著者
黒田 隆明
出版者
日経BP社
雑誌
日経BPガバメントテクノロジー
巻号頁・発行日
no.11, pp.29-32, 2006-04

複数の自治体が共同で業務アプリケーションを利用し、運営・管理はデータセンターで行えば、高セキュリティ・低コストでシステムの構築・運用ができるだろう。ただし、共同化のメリットはこうした"割り勘効果"だけにとどまらない。自治体間で重複業務を抽出し共同化することによって、さらなる効率化を追求できる。
著者
山崎修治 徳山 英明 胡暁丹彡 藤村 誠 前村 葉子 黒田 英夫
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告オーディオビジュアル複合情報処理(AVM) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2002, no.25, pp.77-82, 2002-03-08
被引用文献数
2

フラクタル画像符号化では,レンジブロックを最も類似したドメインブロックで近似するため,どのドメインブロックで近似するかによって復号画像の品質が左右される。本論分では,復号画像の高品質化を目指して,各ブロックにおけるフラット/ノンフラットブロックの判定閾値を用いた符号化制御の設計法を提案する。本設計法により,フラットレンジブロック判定閾値と高品質の復号画像を得るときのフラットドメインブロック判定閾値は比例関係を示し,その近似誤差が最大0.15dBの範囲であることから,ブロック閾値による符号化制御の設計が有効であることを示す。For fractal image coding, range block approximated by the best matching domain block. So the quality of reconstructed image will be influenced by which domain block is set as the best matching domain block. In this paper, we propose the method that using threshold value of flat block, to attain high quality of reconstructed image. As a result of a simulation experiment, the relations between threshold value for flat rage block and threshold value for the flat domain block which obtains high quality reconstructed image is expressed by propotrionality relation, and the approximation error is suppressed within 0.15dB. As a result the affectivery of the proposed method using these threshold value is shown.
著者
黒田 篤史
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.202, pp.225-242, 2017-03

柳田國男の記念碑的著作『遠野物語』の一一二話に考古学的な記述があることは、これまであまり注目されてこなかった。本稿はこの『遠野物語』一一二話の成立過程とその背景を明らかにすることで、柳田國男の考古学的関心について考察するものである。『遠野物語』の成立に最も深く関与しているのは、話者である佐々木喜善の語りである。本稿では、一一二話に何が記されているのかを紐解いた後、佐々木の語りの原形を探るため、彼が少年時代に採集した考古遺物のリストである『古考古物號記』を読み解いた。そこには、佐々木が主に地元で採集した遺物の地点やその形状などが記されていて、一一二話の内容と大まかに一致する。また佐々木が後年著した「地震の揺らないと謂う所」にも考古学的記述があり、佐々木が柳田に一一二話の元になる話を語った意図を見出すことができた。このように佐々木の語りの原形を明らかにしていくことで、佐々木の語りの意図は必ずしも『遠野物語』一一二話に反映されていなかったことが見えて来た。このズレを生んだのは、柳田の意図が介在したためである。柳田の意図はどこにあるのか、佐々木に聞き書きを行っていた頃に柳田によって著された「天狗の話」や「山民の生活」に、その答えを見出すことができた。柳田は鎌倉時代頃まで少なくとも東北地方には先住民にあたる「蝦夷」と「日本人」は隣接する地域に併存していたという先住民観を持っていた。そうした考え方が『遠野物語』一一二話に色濃く顕れていることが、これらの文献を比較することで明らかとなった。本稿の検討から、柳田の考古学的関心は、日本人と先住民の関係を探るために寄せられていたことがより明白となった。
著者
黒田 長久
出版者
日本鳥学会
雑誌
(ISSN:00409480)
巻号頁・発行日
vol.18, no.84, pp.Plate1-Plate2, 1968-03-20 (Released:2008-12-24)
著者
黒田 智
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.127-152, 2004-03

