著者
板谷 侑生
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>Ⅰ.はじめに</b><br>&emsp; 本研究では、財政負担を抑えたインフラ整備が必要とされる日本で、2025年までに一般廃棄物焼却施設(以下、焼却施設とする)を削減することでごみ処理の広域化を実現する場合に、どこの焼却施設を廃止し、どこの焼却施設に統合させるのがよいのかをコストに着目し検討した。2025年という時代設定については、1990年代後半に都道府県と国がごみ処理の広域化を推進してから約30年が経つことから、当時建設された焼却施設が耐用年数を迎えることが想定されるためである。<br> <b>Ⅱ.研究の方法と調査の概要</b><br> &emsp;研究対象とした焼却施設は、全国と比べて人口減少速度が速く、道央への人口集中が日本の縮図と言われる北海道にある、52箇所の焼却施設のうち離島(利尻島、礼文島、奥尻島)の3箇所を除く49箇所である。<br> &emsp;まず、道内で2025年までに耐用年数を迎える焼却施設23箇所を抽出し、それらの焼却施設を廃止とする場合に行き場を失うごみを近隣の焼却施設で受け入れ可能かを検討した。検討では環境省公表の焼却施設ごとの年間処理量と1日あたり処理可能量のデータを利用し、ごみの処理にまだ余裕がある焼却施設を探した。次に、焼却施設が廃止となる際に行き場を失うごみを受け入れ可能な焼却施設が見つかった時は、廃止となった施設跡地に新規の焼却施設を建設した場合と、受け入れ可能施設にごみを運ぶために廃止施設跡に中継輸送施設を建設し、そのごみを受け入れ可能施設に輸送する場合のコストを比較し、よりコストのかからない方を採用した。近隣に受け入れ可能焼却施設が複数個所存在する場合は、ESRIジャパン株式会社の『ArcGISデータコレクション道路網2015』の道路ネットワークデータを利用し、最も輸送コストのかからない焼却施設を比較対象とした。他にも様々なパターンが存在し、それに合った方法でコストを比較し、よりコストのかからないものを採用した。<br> <b>Ⅲ.結果と考察</b><br> &emsp;本研究のシナリオに基づくと、現在52箇所存在する北海道内の焼却施設は33箇所に削減されることになる。廃止対象となる焼却施設の多くは人口低密集地域に立地し、なおかつ小規模な焼却施設が多い傾向にある。これらの焼却施設は近隣の大規模施設に統合される形で広域化が進められることになる。この結果は、処理圏の再編は、大都市圏やその郊外地域よりもむしろ農村地域に生じやすいとした(栗島2004)の通りである。<br> &emsp;しかし、依然として国が最低限の目標とする100t/日の処理量を満たしていない施設も多く、国が示す目標の達成を目指すならば、さらに長期的な視点を持って統廃合の検討を行う必要がある。また、本研究はコスト面からの比較に重点を置いており、自治体の政治・経済の力関係など、他に検討するべき要素も多い。
著者
松尾 卓磨
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100301, 2017 (Released:2017-05-03)
被引用文献数
1

1.はじめに仮に、人・もの・カネの集中化の程度と空間的・社会的な変化の度合いとが著しく大きく、そうした集中化や変化によって生み出された活気ゆえに広く地域外から話題性を獲得している地域を「沸騰地域」と定義するならば、本発表でとり上げるブリクストン(Brixton)地区はまさにこの「沸騰地域」に相当しうる存在であろう。本発表ではかつてエスニックインナーシティであった同地区が「沸騰地域」へと遷移してゆく空間的・社会的過程を辿り、そうした過程と同地区において近年急速に進行しつつあるジェントリフィケーションの関連性について検討する。 2 .「沸騰地域」としてのブリクストン地区イギリス・ロンドンのブリクストン地区は、第二次大戦以降に西インド諸島出身者を中心とする移民が数多く流入したことで知られており、現在も「White British」以外の様々なエスニック集団が全人口(約79,000人)の約65%を占めている(2011年現在)。また同地区は近年人口流入が著しい地域でもあり、2004年からの10年間で総人口は約8,200人増加し、特に20代を中心とする若い世代の流入が多く20代の人口が全体の約4分の1を占めるようになった。こうした人口流入を促す要因として考えられるのはアクセス性の良い地下鉄駅の存在と同地区の多様な空間的構成である。同地区の中心部にある地下鉄ブリクストン駅は、ロンドン都心部のターミナル駅までの所要時間が15分程度ということもあり、平日1日あたりの乗降客数は2010年以降年次平均5,400人ずつ増加している。ブリクストン地区の空間的構成は中心地域の鉄道駅と幹線道路、その周囲300mの範囲に広がる商業空間、更にその外側に広がる住宅地により成立している。中心地域の商業空間には多種多様な小売店・露店、国際飲食チェーンの店舗、映画館、コンサート会場が集積しており、近年ではブリクストン以外から訪れる若い世代向けのカフェやバー、レストランなども相次いで開業されている。そうした所謂“おしゃれ”な店舗が集約化された「ブリクストン・ヴィレッジ」や「ポップ・ブリクストン」はロンドンの若者を惹きつけるスポットとなっており、こうした多様な空間的構成が人口流入と話題性の獲得に寄与していると言える。3.インナーシティからジェントリフィケーションの典型地へ同地区のこうした現状の歴史的背景となっているのは、1948年に始まるカリブ海系を中心とする移民の流入、1970年代頃から深刻化するインナーシティ問題、そして1980年代に発生する大規模な暴動である。第二次大戦以前より同地区には一般事務員や熟練労働者向けの住宅や低廉な下宿屋、公営住宅の建設が進められてきたが、そうした住宅環境が1948年に流入し始めたカリブ海系移民の同地区での定着を促してきた。その後1950年代前後からイギリス社会では特に就職や居住の機会における移民や有色人種に対する差別が社会問題化し、さらに1970年代の経済不況はそうした社会的・経済的地位の最底辺へと追いやられた人々へと大きな影響を及ぼした。人種差別、高い失業率、経済的衰退、そして犯罪多発化といった社会問題に苦しむ典型的なインナーシティとなったブリクストン地区であったが、1980年代には人種差別的な捜査を続けていたロンドン警視庁に対する不満が爆発し、中心地区において大規模な暴動が発生する。こうした暴動の前後期すなわち1970~80年代に発行された政策文書を分析したMavrommatis(2010)は、当時のオフィシャルな言説は人種を犯罪に結びつけ、エスニック集団とブリクストン地区をスティグマ化(社会的烙印を付与)していた、と述べている。かつて移民や低い社会階層の人々の流入を促してきた住宅環境は大きく変化し、1990年代後半頃からはジェントリフィケーションが急速に進行する地域として捉えられるようになる。2000年代に入ってからの10年間で同地区の民間借家の戸数は約2倍増加し、また1930年代に建設されたある住宅団地では建替え事業に際し住民の一部が立退きを強いられている。建替え後の団地の賃料が支払い困難な水準に引き上げられたため、他地域への転居を余儀なくされ、そこで賃料を支払うために住宅給付金を受け取らざるをえない状況に陥った例も報告されている。4.結果世界を代表するグローバル都市ロンドンにおいて、戦後以降ブリクストン地区では様々な歴史的契機を経て空間的・社会的な多様性が育まれてきた。その多様性を源泉とする魅力ある空間的構成や話題性は若者世代の流入、商業空間の改良、スティグマ化の部分的解消を促したが、一方でジェントリフィケーションの誘因ともなり、低廉な住宅や店舗を一度手放すと再入居が困難になる程度まで社会的状況は改変されつつある。
著者
