著者
葛西 誠也
出版者
北海道大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2011

無秩序に動き回る電子集団から一方向性の流れ(=電流)を生み出す電子ブラウンラチェットは、生体の仕組みをとりいれた素子であり、低エネルギーでの電子輸送を可能にする。本研究の目的は、化合物半導体の1次元構造であるナノワイヤに非対称ゲートを周期的に設けることで電子ブラウンラチェットを実現し、動作実証することである。ラチェット動作の鍵となる鋸歯状ポテンシャルを内包する構造をGaAsナノワイヤにくさび形の金属ゲートを配置した構造で実現した。本素子によりブラウンラチェット動作モードの1つであるフラッシングラチェット動作に成功した。半導体フラッシングラチェットの室温動作は世界初の成果である。
著者
肥前 洋一 船木 由喜彦 河野 勝 谷口 尚子 境家 史郎 荒井 紀一郎 上條 良夫 神作 憲司 加藤 淳子 井手 弘子
出版者
北海道大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2007

領域全体の主題である実験社会科学の確立に向け、政治学分野の実験研究を発展させた。具体的には、実験室実験・fMRI実験・調査実験を実施して「民主主義政治はいかにして機能することが可能か」という課題に取り組むとともに、政治学における実験的手法の有用性を検討する論文・図書の出版および報告会の開催を行った。
著者
望月 哲男 越野 剛 後藤 正憲 鈴木 正美 鳥山 祐介 長縄 宣博 中村 唯史 沼野 充義 野町 素己 松里 公孝
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2009

ヴォルガ地域の文化的な様態を、各流域の民族・宗教文化的特徴、および中世期から現代までの複雑な歴史的経緯を踏まえて整理し、包括的文化圏としてのヴォルガ地域像を解明した。ヴォルガ河の表象にみられる多義性・多面性とその変遷を、18世紀以降の文芸の諸ジャンルにおいて検討し、その特徴や文化的機能を分析した。近現代の宗教・文化思想を題材に、東西文化論におけるヴォルガ地域の特徴と機能を整理した。
著者
前田 辰昭 高木 省吾 中谷 敏邦 高橋 豊美
出版者
北海道大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1987

北海道西岸沖合に産卵のため来遊するスケトウダラの魚群構造と回遊の研究は、当初計画通り実施された。昭和62年度から平成元年度の4月と10月に、後志沖合から青森県沖合の日本海で水温、塩分、餌料プランクトン等の外、航走中24KHzの魚探を作動させて、スケトウダラの分布と密度を観察した。また、中層トロ-ルによる漁獲試験と標本採集をした。この外2月には檜山沖合で本種の標識放流を実施した。1.4月の魚群は沿岸の産卵場付近では150〜300m層に、沖合では200〜400m層と、沖合ほど深い。分布域は日本海の中央部にまで達し、対馬暖流水と亜寒帯水との境界域に当る前線域に高密度群が出現した。2.10月の魚群は産卵期の接近に伴い、次第に接岸し、沿岸域で最も密度が高い。この時期は高水温のため、400〜500m層と分布層が深い。3.魚群の年齢組成は3〜8才で、それらの中心は卓越年級群の1984年生れである。3ケ年間では1989年10月が最高密度を示した。4.標識放流は昭和62年度から平成元年度までの2月に、檜山沖合で約4500尾について実施した。本研究期間内の再捕結果は、従来の知見とされた定説の北上回遊と異なり、索餌期の夏期には南下して津軽海峡に出現し、さらに新潟県沖合から富山湾沖合にまで回遊して再捕されている。しかし、産卵期には放流地点の檜山沖合でのみ再捕され、本種の回帰性の強さが示唆された。5.本種の回遊は従来、北部の武蔵堆周辺から陸棚沿に南下し、産卵後は再び北上するとされていた。しかし、本研究では、成魚は南西部沖合から接岸し、産卵後は再び南西海域に回遊することが明らかになった。今後は不明であった幼稚魚の移送先や未成魚期の生活域の把握が必要である。それは来遊量予測や資源変動の解明に不可欠なためである。
著者
宇山 智彦 BEATRICE Penati PENATI Beatrice FENATI Beatrice
出版者
北海道大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

