著者
枝川 尚資
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.59, no.10, pp.589-605, 1986-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
7
被引用文献数
5

これまで推定の域にとどまっでいた琵琶湖上の気候特性を解明する目的で,湖上の島(沖の白石)と湖上に・設置されたボーリング塔を利用して,長期にわたる気象観測を実施した.得られた1年分 (1982年7月~1983年7月)の資料のなかから,気温・湿度・風をとりあげて,それらの日変化・年変化の様相を解析し,また湖岸との比較も行なった.その結果,(1)湖陸の気温差は冬季の夜間と春季の昼間に大きい, (2) 湖陸の湿度差嫉春季に大きい, (3) 湖上は陸上よりも風速が大,とくに夜間の風速差が顕著である, (4) 琵琶湖の湖陸風は北西岸・北東岸・南東岸の三つの系統からなる,しかしタ刻になると湖風とは異なる風系が発達する, (5) 強風の場合.沖の白石では地峡に沿う風(東西成分)が,ボーリング塔では山地に沿う風(南北成分)が卓越する,などの知見を得た.
著者
天野 宏司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

2011年第2四半期に放映されたアニメ『あの花の名前を僕達はまだ知らない』は,秩父市を舞台設定の参考にした作品である。秩父アニメツーリズム実行委員会はこの作品を観光資源化し,8万人・3.2億円の集客効果をあげ,コンテンツ・ツーリズムの成功を収めた。しかし,苦悩も生じる。2012年以降も引き続き誘客を図ることが期待される。制作サイドとの良好な関係のもと,さまざまな誘客イベント・PRが展開されていくが,本報告ではその効果の検証を行う。
著者
土'谷 敏治
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.102, 2005

1.はじめに 公共交通機関の経営状況が悪化する中で,規制緩和政策にともなう交通事業者の退出の自由が認められたことを受けて,多数のバス路線はもとより,鉄道・軌道についても存廃問題が議論され,実際に廃止される路線がみられるようになった.その中で,富山県の加越能鉄道は,通称「万葉線」の軌道事業からの撤退を表明した.しかし,地元自治体の存続に向けての意志表示や市民の存続運動の結果廃止を免れ,第三セクター万葉線株式会社として再出発することになった. ところで,万葉線の第三セクター化の過程で,採算性の検討や今後の需要予測は行われてきたが,利用者側の実態調査,すなわち,利用者の属性,利用頻度,利用目的,利用者の特性などの調査は,ほとんど実施されていないのが現状である.また,詳細な旅客流動調査も行われておらず,運賃収入にもとづく乗客数の予測値が,唯一の利用実態を示すデータといって過言ではない.もちろん,経営の危機に瀕している事業者としては,利用状況の把握もままならない事態は理解できるが,旅客流動状況や利用者特性の把握は,当該事業者の現状を理解し,今後を展望するためには必要不可欠な情報であるといえる. 本報告では,既存の路面電車を第三セクター化して存続することに成功した万葉線株式会社を取り上げ,旅客流動調査,アンケート調査を実施して,その旅客輸送パターン,利用者の特性について分析を行った.2.調査の方法 調査は,できるだけ多くの調査日を設定して実施することが好ましいが,調査員の確保,調査対象利用者や事業者側の負担などから,限られた日に実施せざるをえない.今回は,平日と休日の各1日ずつの調査とし,前者は2004年11月2日(火),後者は11月3日(水)の文化の日に実施した. 両日の調査にあたっては,始発から終発までのすべての電車の乗客に対して,居住地,性別,年齢などの利用者の属性,利用目的,利用頻度,乗り継ぎ利用の有無などの利用者の特性,万葉線についての評価などのアンケート調査を実施するとともに,現金払い,通勤・通学定期,回数券などの運賃支払い区分別旅客流動調査を行った.その結果,870人からアンケート調査の回答がえられた.また,のべ乗車人員は,11月2日が2,426人,11月3日が1,518人であった.3.万葉線の旅客輸送パターン 万葉線は,高岡市と新湊市にまたがる12.8kmの路線を有しているが,法的には高岡駅前・六渡寺間の軌道線と,六渡寺・越ノ潟間の鉄道線からなっている.しかし,両者は路面電車タイプの車両で一体として運行されており,実質的な区別はない. 旅客流動調査の結果から,万葉線の旅客輸送パターンは,大きく分けて,高岡駅前を最大の発着地とする高岡市内の近距離輸送,新湊市役所前を中心とする新湊市内の近距離輸送,高岡・新湊両都市間の輸送からなっている.これらの旅客輸送パターンには,高岡市内,新湊市内に立地する高等学校への通学利用,高岡市内のショッピングセンターへの買い物利用による輸送が含まれる.通勤・通学客が少なくなる休日では,高岡駅前を発着地とする輸送の割合が高まる傾向がみられる. 運賃支払い区分では,平日の通勤・通学定期利用者は約31%,休日は約19%で,定期旅客の割合が低く,都市内部の公共交通機関の性格を有しているといえる.また,沿線に立地する幼稚園の遠足による団体利用があるなど,地域に密着した交通機関であることが窺われる.4.利用者の特性 利用者に対するアンケート調査の結果から,半数近くが高岡市在住者,約30%が新湊市在住者である.年齢別にみると,10歳代と60歳以上がそれぞれ約30%で,高校生の通学と高齢者の利用が中心であるという構造は,万葉線にもあてはまる.しかし,20_から_50歳代の利用者も40%近くを占める.このことは,通勤利用者率の高さにも反映されており,最大の利用目的である通学利用についで通勤利用が多く,両者の差は小さい.買い物利用,余暇活動による利用,通院がこれらにつづく利用目的であるが,通学や通勤利用の半分程度である. 万葉線についての評価では,運転本数の評価が高く,ついで運賃や乗務員の応対など,第三セクター化後の営業努力が比較的高い評価をえている.他方,設備面や終電時刻については,改善の希望が多く見うけられた.
著者
佐藤 浩 八木 浩司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.207, 2011

