著者
淡野 寧彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>1.はじめに</b><br> 海外農産物産地との競合が続くなか,日本においては様々な食料のブランド化が図られ,産地の存続を目指す手段の1つとして展開されている。報告者はこれまで,食肉のなかでも豚肉を対象とし,そのブランド化を図る動きである銘柄豚事業の進展を通じて,豚肉価格の維持や流通企業・消費者らとの新たな連携構築などによって産地の存続が図られていることを示した。ところで,何らかのかたちで消費者から好評を得てブランドとしての地位を確立するためには,「おいしい」などの満足感やイメージをもたらす必要があろう。この際,どのような生産・流通手法や情報発信をもとにおいしさや品質の良さを実現,アピールする傾向にあるのか,またこうした手法に産地の特色や何らかの地域的な差異が生じているのかといった点も,産地の存続策を検討するうえで注目すべき内容と考えられる。そこで本報告では,全国の銘柄豚事業を対象として,生産サイドの情報発信のあり方をブランド名および事業の特徴に関する記述に注目して分析し,差別化の特色と空間性について検討する。<br><br><b>2.銘柄豚事業における表現方法の特色</b><br> 1999年から2016年までに計7冊が発行された『銘柄豚肉ハンドブック』をもとに,まず掲載事業数の推移をみると,1999年:179件&rarr;2003年:208件&rarr;2005年:255件&rarr;2009年:312件&rarr;2012年:380件&rarr;2014年:398件&rarr;2016年:415件と年を経るごとに銘柄豚事業は増加している。このうち本報告では分析の都合上,2014年までの事業を対象とする。2014年のハンドブックに掲載された全事業を合わせた銘柄豚の年間出荷頭数はおよそ720万頭に上り,単純換算すれば国産豚の2頭に1頭は何らかの銘柄豚として出荷されたことになる。ブランド名には,牛肉と同様に地名が用いられることが多い傾向にある。一方で,銘柄豚とする根拠については,実施主体が独自に改良した飼料の使用を挙げる事業が多く,必ずしも産地が存在する地域との関係性が重視されているとはいい難い。<br> 次に,各実施主体が銘柄豚の特徴として記した説明文の用語に注目する。豚肉のおいしさを示す表現として,「コク」ないし「ジューシー」の用語を銘柄豚の特徴に含めた事業は1999年の10.6%から2014年には14.8%と微増したが,「甘い」を用いた事業は同12.8%から31.9%と大幅に増加した。このことから,肉の旨味よりも甘味を重視すること,あるいは「甘い」ことが肉のおいしさの判断材料になっていることが推測される。一方,「やわらかい」を用いた表現は,1999年には40.8%の事業でみられたが,2014年には28.9%に減少した。このほか,肉の「脂」身について言及した記述は同33.0%から43.0%に増加したが,このなかでも脂が「甘い」ことを強調した記述が同13.6%から42.1%に急増した。また「赤身」に関する記述も同1.1%から4.0%に若干増加しており,これらから肉のおいしさ自体を端的にアピールする方法が増えているものと思われる。他方で,「安心」や「安全」を用いた説明文は,同27.9%から16.1%に減少した。報告当日は,上記に関連してテキストマイニングによる分析も含めて,銘柄豚のアピール方法の特色や産地との関係性について,より詳しく検討する。<br><br><b>3.おわりに</b><br> 食肉を生産する畜産の現場と消費者との間には,社会的・空間的な距離や乖離が存在しており,これらは容易には解消できないことから,食肉を購入する際などの選択要因にはそのイメージが大きく影響すると推察される。食肉供給の仕組みや需給量の大小にのみ注目するのではなく,食肉のイメージの形成要因となるアピール方法や,そのなかの語句や文章全体の記され方などの分析を通じて,今後はとくに中小規模畜産業産地の存続や革新に結びつく要素を考察していきたい。
著者
李 彬彬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1.はじめに1990年代から、政策上の整備とともに農村女性による起業数は伸びている。特に近年、社会的に都市と農村との交流が重視されている中、農村女性が活躍する場はますます増えており、地域の活性化と農業振興へと期待される。従来の研究では、農村女性起業の半数以上を占めている「食品加工」と「流通・販売」活動をしている女性及びそのグループが研究されていることが多い。本稿では、熊本県南小国町を事例とし、農村女性グループ「農花の会」が農家民宿の経営主体となる展開過程を考察する。2.研究対象地域の概要 南小国町は熊本県阿蘇郡の北部に位置する農山村である。人口は4,429人(2010年)で、年々減少しており、少子高齢化が進んでいる。第一次産業は主に農業で、その特徴は肉用牛の生産を中心とした畜産を基調に、野菜、米と花き生産の組合せである。黒川温泉を中心とした観光サービス業の成長とともに、町全体の農業生産規模が減少しており、産業の中心が農業からサービス業へと移った。2010年の産業構造において、第一次産業の生産額は4.9%を占めているのに対して、第三次産業の割合は85%であった。3.農村女性グループによる農家民宿経営の展開 南小国町の「農花の会」は、50~60代の地元女性7人により、2003年に結成された。結成する前に、メンバーの女性たちは自主的に始めた農業簿記講座に参加していた。講座終了時、経済意識が高まった女性たちはグループを結成し、農家の暮らしをベースにした都市住民との交流や経済効果がもたらされる活動を模索した。最初に試みたのは、自宅を開放した「立ち寄り農家」であり、都市住民を対象にして芋煮会や稲刈り体験などを行った。そして、1ヶ月1回のグループ勉強会で時々調理の経験を交換しているメンバーたちは、自家産の野菜で作った郷土料理を黒川温泉の女将たちにすすめた。それらの料理に対して女将たちから好評を博し、メンバーの女性は自分の調理の技術に自信をつけた。2004年に、自宅で農家レストランをしているメンバーが先に農家民宿を開業した。それは牛舎を改造した建物全体を客に提供するものであった。(本稿では貸別荘式農家民宿と呼ぶ。)2005年、熊本県における農家民宿開業の規制緩和を契機に、グループ内の他の5人も「農林漁業体験民宿業者」として登録し、農家民宿の経営を始めた。この5軒の場合は、住む家に空き部屋を客に提供する形をとった。(本稿では貸部屋式農家民宿と呼ぶ。)貸別荘式農家民宿は、南小国町の観光シーズンに合わせ、5月から11月まで一般の観光客に利用され、経営状況が安定しているといえる。一方、貸部屋式農家民宿では、部屋の利用形態から受入れ側と利用側の両方にとってプライバシー問題が発生するため、利用者のほとんどが農村体験をする研修旅行生になった。貸部屋式農家民宿の受入れはメンバー女性のいる農家家庭の都合で不定期となっている。4.おわりに 南小国町では、「農花の会」は農業簿記講座から始まり、調理技術を手段としてグループ内外で交流活動を行い、その延長として農家民宿を開業したという過程で、農村女性グループが農家民宿経営の主体となった。部屋の利用形態は農家民宿の経営安定性に影響した。そして、農家民宿の経営によってメンバー女性の家庭的・社会的地位が向上したことがうかがえる。
著者
佐々倉 航三
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.8, no.3, pp.203-213, 1932

Last year the harvest was poor in every district in Japan, especially in the Northeastern district of the Mainland and in Hokkaid&ocirc;. The total rice yield in the Northeastern district and Hokkaid&ocirc; is estimated as only onehalf that of normal years. There may be several causes of the poor harvest, such as typhoon, droughts, etcRI believe the poor harvest of the last year was due to low temperatures and reduced hours of sunshine. I have drawn 12 climatic maps based on data recorded in the Monthly Bulletin of the Central Meteorological Observatory, Tokyo.<br> From Figs. 7 and 8 we can easily understand that the climatic couditions that prevailed during June and July, 1931, were very unfavorable for the rice crop. The zones of -2.0 C and below it as the mean deviation of air temperature during June and July and those of -10% and below it as the mean deviation of sunshine percentage during June and July, are Aomori and Iwate Prefectures and Hokkaido. These zones correspond to the districts where the rice harvest was very poor.<br> I think that the reasons for low temperatures and lesser sunshine in Japan during June and July last year are as follows: As we can see in Fig. II, the center of the anticyclone in June was situated in the Okhotsk Sea, its barometric reading being above 761mm. Usually in June the anticyclone occupies the offing of the Sanriku district, resulting in the rainy season in Japan : but last year the center of the anticyclone migrated farther northwards and cold air was brought in by north-easterly winds.<br> During July last year the distribution of air pressure resembled that of ordinary years, but the weak high pressure zone still remained in the Okhotsk Sea, and that as many as twenty-five cyclones visited Japan, so that dull weather prevailed during nearly the whole of July. The original cause of the unfavorable climate was undoubtedly the abnormal high pressure that prevailed over the Okhotsk Sea during June last year.
