- 著者
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吉田 明弘
鈴木 三男
- 出版者
- 東北地理学会
- 雑誌
- 季刊地理学 (ISSN:09167889)
- 巻号頁・発行日
- vol.64, no.4, pp.155-172, 2013 (Released:2013-05-11)
- 参考文献数
- 41
- 被引用文献数
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宮城県多賀城跡鴻ノ池地区における堆積物の14C年代測定,テフラ年代,花粉分析,出土材の樹種同定の結果から,多賀城周辺における高時間分解の植生復元を行った。この復元に基づき,多賀城周辺における古代の森林伐採と栽培植物を考察した。さらに,仙台平野周辺の考古資料をまとめ,古代の大和政権の東北進出に伴った広域的な森林伐採と地形形成への影響を検討した。多賀城周辺の丘陵地では,多賀城の築造前はコナラ属やクマシデ属など落葉広葉樹の自然林が分布していた。多賀城の築造後,丘陵地では森林伐採が行われ,陽地性で乾燥環境を好む草本植生が広がった。その後,継続的な森林伐採は,丘陵地の土壌侵食を増大させ,8世紀後半にはアカマツ二次林が成立した。9世紀初め以降には森林伐採が緩和し,丘陵地ではブナ属やコナラ亜属の二次林となった。多賀城の築造後,多賀城周辺の沖積平野では,人口増加を背景にして,大規模な水田稲作や畑作が開始した。一方,仙台平野周辺では,大和政権の進出に伴って窯業や製鉄業が盛んに行われるようになり,広域的な森林伐採が行われた。この森林伐採は,仙台平野への土砂流出を招き,7∼9世紀以降の海岸線の前進速度を増加させた可能性が高い。