著者
佐藤 芳彰
出版者
北海道大学
雑誌
經濟學研究 (ISSN:04516265)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.199-215, 2003-12-16

我が国を代表する小売企業であるイトーヨーカ堂が、1990 年代初めに実施した各種の改革に焦点を当て、それらを組織学習という知識活動の視点から分析した。1990 年代、当社では、情報システムが変更されPOS(販売時点情報管理)データを活用した単品管理が本格的に始まっている。同時期、チームマーチャンダイジング(チームMD)と言われる、メーカーや問屋との組織を横断したプロジェクトチームによる活動も、衣料品において本格的に始まっている。これは、小売業が主導的な役割を演じながらメーカーとともに新商品を共同開発するものである。チームMD に関連して、組織構造の変革が行なわれ、バイヤーの役割が明確化され、仕入れ体制が大きく変化している。また、完全買い取り制が始まり取引先との関係が変化している。これは、リスクマーケティングと呼ばれた。これらの一連の改革は、商品計画に関連するもので、小売マーケティングの核心的部分である。これらを詳細に検討するとともに、単品管理に関連しては組織学習の視点から、また、チームMD に関連しては組織間学習の視点から、知識活動としてのインプリケーションを明らかにした。
著者
田中 愼一
出版者
北海道大学
雑誌
經濟學研究 (ISSN:04516265)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.9-18, 2005-03-10

近代日本の人傑をとらえ、これを論評するのは容易であるはずはないだろう。高尚偉大なる人物にして且つ文筆家であれば、その一代の文業に精通することが期待されるだけに、余計そうなるであろう。1984 年制定の五千円札以来にわかに族生の感ある新渡戸稲造研究家、その一員に達していない私としては、いわゆる群盲象を評す、にとどまることを危惧しつつ書いたのがこの小論である。焦点は新渡戸稲造の朝鮮(韓国)観、それが年代を経るなかでどのように推移していったのか、を追跡しようとした。しかも、関連する事柄で興味が湧いた際には、追求していく本来の大通りから、時には註をステップ台にして横町へ飛び込み、場合によってはさらに横町から左右の細い路地を覗き込みながらあわただしく出入りしたかのごとき叙述もしたのであった。文化的架橋者たらんことを使命にしていたとおぼしき新渡戸稲造は、その生きた多端な時代の運命をよく担っていた方なのではないか、というのが私の擱筆感の一つである。
著者
兒玉 裕二 石川 信敬
出版者
北海道大学
雑誌
低温科学. 物理篇 (ISSN:04393538)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.41-51, 1993-03
被引用文献数
1

融雪に寄与する熱源としての重要な要素である短波長放射の特徴について,1988年1月1日から消雪日の4月3日まで,北海道大学低温科学研究所裏の気象観測露場で観測を行い,以下の結果を得た。 1) 全アドベドは,積雪期には融雪と新降雪によって 0.7-0.9 で推移し,融雪期には新降雪の日を除いて徐々に減少し,消雪日には 0.2まで下がった。 2) 近赤外領域の反射率は,可視領域のそれよりも 10-20%小さく,消雪後はその関係が逆転した。 3) 日射に対する可視と赤外領域の割合は50%ずつであった。 4) 全反射に対する可視領域の割合は55%,近赤外領域の割合は45%であった。 5) 晴天指数が減少すると日射に対する近赤外領域の割合が減少した。 6) 融雪期において,朝夕の全アドベド,可視や近赤外領域の反射率は日中のそれよりも大きくなる傾向が認められた。融雪期前には,このような傾向はあまり強くなかった。
著者
須田 勝彦 岡野 勉 大竹 政美 大野 栄三
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