当初はウズベキスタンの地方文書館で史料調査を行う計画であったが、近年、外国人研究者にウズベキスタンの文書館の利用許可が非常に下りにくくなっているため、実現できなかった。その代わり、モスクワのロシア国立社会政治史文書館(RGASPI)で、ウズベキスタンの地方の党組織から共産党中央委員会中央アジア・ビューローに送られた文書を閲覧した。その結果、土地水利改革が、モスクワからの押しつけというよりも、地方からの要請で行われた面が大きいという仮説を裏付けることができた。前年度までの作業と合わせ、土地水利改革の前史(ロシア帝国期の土地調査・税制を含む)、政策立案の方法、改革に関与した諸組織・指導者、改革の経済的・社会的影響を解明し、研究の目的をほぼ達することができたと言える。研究分担者は2011年8月にカザフスタンのナザルバエフ大学助教授となり、日本を離れたが、研究成果の取りまとめと発表はその後も続けている。成果の一部は、ESCAS(欧州中央アジア研究学会)などヨーロッパ各地の学会・セミナーで発表した。また、1920年代のネップ期に中央綿作委員会が、金融・商業・食料供給・投資を含むウズベキスタン経済のさまざまな分野において果たした役割と、他の諸機関との競争関係を分析した論文が、2012年内にフランスのCahiers du Monde Russe誌に掲載されることが決定した。また、ロシア革命から農業集団化前夜までの、ウズベキスタンにおける土地水利改革を含む農業・経済政策と社会・環境変化についてのモノグラフを執筆中で、遠からず完成する予定である。
著者
小野 大輔
出版者
北海道大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

昨年度は、生物発光、多電極ディッシュを用い概日時計の中枢である視交叉上核(SCN)の分散培養を行い、個々の細胞の概日リズムにCRY1/CRY2が必要ではない事を明らかとした。さらにこれらの同時測定系を用い、脱同調したPer1発現リズムと同調した電気活動リズムがCry1-/-/Cry2-/-マウスのSCNに存在することを明らかとした。さらに最近Cryl-/-/Cry2-/-マウスのSCNのPER2::LUCに減衰していくリズムが認められ、一貫した結果が得られていない。これらの原因には測定系とマウスのageが考えられる。本年度はこの原因を検証するために、発達段階におけるSCNのPerl-luc,PER2::LUCのリズムを測定した。生後1日目(P1),P7,P14,P21,adult(8-16w)のマウスからSCNを切り出しメンブレン上で培養し、SCN全体の発光リズムを測定した所、P1,P7のCry1-/-/Cry2-/-マウスのSCNからはrobustなリズムが認められたが、このリズムはP14になると減弱し、P21,adultになると消失した。これらの結果はCry1-/-/Cry2-/-マウスのSCNのリズムは生後初期に出現し、離乳するP21付近で消失する事を示す。さらにこのリズムの消失は個々の細胞の脱同調である事を発光イメージングを用いる事で明らかとした。本研究結果はCRY1/CRY2に依存しない細胞間ネットワークが存在すること、そしてこのネットワークは離乳する生後3週間で消失する事を初めて示し、SCNの新たな細胞間ネットワークにCRY1/CRY2が関わっている事を明らかとした。
著者
奈良林 直 島津 洋一郎 辻 雅司 辻 雅司
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

スイスにおける原子力熱エネルギー供給システムの詳細調査を踏まえ、住民の要望や地域の要求を満たすシステムについての概念形成を地域住民と共同で検討し、北海道内3000世帯の中都市に原子炉からのエネルギー供給システムの検討を実施した。可燃性毒物としてガドリウムとエルビアを酸化ウランに混入することにより、10年間燃料交換なしで運転できる炉心が構成できること、1℃/5kmの温度降下で長距離熱輸送が可能なこと、神経・知能系を取り付けた原子炉機器による予兆検知実験とその解析シミュレーションを実施し、ポンプ、バルブ、炉内機器の異常検知が可能であることを明らかにした。
著者
三寺 史夫 大島 慶一郎 中村 知裕 小野 数也 小埜 恒夫
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

