15 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1949年05月31日, 1949-05-31
著者
竹田 駿介 タケダ シュンスケ Takeda Shunsuke
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科教育学系
雑誌
大阪大学教育学年報 (ISSN:13419595)
巻号頁・発行日
no.21, pp.43-54, 2016

映画『アナと雪の女王』"Frozen" の登場人物である、アナとエルサに見られる自己愛的な病理の発展過程を物語の展開に沿って考察した。Britton(2003)が児童期のコンテイメントの不在の体験様式の違いによる、成育史も踏まえた自己愛の類型を作成している。Britton(2003)の類型に沿って、アナはリビドー型自己愛、エルサは破壊的自己愛に相当する自己愛の様式を持っていることを明らかにした。加えて、アナとエルサが「真実の愛」とは何かを体験することで、それぞれの自己愛の様式が意識化されたことを示す。その「真実の愛」について、Bion(1963)のコンテイナー/コンテインドモデルの観点から、「真実の愛」を臨床実践に応用するためには心理療法家にどういった態度が必要かについて臨床心理学的に考察した。その結果、クライエントの求める自己愛的な関係性に注意しつつ、心理療法家が自身の原始的な超自我をワークスルーしてそれを示すことが、「真実の愛」へと発展し、"Frozen" な状況を改善する一助となる。
著者
三浦 裕行
出版者
北海道大学総合博物館
巻号頁・発行日
2005-03-31

内田正練(うちだまさよし)氏は北海道大学水泳部の大先輩です。大正9年(1920)のベルギーアントワープ大会に参加した日本最初のオリンピック水泳代表選手であり、彼の地でクロール泳法を会得して帰国し、広くクロール泳法を日本に広めた日本近代水泳の功労者であります。内田正練氏の業績を再確認しようと過去の記録をまとめ北海道大学総合博物館第20回企画展示を計画しました。本書はそのパンフレットとして作成したもので、当時の競技記録と写真をもとに日本泳法からクロール泳法へと転換していった大正末期の水泳事情と内田正練氏の足跡を辿ろうとするものです。
著者
真鍋 幸嗣 花田 雅憲 上石 弘
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学医学雑誌 (ISSN:03858367)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.165-169, 2000-12-25

性同一性障害患者に対して性別再判定手術(性転換手術)が正当な医療行為として国内で初めて行われたのを契機に, 近畿大学医学部附属病院精神神経科外来においても性同一性障害患者が受診するケースが増加している.今回, 我々は外来受診をした性同一性障害患者30名をMTF(male to female transsexual)とFTM(female to male transsexual)とに分類し, それぞれの臨床的特徴を検討した.個々の症例に対して, 初診時年齢, 職業, 子供の頃の遊び, 性別違和の病歴, 性的指向, 不登校の既往, 自傷または自殺企図の経験, 内分泌治療の有無, 外科的治療の有無を聴取し比較検討行った結果, 以下のことが考えられた.・MTF(1)社会適応の悪さが目立つ(2)polysurgeryの傾向がある・FTM(1)発症が比較的早期(2)性自認に揺るぎがないこういった結果を踏まえ, 性同一性障害患者の診断, 治療を行うには性差を理解した上で判断, 対応する必要があるといえる.
著者
簑原 文子
出版者
一般社団法人 日本老年看護学会
雑誌
老年看護学 (ISSN:13469665)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.70-78, 2018 (Released:2019-02-01)
参考文献数
18
被引用文献数
1

本研究の目的は,認知症高齢者の胃ろう造設を代理意思決定した家族が,造設から看取り後まで,胃ろうに対してどのような心理的変化をたどるのかを明らかにすることである.胃ろう造設を決定し,看取りまでを経験した家族7人を対象に,半構成面接法を実施し修正版グラウンデッド・セオリーを用いて分析した.家族は,造設時,胃ろうは<ひとつの食形態>であり<胃ろうにするのは自然なこと>と【延命ではなく自然な経過】としてとらえていた.しかし,被介護者や家族自身の心身の変化が生じるなかで,<胃ろうによって生かされている命を実感>するとともに,<介護生活漂流感>を抱いていた.そして,最期が近づくにつれ<命を託されているような切迫感>のなかで【まざまざと感じる延命の念】を大きくしていた.看取り後は<最期まで看取りきれた安堵感>や<できるだけの介護をやりきった達成感>を得ながらも,<枯れるような最期にしてあげられなかった後悔>を抱いていた.胃ろうを造設した後,終末期に至った際の胃ろうから注入する栄養剤の減量・中止の選択は,家族にとって被介護者の命を断つような感覚を抱かせるものであり,医療者は家族がその選択を受け入れることができるよう,看取りへのケアを含む支援をしていく必要性が示唆された.
著者
米嶋 一善 岡山 友哉 井口 知也
出版者
一般社団法人 日本作業療法士協会
雑誌
作業療法 (ISSN:02894920)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.99-106, 2021-02-15 (Released:2021-02-15)
参考文献数
14

