著者
山田 周二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.119, 2010 (Released:2010-11-22)

本研究は,飲料自動販売機と地蔵堂とをとりあげ,小・中学校の社会科で行われる身近な地域学習において,児童・生徒が飲料自動販売機や地蔵堂の分布を調べることによって,どのようなことが学習できるのか,そしてそのような学習はどのような地域で効果的であるか,をあきらかにすることを目的とした. 大阪府のほぼ中心部に位置する大阪市天王寺区と,奈良県との府県境である郊外に位置する柏原市,それらの中間に位置する大阪市平野区の3市区を対象として,路上にみられるすべての飲料自動販売機と地蔵堂を地図化した. 飲料自動販売機は,調査対象とした3市区に合計3932台あり,1小学校区あたり平均96台あった.いずれの市区においても,駅の周辺を中心とした商業・業務用地に多くみられる傾向があり,小学校区ごとにみた自動販売機の密度と商業・業務用地の割合との間には有意な相関がみられた(n=41,r=0.85,p<0.001).市区単位でみると,分布の偏りが明瞭にみられるものの,校区内といった狭い範囲では,明瞭な分布の傾向が読み取れる場合とそうでない場合とがあった.商業・業務用地と住宅地が余り混在することなく分かれて分布する地域では,分布の集中を容易に読み取れることが分かった.このような地域では,校区全体で野外調査を行い,自動販売機の分布図を作成することで,分布の特徴を読み取るといった地理的技能を養うだけでなく,商業・業務用地のような人が集まるところには自動販売機が設置されていることや,校区の地理的な特徴を学習することができる.一方,商業・業務用地が校区全体に広がっていたり,点在したりしている場合には,分布の傾向が容易には読み取れないため,自動販売機の分布からは効果的な学習は望めないだろう. 地蔵堂の分布は,過去の市街地と密接に関係しており,1948年以前の市街地とその周辺に多くみられることが分かった.地蔵堂は,3市区合計で185みられたが,そのうちの59%が1908年以前に市街地であった地域にあり,1948年までに市街化した地域のものも含めると79%に達する.したがって,戦前から市街化していた地域を含む小学校区においては,地蔵堂の分布を調べ,その分布とかつての市街地の分布を表す地図とを重ねることによって,分布の一致を読み取るといった地理的技能を養うことができ,また,その地域の土地利用の変化を学習することができる.ただし,かつての市街地の範囲と小学校区とは必ずしも一致しないため,校区の境界にとらわれずに,かつての市街地を包含する範囲に調査地域を設定した方が効果的な学習ができるであろう
著者
小島 大輔
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100178, 2017 (Released:2017-10-26)

日本では,近年「インバウンド・バブル」と呼ばれるほど外国人観光者数が増大している。この動向は日本全国の観光地で注目され,市場化を目的として外国人観光者の行動パターンの詳細な把握が試みられている。 ところで,戦後日本の外国人観光者は一様に増大してきたのではない。1960年代,1970年代半ば~1980年代半ば,1980年代半ば~1990年代半ば,1990年代半ば~2000年代末,および2010年代以降といったような段階的な増大を示している。 これらの長期的な発展段階については,外国人観光者に関する全国的な統計データの整備が遅れたため,その行動パターンの空間的特徴やその時間的変化を国土スケールで検討することはなされていない。 そこで,本研究では,外国人入国者のゲートウェイの変遷から,日本におけるインバウンド・ツーリズムの時間的・空間的な発展傾向について検討する。 ゲートウェイという視点から分析する理由は以下の通りである。 まず,前述したように,外国人観光者の行動パターンの空間的特徴を長期的に比較検討可能な統計データが存在しないことがあげられる。そこで,本研究では,法務省『出入国管理統計年報』の港別入国・出国外国人に関する統計を使用した。電子化されていないものはデータベース化し,1961~2015年までの55年間の数値について分析を試みた。 また,観光者数の長期的な変動については,地理学では伝統的に観光地のライフサイクル(Tourism Area Life Cycle:TALC)という視点で検討がなされてきた。しかし,長期的な観光者数の変化とゲートウェイの変動という関係について検討した研究はほとんどない。 さらに,国籍別に出入国両ゲートウェイの関係を分析することによって,国籍別の日本国内の行動パターンの空間的特徴を抽出することが可能である。すなわち,入国港―出国港の関係を検討することで日本国内でのルートを類推することができる。 以上のことから,本研究は,近年増大する外国人観光者の集中する地域(インバウンド・クラスター)が発生する背景,およびそれら特定の地域における行動パターンを説明に寄与することも想定している。 各発展段階を通して,ゲートウェイは一様に発展しておらず,各発展段階においてその構成が大きく変化していることが明らかになった。ゲートウェイは,インフラ整備の影響によって,まず東京への集中および地域的ゲートウェイの出現による多極化が進展していった。続いて,「ゴールデン・ルート」に代表される「定番ルート」の形成によって,さらに多極化の特徴が強くなった。その後,「定番ルート」からのトリクルダウン,チャーター便を利用したツアー,特定の観光対象の出現・衰退,およびクルーズ船寄港などによって多様化が生じていった。 なお,これらの特徴は,外国人の国籍によって大きく異なっていることも明らかになった。欧米からの観光者のゲートウェイは,東京への集中傾向が強く,発展段階を通じてその変化も小さかった。一方,東アジアからの観光者のゲートウェイについては,入国者数の増大に伴い多様化が進展していったこと,および国籍別に集中するゲートウェイが異なることが明らかになった。   付記:本研究はJSPS科研費15H03274の助成を受けたものである。
著者
久野 勇太 日下 博幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1. はじめに<BR> 日本有数の大都市である名古屋が位置する濃尾平野およびその周辺では, 1時間に数十mmにも及ぶ強雨が度々観測されており, 研究が行われてきた. 統計解析を行った研究としては, 以下のようなものがある. 田中ほか(1971)は, 1961~1965年および1968年の計6年間において, 東海地方4県(静岡・愛知・岐阜・三重)の中で日雨量200 mm以上を観測した地点が1か所以上存在した計41日に対して, 名古屋のレーダーによるエコーセルの移動方向と雨量図との関係を調査した. 小花(1977)は, 1975~1976年の計2年間の5~10月に関してアメダスデータを用いて, 東海地方における強雨の発生域と潮岬の下層風向・混合比・不安定度との関係を調査した. 田中ほか(1971)と小花(1977)はともに, 濃尾平野周辺の山地における風上側に強雨域が見られることを示した. このように, これまでの研究の多くでは, 濃尾平野周辺で発生する降水に関して, 風向と降水発生域の関係性に著しい調査がなされてきた. 強雨による災害への対策のためには, さらに空間的・時間的に詳細な降水分布や強雨が発生しやすい時間帯の把握が, 重要であると考えられる.