- 著者
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藤澤 高志
大西 直毅
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.72, no.5, pp.345-353, 2017-05-05 (Released:2018-05-05)
- 参考文献数
- 21
量子力学の黎明期1922年になされたStern-Gerlach実験は,多くの量子力学の教科書に取り上げられている.右図のように,不均一な磁場に銀の分子線(原子線)を通すと,磁気能率が磁場の強さの勾配に比例する力を受け軌道が曲げられ,ビームが2本に分かれる.このことは,磁気能率がとびとびの値になることを示しており,古典論と量子論の成否に決着をつけるものであった.また,同時に,二価の内部自由度をもつ電子スピンの明確な実験的証拠でもあった.この実験のように不均一磁場で原子・分子線の軌道を制御する手法は,その後シュテルンらの手により発展し多方面で使われている.その成果のひとつは,シュテルンとラビによって進められた陽子,重陽子および種々の原子核の磁気能率の測定である.陽子の磁気能率は核磁子の予想値より大きく,陽子が複合粒子であることが明らかになった.本稿の前半ではStern-Gerlach実験の経緯も含め当時の様子を紹介する.Stern-Gerlach実験当初アインシュタインはその結果を見て,原子が磁場に入る前に磁場に平行か反平行かに偏極していると考えてボルンにその困難について手紙をしたためている.結局,それは数年後に成立した量子力学の助けを借りてはじめて理解できることであり,確率解釈など量子力学に潜む不思議に光を当てたボルンによる断熱理論の援用が必要となる.この断熱理論・断熱変化が本稿後半のテーマである.読者諸氏のなかには,量子力学の教科書で,Stern-Gerlach実験の磁石を2つ組み合わせた重ね合わせの原理に関する思考実験について学んだ方がいるだろう.z軸に沿って飛ぶスピン1/ 2の粒子線を第1の磁石でx方向に分離すると,半々に分かれ,さらに第2の磁石でy方向に分離するとそれぞれが半々に分かれる,というものである.ところが,断熱変化の観点からこの思考実験を再検討すると,必ずしも教科書の説明通りにはならない.実際には,両磁石から漏れる磁場の重なりで磁場の方向がなめらかに回転するのにあわせてスピンも断熱的に回転するからである.この現象を応用した実験技術の代表的なものに原子線型陽子偏極イオン源装置がある.まず6極磁石で水素原子の電子スピンが磁場方向に揃った状態を選択し,これを2極磁石の磁場中に導いて,高周波で核スピンを反転させ,陽子偏極を作り出す.ここでは両磁石の漏れ磁場の重なりが引き起こす断熱回転が電子偏極の保持に決定的な役割を果たしている.著者(藤澤)が理化学研究所で陽子偏極イオン源を製作し旧東大原子核研究所のAVFサイクロトロンに設置したとき,SGEの原理を肌身で実感した.藤澤はこの技法をさらに発展させ,新しい分子線制御法を考案した.多くの2極磁石の磁極を交替に反転させてビーム方向に配置し,多極収束磁石により,酸素分子線を薄いシート状のビームに収束することに成功した.この多極磁石で生成したシートビームは放医研の医療用重イオンシンクロトロン(HIMAC)の非破壊型ビームプロファイルモニターのターゲットに活用された.