オホーツク海から北太平洋にかけての中層温暖化の実態を明らかにするとともに、熱塩(中層)循環の力学過程とその変動メカニズムの解明、および、その基礎となる高密度陸棚水(DSW)生成過程の解明を目的とした。北西陸棚域で生成されるDSWはここ50年間で約0.1PSU減少し軽くなっており、これが26.8-27.0σ_θでは温暖化シグナルとして現れている。数値実験の結果、DSWの塩分は、気温の上昇(海氷生成量の減少)、降水量の増加、風応力の変動の影響を受けて変動することが示された。一方、低緯度の亜熱帯循環中層では逆に低温化が顕著である。これは、70年代半ば以降、亜寒帯循環が強化され、親潮を通した亜寒帯から亜熱帯への低温水流入量が増加したためである。
著者
野町 素己
出版者
北海道大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

本年度は、昨年まで行ってきた研究理論および研究材料の収集から、具体的な言語材料や言語研究を基にした記述・分析を行い、まとめる段階に入った。具体的には、主に(1)カシュブ語研究、(2)スロヴェニア語研究、(3)ブルゲンラシド・クロアチア語研究を行ったが、中でも広い意味での「所有文」からの派生構文としての「間接受動文」の類型的研究において成果を挙げた。当該構文の研究は、上記3言語において、これまで記述・分析が全く行われていなかった部分なので、個々の言語研究への貢献と同時に、スラヴ語類型論への貢献になったといえる。この成果は、3月末に行われるロシアおよびイギリスの国際学会で発表される。また、これまでの研究成果を踏まえて、新刊のロシア語文法書への書評論文(Russkijjazyk za rubezhom 210,No.5,pp.98-101)、アレクサンデル・ラブダによる未刊のカシュブ語文法の紹介と批評も行った(2009年1月10日の地域研究コンソーシアム次世代ワークショップにて)。その他、本研究の国際的な意義についても述べる必要がある。本年度の成果を出すにあたり交流を続けできた海外の研究者(アメリカ、デンマーク、ポーランド、オーストリア、セルビア、クロアチア、マケドニアなど)とともに、ICCEES(International Council for Central and East European Studies)の全国大会に向けて、パネル組織を視野に入れた共同研究を進めており、個人研究から国際共同研究という新たな段階に進んでいる。
著者
煎本 孝
出版者
北海道大学
雑誌
北海道大学文学研究科紀要 (ISSN:13460277)
巻号頁・発行日
vol.113, pp.左31-左64, 2004-07-30

北海道西南部のある小さな町で,2002年3月に,アイヌ文化伝承者として多くの人々から尊敬されていた一人のアイヌの長老が享年91歳で死去した。葬儀には長年とだえていたアイヌの伝統的儀式がとり入れられ,葬儀は仏式とアイヌ式の併用でとり行われた。 4日間に渡る葬儀は,1日目の自宅における小屋がけ,死装束・墓標・副葬品の製作,湯灌,アイヌ語によるカムイノミ(神々への祈り),2日目のカムイノミと死者への告辞,遺体の包装,町の生活センターへの移動,そこでの仏式葬儀と通夜,3日目の生活センターにおける僧侶による読経,弔辞,出棺,そして墓地におけるアイヌ式葬儀による埋葬,再び生活センターでの僧侶による法要,そして自宅近くの河原でのアイヌ式葬儀にもとづく小屋の焼却,自宅でのカムイノミ,そして4日目の自宅におけるカムイノミにより構成されていた。アイヌ式葬儀ではアイヌ語・アイヌ文化の研究者であり,かつそれらの数少ない伝承者となっている一人の和人が祭主となった。アイヌ語によるカムイノミ,葬儀の式次第が彼の指導のもとにアイヌと一緒にとり行われた。 この論文では,アイヌの死の儀礼の復興を広い意味での民族間の紛争とその解決の過程として捉え,人類学的視点から葬儀とそれをめぐるさまざまな語りの分析を行った。その結果,(1)アイヌ式葬儀の復興が民族的帰属性の実践として行われたこと,(2)紛争の解決に共生という理念が働いたこと,そして(3)民族的共生の形成のとって行為主体の役割りが重要であったこと,が明らかにされた。
著者
荒川 圭太
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