本研究は、日本の公教育の成立・形成期(国定教科書成立以前)における数学(算術)、自然科学関係の教科書を検討し、その中で「基礎・基本」がどのように構想されていたのかを明らかにし、今日の教育課程・教育内容編成の問題に有効な指針として生かし得る視点を抽出することを目的とした。数学教育では分数の概念に焦点をあて、次のような知見を得た。(1)分数指導は、初期においては複数学年にわたる指導内容の分配(分断)がなく、導入から乗除まで一貫した連続指導を進める構成であり、形成期に様々な形での分散方式への移行がなされた。この過程の検討は、現行カリキュラムにおける根拠のない分散への批判的検討の素材として重要である。(2)分数の定義に関して、現行と同様の等分割と整数倍によるものばかりではなく、指導の早期にその定義と併せて、商の表現としての分数という定義も導入し、両者の同等性を説明する試みも少なくない。後者は現在の分数指導過程の構成に生かし得る。(3)演算の指導に関して、整数の乗法との連続性・同一性を懇切に説明する教科書も多い。演算の遂行方法の指導に偏りがちな指導方法への批判の視点として重要である。自然科学関係では、近年の中学校・高校における物理分野の教育内容編成の問題点を検討し、明治期中学校物理教科書から読み取れる教育内容編成のあり方と比較した。現在の中学校学習指導要領理科とほぼ同様の教育内容の編成が明治期の中学校物理教科書の一部でも採用されている。しかし、詳細に見ると音の学習の位置づけにちがいがあり、明治期教科書における系統性の方が豊かな音の学習を展開できる可能性がある。さらに読本教科書においても、科学教育の一環を担いうるテーマが多く登場しており、それを位置づけうる教科を越えた理論的カテゴリーの構築の重要性が示された。
著者
瀬川 高央
出版者
北海道大学
雑誌
經濟學研究 (ISSN:04516265)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.167-181, 2008-12-11

本稿の目的は,1983年のウィリアムズバーグ・サミットで,中曽根康弘政権が,米ソの中距離核戦力(INF)削減交渉に対し,極東配備のSS-20も交渉対象にすべきだとする立場を貫徹することで,ソ連による日米欧離間を封じていく過程を,日米外交資料の分析から解明することである。本稿は全5節で構成される。1節では,SS-20配備に対する西欧と極東の戦略状況の相違を明確にする。2節では鈴木善幸政権から中曽根政権にかけてSS-20問題での対外交渉姿勢の変化を検討する。3節と4節では,レーガンのゼロ・オプションが危機に直面したことを受け,日本が西側結束に向けて展開した秘密交渉について分析する。5節では大韓機撃墜事件により,東西緊張が再燃する中で,日米欧関係が強化されていく過程を考察する。最後に結語では,中曽根による西側決裂回避という成果を,首相のパフォーマンス外交ではなく,SS-20極東移転やINF暫定案の浮上という外生要因に対して,外相・事務方が行った対外交渉の結果として位置づけ直す。その上で,INF問題に対する中曽根政権の取り組みを契機として,日本の外交的地平が西側全体に拡大したことを論証する。
著者
小口 八郎
出版者
北海道大学
雑誌
低温科學
巻号頁・発行日
vol.6, pp.117-123, 1951-03-31
被引用文献数
1
著者
小口 八郎
出版者
北海道大学
雑誌
低温科學
巻号頁・発行日
vol.6, pp.95-101, 1951-03-31
被引用文献数
2
著者
小口 八郎
出版者
北海道大学
雑誌
低温科學
巻号頁・発行日
vol.6, pp.103-115, 1951-03-31
被引用文献数
1
著者
喜田 宏 河岡 義裕 岡崎 克則 伊藤 寿啓 小野 悦郎 清水 悠紀臣
出版者
北海道大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1991