勝軍地蔵とは、日本中世における神仏の戦争が生み出した軍神(イクサガミ)であった。その信仰は、観音霊場を舞台に諸権門間の対立・内紛といった戦争を契機として誕生した。そして征夷大将軍達の物語とともに、その軍神(イクサガミ)的性格を色濃くしていった。多武峯談山神社所蔵「日輪御影」は、いわば勝軍地蔵誕生の記念碑的絵画であった。「日輪御影」は、応長・正和年間(一三一一〜一二)に、興福寺との合戦に際して戦場となった多武峯冬野における日輪出現と、その周辺の観音勝地で起こった三神影向伝説を絵画化したものである。画面下方に描かれた束帯に甲冑を着した三眼の異人は、良助法親王と推測され、彼が喧伝した勝軍地蔵を想起させる。画面上方の円光中に描かれた藤原鎌足像は、三眼の異人と対をなして勝軍地蔵の化身として配置されている。また画面上部に描かれた三つの円光は太陽・月・星であり、山王三聖信仰を背景とする三光地蔵の表象である。「日輪御影」に表された勝軍地蔵信仰の世界観は、三光の多様な言説を背景として、鎌倉中期から南北朝期にかけて浮上する太陽・日輪の文化の急速な波及と密接に関わっている。太陽・日輪イメージは、勝軍地蔵信仰と結びつくことで、戦う神仏のイデオロギー・武威のシンボルへと収斂していたのである。こうした太陽・日輪イメージは、天空における太陽の月・星に対する優位性が日本という国家・国土の優越性に準えられた思想であった。それは、日本の神仏の優位性を主張し、日本という国土を神聖化し、日本を仏教的コスモロジーの中心に位置付けようとする運動であった。勝軍地蔵信仰は、同時代の中世的国家・国土観念と不可分な結びつきをもちながら、後代に少なからぬ影響を及ぼしていったのである。Shogun jizo is an ikusa-gami (military deity) that was created as a consequence of the war among gods during the Middle Ages. The belief in this deity came into being on the occasion of battles that were confrontations and internal disputes between various men of influence in sacred sites of the Kannon (Goddess of Mercy). Together with the tales of the Seii-taishogun (military general), the character of the shogun jizo took on stronger character of a military deity."Nichirin-no-Miei" is held at Tonomine-Tanzan Jinja Shrine, and is symbolizing the birth of the shogun jizo."Nichirin-no-Miei" is a depiction of the appearance of nichirin (sun) at Tonomine Fuyuno, which was the battleground of the war that took place against Kofuku-ji Temple during the Ocho and Showa periods (1311-1312). It also depicts the legend of Sanshin Yogo (appearance of three gods), that took place near sacred sites of the Kannon. The strange three-eyed figure depicted at the bottom of the drawing wearing armor over full court dress is assumed to be Ryojo Hosshinno (Imperial Prince Priest Ryojo, son of Emperor Kameyama), who is somewhat reminiscent of the shogun jizo. The figure of Fujiwara-no-Kamatari, who is an incarnation of the shogun jizo, drawn in the upper part of the drawing inside an aureole is forming a counterpart to the three-eyed creature. The three aureoles drawn in the upper part of the picture are the sun, moon and Venus, and symbolize the Sanko jizo, which are linked to the Sanno Sansho religious belief.The world view of the shogun jizo belief represented in "Nichirin-no-Miei" has a close relationship with the rapid spread of the sun culture, which constitutes the Sanko belief together with the moon and Venus, that emerged from the middle of the Kamakura Period (1185-1333) through to the Period of the Northern and Southern Courts (1336-1392). By linking with the belief in the shogun jizo, the sun image came to narrow down to a symbol of the ideology and military power of warring gods.This image of the sun representing the superiority of the sun over the moon and Venus in the heavens was a belief that was modeled on the superiority of the state and territory that constituted Japan. It was a movement that advocated the superiority of Japanese gods, sanctified the territory of Japan and sought to position Japan in the center of the Buddhist cosmology. At the same time as being inextricably linked to the concept of the medieval state and territory of that period, the belief in the shogun jizo came to have a considerable influence over later periods.
著者
吉田 雄樹 黒田 清司 和田 司 奥口 卓 遠藤 重厚 小川 彰
出版者
日本救急医学会
雑誌
日本救急医学会雑誌 (ISSN:0915924X)
巻号頁・発行日
vol.14, no.4, pp.179-186, 2003-04-15 (Released:2009-03-27)
参考文献数
9
被引用文献数
1 1