化石燃料の消費によって大気中に放出された硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)による酸性雨・酸性霧は地球規模の環境問題である。降雨などに混じる酸性物質(硫酸、硝酸など)が直接的もしくは間接的に植生や農作物の生産性・品質に少なからぬ影響を及ぼすことが懸念される。降雨の酸性化と同様に雪氷の酸性化(酸性雪)も徐々に進行している。酸性雪は冬期間かつ寒冷地域での気象現象であるため、酸性雨に比べてその関心度は低い。酸性雪は地表面に留まる時間が長いため、酸性雪に覆われた植物は、氷点下温度と酸性物質による複合的環境ストレスを長期間にわたって被ることになる。そのため、酸性雪は融雪後の植物の生長に影響を及ぼす環境要因のひとつと考えられるが、酸性雪による植物への影響やその応答性について検証した例は見ない。そこで本研究では、酸性雪によるストレスを実験室レベルでシミュレーションし、酸性雪による越冬性植物の傷害発生機構を解析して酸性雪耐性付与への分子基盤の構築を目指した。これまでに、越冬性作物である冬小麦を用い、酸性雪ストレスをシミュレーションする実験系を構築して酸性雪ストレスに対する冬小麦緑葉の応答性を調べてきた。その結果、酸性物質(硫酸)存在下で凍結融解処理することによって冬小麦緑葉の生存率が低下するのは、共存する硫酸が凍結濃縮されることによって生じるpH低下が主たる要因であることを明らかにした(Plant and Cell Physiology誌に掲載予定)。しかし、酸性雪ストレスによる越冬性作物の傷害発生の分子機構を詳細に解明するまでにはまだ至っていない。今後も当研究課題に関連した生理学的・生化学的解析を継続し、越冬性植物の分子育種による酸性雪耐性の付与や酸性雪耐性品種の選抜による生産性向上・植生回復などへ応用するための分子基盤の構築を試みる所存である。
著者
金子 勇 森岡 清志 園部 雅久 片桐 資津子 坂野 達郎
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

3年間の研究で大きくは2つのテーマの研究をした。一つは先進22カ国のうちフランスだけが合計特殊出生率の一貫した反転に成功したから、その要因をパリでの参与観察法で探求してきた。日本での応用可能性に絞ると、制度化された「公認保育ママ」、フランス人全体への政府の手厚い家族支援のうち特に権利として勝ち取られてきた子育て関連休暇制度、そしてフランスのCNAF、これは日本で長らく私が提唱してきた「子育て基金」と規模が類似していたから、この導入の検討が日本的な文脈でも有効である。国内では北海道伊達市と鹿児島市での少子社会調査を実施した。市民のソーシャル・キャピタルが相対的に貧困であれば、地域社会における子育て支援の輪が広がらない。さらに、ソーシャル・キャピタル調査結果と自由意識の側面を表すいくつかのデータを組み合わせたら、「自由意識」よりも「伝統意識」と高い合計特殊出生率とが正相関した。まとめると、日本都市においては、ソーシャル・キャピタルに恵まれ、伝統意識が強い都市に合計特殊出生率が高く、それが乏しく自由意識が強い都市では少子化が進む傾向にあると主張できる。
著者
山本 文彦
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

本研究は、近世ドイツにおける帝国郵便と領邦郵便の制度的発展およびその両者の協力関係を明らかにするとともに、郵便がこの当時の最も重要なコミュニケーションツールであり、郵便の発展は、舗装道路を始め、郵便路線図や郵便時刻表の普及をもたらしたことを明らかにした。また郵便の発展は、時間意識と空間意識の変化に大きく貢献し、中世的な時間・空間意識から近代的な時間・空間意識へと変化をもたらす重要なきっかけとなった。
著者
工藤 勲
出版者
北海道大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1997