ネパール東部では1934年にM8.2の地震が発生したが,地震空白域に当たる西部では,今後の地震による斜面崩壊の多発と住民への被害が懸念されている.そこで,先行研究の活断層図を用いてネパール西部における地震時の斜面崩壊の脆弱性をマッピングした。その結果を報告する。
著者
上村 博昭 箸本 健二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>1.はじめに</b><br> これまで,流通地理学,農業地理学,漁業地理学などの研究において,小売業・卸売業の流通・配送システム,製造業における部品の供給体制,第一次産業での農水産物の出荷・流通システム等が明らかとなってきた.このような大規模流通システムの一方で,小規模な事業体は直売所などローカルレベルでの流通・販売を行う傾向にある.しかし,ローカルな市場は相対的に小規模であるから,事業規模を拡大するには,近在の都市部,あるいは大都市圏への流通・販売の展開が模索される.この際,都市部へ進出する事業者には,大規模流通への対応,ないしは大都市圏で独自のマーケティング活動を行うことが必要となる. <br> 実際,近年では農商工連携など行政施策の展開もあって,離島や農山村など,経済活動に関して条件不利性を持つ地域の主体が,都市部への流通・販売を模索する動きがみられる.離島には本土と比べて流通面での不利性があるため,大規模流通システムへの対応,ないしは都市部でのマーケティング活動への障壁は大きいと考えられる.しかし,こうした事業活動のなかには,都市部に一定の販路を確保し,継続的な取引(流通・販売)に至った事例がみられる.そこで本報告では,こうした事例を採りあげて,条件不利地の中小事業者が,如何にして都市部への流通・販売を行い得たのかという点を,事業モデルをふまえながら議論する.本研究の分析にあたり,2013年6月と9月にヒアリング調査を実施したほか,事例事業の資料分析を行った. <br><b>2.対象事例の概要 </b><br> 本報告の事例は,島根県隠岐郡海士町のCAS事業である.海士町は,松江から約60km北方にある離島であり,島内に空港はなく,フェリーで3時間程度を要する.海士町では,2000年代初頭から地域振興政策が展開されてきた.本報告の事例であるCAS事業は,その一環として2005年度から開始された.海士町では,以前から鮮度の低下による魚価低迷を課題とし,食品冷凍技術であるCAS(Cell Alive System)を導入して流通圏を拡大することが試みられた. <br> このCAS事業は,発行済株式の9割以上を海士町役場が保有する(株)ふるさと海士が担っている.CAS事業の事業内容は,海士町内の漁業者,養殖業者から仕入れた水産物(主にケンサキイカと岩ガキ)のCAS凍結加工,ならびにCAS加工品の販売である.行政施策とリンクした事業活動であるため,海士町外での委託製造や,海外産,島外産の安価な加工原料の仕入れなどはみられず,海士町産の原料,海士町内での加工が原則となっている. <br> CAS事業の2012年度における年間販売額は,約1億2千万円である.このうち,レストランや直売所など,(株)ふるさと海士内の部門間移転を除く対外的な販売額は,約1億620万円(88.5%)で,CAS事業を開始した2005年度の約4倍にあたる.こうした事業拡大の背景にあるのが,都市部への流通・販売である.2012年度の販売金額(社内の部門間移転を含む)でみると,総販売額の6割強(約7,200万円)を関東で販売するなど,島根県外での販売額が全体の82.2%を占めている. <br><b>3.本研究の知見</b> <br> CAS事業は,離島でCAS凍結加工を行っているため,大都市に向けて流通・販売する際,フェリーの欠航リスク,輸送コストが課題となる.前者の欠航リスクについては,鳥取県境港市に大口取引先へ供給する加工品を保管する倉庫を確保することで対応するとともに,後者の輸送費には,大手運送業者のY社を使うことで対応した.Y社は,離島料金を取っていないため,輸送コストは島根県内の本土と同一であるため,課題は克服できた.ただし,Y社も海士町からの輸送にフェリーを使うため,欠航リスクは避けられず,(株)ふるさと海士は本土側に倉庫を必要とした.<br>都市部での流通・販売に向けたマーケティング戦略としては,大手のスーパーマーケット・チェーンなど低い仕入価格,大ロットかつ安定的な供給を求める小売主体はマーケティングの対象とせず,相対的に高い卸売価格を許容し,大量供給を求めない中小の飲食店や高級スーパーとの取引を戦略的に模索した点に特徴がある.さらに,(株)ふるさと海士の経営幹部が取引関係にある飲食店のイベントに参加するなど,人的関係の構築を含めたマーケティング活動を展開してきた. <br> 一方で,(株)ふるさと海士の経営は,海士町役場の支援を前提としている.加工施設・設備は町役場の所有で,指定管理者制度で委託されているほか,毎年の補助金投入によって,黒字経営が維持されている.そのため,民間資本による事業活動と本事例とを.同列で論じることはできない.しかし,公的資本による事業活動であっても,事業活動である以上,マーケティング,流通・販売への対応が必要となる.
著者
畑中 健一郎 陸 斉 富樫 均
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.197, 2007

<BR><B>1.はじめに</B><BR> 近年、里山の環境保全に対する関心が高まっているが、里山という言葉そのものにもさまざまな解釈があり、人により受け止め方にも違いがみられる。里山の環境保全をすすめるにあたっては、地域の人々が、里山に対して現在どういうかかわりをもち、また里山に対してどういう意識をもっているかを把握することが重要である。そこで本研究では、長野県民を対象に実施したアンケート調査をもとに、里山に対する住民の意識を明らかにすることを試みた。<BR><B>2.アンケート調査の方法</B><BR> アンケート調査は、2004年2月から3月にかけて、長野県内の84市町村(当時)の住民を対象に郵送により実施した。対象者は各市町村の選挙人名簿から層化3段無作為抽出により抽出し、有効回答数は1120人(有効回答率56%)であった。<BR> 調査項目は大きく分けて、(1)長野県の自然と自然保護に対する意識、(2)里山とのかかわり、(3)里山の生き物に対する意識、(4)地域の伝統行事や組織へのかかわり、(5)今後の里山利用と保全への意識、および回答者の属性である。<BR><B>3.調査結果の概要</B><BR>(1)長野県の自然と自然保護に対する意識<BR> 長野県の自然環境に「満足している」人の割合は66%で、市部よりも郡(町村)部で高い。また年齢別では、50代や60代の高年層よりも20代や30代の若年層で高い割合となっている。県内の自然保護対策については、「もっと推進するべき」が55%、「今のままでよい」が19%、「もっと緩和するべき」が5%であった。<BR>(2)里山とのかかわり<BR> 里山に「親近感を感じる」人の割合は87%と高く、市・郡部での違いはほとんどないが、里山とのかかわりの頻度が高い人の方が「親近感を感じる」割合が高くなっている。<BR>(3)里山の生き物に対する意識<BR> ツキノワグマ、サル、カモシカなどの中・大型動物が、最近、数を回復させはじめていることに対しては、「良いことだと思う」が33%、「困ったことだと思う」が31%、「なんともいえない」が36%と判断が分かれている。市部では「良いことだと思う」、郡部では「困ったことだと思う」の割合が高く、年代別では若年層より高年層で「困ったことだと思う」の割合が高くなっている。<BR>(4)地域の伝統行事や組織へのかかわり<BR> 最近の1年間に参加した行事としては、「初詣」が75%、「お盆の迎え火・送り火」が73%、「お祭り」が69%であった。また、残しておきたい行事としては、「お祭り」が89%でもっとも高い割合となっている。最近の1年間に日常生活の中で参加した組織や作業としては、「地域の共同作業」が62%、「寄合い」が53%であった。<BR>(5)今後の里山利用と保全への意識<BR> 里山で暮らすことを「魅力的だと感じる」人の割合は79%と高く、市・郡部での違いはほとんどないが、高年層ほど高い割合となっている。また、里山での活動に「関心がある」人の割合は63%で、女性より男性、若年層より高年層の方が高い割合となっている。関心がある活動としては、市部では「自然観察会等の実施、郡部では「農業に関連した作業」が多い。今後の里山の利用策としては、「地域住民の憩いの場・癒しの場」が69%、「生活物資を得る場」が41%、「野生生物の保護区」が27%と続いている。<BR><B>4.おわりに</B><BR> 里山に対しては多くの人が親近感を感じており、里山で暮らすことも魅力的だと感じている。しかし、市部と郡部、あるいは若年層と高年層での里山に対する認識の違いも明らかとなった。例えば、自然環境への満足度は郡部の方が高いが、中・大型動物の生息に対しては郡部の方が否定的な考えを持っている。また、若年層より高年層の方が里山により高い関心をもっている傾向もわかった。ただし、里山での活動内容としては、これまで営まれてきた農林業に関わる活動ばかりでなく、自然観察や憩いの場・癒しの場としての里山の利用など、関わり方に対するニーズも多様化している状況がうかがわれる。<BR>
著者
吉水 裕也 齋藤 清嗣
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.270, 2011