<BR> 本研究では, 空間的・時間的に高密度な観測データを用いて, 夏季の濃尾平野周辺における降水の発生分布・発生時間帯の特性を明らかにすることを目的とする.<BR><BR>2. 方法<BR> 本解析では, アメダスデータおよび愛知県・岐阜県の川の防災情報の10分間雨量データを使用する. 解析期間は, 2002~2009年の6~9月の全日(計976日)および真夏日(計510日)とする. また, 日界は日射の効果を考慮し, 日の出の時刻として06時(日本時間)と定めた. 解析に際して, 強雨日・短時間強雨日をそれぞれ, 以下の条件を全て満たす日と定義する.<BR> 強雨日:<BR> 1) 10 mm/h以上の1時間降水量(連続する6つの10分間降水量の合計値, 以下P_hour)を記録した日.<BR> 短時間強雨日:<BR> 1) 10 mm/h以上のP_hourを記録した日.<BR> 2) 短時間強雨開始時刻から短時間強雨終了時刻までが3時間以内.<BR> 3) P_hourが10 mm/h以上の期間の前後6時間に, 10 mm/h以上の降水が観測されていない.<BR>これらの定義において, 濃尾平野周辺における月平均降水量・強雨日出現確率・短時間強雨日出現確率を調査する. さらには, 濃尾平野周辺における, 強雨・短時間強雨の発生時間帯, 日最大1時間降水量の降水量別頻度を調査する.<BR><BR>3. 結果と考察<BR> 2002~2009年の6~9月における濃尾平野周辺の降水分布および降水発生時間帯の特徴として, 以下の点が挙げられる.<BR>1) 濃尾平野より北~北東側の山地において, 標高の高い地域を除いて, 月平均降水量・強雨日数・短時間強雨日数が多い.<BR>2) 濃尾平野における月平均降水量・強雨日出現確率・短時間強雨日出現確率は, 伊勢湾を囲む他の低標高地域における月平均降水量・強雨日出現確率・短時間強雨日出現確率に比べて値が大きい. さらには, 濃尾平野内でも北部の方がより値が大きい傾向にある.<BR>3) 濃尾平野より北東の山地では, 解析対象期間・真夏日ともに,10 mm/h以上の強雨・短時間強雨の発生は夕方に顕著なピークを持つ. また, 傾向は小さいものの, 濃尾平野内でも真夏日の夕方に10 mm/h以上の強雨の発生ピークが見られた.<BR><BR>謝辞<BR> 本研究は,文部科学省の委託事業「気候変動適応研究推進プログラム」において実施したものである.<BR><BR>参考文献<BR>田中勝夫・深津林・服部満夫・松野光雄 1971. エコーの移動方向で分類した東海地方の大雨の型. 気象庁研究時報 23:431-443.<BR>小花隆司 1977. 東海地方の強雨と地形(Ⅰ). 天気 24:37-43.<BR>
著者
谷口 智雅 濱田 浩美 Bhanu B.Kandel 岡安 聡史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

高濃度のヒ素が検出されるテライ低地のナワルパラシ郡パラシの東西約6km、南北約10kmの地域において、地下水の動態とその利用の実態を把握するために、地下水調査を実施している。この地域における生活用水の水源の多くは地下水に依存しており、各家庭で掘られた井戸や共同井戸から地下水が汲み上げられている。井戸は伝統的な開放井戸と15年ほど前から掘削の始まった打ち込み井戸に分類されるが、その多くは打ち込み井戸が中心で、開放井戸の数や分布は限られている。本発表では、対象地域におる開放井戸について報告する。 調査地域内の25の集落を対象に地下水調査を実施し、各集落において開放井戸、掘り抜き井戸1か所を原則とし調査を行っている。その過程の中で聞き取り調査により集落内の開放井戸の有無について調査を行った。調査は2012年3月2日~6日、8月19~23日に実施した。観測項目として、現地において井戸の形状・大きさ・地下水位・ヒ素濃度・水温・pH・EC・ORP・DO等を測定した。その結果、開放井戸のある集落は未使用と見られる4つを含む15集落で、Mahuwa(地点8)については集落内に2つの開放井戸が存在していた。聞き取りによる井戸の作成年は150~200年前と回答した井戸が11箇所と非常に古くから設置されている。井戸の形状はAtharahati(地点2)の正方形、Khokharpurwa(地点4)の五角形を除き、円形である。また、Goini(地点26)の井戸は井戸自体が円形だが、前方後円噴のような型どりになっている。2012年3月の観測結果に基づく井戸概観において、井戸枠高は0.00~0.95mで、地盤高と同じ高さを除く、井戸枠の高さの平均は0.43mである。井戸底までの深さは、Mahuwa(地点8)の9.3mが一番深く、一番浅いのは井戸枠も崩れて未使用井戸であるPipara(地点9)の2.55m、使用されている井戸の中ではGoini(地点26)の3.40mであった。井戸底までの深さの平均は6.02mである。 2012年3月における地下水面までの深さは2.15~6.55m、湛水深は0.4~4.35mであった。8月の地下水面までの深さは0.94~4.73m、湛水深は1.61~4.22mであり、3月の乾季における湛水深が小さくなっている。地下水面は、乾季(3月)より雨季(8月)の方が低く、湛水深でSarawal(地点21)の4.9m差が最大、最小でManari(地点27)の0.69m、平均は1.76mであった。浅層地下水の流動形態は、地下水等高線図として示すことが有効であるが、地下水面計測および対象地域の地形や地質構造の把握が不十分なため、今回は示すに至っていない。
著者
加賀美 雅弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.116-117, 2017 (Released:2017-09-30)
被引用文献数
1
著者
渡辺 和之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

ネパール国内には、チベット難民のためのキャンプが数カ所ある。その多くは、1959年、中国がチベットに侵攻し、大量の難民が押し寄せた際に作られたものである。ソルクンブー郡にも、1960年代にチャルサに難民キャンプが作られた。ここにはネパール政府の国営絨毯工場ができ、難民たちが絨毯を織っていた。1990年代に発表者がこの地域で調査していた際、定期市でチベット絨毯が売られていた。<BR> 本発表では、このチャルサのチベット絨毯の原料となる羊毛がどのような経路で運ばれ、製品となった絨毯がどのような経路で流通していったのか、2011年夏に調査した結果を報告する。結果的にチャルサの絨毯工場は1990年後半代に閉鎖されており、このキャンプでおこなわれていた絨毯産業の盛衰と当時の流通事情がわかった。<BR> チャルサの絨毯工場は、郡庁所在地のあるサレリから1時間半ほど山道を上った場所にある。難民キャンプのあるチャルサには現在では40-50人程度の人しか住んでいないが、最盛時には1000人以上のチベット人が住んでいたという。絨毯工場は難民保護の目的で設立されたものである。国営ではあるが、ネパール政府は土地を提供しただけで、実質的な経営は赤十字がおこなっていた。難民キャンプを設立する予算も、絨毯の原料となる羊毛や染料の調達、および製品である絨毯の販売もすべてスイスの赤十字が経営していた。羊毛はチベット産のものを用いていたが、これはコダリを経由し、自動車で運ばれてきたものをジリから運んできたという。染料もスイス製の化学染料を用いており、コンクリート製の近代的な染色小屋で染めていた。