著者
数野 千恵子 織田 佐知子 江端 恵加 松本 雄大 樋口 直樹
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.21, pp.2097, 2009

<BR>【目的】近年、多種類のミネラルウォーターが市販されているが、その硬度は軟水から硬水まで様々である。これらミネラルウォーターは飲料水の他に、お茶やコーヒー等の嗜好品や調理にも幅広く使用されている。そこで、煎茶とほうじ茶について硬度の異なるミネラルウォーターで調製したお茶が味覚に与える影響を官能検査と、カテキン類、メチルキサンチン類およびアミノ酸類含有量から比較検討した。<BR>【方法】1)試料および試料水:市販の煎茶および焙じ茶について、高純度水製造装置で調製したRO水(硬度:0)の他に硬度:30、58、94、307、700、1468の市販製品を用いて調査した。2)抽出方法:煎茶は80℃に熱した水に茶葉を入れ、篩でろ過した。ほうじ茶は沸騰水に茶葉を入れ、篩でろ過した。3)官能検査:各試料水でお茶を入れ、おいしいと感じた順位を調査した。また、各々のお茶についての香り、色、渋み、甘み、うまみ、飲み易さも併せて調査した。4)カテキン類及びメチルキサンチン類の測定:HPLCにより分析した。5)遊離アミノ酸類の測定:アミノ酸分析システムを用いた。<BR>【結果】煎茶では、カテキン類およびメチルキサンチン類は比較的硬度の低い製品が多く抽出された。テアニンは硬度の差より製品による差の方が大きかった。ほうじ茶は煎茶に比較してカテキン類やアミノ酸の含有量が少ないために、味にほとんど関与していないと思われる。官能検査結果より、煎茶、ほうじ茶ともに、硬度が30~100程度の水で抽出したものが好まれた。煎茶やほうじ茶は硬度が30~100程度のいわゆる軟水を使用したほうがおいしいという結果が得られた。
著者
武久 堅
出版者
関西学院大学
雑誌
日本文藝研究 (ISSN:02869136)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.1-22, 2008-03-10
著者
吉田 喜久子
出版者
河原学園 人間環境大学
雑誌
人間と環境 (ISSN:21858365)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.143-162, 2011

日本は、規模、頻度、種類のいずれにおいても、世界でも突出した自然災害大国であるが、本年三月の東日本大震災が、人類が経験した過去の自然災害と異なるのは、自然災害に加えて、原子力発電所の損壊と放射能汚染も起こったというところにある。この震災を機に私達が考えなくてはならないのは、単に原発維持か原発廃止かというレヴェルの問題だけではない。より根本的な問題があり、それは、科学技術というものをどのように考えるかという問題であって、この問題は、人は自然といかに関わるかという問題と切り離せない。現代の科学技術文明の根底にある西洋的自然観は、少なくとも西洋文明導入以前の日本人の自然観とは非常に異質なものであったし、西洋的自然観は、現代においてもなお、日本人にとって必ずしも自明な自然観ではない。このことの中に、今回の問題を根本的に考える際の、一つの手掛かりがあるのではないだろうか。
著者
村瀬 敬子
出版者
佛教大学
雑誌
社会学部論集 (ISSN:09189424)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.1-19, 2010-09-01

戦前・戦時期において国民教化メディアであったラジオは,女性の社会教育を目的とした「婦人・家庭向け」の番組を放送していた。本稿では「婦人・家庭向け」の番組のうち,料理放送に注目し,1930年代を中心に,ラジオが視聴者としての女性,なかでも「主婦」とどのような関係をとり結んでいったのかを明らかにした。「料理献立」は都市部に居住する一定以上の階層の「主婦」に向けて,料理の調理法をほぼ毎日,放送する番組であった。番組には栄養や味や家計等に配慮して,毎日異なる副食を家族に提供すべきだとする近代的な家事規範が織りこまれており,その背景には料理を「教養」としてとらえる文化があったといえる。一方で聴取者調査や番組にかかわる言説の分析からは,「料理献立」が,近代的な主婦へと女性を「統合」するだけでなく,階層や地域などの差を顕在化させる,いわば「分断」の契機をもはらんでいたことがわかった。それにも関わらず,日々の料理放送が1941年まで継続した背景を,戦時期における「栄養」と「団攣」という観点から考察した。
著者
渡邉 雅子 WATANABE Masako Ema
出版者
名古屋大学大学院教育発達科学研究科
雑誌
名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要. 教育科学 (ISSN:13460307)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.1-13, 2011