著者
仁平 尊明 コジマ アナ 吉田 圭一郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.32, 2007

<BR> 熱帯湿原特有の豊かな動植物相を有することで知られるブラジル・パンタナールでは,1990年代からエコツーリズムが盛んになり,とくに欧米から多くの観光客が訪れるようになった.エコツーリズムのブームにともなって,ファゼンダの観光化や大規模なホテルの建設が進行し,生態系へのインパクトや住民生活の変化などの地域問題が顕在化した.本研究では,南パンタナールのエストラーダパルケ(パンタナール公園道路)を対象として,宿泊施設の立地展開に注目することから,パンタナールにおけるエコツーリズム発展の課題を考察する.調査を実施した時期は,2003年8月,2004年8月,2005年3月,2005年8月,2006年8月であり,調査の内容は,宿泊施設の経営者や管理者への聞き取りである.<BR> <b>研究対象地域</b> 南パンタナール(マトグロッソドスル州)のエストラーダパルケは,北パンタナール(マトグロッソ州)のトランスパンタネイラと並んで,ブラジル・パンタナールにおいて観光開発が最も進んでいる地域の一つである.エストラーダパルケは,ボリビアとの国境にある大都市・コルンバの南から湿原に入る未舗装の道路である(Fig.1).パラグアイ川の渡河点であるポルトダマンガからクルバドレイキまでは東西に走り,クルバドレイキから連邦道路262号線沿いのブラーコダスピラーニャスまでは南北に走る.総延長は120kmであり,ミランダ川,アボーブラル川,ネグロ川などの主要河川とその支流の上には87の木橋が架かる.<BR> <b>宿泊施設の分布</b> トランスパンタネイラ沿いとその近隣には,19の宿泊施設が立地する(Fig. 1).そのうち,スポーツフィッシング客を主な対象とする釣り宿は6軒(サンタカタリーナ,パッソドロントラ,タダシ,パルティクラ,カバーナドロントラ,ソネトゥール),エコツアーを提供する設備が整った大規模なホテルと民宿が3軒(パルケホテル,パンタナールパークホテル,クルピーラ),既存のファゼンダが観光化したエコロッジが5軒(ベーラビスタ,アララアズール,サンタクララ,シャランエス,リオベルメーリョ),キャンプ場または素泊まりの安い部屋を提供する民宿が3軒(エキスペディションズ,ボアソルテ,ナトゥレーザ),そのほかに,ホテルに付随した観光ファゼンダ(サンジョアオン)と大学の研修所(UFMS)がある.<BR> <b>宿泊施設の開業年</b> 1960年代と1980年代に開業した宿泊施設は,5軒が釣り宿であり,そのほか,民宿,研修所,キャンプ場が1軒づつある.1990年代に開業した宿泊施設は,ホテルが2軒,釣り宿が1軒,エコロッジが1軒である.2000年以降に開業した宿泊施設は,ファゼンダが4軒,キャンプ場などが2軒,ホテルの付随施設が1軒である.このように,エストラーダパルケの宿泊施設は,1980年代以前には大河川沿いの釣り宿,1990年代には大河川沿いの大規模なホテル,2000年以降には河川から離れたファゼンダとキャンプ場の開業に特色がある.<BR> <b>エコツーリズム発展の課題</b> 世界遺産にも登録されたパンタナールは,観光地として有名になり,観光によるバブル経済を引き起こしている.1990年代後半に宿泊施設を開業した経営者は,1haあたりの土地を230~300レアルで購入した.2001年に開業した宿泊施設の土地購入価格は,350~400レアル/haであり,2003年になると730レアル/haまで上昇した.近年では,東部海岸の大都市や外国出身の地主が増加している.また,観光客が家族から個人の若者になったことも問題である.彼らの多くは,ボリビア,ブラジル西部,パラグアイ,アルゼンチンと移動するムッシレイロ(バックパッカー)である.<BR>[本研究は,平成16・17・18年度科学研究費補助金「ブラジル・パンタナールにおける熱帯湿原の包括的環境保全戦略」(基盤研究B(2) 課題番号16401023 代表: 丸山浩明)の補助を受けた.]