染色した糸を乾燥させる際も、はじめは薪を燃料に用いていたが、この地域の森林破壊につながることを危惧し、電気の乾燥機をスイス政府が用意した。できあがった製品はカトマンズに輸送し、よいものはドイツやスイスに輸出されていた。<BR> 一方で、難民キャンプで働く人々は羊毛を買ってきて自分の家で絨毯を織ることもあった。発表者が1990年代にナヤバザールの定期市でチャルサの絨毯といって売られているのを見たのは、この自家製の絨毯であった。工場で作る最高級品と比べると質は落ち、値段も工場で織った絨毯が1枚15000Rs(1990年代なかばには約3万円)したのに対し、家で織るものは1枚3000ルピー(約6千円)程度で買えた。この自家製の絨毯を織る機はthijaという。足踏み式の機であり、経糸の数は67本×2本であった。<BR> 現在では家で自家製の絨毯を織っている人はほとんどいなくなってしまい、数世帯残るのみだという。ナヤバザールの定期市で売っている絨毯のほとんどがカトマンズから持ってきたものである。サレリの役場に赴任した役人が実家に帰省する時にみやげとして「チャルサのチベット絨毯」を買ってゆくそうで、「向こう(カトマンズ)で作ったものを向こう(カトマンズ)に持ってゆくのだから、手間のかかることだ」と、地元ではいわれている。<BR> チャルサの工場が閉鎖されたのは1996年前後である。ネパール政府に払う税金(年30万ルピー)が払えなくなって工場を閉鎖したという。ちょうど1990年代は児童労働が問題になり、チベット絨毯の国際的な不買運動により、全国的に絨毯産業は衰退した頃と重なっていた。チャルサに住むチベット難民の多くはその後カトマンズに移住したという。<BR>
著者
櫛引 素夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1)はじめに<br> 整備新幹線は2002年に東北新幹線が八戸開業、2010年に新青森開業を迎えるなど、2015年1月までに5路線中、3路線が営業を開始した。2015年3月には北陸新幹線が金沢開業、2016年3月には北海道新幹線が新函館北斗開業を迎える。<br> 整備新幹線の開業に際しては経済的な効果の研究が多数なされているが、地域社会総体や住民生活の変化、さらに沿線住民の評価に関する研究例は非常に少ない。<br> 発表者は2014年8~9月、青森県内の青森、弘前、八戸の3市で、住民896人を対象に郵送で新幹線の評価に関する調査を実施し、計313人から回答を得た(回収率35%)。本研究では、この調査結果に基づき、地域社会の変化を住民の視点から分析するとともに、新幹線開業の意義や地域政策としての可能性、および課題について検討する。<br><br>2)新幹線の利用動向<br> 新幹線の利用経験は、「11回以上」と答えた住民が八戸市では70%を超えたのに対し、青森、弘前両市では30%台だった。利用頻度でも、八戸市では「年に1~2回」以上と答えた人が70%を超えたが、青森、弘前両市では40%台にとどまった。新幹線開業に伴い鉄道の利用頻度が「大きく増えた」「少し増えた」と答えた人は、八戸市で半数を超えたのに対し、青森、弘前両市では30%前後だった。<br> 他方、青森市では、回答者の50%が、新幹線開業に伴い「新幹線で出かけたい気持ちが強くなった」と答え、八戸市の42%、弘前市の36%を大きく上回った。このことから、青森市でも今後、新幹線の利用が活発化し、定着していく可能性を指摘できる。<br><br>3)鉄道や地元の変化に対する評価<br> 3市とも、新幹線がもたらした変化で最も評価が高いのは「東京や仙台、盛岡との行き来が活発になったこと」である。この項目を除くと、3市の回答にそれぞれ大きな特徴がみられる。<br> 八戸市では、回答者の9割近くが「盛岡や仙台、東京への所要時間が短くなった」と評価しており、青森市の66%、弘前市の68%を大きく上回った。八戸駅は新幹線駅が在来線駅に併設されたのに対し、青森市は新駅にターミナルが移転したこと、弘前市は奥羽線で乗り継ぎが必要なことが影響しているとみられる。<br> また、八戸市では新幹線開業に伴い「市の知名度が上がった」と評価している人が48%に達し、交通面での利便性向上とは直接、関係のない「存在効果」への評価が高い。半面、「新幹線駅一帯が代わり映えしない」ことを心配する人も44%あり、2002年の開業後、駅一帯の整備や開発が大きく進展しないことへの不満や不安も大きい。<br> 青森市では、知名度の向上や観光客の増加を歓迎する回答が多い一方で、22%が「駅の利便性が低下した」と回答し、ターミナル移転への不満が強い。加えて、新青森駅前の開発が進まない現状に対し、回答者の54%が、開業をめぐって「心配なこと」に挙げ、新青森駅の景観や機能への不満はさらに強い。<br> 弘前市は、観光客の増加を評価する回答が34%と高いが、市内に活気が出ていないこと、新青森駅前の開発が進まないことへの不満が強い。<br> これらの変化に対する評価を総合して、「自分の暮らし」「自分が住んでいる市」「青森県全体」の3項目について、新幹線がもたらした変化を「良い効果をもたらした」「悪い影響をもたらした」「何とも言えない」から選択してもらった結果、同一の市でも項目ごとに評価の傾向が異なる上、市によっても評価傾向が異なった。<br> 全体的に肯定的な評価が目立ったのは八戸市で、3項目いずれも「良い効果をもたらした」という回答が40%を超えた。一方、青森市では、「自分が住んでいる市」について「良い結果をもたらした」が34%、弘前市では31%だった。<br><br>4)北海道新幹線開業への予測<br> 北海道新幹線が及ぼす変化の予測については、「自分の暮らしに良い効果をもたらす」と答えた人は3市とも20%台、「悪い影響をもたらす」と答えた人が4~6%で、7割前後が「何とも言えない」と答えた。青森県全体に及ぼす変化については、回答傾向がやや異なり、「良い効果をもたらす」が八戸市で39%だったのに対して、青森市では28%止まりだった。また、「悪い影響をもたらす」と答えた人が3市とも1割を超えた。<br> 具体的な懸念材料としては「道南・函館に観光客を吸い取られる」ことを挙げた人が3市とも最多で、青森市では63%、他の2市でも48%に達した。<br><br>5)考察<br> 新幹線開業がもたらす変化について、住民は「自分の暮らし」「自分の市」「県全体」とで異なる評価の視点を持つことを確認できた。また、「知名度の向上」など、いわゆる「存在効果」への評価も重視していること、さらには新幹線駅周辺の機能や景観が整わない「負の存在効果」にも敏感であることが確認できた。
著者
有馬 貴之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