要旨:心不全症状による倦怠感のため,離床を進めることが困難な認知症高齢者を担当した.そこで,認知症高齢者の絵カード評価法を用いてクライエントの意味のある作業を評価し,作業を基盤に介入すると離床につながった.さらにその後,離床時間の延長や耐久性が向上し,短期的介入で退院に至った.急性期における認知症高齢者への心臓リハビリテーションでは,徹底したリスク管理下で,意味のある作業を基盤にした介入が早期離床を促進し,デコンディショニングの予防や,日常生活活動,認知機能の向上といった効果を短期的に示せる可能性を認めた.
著者
石田 仁
出版者
青土社
雑誌
ユリイカ (ISSN:13425641)
巻号頁・発行日
vol.39, no.7, pp.47-55, 2007-06
著者
吉野 政治 YOSHINO Masaharu
出版者
京田辺
雑誌
同志社女子大學學術研究年報 = Doshisha Women's College of Liberal Arts annual reports of studies (ISSN:04180038)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.170(11)-160(21), 2010-12-25

西洋では太陽中心説あるいはコペルニクス説と呼ばれるものを東洋では地動説と呼ぶ。この名には、語の創始者である蘭学者志筑忠雄の、陽である天は動き、陰である地は不動であるとする陰陽論の考え方を完全には克服できなかった個人的思想が反映されている。彼は動不動の相対論を展開しつつ、宗学の特徴である二つの主張西洋の新説は早く東洋でも説かれていたこと、また東洋哲学は西洋科学より優れていることを繰り返している。既に宗学を克服した我々が地動説という語を使用しているのは、一度定着した言葉は容易に変えることはできないという言葉の保守性によるのである。
著者
戸室 健作
出版者
山形大学
雑誌
山形大学紀要. 社会科学 (ISSN:05134684)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.35-92, 2013-02

The purpose of this paper is to examine by comparing the poverty rate, the take-up rate of a livelihood protection system and the working poor rate in 47 prefectures and 4 periods. I could calculate the poverty rate and the working poor rate by requesting the National Statistics Center to rearrange the data based on Ministry of Health, Labour and Welfare, Employment Status Survey, (1992, 1997, 2002, 2007). As a result of the examination, the poverty rate and the working poor rate in Okinawa prefecture, Kyushu District except Saga prefecture, Shikoku District except Kagawa prefecture, 3 prefectures(Wakayama, Osaka and Kyoto) in Kansai District, Aomori prefecture and Hokkaido prefecture are always high. Conversely, these rates in the region from east of Shiga prefecture to west of Yamagata prefecture except Yamanashi and Hukushima prefectures are always low. But it is noteworthy that the gap of the poverty rate and the working poor rate among prefectures is shrinking for high rank. And the average of the take-up rate in top ten prefectures which are high take-up rate is falling, and the average of the take-up rate in bottom ten prefectures which are low take-up rate is falling too. And the gap of the take-up rate among prefectures is expanding.
著者
鵜飼 健史 ウカイ タケフミ UKAI TAKEFUMI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学法学論集 (ISSN:02863286)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.187-214, 2016-03

