠女性35名をコントロール群とした。妊婦群とコントロール群に対し,調査票および診療記録から基本情報,生活習慣,精神的ストレスとして精神的健康度(general health questionnaire: GHQ)の情報を得た。また午前中に採尿・採血を行い,尿中バイオピリン,血清中脂質代謝マーカー(アセト酢酸・3-ヒドロキシ酪酸・トリグリセリド・総コレステロール・LDLコレステロール・HDLコレステロール・遊離脂肪酸)と糖代謝マーカー(グルコース・グリコアルブミン)の測定を行った。結 果 妊娠初期・中期・末期における妊婦の尿中バイオピリン値は非妊娠女性に比して有意に高値(p<0.001)であった。妊娠末期の尿中バイオピリン値は,妊娠初期,中期の値に比して有意に高値(p<0.001)であった。 尿中バイオピリン値に関連する要因として,現病歴があること,高血圧や蛋白尿といった妊娠高血圧症症状があること,グルコースおよび精神的健康度GHQ得点と正の関連,HDLコレステロールと遊離脂肪酸と負の関連が明らかになった。尚,妊娠高血圧症症状は,3-ヒドロキシ酪酸などの脂質代謝と関連があった。結 論 妊婦の尿中バイオピリン値は,妊娠末期に最も高値を示し,非妊娠女性よりも高値を示すという特徴が明らかになった。また,脂質代謝と関連のある妊娠高血圧症症状や現病歴,糖代謝,精神的健康度との関連が見出され,尿中バイオピリン値の妊娠中の酸化ストレスマーカーとしての利用可能性が示唆された。
著者
染谷 潤
出版者
一般社団法人 映像情報メディア学会
雑誌
映像情報メディア学会誌 (ISSN:13426907)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.510-515, 2006-04-01 (Released:2008-04-01)
参考文献数
2
被引用文献数
1 1

液晶ディスプレイの動きぼやけの評価方法であるMPRTは, 液晶の中間調における応答特性とホールド型表示に起因するぼやけを総合的に評価する手法である. この手法により動いている画像を追従している時にしか見えないぼやけを定量化することが可能になる. 本稿では, 動きぼやけの評価手法を紹介するとともにMPRTで評価した結果と主観評価結果の相関について述べる.