著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.171, 2004

_I_ カリブ海地域の島嶼<br> カリブ海には多数の島々があり,30ほどの国・地域が存在している。当該地域についてカリブ海沿岸国や南米ガイアナなどを含めることが多いが,以下では西インド諸島,すなわちカリブ海の島々を対象にする。大アンティル諸島は規模が比較的大きいだけでなく,小アンティル諸島にはない広い平野や丘陵が発達する。小アンティルでも風下諸島およびバハマ諸島,ケイマン諸島では,珊瑚礁が発達して山地も低い。一方風上諸島では,高度1000mに達する火山が連なっている。小アンティル諸島でも南米大陸沿岸は,著しく乾燥した気候である。こうした自然的基盤の差異にともない,サトウキビなどのプランテーション農園,カリブの海を中心とした観光,大陸から運ばれた原油の精製,バナナなどの熱帯果樹栽培,など各島の現在の産業構成に差異がみられる。またそれ以前より各島々への移住者の出身地域は異なり,現在も民族構成やそれにともなう宗教や文化的側面も,それぞれ特色あるものとなっている。<br>_II_ 近年の社会的変化<br> 一方現在ではこれらとは異なる地域的特色が,人々の流動などに表れている。カリブ海地域の住民は,15世紀よりほとんどが域外から流入したが,19世紀より大量に流出するようになった。現在も大半の島嶼から人口流出が続いているが,風下諸島など一部では人口が流入している(図1)。また1人あたりGDPも,35,000US$のケイマンから1,400US$のハイチまで,各島々で大きく異なっている。この格差には,一部の島では1990年代以降とくに発展が続いて主要産業になった観光をはじめ,オフショア金融や便宜置籍船などの果たす役割が大きい。ただし人口の流動との関係では,所得の高い島々に流入し,低い島々から流出しているわけではない。それにはカリブ海地域で従来からの宗主国との関係や現在大きな影響を受けている近隣諸国などとの関係がより大きくかかわると考えられる。<br>_III_ 地域内・地域外の移動<br> カリブ海地域内でもとくに旧・現英領の国・地域において,さまざまな経済連合などが結成されてきた。しかしそのほかにも仏蘭西米などと密接な関係を保つ,多くの非独立地域や半独立の地域がある。こうした宗主国が異なるのみならず,域外諸国との関係が島々で異なることは,貿易や援助受取の相手国などにも表れている。また域内や域外との地域的結びつきは,現在の交通にもみられる。多くの小島では島外との関係は重要で,交通や運送の手段は欠かせぬものの一つである。現在島嶼への人々の移動は主として航空路によるが,カリブ海地域内の主要空港間の路線数や便数は地域により異なる。大アンティル諸島では路線数・便数が少なく,小アンティル諸島では稠密な航空路線網がある。小アンティル諸島でも,風下諸島ではサンファンとの便数が多く,風上諸島ではトリニダードとの便数が多くなっている。カリブ海地域外の主要都市とでは,イスパニオラ島から西ではマイアミと,東ではニューヨークとのつながりが相対的に密接である。また大アンティル諸島ではアメリカとのつながりが強いのに対して,小アンティル諸島およびキューバではヨーロッパの比重が高くなっている(図2)。<br>_IV_ 交通変化の影響<br> カリブ海の各地域はハリケーンベルトにあたり,また地震および火山地帯であるため,近年も大きな自然災害があることで共通する。緩やかな弧状列島をなすもかかわらず多くの国・地域から構成されるのは,珊瑚礁地域を除いて多くの島々には火山があって各島は海峡で隔てられており,また海洋資源は豊かでなく,移民も大陸内部からきたため,陸上での農業が中心的に営まれて,各島間の交通が盛んでなかったことが大きい。しかし現在では食料の多くを輸入に頼る地域が多く,域外との交流は不可欠である。とくに航空路線の発達により,島嶼にも多くの観光客をよぶことが可能となると同時に,カリブ海観光のクルーズ船も多くの観光収入をもたらす。観光客のみならず住民の流動もまた盛んであるが,これらはカリブ海地域における諸島間の結びつきに変化をもたらしている。
著者
北川 卓史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.115, 2005

_I_.はじめに.通信販売(以下通販)は,「距離の制約を越える」といわれ,19世紀アメリカで本格的に開始され,日本でも明治期にカタログ通販が展開するようになった.この通販には_丸1_宣伝広告,_丸2_受注,_丸3_商品配送,_丸4_代金決済の4つ機能が重要といわれている.これまで大規模な通販を行う事業者は,カタログやテレビといった広告媒体を使用した通販専門業者や,都市部の大型小売店などが目立った.また,郵政公社の「ふるさと小包」事業も見逃せない.しかし,消費者が実際に商品を手にとって選び,すぐに手に入れられないといった性質上,通販は商業全体から見ても傍流であるといわざるを得なかった._II_.インターネット通信販売の動向.インターネット通信販売は,広告媒体としてテレビやカタログを使用する場合と比較して,_丸1_検索機能による商品検索_丸2_商品の比較_丸3_在庫などの情報更新_丸4_24時間閲覧と注文,などが迅速かつ容易に行うことができ,事業者にも消費者にもその利便性が評価されている。『平成15年度電子商取引に関する実態・市場規模調査』によると,個人向け電子商取引(以下BtoC EC)の市場規模は4兆4240億円と推計されており,平成10年と比較して,約69倍に拡大している.これはドラッグストアやホームセンターなどの市場規模を越え,約7兆円規模のコンビニエンスストア市場に追いつく勢いである.この急成長に寄与したのは情報通信環境の整備が進行したためであろう。日本のインターネット世帯普及率は,50%以上であるといれており,都市部ほど普及率が高い.更にインターネット接続可能な携帯端末や常時接続サービスが広く普及している点も見逃せない.このように事業者も消費者も安価で手軽にインターネットを利用できるようになった.ただし,例えばインターネット上にホームページを作成する資本や能力に乏しかったり,作成できたとしても商品を並べただけでは集客にならない.実際BtoC ECを取り組む事業者数は約5万前後存在しており,そのうちで3万7千程度が従業員50名未満かEC売上高1億円未満の中小規模事業者であると推定されている.そのため,大多数を占める中小規模事業者は,インターネットショップ(以下ネットショップ)運営のシステムやノウハウをインターネットショッピングモールなどに出店することで,補完する事業者が多い.『インターネット白書2004』によるとネットショップを出店する事業者のうち約6割が,その第1店目を楽天市場のショッピングモールに出店している.楽天市場などでノウハウや顧客を掴んだ後,独立して自社独自のホームページを作成し,ネット通販を拡大する事業者も存在しており,インターネットショッピングモールが中小事業者のネット通販事業におけるインキュベーターの役割を果たしているという側面もみられる.また,商品配送機能や決済機能について言及すると,1980年代に全国津々浦々をカバーする個人向け宅配便ネットワークが完成した.さらに冷蔵・冷凍品への対応と航空機利用などにより配送時間の短縮が図られたため,生鮮食料品や花卉など劣化の早い商品も配送可能となり,通販取扱商品に幅が広がった.決済機能については,振込などだけでなく,運送会社による代金引換が重要である._III_.楽天市場について.1997年5月にインターネットショッピングモール事業を開始し,2005年6月時点で約11,000店が出店している.月平均注文件数は約150万件で,流通総額は月平均150ー200億円と言われている.