地理的技能や地理的な見方・考え方を授業で扱うことの重要性が指摘されている。その一方で,地理に関わる専門的な訓練を十分に受けていない教員が地理を担当することが増えている。また,長年地理を担当してきたベテラン教員の多くが定年に近づき,世代交代が進行しつつある。このような状況から,地理教育に関わる教員研修の需要は年々増大している。 しかし,学校現場では,以下の状況等により研修等に割く時間が捻出されにくい現状となっている。(a) 教員は多忙化しているうえ,部活動等の業務があるため,かつてのように休日に自らのスキルアップのための時間を捻出しづらい。(b) 中高では,授業を自習にして勤務時間に学校を離れることは,公的な出張でもかなり困難(原則として担任が全ての授業を行う小学校ではさらに困難)。(c) 長期休業中の平日は,勤務日であるという位置付けが厳しくなり,授業が無くとも出勤するか,休暇届が求められるようになっている。(d) 所属長(校長等)や設置者(教育委員会等)から出張命令が下されるのは,基本的には勤務時間内であるため,休日の研究会などは公的なものでも出張扱いとはならず,私的な参加にされることがある。(e) 夏季休業期間は短縮される傾向にあり,7月末や8月末は学校を離れにくくなっている。特に高校の場合,部活動や補習授業等で多くの教員にとって融通がきく期間は,8月上旬からお盆休みまでである。(f) 教員側の立場からすると,多忙であるが地理的な分野に関わる研修を行いたいという需要は一定あるものと思われる。特に地歴科の免許を持った若手教員は史学専攻であっても,地理の授業を担当することがあり,駆け込み寺的な研修を求める声が聞かれる。 以上のような現状を踏まえ,小中高の教員が参加しやすい形態として,次のような条件を備えた研修会を計画すれば,一定の参加者が得られ,且つ,一定の満足度が得られるのではないかという仮説を設定し,実施することにした。(1) 実施時期は教員が参加しやすい8月上旬または下旬頃の平日に実施する。(2) 教員が出張または研修扱いで参加しやすいよう,近畿の各府県教育委員会から後援をとりつける。(3) 夏休みの動静が定まる前(6月頃)に告知を行う。(4) 現場ですぐに役立つような,地域の見方を学べるような巡検を行う。(5) 非学会員でも参加できるようにする。(6) 様々な手段を工夫して,広く広報する。 これらの条件を満たす形で,これまでに以下の研修会を実施した。第1回 地域事例の教材化(2005.8.22)京田辺市 35名第2回 地域素材の発見と活用(2006.8.18)西宮市 51名第3回 地域学習の実践と課題(2007.8.10)岸和田市 76名第4回 地理教育における基礎基本(2008.8.1)池田市 54名第5回 地理教育の刷新を考える(2009.8.21)岡山市 48名第6回 地域の歴史的環境を活かした地理教育(2010.8.10)奈良市 55名 第1回の参加者は35名であったが,その後毎年50名程度の参加がある。 第1回の参加者アンケート等による評価を見ると,炎天下での巡検はハードではあるもののおおむね好評であったこと,特に校種の異なる者同士で地理教育についての情報交換を行ったワークショップができたことに意義を感じる声が大きかった。この回の取り組みをもとに,以後の研修会では小学校の先生方とつながる組織へのPRを強化したり,炎天下での巡検のコース面での配慮などについての改善を行い,現在に至っている。 現在は,巡検,講演や実践報告,ワークショップという3つの要素を組み込んだ形に落ち着きつつある。 今後の課題は以下の点に集約される。ア 実施時期が8月のため,巡検の熱中症対策が必要であること。イ ワークショップでの情報交換が好評で,さらなる時間確保を望む声があるが,これにどう対処するのかということ。ウ 参加者数と実施内容から適正規模をどの程度に設定するのかということ。エ 教員免許更新研修や各教育委員会実施の必修研修への読み替えについて検討していくこと。
著者
杉本 興運 小池 拓矢
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

空間現象を扱う地理学では、観光者の行動に関する理論的・実証的研究として、とりわけ移動や流動といった観光者の空間行動の諸側面を関心の中心でとしており、これまで観光者の行動パターンの探索や類型および規定要因の解明などを通して、理論構築や実証分析が積み重ねられてきた。特に観光者(発地)と観光対象(目的地)双方の空間関係に着目し、「距離」による影響を明示的に分析基軸やモデルに取り入れることが多い。その場合、マクロ視点では「居住地と目的地との距離(以後、旅行距離と呼ぶ)」が主な着眼点となり、これまで旅行距離によって観光者の性格や旅行形態が変化するという同心円性の存在が仮定・実証されている他、観光行動の周遊パターンの様々なモデルが開発されている。本研究は、2013年6月の世界遺産登録を受け、今や国際的な観光地としての認知度が高まった富士山麓地域を事例に、着地ベースで観光者の旅行距離と観光行動との関係を検討する。より具体的には、富士山麓地域での観光の核である富士北麓を中心とした観光者の旅行形態や空間行動の特徴を、旅行距離の違いから明らかにする。また、世界遺産登録という大きな社会的インパクトが、観光行動に与えた影響についても検討する。<br> 本研究では、富士山麓地域の観光において圧倒的多数の国内個人旅行者の行動データを取得するために、現地での質問紙調査を行った。この質問紙には観光者の旅行形態および活動(訪問順序など)についての項目が含まれる。さらに、昨今重要な話題である世界遺産登録に関する項目も追加した。調査場所は道の駅富士吉田で、調査日は2014年8月12、13、14日のお盆休み(観光者が年間を通して最も多く来訪する8月の休日)の期間である。調査の結果、194グループ分の有効回答を得られた(ただし活動データに関しては93グループ分)。今回は大きく旅行形態と空間行動の2種類に関する分析を行った。旅行形態に関しては、各項目を旅行距離帯別にクロス集計し、旅行距離によって項目内の各カテゴリー出現頻度がどのくらい異なるのかを分析した。本研究では旅行距離を居住地から河口湖までの距離として算出している。さらに、各カテゴリー間の関係を、距離を含めて数量化するために、多重対応分析によるパターン分類を行った。空間行動に関しては、各距離帯におけるトリップの空間分布、トリップ数に関する基本統計量の算出、観光対象分布の標準偏差楕円の算出、代表的な周遊ルート事例の抽出の、計4種類の分析を行い、その結果を総合した。世界遺産登録の観光行動への影響に関しては、調査データから得られた構成遺産を巡る周遊ルートの事例や既存の調査報告書の結果を組み合わせ、検証した。<br> 富士山麓地域での開発と観光の歴史をふまえ、本研究の結果について、以下に簡潔に述べる。富士山麓地域での観光は、江戸時代の富士登拝から始まり、その後の交通整備や観光開発の進展によって大衆化した。現在では、富士五湖を中心とした回遊・滞在型観光や観光施設でのレジャー活動など、主に首都圏の大都市居住者の多様なニーズに応える観光地域として機能している。現在の顧客層の中心であるマイカーを利用した国内個人旅行者は、自然景観の体験を富士山麓観光における共通の目的としながらも、旅行距離によって属性や旅行形態および空間行動が特徴づけられている。例えば、近隣居住者では日常的余暇活動を目的とした日帰り旅行が多く、遠方から来訪した観光者には定番の観光スポットを巡る宿泊型の旅行が卓越する。さらに、最近では世界遺産登録という社会的インパクトによって、より遠方の地域、つまり国外に住む外国人からの観光需要が一層高まると共に、構成遺産を中心とした観光圏の整備や周遊ルートの開発などが行われ、富士山麓地域における観光者の属性や行動がさらなる変化を遂げる兆しをみせている。
著者
藤本 修
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.175, 2006