Ⅰ.大地の遺産とは何か 大地の遺産とは、端的にいえば「貴重な土地」のことである。「土地」はそれぞれに環境、景観、文化、社会を持つ。また、「貴重」とは、その対象物(ここでは土地)が希少性、固有性、特異性を持っているということである。地理学の学問性を重んじれば、「貴重」性は、その土地で自然現象と人文現象が同時にみられる、もしくはそれらの相互の関係がみられるということになる(詳しくは、岩田 2012、目代 2011、目代ほか 2010)。 大地の遺産とその百選について地理学者が言及する背景には、地理学の社会的貢献の必要性、より具体的にはジオパークに対する貢献がある。これまでに25のジオパークが日本で設立され、各々の地域では熱心な活動がみられるようになった。地理学者の多くも活動に参画しており、その学術団体として社会的なプレゼンスをより高める必要性がある(目代ほか 2010)。このために、日本地理学会ジオパーク対応委員会(以下対応委員会)が主体となって大地の遺産百選選定の作業を進めている。Ⅱ.アンケート調査(第1回)の結果と考察 対応委員会は2012年の春の大会シンポジウムで大地の遺産百選に関する講演と参加者へのアンケート調査(第1回)を行った。アンケート調査では、21名(無記名含)の会員から計39の候補地があげられた。この数は百選を選ぶ数としてはまだまだ少なく、今後の課題としてより多くの地理学者により多くの候補地を提案していただくことがあげられる。また、推薦された候補地では関東以西、特に九州地方の候補地が多く、今後は、他の地域の候補地の推薦も求められるであろう。 推薦された候補地の空間スケールについて吟味すると、今回のアンケートの結果では、全体の70%以上が市町村レベルの空間スケールから複数県にまたがる空間スケールでの提案となっていた。おそらく、これらの空間スケールを基本に土地の貴重性を求め、大地の遺産百選として選定する事が解り易い空間スケールとみられる。ただし、大地の遺産百選の選定で重要視される根本的な部分は、その空間スケールではなく、冒頭に述べた自然現象と人文現象の関係である。言い換えれば、その候補地で「ひとつの地誌学的なストーリー」が構築できることが重要となる(例えば、大野 2011)。 それでは、その「地誌学的なストーリー」はアンケート調査の結果からも読み取れるであろうか。アンケートで推薦された39の候補地のうち、推薦理由として自然と人文の双方の現象について記述されたものは23ヶ所(59%)であった。このことから、大地の遺産の地誌学的な捉え方はある程度浸透していると考えられる。なお、35(90%)の候補地で地形・地質(自然)の特徴が推薦理由として論じられていた。したがって、推薦された候補地の多くは貴重な地形・地質を基盤とした土地であることがわかる。これはこれまでの対応委員会の発表や議論に類似した結果でもあるが、複合的学問である地理学の性格を考えれば、今後は他の自然現象や人文現象、およびそれらとの関係にも配慮していくことが必要といえる。 アンケート調査の結果をみる限り、対応委員会がこれまでに大地の遺産について発表、議論してきた内容と参加者の推薦する候補地やその考え方に大きな相違点はみられなかった。しかし、このことは、逆にいえば、多くの地理学者は、対応委員会にフォローする形のみで参加していると考えられる。実際に、頻繁に議論へ参加している地理学者は決して多くない。そのため、今後も対応委員会が主体となって、多くの研究者を巻き込む積極的な姿勢が必要であろう。 なお、アンケート調査の結果によれば、大地の遺産の重要な要素と考えられる保全、教育、ツーリズムのいずれかが推薦理由として言及されていた候補地は9ヶ所(23%)と僅かであった。Ⅲ.今後の選定スケジュール 今後のスケジュールとしては、本発表時(3月)に第2回アンケート調査を、地球惑星連合学会(5月)に第3回アンケート調査を行う。ウェブアンケートも2013年1月から実施している(https://sites.google.com/site/ajggeo park/home/annouce/dadenoyichanbaixuananketo)。また、郵送によるアンケート調査も検討中である。アンケート調査後は、対応委員会を中心に候補地リストからの選定を行い、10月の秋季学術大会で大地の遺産百選の発表を目指していく予定である。
著者
森野 友介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

「スクリーンスケイプ」はスクリーンに表示された映像から、このような現代社会を読み解いていこうという試みである。スクリーンスケイプとは狭義にはスクリーンに表示された映像そのものを意味するが、広義にはそれを通してつながったヒト、モノ、情報のフローやこれらを抑制、あるいは促進する文脈や技術との関係も含まれる。本研究では狭義のスクリーンスケイプの1つであるスクリーンの映像表現について調査する。本研究では現在のヴァーチャル空間の基礎につながっていると考えられる2Dのビデオゲームの空間を対象に調査を行う。このようなビデオゲームの空間は3DCG技術を利用した擬似3D表現が難しく、高さ、奥行き、幅の3軸のうち2軸を選択した平面で表現されている。そのため、その選択によって視点を分類することが可能であり、2Dのビデオゲームの空間をプレイヤーがみる視点の位置によって4種類に分類した。ファミリーコンピュータ(以下FCとも記す)およびスーパーファミコン(以下SFCとも記す)の2機種で発売されたタイトルを視点とゲームの内容を示すジャンルによって分類し、分析を行うことで、ビデオゲームの空間の特性を明らかにする。 FCおよびSFCで発売されたゲームタイトルを分類、分析した結果、以下のような知見が得られた。ビデオゲームのジャンルにはゲーム機の性能や普及台数による棲み分けや、ヒットタイトルによる特定のジャンルの流行などが見受けられた。視点とハードウェアの性能に注目すると、FCに比べ、性能の向上したSFCでは擬似3D表現が可能な視点の増加していた。また、ジャンルによって利用されている視点に明らかに偏りが存在することから、ゲームの内容に合わせた表現方法が選択されていることが明らかとなった。ビデオゲームの空間は技術的問題から大きく制限されているおり、効果的に視点を選択することによってゲームの空間を表視する必要がある。さらに、表示可能な情報量の少なさをインターフェースや音によって補っている。 スクリーンに表示される映像には必ず作り手が存在する。そのため、技術が進歩した今日でも表現方法の選択は行われており、依然としてヴァーチャル空間はインターフェースや音による補助なしには成り立たない。本研究ではスクリーンスケイプの一部のみを扱っており、情報化の進んだ現代を読み解くためにもより広義のスクリーンスケイプについての研究を進めていく必要がある。
著者
奈良間 千之 佐藤 隼人 山本 美奈子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1</b><b>.はじめに</b><br>&nbsp; キルギスタン北東部に位置するテスケイ山脈では2006年~2014年にかけて氷河湖決壊洪水(GLOF)が起こっている.この地域のGLOFは数か月~数年内に出現・急拡大し,出水する短命氷河湖タイプであり,衛星画像によるモニタリングで氷河湖の出現を把握するのが極めて難しい.2008年7月の西ズンダンGLOFでは,0.04km<sup>2</sup>の氷河湖がわずか2か月半で出現し,この氷河湖からの出水により,3人が亡くなり,下流の道路や家畜への甚大な被害がでた(Narama et al., 2010).また,同山脈では2013年8月にジェル・ウイ氷河湖,2014年7月にカラ・テケ氷河湖が2年連続で出水し,下流のジェル・ウイ村で被害が出ている.この出水した2つの氷河湖はキルギスタン緊急対策省のハザードレベルでそれぞれ低・未認定となっており(MES, 2013),ハザードレベルの評価が正しくおこなわれておらず,氷河湖への理解が十分であるとは言い難い.そこで本研究では,現地調査や衛星画像解析からテスケイ山脈北側斜面に分布する氷河湖の出水と被害の特徴を明らかにすることを目的とする.<br><b>2</b><b>.