著者
山本 隆太 阪上 弘彬 泉 貴久 田中 岳人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1. 国際的な地理教育界におけるシステムアプローチ<br>国際地理学連合地理教育専門委員会(IGU-CGE)の地理教育国際憲章(IGU-CGE 1992)では,主題学習のカリキュラム編成原理としてシステマティックアプローチ(Systematic Approach)やシステムズアプローチ(Systems Approach)が示された。以後,地理教育にシステム論やシステム思考を導入するという考え方は世界に共通する地理教育論の一つとなっている。志村(2014)では,1970年にはすでに,IGU-CGEのローマ委員会が「空間システム的な環境&minus;人間関係」を地理教育として重視する方向性を示したことや,2000年頃の地理教育国際比較調査においてシステム思考が中等教育段階のカリキュラム編成原理の一つとなっていることが示されている。IGU-CGEのルツェルン宣言(大西2008)では,ESDを念頭に,自然,文化,社会,経済といった各圏・領域を包括的に扱う「人間-地球」エコシステム(Human-Earth ecosystem)の概念を地理教育として重視することを表明している。これに強く同調している国のひとつにドイツがある。ドイツでは地理教育スタンダードを2006年に公刊し,そこでシステムとしての空間を地理教育の中心的な目標として位置付けた(阪上2013)。また,この目標の下,地理教育システムコンピテンシーを開発し(山本2016),各州におけるカリキュラムに位置付ける動きがみられる(阪上・山本2017, 山本2016)。<br><br>2. 国内における地理教育システムアプローチの展開<br>ドイツの地理教育システムコンピテンシーは,「システム思考,ネットワーク思考ともいわれるシステム的な見方・考え方に基づき,ダイナミクス,複雑系,創発などのシステムの概念から地理的な事象や課題の構造と挙動を理解し,世界を観察・考察する教育/学習方法」と定義されている(山本2016)。この地理教育システムコンピテンシーに基づき,筆者らはシステムアプローチとしての授業実践を構想,実践した(実践一覧はhttps://geosysapp.jimdo.com/に記載)。なお,ドイツの定義に基づいて日本国内の教育実践を参照すると,例えば,鉄川(2013)では地理的事象を構造化するアプローチをとっている一方で,挙動については触れていない。システムアプローチの視座に立つと,地理授業においてすでに構造化については実践がなされている一方,挙動については課題があることが考えられる。<br><br>3. 授業実践事例 アラル海の縮小<br><br>アラル海の縮小を題材として,システムアプローチに基づく授業実践を行った。実践校は埼玉県内私立高校で,高校3年次の地理A(6時間)で実践を行った。授業は,(1)教科書や資料集を用いてアラル海の縮小に関する記述を理解する,(2)関係構造図(第1図)で問題の構造を解明する,(3)最悪シナリオ/持続可能な解決策を考えることで挙動を解明する,という展開で実践した。授業後,授業に関する生徒アンケートを実施した。<br><br>4.考察<br>システムアプローチを用いた実践では,持続可能な社会づくりを目指し,環境条件と人間の営みとの関わりに着目して現代の地理的な諸課題を考察する科目的特徴を具体化できることがわかった。また,関係構造図を用いることで,生徒自ら自分自身の思考を可視化できた。<br>
著者
政金 裕太 佐藤 佳穂 岡村 吉泰 岡部 篤行 木村 謙
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1</b><b>.背景と目的</b><BR><br> 文科省の公式見解では、首都圏でM7クラスの地震が発生する確率は30年以内に70%といわれている。副都心の一つである渋谷駅周辺は、建物密度も昼間人口密度も極めて高い地区であるので、その防災対策は重要であり、大きな課題である。本研究では、その過密地域を含んだ青山学院大学周辺約1kmを対象地とし、災害発生時の人間の道路から避難施設までの避難行動をシミュレーションする。本研究は、その避難行動シミュレーションによって、いつ起こるかわからない震災に対して、すべての時間帯における人間の混雑した危険な状態がどこに発生するのかをチェックする手法を提案する。以下にそのプロセスを示す。<BR><br>(1)人間が何月何日何時に避難経路(道路)上に何人いるのかを推定する手法を示す。<BR><br>(2)2011年3月11日14時の避難者数の推定結果をシミュレーションに適用する。<BR><br>(3)シミュレーション結果からどこに危険な混雑が生じるのかを示す。<BR><br><BR><br><b>2</b><b>.手法の概略</b><BR><br> 道路ごとの人口数の推定は、「流動人口統計データ」(ゼンリンデータコム提供)、渋谷区、港区の避難施設データ、道路データを用いて行った。「流動人口統計データ」は在宅人口、勤務地人口、流動人口のデータから構成されており、ここでは対象地内に自宅も勤務地もないとされる流動人口を扱う。これらのデータをArcGIS上の空間解析ソフトで分析することで道路上の流動人口数の推定結果が得られる。この推定結果を道路上にいる避難者数として、シミュレーションに適用する。「流動人口統計データ」は時間帯ごとの人口データを含んでいるため、時間帯ごとの避難者数が推定できる。<BR><br> 避難シミュレーションにはSimTreadを使用した。SimTreadはCADソフトVectorWorks上で動かす歩行者シミュレーションソフトである。ArcGISで使用したデータをCADデータとしてエクスポートして、VectorWorksへインポートする。分析から得た避難施設ごとの避難者数の推定結果をVectorWorks上の道路にエージェントとして配置する。エージェントは、目的地の避難施設まで最短距離で移動をし、衝突を回避するために減速すると青色で表示され、衝突を回避するために止まってしまうと赤色で表示される。この設定によって赤く表示された箇所が混雑な危険箇所であると判断できる。これを繰り返しすべてのエージェントを道路上に配置したらシミュレーションを実行する。<BR><br><BR><br><b>3</b><b>.シミュレーションの適用</b><BR><br> 以上の手法を震災があった2011年3月11日14時台に適用する。この時間帯では、青山学院大への避難者数は55,111人であるという推定結果が出た。シミュレーションの結果、目的地付近で大混雑が生じ、避難開始30分が経っても約5分の一の10,178人しか避難し終えないことがわかった。<BR><br><BR> <br><b>4</b><b>.考察</b><BR><br> シミュレーション結果から、避難開始数分後は交差点とコーナーに混雑が確認できる。その後、避難行動が進むにつれて、エージェントが通る道路が限定されていき、混雑する道路を特定できる。また、曜日、時間ごとの推定結果を蓄積することで、それぞれの日時の混雑の傾向を推定することが可能になる。時間帯別の危険箇所を指摘することは今後の防災対策として有効に活用できると思われる。この結果から考えられる対策として、避難施設の入り口の拡張、避難者を分散させるような経路の検討、曲がる回数を最小に抑えた直線的な避難誘導などが挙げられる。本研究で提案した手法は、他の地域にも適用可能な汎用的手法である。今後、他の地域にも適用することで、混雑が生じる危険箇所を確認できるシステムとして広範囲に利用できる。<BR><br> 本手法は、扱ったデータの正確性から考えて、あくまでひとつの推定手法に過ぎない。また、災害の被害状況によってはすべての道路が安全に通れるという保障はない。しかし、時間帯ごとの避難行動のシミュレーションによって、時間ごとにおおよその混雑箇所、混雑道路が把握できるという点では有効な推定手法と言えよう。今後、より実態に近い避難行動の推定を行うには、過去の避難行動の調査を参考に、各避難施設の収容数も考慮した、より適切な避難行動モデルを設定する必要がある。
