著者
小山 雄二郎 鬼木 泰成 中村 英一 西岡 宏晃 岡元 信和 田中 あづさ 廣瀬 隼 水田 博志
出版者
西日本整形・災害外科学会
雑誌
整形外科と災害外科 (ISSN:00371033)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.161-165, 2012-03-25 (Released:2012-06-26)
参考文献数
18
被引用文献数
1

両膝完全型内側円板状半月板の1例を経験したので報告する.【症例】13歳,男性【主訴】右膝痛【現病歴】1年ほど前から特に誘因なく右膝の内側に運動時痛を認めた.徐々に疼痛が増強したため,当科を受診した.【現症】両膝共に腫脹,膝蓋跳動,可動域制限は認めなかった.圧痛を右膝の内側関節裂隙に認めた.【画像】単純X線像では,特に変化は認められなかった.MRIで内部に水平断裂を伴う完全型内側円板状半月板を認めた.左膝にも同様の所見を認めた.【経過】右膝に対し関節鏡下半月板形成術を行った.現在術後7カ月であるが疼痛は消失し,スポーツへ復帰している.
著者
西岡 敏
出版者
一橋大学
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.124, no.4, pp.516-531, 2000-10-01

論文タイプ||論説
著者
西岡 利勝 寺前 紀夫
出版者
公益社団法人日本分析化学会
雑誌
分析化学 (ISSN:05251931)
巻号頁・発行日
vol.40, no.11, pp.723-726, 1991-11-05
被引用文献数
2 1

異種高分子同士による塗装界面付近におけるデプスプロフィルを顕微赤外分光法により観測する方法を開発し, 塗装界面の接着機構を明らかにした.この方法は, 塗装試料からウルトラミクロトームで厚さ10μmの切片を切り出し, 顕微赤外装置により塗装界面付近のデプスプロフィルを測定するものである.測定にはオートマップステージ付き顕微赤外装置を用い, 塗装界面付近を5×70μmのアパーチャーサイズで, 2μmステップにて測定を行った.本法により, ポリウレタンとポリプロピレン/エチレンプロピレンゴム(PP組成物)との塗装界面付近のデプスプロフィルを調べた.ポリウレタンとPP組成物との塗装界面付近で数十μmにわたる混合相が観測された.混合相の形成が塗膜の接着に寄与していると推定した.PP組成物表面の洗浄方法の違いにより, 混合相の厚さが異なることが分かった.
著者
西岡 敏郎
出版者
東京都立大学都市研究センター
雑誌
総合都市研究 (ISSN:03863506)
巻号頁・発行日
no.71, pp.53-72, 2000-03

戦後日本社会の構造を規定したと考えられるいくつかの要素に、「農地改革」、「高度成長」、「都市化」という現象がある。これらのキーワードを結ぶ視点として、「宅地行政」をとりあげ、とくに高度成長期に、どのような宅地行政が行われたのかを考察することが本稿の課題である。ここで「宅地行政」は、この時期に建設省が所管していた土地行政、特に住宅地に関する行政を主たる対象として論じる。戦後の宅地行政において、戦災復興期における住宅難への緊急的な対応が一段落したあと、1955 (昭和30) 年頃から始まった高度成長期における主要な課題は、第一に、住宅用地・工業用地の需要と供給の不均衡から生じる問題、第二に、道路、鉄道、港湾などのインフラ設備に必要な公共用地の取得に関する問題に集約されるだろう。1960 (昭和35) 年、建設省による「宅地総合対策」は、これらの課題に取り組む方針を示した。そして、この方針は、建設省が設置した宅地関連の審議会の議論を経て、数々の答申となり、多くが法制化された。しかし、これらの対策の実現にもかかわらず、1965(昭和40) 年をピークに最初の地価高騰が起こる。佐藤内閣は、「社会資本開発」の推進を標携し、土地問題が政策課題の舞台に上る。建設省を軸に、政府レベルの協議会が開催され(1965年第1団地価対策閣僚協議会)、宅地供給の増加を中心とした政策から、土地利用規制、税制、金融政策との連携が模索されることになる。こうした政策の模索と遂行にもかかわらず、オイル・ショック前後には再び地価が高騰した。高度成長期に、あるいはさらに遡って戦争直後に、都市計画を中心とする宅地政策を確立させておくべきだったという見方があり、それ自体は正しいだろう。しかし、なぜそうしたあるべき政策が実行されず、他の政策が採られたのかという問いに答えることは、容易ではない。実効性のある宅地政策の実現可能な程度は、土地という財がその社会においてどのような意味を持っているのかに依存する。急激な都市化と高度成長により大きく変貌しつつあった戦後日本において、歴史的に政治資源と切り離された「土地」という財に対する政策を確立するために、十分な経験や「専門」能力がどの程度蓄積されていたのか。戦後の宅地行政を振り返る背景には、このような問題関心がある。There are several key factors such as Agricultural Land Revolution, Economic High-growth and Urbanization that form a basic structure of after-war Japan. Land policy is a key word to consider of those factors. The purpose of this paper is to review the land policy provided by the Ministry of Construction during the high-growth period in Japan. In the period two main subjects to be tackled in the land policy are identified. First, strong demand and weak supply of residential and industrial land brought a lot of problems. Second, there were difficulties on acquirement of public land for infrastructure such as highway-road and railway. In 1960, the Ministry published a General Land Policy, or Takuchi Sogo Taisaku. Based on this Policy, the Ministry asked the Land Policy Committee to discuss several specific topics related to the policy. As a result, lots of Acts were legislated to solve land problems. Between 1964 and 1965, however,land price in Japan rose up dramatically. Prime Minister Eisaku Sato and his cabinet raised a concept of Social Asset Development, Shakai Shihon Kaihatsu, by which they put land problems into political arena. They held a Cabinet Council on Policy on Land Price in 1965. The importance of policy mixture of land use control , land tax and finance policy was focused since then, while the growth of land supply was the core of land policies. Again, in spite of these efforts, land price grew up violently around 1970 to make people believe land price myth. Some criticised the policies by saying that they should have established a land policy of which priority is on land use control in the 1960's or even before. This is correct in a sense, but is it not easy to answer the question; Why did they choose those and not others? To how much degree the land policy is effective depends on the significance of land asset in each country. In Japan, where land had not been identified as political-power resources,it would be reasonable to think that experience and professional knowledge of effective land policy should be limited.
著者
西岡 智史
出版者
広島大学(Hiroshima University)
巻号頁・発行日
2015