研究方法</b><br>&nbsp; 衛星画像(Landsat7/ETM+,ALOS/ PRISM AVNIR-2,Landsat8/OLI)を用いて氷河湖ポリゴンを作成し,氷河湖の分布を調べた.ALOS/PRISMとASTERのDEMによる地形解析から湖盆地形を抽出し,下流域の地形,侵食域と合わせリスク評価をおこなった.現地調査では高精度GPSによる氷河湖周辺の測量,地形観察,出水トンネル確認,堆積物調査を実施した.また,2つのGLOFとその被害の詳細を知るために地元住民から聞き取り調査を実施した.調査結果をまとめ最近のGLOFの堆積物,洪水タイプ,被害を比較し,この地域のGLOFの特徴について考察した.<br><b>3</b><b>.結果と考察</b><br>&nbsp; 衛星画像を用いた氷河湖の変動解析と現地調査の結果, 2013年8月15日に出水したジェル・ウイ氷河湖は約3か月間で面積0.031km<sup>2</sup>まで拡大・出水した.2014年7月17日に出水したカラ・テケ氷河湖は前年にわずか0.002km<sup>2</sup>の水たまりが3か月程度で0.024km<sup>2</sup>まで拡大・出水した.いずれも急拡大して出水した短命氷河湖であった.氷河前面には埋没氷を含むデブリ帯が広がっており,デブリ帯内部に発達したアイストンネルからの出水であった.2つのGLOFは土石流であるが,流れのタイプや堆積構造は大きく異なる.ジェル・ウイ氷河湖のGLOFは粘性が高く土砂を多く含んだ流れで,その堆積物は小さい粒径の岩屑を多く含むマトリックスサポートで無層理の堆積構造であった.一方,カラ・テケ氷河湖のGLOFは水分を多く含む粘性の低い流れで,堆積物は巨礫からなるクラストサポートで,無淘汰・無層理の堆積構造であった.聞き取り調査からも高密流の堆積構造をもつジェル・ウイ氷河湖のGLOFの方が遅い流れであったという証言が得られている.また,両者の下流域の地形の違いにより被害の程度に違いがみられた.ジェル・ウイ氷河湖のGLOFの場合,谷出口が扇状地であったため首振り運動による河道変化が発生し,扇状地上の農地,道路,灌漑用水路,橋などが広範囲で被害を受けた.一方,カラ・テケ氷河湖のGLOFの場合,谷出口は河谷地形であったため,GLOFは河道沿いに流れ,被害は川沿いの2つの橋にとどまった.<br>&nbsp; この地域で過去に生じたGLOFの洪水タイプと侵食長を指標として,現存する,今後出現する可能性を持つ氷河湖に対して,下流域の侵食長を計測し,各谷でGLOFが発生した場合のGLOFの洪水タイプを推定した結果,この地域ではMud floodタイプになる可能性の谷が少なくとも8つあることを確認した.
著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

Ⅰ 風の祭祀の背景 風の祭祀には,それが行われる周辺の景観とのかかわりがみられる。また農山漁村における生業の違いや,風の局地性による地域ごとの風の違いからも,風の祭祀の地域的な特色が形成されると考えられる。ここではまず海,平,原,山などのような景観と,風の祭祀のかかわりの解明を試みる。Ⅱ 現在の風の祭祀の特色 「風祭」に代表される風の祭祀の名称は,北九州では風鎮祭,近畿では風願済祭や除風祭とよばれる。中部から東では一般に風祭とよばれるが,一部では風神祭や風鎮祭とよぶところがみられる。東北南部でも多くは風祭で,会津や朝日山麓など局地的に風神祭とよばれる。Ⅲ 主要な祭祀の祈願古くからみられる風の祭祀での祈願の一つに,海上安全がある。祭神の神功皇后に関して,壱岐北部で風待をしたときに名付けた風本,また爾自神社の東風石など,風にまつわる地が多い。壱岐郡に応神天皇を祀るのは18社,神功皇后は14社があるが,ただし風祭は少ない。さらに,天下泰平が祈願される。宇佐付近で風止祭などが行われるが,付近は半島や南九州に向かう地でもあった。そこでの放生会の蜷流しは,養老四(720)年に隼人との戦での霊を鎮めるためといわれる。風雨順調は祈願の一つである。祭りでは,鉾や,御柱,また鎌立てなどがみられる。農耕における順調が祈願される。越中八尾のおわら風の盆で,おわらは名のごとく原とのかかわりが認められ,さらに祭りの行われる地には水とのかかわりもみられる。Ⅳ 風の祭祀の地具体的な風祭は,北九州での名称にみられるように,風止め,風除け,風鎮めなどがあり,海での航行安全にかかわるとみられる。山では,風祭にかかわる行事として,風の神送り,風塞ぎ,通せん坊,風神などがみられる。原で行われる御射山祭では,天地の安寧が祈られる。なお風の祭祀の地には、アズミの名がみられることが多い。安曇氏の名は海人津見の転訛とされ,九州から近畿,東海,伊豆から,さらに山形に広がる。長野の安曇野も同様であるが、そこにはとくに風の祭祀が集中する。風の祭祀は全国的にみられるが、海や平と山や原などでの展開の間に、それらがかかわることが考えられる。
著者
小谷 真千代
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>1</b><b>.本報告の背景</b><b></b> <br> 「出稼ぎ」という現象は、これまで社会学・経済学を中心に、地理学を含む幅広い学問分野で研究の対象とされてきた。その共通理解としては、主として農村から都市への労働力移動であること、就労の一時性・農村への回帰性があげられよう。換言するならば、出稼ぎとは、都市と農村という関係性の中に捉えられてきた現象である。<br> しかしながら、1980年代以降、出稼ぎの基盤である都市と農村の関係は大きく変化した。ルフェ&minus;ヴルによれば、かつて自明であった都市と農村の境界はあいまいになり、今や田舎は「都市の<周辺>、その極限でしかない」(ルフェーヴル 1974: 21)。この都市化が惑星の隅々に至るまで進行する状況を、ルフェーヴルは「都市の惑星化 plan&eacute;tarisation de l&rsquo;urbain」と呼んだ(Lefebvre 1989)。都市の惑星化、あるいは「惑星的都市化planetary urbanization」は、新自由主義的な労働市場の再編とともに進行する(Merrifield 2014)。仕事を求めて都市へと向かう労働者の移動は、今やグローバルな規模で生じているが、その先には、もはや彼らが求めるような安定した仕事など残されていない。<br> こうした状況をふまえるのであれば、農村から都市への労働力移動を指す「出稼ぎ」という語は、消えゆくもののように思われる。しかしながら、実際のところ、この語は近年になって新たな意味を獲得し、日本とブラジルを行き来する日系ブラジル人たちによって今もなお生きられている。とすれば、日系ブラジル人労働者たちの経験に注目することで、変わりゆく現在の「出稼ぎ」という現象を捉えることができるのではないだろうか。 <br> &nbsp;<br> <b>2</b><b>.出稼ぎ・</b><b>decassegui</b><b>・デカセギ<br></b><b></b> 日本国内において、「出稼ぎ」が広く注目されるようになったのは、高度経済成長期のことであった。とりわけ1970年代には、出稼ぎ労働者の数がピークに達し、1971年に出稼ぎ労働者の全国的な組織である「全国出稼組合連合会」が結成されている。このような状況下で、「出稼ぎ」は社会問題として盛んに論じられ、地方新聞社やジャーナリストによるルポルタージュも相次いで出版された。ところが、1980年代以降、出稼ぎ労働者の数は減少し、それに伴って「出稼ぎ」という語が用いられる機会も減少する。<br> 一方、日本国内の出稼ぎの減少と反比例するかのように増加したのが、ブラジルから日本への労働力移動を指す「デカセギdecassegui」という語の使用であった。