著者
谷 謙二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

1.はじめに<br> 筆者は90年代から地理学関連のソフトウェア等の開発を継続している。当初はソフトを開発してもその配布が困難だったが,90年代末からのインターネットの普及により,公開・配布が飛躍的に容易となり,現在では様々な領域で利用されている.ここでは,ソフトウェア等の開発から公開,ユーザー対応まで,筆者の経験を述べる.&nbsp; <br><br>&nbsp;2.ソフトウェアの開発 筆者の開発しているソフトウェア類をその利用の専門性と機能を軸として示したものが図1である.一般に,多機能なソフトほど開発に時間がかかり,そのプログラム・コードも大きくなる.ソフトを開発する際には、既存のソフトでは実現できない機能を実現することが重要で,そうでなければ単なる模倣に終わってしまう.ただし、時間をかけてソフトウェアの開発を行い,継続的にメンテナンスを行っても,論文にはなりにくいという問題がある. &nbsp; <br><br>3.ソフトウェアの利用状況と利用促進<br> 筆者Webサイト(http://ktgis.net)からの2011年3月~12月末までのダウンロード状況を見ると,MANDARAは約2万2千回,今昔マップ2は1万回で,VECTOR,窓の杜等の外部サイトからのダウンロードを含めるとさらに多くなる.一方で,専門性の高い「OD行列集計プログラム」は60回に過ぎない. 多くの人が利用できる多機能なソフトを開発しても,存在が知られていなければ利用されない.認知度を高めるには,VECTOR,窓の杜といったライブラリに登録することが重要である.一方,Webサービスではこのようなライブラリが存在しないので,検索エンジンにおいてより上位に表示されるための,SEO対策が重要となる.一方,専門家に活用されるようになるには,専門家間の対面接触による口コミも役立っていると推測している.<br><br>&nbsp; 4.ユーザー対応<br> ある程度の専門性があり,かつ多機能なソフトの場合は,操作方法に関するユーザーからの質問が発生する.MANDARAの場合は基本的にWeb上の掲示板で質問に対応しており,最近3年間では約260の質問に対応した.基本的に質問の出された翌日までには返信を行っており,これは確実に対応する姿勢を示すためである.掲示板での質問の中には,時々バグ情報も含まれており,ソフトへのフィードバックとして重要な役割を果たしている.<br>
著者
新井 智一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2010年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.20, 2010 (Released:2010-11-22)

1.研究の目的 近年,ごみ処理場の老朽化に伴う建て替えとその場所をめぐる問題が各地で生じている.本研究は,東京都小金井市における新ごみ処理場建設場所の決定過程を検討し,建設場所の決定要因について考察する. 2.二枚橋処理場の閉鎖と新処理場建設問題 東京都小金井市・調布市・府中市は1957年に,「二枚橋衛生組合」を設立し,3市の縁辺部にまたがる二枚橋処理場で一般廃棄物を焼却処理してきた.1980年代以降,処理場の老朽化が問題となり,組合は2006年度限りで処理場を閉鎖することを決定した.他市と共同処理について協議を進めてきた2市と対照的に,小金井市は財政再建や武蔵小金井駅南口再開発事業などの政治的課題の処理に追われ,ごみ問題を議論してこなかった. 小金井市は国分寺市に対し,ごみの共同処理と,小金井市が市内に新処理場を建設することを打診し,2006年に合意した.小金井市は二枚橋処理場跡地と,ジャノメミシン工場跡地を新ごみ処理場建設候補地とし,市民検討委員会による議論や市民説明会を経て,二枚橋処理場跡地を新ごみ処理場建設場所と決定した. 3.2候補地の問題点 二枚橋処理場は野川流域の低地に所在し,北側には国分寺崖線が走る.加えて,南東部に所在する調布飛行場の滑走路延長上に位置するため,煙突の高さは約60mに制限されていた.そのため,煙突から排出される煙や悪臭が,崖線上の小金井市東町1丁目・5丁目付近に被害を及ぼしてきたとされる. 一方,ジャノメミシン工場跡地は,小金井市が市役所新庁舎の建設を見込んで取得した市有地である.小金井市の中心に位置し,北側をJR中央本線に接し,南側には小金井第一小学校や小金井市立図書館,西側にはマンションがある. 4.新処理場建設場所の決定要因 二枚橋処理場周辺地区の住民は,50年にわたり環境的不公正を受けてきたとされるものの,新処理場建設にあたり,「受苦圏」が変化することはなかった.市長選挙・市会選挙の投票率や,市民説明会の参加者・質問者数を分析すると,新処理場建設候補地周辺の2地区を除き,この問題をめぐる小金井市民の関心は高くなかった.また,市民検討委員会の議論を検討すると,小金井市の行政は,処理方法をめぐる議論を新処理場建設場所決定後に先送りすることによって,ジャノメ跡地に建設することを避けようとする意図があったと推測できる. 一方,二枚橋処理場周辺地区の住民も,公害についての独自調査や,他地区・他市へのアピールをおろそかにしてきた.これに対し,ジャノメ跡地周辺地区の住民は市民検討委員会において,同跡地での開発が地下水に影響を与える可能性があるとする,市の地下水保全会議の見解を指摘した.このことは,市民検討委員会においてジャノメ跡地の評価を下げた大きな要因となった.新処理場建設問題をめぐる市民の無関心と,2候補地周辺住民による対応の違いが,二枚橋処理場跡地に新処理場を建設することとなった大きな要因であると考えられるのである.
著者
岩船 昌起 田村 俊和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.184-201, 2018 (Released:2018-05-31)
参考文献数
34
被引用文献数
5