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00038607
著者
宮前 智一 細川 太郎 土谷 友利 前原 充 西岡 賢一 兵井 純子 鈴木 康文
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. V, 教科教育 (ISSN:03893480)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.21-32, 2004-09-30
被引用文献数
2

力学に関する学生実験やこども達への演示教材としてパチンコの玉を転がす滑走台を製作した。長さ2mのカーテンレールをベニヤ板に打ちつけたものである。」三の速さ(Vm>2m/s)は, 玉がレール上の特定の場所を通過するときに発する電気信号の時間間隔を記録することによって測定した。レールの先端に発射台を取り付け, そこから飛んだ玉の飛距離を測定した。レールの途中にもう一つの玉を置き, 玉どうしの衝突についても演示や測定を行った。これらの測定で求めた玉の運動エネルギーを力学的エネルギー保存の法則に照らして比較考察した。また衝突における運動量についても考察した。これらの考察によって, "慎重に測定した結果からは, 従来の物理教材で無視されがちな効果が見える" ことが例示できた。この教材は, 用い方を選ぶことで, 大学生, 高校生, 中学生, 小学生それぞれに力学現象への興味と有意義な理解を与えるものである。
著者
西岡 和彦 中塚 巖 金丸 博
出版者
Japan Radioisotope Association
雑誌
RADIOISOTOPES (ISSN:00338303)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.133-139, 1988
被引用文献数
1

抗潰瘍剤ゲファルナートの代謝研究に供するため, その酸成分であるファルネジル酢酸の改良標識化法を開発した。炭酸バリウム (3) より得られるオキソブタノエート (8) を臭化ゲラニル (9) でアルキル化後, 加水分解, 脱炭酸によりゲラニルアセトン (11) を得た。11の炭素鎖をグリニャール反応, HBr処理, シアノ化により延長して得られたファルネジルアセトニトリル (14) を加水分解することにより, [5-<SUP>14</SUP>C] ファルネジル酢酸 (1) を通算収率6.1%で得た。
著者
西岡 千文
巻号頁・発行日
2017-07-27

第4回 CODHセミナー デジタルアーカイブにおける画像公開の新しいトレンド --IIIFが拓く画像アクセスの標準化と高度化--
著者
西岡 尚也
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2004年 人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
pp.6, 2004 (Released:2004-11-12)