1980年代後半以降、ブラジルのハイパーインフレなどを背景に、多くの日系ブラジル人が仕事を求めて来日した。その際、日本語の「出稼ぎ」が、日本での就労を意味する語として用いられはじめたのである。日本での就労が日系コミュニティ内で一般化するにつれ、この語はポルトガル語化し、彼らの語彙に定着した。そして現在でも、日系ブラジル人は自らをデカセギと名指し、日本での労働の経験を語る。 <br><br> &nbsp; <b>3</b><b>.本報告の目的<br></b><b></b> 本報告では、近年の都市研究における惑星的都市化の議論を参照しつつ、日系ブラジル人労働者の語りを通じて、現在の「出稼ぎ」がどのように意味づけられているのかを明らかにする。そのうえで、出稼ぎをとりまく労働市場の変容から、惑星的都市化の内実を捉えてみたい。<br> なお、本報告は2016年7月から9月にかけてブラジルのサンパウロおよびポルトアレグレで実施した、日本への出稼ぎ経験者に対する聞き取り調査にもとづくものである。 &nbsp; <br><br> <b>参考文献</b> <br>ルフェーヴル, H. 著. 今井成美訳 1974. 『都市革命』晶文社. Lefebvre, H. 1970. <i>La r&eacute;volution urbaine.</i> Paris: Gallimard. <br> Lefebvre, H. 1989. Quand la ville se perd dans une m&eacute;tamorphose plan&eacute;tarie. In <i>Le monde diplomatique</i><i> </i>May. Translated by L. Corroyer, M. Potvin and N. Brenner, 2014. Dissolving city, planetary metamorphosis. In <i>Implosions/ explosions: Towards a study of planetary urbanization</i>, ed. N. Brenner, 566-571. Berlin: Jovis. <br> Merrifield, A. 2014. The right to the city and beyond: Notes on a Lefebvrian Reconceptualization. In <i>Implosions / explosions: towards a study of planetary urbanization</i>, ed. N. Brenner, 523-532. Berlin: Jovis.
著者
田中 誠也 磯田 弦 桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

本報告では,観光行動を分析する手段としてSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の1つであるツイッターの位置情報付きの投稿データを用いて,アニメ作品のロケ地またはその作品・作者と関連性があり,かつファンによってその価値が認められている場所(「アニメ聖地」)と認められている地点と,アニメファンが多く参加すると考えられるイベントに注目して,聖地巡礼者の①発地と②訪問先を分析し,観光行動研究への活用を検討する.
著者
三木 理史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.89, no.5, pp.234-251, 2016

<p>本稿の目的は,1920年代における漢人の満洲への出稼移動に着目し,満鉄旅客輸送の特徴を明らかにすることにある.その具体的課題は,満鉄の鉄道旅客輸送の実態と,旅客の中心であった出稼者の移動の2点の解明で,本稿の分析結果は以下の4点にまとめられる.1. 出稼地は次第に南満から北満へと移行し,出稼者が満鉄線と中東鉄道線の利用増加を促進した.2. 出稼者の入満経路は大連経由が増加して京奉鉄路経由が減少した.3. 出稼者は三等や貨車搭乗(四等)で割引運賃や無賃による利用が多く,輸送人員も非常に大量であった.4. 北満への出稼者誘致は当初吉林省が積極的で中東鉄道東部線沿線を中心に進み,中ソ国境での紛争や自動車輸送の進展などの事情によって,次第に未開発地の多い西部線沿線へと移った.鉄道にとって無料や低運賃の出稼者輸送の意義は,大量性に加えて,穀物輸送貨車の空車回送の間合い運用が可能な点にあった.</p>
著者
山内 啓之 小口 高 村山 祐司 久保田 光一 貞広 幸雄 奥貫 圭一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

これまでにGIS教育の充実のために、科学研究費を用いた複数のプロジェクトが行われ、基本となるコアカリキュラムと講義用教材が整備された。しかし、実習に関する検討は少なかった。GISを活用できる人材の育成には、大学の学部や大学院等における実習を通じた教育が重要である。<br> そこで、GISの実習用教材を開発し、公開するプロジェクトを平成27年度より開始した(科学研究費基盤研究A「GISの標準コアカリキュラムと知識体系を踏まえた実習用オープン教材の開発」、平成27~31年度、代表者:小口 高)。本プロジェクトでは、学部3~4年生の実習授業や自主学習を対象とした教材の開発と試験公開を行い、一般公開に向けて修正と改良を重ねてきた。本報は、これまでに整備してきた教材とその公開についてまとめたものである。<br> 今回整備した教材は、日本独自の地理情報科学の知識体系を教科書として編集した『地理情報科学 GISスタンダード』(浅見ほか編, 2015)の章構成に基づいている。GISの操作手法の解説には、無償のソフトウェアとデータを用いた。ソフトウェアは、様々な実習環境に対応できるQGISを主に用いた。QGISはバージョン更新が頻繁であるため、長期的にリリースされていた安定版のQGIS2.8を基本とした。しかし、リモートセンシング・データの解析、空間データベース、ネットワーク分析などの基礎的な内容や、空間統計学的な内容を含む教材においては、QGISのみでの対応が困難なため、GRASS GIS、PostGIS、CrimeStatなど複数のソフトウェアを組み合わせて使用した。<br> 教材で用いるデータは、国土数値情報やオープンデータなどとし、背景地図が必要な場合は、地理院タイルを利用した。以上のソフトウェアやデータを活用して、『地理情報科学GISスタンダード』の中で、実習の内容を含む6章~23章と26章に対応した教材を整備した。<br> 教材は、PowerPointファイルと記述が容易なMarkdownファイルでまとめ、GitHubにアップロードし、WEBで試験公開した。その後、編集や管理のしやすいGitHub上で、修正や改良を重ねた。GitHubでの公開は、Pull Request機能やIssue機能による低コストでの教材管理を目的としたものである。教材編集に一般利用者が参加できることから、ソフトウェアのバージョン更新に対応できるソーシャルコーディング的な教材運用も期待できる。 <br> 教材は、GitHubとGitBookを連携させ、閲覧しやすいWEBページで公開する。GitBookは、Markdownファイルの表示や閲覧に特化したサービスである。GitHubリポジトリのMarkdownファイルを読み込むことで、両リポジトリ間での双方向的な編集と表示が可能になる。また、簡易なコメント投稿機能や複数のファイル形式でのダウンロードなど、利用者に便利な機能が標準で用意されている。 <br> 教材には、クリエイティブコモンズに基づいて、CC BY-SA 4.0のライセンスを付与した。表記は &copy; GIS Open Educational Contents WG, CC BY-SA 4.0とした。これは、表示-継承の条件下において、幅広い用途での自由な利活用を認めることを意味する。<br> 本プロジェクトの成果は、大学等でのGIS実習や、学生や市民の自主学習に利用できるようにインターネットで一般公開する。今後は、公開した教材の運用とともに、一般利用者からPull Requestを受けつつ教材を更新していく仕組みの構築や、インターネットを活用したWEB GIS教材の整備等について検討する予定である。