1996年1月から2002年4月までの期間に,初回CTにて急性硬膜下血腫およびそれに伴う脳腫張が主病変であり,GCSが10以下もしくはmidline shiftが10mm以上であった重症例52例に対し,救急外来での穿頭による血腫除去術を行った。52例中42例は搬入時既に瞳孔異常を伴う脳ヘルニア状態を呈していた。穿頭術のみによる血腫除去率は平均で69%であり,なかでもCT所見にて低吸収像の混在するmixed densityを呈する症例ほど除去率が高かった。穿頭術後に瞳孔所見や意識の改善が36例(69.2%)に認められた。穿頭術のみで脳圧管理が可能であった症例は13例であった。全症例の転帰は,GOS評価でGR 6例,MD 6例,SD 4例,PVS 4例,D 32例であった。さらに術式別にみると,穿頭術のみではGR 6例,MD 4例,SD 1例,D 22例であり,開頭術を追加されたものはMD 2例,SD 3例,PVS 4例,D 10例であった。穿頭血腫除去術は,急性硬膜下血腫に対しては効果的でかつ迅速に行える方法で,重症頭部外傷例においても施行可能な手技である。ゆえに救急外来での穿頭血腫除去術は,重症急性硬膜下血腫例に対して試みるべき方法であると思われた。
著者
黒田 一平
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科言語科学講座
雑誌
言語科学論集
巻号頁・発行日
no.19, pp.1-25, 2013

This study provides a new approach to grammatology from the viewpoint of cognitive linguistics. In western linguistics, written language has been researched less extensively than spoken language because the former has been regarded as a simple reflection of the latter. However, there are many linguistic phenomena which cannot explain without referring to letters, especially in Japanese which utilizes four writing system: Chinese character (kanji), two Japanese characters (hiragana and katakana) and Latin alphabet. Such writing systems should be taken into consideration in analyzing phenomena I handle in this paper: abbreviated forms of Chinese characters, a part of abbreviation words, young people's languages and a technique in traditional Japanese poems (waka). Previous studies have only described and analyzed these phenomena individually, not in a systematic and unified way. Therefore, in order to capture them holistically, I propose a network model by adding a space for letters (graphemes) to phonological and semantic poles of conventional cognitive models (e.g. Langacker (1987), Bybee (1985)). Then, I illustrate how effectively this model can treat issues of writing as above. This approach provides cognitive linguistics with higher affinity with other fields of cognitive science such as psychology and neuroscience in analysing language change and variety concerning writing, because they usually distinct written language from spoken language as subject of research.
著者
黒田基樹著
出版者
岩田書院
巻号頁・発行日
2013
著者
今津 浩喜 笠原 正男 城野 健児 竹下 健也 丹羽 基博 村上 正基 南 圭介 見元 裕司 田代 和弘 黒田 誠 溝口 良順 堀部 良宗 新井 一史 菅沼 正司 船曵 孝彦
出版者
The Japanese Society of Gastroenterology
雑誌
日本消化機病學會雜誌. 乙 (ISSN:13497693)
巻号頁・発行日
vol.89, no.8, pp.1499-1505, 1992
被引用文献数
1

手術及び剖検にて得られた十二指腸癌症例中良好なDNA histogram の得られた12症例についてそのDNA ploidy pattern, proliferation index (PI) 及び proliferating cell nuclear antigen (PCNA) との相関を検討した. 12症例中75% (9症例) がDNA aneuploidy を示し, また, (91.6%) 11症例がPCNA染色陽性であつた. 組織型とDNA ploidy pattern, PI, PCNA score 及びPCNA陽性率との間に, また, DNA ploidy pattern とPCNA score 及びPCNA陽性率との間には特に相関がなかつたが, PIとPCNA score との間に相関傾向が, PIとPCNA陽性率との間に有意の相関が (P<0.05) 認められた. PCNAの陽性率の判定には方法論上いくつかの問題点も含まれているが腫瘍細胞の増殖率の判定においては, 少なくとも関連性があるものと考えられた.
著者
村上 昇 高橋 清久 黒田 治門 江藤 禎一
出版者
JAPANESE SOCIETY OF VETERINARY SCIENCE
雑誌
日本獸醫學雜誌(The Japanese Journal of Veterinary Science) (ISSN:00215295)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.29-34, 1986
被引用文献数
1