小中学校時代に形成された「地理的見方や考え方」は生涯にわたって世界認識形成や地域イメージを左右する。本発表ではこのような地理教育の役割を考え、特にアフリカに関わる記述に焦点を当て考察した。検討したのは2004年4月現在使用されている、小学校社会6年下5冊、中学校地理7冊の合計12冊の教科書である。 6年下でアフリカの国を取りあげ詳しく記述した教科書はない。かつ5冊の教科書に登場するアフリカに関わる写真は合計19枚しか存在しない。しかもそのうち14枚が、「飢えに苦しむ」「食糧配給を待つ」「難民」「紛争」「砂漠化」などのマイナス面を表している。私にはこれらで学ぶ子供たちに、アフリカ大陸の「悲惨さ」のみが誇張されて伝わり、誤った地域イメージが形成されると思えてならない。 明治初頭の福澤諭吉(1869)『世界国尽』は、異文化地域にランク付けし、欧米以外の文化地域を蔑視した世界観を「啓蒙」した。当時の福澤の視点は、欧米人の世界観を「模倣輸入」したもので、福澤一人の問題ではなかった。しかし今日の日本人の誤った世界認識形成は「日本の地理教育の責任」である。 開発教育では「多様性の尊重」を重視している。私たちはこの視点に学び、福澤以来の欧米以外の地域への偏見を改めなければならない。そのためにも地理教科書では「正しい世界認識」をめざした表記が重要になる。
著者
吉村 由梨 若林 秀隆 前田 圭介 西岡 心大 小蔵 要司 中原 さおり
出版者
一般社団法人 日本静脈経腸栄養学会
雑誌
日本静脈経腸栄養学会雑誌 (ISSN:21890161)
巻号頁・発行日
vol.32, no.2, pp.964-970, 2017 (Released:2017-06-20)
参考文献数
13

【目的】リハビリテーション栄養研修会への参加と、サルコペニアの評価とリハビリテーション栄養管理の実践の関係について検証した。【対象および方法】日本リハビリテーション栄養研究会会員4,621名を対象にオンライン調査を実施した。研修会参加の有無と筋力・筋肉量・身体機能測定、エネルギー蓄積量を考慮した栄養プランニング実施、栄養補助食品使用、栄養からみたリハビリテーションの考慮で、単変量解析、多変量解析を行った。【結果】715名(15.5%)の有効回答を得た。研修会参加者は536名(75%)、非参加者179名(25%)であった。筋肉量の測定・評価、エネルギー蓄積量を考慮した栄養プランニング実施、栄養からみたリハビリテーションの実施は、研修会参加群で有意に多く、参加回数が増えるごとに各項目のオッズ比が向上した。【結論】サルコペニアの評価とリハビリテーション栄養管理の実施は、リハビリテーション栄養研修会の参加の有無および参加回数と関連していた。
著者
西岡 秀三 大塚 啓二郎
出版者
日経サイエンス
雑誌
日経サイエンス (ISSN:0917009X)
巻号頁・発行日
vol.35, no.12, pp.28-33, 2005-12

編集部 特集『大選択 地球の未来』では,限りある存在である地球の姿が明らかになった現在,環境と共生可能な社会システムとは何か,各分野の専門家が解説しています。この特集から,今後日本が何をすべきかを考えていきたいと思います。
著者
村上 呂里 那須 泉 西岡 尚也 善元 幸夫
出版者
琉球大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

ベトナムでは、教え込みから子ども中心主義への教育改革に取り組んでいる。本研究は、貧困問題や差別、学力問題や言語問題などの課題を抱える少数民族地域の小学校をフィールドとし、共通の問題を抱えた沖縄で培われた理論や実践に基づき、ベトナムの教育改革の質的向上に参加した。その成果については、日本語版『日本・ベトナム共同授業研究の歩み-教え込みから子ども中心主義へ』(明石書店、2015)とベトナム語版"Tu giao duc nhoi nhet sang giao duc tich cuc"(フォレスト社、2106)として刊行し、ベトナム側にも広く還元した。
著者
関谷 伸一 南部 久男 西岡 満 西脇 薫 栗原 望 田島 木綿子 山田 格
出版者
日本セトロジー研究会
雑誌
日本セトロジー研究 (ISSN:18813445)
巻号頁・発行日
no.21, pp.1-8, 2011
被引用文献数
1 3

カマイルカの頚椎と腕神経叢を、肉眼解剖学的に検討した。7個の頚椎のうち、環椎と軸椎はほぼ完全に融合していたが、第3頚椎以下は分離したままであった。腕神経叢は第3-8頚神経(C3-C8)および第1胸神経(T1)から構成された。これらの7本の神経根が合流しあい、左側で3本、右側で4本の神経幹となった。これらの神経幹が合して、一本の背腹に扁平な帯状の神経束となり、腋窩に達した後、上肢帯筋の筋枝と胸びれの神経を放射状に分岐した。横隔神経と肩甲上神経は、腕神経叢の頭側縁から分岐した。胸筋神経は神経束の腹側面から分岐した。神経叢の背側面からは、肩甲下神経、腋窩神経、橈骨神経、大円筋枝と広背筋枝が分岐した。正中神経と尺骨神経は共同幹をなし、前腕で多数の皮枝を分岐したのち、掌側指神経となった。この共同幹の近位部から、筋皮神経と思われる枝が分岐した。costo-coracoid筋(小胸筋)には胸筋神経と横隔神経からの枝、あるいは腕神経叢から直接分岐した枝が分布していた。頚部の短縮にともなって、腕神経叢を構成する脊髄神経の分節数が増加することがうかがえた。