自然災害の認識の向上に関する地理学的な「アウトリーチ」の一環として,岩手県山田町で『東日本大震災記録誌』の制作に携わった.筆者らが構成・執筆した『津波の来襲と避難』の節では,次を試みた.避難行動については,的確な時空間の表現に不慣れな被災者から聞き取った経路や時間推移の情報を鍵に,地図に表し,津波高の推移と重ねた時間–位置図表に整理した.そこには,移動経路がパーソナル・スケールで時空間的に復元されており,避難者の思いや判断を地点ごとに対照できる.一方,日常生活が営まれ,避難行動が具体的に展開された各地区で,避難に関わる“地域性”あるいは“環境特性”を整理して記載した.このような,いわば地理学的な手法で体系化された情報は,後世や他地域の人が避難行動を追体験し,学校や地域社会で防災・減災教育を進めるために,さらには集落移転を含む長期的な地域計画を考える際にも,有用な資料となることが期待される.
著者
長谷 川均 鈴木 厚志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.164-169, 2018 (Released:2018-05-31)
参考文献数
10

日本地理学会は,GISと地域調査の2分野で4種類の資格の認定事業を管轄している.これらの資格制度は,地理学の社会的地位を高め地理学会が社会貢献をするために設置され,大学教育における地理学の発展を図ることを目的とした.制度の設立は,アウトリーチを意識したものではなかった.しかし,二つの資格制度は,有資格者のバックグラウンドが地理学であることが認知されることで,地理学会の存在を外に向かってアピールすることに貢献している.今後は,日本地理学会サマースクールの充実を図ることなど,地理学会が主導して専門的な視点からのアウトリーチを行うことが必要である.さらに,日本地理学会は,地理学におけるアウトリーチ,社会連携・社会貢献を活性化させるために,さまざまな方法を試みる必要がある.
著者
氷見山 幸夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.158-163, 2018 (Released:2018-05-31)
参考文献数
21

1991年に旭川市で始められた「私たちの身のまわりの環境地図作品展」はこれまで,国内唯一の全国規模の地図展として発展してきた.その成果は環境教育,地理教育,地図教育,生涯学習など多岐にわたる.本稿では大学のアウトリーチ,すなわち社会貢献ないし社会との連携の観点から,北海道教育大学生涯学習教育研究センターがその発展に果した役割,およびこの地図展に関連した各種実践活動とそこで育まれた人々のつながりに焦点を当てた.その結果,この地図展が歩み来た道が,大学のアウトリーチを推進する上で有用な示唆に富み,それが学術的,教育的,社会的なさまざまな成果に結びついていることが再確認された.特に重要なのは,大学を中心とする環境,地図,教育に関わる小・中・高・大・官・民の連携が,学術–教育–社会の協働・協創を促進し,日本最大の地図展を発展させ,それが大学ないし学術のアウトリーチの一つのあり様を提示しているということである.
著者
小川 芳樹 秋山 祐樹 金杉 洋 柴崎 亮介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.140-155, 2018 (Released:2018-04-13)
参考文献数
17
被引用文献数
2

将来予測されている南海トラフ地震が発生した場合における危機管理対応を的確に実施するために,本研究は高知市周辺を対象として,近年の観測技術の向上に伴い蓄積されている観測ビッグデータを用いて被害予測に適用可能なミクロデータを整備することで高精細な被害推定を目指す.そのためにGPS付帯の携帯電話のプローブデータ,住宅地図,電話帳などのジオビッグデータを用いて時空間内挿することで,季節ごとの数日間ずつを対象に15分単位の詳細な人の流動が把握できる人流データを開発した.また,整備した人流データを用いて津波・倒壊・火災による人的被害を統合的に推定する環境を構築した.さらに,多様な被害推定結果を分析することで地域ごとの被害尤度分布を明らかにし,地域ごとに起こり得る最大被害・最尤被害を明らかにした.その結果,地域により被害が大きくなりやすい地域とそうでない地域の分布が明らかになった.
著者
島津 弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