実践の概要 『地区マップ』というと今までは、模造紙など紙面を利用したものや大きな板を活用したもの等があった。しかし、情報の更新や写真等の貼り付けなどに限界があり、継続的な地域教材としては活用が難しい面があった。 そこで、Webページ形式を用いた『デジタル地区マップ』の作成を前任校で行った。これにより、たくさんの画像などやカテゴリーなど情報量を増やすことができたことと児童のパソコンに対しての取組の良さが重なり、児童の地区に対する興味関心を高めることにつながっていった。 今年度、この環境マップに地図の学習がプラスすることができるのでGISを活用することを試みた。具体的な内容は、次の2点とした。(1)桃井小の近くの施設や児童の活動の場になっている場所の紹介(図1)(2)県内等で、校外学習の場になっている施設の紹介その際、作成したGIS環境マップを本校webページの1カテゴリーに加えることで保護者等にも閲覧可能とした。 桃井小学校Webページ http://www.momonoi-es.menet.ed.jp/教材の活用例 環境マップは、以下の学年、教科で利用できる。・小学校第2学年 生活科『まちたんけん』・小学校第3学年 社会科『地域めぐり』『市内めぐり』・小学校第5学年 国語・社会科『地域のニュースの発信』・全学年 校外学習事前学習 また、授業の中での活用例として2点あげる。(1)導入での活用・生活科や社会科における地区学習・校外学習事前ガイダンス(2)まとめでの活用・身近な地域のことやニュースにしたことを「GIS環境マップ」上にアップする。研究の成果 以下の2点を考えた。(1)自分の地区をより正確な地図でみることができたので、児童の興味・関心が高まった。また、本校児童の活動写真もあるということでやる気もわいてきたようだ。(2)調べたことがインターネットを通して発表できたことで、充実感が味わえたとともに、地図上にアップできたことで地区に対する愛着も感じられたようである。今後の課題 実践を終えてみての課題を以下にあげる。(1)小学生にとって複雑な操作もあるので、児童向けマニュアルなどがあるとより効果的な使い道がでてくると思われる。(2)Webカテゴリーということで、保護者への地区情報の提供にもなるので、保護者からもアップした方がよい情報を聞き、ツーウェイ化を図っていきたい。(3)今回作成した「GIS環境マップ」は、様々な教科・学年での活用も考えられるのでこれからも情報の更新をしていくなどして充実を図っていきたい。
著者
上遠野 輝義 福岡 義隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.94, 2003

1.はじめに これまでにも南関東地方から長野県東北部に至る大気汚染の長距離輸送に関する研究(栗田・植田、1986)や、南関東地方の小地域におけるオキシダント濃度と局地風についての研究(菊池、1983)などがあるが、関東地方全域のオキシダント濃度と局地風の関係についての研究例は、とくに最近10年間極めて少ない。温暖化にともなって最近、各地の光化学スモッグが高濃度化している。 そこで、本研究では、関東地方において特に注意報発令の多発した2000年夏半年について、全国的にみても高濃度日の多かった埼玉県に注目し、光化学オキシダント濃度分布と天気図型及び局地風(風向風速)の分布との関係について解析し考察を試みた。2.研究方法_丸1_使用した資料:2000年5月_から_9月夏半年における関東地方1都6県全域の大気汚染常時監視測定局の毎時データを用いた。オキシダント測定局数は約300局、風向風速は約350局であるが、栃木県の風データは欠測値が多かったのでアメダスデータを使用した。埼玉県における光化学スモッグに関しては1990_から_2000年についての傾向を調べてみた。_丸2_解析方法:光化学オキシダント濃度の分布図と風系図はArc View(GISソフト)を用いて1時間毎に描いた。全事例の中から、天気図型別に注意報発令日(120ppb以上)と非発令日(120ppb以下)の比較考察を行った。3.研究結果 今回は、全体的な傾向と事例研究として最も頻度の多かった天気図型(南高北低型)について、注意報発令日(7月23日)と非発令日(9月2日)とについて考察した結果を報告する。(1) 関東地方の月別光化学スモッグ注意報発令回数が最多県は埼玉(40件)で最少の神奈川の4倍である。(2) 過去5年間における埼玉県において注意報発令日の天気図型は、最も多かったのは南高北低型(33%強)で、移動性高気圧型と東高西低型(各12%前後)が次いでいる。(3) 注意報発令日7/23も非発令日9/2も南高北低型天気であり、後者では熊谷で39.8℃もの高温という残暑であったが、光化学オキシダント濃度分布と風系は異なる。前者では、海風の進入と気温上昇とともに埼玉県中部から群馬県にかけて120ppb以上の高濃度地域が発現している。一方、非発令日には海風などの風系は類似しているが陸風も強くオキシダント濃度は80ppb以下と低い。
著者
田添 勝康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.269, 2010 (Released:2010-06-10)