井田 仁康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b><b>1.国際地理オリンピックでの日本の成績 <br></b>&nbsp;第10回となる国際地理オリンピックが、2013年に京都で開催された。日本チームは、800人近くの予選参加者を勝ち抜いた4人の選手が参加した。結果は、銀メダル1つ、銅メダル1つと2つのメダルを獲得した。2つのメダルを獲得したのは、2008年の第7回からの国際大会の参加から、初めてのことである。32の地域・国が参加したが、チームとしての団体成績も、今までは下位だったものから中位へと上昇した。国際地理オリンピックの試験は、マルチメディア試験、記述式試験、フィールドワーク試験の3つからなる。試験はいずれも英語での出題、解答である。日本の生徒の特徴は、選択式のマルチメディア試験では比較的いい成績を残すが、フィールドワーク試験で高い得点がとれない。配点は、マルチメディア試験が20%、フィールドワークが40%であることから、フィールドワーク試験の点の低さは、総合点に大きな影響をおよぼす。しかし、京都大会では、日本の生徒はフィールドワーク試験も健闘をみせ、メダルの獲得にいたった。<br><b>2.国際地理オリンピックからみる日本の地理教育の課題</b><b></b> <br>&nbsp;国際地理オリンピックの日本チームの成績から明らかなように、日本の地理教育の課題の一つは、地理の醍醐味ともいえ、国際的にも重要視されているフィールドワークが、中学の社会科地理学習、高校での地理歴史科地理学習においてもあまり実施されていないということである。学習指導要領には野外調査をすることが明記されてはいるが、実施率は低いと推測される。地理の面白さ、有用性、そして世界の中での地理教育を高めていくためには、フィールドワークの実施が一つの鍵となる。国際地理オリンピックの国内大会においても、2013年度から第3次試験まで設け、1次試験のマルチメディア、2次試験の記述を突破した上位約10名が3次試験のフィール-ドワークに挑戦することになっている。国際地理オリンピックの国内大会でも、地理ではフィールドワークが重要であることを示すことになる。 また、国内大会でも2割は英語での出題、解答としている。すなわち、英語でのコミュニケーションの重要性を示している。国際大会に参加した生徒たちは、英語での出題、解答に難儀を感じているようだが、日本の高校生の英語レベルで十分に対応できる。英語を使うこと、それ自体に自信を持たせてあげることが肝要であろう。<br><b>3.地理オリンピックからみた国際化への具体策<br></b> 国際地理オリンピックでは単なる知識を問う問題は少ない。地理的な知識に基づいてどのように考えるか、すなわち地理思考力が問われる。したがって、地理教育で国際化を進めるには、フィールドワーク、地理的思考力を高める教育をし、英語や地図などをコミュニケーションツールとして、世界の人たちと対峙できる地理的能力を習得することであろう。</b>
著者
横山 俊一 長谷川 直子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b><u>1. </u></b><b><u>はじめに</u></b><br><br>娯楽指向の一般の人たちへ地理的視点を広めるには、世の中で広く受け入れられている地理コンテンツを活用するのが得策であると考える。そこで演者らは、一般普及に効果のある地理コンテンツの形式や現状について調査してきたが<sup>*</sup><sup>1</sup>、日常的に見られるテレビ番組や雑誌など一般社会での地理的コンテンツへのニーズは潜在的に存在していることが確認できた。そのようななか、比較的安価な値段でコンビニなどで販売されているペーパーバック書籍に注目した。本発表ではこれまでに確認できた地理的な内容を含んでいると考えられるペーパーバック書籍を中心に、その特徴について報告する。<br><b><u>2. </u></b><b><u>コンビニペーパーバックについて</u></b><b></b><br>コンビニペーパーバックは多くの種類が販売されているが、当初人気マンガの廉価版としてはじまった。1冊500円程度の値段で手軽に購入できることから売り上げも伸び、マンガ以外のアイドルなどの芸能関連、マニアックな歴史ものなど種類も増えていった。そのようなことか様々な出版社からペーパーバック書籍が販売されることとなり、地理的コンテンツを含んだペーパーバックも出版されるようになった。特にD社の地図帳シリーズは1シリーズで40万部を売り上げ学校教員も参考として購入している<sup>*2</sup>。地理的コンテンツを含んだペーパーバックを多数出版しているD社であるが、ここ数年は文庫や新書の販売にシフトしている。<br><b><u>3.</u><u> 方法</u></b> <br>これまにコンビニで販売されたペーパーバックの中から地理的コンテンツを含んだものがどれくらい出版されているのかを各出版社のwebサイト、出版年鑑などから調査しており、書籍のタイトルに「地図」「地名」「地理」というキーワードのあるもの、またそれに近い地理的な要素となる単語を含むもの(都市、都道府県、日本、世界、紀行、鉄道)を基準として実物の書籍の確認を行っている。それらの編著者、出版社、総ページ数、出版年、サイズ、価格等をデータベース化している。<br><b><u>4.</u><u> 結果</u> </b><br>タイトルは表1にあるように「地図」あるいは「地図帳」となっているものが圧倒的に多い。これは演者らがこれらの出版社の編集者に聞き取りを行ったときにも、「地理」というよりも「地図」といったほうが一般受けがいいと言われたことと矛盾しない。ペーパーバックの著者名は◯◯地理研究会や◯◯地理学会といったものもが多く一見アカデミックなものとなっているが、これらのほとんどは学術団体ではなくライター集団が名乗っている名前である。1冊のみ地理学者が監修した本がある。<br><b><u>5.</u></b><b><u> 考察</u></b><b> </b><b></b><br>D社の№16-23の地図帳シリーズは40万部を売り上げたということからも、地理の一般への普及手段としてペーパーバックは見逃せない。そしてこの地図帳シリーズの購入者として、学校教員も多いということからも地理教育の面からも重要である。地理学研究者の書籍の多くは専門分野のフィードバックであり、専門書やさらに平易に記した新書などが中心である。これは自らか学ぼうとする人や知的好奇心の強い一般の人には非常に有効である。しかし自ら学ぶ意欲の少ない人を対象とした場合、その取っ掛かりには限界がある。そこでコンビニを中心として販売されているペーパーバックをもちいることで地理の一般普及が進んでいくのではと考える。
著者
上村 博昭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

<B>1.はじめに</B><BR> 高度経済成長期には,人口や諸機能の東京一極集中が生じた一方で,その他の地域においては,人口の過疎化,高齢化など地域的課題が生じた.グローバル化の影響によって産業基盤が変化するなかで.農林漁業やその関連産業,観光など,域内資源を活用する方向性が打ち出されてきた.こうした社会的変化に伴い,1990年代以降に自治体がアンテナショップ(AS)を設置する動きが目立っている.ASは,民間事業者がマーケティング活動の一環として,市場ニーズの探索等を目的に設置する店舗であるが,近年では行政が公的に設置する事例が増加している.しかし,雑誌記事や一部の経営学における研究を除けば,十分に学術的検討はなされておらず,特に立地・運営の態様は明らかとなっていない.<BR> そこで本研究では,東京都区部の事例に対する検討を通じて,都道府県ASの立地・運営方式について明らかにしたい.調査方法は,本研究では各都道府県のアンテナショップ設置状況を把握し,各施設の概要や設置方針を検討することを目的に,2012年6月から12月にかけて,47都道府県を母集団としたアンケート調査を行った.その結果,回答のあった41道府県(87.2%)のうち,東京都区部へASを設置するものが31道府県であった.さらに,30道府県に対してはヒアリング調査を実施し,立地選定の経緯や現在の運営状況,今後の方針に関する調査・分析を行った.なお,本研究では都道府県ASを,行政施策の一環で設置される施設と捉えているため,実質的に行政の関与が存在しない施設については,本研究の調査対象から除いた.<BR><BR><B>2.都道府県アンテナショップの立地・運営状況</B><BR> 1つの都道府県が2~5カ所のASを設置している場合があるので,都道府県数と件数は一致しない.件数ベースでみると,2012年8月時点では,全国に48件の都道府県ASが存在する.都市別にみると,大阪や名古屋などの大都市圏,各道府県の県庁所在地への分布がみられるが,件数で最多の地域は東京都区部(32件)である.都区部では,千代田区7件,中央区13件,港区5件という分布を示し,銀座・有楽町周辺部への集中傾向がみられるほか,少数ながら新宿や池袋など副都心部への展開がみられる.設置目的は,地元のPR,観光誘客,域内経済の振興,そして都区部での情報収集(都市住民のニーズを把握)にある.ヒアリング調査によれば,都区部のASを通じて域内の魅力を発信し,物産販売や観光誘客を促進するとの回答が目立った.