上高地の徳沢-明神間の梓川で上高地自然史研究会が1994年以来行ってきた調査により,上高地における梓川河床の地形は数年に一度変化することがわかっている.2010年夏および2011年夏に簡易測量に基づいて作成した地図の比較および現地観察から,2011年に地形変化が生じたことが明らかになった.また,2011年7月3日から10月4日まで設置した継続観察地を撮影したインターバル撮影カメラの映像から,当該期間について増水の状況,降雨との対応が明らかになった.そこで,この地形変化の特徴を記載するとともに,地形変化と降雨の関係について検討した.2011年の最大級の連続降雨を記録したと推定される6月22~25日の降雨では23日の10:00~11:00に17mm/hを記録した.その後,23日13:40にアメダスが計測不能となり27日まで欠測が続いたため,この期間の23日の日雨量,期間の総降水量は不明である.明神橋近くにある信州大学上高地ステーションにおける雨量計による計測によると,6月豪雨の期間内に検証を要する値が含まれているものの6月23日の日雨量はおよそ120mmであった.このほか2011年には梅雨入り前の5月10日に123.5mm,台風15号が接近した9月20日に148.5mmを記録した.継続観察地の地形は2009年以降毎年変化が生じた.主流路は幅250mの河道の中央部に主流路が位置するという傾向は2007年以降変化していないが,2010年と比較して主流路の位置の移動と流路分岐のパターンの変化が認められた.この地形変化は観察と降雨状況から5月10日または6月23~25日の降雨のいずれか,または両方で生じたと推定される.カメラの設置許可が梅雨入りに間に合わず,6月の豪雨時の地形変化を記録することはできなかった.カメラ設置後の9月20日に日雨量140mmを超える降雨があったが,主流路がわずかに側刻された程度で地形変化は小さく,カメラで捉えられるような流路の移動は生じなかった.なお,このときには主流路周辺は河床の一部を除いて全面的に流れで覆われていた.以上のことから,以前からの予測通り,梅雨時期あるいは融雪時期における日雨量120mm程度以上の降雨で地形変化が生じるが,梅雨明け以降は豪雨が降っても大きな地形変化は生じないことが確かめられた.
著者
秋山 祐樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.109-126, 2018 (Released:2018-04-13)
参考文献数
28
被引用文献数
1

商業集積地域の分布とその盛衰は,その近隣住民の生活や来訪者の行動に日々影響を与えているが,これまで商業集積地域の詳細な位置と規模を全国規模で迅速かつ継続的に把握する手法は存在しなかった.そこで本稿ではマイクロジオデータの一つである,日本全国の店舗・事業所の位置と業種が把握できるデジタル電話帳を用いて,日本全国の商業集積地域の分布と規模をポリゴンデータとして把握できるデータである商業集積統計の開発について紹介する.また商業集積統計と商業統計との突き合わせ検証により,同データを用いることで商業統計に掲載されている全国の多くの商業集積地区の位置,規模ともに把握できることが確認された.さらにいくつかの商業集積地域において現地調査を実施し,同データが実在する商業地域の空間的分布を適切に把握できることが明らかとなった.
著者
関根 智子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.101-108, 2018 (Released:2018-04-13)
参考文献数
15

本論文では,GISによる近接性研究の進展について,近接性と公平性,近接性と移動性,そして潜在的近接性に関わる公共交通の近接性から論じる.GISは,地理情報の重要性を社会に認識させるとともに,近接性の研究に対しても,1)分析地域の広域化,2)分析対象のミクロ化,3)距離の測定方法の変化,4)単一交通手段から複数交通手段への考慮,5)近接性の可視化など,研究方法を大きく変化させ,詳細な研究結果を得ることを可能にした.また,近接性の概念が,人々と場所を隔てる距離の側面から,移動性を通じて距離を克服する能力の側面へ変化している.GISは,距離を克服する能力として,複数の交通手段による移動を測定する交通手段間近接性や,出発時間や到着時間を測定する行程近接性での分析を可能にした.
著者
森 泰規
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