偽妊娠ラットにおいて, 制限給餌のプロラクチンサージおよびコルチコステロンリズムに及ぼす効果を検討した。成熟雌ラットを, 14L:10D (グループ1: 5時点灯19時消灯, グループ2: 19時点灯7時消灯)の条件下で飼育し, それぞれのグループに自由給餌群と, 毎日9-11時のみ2時間の制限給餌群を設け, 23日後の発情前期に子宮頸部刺激で偽妊娠を誘起した。自由給餌群では, ノクターナルサージおよびダイアーナルサージは, グループ1ではそれぞれ3時および18時に, グループ2では15時および6時に認められ, プロラクチンサージがそれぞれの光条件に同調していることがわかった。一方, 制限給餌群では, 両グループともにノクターナルサージは影響を受けなかったが, ダイアーナルサージは消失した。血中コルチコステロンリズムは両グループともに, 制限給餌直前にピークを示した。以上の結果から, 偽妊娠ラットのプロラクチンサージでノクターナルサージとダイアーナルサージの成立には別の機構が存在する可能性が示唆された。
著者
村上 昇 高橋 清久 黒田 治門 江藤 禎一
出版者
社団法人日本獣医学会
雑誌
日本獸醫學雜誌(The Japanese Journal of Veterinary Science) (ISSN:00215295)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.29-34, 1986
被引用文献数
1

偽妊娠ラットにおいて, 制限給餌のプロラクチンサージおよびコルチコステロンリズムに及ぼす効果を検討した。成熟雌ラットを, 14L:10D (グループ1: 5時点灯19時消灯, グループ2: 19時点灯7時消灯)の条件下で飼育し, それぞれのグループに自由給餌群と, 毎日9-11時のみ2時間の制限給餌群を設け, 23日後の発情前期に子宮頸部刺激で偽妊娠を誘起した。自由給餌群では, ノクターナルサージおよびダイアーナルサージは, グループ1ではそれぞれ3時および18時に, グループ2では15時および6時に認められ, プロラクチンサージがそれぞれの光条件に同調していることがわかった。一方, 制限給餌群では, 両グループともにノクターナルサージは影響を受けなかったが, ダイアーナルサージは消失した。血中コルチコステロンリズムは両グループともに, 制限給餌直前にピークを示した。以上の結果から, 偽妊娠ラットのプロラクチンサージでノクターナルサージとダイアーナルサージの成立には別の機構が存在する可能性が示唆された。
著者
黒田 英一
出版者
日本生活学会
雑誌
生活學論叢
巻号頁・発行日
no.10, pp.37-46, 2005-09-30

The object of this paper is to describe the life-history of the Syudan-syusyoku generation who lived and worked in Tokyo. In order to accomplish this purpose, we had the intensive interviews with them. Subsequently we discovered the following. In nineteen fifties or sixties, the many adolescent have been to the big cities after graduated at the junior high school. They have formed the group and rode in the job train for Tokyo, Osaka and Nagoya (Syudan-syusyoku). They were apprenticed to the shops and factories. They have lived in the dormitories and have been working hard all day within the apprenticeship period. Because of a poor wage and few vacations, many workers quitted immediately. After acquired skills a few own shops and run factories now. Because of serving strict masters and taking good fortunes they are working as the top management of shops and factories. In nowadays they are the winners of the Syudan-syusyoku generation. Therefore we could trace the success story of the Syudan-syusyoku generation.
著者
黒田 直
出版者
福島医学会
雑誌
福島医学雑誌 (ISSN:00162582)
巻号頁・発行日
vol.9, no.4, pp.485-493, 1959-08