これは,都道府県ASの大半を商工観光系の部署が所管していることに関係している.<BR> 上記目的のもとで,各都道府県ASには食品中心の物産販売,観光案内,軽食提供やレストランなどの機能が置かれ,商談会の開催など事業者向け支援機能を持つ事例がみられた.ASの運営に際しては,都道府県が事業の統括と予算措置を行い,物産販売や飲食などの営利部門の管理・運営を,社団法人や民間企業へ委託する方式が採られている.都道府県ASには,行政の設置目的,運営方式に共通性がみられる一方で,いくつかの点で多様性がある.第1に,ASの施設総面積は1,658㎡から33㎡までと幅広く,施設規模では50倍の差がある.第2に,年間販売額では8億円から860万円までと,運営実績でみた場合にも,約100倍の差が生じている.第3に,施設形態では,一般にみられる物産販売,観光案内,喫茶・レストランを併設する型だけではなく,大分県のレストラン特化型,埼玉県や徳島県のコンビニエンスストア併設型など,設置方針によって施設形態に差異が生じている.<BR><BR><B>3.本研究の知見</B><BR> 本研究で得られた知見は,以下の諸点である.第一に,都道府県ASの立地方針は,コンセプトへの適合度や人通りの多さなど,事業内容に基づく明確な立地方針を持った事例と,他の道府県の分布状況を見て,大勢に追随した事例に分かれる.近年では,銀座,日本橋地区への集中化傾向が強まっており,立地選択の方針として後者タイプの増加を指摘できる.第二に,設置目的には共通性がある一方で,各都道府県ASの運営方式に多様性がみられた点である.都道府県ASは,百貨店における物産展と比べて常設である点が特徴的であり,都道府県ASの運営方式,および相対的な事業規模には,各道府県の方針が色濃く反映されている.第三に,既存研究においては,都道府県ASの課題として費用対効果が指摘されてきたが,本研究においても同様の課題が裏付けられる.AS不設置の府県には,費用対効果を懸念する回答があるほか,都区部に設置する道府県のなかには,コンビニエンスストア併設型を選択する事例もみられる.地元のPRや観光誘客などの目的に対し,明確な経済的効果を求められる一方で,行政活動であるために営利追求に対する制約があるという点に,都道府県ASの課題が存在する.
著者
荒川 宏
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.57, no.12, pp.831-855, 1984-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
30

大山火山北西部に発達する火山麓扇状地面群を,その形成年代にもとついて古いものから順に,古期扇状地1面,同皿面,中期扇状地面,新期扇状地1面,同皿面および最新期扇状地面の6つの地形面に大別した.それらのうち,相対的に広く分布する中期扇状地面,新期扇状地1面の一部および新期扇状地H面は,石質火砕流の放射谷への堆積,河川によるその火砕流堆積物の侵食,それによって生じた岩屑の下流域への移動・堆積,という過程を経て形成された..これらの火山麓扇状地の形成に要した時間は5千~1万年以下であり,火山全体の形成所要時間と比較すればきわめて短時間である.すなわち,調査地域における主要な火山麓扇状地は,それぞれの形成開始直前に噴出した石質火砕流堆積物の再堆積に起因して,相対的に短時間に形成されたという点で特色をもつ.
著者
井田 仁康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2016年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100132, 2016 (Released:2016-11-09)

地理教育の観点からみた防災教育の課題この課題の一つとして、災害から身を守るべくハザードマップが十分活用されていない、もしくは活用できないことがある。ハザードマップは、自分自身の身を守る「助かる」だけでなく、他の人を「助ける」ためにも有用であり、さらには地域全体としての防災をどうすべきかを考えるうえでも重要である。しかし、そのハザードマップが活用できていないことが多々あるのである。その要因は、地図を読むスキルが不足しているという読み手の問題と、ハザードマップをみてもどう活用できるのかわかりにくという地図作成側の問題とがある。いずれも、地図を読む、意図のはっきりした読みやすい地図を作成するといった地図活用のスキルの不十分さが指摘できる。学校教育としての地理教育だけでなく、社会教育としての地理教育を考えていかなければならない。地域の観察と防災教育 矢守氏の「防災といわない教育」、この視点は地理教育でも極めて重要と思われる。津波や地震などに襲われたとき、ハザードマップを見ながら逃げるわけにはいかない。つまり、ハザードマップが頭にはいっていなければならないことになる。その際、ハザードマップだけでなく日頃の地域に関する自分の認知と地図が一体化し、瞬時に判断していかなくてはならない。自分の家の周りを散歩するだけでも、どこが坂となっていて、どちらのほうにいけば高台にいけるかはわかる。さらには、土地の起伏や住宅の密集度などを観察して散歩していれば、日頃から様々な地域の情報がはいってくる。このようにして得られた情報と、自分があまり意識しない近隣地域も範囲となっているハザードマップを見慣れていると、何か起こった時、瞬時の判断の最適な判断材料となろう。 ハザードマップが適切な情報を提供していない場合もなくはない。その場合も、住民の経験による地域認識とハザードマップが一致しているのか、一致していないとすればどこに問題があるのか、考えながら地域を歩くことで地域の見直しができる。それにより、より適切なハザードマップができ、新たな見方を習得することができるようになろう。このようなことは、学校教育の社会科、地理の学習活動としても可能である。防災を目的とした地域調査であろうと、異なった目的の地域調査でも、防災に関する情報を、実地で収集することができる。このような地域調査に基づき、既存のハザードマップを修正したり、行政機関に修正を依頼したりすることもできよう。このような学習は、社会参画にかかわる学習となり、市民として何ができるか、何をしなくてはいけないかといった市民教育ともつながっていく。さらには、持続可能な社会を構築していくことにもつながる。国際協力と防災教育 防災教育をめぐる国際協力の在り方を指摘した桜井氏は、今後の地理教育を考えるうえで新しい示唆を与えてくれた。高等学校までの防災教育は、「自助・共助・公助」という観点があるが、国内での防災教育が前提となっている。特に教科教育の国際発信は、理数教育が注目され、海外から需要も高い。しかし、防災教育のカリキュラムを国際的に発信すれば、国際協力にもつながっていくように思われる。高等学校までの防災教育、とくに地理で行われる教育は国内を対象としている。一方で、世界各地での災害をみれば、地震による都市での災害、津波による災害、噴火による災害など日本との共通点も多く見出すことができる。日本では、多くの災害を経験し、教育にも国内を中心とした防災教育をとりいれてきた。こうした教科としての防災教育は、共通性の高い災害の起こりやすい他国でも参考になるし、情報を共有することで、一層質の高い防災教育をすることにつながる。日本の大学や大学院で、国内外の学生が地理教育を通しての防災教育学び、その成果を海外発信することは、世界が日本の地理教育、防災教育に期待することの一つとなろう。地理教育における防災教育 次期学習指導要領(小学校2020年、中学校2021年、高等学校2022年実施予定)では、高等学校では地理が必履修化される可能性が高い「地理総合(仮称)」では、防災が一つの主要な柱となっている。また、中学校、小学校でも防災教育は行われるだろう。地理教育における防災教育は、地域調査などを通して地域の特性を深く学び、防災に関する課題を見出し、主体的にその解決策を見出そうとし、お互いの考えなどを討論して、不足している知識を習得し、実現可能な解決策に近づけることがもとめられる。こうした学びは、習得、活用、探究といった学びのプロセスを踏むだけでなく、アクティブラーニングンの概念も踏襲している。さらにこのような防災教育にかかわる地理教育は、そのカリキュラムを海外へ発信することで、国際協力にも貢献できる可能性を秘めている。
著者
藤本 潔 小野 賢二 渡辺 信 谷口 真吾 リーパイ サイモン