企業<u>風土</u>というように<br>筆者は、基本的に経営課題について考える際、企業というものは人が創り出すものであるということを大前提に、ウェーバー(Max Weber, 1864-1920, 独・社会学者/経済学者)の<象徴的相互作用論>[1]、すなわち構造を主語とせず、人の理念に基づく行為(したがって人々の相互行為)が社会を創出するという考え方をとる。端的に言えば「ピューリタンの理念と行為が資本主義の形成につながった」ことを類推して想定するものである。 ところが、企業についての諸問題を考える際、<企業風土>といったきわめて地理学に近い捉え方にさしあたることが多い。特にウェーバー的アプローチを取る際、<企業理念>にとって起こる問題は、地理学に於いてと同様の課題と感じられることがある。そこで当の地理学(乃至、地理学的枠組み)に近接すると思われることを挙げてみる。 &nbsp;<br> <br>『風の辞典』, <b><i>Le sauvage et l&rsquo;artifice.</i></b> <br>関口武(1985)(『風の事典』 原書房)によれば、同書刊行時点で日本には風の名前が2145個ある。普通の日本人はそのような呼び名を知らないが、<u>個々の生活実感と結びついたものは<不可視であっても概念として具象化する></u>のだ。 このことは、地理学者のオギュスタン・ベルク(Augustin Berque、1942- , 仏・地理学者)がたびたび指摘した、「『風景 paysage』に当たる語彙が、絵画の対象と成りえるような美しい景観と触れ合っていた地域の言語にさえ、必ずしも自生的には存在しないこと」[2]とは貴重な対照をなす。こちらは<u>当たり前のように目の前にあっても、むしろ<浸透しすぎていることによって意識されない></u>ということだ。 優れた企業理念は以上に述べたような事態に陥ることがよくある。第一に、すなわち現場組織にはいくつもの貴重な実感が見出されているのに組織全体では体系化・一般化されにくいこと。第二に、当たり前のように意識されている貴重な習慣が組織内部では貴重なものとは評価されていないこと、である。これらは長い時間をかけてよい意味でも悪い意味でも<企業風土>を形成し、必ず課題として噴出する。逆にそれぞれを課題と思って対処していけば効果が得られるともいえる。 これらはいずれも地理学による示唆である。 <br><br>システムの外部にも影響する、地理学の価値<br>筆者は、地理学という学問体系の外から、実務上の類推をもとに本稿での主旨を問いかける。だからそのシステム内部にいる専門家にとっては、当然に違和感を覚える題材なのかもしれない。しかしそのシステム外にある筆者にとっても地理学の価値は影響を及ぼすということであって、筆者はもう少し、その真価を学び、現業に生かそうと考えるが、同時にシステム内の秩序や安定性に意義を唱えるつもりはない。この点は明確にご理解いただきたい。 <br> <br> [1] Symbolic Interactionism. この整理は定説といってよいが、ここではアンソニー・ギデンズによる『社会学』(第六版)の記述体裁にならう。Giddens, A. (2009), <i>Sociology (6th edition)</i>, Polity Press, London, UK.<br> [2] Augustin Berque. (1986). <b><i>Le sauvage et l&rsquo;artifice. Les Japonais devant la nature.</i></b>Paris, Gallimard. P154他
著者
財城 真寿美 小林 茂 山本 晴彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1.はじめに発表者らは,19世紀の日本列島各地から東アジアの隣接地域における気象観測記録を収集し,それらをデジタル化・補正均質化して科学的に解析可能な状態に整備するデータレスキューに取り組んできた.その過程で,日本を含めた各国の公使館や領事館において,外交業務や領事業務のかたわらで気象観測業務が行われていたことが明らかになってきた.東アジアでは,おもに台風の襲来予測のため,1876年以降電報による気象観測データの交換が行われるようになり(China Coast Meteorological Register、香港・上海・厦門・長崎のデータを交換),以後それが活発化する.公使館や領事館における気象観測は,このようなデータ交換のネットワークに組み込まれたものではなかったと考えられるが,在外公館という組織に支えられて,観測が持続された場合もあった.本発表では,この例として在京城日本公使館(領事館)における約15年間(1886-1900年)にわたる気象観測記録を紹介し,今後の類似記録の探索と研究の開始点としたい.2.在京城日本公使館(領事館)の気象観測記録在京城日本公使館(領事館)で行われた気象観測の記録は,「氣候経驗録」というタイトルを持つ独特の様式の用紙に記入されたもので,毎日3回(6時,12時,18時)計測された華氏気温にくわえ,やはり3度の天候記録をともなう(図1).現在,その記録は外務省外交史料館に収蔵されており,アジア歴史資料センターがウェブ上で公開している資料によって閲覧することができる. アジア歴史資料センターの資料にある外務省と海軍との交渉記録によれば,「氣候経驗録」は京城(漢城)に日本公使館が設置されて間もない1881年には作成されていたようである.これには,当時榎本武揚らと東京地学協会に設立にあたっていた初代公使花房義質(1842-1917)の近代地理情報に対する考え方が関与していると考えられる.しかし,壬午事変(1882),甲申政変(1884)と相次ぐ動乱で公使館が焼かれ,以後の公使館・領事館の立地が確定するのは1885年になってからである.そのため,今日までまとまって残されている「気候経験録」の観測値は1886年から始まっており,同年の送り状には「當地気候経驗録之儀久シク中絶シ廻送不仕候處當月ヨリ再興之積ニ有之・・・」と長期間の中断について触れている. こうした「氣候経驗録」の報告は1900年4月まで続き,以後は中央気象台の要請により,最高最低気温や雨量の観測値もくわえ「京城気象観測月報」が報告されるようになった.ただし,このデータは直接中央気象台に送られるようになったためか,外交史料館には現存しないようである.3.課題と展望前近代の朝鮮半島では,朝鮮王朝による雨量観測のほか,カトリック宣教師による気温観測が行われた(『朝鮮事情』)。また1888年頃には,朝鮮政府が釜山・仁川・元山に測候所を設置し、気象観測を開始した(アジ歴資料,B12082124200).さらにほぼ同じ頃,日本は釜山電信局に依頼して観測を行わせ,電報によるデータ収集を行うようになり,また京城のロシア公使館でも気象観測が行われたという(Miyagawa 2008).ただし,韓国気象局が提供するデジタルデータには,これらの観測結果は収録されていない.「氣候経驗録」にある観測値を,現代の気象データと連結・比較するには,様々な解決すべき問題点がある.しかしながら,首都京城における19世紀末期の約15年間にわたる気象データとして活用をはかることは,当時の気候を詳細に復元するだけでなく,日韓のこの種のデータの交流という点でも意義あるものとなろう.今後は,観測値のデジタル化にくわえ、観測地点の同定を行って補正・均質化を行うことにより、現代の気象データと連結したり,比較したりすることにより,長期的な気温の変動の特徴を明らかにしていく.
著者
戸所 隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<br><br>1.前橋・高崎の都市特性<br><br>前橋・高崎は東京都心の北西100kmに位置する首都圏外縁部に隣接する拠点都市である。両市の都市機能には数量的な差はないものの、性格的に前橋は県庁所在地で文化に特化し、高崎は交通・商業に特徴を持つ。また、前橋34.0万・高崎37.1万の人口(2010年国調)をもち、両市役所間は9kmに過ぎず、連坦市街地で結ばれる人口70万強の一体化した都市地域を構成する。<br><br>江戸期には親藩・譜代の有力大名領や天領が入り組み、歴史的に複雑な地域性が形成されてきた。また、幕末から明治期には蚕糸業によって日本経済を牽引する地域であった。そのため、近代的な交通体系や都市システムは相対的に早期に整備され、全国的に著名な有力企業を多く生み出してきた。また、この地域は日本列島のほぼ中央部に位置し、太平洋岸と日本海岸を結ぶ横断軸と日本列島縦断軸が交差する地理的条件をもつ地域である。<br><br>&nbsp;<br><br>2.前橋・高崎における1990年代以降の構造変化<br><br>1990年代以降の主な構造変化は、以下である。<br><br>①市街地面積の急激な拡大による郊外の発達、<br><br>②中心商業地の衰退 <br><br>③大規模工場の撤退<br><br>④中心機能の一翼を担う事業所の減少<br><br>⑤日常的生活圏・経済圏の拡大と地域間交流の活発化 ⑥東京の影響拡大と自立性の低下<br><br>⑦地域発祥企業の本社機能の東京流失<br><br>⑧人口減少と高齢化<br><br>⑨新築戸建て住宅・アパートの増加と空き家の急増<br><br>&nbsp;<br><br>3.都市構造変化の要因<br><br>前項の構造変化①②には、自家用車の普及と郊外への大型SC建設の影響が大きい。それを可能に要因として、畑作社会でありながら都市計画規制が緩く、首都圏の県庁所在都市にしては安価な地価にある。<br><br>③は高度経済成長期に立地した企業の撤退である。要因として日本経済の構造変化と地域政策の失敗がある。<br><br>④は、新幹線や高速道路などの高速交通整備による、首都圏都市システムの構造的変化結果である。すなわち、高崎・前橋が新幹線で東京1時間圏となることで、従前の自立性が喪失してきた。他方で、さいたま市が首都圏における北関東の業務核都市として都市力を向上させた。⑤⑥⑦もこれと陰に陽に関係する。その結果、高崎駅周辺には高層マンションが増加し事務所撤退を補完する出張者用ビジネスホテル・全国チェーン型店舗の増加がみられる。これらは東京一極集中の影響でもある。<br><br>⑧人口減少の要因として、少子化と工場・事務所の撤退の影響がある。また、隣接自治体の地価の安さと緩い都市計画規制がそこへの人口流失をもたらしている。他方で、空洞化した中心市街地の地価低下がそこでの新築住宅建設を可能とし、相続税対策のアパート建設の増加も相まって空き家・空室を急増させている。<br><br>&nbsp;<br><br>4. 大都市化分都市化による構造変革<br><br> 高速交通網・交通体系の充実、郊外の発達と自立化、経済圏・生活圏の広域化により、都市システムは都市間・都市内共に、階層ネットワークから水平ネットワークの大都市化分都市化型に転換してきた。この動きを平成の大合併は広域化した経済圏・生活圏を行政的に一体化・推進した。しかし、地域間連携の重要性は理解しても歴史的経緯などから意識面での一体化は簡単には進まない。たとえば、自動車のご当地ナンバーで「前橋」と「高崎」がつくられ、電話の市外局番は同じ027であっても同一通話エリアにならないなどの問題がある。時代に対応したハード・ソフト両面で調和した都市システムへの再構築が求められる。<br><br> <br><br>5.立体化および公私の止揚による構造変革<br><br>地方都市にあっても1990年代以降は都市空間の立体化の進展を見た。その結果、所有権では公私の区別があっても利用形態で公共的空間が増加した都市システム・構造に転換している。しかし、それに対応できない市民が多く、都市生活面に新たな問題を惹起しつつある。<br><br>また大規模高層マンションの都市中心部での増加は、高齢化と相まって郊外から中心部へ人口移動させ、郊外の衰退を招く。これが都市中心と郊外の対立を惹起し、新たな都市システムの転換をもたらすと考えられる。<br><br>&nbsp;<br><br>6. あるべき都市構造と国土構造の在り方<br><br>日本が中進国の罠にはまらず先進国になれたのは、公共事業をうまくコントロールし、農村の貧困を避けたことにある。豊かになった日本を持続的に発展させるためには、深刻化する地域間格差を是正する地方再生・国土構造の再構築が不可欠となる。それには首都機能移転を実現し、北関東信越メガロポリスの創生など、国土を水平ネットワーク型都市システムに転換する必要がある。
著者
宮岡 邦任 谷口 智雅 大八木 英夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