著者
柴田 陽一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

Ⅰ はじめに<br> 2017年には3万人に達した越境通学児童(中国語では「跨境学童」)は,いついかなる要因で発生したのか.いかに通学しているのか.越境通学するメリットとデメリットは何か.越境通学という現象が意味するものは何か.本報告は,2017年8月に実施した現地調査に基づき,これらの問いに答えようとするものである.<br><br>Ⅱ 現地調査の概要<br> 中山大学大学院生の呉寅姗氏と共に,越境通学児童の母親たちに聞き取り調査を行った.インフォーマント探しは,深圳出身である呉氏の母親のネットワークを利用した.そのため,事例の代表性については問題なしとしないが,代わりに濃密な話を聞くことができた.聞き取りをした13人のうち,10人が越境通学児童の母親だ.子どもの数は2~4人.主婦も働いている人もいる.<br> 加えて,6つの口岸(羅湖=1887年建設,沙頭角=1985年,皇崗=1991年,文錦渡=2005年,深圳湾=2007年,福田=2007年)で越境通学児童のための専用施設の有無を観察したり,サポート機関であるNGOや学習塾を訪ねて話を聞いた.<br><br>Ⅲ 越境通学児童の発生要因<br> 越境通学児童が発生した要因は大きく三つある.一つ目は,一人っ子政策が第二子以降に課していた罰則(超過出産費の徴収,社会養育費の徴収など)の存在である.二つ目は,2001年7月19日に出た「荘豊源案」判決により,両親とも香港籍・香港居住権を持たず(「双非」と呼ばれる)とも,香港で産まれた子どもは香港居住権の資格を取得できるようになったことである.それ以降,第二子出産により罰則を受けるくらいなら,香港に越境して出産しようとする人々が急増した.2012年4月に公立病院が,翌年1月には私立病院も中国本土の妊婦の受け入れを中止したが,それまでの10数年間に生まれた子どもの数は約18万人に上る.<br> ところで,香港居住権を持つ子どもであっても,両親と深圳に居住しているのであれば,付近の学校に通うという選択肢もある.その場合,越境通学児童とはならない.しかし,越境通学児童数は,2007年度(中国は9月から新年度開始)は5,859人,2010年度は9,899人,2014年度は24,990人,2015年度は28,106人と増え続け,2017年度に3万人を突破した.今後は2018年度にピークを迎え,その後は減少すると予想されている.2012-13年の妊婦受け入れ中止がその理由である.<br> では,なぜ越境通学をするのか.香港居住権を持つ子どもには,香港永久住民と同じ権利と義務が付与されている.そのため,香港の義務教育を無償で受けることができる.逆に,居住地である深圳の公立学校に通うには,香港居住権が仇となり,手続きが厄介であったり,余計に教育費を徴収されたりしてしまう.しかも,中国本土と香港における教育内容には違いがある.聞き取りによると,前者が詰め込み式の教育,後者が自主性を尊び,自分で考える力を育てる教育だという意見が多かった.こうした点が三つ目の要因である.なお,実は深圳にも香港人学校が2校あるものの,教育費が高いため越境通学を選ぶ人が多いようだ.<br><br>Ⅳ 越境通学の方法とその問題点<br> 越境通学児童のいる家庭の朝は早い.深圳側で自宅から口岸まで,香港側で口岸から学校までの移動をせねばならないからだ.そのため6時半には家を出るという家庭も少なくない.移動手段は両側とも徒歩・公共交通機関・スクールバスという選択肢がある.深圳側ではそれに自家用車が加わる.<br> スクールバスの会社は数多くあるが,サービス内容から越境バスと当地バスに大別できる.越境バスは,バスから下車せずに越境できるもの(利用口岸は沙頭角・皇崗・文錦渡)とそうでないもの(深圳湾)にさらに分けられる.便数は,2014年度は170,2015年度は207,2016年度は223と増加傾向にある.<br> 当地バスは,あくまで深圳側の羅湖・福田口岸までの移動をサービス内容とする.口岸を越えた後は,また別の移動手段で学校を目指す.口岸の両側には,越境をサポートするスタッフを配置し,児童の安全を確保しているようだ.<br> 居住地区とサービス内容により料金は異なるが,いずれにせよスクールバスの費用は家計の大きな負担である.通学時間も通常より長くなる.さらに,香港の教育を受けるには,広東語・繁体字・英語も学ばねばならず,学習塾に通う例も珍しくない.<br><br>Ⅴ 越境通学が意味するもの<br> では,この越境通学という現象は,一体何を意味するのか.発表当日は,聞き取りで得た「生の声」と,本土側・香港側の両者から見た境界(border)の作用とに注目して,詳しく考察する.
著者
鄭 玉姫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.149, 2009 (Released:2009-06-22)

1.はじめに 2007年現在,韓国の農林水産部に登録されている農漁村民泊事業*者は,14,805人である.従来,民泊経営のための行政的な手続きは不要であった.それが2005年農漁村整備法の改定により,民泊経営をするためには該当行政当局に民泊事業者指定をうけるようになった.これは日本の民泊が旅館業法の中の簡易宿所営業に登録されていることとは異なる. 日本の民宿地域は,海浜型民宿地域と山地型民宿地域に分けられる(石井 1970).この類型は韓国にも適用できるが,海浜型民泊地域の方が山地型民泊地域より多い.その反面,スキー場の建設は集落のない山地空間で行われており,山地型民泊地域は少ない.つまり,韓国の主な民泊経営は海水浴場周辺地域にあり,海浜型民泊地域を成している. 本稿では,韓国南沿岸部にある南海郡尚州里を取り上げ,その民泊経営の展開と地域の変化をまとめる. 2.南海郡尚州面尚州里の民泊経営と地域変化 1)海水浴場の開場と民泊経営の開始 韓国慶尚南道の南海岸に属する南海郡には4つの海水浴場がある.そのうちもっとも海水浴客を集客しているのが尚州海水浴場である.島嶼である南海郡は,1973年南海大橋の竣工でさらに観光客が増えたが,来客数は1997年の96万人を最高にして,2000年を境に減っている. 尚州里の民泊経営は,1980年に入って海水浴客の増加によって発生した.当時,この地域には民泊が存在しなかったので,海水浴客は宿を求めて自ら農家を尋ねた.それで海水浴場近隣の尚州里では,他より民泊が早期に経営されており,中でも海水浴場と近距離の農家が民泊経営を始めた.その後,海水浴客の増加とともない民泊は全集落をはじめ近隣集落まで広まった. 2)接客業の増加と地域変化 尚州里では,1980年代から増加する海水浴客を対象に,食堂や喫茶店,旅館などの接客業が増えた.なかでも,1990年代に食堂と旅館,自動販売機の開業が多い.とくに食堂の開業は,海水浴時期である5月から7月までが多い.これは民泊で食事を提供しないことに要因がある.また,自動販売機の設置場所は大半が海水浴場の周辺である. 要するに,尚州里内では1990年代から海水浴客の増加に相まって,食堂,旅館などの接客業の営業が多くなった. 3.まとめと考察 尚州里における観光は,1970年代南海大橋の竣工と海水浴場の開場に大きく影響をうけ発展した.とくに民泊経営は,海水浴客の増加とムラの中に宿泊施設がない状況の下で,農家が民泊をはじめた.そして民泊経営は海水浴場の近隣農家から始まり,徐々に集落全体と近隣集落にも広まった.そして,海水浴客を対象に里内では食堂,旅館,自動販売機などの接客業が多く開業した. 尚州里では,海水浴客の増加に相まって民泊経営と接客業の開業が見られ,これらによって観光は重要な生業の一部となっている. 【注】* 農漁村整備法(2005)による民泊事業とは,農漁村地域に居住する住民が農漁家を利用し,利用客の便宜と農漁村所得増大を目的に宿泊・炊事施設などを提供する業としている. 【参考文献】 石井英也 1970. わが国における民宿地域形成についての予察的考察.地理学評論 43(10): 607-622.