はじめに 我が国の工業地域では, 都市部への過度の人口集中と公害問題を背景とした工業等制限法の制定, 産業構造の軽小短薄産業へのシフト, バブル経済崩壊による経済全体の総需要の低下等に伴い, 多くの工場が移転・廃止を余儀なくされ, 遊休地化が進んだ. しかし, バブル経済の崩壊後は都心の地価が大幅に下落し, 政府の都心共同住宅供給事業の推進もあいまって, 1990年代後半以降は, 首都圏におけるマンション供給が進んだ. 中でも, 佃島(中央区), 台場(港区), 東雲(江東区)のように臨海部の大規模工場跡地では, 再開発により大規模高層マンションが供給された. このような大規模再開発地区では新住民の転入によって人口が急増し, オフィスや居住者を対象とした商業施設やお洒落なレストランが景観を一変させ, 新たなまちを生み出してきた. しかしながら, このような再開発地区における空間再生産の実態に言及した研究は未だ乏しい. 調査の目的と方法 江東区の豊洲2・3丁目再開発地区は, バブル経済崩壊を再開発事業中に経験していない, 最も新しい大規模再開発地区の一つである. 本研究では, この豊洲2・3丁目地区を対象とし, 空間の再生産を担う住民の特性と新たに形成された地域コミュニティの存在を明らかにすることを目的する. 調査方法は, 居住者に対するアンケート調査(配布数828枚、回収率18.1%), ならびに聞き取り調査である. 調査結果と考察 アンケートの結果, 豊洲2・3地区における居住者の67.0%が特別区内からの転居であり, 当該地区における空間の再生産が都心回帰現象と強く関連するものではないことが明らかとなった. しかしながら, 周辺3県のうち千葉県からの転居は16.5%に上った.他の再開発地区における先行研究で郊外からの転入は殆どみられず, 都心回帰現象との関連性が否定されてきたことに鑑みて, このことは当該地区の特徴であるといえる. 年齢層は, その多くが30代の若い夫婦と, 4歳までの未就学児であった. このことは, 同時期の江東区全体, 及び過去に再開発が行われた他地区の事例と比較しても顕著な傾向であり, 少子高齢化の時代にあって当該地区の大きな特色の一つである. 就業者の職業は, 金融・保険業, 不動産業, 情報通信産業, 医療・福祉分野が卓越し, 上層ミドルクラスに属する典型的なジェントリファイヤーの存在が確認された. 聞き取り調査の結果からは, 当該地区居住者は自己のライフスタイルに応じた多様なコミュニティに属していることがわかった. それらは, 1)居住者専用の施設サービスを通じて近隣との付き合いを広げていくタイプものと, 2)職種や趣味を同じくする人々がマンションや地域の外で, 首都圏に居住する人々と近隣社会に依存しない付き合いを行うものに大別される. また, 豊洲2・3丁目地区に隣接し, 以前から住宅地であった豊洲1・4・5丁目でも, 小規模工場跡地のマンションに転居してきた新たな居住者が, 地域の自治会の活動を通じて新・旧住民の間に新たなコミュニティを形成しつつある. 再開発に伴うジェントリフィケーションの発現が認められた豊洲2・3丁目地区は, 今後, 異なる背景を持つ近隣コミュニティとどのような関係を築いていくのかが課題となる. 質的に異なるコミュニティを抱える両地区が, 良好な関係を築いていくのか, 或いは社会的コンフリクトを強めていくのかは今後注視すべき事柄である
著者
小川 滋之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2016年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100017, 2016 (Released:2016-11-09)

研究の背景と目的 スイゼンジナ(Gynura bicolor)は,キク科サンシチソウ属の多年生の草本植物である.日本,中国,台湾などの東アジアを中心とした広い地域で伝統野菜として古くから食されてきた.しかし,市場に流通することは少なかったため,産地の広がりや各産地の事情はあまり知られていない.原産地もインドネシアのモルッカ諸島や中国南部,タイ北部など諸説あり定かではない.地産地消が叫ばれる現在において,伝統野菜の普及を進める中では産地の事情を明らかにすることが重要である.以上のことを踏まえて,本研究ではスイゼンジナの産地分布と地域名を報告した. 調査方法 インターネット(Google)を用いて学名を検索し,個体の写真が掲載されているサイト,なおかつ写真撮影地域が特定できるサイトを対象に集計した.現地調査では,産地の分布,販売の形態と地域名を直接確認した.スイゼンジナの産地分布 この調査では,インターネット上にみられる言語数そのものが影響している可能性は高い.しかし,日本や中国,台湾などの東アジア地域が大半を占め,原産地のインドネシアを含む東南アジア地域の産地が少ない傾向がみられた.現地調査では,東アジアの中でも日本の南西諸島や台湾中部以北,中国南部の一部地域では農産物直売所や屋外市場で多く販売されており,人々に日常的に食されていた.東南アジアではタイ北部の植木市場や少数民族の集落にみられる程度で少なかった.これらの流通量からみると,原産地はインドネシアではなく中国南部からタイ北部の地域が有力であると考えられた.スイゼンジナの地域名 日本では標準和名のスイゼンジナが,地域名としては水前寺菜(熊本県),金時草(石川県),式部草(愛知),ハンダマ(南西諸島)がみられた.他では,地域あるいは企業が商標登録をしている事例として水前寺菜「御船川」(熊本県御船町),ガラシャ菜(京都府長岡京市),ふじ美草(群馬県藤岡市), 金時草「伊達むらさき」(宮城県山元町)がみられた.日本以外では,紅鳳菜(台湾),観音菜(中国上海市),紫背菜(中国広東省,雲南省,四川省),แป๊ะตำปึง(タイ北部)がみられた.東南アジアではスイゼンジナの近縁種(Gynura procumbens)のほうが多く,タイ北部(แป๊ะตำปึง)やマレーシア,クアラルンプール(Sambung nyawa)では名称に混同がみられた.近縁種については,沖縄島の沖縄市や読谷村においても緑ハンダマという名称で販売されていた.このようにスイゼンジナは,地域ごとに様々な名称があり伝統野菜となっていることが明らかになった.
著者
澤田 律子 小寺 浩二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.161, 2011

<B>I はじめに</B><BR> 周囲を海域に囲まれた島嶼の環境では、表流水は即座に海洋へと流出し、それと共に様々な物質が同時に海洋へと流出している。中でも亜熱帯気候に属する八重山諸島では、島の周囲にはサンゴ礁等が発達し、貴重な環境が形成されているため、島を流下し、海洋へと流出する陸水が沿岸域に及ぼす影響は大きい。石垣島においては赤土流出が以前から問題視されており、名蔵川や轟川の土砂や栄養塩の流出解析が流域単位で行われているが、本研究は流域単位にとどまらず、陸水を広域的にとらえ、その季節変動や降雨イベントによる変動を明らかにすることを目的とする。<BR><B>II 対象地域概要</B><BR> 東京から2000kmの距離に位置し、人口、産業の面から見ても八重山諸島の中でも中心的な島として存在する。気候は亜熱帯海洋性で、平均気温は23.7℃、平均降水量は2127.2mmであり、梅雨期と台風時の降雨が年間降水量の6割を占める。北部には県最高峰の於茂登岳(525.8m)を始めとする於茂登連峰が連なり、雨の降り方に地域差が見られる。一級河川は存在せず、主要河川には宮良川、名蔵川、轟川が挙げられ、その他には大小100ほどの名前のついた川や沢が存在する。人口は南部に集中する。<BR><B>III 研究方法</B><BR> 石垣島の諸河川約90地点において2009年2月より、約3か月に1回の頻度で計8回の現地水温観測を実施し、2010年9月の台風接近時には宮良川流域の5地点で3時間ピッチの集中観測、9点で24時間ピッチの観測を実施した。観測項目は、水温、電気伝導度(以下EC)、DO、TURB、TDS、pH、RpH、流量で、サンプルを用いて、イオンクロマトグラフによる主要溶存成分測定、TOC分析計による全溶存炭素量分析を行なった。月一回の頻度で、河川水と降水のサンプリングも実施している。<BR><B>IV 結果と考察</B><BR> 標準偏差が20以下と変動が小さい地点は於茂登岳周辺部に集中し、変動が大きい地点のECの地点平均値は高いことが特徴として挙げられる。石垣島の水質組成は主にアルカリ土類炭酸塩型に分類される。大半がCa-HCO<SUB>3</SUB>型のパターンを示し、特に顕著なのが轟川で、石灰岩地域の特徴が表れたと思われる。一部でNa-Cl型と特異な性質を示すが、これはCa<SUP>2+</SUP>、HCO<SUB>3</SUB><SUP>-</SUP>の含有量が少ないだけでありNa<SUP>+</SUP>、Cl<SUP>-</SUP>の含有量はCa-HCO<SUB>3</SUB>型の他の地点と同程度である。<BR>降雨後には、ECは急激に減少し、9月4日の正午ごろEC250μS/cm以下の最小値が観測された後、ECは増加し始めるが、平常値までの回復には数日間の時間を要した。下流より川原橋(支流の振興橋)、ハルサ農園前(水路)、仲水橋、竿根田原橋と分布しているが、竿根田原橋、仲水橋、川原橋という順で上流ほどECの回復速度が早く、下流に近づくにつれて回復は緩やかなスピードで起こっている。それに連動してCa<SUP>2+</SUP>、Mg<SUP>2+</SUP>、Cl<SUP>-</SUP>も増減しており、地点によってはNa<SUP>+</SUP>、SO<SUB>4</SUB><SUP>2-</SUP>も増減している。降雨イベントによるECの変動は降雨に伴う溶存物質の流出が引き起こしているが、地点によってその大きさに差異が生じていることから、土壌成分が流出しているところと、していないところが存在することが分かった。<BR><B>V おわりに</B><BR> 雨量強度に対する土壌流出の関係性が見いだせれば、降雨時のECの値から雨量を算出することが可能となる。傾斜や地質といった様々な要因から、土壌成分の流失強度を導き、河川のECと雨量の関係を明らかにしていく必要がある。<BR><B>参 考 文 献</B><BR>澤田律子・小寺浩二(2010):八重山諸島石垣島諸河川の水質変動に関する研究,陸水物理研究会発表会,.
著者
遠藤 伸彦 松本 淳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