<b>1.はじめに</b>伊勢湾に面する三重県津市白塚海岸沿岸域における海底地下水湧出については,潮汐の変化に伴って湧出地点,淡水・海水の混合割合,水質,湧出量などに変化が生じることが確認されている(Miyaoka, 2007)。一方,白塚海岸の南側に隣接する河川の河口域において,潮汐の変化に伴う栄養塩の流出や伏流水の挙動の変化については明らかにされていない。本発表では,三重県津市を流れる志登茂川および安濃川の河口付近を対象に,潮汐の変化に伴う海底および河床からの地下水湧出形態の変化について調査を行った結果を報告する。<br><b>2.対象地域の概要</b> 研究対象地域を図1に示す。志登茂川および安濃川は,いずれも布引山地を源にする河川である。流域の土地利用形態は共通しており,中流から下流の沖積地の土地利用は,水田が広がり,いくつかの集落が点在している。海岸平野は市街地となっている。安濃川の流域内人口は,1970年以降増加傾向にある(三重県, 2003)。志登茂川流域においても同様の傾向がみられることから,これらの河川流域では,人間活動に由来する河川に流入する排水の量や質の変化が,沿岸域の水環境に影響を及ぼしていると考えられる。安濃川河口付近の河床堆積物は砂および小礫であるのに対し,志登茂川では砂および泥である。<br><b>3.研究方法</b> 志登茂川河口域において,電気伝導度分布調査を2012年7月と11月に実施した。いずれも中潮で7月は干潮,11月は満潮時に調査を実施した。また,2013年7月には,安濃川河口から約1km上流の約100mの区間において,電極間隔を4mに設定しシュランベルジャー法による比抵抗探査を,干潮から翌日の同時間帯の干潮にかけて3時間おきに実施した。また,志登茂川河口域では電気伝導度測定地点から数地点を選択し,安濃川では20m間隔で干潮時と満潮時に100mlの採水を行った。<br><b>4.結果および考察</b> 2012年7月および11月の志登茂川河口域における海底の電気伝導度分布調査では,顕著な淡水地下水の湧出が認められなかったが,河口部付近に周辺よりは値の低い35,000&mu;S/cm以下の範囲が認められたことから,この範囲で若干の淡水成分の流出が存在していることが示唆された。一方,北側の海岸付近には30,000&mu;S/cm以下を示す海域がみられた。このことから,河口付近では,陸地部とは異なり海水が陸側に侵入しやすく,沿岸付近で強制的に上向きのフラックスを得ることが少ないため,海底からの淡水流出が顕著に発生しないことが考えられた。2013年7月に実施した安濃川での比抵抗探査では,干潮時と満潮時で海域からの海水侵入の状態の違いから,河床からの湧出傾向にも変化が生じることが明らかとなった。<br><b>文献 </b><b></b>Miyaoka, K. (2007): Seasonal changes in the groundwater-seawater interaction and its relation to submarine groundwater discharge, Ise Bay, Japan. A New Focus on Groundwater-Seawater Interactions. IAHS Publ. 312, 68-74.三重県(2003):安濃川水系 河川整備計画.29p.<br><b>付記</b> 本研究は科研費 基盤C(課題番号23501240 代表:宮岡邦任)の一部である。
著者
柴岡 晶 石黒 輝 大館 佳奈 佐藤 健二 渡部 哲平
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