社会的排除は、いまや世界全体が直面する人類史的な課題である。こうした21世紀初頭の学的状況は、政治学においても知られるようになってきた。本稿は、そのなかでも腰の重さを自認する政治理論研究の観点から、社会的排除を問題化したい――時間がかかったからこそ見えるものがあるかもしれない。とりわけ、社会的排除に対して、代表制民主主義がどのような対策を準備できるかを理論的に明確化する。このテーマに取り組むために、本稿では、排除と対比される包摂の位置づけを批判的に分析しながら、両者を区別する境界線に注目する。本稿の目的は、境界線の分析を通じて、排除と包摂の二元論を超えるものとして、代表制民主主義の理論的な再構成を行うことにある。社会的排除とは何かについて、本稿に関する事柄のみを確認してその導入としたい。この言葉自体は、グローバル化と脱工業化が進展するヨーロッパを中心として、1970 年代ごろから長期失業者や生活困窮者を示すために顕著に使用されてきた(バーン2010: 104, 中村 2007: 64-65)。その内容は、たんなる経済的な貧困だけにとどまらず、人間関係や共同性からの切断および存在価値の剥奪も含意している。社会的排除は、社会生活を営む上で主流と考えられる関係性からの排除を意味する。具体的な事例については枚挙に暇がないが、現代日本社会の病理として数えられるような孤独死、ネットカフェ難民、ワーキングプア、無縁社会、不安定就労などのすべてはこれに妥当する。そのため、ルース・リスターが適切に指摘するように、社会的排除は明確な基準によって特定化された実証可能な状態というよりも、それ自体はあくまで概念――とりわけ「政策的含意をもった政治的言説」――として理解されるべきであろう(Lister 2004: 98=145, 福原2007: 21)。先行研究が製錬してきた社会的排除概念は、諸問題・不利の組合わせであり、動態的で複雑な多次元的な過程であり、政治・経済・社会・文化などの各次元における参加への障壁や困難にある( 岩田 2006: 23-26,福原 2007: 14-17, 圷 2012: 140, Pierson 2013: 73)。社会的排除は非物質的な関係や機会の不足を問題化し、個人の社会関係資本の枯渇化と並行して生じる、さまざまな次元における連鎖的な締め出しの過程である。阿部彩は、社会的排除概念が、たんに人間関係の欠乏を論点として加えただけではなく、排除する側の存在に光を当てて社会のあり方を問題化した意義を指摘する( 阿部 2011: 124-26, Cf. 岩田 2008: 50-51)。本稿は、こうした社会的排除の概念的な性質を前提として、それに抗する政治理論を考察する。次節では、社会的排除における政治的な次元を議論するとともに、政治的・政策的な応答を整理し、政治理論に固有な課題を明確化する。その際、排除と包摂をめぐる境界線の存在が民主主義理論に投げかける課題に論及したい。第3節では、持続的な社会的排除に対応した現代民主主義理論を参照しつつ、境界線に対する処置を批判的に考察する。具体的には、ナンシー・フレイザーの正義としての代表論を中心的に取り上げ、境界線に対する現代政治理論研究の貢献を明らかにする。最後に、脱領域的な民主主義理論の再構成を模索すると同時に、多次元的な主体化の過程として政治的代表を理解することの意義に言及したい。
著者
水野 義之
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 = Contemporary society bulletin : 京都女子大学大学院現代社会研究科博士後期課程研究紀要 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.15, pp.77-87, 2021-03

AI(人工知能)を理解するために、人間側における「人間知能」の新たなモデルを提案する。このモデルは一種の仮説であり、実証的な証明の対象ではない。しかし他にはない新たなモデルであり、このモデルによって初めて現状のAI と、「人間知能」の関係を理解することが可能となる。このモデルでは人間の知能を4 つの要素に分ける、すなわち知性、理性、感性、悟性の4 成分に「人間知能」を分解する。この4 成分は情報の5 形態であるデータ、情報、知識、知恵、統合という5 要素をつなぐリンク(間)の数4 である。この見方によって「科学」と呼ばれる知的な活動・知識生産の位置付けも初めて明確になる。この「人間知能」のモデルを使うことで初めて、旧来の哲学で知られるデカルトの理性もカントの認識論も位置付けることができる。すなわち広義の「情報」と「知能」という捉え所のないものの間の関係性が、本論文で明らかにされる。このため、この「人間知能」のモデル化は、今後AI 時代の情報学の教育改善のためにも有用であることが示される。 In order to understand AI (artificial intelligence) in a broader perspective, we propose a new model of "human intelligence". This model is a kind of hypothesis and may not be subject to any proof. However, it is new and comprehensive, and it is this model that would make it possible to understand the relationship between the current AI and the "human intelligence". In this model, human intelligence is subdivided into four components: namely intellect, reason, sensibility, and understanding. These four components coincides with the number of links that connects the five elements, namely data, information, knowledge, wisdom, and integration. These are of five forms of "information". With this perspective at hand, we are now able to represent the so-called "science", a knowledge production process. By using this model of "human intelligence" can Descartesʼs reason and Kantʼs idealism, known in traditional philosophy, be represented properly. In other words, the relationship between "information" and "intelligence" in a broad perspective is now clarified in this paper for the first time. Thereupon it is shown that this modeling of "human intelligence" will be useful for improving the education of informatics in the AI era in the coming future.