旧フランス領インドシナの歴史的気象資料の画像データを作成し,20世紀全体での降水特性の長期変化を明らかにするための基盤となる降水資料のデジタル化作業を行った.1890年代後半から1941年の期間と1949年から1954年の期間について月降水量・月統計値を, また1911年から1930年の期間と観測原簿の存在する期間については日降水量をデジタル化した.デジタル化を実施した15地点である.<br><br>デジタル化した降水資料の品質を確認するため,複数の資料が存在する場合には,日降水量から求めた月降水量・降水日数・月最大日降水量を月報・年報の掲載値と比較した.その結果,手書きの観測原簿の読み間違えや入力の誤り等の問題の多くを発見・修正することができた. 一方で資料間の不整合もいくつか確認された.例えば1902年7月11日にHaNoi で558 mmの降水が観測された.観測原簿には台風接近に伴う極端な降水であると記載されており,たしかな観測値と考えられるが,後年の年報等に記載の Ha Noiの既往最大日降水量とは値が異なっている.旧仏印気象当局が,Ha Noi観測所の移転等に伴う統計切断を行ったのかもしれない. 1999年の11月3日にHue で 977.6 mm の降水が観測されたが,今回デジタル化した15地点の観測値の中でも最大の日降水量であることが確認された.さらに日降水量が500 mmを越える観測がベトナム中部の観測所で複数回観測されていることが明らかとなった.
著者
三上 岳彦 財城 真寿美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

日本の公式気象観測は、1872年の函館気象観測所、1875年の東京気象台、1876年の札幌気象観測所で開始された。しかし、その数は1881年においても12カ所で、1877年から観測を開始した全国灯台の33カ所に比べてかなり少なかった。 著者らの研究グループでは、1877年~1886年の全国灯台気象観測データをデジタル化し、主要な台風接近・上陸時の天気図復元を計画している。今回は、1882年8月上旬に四国に上陸し、暴雨風・洪水災害をもたらした事例について、海面気圧データから天気図を復元し、台風経路の復元を試みた。
著者
菅澤 雄大 伊東 真佑
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

2013年10月11日に発生した台風26号は,10月15日の夜から10月16日の明け方にかけて関東地方沿岸に最接近した.この台風26号は10年に1度の規模の大型台風と言われ,伊豆大島では大規模な表層崩壊と土石流が発生し,36人が死亡,3人が行方不明となる甚大な被害をもたらした(「朝日新聞」2013年12月30日朝刊).首都圏でも強風や大雨で交通網が乱れ,通勤・通学に支障が出た. 台風26号は,関東地方の東の太平洋上を通過したため,太平洋に面した平野部や海上において主に被害をもたらした.その一方で,関東地方や中部地方の山岳地域での土砂災害の報告は少なかった.近年,これらの山岳地域には,いわゆる「登山ブーム」によって多くの登山客が訪れている.今回の台風では登山客を巻き込む土砂災害は発生しなかった.しかし,強風や大雨の影響を受けやすい山稜部の登山道では倒木や小規模な崩壊が起こり,登山客の利用を妨げる障害が起こった可能性は十分にあり得る.このような被害は小規模であったとしても放置されることによって,登山道の管理を困難にするだけでなく登山者の事故を引き起こす可能性もあり,決して看過してはならないものと考える. そこで今回は,南アルプス北部,鳳凰三山の薬師ヶ岳(標高2780 m)に至る登山道において,台風26号が最接近した10月16日の2日後の10月18日に台風による倒木や登山道の崩壊の状況を調査し,山小屋の小屋人の聞き取り調査から登山道の整備活動についても知ることができたので報告する.薬師ヶ岳は南アルプス北部の鳳凰三山の一角で,山梨県南アルプス市と韮崎市の市境に位置している.多くの登山者は,甲府駅から山梨交通のバスを利用して,夜叉神峠登山口(標高1375 m)からこの山に登る.この登山コースは東京からのアクセスがよく,登山口から山頂までの標高差も小さい.また,岩場やガレ場などの危険箇所も少ないコースであることから,登山客の年齢構成も幅が広く,子供から年配者まで多くの登山者が訪れている.今回は,夜叉神峠登山口から薬師ヶ岳山頂までの登山道を調査地域に選定した. まず,気象状況を明らかにするため,台風26号が最接近した10月16日の前後2日間の降水量と風向・風速のデータを甲府気象台と山梨県・長野県のAMeDAS(計7ヶ所)から収集した.現地調査は,台風通過2日後の10月18日に行い,登山道沿いに見られた倒木や登山道の崩壊の発生位置をGPS(GARMIN社製Oregon 550TC)を用いて測量した.また,この登山道沿いに立地する薬師ヶ岳小屋(標高2711 m)と南御室小屋(標高2429 m)の小屋人から,台風接近時の小屋周辺の状況や登山道の整備活動に関する聞き取りを実施した.調査結果は以下のようにまとめられる. ① 調査地域に一番近い韮崎の気象データを見ると,降水量は10/15の22時から増え始め,10/16の6時には0.0 mmとなった.また,10/16の1時から2時に時間雨量の最高値(8.5 mm)を観測した.風は,10/16日の2時から強くなり,7時~8時に最大平均風速(15.6 m/s)を観測した. ② 現地調査の結果,登山道沿いにおいて倒木は18ヶ所,登山道の崩壊は9ヶ所存在することが明らかになった. ③ 倒木は,夜叉神峠登山口~夜叉神峠小屋(標高1375~1750 m)のカラマツ植林地,辻山(標高2584 m)周辺のシラビソ林で多かった. ④ カラマツ・シラビソの倒木には胸高直径が30 cm以上の樹木(年輪計測の結果,樹齢100年以上)が多かった.倒木の状態には,幹折れと根返りが認められた. ⑤ 調査地域北部の南御室小屋から薬師ヶ岳山頂付近までの登山道沿いに小規模な崩壊が多く見られた. ⑥ 辻山(標高2584 m)周辺で発生した倒木は,調査を行った10/18(台風最接近日の2日後)には短く切られ,登山道の通行を妨げない場所に移されていた.これは,南御室小屋の小屋人が独自に行った活動であった.また,小屋人は,地元の登山者の知らせで倒木の存在を知ったとのことである. ⑦ 聞き取り調査から辻山周辺は強風が吹き抜け,倒木が発生しやすい場所である一方,南御室小屋から薬師ヶ岳山頂まではこれまでも倒木が少なかったことが明らかになった.
著者
藤塚 吉浩
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.63, 2007