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1.はじめに<br><br> マングローブ林は、地球上の全森林面積の1%にも満たないが、潮間帯という特殊環境下に成立するため、他の森林生態系に比べ、地下部に大量の有機物を蓄積している。しかし、その主要な供給源である根の生産・分解プロセスは不明のままであった。そこで本研究では、主として細根の蓄積・分解速度を、樹種別、立地環境別に明らかにすることを目的とする。対象地域は、熱帯湿潤環境下のミクロネシア連邦ポンペイ島とマングローブ分布の北限に近い亜熱帯環境下の西表島とする。対象樹種は、アジア太平洋地域における主要樹種で、ポンペイ島はフタバナヒルギ(<i>Rhizophora<br>apiculata</i>)、ヤエヤマヒルギ(<i>Rhizophora stylosa</i>)、オヒルギ(<i>Bruguiera<br>gymnorrhiza</i>)、マヤプシキ(<i>Sonneratia alba</i>)、ホウガンヒルギ(<i>Xylocarpus<br>granatum</i>)、西表島はヤエヤマヒルギ、オヒルギとする。<br><br>2.研究方法<br><br> 各樹種に対し、地盤高(冠水頻度)の異なる海側と陸側の2地点に試験地を設置し、細根蓄積速度はイングロースコア法、分解速度はリターバッグ法で検討した。イングロースコアは径3cmのプラスティック製で、約2mmのメッシュ構造となっている。コアは各プロットに10本埋設し、1年目と2年目にそれぞれ5本ずつ回収した。コア内に蓄積された根は生根と死根に分け、それぞれ乾燥重量を定量した。コア長は基盤深度に制約され20~70cmと異なるが、ここでは深度50cmまで(50cm未満のコアは得られた深度まで)の値で議論する。リターバッグにはナイロン製の布を用い、径2㎜未満の対象樹種の生根を封入し、各プロットの10cm深と30cm深に、それぞれ3個以上埋設した。<br><br>3.結果 <br><br> 1) 細根蓄積速度<br><br> ポンペイ島では、現時点でフタバナヒルギとヤエヤマヒルギ陸側の2年目のデータが得られていないため、ここでは1年目のデータを用いて検討する。細根蓄積量(生根死根合計)は、海側ではいずれの樹種も40~50 t/ha程度であったが、陸側では、ヤエヤマヒルギ、マヤプシキ、およびオヒルギが25 t/ha前後と相対的に少なかった。樹種毎に海側と陸側で比較したところ、フタバナヒルギの死根と生根死根合計、マヤプシキの生根と生根死根合計、オヒルギの生根死根合計で海側の方が陸側より有意に多かった。樹種間で比較すると、海側の生根はマヤプシキが有意に多かった。陸側の死根は、ヤエヤマヒルギがオヒルギ、マヤプシキ、フタバナヒルギより多い傾向にあり、陸側の生根死根合計は、ヤエヤマヒルギとホウガンヒルギがオヒルギ、マヤプシキ、フタバナヒルギより多い傾向にあった。海側の死根は、マヤプシキがヤエヤマヒルギ、オヒルギ、ホウガンヒルギより有意に少なかった。<br><br> 西表島の1年目の細根蓄積量は、ヤエヤマヒルギが海側で6 t/ha、陸側で9 t/ha、オヒルギが海側で4 t/ha、陸側で6 t/haであった。海側と陸側で比較すると、1年目、2年目共、いずれの樹種も有意差はみられなかったが、樹種間では2年目の陸側生根でヤエヤマヒルギがオヒルギより有意に多かった。標高がほぼ等しいヤエヤマヒルギの陸側とオヒルギの海側では有意差はみられなかったが、ヤエヤマヒルギの海側とオヒルギの陸側では前者が有意に多かった。<br><br> ポンペイ島と西表島で比較すると、ポンペイ島の方がヤエヤマヒルギで約7倍、オヒルギで4~7倍多かった。ただし、地上部バイオマスは、西表島のヤエヤマヒルギ林が80 t/ha、オヒルギ林の海側が54 t/ha、陸側が34 t/haであるのに対し、ポンペイ島のヤエヤマヒルギ林は216 t/ha、オヒルギプロットの林分は499 t/haであった。すなわち、地上部バイオマスはポンペイ島の方がヤエヤマヒルギ林で約2.7倍、オヒルギ林で9.2~14.6倍多く、ヤエヤマヒルギは地上部の相違以上に地下部の相違が大きいのに対し、オヒルギは地上部の相違ほど地下部の相違は大きくなかった。<br><br>2)分解速度<br><br> ポンペイ島におけるリターバッグ設置1年後の残存率は、ヤエヤマヒルギの海側10cm深で7.7%と極端に低く、フタバナヒルギの陸側30cm深とオヒルギは60~85%と相対的に高かった。他の樹種はおおよそ40~50%程度であった。西表島はいずれも50~60%で有意差はみられなかった。
著者
山本 政一郎 尾方 隆幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1. 問題の所在<br> 学校教育は,言うまでもなく,学術的な成果に基づいたものでなければならない.しかしながら,地理教育については,その母体となる地理学,さらには関連する地質学や地球物理学などの成果が適切にフィードバックされていない現状があり,特に大地形についてはいくつかの指摘がなされている(たとえば,岩田 2013;池田 2016).<br> 高校「地理」「地学」で扱われる分野には,共通する内容が多い.両科目で共通する分野については,お互いに協調して対象を取り扱うことで,地球に対する理解をより総合的・系統的に身につけさせることができる.しかしながら,同じ内容を説明しているにも関わらず両科目間で用語が異なっていたり,内容の解説そのものに相違があったりする.さらに,同一科目内においても,同じ内容を示す用語が教科書会社によって異なっているなど,混乱がみられる.<br> この現状は学校教育現場に混乱をもたらす.とりわけ,教育を受ける側の生徒にとっては,受験に伴う不公平さえ生まれかねない.これらの問題を即時に解消することは困難としても,教育者側が相違の現状を把握しておくことで,それらに留意した説明をするなど,教育現場での対応が可能になる.そのためには,まずは教育現場で実際に使用されている教科書を分析し,課題を可視化する必要があろう.<br> 本発表では,高等学校「地理」「地学」において,教科書によって記載が異なる事項を中心に,2017年度に使用されている全ての教科書(地理B:3冊,地理A:6冊,地学:2冊,地学基礎:5冊,科学と人間生活:5冊,計21冊)を対象に,用語のブレを比較検討する.地形分野については,大地形および沖積平野,土砂災害に関する用語がどのように扱われているか,またそれらの発達史・プロセスがどのように扱われているかについて報告する.気象・気候分野については,大気大循環に関する用語・説明の範囲,および気候区分に関する記述の違いを中心に報告する.<br><br>2. 用語問題の類型<br>発表者らは用語問題を以下の3つの類型に分類している.<br>類型I)科目内の違い&hellip;&hellip;同一科目内において,同じ内容を示す用語が教科書会社によって異なっているもの.大学受験など,科目内で統一した知識が必要となる際に障壁となる.<br>類型Ⅱ)間の違い&hellip;&hellip;同じ内容を説明しているにも関わらず両科目間で用語が異なる.地理・地学の連携を行う際に障壁となる.<br>類型Ⅲ)学術用語との違い&hellip;&hellip;学術界で死語となった,あるいは変更されて現状で使用が不適切な語.大学での教育を含む日本国内の知識理解の向上のために使用を改めたい.<br><br> この類型に加えて,異音同義語(同じ定義だが異なる用語)と同音異義語(異なる定義だが同じ用語)の分類も重要である.学習者にとってはどちらも混乱を生じるものであるが,前者の問題は同じ定義であることを確認できれば解消しうるものの,後者は学術的に極めて不適切といえる.&nbsp;<br><br>&nbsp;3. 改善に向けて<br> 将来的には「地理」「地学」両領域にまたがって用語の用例・相違の状況を把握できるように,用語の状況を整理・統合して公表しているデータベースの構築が望ましい.文部省発行『学術用語集』のように一時点での情報で,かつ情報がその持ち手に限られる媒体のみではなく,情報を閲覧しやすく,更新しやすいオンライン形式であれば,教員,教科書会社,大学入試作問者,学習者である生徒も使えるものとなろう.&nbsp;<br><br>【文献】<br>池田 敦 2016. 月刊「地理」, 61 (2): 98-105.<br>岩田修二 2013. E-Journal GEO, 8 (1): 153-164.<br>尾方隆幸 2017. 月刊「地理」, 62(8): 91-95.<br>山本政一郎・小林則彦 2017. 月刊「地理」, 62(9): 印刷中.