ホタテガイの中腸腺は、肥料・飼料としての有効利用の可能性があるにもかかわらず、カドミウムが高濃度に含まれていることが問題となっている。そこで、本研究では、ホタテガイに濃縮されるカドミウムを例にとり、魚介類に濃縮される金属の濃縮機構を解明することを目的とした。調査は、前年に引き続き北海道噴火湾森沖のホタテ養殖施設内と養殖の行われていない湾中央部の定点において5月から11月にかけて計10回の調査を行った。毎回、水温、塩分、栄養塩、基礎生産量、懸濁態有機炭素・窒素、植物プランクトン量とカドミウム含量、それとホタテ一年貝の成長速度、中腸腺量とそのカドミウム含量を測定した。【結果】ホタテガイの餌となる植物プランクトン現存量は、5月から8月にかけて横ばいであったが、プランクトン中のカドミウム含量は、8月に他の3倍程度と高濃度を示し、その後減少した。ホタテ1年貝の成長速度は、平均で0.35g/月でほぼ直線的に重量は増加した。殻長もほぼ同様に増加した。中腸腺中のカドミウムは今回の測定値とこれまでの報告値を総合すると春から夏にかけ増加し、その後、冬にかけ減少する傾向がある。これらは、ホタテガイが餌として主に植物プランクトンなどの懸濁態有機物を摂取していることを考えあわせると調和的な結果である。植物プランクトン中のカドミウム含量の変化の原因について、これまでの知見より、噴火湾では、植物プランクトンの種組成が、春から夏にかけて珪藻類から渦べん毛藻類へ遷移することが知られており、この植物プランクトン種の変化がホタテ中腸腺中へのカドミウムの蓄積に影響を与えている可能性が示唆された。また、海水中のカドミウムの濃度は、他の海域と比較して特に汚染されているわけではなく、また春から夏にかけて減少傾向にあるため海水中の濃度がこの濃縮に与えている影響は少ないと考えられる。
著者
加藤 重広
出版者
北海道大学
雑誌
北海道大学文学研究科紀要 (ISSN:13460277)
巻号頁・発行日
vol.122, pp.97-155, 2007-07-10
著者
樋口 麻里
出版者
北海道大学
雑誌
北海道大学文学研究院紀要 (ISSN:24349771)
巻号頁・発行日
vol.167, pp.31-74, 2022-07-19

身体的または精神的な脆弱性が相対的に大きく労働が困難な人々は,いかにして「社会に必要な成員」として承認されるのか。本稿は,これらの人々に対するケアの保証を主張するエヴァ・F・キテイのケアの倫理を足掛かりに,精神障がいのある人(以下,精神障がい者とする)にケアを提供する専門職スタッフの経験的データの分析から,この問いへの回答を試みる。ケアの倫理は,身体的または精神的な脆弱性を依存の発生源とみなし,脆弱性に留まる人には他者に「お返し」をする能力がないと捉える。そのため,労働が困難なほどの脆弱性をもつ依存者は,ケアの一方的な受け手と位置づけられる。他方,依存者からの「お返し」に焦点を当てた,実証的研究は十分に行われていない。そこで本稿では,労働が困難で様々な社会関係を喪失している精神障がい者へのケアを行う,フランスの専門職スタッフへのインタビュー調査とケア現場の参与観察調査のラウンデッド・セオリー・アプローチ(GTA)による分析から,ケアの実践を明らかにすることで,依存者から依存労働者に対する「お返し」の有無を考察する。分析の結果,スタッフは本稿で「ユマニテ」と名づける,社会の規範や制度を反省的に捉え直す哲学をケアのお返しとして,精神障がい者から受け取っていた。ユマニテを受け取ることで,スタッフは精神障がい者が社会的に排除される現状に疑問を持ち,社会の全体的な統合には脆弱性をもつ人々の社会的連帯への参加が不可欠であると認識していた。以上から,脆弱性をもつ人々が社会に必要な成員として承認される可能性として,ユマニテの社会への提供が示唆された。