<BR>I. 研究目的<BR> 日本列島南部では台風の進路の関係から、民家には強い風雨への備えが必要である。本発表では、多くの強い勢力の台風が通過する高知県東部をとりあげ、伝統的な民家のかたちにある強い風雨への備えについて検討する。<BR> 本報告ではまず、高知県東部の歴史的な集落の形成にかかわる自然条件と社会経済的な背景について、広域的に考察する。次に、強い風雨に備えるための伝統的建造物に関して、その機能と地理的分布の関係を考察するとともに、残存状況についても検討する。<BR><BR>II. 高知県東部の伝統的建造物の分布<BR> 室戸半島の歴史的集落のうち、戦災がなく、都市化の影響を受けなかったところでは、第二次大戦前の伝統的な建造物が残されている(図1)。<BR> 室戸半島の港は、岬付近の岩礁に建設されたものがあり、その近くに集落が形成されている。岬は三方向を海に囲まれ風を遮るものがなく、特に風が強くなるため、室戸岬の高岡や行当岬の新村のように、石垣で民家を囲っているものが多い。石垣を構成する石は大きく、より堅固になるように積まれている。<BR> 海岸からの強風を受ける小高い丘のところでは、吉良川町の丘地区のように、民家をいしぐろで囲むものが多い。いしぐろは河原の丸石などを積んだり、割石を使って、外観を整えたものもある。旧街道沿いには、丸石や割石を整然と積んで、意匠面を重視したものが多い。<BR> 旧街道沿いや市街地中心部では、建物の壁面や前面に水切り瓦の使われることが多い。これは、空間的制約から石垣やいしぐろを置けないためと、浜堤や近くにある民家が強風を緩和し、水切り瓦で壁面の浸食を防ぐことができるためである。土蔵や民家の壁面には、水切り瓦とともに、耐水性のある土佐漆喰も併用されている。<BR> 徳島県に近い東洋町の旧街道沿いでは、蔀張が多くみられる。街道に面して間口があり、空間的制約から強い風雨を効果的に防ぐ仕組みとして用いられたのである。地理的に京阪神地方に近く、交易により、蔀張の建築様式がもたらされたことも、高知県で最も東に位置する東洋町に多くみられる要因である。<BR><BR>III. 伝統的建造物の残存状況<BR> 高知県東部における、強い風雨を防ぐための伝統的な建造物の残存状況は、その性質により次の差異がある。<BR> 石垣やいしぐろは、石の採取が容易でないことや石工の減少等により、より費用の安価なブロック塀やコンクリート塀にかえられている。水切り瓦は、左官職人の減少により技術の継承は容易でないが、近年その優れた意匠が評価され、新築に取り入れられるものも少なくない。蔀張は、空調施設の導入やアルミサッシへの改修により、取り外されたり、取り壊されるものが多い。<BR> いしぐろや水切り瓦は、優れた意匠から文化財として指定されるものも多い。高岡や新村にある石垣は、文化財としての価値は十分認識されていない。蔀張は、木製のため老朽化しやすく、放置すれば消滅する危機にある。<BR> 強い風雨を防ぐ伝統的な建造物は、先人の知恵によって生み出され、風土に適する優れたものである。歴史を後世に伝える文化財として、伝統的建造物をまもり受け継ぐことは、今後の重要な課題である。<BR>
著者
町田 尚久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