Ⅰ.はじめに<br>&nbsp;近年、高齢者や身体に障害を持つ人々が障壁を感じることなく生活できるような、バリアフリーなまちづくり整備がいっそう求められている。 こうした社会的背景の中で、バリアフリー設備の実用性や効果を評価し、その課題を見出す研究が行われている。また、情報通信技術の発達により、調査で得られたデータをある一定の基準をもとに数値化し、比較分析を行ったり、得られたデータを地図上に表現したりすることで、より視覚的にわかりやすく分析し提示することも可能となっている。本研究ではこのような定量的かつ地理学的な分析手法を用いて、①バリアのデータベース化及びそれに基づく現状分析、②それらのバリアの情報を活用し、GoogleMapsによるバリアの可視化及びGoogleEarthでの立体的表示を用いて、あらゆる対象者にとって有用性の高いマップを作成すること、の2点を目的とする。<br>Ⅱ.対象地域と研究手法<br> JR飯田橋駅を中心に、近隣に位置するJR水道橋駅、地下鉄神楽坂駅、牛込神楽坂駅、九段下駅に及ぶ範囲である半径800m圏内を調査区域と設定し、その中の道路及びその歩道を調査対象としている。 調査にあたっては、まず対象となる道路を、交差点を目安に分割し、調査ブロックを設定した。次に、計測と目視による実測調査と白杖や車いすを使用した体験調査を主体としたフィールドワークを行い、調査ブロックごとにバリアやバリアフリー整備状況を調査してバリアの可視化の基礎となる調査データを蓄積させていった。 これらのフィールドワークによって得られたデータは、定量評価基準によってブロックやバリアの項目ごとに点数化するとともに、バリアの属性によって細分化した。これらのデータから、実測調査、白杖調査、車いす調査の3つの調査に基づくバリアマップをそれぞれ作成し、バリアの分布を地図化して分析を行った。 これらの調査や分析によって、調査区域の道路及びその歩道が、車いす利用者や視覚障がいを持つ人にも通行しやすいものであるかを評価し、加えて自治体ごとに交通バリアフリーへの取り組みの差異について、詳細や存在する原因について考察した。<br>Ⅲ.データベース化とバリアの可視化<br> 本研究においては、各ブロックにおける項目ごとの評価点数のほかに、実際の測定値、沿線の特徴や駅からの距離などのファクター、点字ブロックや自転車専用レーンなどの整備状況、そして実測調査、白杖体験調査、車いす体験調査それぞれのバリアの地点数という、計56項目のデータを、全87ブロックにおいて収集した。これをもとに、「何が」「どこで」「誰に対して」バリアなのかを明確にしつつ、多角的な分析を行った。<br>Ⅳ.バリアマップの作製とその有用性<br> 収集したバリアの情報は、GoogleMapsやGoogleEarthを用いてマップ化した。インターネットに接続しているPCやスマートフォンから利用できるバリアマップで、ただバリアをマッピングするだけでなく、現地のバリアの具体的な状況や写真をプロットしたバリアそれぞれに紐づけることで、そのバリアの特徴をわかりやすく表現した。
著者
水岡 不二雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.12, pp.824-834, 1997-12-01
参考文献数
5
被引用文献数
1

