- 著者
-
佐藤 大祐
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 地理学評論 (ISSN:13479555)
- 巻号頁・発行日
- vol.76, no.8, pp.599-615, 2003-07-01 (Released:2008-12-25)
- 参考文献数
- 49
- 被引用文献数
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本稿は明治・大正期の日本において,ヨットというスポーツがいかに伝播したのかを,ヨットクラブの結成とクラブ会員の社会属性,および当時の社会的背景に注目して明らかにした.その結果,ヨットは居留地外国人・駐日外交官から日本人華族・財界人へと受容基盤を変化させるとともに,外国人居留地から高原避暑地,海浜別荘地へと伝播し,定着したことがわかった. まず,ヨットは欧米列強の植民地貿易の前進基地である外国人居留地に導入された.横浜では,居留地貿易を主導した商館経営者や銀行・商社駐在員,外交官などの外国人によって,ヨットクラブが1886年に結成され,彼らの社交場として機能した.その後,ヨットは1890年代に形成された中禅寺湖畔の高原避暑地.に伝播し,ヨットクラブが1906年に結成された.この担い手はイギリスやベルギーなどの駐日公使をはじめとする欧米外交官であった.中禅寺湖畔では,東京における欧米外交官と日本人華族の国際交流が夏季に繰り広げられた.そして,ヨットは海浜別荘地である湘南海岸において,華族を中心とする上流日本人の間へ1920年代から普及していった.