著者
山崎 福太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>はじめに</b><br>中世末から現代にかけて三味線を携えて地方を巡業し,興行を催して喜捨を受け生活していた瞽女(ごぜ)と呼ばれる女性視覚障害者が全国各地に存在していた.特に新潟県の瞽女は明治20年代に500人ほど存在し(ジェラルド・グローマー,2014),その後,昭和30年代まで活動を続けていたが,社会の変化に対応する形で現在はその姿を確認することはできない(鈴木,2009).瞽女は師匠から三味線や唄を口承伝承で習うため幼少期に入門し,一人の師匠を中心とした集団を形成して,その集団単位で巡業に出掛けていた.その瞽女集団の複数の存在が新潟県内で確認され,記録されている(鈴木,1972;斎藤,1975など).瞽女の存在については歴史資料の記述や聞き取り調査による報告など記載的な研究のみであり,瞽女集団の形成や巡業範囲などの空間的・時間的変化を検討した研究はほとんどない.そこで本研究では,新潟県内に展開した瞽女の出身分布と巡業範囲,設定時代ごとの各集団の変化について,分布・巡業範囲の特徴,集団と出身分布の位置関係から分析することで,瞽女集団の特徴を地理学的に考察した.<br><b><br>結果と考察<br>集団の形成とその出身分布</b>&nbsp;<br>新潟県内において既存資料から確認できた瞽女集団8組468名の出身分布を分析した.その中でも長岡組と高田組は大きく,出身者も広範囲の分布が確認された.他組の出身者も大規模組の分布範囲と重複する形で各平野内に展開していた.小規模組と大規模であった長岡・高田組を比較すると組織形態や修行年数,弟子の取り方等の類似性が確認できたことから,長岡組と高田組が各平野において影響力を有し,小規模組は大規模組の組織制度等を模倣し,取り入れていたと考えられる.<br><b>時代における集団人数&nbsp;</b><br>瞽女の生存者数は明治後期にピークを迎え,その後,昭和戦後に向かって減少していく特徴がすべての組で見られる.減少の理由は瞽女を生産向上の民間信仰対象として受け入れていた養蚕業の衰退,娯楽・情報の普及等に伴うものとされる(鈴木,1974)ことから,全国の収繭量の推移とラジオ普及率の推移を確認した.収繭量は明治から増加傾向であったが,1931年から1947年の期間で減少している.ラジオ普及率は大正から1944年にかけて高くなっていた.このことから,瞽女の減少は巡業先の受け皿となっていた養蚕農家の衰退とラジオの普及による農村部における娯楽の多様化が進んだことと対応していた可能性が高いと指摘できる.<br><b>巡業範囲の空間分布</b>&nbsp;<br>長岡組と高田組の巡業範囲は米山山地を境に東西に分けられていたが,東頸城地域においては重複が見られた.東頸城地域の重複は既存研究でも指摘されるが,分析の結果,街道に沿って約30kmの入会地の存在が確認できた.この原因としてはおそらく山間地において瞽女を受け入れた住民が寛容であり,かつ積極的に瞽女が持つ情報や芸能を受け取ろうとしていたために巡業の共有地が形成されたと考えられる.&nbsp;<br><b><br>まとめ</b><br>新潟県の瞽女集団は峠を越えて県外巡業に出ていた報告があるため,山地は物理的に越えられない障害ではなかった.県内では山地を越えて,他集団の分布・巡業範囲に入ってしまわないよう勢力範囲の境界を遵守した結果を反映しており,その特徴は出身分布にも見られる.新潟県における瞽女集団は互いの存在を意識した上で組織展開していたことが改めて示された.