Space and Society, a commission of the Association of Japanese Geographers, published in 1996 a reader containing the following seven seminal papers which had been published in the period from the late 1960s to early 1980s and had provided human geography with a new perspective on the conceptualization of space in society: A. Buttimer (1969), &ldquo;Social space in an interdisciplinary perspective&rdquo;; D. Harvey (1976), &ldquo;Labor, capital and class struggle around the built environment in advanced capitalist societies&rdquo;; D. Ley (1977), &ldquo;Social geography and the taken-for-granted world&rdquo;; E. Soja, &ldquo;Sociospatial dialectic&rdquo;; D. Gregory (1981), &ldquo;Human agency and human geography&rdquo;; D. Cosgrove (1984), &ldquo;Towards a radical cultural geography&rdquo;; and N. Thrift (1983), &ldquo;On the determination of social action in space and time&rdquo;.<br> In order to facilitate the understanding of the spatial conceptions contained in these seminal papers, which are significant for the future development of alternative (or critical) geography in Japan, this paper extracts some quotes from the above papers and lists them under the following basic tenets of spatial conceptions:<br> 1. Space is the objective, material existence which supports society and human subjects.<br> 2. Society and Humans are not passive in space. They positively subsume it to create new (humanized) space and to reproduce themselves.<br> 3. Socioeconomic relations or values produce space, and the spatial entity thus produced supports the stabilization and reproduction of the relations and values for a longer period.<br> 4. Space once produced ossifies itself into structure (the built environment), which reacts to control, differentiate, and transform social relations.<br> 5. Every subject must deploy an expanse of bounded space and a relative position for its action. The form of their deployment is specific to the social relations.<br> 6. A social structure on an upper tier of space produces territories on a lower tier, each of which forms a separate entity in the structure. This stratified configuration of space displaces social relations spatially, and alters the original relations in return.<br> 7. Spatial relations displacing conflict on a particular spatial scale can reify or modify the social relations on different scales.<br>8. Space and subject fuse together spontaneously to constitute a unique &ldquo;place, &rdquo; the focal point where subjects converge into a social structure, mediated with all of its embeddedness.<br> 9. The subject attempts to strengthen the embeddedness and resists its disruption. This place consciousness may obscure the consciousness of social relations.<br> 10. The distanciation and isolation arising from relative space make the subjects in proximity interact more intensely, giving rise to a localized social group.<br> 11. The spatial coexistence of heterogeneous elements of a society and their mutual sharing of the same built environment create social conflict.<br> 12. The built environment exerts a common coercive power over people to stabilize the modes of production and living over the long term.<br> 13. A social group is fragmented and its fractions formed according to the spatially uneven and fixed components of a spatial configuration and natural landscape.<br> 14. The range of subjective space is smaller than that of the objective thus rational behavior is not guaranteed since one obtains information imperfectly from subjective space.<br> 15. The modes of production and experience create collective absolute spaces, the most pivotal of which is the separation between the places for living and for work.<br> 16. It is essential for a social revolution to involve a revolution in spatial configuration.
著者
上杉 昌也 樋野 公宏 矢野 桂司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.11-23, 2018 (Released:2018-03-16)
参考文献数
25
被引用文献数
2

本研究は,居住者の社会経済的な属性に基づいて近隣地区を類型化したジオデモグラフィクスデータを用いて,社会地区類型による手口別の窃盗犯発生パターンの特徴を明らかにするものである.東京都市圏の12都市を対象とした分析の結果,社会地区類型による空き巣・ひったくり・車上狙いの窃盗犯の発生パターンの違いを明らかにした.またこの社会地区類型は,地区の建造環境や都市間の差を統制しても犯罪発生に対して一定の説明力をもっており,特に空き巣において顕著であった.これらの知見は手口に応じた防犯施策の重点地区の特定など,近隣防犯活動へのジオデモグラフィクスの活用可能性を示すものといえる.
著者
澤田 康徳 秋元 健作
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.1-10, 2018 (Released:2018-03-16)
参考文献数
16

本研究では,関東地方の夏期降水発現時における気温低下の地域的特徴を明らかにした.夏期平均気温の高低は降水頻度の高低と相関が強く,平均気温の低下に降水雲の出現による日照時間の低下が関わっている.また,降水発現時の気温の標準偏差は平野北部より南部で大きい.南部では気温が高い日中のほか,降水発現前に日照時間が寡少で低温な広領域曇雨天時および夜間の降水発現事例が北部より多く,広領域曇雨天時は降水強度が大きく気温低下幅が大きい.一方,局地的に発現した対流性降水事例は北部で多発し,日中においては,降水発現時前に日照時間が気温低下に先立って減少し,降水強度が夜間より大きくその後の気温低下も大きい.対流性降水事例では,発現後5~8時間で領域晴天日の気温の日変化とほぼ同じになった.平野南北における降水発現時の気温の標準偏差の違いには,降水強度とともに降水発現前の日照の有無などによる気温の差異が関与している.
著者
森山 昭雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.10, pp.723-744, 1994-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
31
被引用文献数
4