著者
伊藤 徹哉 飯嶋 曜子 小原 規宏 小林 浩二 イリエバ マルガリータ カザコフ ボリス
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2011年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.44, 2011 (Released:2011-05-24)

I. はじめに 1989年以降のいわゆる「東欧革命」を通じて,中・東欧各国は経済的には市場経済へと移行し,価格の自由化や国営企業の民営化が推し進められた。これに伴って物不足の解消や物価上昇といった経済的変化や失業者の増加などの社会的変化が生じ,また地域的な経済格差も拡大していった。農業経済を中心にする地域,とくに大都市から遠距離の農村では工業やサービス業の大規模な開発が困難であり,これらの地域は後進地域として社会的・経済的課題を抱えていることが指摘されている。 研究対象のブルガリアでは,現在も就業構造において農業経済への依存がみられる一方,「東欧革命」以降,首都ソフィアとその近郊をはじめとする大都市での経済開発も進展しており,農業地域と大都市との経済格差が拡大しつつある。本研究は農業経済を基盤とするEU新規加盟国のブルガリアを対象として,国内の地域的な経済発展における格差を国内総生産(GDP)と平均年間賃金に基づいて明らかにし,人口分布や人口移動などの社会的特性と,産業別就業者数と海外からの直接投資額などの経済的特性から経済格差の背景を考察することを目的とする。分析に用いた資料は,2008年9月,2009年9月および2010年8~9月の現地調査によって得られたブルガリア国立統計研究所 (National Statistical Institute) が刊行した統計年鑑や統計資料である。 II. 地域的経済格差 国内6つの計画地域Planning RegionごとのGDPに基づいて地域経済の変化を分析した。その結果,首都・ソフィアを含む南西部では活発な経済活動が認められる一方,その他の地域,とくに北西部と北中央部が経済的に低迷しており,しかも1999年以降においては南西部とその他の地域との差が拡大していた。 また,国内に28設置されているDistrict(以下,県)ごとの平均年間賃金(以下,年間賃金)に基づいて経済上の地域的差違を考察する。まず,全国平均の年間賃金は2009年において7,309BGN(レバ)であり,2005年における数値(3,885BGN)と比較すると,4年間で約1.9倍上昇した。県別にみると,南西部の首都・ソフィアの賃金水準が極めて高く,2009年では全国第一位の9,913BGNに達している。この値は全国平均(7,309BGN)の約1.4倍であり,全国第二位(7,696BGN)と第三位(7,602BGN)の県と比較しても突出している。首都・ソフィアの年間賃金は,もともと高水準であったが,近年さらに上昇している。また首都を取り囲むように広がるソフィア県の年間賃金も7,026BGNと全国平均には届かないものの,相対的に高い水準となっている。このように首都・ソフィアとその周辺部の一部では所得水準がもともと高く,それが近年さらに上昇している。一方,北西部と北中央部での年間賃金の水準は低く,2009年における年間賃金の最下位県の値を首都・ソフィアと比較すると,その2分の1の水準にとどまる。また2005年からの変化も小さく,賃金水準が低い状態におかれている。 III. おわりに-地域的経済格差の社会・経済的背景 地域的な経済格差の背景を人口分布や人口移動などの社会的特性と,産業別就業者数と海外からの直接投資額などの経済的特性から考察する。ブルガリアにおける地域的な経済格差の背景として,次の3要因との関連を指摘できる。第一に人口集中に起因する首都・ソフィアの消費市場と労働市場としての突出である。人口は首都・ソフィアが含まれる南西部に集中しており,2006年において総人口(769.9万)の27.5%を占める211.8万が南西部に居住する。とくに首都・ソフィアの人口規模は大きく,総人口の16%を占めている。第二に首都・ソフィアへの企業や主要施設集中に起因する資本集中であり,首都・ソフィアでの事業所数や就業者数の多さや,海外からの直接投資の集中傾向などが認められた。第三に農村と都市部での就業構造の差違と関連した農村地域での失業率の高さと首都への人口流出であり,賃金水準の高い業種である専門サービス業をはじめとする部門が首都や一部の大都市に集中しているため,農村からそれら都市への人口流出が著しい。加えて,農村でも耕地面積の拡大や機械化を通じた経営効率の向上が図られており,余剰人口の都市部への移動を加速している。
著者
松本 淳 財城 真寿美 三上 岳彦 小林 茂
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100131, 2017 (Released:2017-05-03)

1. はじめに 地球温暖化をはじめとする気候変動の問題は,地球の将来環境に大きな変化をもたらす懸念もあって,社会的にも大きく注目されている。気候変動の科学的認識には,気象観測データが必須で,人類の気候変動に関する知識は,正確な気候資料の有無に依存しているといっても過言ではない。正確な気候データの基礎となる近代的な気象観測は,17世紀にヨーロッパで始められ,300年以上の歴史がある(吉野, 2007)。一方アジアでは,主に欧米諸国の植民地化の過程の中で,19世紀後半から気象観測が継続的に行われるようになり,百数十年程度の気候データの蓄積がある。日本では1875年に気象庁の前身である東京気象台で気象観測が始まった。観測データは多くの国の気象機関で月報や年報などの印刷物として刊行・公開され,特に月別の統計値は,World Weather Records, Monthly ClimaticData for the Worldなど世界中のデータを網羅したデータとして刊行され,気候変動研究に活用されてきた。1980年代以降は,電子媒体での利用が一般的となり,CRU, GPCCなどでグリッド化されたデータが主に利用されるようになっている。しかし,アジア諸国では,1950年以前は多くの国が植民地だったこともあって,インドなど一部の国を除くと植民地時代の気象観測データは,ディジタル化が進んでおらず,気候変動研究に活用されていない。旧英領インドでも,現在のインド以外の領土(バングラデシュ,ミャンマーなど)の日データはディジタル化されていない。日本では,気象庁の区内観測所での稠密な気象観測データ日別値等はディジタル化されておらず,科研費等による日降水量のディジタル化が進められている(藤部他2008)。