著者
Keichi KUMAGAI
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
Geographical review of Japan series B
巻号頁・発行日
vol.89, no.1, pp.32-45, 2016
被引用文献数
1

The idea of place has been a common concern in human geography including among feminist geographers since the 1970s. While the question of place in Western cities has been critically discussed, place or place-making and displacement in the non-Western world have not been well developed. The author addresses the issue in terms of the idea of ‘<i>fudo</i>’ (milieu) which has been subject to particular attention in Japanese philosophy and geography since the 1930s, owing to popularization by Tetsuro Watsuji and Augustin Berque. In this paper, the author highlights the ideas of <i>fudo</i> through illustration of a grave historical case of suffering in Japan: Minamata Disease. Minamata Disease, caused by the consumption of fish contaminated by methyl mercury, emerged in the 1950s. This tragedy can be understood as the outcome of three scales of <i>fudo</i> relationship: 1) the interrelationship between the local marine ecosystem and fishers’ practice on the sea; 2) political and economic domination of Minamata city by the Chisso company; and 3) national sentiment and the human-environment relationship in Japan at the time. I highlight the narratives of two women in Minamata, Michiko Ishimure and Eiko Sugimoto, as cases that embody the local <i>fudo</i> relationship. Their narratives present essential interactions in Minamata between the sea, land, deities, embodied lives and survival, which collectively construct <i>fudo</i>. Simultaneously, these narratives illustrate Minamata, a place that now attracts people from elsewhere interested in curing their minds and bodies. By connecting divided localities, the local people’s movement reconstructed the <i>fudo</i> in Minamata that was once destroyed.
著者
田部 俊充
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.280, 2011

本研究は,評価と地理教育について,教育政策の日米比較,とりわけ学力調査,州のテスト政策を中心に考察した.まず,近年の日本の教育政策の結果,国算(数)の2教科への偏重が起きているという問題提起を行った.一方アメリカ合衆国においては,NGS(全米地理学協会)による資金援助などにより,地理教育の活性化が順調に推移していたこと,2002年のNCLB(どの子も置き去りにしない)法の制定により国語,算数・数学の偏重が始まった. NAEP(全米学力調査)は,アメリカ連邦議会がその実施を決めて教育省の責任において行う全国的調査であり,1969年に始まった.実際には大手のテスト機関に委託して行われている.2000年には,主調査だけで10万6,000人,州別調査が60万人ほどの参加となっている.全米学力調査では,小・中・高校で実施される授業科目はすべて調査対象となっており,社会科テスト関連では,合衆国史,公民,地理などが調査対象となっている.毎年あるいは1年おきに1~3教科の科目を選んで調査が実施されている. マサチューセッツ州の教育政策は伝統的に地方分権主義に基づく教育行政システムだった.1990年代になり,知事と州教育行政機関が一体となった「強力な指導性」によって教育改革が推進された.1991年に知事に就任したウェルド(Weld, William F.)は,教育行政に対する強力な指導性を発揮しながら,教育改革のプラン作成に着手する.教育改革のポイントが,州のスタンダード・カリキュラムの策定と厳しいアセスメント行政といわれるテスト政策の実施であった.1993年には「マサチューセッツ州教育改革法」が制定された.同法は,州内の公立学校K-12(幼稚園から第12学年)における教育の質的改善を意図した包括的な法律である.第29節1D項は,州内の全ての公立学校における「州全体の教育目標」(statewide educational goals)を掲げ,数学,理科(科学とテクノロジー),歴史と社会科学,英語,外国語,芸術の中心科目における「学問的な基準」(academic standards)を開発することを求めた(北野2009).日本における「学力低下論争」の結果,国語と算数・数学教育のみに論議が収斂してしまう傾向に危機感を感じ,問題点を論じた.また,同様の問題はNCLB法以降のアメリカ合衆国においても顕著であることを指摘した.アメリカ合衆国においても中央集権的な学力向上政策の結果,テストに出題されない社会科の軽視がもたらされたのである.しかし,アメリカ合衆国の場合,NAEPや州レベルにおけるMCASにおける地理テストの実施,マサチューセッツ州スタンダードにおける幼稚園段階からの地理教育の導入など,多様な選択を模索している状況を確認することができた.