西三河平野南部に広がる碧海面とそれを構成する碧海層は,リス氷期からヴュルム氷期前半までのデルタ性の厚い堆積物からなる.本地域は,その時期の海水準変動や古環境の変遷を明らかにしうる日本で数少ないフィールドの1つである.筆者は,碧海層の多数のボーリング資料に基づく解析により,その堆積構造と地下層序を明らかにし,化石ケイソウ群集とFeS、含有量の分析,ESR年代測定を実施し,以下の結論を得た. 1) 碧海層は,最大70mに達する厚さをもち,下位から基底礫層,下部層,中部層,上部層に分けられる.その下位には,濃尾平野の海部累層に対比される油ケ淵層が存在する.碧海層上部層の海進堆積物から採取された貝化石のESR年代は,8~9万年前の値が得られた. 2) 碧海層基底礫層は,リス氷期の低海面期、(酸素同位体比ステージ6) に堆積した碧海層の基底の砂礫層であり,上流に広がる三好層に対比される.下部層はリス氷期から最終間氷期(5e)に起こった急激な海進期の海成堆積物と考えられ,5eの高海面期に挙母面が形成された。中部層は,5dから5cの海進期に堆積したものである.上部層は5bから5aにかけての海進期に堆積したものであり,碧海面は5aの時期に形成されたと考えられる.
著者
麻生 将
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b> </b>本報告では、国指定文化財となっているキリスト教関連施設の観光地化の可能性について、都道府県ごとの立地係数を求めて検討を試みた。その理由は以下のとおりである。<br> 1. キリスト教関連施設を含むある施設や場所は、文化財指定を受けることが観光地化のアドヴァンテージになる可能性が考えられるため。 <br> 2. 文化財指定を受ける際、当該施設または事物の真正性や文化的・歴史的な価値が重要な要素となるが、それは観光地化の主要な要素でもあるため。 <br> 3. キリスト教関連施設の観光に関する統一的な統計資料がほとんど存在しないため。 <br><b></b> 本報告では2014年9月時点での国宝・重文・登録の各有形文化財(建造物)を対象とする。その中でキリスト教関連施設は159件に上ることが明らかになった。内訳は国宝が1件、重要文化財が26件、登録文化財が132件となっている。重要文化財の半数に当たる13件が長崎県に存在するが、これらは幕末から明治・大正期にかけて建設されたカトリック教会の建物である。また、登録文化財が10件以上の都府県は東京都、愛知県、滋賀県、京都府であるが、このうち愛知県については、犬山市の明治村に全国各地から移築された近代期のキリスト教関連施設が存在するためである。滋賀県については、近江兄弟社を設立したヴォーリズによって設計された複数のキリスト教関連施設が指定されたことも大きく関係すると考えられる。なお、東京都と京都府については、ミッションスクールの複数の校舎が登録文化財指定を受けたため、このような件数となった。 <br> 国指定文化財のキリスト教関連施設の立地係数を都道府県ごとに求めて地図化した結果、幕末から明治前期の比較的早い時期にキリスト教が伝わった都道府県で立地係数が2.0以上と高い値を示していることが明らかになった。こうした都道府県では現在もキリスト教関連施設が観光地として観光ガイドなどでも紹介されることが多い。他方、立地係数が低い(0~0.5)複数の県では明治期にキリスト教への排撃運動がたびたび見られたが、こうした歴史的経緯も現在のキリスト教関連施設の観光地化の状況を規定する要因の一つと考えられる。すなわち、立地係数による観光地化の可能性の検討を通して、地域の近代化または近代史に関わる社会的・文化的文脈を捉える材料の一つとなり得る。<br> &nbsp;&nbsp;キリスト教関連施設の観光地化の指標として、国指定文化財の立地係数がある程度有効であることと、立地係数が地域の近代化の歴史的背景や社会的文脈を読み解く際の指標としても少なからず有用であることが確認された。今後はデータのより精密な分析とともに、本発表で用いたデータを活用して都道府県ごとのキリスト教関連施設の観光地化の調査を進めていきたい。また、国指定のみならず各都道府県によって文化財指定を受けたキリスト教関連施設の調査・検討も行っていきたい。 <br>(参考文献)<br>&nbsp;麻生将2015.現代日本におけるキリスト教関連施設の分布状況と観光地化の可能性に関する試論.立命館大学地理学教室編『観光の地理学』259-280. 文理閣. <br> 福本拓2004.1920年代から1950年代初頭の大阪市における在日朝鮮人集住地の変遷. 人文地理56-2:42-57. <br> 松井圭介2012. ヘリテージ化される聖地と場所の商品化.山中弘編『宗教とツーリズム―聖なるものの変容と持続―』192-214. 世界思想社.