著者
クイ レ ゴック フォン 金 どぅ哲
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

本研究は,ベトナム中部のフエ省におけるビンディエン水力発電ダムの建設に伴う,集落の水没と移転,そしてその過程で行われた補償を題材に,ベトナムにおける土地問題と少数民族の地域ガバナンスを考察したものである。ビンディエン水力発電ダムの建設によって移転を余儀なくされたボホン集落はベトナムの少数民族であるカトゥ族によって構成され,ダム建設前まで慣習的な土地所有と利用を続けてきた。ところが,ダム建設による移転過程で,伝統的なガバナンスの物的基盤であった総有的な土地資源がなくなり,その結果長老を中心とする伝統的な地域ガバナンスが急激に解体されていった。また,配分された土地では従来のような生計を営むことができず,若年層を中心に出稼ぎが増えており,コミュニティ自体の存続すら危ぶまれる状況である。
著者
髙﨑 章裕
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本研究の目的 基地問題を含めた沖縄の環境問題研究については、多くの場合、保護・保全という側面ばかりが強調されてきた。それは、沖縄の豊かな環境や生物多様性が乱開発や基地建設に脅かされることで、「現場」における緊急な保護・保全の対応が求められたからである。言い換えれば、市民が「現場」での対応に追われたことで、環境と地域住民のローカルな関係性が評価されることは少なかった。そこで本研究では、沖縄県国頭郡東村高江におけるヘリパッド建設反対運動を事例として取り上げ、座り込み運動がもつスケールの重層性に注目しながら、どのようなアクターが「高江」といかなる関係性を持って運動を展開していったのかについて明らかにすることを目的とする。高江ヘリパッド建設問題 研究対象地域である沖縄県東村高江区は、沖縄県北部のやんばると呼ばれる地域に存在する。やんばるとは、イタジイを主とした亜熱帯照葉樹林に包まれ、固有種を含む多種多様な生物によって特異な自然生態系を形成し、国指定特別天然記念物ヤンバルクイナ、ノグチゲラなども生息しており、やんばるの国立公園化と世界遺産を目指す取り組みもおこなわれている。高江の世帯数は約60戸、人口は約150人で、人口の約2割が中学生以下である。このやんばるの森では、1957年よりアメリカ海兵隊による北部訓練場の使用が始まり、その規模は総面積約7,800ヘクタールにも及ぶ。ベトナム戦争時には、高江区住民をベトナム現地の住民に見立てて戦闘訓練が行われた地域でもある。1997年のSACO合意によって、北部訓練場の約半分(3,987ha)を返還する条件として、国頭村に存在するヘリパッドを東村高江へ移設することが計画され、2007年に那覇防衛施設局(現沖縄防衛局)によって工事が着工されることになる。高江区は区民総会によって二度にわたる反対決議を行っているにも関わらず、工事が進められたことで、住民は2007年7月から座り込みをはじめ。現在もなお続けている。座り込み運動の展開とスケールの重層性 高江における座り込み運動はまず「ヘリパッドいらない住民の会」による「地元」の住民によるものが挙げられる。有機農家や伝統工芸、カフェ経営など、より静かな環境を求めて高江に移り住んできた家族世帯で構成されており、日々の暮らしと密接なつながりがあるという点で「生活環境主義」に近い立場と考えられる。次に挙げられるのが、労働組合や政党の運動組織などの組織的動員によるもので、例えば、社民党・社大党系の社会運動団体である沖縄平和運動センター、共産党系組織による統一連、大宜味村九条を守る会など、左翼活動家による反基地運動としての座り込み運動も行われている。またやんばるの森を守るために、環境影響評価の再実施を求める沖縄環境ネットワーク、奥間川流域保護基金、沖縄・生物多様性市民ネットワークといった環境運動としてのアプローチも見られる。さらに移住者・旅行者を歓迎するという高江の地域性も相まって、非正規雇用や無職の若者、バックパッカーといった者たちが高江の情報を得て、インフォーマル・セクターとして高江集落内で住民と共に労働作業を行いながら、座り込みにも参加するというケースも数多く見られることも高江の運動の特徴である。その大きな影響を与えているのが、音楽やアートといった文化的アプローチから高江の現状と座り込み運動の意義を全国に発信していく地元アーティストを介した全国的なネットワークとイベントの企画である。このように高江における座り込み運動は、「高江」という極めてローカルな場所にも関わらず、運動のアクターや性質に応じて、重層的な側面を有していることが明らかとなった。本報告では、高江の事例におけるスケールの重層性についてさらに詳しい考察を加えたい。
著者
原 雄一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100074, 2017 (Released:2017-10-26)

明治5年に横浜-新橋間で鉄道が開通、全国に拡大した鉄道網は昭和に入ってピークを迎え、昭和の後半から平成にかけて、減少の一途をたどっている。廃線となった路線は、有効活用されている事例もあるが、そのまま放置されている路線も多い。本稿では、廃線跡の路線をクラウドGISによりスマートフォン等で表示させ、廃線跡の痕跡を巡る旅としてロストラインツーリズムを取り上げる。 廃線跡は建設途中の未成線も含めると、膨大な数になる。鉄道発祥の地、イギリスでは廃線の活用を動態保存(実際に列車を運行)する先進的な事例が多いが、日本では廃線跡への認識がそこまで至っていないのが現状である。 廃線跡を巡る旅の醍醐味として、時間を超えての空間想像力が必要とされ、周辺の地形・地物から「おそらくここを通過していたのではないか」、という不確定な雰囲気から、はっきりとした痕跡を確認したときの爽快感などが挙げられる。さらに、その鉄道がなぜ建設され、どのように運営され、どのような経緯で廃線にいたったかの鉄道史を知ることができれば、地域のたどってきた歴史の理解に繋がることが期待できる。 地域の中で廃線跡をどう活かすかは重要な課題である。関心を持った時に、どこに廃線跡があるのか、自分のスマートフォンで表示できれば、廃線跡を歩くという行動に繋がりやすい。正確な廃線跡が表示されることで、廃線跡をたどるロストラインツーリズムの基本形が成立する。本稿でのクラウドGISはこのような行動を支援するものである。膨大な廃線跡をクラウドGISに格納し、スマートフォン、タブレットあるいはウォッチに表示させる試みをスタートした。
著者
山本 健兒
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.131-155, 1997-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
41
被引用文献数
1

本稿の目的は,内藤 (1996) とSen and Goldberg (1994) の主張を,さまざまな文献に照らし合せて再検討し,移民問題研究のための基礎的視角を提示することにある.両者に共通する主張は,差別されるがゆえに在独トルコ人の間でイスラム主義が広がる,というものである.しかし,イスラム諸組織の性格把握と差別の内容について,無視しえない差が両者の間に認められる.本稿では,イスラム諸組織の多様性と性格の不透明性を示すとともに,在独トルコ人に占めるイスラム諸組織参加者の比率を推計した.さらに,差別がイスラム主義への傾斜をもたらすという論理に,より踏み込んだ議論を展開している内藤 (1996) の論拠を検討した.また, Sen and Goldberg (1994) は国籍が移民問題の鍵になるとみているので,在独トルコ人のドイツ国籍取得に関する動向も分析した.以上の検討から明らかなことは,在独トルコ人社会の中に多元性が認められる,ということである.他方,ドイツ社会も多元的である.それゆえ,ドイツ人と在独トルコ人との関係を分析する際には,二つの多元性に注意する必要がある.