我々は鳥類,動物および人のインフルエンザウイルスの生態を研究し,得られた成績に基づいて,1968年に人の間に出現した新型インフルエンザウイルスA/HongKong/68(H3N2)株のヘマグルチニン(HA)遺伝子の導入経路を推定し,提案した。すなわち,渡り鴨の間で継持されているH3インフルエンザウイルスが中国南部で家鴨に伝播し,さらにこれが豚に感染した。豚の呼吸器にはそれまでの人の流行株でうるアジア型(H2N2)ウイルスも同時に感染し,両ウイルスの間で遺伝子再集合が起こって,A/HongKong/68株が誕生したものと結論した。今後もこのような機序による新型ウイルスの出現が予想されるので,渡り鴨と豚のインフルエンザの疫学調査と感染実験を継続することによって,新型ウイルスを予測する研究を計画した。インフルエンザウイルスの供給源として,北方から飛来する渡り水禽および中国南部の家禽集団が考えられて来た。毎年,秋に飛来する渡り鴨からウイルスが高率に分離され,春に北方に帰る鴨からはほとんど運離されないことから,北方圏の鴨の営巣地が一次のウイルス遺伝子の貯蔵庫であると推定した。そこで,本学術調査では1991年および1992年の夏に,米国アラスカ州内の異なる地域で水禽の糞便を収集し,これからウイルスの分離を試みた。マガモとオナガガモ計1913,カナダガン1646,白鳥6,シギクおよびカモメ7合計2579の糞便材料から75株のインフルエンザウイルスおよび82株のパラミクンウイルスを分離した。インフルエンザウイルスはほとんどがアラスカ中央部ユコン平原の湖に営巣する鴨の糞便材料から分離されたが,南部のアンカレジ周辺や北部の材料からの分離率は極めて低かった。分離されたインフルエンザウイルスの抗原亜型はH3N8が14,H4N6が47,H8N2が1,H10N2が1,H10N7が11およびH10N9が1株であった。抗原亜型およびウイルスの分離率は,糞便材料を収集した鴨の営巣地点によって異なっていた。1992年には湖沼水からのウイルス分離をも試み,鴨の糞便から得られたものと同じH4N6ウイルスがそれぞれ2つの異なる湖の水から分離された。鴨の営巣地でその糞便から分離された14株のH3インフルエンザウイルスのHAの抗原性をモノクローナル抗体パネルを用いて詳細に解析した結果,A/HongKong/68ならびにアジアで鴨,家鴨および豚から分離されたH3ウイルスのHAと極く近縁であることが判明した。この成績は水禽の間で継持されているインフルエンザウイルスの抗原性が長年にわたって保存されているとの先の我々の見解を支持する。以上のように,鴨が夏にアラスカの営巣地でインフルエンザウイルスを高率に保有しており,湖水中にも活性ウイルスが存在することが明らかとなった。従って,北方の鴨の営巣地が一次のインフルエンザウイルス遺伝子の貯蔵庫であるとの推定が支持された。秋に鴨が渡りに飛び発つ前に,糞便と共に湖沼中に排泄されたウイルスは冬期間,凍結した湖水中に保存され,春に帰巣する鴨がこれを経口摂取して感染し増殖することを繰り返して存続して来たのであろう。秋,冬および春に一定の鴨の営巣地点で水,氷および凍土を検索することによって,自然界におけるウイルスの存続のメカニズムならびに遺伝子進化を知ることができるであろう。水禽の糞便から分離されたパラミクンウイルス82株のうち81株はニユーカッスル病ウイルス(NDV)であった。これらNDVのHNおよびF糖蛋白の抗原性をモノクローナル抗体パネルを用いて詳細に解析した結果,ワクチン株と異なるものが優勢であった。水禽の間に高率に分布しているNDVが家禽に導入される可能性が考えられるので,渡り鴨の糞便から分離されるNDVの抗原性ならびに鴨に対する病原性を継続して調査する必要があろう。
著者
繁富 香織 岩瀬 英治 尾上 弘晃
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

1) 微細加工技術を用いて細胞の足場となるマイクロプレートを作製し細胞を折り紙のように折ることで、3次元立体を作製する手法を確立した。2) マイクロプレートに磁性体を埋め込み磁場をかけることで、細胞の形状変化を可能とするアクティブデバイスを作製した。3)幹細胞を立体的に培養しすると骨に分化しやすいことがわかった。4) NIH/3T3とHepG2を立体的に共培養することで、平面状に共培養するより、HepG2のアルブミンの生成が増えることがわかった。5) NIH/3T3を培養した後に、折り畳み展開を繰り返すことで、細胞内のアクチンの配向に影響を及ぼすことがわかった。
著者
近藤 英司 安田 和則 近江谷 克裕 北村 信人
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

