- 著者
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原 研二
- 出版者
- 東北大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 1994
本研究においては,19世紀オーストリアの主要な小説の分析を通じて,この時期のオーストリア小説に描かれた個人が,はじめから安定した単位ではなく,むしろつねに不安を抱え込んでいたものであることが明らかにされた。シールズフィールドから,グリルパルツァー,シュティフタ-,アンツェングルーバー,エーブナ-=エッシェンバッハ,そしてさらに世紀転換期の作家の作品に至るまで,繰り返し人間の自我が実体を欠いている様子と,その欠落を暴力的に埋めようとする文学的な試みが行われたことが明らかにされた。これは特殊オーストリア的な問題として理解されるだけではなく,ゲーテ以来の近代ドイツ小説の展開それ自体と密接な関係を持つ問題である。特に,従来正当な評価を受けることのなかったシールズフィールドとエーブナ-=エッシェンバッハについて詳細な検討を試み,彼らの作品を抜きにして,近代オーストリア小説,またドイツ小説の歴史の正当な評価があり得ないことを論証した。成果の一部は,日本独文学会において口頭で発表され,日本語の論文としてまとめられただけではなく,海外の研究者との交流の便を考えドイツ語の二編の論文にまとめられた。世紀転換期にマッハによって端的に指摘されのちの近代オーストリア小説のきわめて重要な課題となる「救いがたい自我」の問題が,19世紀においてすでにきわめて変化に富んだかたちで顕在化したことが,これらの論文で明らかにされている。さらに今後,こうした成果に基づき,今世紀の前半に至る近代ドイツ小説の流れが,新しい視点から書き直されることが期待される。