著者
菅 浩伸 浦田 健作 長尾 正之 堀 信行 大橋 倫也 中島 洋典 後藤 和久 横山 祐典 鈴木 淳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

海底地形図や空中写真から沈水カルストの存在は指摘されていた。しかし,多くは陸上の露出部によって沈水カルストであると認識されており,海底の地形図は提示されていない。浅海域の地形を具体的に可視化することは難しく,地形の広がりについて議論されることは世界的にもなかった。本研究では石垣島名蔵湾中央部の1.85km&times;2.7kmの範囲でワイドバンドマルチビーム測深機R2 Sonic 2022を用いた三次元地形測量を行い,沈水カルスト地形を見いだした。本発表では測深によって作成した1mメッシュの詳細地形図を基に,潜水調査結果などをあわせて,大規模かつ多様な形態をもつ名蔵湾の沈水カルストについて報告する。<BR><br> 測深域では多数の閉じた等高線をもつ地形が可視化された。類似の地形はサンゴ礁地形など海面下で形成される地形になく,スケールもサンゴ礁の微地形より大きい。このため閉じた集水域より,地下水系によってつくられた地形,すなわちカルスト地形と判断できる。ここでは以下の5つのカルスト地形が認められ,これらがブロックごとに異なったカルスト発達過程を反映しているようである。 1) ドリーネカルスト,2) 複合ドリーネおよびメガドリーネ,3) コックピットカルスト,4) ポリゴナルカルスト,5) 河川カルストである。名蔵湾ではこれらのカルスト地形が現成の礁性堆積物によって覆われ,海底の被覆カルストを形成する。この過程で「カレン」のような規模の小さなカルスト地形は埋積されたとみられる。礁性堆積物の被覆により,水中の露頭で母岩を観察するには至っていない。名蔵湾でみられるような比高30mに達する凹凸の大きいカルスト地形は一般に透水性が低い石灰岩の弱線に沿って発達する。琉球石灰岩は透水性が高く,このようなカルスト地形を形成しにくい。名蔵湾の地形が頂部および旧谷底部に定高性をもつことから,母岩は陸棚で発達した第三紀宮良石灰岩ではないかと推定される。<BR><br> 本研究では名蔵湾の中央部で沈水カルスト地形が確認された。空中写真で視認できる沿岸域の地形とあわせて,名蔵湾のほぼ全域が沈水カルスト地形の可能性が高いといえる。名蔵湾は南北6km,東西5kmの広がりをもつ。この範囲は南大東島や平尾台とほぼ同じ大きさであり,日本最大の沈水カルスト地形の存在が示唆できる。
著者
岡 秀一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

はじめに気候景観とは、気候現象がある地域的な広がりを持って、しかも目に見える姿で地表、植物、人間の生活などにその影響の痕跡を残したものである(青山ほか 2009)。2012年春季学術大会シンポジウムでも報告されている通り,日本の現在および過去の気候はきわめて特徴的であり、地形や植物、人間生活などに大きな影響を与えている。これらの姿かたちを仔細に注目すれば,その影響の内容や程度を読み解くことも可能である。このような気候景観の視点は、地域の様々な資質を背景にしており、大地の遺産を理解する視点としても重要な意味を持つのではなかろうか。本報告では気候景観の視点が大地の遺産選定にどうコミットできるのか、対馬の石屋根板倉の発達過程を紐解きながらその試案を述べる。板倉とは 日本海南西端に位置する対馬の集落の一角には板倉が敷設され、独特な景観をつくっている。板倉は湿度を適切にコントロールし、すぐれた貯蔵機能を持っている。中には衣類や食料、季節的な用品などが収納される。この板倉は火災に弱いのが難点である.対馬では冬や春に強風に見舞われ、大火が頻々とした歴史を持つ。住居は山麓に沿って風を避けるように立地しているのに対し、板倉は居住に適さない谷底の河岸や海岸沿いなど群れ、火気のある住居からは隔離されている(青山 2009)。屋根は石で葺かれているものも多い。石屋根板倉である。これは対馬が頁岩や砂岩などで構成される対州層群(漸新統~中新統)からなっており、屋根に葺く頁岩が入手しやすかったからではあるが、瓦の使用が許されなかった時代の板倉機能の維持と強風対策、火災防備に大いに貢献してきた。石屋根板倉の存在は強風環境の反映でもあるのだ。板倉の有無 集落単位でみると板倉が発達している集落と発達していない集落があることが分かる。これは土地所有と深いかかわりを持っている。対馬では寛文年間(1661~1673)に農地制度や税制の改革が行われた。これは島を郷村と府中に分け、郷村には郷士を置き給人として防衛の任に当て、少しばかりの土地を与えて自給生活をさせる一方、その他の土地は公領として村の百姓の戸数に分けて耕作させるものであった。耕地を所有する農民は、地先と呼ばれる磯で藻をとる権利や網漁権を持った。これらの農民は給人とともに本戸と呼ばれた。多くの権利を有していた本戸は相続人にのみ引き継がれ、分家したり漁業のために他国から移り住んだものは寄留戸と呼ばれてこのような権利は一切所有することができなかった(青山 2009)。本戸の多数占める集落と寄留戸からなる集落を比べてみると、前者には多数の板倉が見出されるのに対し、後者では皆無だったり、数はきわめて少ない。板倉の分布 1990年代の調査では板倉は全島的に見出された(岡 2001)。とくに北東部には新築の板倉が目立つ。しかし、石屋根をもつものに注目すると西岸域に偏在している。これは何を物語るのか。対馬の地形をみると、分水界が東偏していることが分かる。傾動的隆起・沈降が生じた結果である。西岸域に流出する河川は、東岸域に流出するそれと比べ大きく、谷底平野は西部に広く分布し、水田は西岸域に広がっている。必然的に本戸からなる集落は西岸域に成立したはずである。したがって板倉も発達したに違いない。しかし、西岸は東岸に比し風が強い。浅茅湾や南西部の豆酘は石材の切り出し地となっており、石屋根に供する石材の入手は容易であった。強風対策として石屋根板倉が発達する道理である。一方、漁業を生業とせざるを得なかった寄留戸は平地の少ない風の比較的弱い東岸に居住せざるを得なかった。このすみ分けに基づけば、もともとは板倉は島の東西で大きく偏在していたに違いない。だが昭和24年、新漁業法の施行により地先の買い上げで占有権がなくなり、離島振興法による港湾整備も相まって自給的農民の兼業漁民化が進み、本戸と寄留戸のすみ分けが不明確になっていった。その結果、無差別的な板倉の普及が全島に進行したのであろう。対馬における板倉の分布形成にはこのような背景があり、その中で強風環境が景観形成に寄与しているとみなすことができる。石屋根板倉に象徴される対馬は大地の遺産にふさわしい 対馬の石屋根板倉は西岸域に偏在する。そこには地質や地形の成り立ちと、それらに規制され、またそれらを利用しながら生活する人々の生産様式・生活様式の複合的な関わり合いという背景があり、強風環境が相まって形成された景観であるといえよう。気候景観分析の視点は大地の遺産選定にあたっても有用であり、石屋根板倉を持つ対馬は大地の遺産としてふさわしいと考える。
著者
米島 万有子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>1.研究背景と目的<br></b> 終戦後まもなく蚊の発生原因としてみなされていた彦根城堀の一部の埋め立ては,マラリア防疫の偉業として知られている(小林1960).しかし,その埋め立てが実際に蚊の発生を抑制した程度は不確かである.さらに,彦根城堀の埋め立てをめぐり衛生土木事業による歴史的景観を問題視する一部の住民組織と行政が対立した経緯も明らかになっている(米島2011).このような歴史的景観としての堀の環境衛生問題は,過去の出来事に限定されない.京都新聞の記事(2010年5月3日付 二条城が蚊の「大量発生源」?住民指摘、京都市が生息調査)によれば,2009年の秋に二条城北側周辺の住民から「蚊が多い」こと,さらに堀を蚊の発生源と指摘する意見が寄せられ,堀に環境衛生上の問題を懸念する意見が表明された.京都市は蚊の発生調査を実施し,記事が掲載された5月の時点において幼虫は確認できなかったとされている.しかし,住民の蚊の被害実態や堀についての歴史的景観としての評価ならびに環境衛生問題への懸念について明らかにされていない点が多い.そこで,本研究は郵送質問紙調査により,二条城周辺の住民の蚊による被害実態および蚊の発生をめぐって堀に対する意識を明らかにし,堀の景観保全と健康・公衆衛生との関係を検討する.<br><br><b>2</b><b>.