<B>1.はじめに</B><BR> 寛保2年の洪水は,埼玉県長瀞町の寛保洪水位磨崖標などに代表されるように,関東地方では荒川流域や利根川流域,千曲川流域を中心に大きな被害をもたらした.特に千曲川流域の浅間山周辺では大きな土砂災害や洪水災害がもたらされた(丸山1990など).この洪水にかかわる古文書は,近畿地方から関東地方にかけてあり,近畿地方では鴨川や近江の災害がみられるものの詳細な記録は数少ない.また,関東甲信越地方では,多数の古文書やそれにかかわる文献がある.この洪水の原因に関しては,国土交通省北陸地方整備局(2002)によって複数の台風の進路が提示されているが,諸説あるため,実態に則して気象現象を明らかにする必要がある.そこで本研究では,埼玉県内の寛保2年災害にかかわる複数の資料に記載されている気象実態から,災害の実態との関係を考察する.なお,本研究では日付を旧暦にて表記する.<BR><B>2.寛保洪水にかかわる資料と気象実態</B><BR> 寛保2年の気象の記録は,現在の埼玉県越谷市(越谷市史),深谷市(武州榛沢郡中瀬村史料),加須市(加須市史),羽生市(羽生市史),県外では長野県松本市(松本市史上巻)がある.たとえば,越谷市史の西方村旧記の弐(越谷市役所市史編纂室1981)には次のような天気の変化が記録されている.<BR><BR> 越谷市史(西方村旧記 弐)<BR> <I>寛保ニ戌年七月廿七日より八月二日迄雨ふり続き申候、<BR> 尤朔日之朝より大雨降リ八ツ過より丑寅風にて、雨の降<BR> る事矢之ごとく、同晩四ツ時より辰巳風に成大風にて大<BR> 木もたおれ、雨は桶よりまけることくして,二日之朝七<BR> ツ時より雨風しづかに成、五ツ時より天気能三日之昼九<BR> ツ迄川通リ水少に(略)</I><BR><BR> 気象の実態を解釈し抜粋すると,越谷市では,8月1日の八ツ過(14時過ぎ)より「丑寅風」(北東),同じ晩の四ツ時(20時)より「辰巳風」(南東)となる.2日の朝七ツ時(4時)には,「雨風しづか」となり,降雨をもたらした気象現象がほぼおさまったと考えられる.<BR><B>3.資料からみた埼玉周辺の気象の実態</B><BR> 埼玉県内の越谷,加須,羽生,深谷の各地点では,降雨が27日から認められる.28~29日には,降雨がある場所ない場所に分かれるため,不安定な天候であったこと推察され,29日に限っては小康状態となっていた可能性が極めて高い.一方で29日の夜には,深谷で北東風(艮風)と大雨,長野県松本で大雨との記載があるが,その他で明確な表記が少なく不安定な天候が8月1日の午前中まで続いていたと解釈できる.<BR> 8月1日になると埼玉県内の各地点と長野県松本のすべてで,大雨となり風もあった.特に越谷では14~16時に東北風(丑寅風)が,長野県松本市では16~18時に北風が吹く.そして22~24時には越谷で南東風(辰巳風)となり,風向きの変化がみられることから,台風と考えられる.そして越谷では台風の北から東側にあたる位置であったと解釈される.松本は,山間地域の北風であることを考慮すると,少なくとも台風の西側の位置にあたる.このことから台風の中心は,埼玉県越谷と長野県松本の間を通過したと考えられ,関東・東海から北上し,日本海方面へ向けて通過したと判断される.<BR><B>4.台風の検証と異常気象との関係</B><BR> 越谷で大風の影響が14時~翌4時で最大14時間である.この記録を基に一般的な台風(直径400㎞)を想定すると,平均移動速度が約29㎞/hとなることから比較的速い速度で通過したことになる.寛保2年の全国的な天候を長崎県諫早や青森県弘前などの古文書を参考に解釈すると,比較的天候に恵まれており冷夏や異常気象の記載がみられない.一方で台風の直径が400km以上になると,近畿地方から関東地方にかけてが,台風の影響範囲と一致するので,寛保2年の災害は台風によるものと判断できる.しかし近畿地方の資料には,時間の記録がある資料を得られていないことから,さらに精査する必要がある.<BR><B>5.台風によってもたらされた崩壊とその後の影響</B><BR> 丸山(1990など)は,千曲川流域の災害の実態を古文書などから復元し,町田(2011)は寛保洪水位磨崖標の高水位の原因をマスムーブメントと指摘した.この実態に沿うように,武州榛沢郡中瀬村史料(河田1971)には,西上州の山々の崩壊が記されている.このことから利根川流域の西側では数多くの崩壊をもたらしたと推察できる.一方で秩父では崩壊の記録は少ないため,そこから浅間方面に向けて崩壊地が増加していたと考えられる.従来の歴史水害の研究は,水害の要因を降雨の増加にともなった流量の増大として考えることが多いが,崩壊が河川への供給源となって土砂を下流側へ供給することで,水害が発生することも考慮する必要がある.今後,氾濫の実態から河床変動との関連性を明らかにする.
著者
永迫 俊郎 箕田 友和 髙山 正教
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>はじめに </b>「種子島・海の学校」は2016年7月で8回目となる短期集中型のサイエンスキャンプである.本研究は,野外教育の有する多角的な効果について,海の学校を事例に明らかにしようとする試みで,子どもたちがどのように成長したか,種子島という地理的条件を踏まえつつ考察していく.全貌の理解が困難といえる野外教育に対して,環境地理学の視点から独自にアプローチできればと意図された研究である.<br><br><b>3</b><b>回の参与観察 </b> このサマーキャンプを総括する教頭先生のH氏の勧めにより,髙山は2014,2015,2016年7月の三度,箕田は2015,2016年7月の二度,海の学校のスタッフを務める好機を得た.子どもたちは教室から離れて日常生活とは異なった自然環境の中で生活することによって,はだで自然に触れ,大自然の懐の中に入ることによって全体として自然についての理解を深め,生物相互の依存関係や人間と自然との関係についての理解をも深めることができる(江橋,1987)という野外教育の最大の特色に注目しながら,4泊5日,3泊4日で行われた活動全般について参与観察を行った.<br><br><b>海の学校の活動内容 </b>種子島・海の学校は,浦田海水浴場でのキャンプを基軸に島中をくまなくまわるメニューが用意されている.参加者は理科実験を取り入れたサイエンス塾にふだん通っており,多彩なプログラムの中から種子島を選んだ子どもたちを塾のスタッフが大阪や広島から引率してくる.塾の先生も同行するものの,サイエンスキャンプ中は現地スタッフが主導権を握る.大阪と広島の子どもが一緒になることはなく,参加者数(10~30名)およびこれに連動する予算規模に応じてメニューや現地スタッフの人数が調整される.<br> スタッフは子どもから先生と呼ばれ,様々な野外活動を共に行い健康・安全管理,食事の準備等をする.活動内容の計画や遂行はH氏が統括し,必要時には助っ人が合流する.内容は,犬城海岸での古第三紀の化石採集から宇宙科学技術の最先端である種子島宇宙センター見学まで多岐にわたり,エリア的にも最北端の喜志鹿﨑灯台から南東部の宇宙センターまで種子島を縦断するものである.拠点は島の北端近くにある浦田海水浴場で,西之表市街地から多少離れた場所に位置し,砂浜と隣接する浦田キャンプ場は自然豊かである.<br> <br><b>子どもたちの成長</b> 子どもたちは観察や採集を通して自然環境の諸事象に興味・関心を抱き,とくに採集時には工夫を凝らし積極的に行動していた.自然の美しさに対する感動や面白さを出発点とし,主体的に行動を起こし創意工夫に至る一連のプロセスの中で,子どもたち同士が互いに働きかけ成長する場面もあった.遊びの体験,自然とのふれあい,生活体験・労働体験と大人側は分類してメニューを提供するが,子どもの側にとってそうした類型化は意味をなさずそれらは融合し独自の色合いを帯びてくる.子ども特有のこうした化学反応が促進されるのは,直接体験という五感を駆使した本物の経験があってこそである.ダイビング体験は,海の学校が用意している子ども成長反応の触媒の一つである.<br> &nbsp;教室における学習と違って野外教育は計画通りに催行されるとは限らず,変更を余儀なくされることも少なくない.海の学校2014は台風接近のため1日旅程が短縮され,帰路の高速船での船酔い体験もできれば避けたかったが,予期せざる学習場面としては非常に好例である.台風と波浪も成長反応の触媒となりうる.また,自然や環境を総体としてシームレスに理解する手がかりは,体系化された個々の教科教育の中にはなく,子どもたちが五感を使った直接体験にこそ潜んでいる.多感な子どもの成長にとって,実際の現場に身を置いてこそ得られる自然の豊かさや美しさに対する感動,心を揺り動かされる経験が鍵を握っている.野外教育の多角的な効果のお陰で,子どもたちは確かに成長して帰って行った.<br><br><b>まとめ</b> 教育は指導者と子ども,子ども同士の相互作用の結果と痛感させられる.野外教育について,裾野の広がりと多彩な教育的効果をある程度明示できたのは,個々の活動に焦点を絞らず全体を通した解釈を試みたためと考える.個体進化は系統進化の過程をたどるというが,海で誕生した生命の一枝である我々人間は母胎の思い出も影響してか海に親近感をおぼえる.前半2泊は,波の音が子守歌になる浦田浜でのキャンプである.海水浴やダイビング体験はまさに海に入る.海での遊びの体験で起こし,自然とのふれあい(解説)さらに生活体験・労働体験を盛り込み,フィールドも種子島一円に広げていく.「野外のための」,「野外についての」,「野外による」の三要素をカバーし,種子島ならではのロケットセンターでサイエンス塾の子どもたちに未来像を描かせる.一連の活動に常に寄り添うのは種子島の美しい海である.