気象台とは別に,江戸時代に来日した外国人らによる気象観測が行われており,それらを活用した気候復元もなされている(Zaiki ,2006: 三上他,2013等)。明治時代には,灯台において気象観測が行われていたことも近年になって判明した。さらには戦前・戦中には日本の海外統治域のデータが多く存在する。そかしこれらのデータの多くはディジタル化されておらず,実態さえもよくわかっていない。小林・山本(2013)は戦時中のデータの実態を解明し,山本(2014, 2015)は戦前・戦中の大陸における気象観測の実態を明らかにした。このような古い気象観測データを掘り起こし,気候研究に利用できるようにする活動は,データレスキューといわれ(財城, 2011),国際的にも精力的に取り組まれている(Page et al. 2004等)。世界気象機構WMOのプロジェクトとして,Atmospheric Circulation Reconstructionsover the Earth (ACRE: http://www. met-acre.org/, Allanet al. 2011)が実施され,世界各地でデータレスキュー活動が進められている。このような状況を踏まえ,本シンポジウムでは世界各地に散在するアジア各国の戦前・戦中を中心とした気象観測データのデータレスキューの国内外での現状を整理し,今後の気候変動研究への活用について議論したい。2. シンポジウムの構成 本シンポジウムでは本発表に続き,まず東南アジアや南アジアにおける状況を2発表で概観する。続く5つの発表では,日本における様々の状況について明らかにする。最後にデータレスキューされた資料を活用した長期再解析の現状と課題を示す。別途,関連する発表を,グループポスター発表としている。これらを踏まえ,最後に科学史の立場から気候データレスキュー全般についてコメントを頂戴した後,総合討論を行う。参加者による活発な討論をお願いしたい。なお,本シンポジウムは,科学研究費補助金(基盤研究(S),課題番号26220202, 代表:松本淳及び基盤研究(B), 課題番号????????, 代表:財城真寿美)による成果の一部を活用して開催するものである。
著者
関根 良平 佐々木 達 小田 隆史 増田 聡
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

報告者らは2013年1~2月に本報告と同じ福島県いわき市の市民を対象に食料品の購買行動と意識に関して調査を実施し、2013年日本地理学会秋季福島大会において佐々木(2013)として報告している。そこでは①野菜の購入先は食品スーパーが主流である。震災前後で購入先に大きな変化は見られない。②野菜を購入する際に重視されているのは産地、鮮度、価格の3要素である。風評と関連する放射性物質の検査はこれに続く結果となっており、原発事故以降に新たな判断材料として加わった。③購入産地は県外産にシフトしている。ただし、産地表示や検査結果を気にする反面、判断に用いる情報ソースは二次情報、三次情報である可能性も否定できない。④購買行動において国の基準値や検査結果に対して認知されているが,信頼度という点においては低い。野菜の購買基準は,「放射性物質の検査」と答える人も多いが,風評とは関連性のない「価格」を挙げる人が多い。しかし、「価格」要因は消費者サイドに起因するのではなく現在の小売主導の流通構システムから発生している可能性がある。といった諸点を指摘した。本報告は、こうした風評被害の特性と構造の変化、もしくはその「変容しにくさ」が働くメカニズムを解明したい。これは、事故より3年を経てもなお、汚染水や除染廃棄物問題が復興の足かせとなっている福島県では、調査研究においても一過性ではない継続的な視点が不可欠と考えるからである。
著者
由井 義通
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>I</b><b> 郊外開発の進展と郊外研究</b> <br>高度経済成長期以降、大都市圏郊外地域で活発に開発された住宅団地を対象とした地理学研究は開発行為に対する研究から、居住者の変容などの研究へと比重を移している(福原;1998,由井;1998,中澤ほか;2008)。本発表では,開発時期の古い郊外住宅団地における高齢化とそれに付随したさまざまな問題が表出している今日において,住宅研究の観点から都市地理学研究を振り返り,その社会貢献について再検討したい。 <b><br>Ⅱ 衰退する郊外空間</b> <b><br>1.深刻化する高齢化</b> <br>郊外住宅は「住宅双六のあがり」となる「終の棲家」と考えられ,「人生の最初で最後の高額の買い物」となることが多い。郊外住宅地において供給された住宅は、30代から40代の夫婦と子どもからなる核家族向けの住宅が大部分であり,間取りもほぼ同様で等質的な入居者に偏り、隣近所が皆同じ世代というように等質性の高いコミュニティになりがちである。30年以上経過すると居住者は加齢して高齢者となり、子どもたちの独立によって急激に人口が減少し、高齢夫婦のみが住み続ける過疎地域のような人口ピラミッドとなっている(由井ほか,2014)。 <b><br>2.</b><b>空き家の発生</b> <br>大都市郊外の住宅団地では,中古住宅の需要もあるので不動産市場で郊外住宅の取引も多く,必ずしもすべてが空き家とはならない。しかし,地方都市の郊外住宅団地のなかには公共交通機関や生活利便施設への利便性が十分ではないものも数多くあり,中古住宅として売りに出されたとしても購入者がなかなか見つからなかったり,所有者自身が売れないと判断して放置しておくために長期間にわたって空き家となることが多い。 それ以上に,居住者の高齢化と子ども世代の転出によって,郊外第一世代の死去や高齢者介護施設への入院などを契機として,郊外住宅地において空き家が大量に発生している。 <br> <b>3.</b><b>デッドストックと負の不動産</b><br>住宅団地には、空き家や空き地が数多く分布している。大部分の空き地は、売れ残りによるものではなく、売却済みの土地であるにもかかわらず住宅が建築されなかったものである。その理由は、土地購入者が将来的にそこに住む予定であったが、定年退職した時にはそこへ移動してこなかった土地であったり、土地購入者が自分の子どものために土地を購入したものの、子どもの世帯が移動してこなかった場合であったり、最初から投機目的で購入した場合など、さまざまな理由で空き地として継続していた。これらの土地は流通されることもなく、今後の売却も極めて難しい状況にあり、いわばデッドストック状態の土地であるといえる。郊外住宅地の住宅や住宅・土地の不動産価格はほとんど上昇しておらず、むしろ大幅な値下がりとなっており、住宅の維持費や固定資産税を考えると所有するだけでそのコストが販売価格を上回る「負の『不動産』」となっている。 <b><br>Ⅲ 郊外活性化への取り組み</b> <br>高齢化が進行する郊外住宅地において、空き家対策や住宅団地の活性化として住民やNPOによるさまざまな取り組みが行われており、広島県では、行政や関係団体と協力し、公有地や空き家情報、定住促進事業を紹介する「空き家バンク」(http://akiya-bank.fudohsan.jp/)が2014年11月に設置され、空き家解消のための住宅流通の活性化が図られている。 郊外地域の活性化について,都市地理学としては都市計画や都市政策の問題を指摘するとともに,地理学の社会貢献として関与できることが望まれる。