著者
中山 裕則
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.117, 2005

.はじめに 大学生の学力低下などに対する懸念などの背景もあり、大学の卒業生に対する質の向上が求められつつある。日本大学文理学部では地球システム科学科において、日本技術者教育認定機構(Japan Accreditation Board for Engineering Education:以後「JABEE」と呼ぶ)による認定を目指し、準備を進め、2004年5月に認定を受けて、同年春に認定後初の卒業生を社会に送り出した。本報告では、日本大学文理学部における地球システム科学科の教育プログラムがJABEEによる認定を受けるまでの経緯、学科の体制、プログラムの特徴、認定による影響、今後の課題などについて述べる。2.地球システム科学科のJABEE認定地球システム科学科では、1999年のJABEE設立後、地質学会、応用地質学会、地下水学会などを中心に開始された地球・資源の分野におけるJABEEによる認定制度の検討に合わせて、学科内で認定を目指した準備を開始した。具体的には、2001年に学科内で本格的な議論が開始され、プログラムの見直し、体制の整備、申請準備、議論等を経て2003年に認定のための申請を行い、2004年春、学習・教育プログラム「地球システム科学科」が"地球・資源およびその関連分野"での認定を受けた。その春にはJABEE認定後初の卒業生67名を社会へ送り出すことができた。3.学科内の体制 認定へ向けて技術者学習教育プログラム「地球システム科学科」とその学習・教育目標を設定し、技術者教育委員会を組織して体制を整備した。技術者教育委員会は2004年末現在、委員長、幹事長、幹事をはじめとし、学習・教育の目標、教育方法、達成度評価、教育改善、アドバイザーをはじめとする10部会で構成されている。4.プログラムの特徴 学習・教育プログラム「地球システム科学科」の構成は、講義科目とトレーニング科目の2つを柱とし、それぞれが導入、専門、応用プログラムへと順に進む流れとなっている。1年次は導入プログラムとして地球科学やその他の理学に関する基礎的なことがらを、2年次は専門プログラムとして専門的な知識を学習・トレーニングし、3年次では科学調査と研究法の具体的な科目と技術者としての倫理観に関する科目、およびより専門性の高い講義科目で構成される応用プログラムを経験する。この後,4年次で個々のテーマによる研究により、実践的な研究指導を受けて、様々な課題に対応可能で柔軟な知識と技術を身につけることを目指す内容とした。特徴としては、第1に、地球科学を理解するためには講義による知見や野外で修得した観測結果をとりまとめる能力を必要とする観点より、野外および室内における実験・実習科目を通じた実践的なトレーニング教育の重視を掲げる点と、第2として、講義などで得た自然現象に関する知識を野外において実際に体験・確認することで理解を深めるために、1年次から野外での実習科目を設けてフィールドワーク教育に重きを置いている点をあげることができる。5.認定による影響 JABEEの認定により、教育科目に対し4年間を通した具体的な学科の教育・学習の目標が示され、これに沿った教育の実施と評価により、学生および教員の双方に緊張感が生まれたことは認定による影響として指摘できる。また、卒業生の中にはすでに技術士として社会の第1戦で活躍している技術者も多く、その人たちからの期待が寄せられ始めていることも事実である。 一方、認定により教育の質的保証と向上が強く求められるため、各教員の自覚、卒業生に対する責任がさらに必要となった。また、研究だけでなく教育に対する寄与、教育の継続的な改善も求められているため、各教員へのプログラムの維持と改善ための責任と分担が増し、以前に比べて教育に費やす時間が増加したことも事実である。そのため教員を含めるスタッフの強化が必要になっている。6.今後の課題 JABEE認定を受けた学習・教育プログラム「地球システム科学科」は、実績がまだ浅く、体制、内容、目標など今後、いっそうの充実が必要であり、実際に改善を続けている。この更なる充実には、学生の要望の取り込み、外部アドバイザーや卒業同窓会との連携による社会的要望の取り込みなどが必要であり、特に認定後の卒業生の社会での技術者としての活躍とその効果のフィードバックも必要と考えられる。さらは、JABEEのプログラム内容の社会や学内に対する紹介と共に、取組みによる成果の公表も必要と思われる。
著者
高橋 学
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.98, 2005

視点 2004年中越地震を事例に、震災発生のメカニズムを検討するのが、本報告の目的である。中越地震は1995年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同じ直下型地震であった。しかし、そこ中越地震の震災は共通点を持ちながらも、いくつかの点で、阪神・淡路大震災と異なっていた。それについて検討をしたい。研究方法 1)気象庁・日本気象協会の震度1以上地震について、発生パターンを検討。 2)地震直後、ヘリコプターによって被災地の概要を把握。 3)現地踏査。 4)震災発生メカニズムの検討。結果 1)10月23日に発生した中越地震の本震以前に、中越地方では、9月7日19時43分に震源の深さ1km、M2.4をはじめ多くの前震と考えられる地震が発生していた。M4.0以上の地震については、しばしば同様の前震がみとめられ、今後、地震予測に利用できる可能性がある。 2)北米プレート周辺で発生する地震の場合、一定の地震発生がみとめられる。そのひとつとして、根室沖・釧路沖_-_十勝沖_-_岩手沖_-_宮城沖_-_福島沖_-_茨城沖_-_房総沖と地震が発生する。そして、もうひとつは、宮城沖までは同様であるが、そこから中越_-_秋田沖_-_北海道西方(もしくは西方沖)と展開する。 3)中越地震では、平野域において、比較的被災の程度が軽かった。これは、人口密度が低いために、集落の大半は自然堤防や段丘面に立地しており、旧河道や後背湿地に立地するものが少なかったことに起因すると考えられる。平野域の被害は、老朽化した住宅や悪い土地条件の場所に限定的であった。また、この地域は豪雪地帯であり、それに対応した家屋の構造となっていたことも、災害を小さくした原因であったと考えられる。 4)丘陵域では地すべりや斜面崩壊にともなう被害が顕著であった。丘陵域は、鮮新_-_更新統の砂岩や泥岩からなる魚沼層群から構成されている。このため、丘陵域は、典型的な地すべり地域となっており、棚田地域を形成していた。棚田の開発は、地すべり地域の特性をうまく利用したものであり、この段階では、人間は自然環境にうまく適応して生活を行なっていたということができる。 5)この状況を変更するのに大きなインパクトを持ったのが、1985年に開通した関越自動車道であった。たしかに、それ以前においても、水田漁業として鯉の養殖は行なわれていたけれども、その規模は大きなものとはいえなかった。ところが、関越自動車道路の開通によって、東京へ、関東へ、そして海外へと市場が広がることによって、棚田は爆発的に養鯉池へと姿を変えていったのである。養鯉池の掘削により、地下水環境は変化し、地すべりがより発生しやすい環境となったと考えられるのである。その背景には、バブル経済期に、より収入が多い生業を選択するという住民の考えが反映していた。 6)2004年秋に中越地方地方を襲った集中豪雨や台風23号の影響により、丘陵地域は、充分すぎるほど地下水により満たされており、仮に、中越地震が発生しなかったとしても、ある程度の地すべり被害は発生したであろうと考えられる。 7)魚沼丘陵域の地すべり地帯において、地域の復興策として養鯉業が復活するようなことになった場合、再び、大雨や地震をきっかけに地すべり被害が再発すると考えられ、注意が必要である。 8)阪神・淡路大震災の場合には、経済の高度成長期に都市に集中した過剰な人口を収容するために、土地の履歴を無視した一戸立て住宅の建設が、被害を深刻にした。それに対して、中越地震被害の場合は、バブル経済期を中心にして、土地の履歴を無視した養鯉池の掘削が、被害を大きくしたといえよう。