(目的)自家移植腱マトリクスを内在性線維芽細胞・基質複合体で被覆することにより腱マトリクス再構築に与える効果を明らかにすること。(方法)成羊40頭を2群に分けた。I群は前十字靱帯を切除し、自家半腱様筋腱を移植した。II群では内在性線維芽細胞・基質複合体で移植腱を被覆した。術後4および12週にて屠殺し、力学的・組織学的評価を行った。(結果と考察)膝安定性は、II群がI群に比べて有意に低値を示した。断面積はII群が有意に高値であった。固有知覚受容器および血管数は、II群がI群より有意に高値を示した。本研究は、内在性線維芽細胞・基質複合体による被覆が移植腱の再構築過程を促進させる可能性を示唆した。
著者
鹿島 美里
出版者
北海道大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

山東京伝の有力な後援者の一人であった松前藩主松前道広の弟、松前文京(俳号泰郷)の俳諧活動を調査・分析し、その俳諧活動を明らかにした。文京(俳号泰郷)は江戸座俳諧宗匠存義を師とし、弟の松前武広(俳号李井)とともに、大名子弟の俳人柳沢米翁・本多清秋・松平雪川・酒井抱一らと俳諧交友を行っていたことを解明した。これによって文京の江戸座俳諧活動が明らかとなり、山東京伝の係わった江戸文化圏の一端を解明することができた。
著者
西井 準治
出版者
北海道大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2013-04-01

大気圧コロナ放電によるリン酸塩ガラス中へのプロトンの導入に挑戦した。耐候性に優れたNa2O-Nb2O5-P2O5系ガラスを溶融法によって作製し、0.5mm厚に研磨した後に、400℃の水素雰囲気中でコロナ放電処理を行った。約50時間の処理を継続したところ、0.5mm厚全域が変質することを見出した。しかしながら、初期含有量の50%のNa+がガラス中に残留した。原因はNb5+の一部がNb4+に還元され、電子伝導が優先したためである。よって、還元されにくい元素で構成される組成の開発が必要であることが分かった。
著者
福田 宏
出版者
北海道大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

1年目となる19年度においては,オーストリアとチェコにおけるオリエンタリズムの比較を行った。その素材として着目したのが,戦間期にヨーロッパ運動の担い手として活躍したチェコ地域出身の貴族,リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとカール・アントン・ロアンの2人である。両者はヨーロッパ統合史のなかで重要な意義を持つ人物であるが,私は,彼らのヨーロッパ意識とその裏返しとしてのオリエント意識に注目し,オーストリアとチェコにおける「非ヨーロッパ」への眼差しを抽出する作業を行った。この点に関しては,東欧史研究会などで口頭報告を行い,既に論文を投稿しているが,今年度中に公にするには至らなかった。本報告書で挙げた2つの業績は,この作業の副産物と言えるものであるが,メインの成果ではない。今年度の反省点である。なお,私は19年2月より在スロヴァキア大使館の専門調査員に採用されたため,本研究は18年度で終了し,19年度と20年度については廃止せざるを得なくなった。私が若手研究(B)を途中でキャンセルするのはこれが2回目である。前回(課題番号14720059,H14〜16)の場合は,北海道大学法学部助手の任期が途中で切れたため,今回については,同大学スラブ研究センター助手の任期が18年度で切れたため,である。今回については,同機関で無給のポストを得,科研を継続できる見込みはあったが,生活が成り立たなくてはそもそも研究はできない。痛恨の極みである。無給のポストでも科研費を得られるという現在の制度については,多くの若手研究者が高く評価しているが,アルバイトなどで生活の糧を得ながら研究を遂行するには多くの困難が伴うのも事実である。今後は,科研費の「中断」などを可能にするなど,一層の柔軟な運用をお願いする次第である。