研究方法<br></b><b></b> 調査は,二条城北側の住宅地から蚊の発生に対する苦情が寄せられたことから,二条城の北側に位置し,堀川通,千本通,竹屋町通,丸太町通の範囲内にある,京都市上京区の12町を対象とした.調査票の配布対象は,これらの町内にある全住宅および事業所2,853軒である.調査票は,指定した地域のポストが設置されている住宅,事業所全て(郵便の受取拒否をしている場合を除く)に配布できる日本郵便のタウンプラスを用いて,2013年1月下旬に上記の町内全戸に郵送配布し,郵送で回収した.調査票の回収数は882通(30.9%)であり,そのうち自宅752通(85.3%),事業所70通(7.9%),自宅兼事業所47通(5.3%),その他7通(0.8%),無回答6通(0.7%)だった.<br><br><b>3</b><b>.結果<br></b><b></b> アンケート調査の結果,蚊による吸血被害に「毎日」あるいは「2,3日に1回」の高頻度で遭っている回答者が全体の48.2%を占めた.特に高頻度の吸血被害は,二条城の堀に隣接しない町(42.6%)よりも,堀に隣接する町(54.5%)の居住・勤務者の方が多い.また,自宅ないし事業所敷地内で蚊に刺されることについて,気になるという回答率は71.1%にのぼった.すなわち二条城北側の住宅地,とりわけ堀と隣接する町では,蚊に悩まされていることが明らかになった.京都市が二条城堀において蚊の発生調査を行った結果,蚊の発生は認められなかったことを伝えた上で,堀が蚊の発生源になっていると思うかについて問うたところ,高頻度で蚊の吸血被害を受けている人ほど堀が蚊の発生源と認識している傾向があった.<br> 次に,二条城の堀から蚊が発生する疑いを受け,堀に対してどのような対策をとった方がよいのかについて質問した.ここでは,A:現段階で,堀から蚊が発生する可能性に備える場合,B:将来,堀から蚊の発生が確認された場合,C:将来,堀から発生した蚊からウエストナイル熱ウイルスが確認された場合の3つの状況を設定し,それぞれの好ましいと思う対策について回答を求めた.その結果,Aの蚊の発生がない段階では,将来の蚊の発生を未然に防止する対策には消極的であった.しかし,C堀から発生した蚊からウイルスが検出される状況では,「堀を埋め立てる」べきとの回答数が著しく増加した.他の質問項目と照らしてみると,地域住民は,城(建造物)と堀をひとまとまりとして,歴史的価値ないし観光資源としての価値を認めてはいるものの,感染症という脅威にさらされた場合には,彦根市のマラリア対策と同様に,健康・身の安全を守るためには堀を埋め立てる選択肢もやむを得ないと考える意見も多く示された.<br><br><b>4</b><b>.おわりに<br></b><b></b> 蚊による被害を受けている人ほど堀を蚊の発生源としてみなしている傾向があり,堀の水の衛生環境が悪い印象を与えていることが考えられる.また,堀の景観上の価値を認めつつも,仮に堀が原因で健康に支障が生じる場合には,保全よりも堀の埋め立てを推進する意見がみられることから,彦根の事例と同様に堀の保全と衛生的と思われる環境の形成との間には,潜在的に対立しうる関係が認められる.歴史的景観としての堀の保全には,その景観が「衛生的である」ことにも配慮する必要がある.
著者
藤村 健一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.199-218, 2016

<p>本稿では,上海における仏教の観光寺院5カ寺の調査結果に基づいて,中国の観光寺院の空間構造や性格,拝観の特徴を考察する.中国仏教には,寺院の建物配置の基本的なパターンが存在する.中心市街地に近く境内が狭い寺院でも,そのパターンに近づくよう工夫している.一般に,観光寺院には宗教空間・観光施設・文化財(文化遺産)という3つの性格がある.中国の場合,日本の観光寺院と比べて,宗教空間としての性格は濃厚である.多くの拝観者が仏像に対して叩頭の拝礼を行っている.また境内には,位牌を祀る殿堂を備えていることが多い.観光施設としての性格ももつが,むしろ観光にとどまらず多様な手段で収益をあげる商業施設としての性格をもつ.一方,文化財としての性格は日本と比べて希薄である.</p>
著者
淺野 敏久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2011年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.178, 2011 (Released:2011-05-24)

1.はじめに 韓国で大きな環境問題論争を引き起こしたセマングムとシファの干潟開発に関して,報告者らは2003年より,断続的に利害関係者等への調査を行ってきた。その結果の一部を浅野ほか(2009)として報告したが,今回の報告では,そこでも述べたようにセマングム干拓反対運動が,堤防閉め切り直後から,急速に縮小したことに関連して,日本の状況とは対照的に異なる「その後」の状況を,同様に環境悪化が問題になったシファ開発の現状とあわせて紹介することにしたい。 2.シファ湖の「その後」 韓国の西海岸は干潟が発達し,1960年代から政府によって積極的に干拓事業が進められてきた。そこでは食料増産,住宅開発,産業団地開発などが行われてきた。一方で,環境への関心の高まり,民主化後の環境市民運動の隆盛などにより,大規模な自然改変をともなう開発に対して環境面から問題視する動きもみられる。 シファ干拓は,干拓事業が環境への悪影響を及ぼすことを人々に知らしめる転機になった開発事業である。農地や工業団地開発のために,約1.3万haの干潟を干拓し,約4千haの海面を閉め切って淡水湖にする計画が立案された。1994年までに防潮堤が建設され,湖は海から閉め切られた。水門が閉められると湖の水質が急速に悪化し,農業用水源として使えないばかりでなく,悪臭被害や沿岸農地に風の塩害をもたらすなどした。結局,淡水化による水資源開発をあきらめ,水門を開いて海水を流入させることになった。 しかし,シファ湖では,水資源開発を断念し水門を開いたという話では終わらず,海水流通のために堤防を開削し,そこに潮力発電施設を建設するという計画がたてられ,実際に建設された。さらに,干拓地には風力発電施設の建設も検討され,当該地域の干拓計画は,自然エネルギーを用いる「環境に配慮した持続的開発」として,工業団地開発,都市開発,リゾート開発が進められつつある。大規模開発による干潟の環境問題震源地は,エコロジカルな産業開発予定地という場所になっている。 3.セマングムの「その後」 セマングム干拓は1991年に着工された。33kmの防潮堤を築き,その内側に約3万haの新しい土地と1万haの淡水湖をつくる計画で,当初は農地開発を目的としていた。シファ湖の環境悪化問題が社会的関心をひいたことで,セマングム干拓も大きな社会問題となった。地元の漁業者や市民にとどまらず,全国レベルで環境団体その他市民団体や研究者らが計画への疑念を表明し,反対運動が拡大した。反対運動のピークは2003年の三歩一拝行進が行われた頃で,反対派と事業推進派のそれぞれの示威活動が活発に繰り返された。2006年には堤防がつながり広大な干潟は外海から遮断されてしまった。非常に活発であった全国的な反対運動は,その後,急速に縮小してしまった(関心と運動資源を他の開発事業に向けてしまった)。 反対派の運動が縮小してしまうと,推進派の一極であった全羅北道は国への開発推進圧力を強めた。2007年にはセマングム開発を推進するためのセマングム特別法が制定され,2010年には防潮堤が完成するとともに,セマングム総合開発計画が確定した。そもそもは大規模な農業用地を開発する干拓事業であったセマングム開発は,その事業の中心を工業・都市開発および観光開発を行う内容に変わった。ここでも再生可能エネルギーを利用した親環境的な「持続可能開発」を行うことが志向されている。 4.おわりに 2010年末に福岡高裁判決を受け,諫早湾干拓事業地での閉め切り堤防の開門調査が行われることになった。セマングムと諫早湾では水門の閉め切り・開放を求めて,同じ時期に裁判が行われ,いずれも原告勝訴の判決が出され,その後の展開が注目された。日韓の運動関係者等の相互訪問や連携も活発になり,両者は対比して議論されることも多かった。しかし,わずか数年しか経っていないのに,諫早では地道な運動が継続され,開門調査にまでつながりそうなのに対して,セマングムでは開発への反対運動はほぼ影を潜め,むしろ逆にセマングム開発は,21世紀に誇る地球環境に優しい「韓国の緑の希望」と喧伝されるに至っている。この差がなぜ生じるのか,この差がもつ意味は何なのか,議論を深めることが望まれる。ただし,今回の報告では韓国の状況を報告するにとどめ,論点の洗い出しや着眼点の整理を行いたい。