著者
加藤 政洋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本研究は、昭和23(1948)年7月に公布され、その後、昭和34(1959)年2月に一部改正された「風俗営業(等)取締法」ならびに同法の各都道府県における施行条例を素材にして、「文化」を制度化する力学を明らかにし、その帰結である地理的変奏に関して文化地理学的な検討をくわえるものである。風俗営業あるいはそれを取り締まる法令については、これまで文化地理学の研究対象として取り上げられることがほとんどなかったものの、実のところそれらは地域の文化と密接に関わっている。というのも、そもそも「風俗」とは特定の時代の地域や集団に固有の慣習であり、仮にそれらが近代以降の国家スケールの法令によって一律に取り扱われるところとなるならば、自ずとスケール間・地域間の矛盾が発現し、実状に沿わぬ改変が強制されるなどして、文化の様態も(少なくとも表面的には)変化を余儀なくされるだろう。本発表では、風俗営業取締のなかでも花街に照準した条文とその解釈に焦点を絞り、法令制定の背後に潜む意図を踏まえつつ、都道府県レヴェルで地域の遊興文化に及ぼした影響を明らかにしてみたい。いくぶん結論を先取りして述べるならば、GHQの介入を受けた東京都の条例を、それと知らず他府県が雛形として援用したことで、花街における遊興文化――「お座敷あそび」――は奇妙なかたちで制度化/地域化されるのだった。
著者
久木元 美琴 西山 弘泰 小泉 諒 久保 倫子 川口 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.23, 2011

近年,大都市都心部での多様な世帯を対象としたマンション開発にともない,子育て世帯の都心居住や都心部での保育所待機児童問題が注目を集めている.都心居住は職住近接を可能にするため,女性の就業継続における時空間的制約を軽減する一方で,都心部では急増した保育ニーズへの対応が追い付いていない.そこで,本研究は,都心湾岸部に居住する子育て世帯の就業・保育の実態とそれを可能にする地域的条件を明らかにする.発表者はこれまで,豊洲地区における民間保育サービスの参入実態を明らかにしてきた.本発表では,共働き子育て世帯の属性や就業状況,保育サービス利用の実態を検討する.<BR>調査方法としては,豊洲地区の保育所に子どもを預ける保護者を対象に,2010年11月にアンケート調査を実施した.豊洲地区に立地する13保育所のうち,協力を得た7保育所(認可5施設,認証2施設)において,施設を通じて配布し郵送にて回収した.総配布数659,総回答数207(31.4%),有効回答数203(30.8%)であった.このうち,豊洲1~5丁目在住の170世帯を抽出し分析対象とした.<BR> 結果は以下のとおりである.全体の9割が2005年以降に現住居に入居した集合住宅(持家)の核家族世帯で,親族世帯は4世帯と少ない.世帯年収1000万円以上,夫の勤務先の従業員規模500人以上が7割程度と,世帯階層は総じて高い.また,夫婦ともに企業等の常勤や公務員といった比較的安定した雇用形態で(70.0%),ホワイトカラー職に就く世帯が全体の過半数を占める.さらに,夫婦の勤務先は都心3区が最も多く,それ以外の世帯の多くも山手線沿線の30分圏内と,職住近接を実現している.<BR> ただし,帰宅時間には夫婦で差がある.普段の妻の帰宅時間は19時以前が147回答中141で,残業時でも20時以前に帰宅する者が多い.他方,夫は残業時に20時以前に帰宅する者は少数で,23時以降が最も多い.残業頻度が週3日以上の妻は約2割である一方で,夫は半数近くが週3日以上の残業をしている.<BR>また,回答者の約6割が待機期間を経て現在の保育所に入所している.待機中の保育を両親等の親族サポートに頼った者は4世帯に過ぎず,妻の育児休業延長や,地域内外の認可外保育所や認証保育所などの民間サービスによって対応していた.予備的に行った聞き取り調査では「確実に認可保育所に入れるために,民間の保育所に入園した実績を作っておく」という共働き妻の「戦略」も聞かれた.さらに,妻の9割近くが育児休業を,約8割が短時間勤務を利用している.妻の過半数は従業員500人以上の企業に勤務しており,育児休業取得可能期間が長く短時間勤務の利用頻度も高い傾向にあるなど,充実した子育て支援制度の恩恵を享受している.<BR>以上のように,本調査対象の子育て世帯は,夫婦共に大企業に勤務するホワイトカラー正規職が多く,職住近接を実現している.特に,充実した子育て支援制度や,民間保育所を利用し認可保育所に確実に入所させるといった戦略によって,就業継続を可能にしている.ただし,妻の働き方は必ずしもキャリア志向ではないことが特徴的である.<BR>また,回答者の過半数が現在の保育所に入所する前に待機期間を経験し,待機期間には妻の育児休業の延期や民間サービスの利用で対応している.この背景には,当該地区における豊富なニーズを見越した民間サービスの参入があると同時に,これらの子育て世帯が認可保育所に比較して一般に高額な民間保育所の保育料を支払うことのできる高階層の世帯であることが示されている.
著者
小田 匡保
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2011年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.107, 2011 (Released:2011-05-24)

1.はじめに 2004年に刊行された村上春樹『アフターダーク』は、女子大学生の浅井マリが夜の街でいろいろな人に出会う、深夜の数時間の物語である。『アフターダーク』は深夜の都会を舞台にした小説で、都市の具体的描写もあり、地理的な分析が可能である。本発表においては、『アフターダーク』の舞台となる街を主に空間的観点から読み解き、深夜の街における「闇」との出会いについて考察したい。 『アフターダーク』に関しては、これまでにも多くの論考・論評がある。東京文学散歩のサイト「東京紅團」は作品中の施設の現地比定を試みているが、納得のいくものではない。神山(2008)は村上作品の空間的特徴を検討し示唆に富むが、『アフターダーク』については、テレビ画面内の部屋(異界)に関心があり、本稿の分析とは重ならない。 2.登場人物と「色」 「景観」を広く解釈して、「色」についても考察する。登場人物の服装や持ち物の色は、マリ、高橋、エリ、カオル、白川、中国人娼婦、中国人組織の男ら、人物の性格に応じてかなり使い分けがされている。一見対照的に見える白川と主人公マリの共通性はこれまでも別の面で指摘されているが、服装やカバンの色にもうかがえる。 3.場所の設定 作品全体の舞台は渋谷と思われるが、村上(2005)は「架空の街」と述べている。発表者は、渋谷を念頭に置いた架空の場所が設定されていると考える(以下〈渋谷〉と表記)。登場人物の自宅の位置などを地図化すると、人物の性格により、〈渋谷〉と自宅との距離や、〈渋谷〉からの方向性などに違いがあることが明らかになる。街内部の施設の位置についても検討し、ラブホテルやファミレス、公園、コンビニなどの配置について地図化を試みる。 4.「闇」との出会い 他の村上作品と同様、『アフターダーク』も異界との接触がテーマの1つである。中国人組織との6回の接触を分析すると、特定の場所だけでなく、どこでも「闇」の世界と出会う可能性があることが示されている。また、深夜の街全体が異界としても描かれている。 本発表の詳細は、小田(2011)で発表予定である。 文献 小田匡保 2011. 村上春樹『アフターダーク』の空間的読解―「闇」と出会う場所としての深夜の街─. 駒澤大学文学部研究紀要 69(予定). 神山眞理 2008. 物語に表現される空間の図学的考察─村上春樹の小説を示例として─. (日本大学)国際関係学部研究年報 29: 65-82. 東京紅團. 《村上春樹の世界》afterdarkを歩く.(http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-afterdark.htm) 村上春樹 2005. ロング・インタビュー:「アフターダーク」をめぐって. 文學界 59(4):172-193.