Using a structural comparison of the dissertation and the essay (French and American academic writing), this paper attempts to clarify the differences in thought and written expression of these writing structures in the two countries, examining the societal and cultural background that has influenced both styles of writing. In contrast to the dissertation, which has a dialectical three-stage structure of thesis-antithesissynthesis, the essay focuses on the thesis, the author's claims, and supporting evidence. The essay in its simplified structure is likened to the "arrow shot at the target" in a straight line, whereas the dissertation is more of a "bird's eye view" depicting the largest possible structural outline for the theme and the integrating of opposing viewpoints. The two styles clearly have contrasting features, for the essay places importance on creating a firm link between the claim and the grounds, while the dissertation accepts the complexity of the theme and attempts mostly to describe the full picture. The elimination of the antithesis and synthesis from American academic writing is relatively recent, tracing back to the 1960s, when American higher education became rapidly popularized. It was created from the necessity to have a form of academic wiring that could be easily written by students from diverse socio-economic backgrounds. The American style of essay is designed to work well in a popular democracy. By contrast, the dissertation was introduced at the end of the 19th century as a symbol of the new society and education after the French Revolution. With the arrival of the dissertation, it can be said that the traditional education of France in the classical languages and rhetoric was transformed into a discipline that makes use of dialectics to build up a robust form of personal thought. However, the intellectual tradition descended from Greek and Roman thought remains in the dialectical structure of the dissertation and in the common culture of French literature and philosophy. The French dissertation presupposes that the educated are the successors of the ancients, their raison d'étre based on a cultural superiority inherent in the classics, the knowledge of which inspires a method of thinking that necessitates a comprehensive viewpoint integrating opposing views. The dissertation, then, is the written embodiment of this pedagogical, philosophical perspective. I suggest that this way of thinking could offer a counterpoint to globalism, which imposes a uniform set of rules and viewpoints on everyone.
著者
畑 明郎
出版者
環境社会学会
雑誌
環境社会学研究
巻号頁・発行日
vol.6, pp.39-54, 2000

<p>イタイイタイ病は日本の公害病認定第一号であり,イタイイタイ病裁判は四大公害裁判の先頭を切って被害住民原告が勝訴した裁判である。その意味では現代日本の公害問題の原点であり,近代日本の鉱害の原点とされる足尾鉱毒事件に匹敵する公害事件と言える。</p><p>本稿は,江戸時代以降の300年以上に及ぶ鉱公害の歴史,イタイイタイ病の原因物質であるカドミウムを排出した三井金属・神岡鉱山の約120年に及ぶ歴史,イタイイタイ病発見後の約40年に及ぶ被害者運動の歴史,イタイイタイ病裁判後の約30年に及ぶ公害防止対策などを,加害と被害の社会過程に焦点を当てて歴史的に概括して,20世紀日本の典型公害の一つであるイタイイタイ病問題の教訓を明らかにする。</p><p>また,イタイイタイ病の公害病認定30周年を記念して,「イタイイタイ病とカドミウム環境汚染対策に関する国際シンポジウム」が1998年に富山市で開催され,カドミウム汚染の世界的な広がりを明らかにしたが,食糧庁による1997〜98年産米の全国調査では,秋田県,新潟県,宮城県などで1ppm以上のカドミウム汚染米が多数発見され,イタイイタイ病は過去の公害病ではなく,カドミウム汚染問題が未解決であることを示す。</p>
著者
永橋 為介 土肥 真人
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.213-216, 1996-03-29
被引用文献数
2 4

わが国でも都心部の公園は野宿者の生活場所として利用されており, 公園管理者との間に摩擦を生じている。本稿は, この事例として大阪市天王寺公園を取り上げ, 都心部における野宿者と都市公園管理に関わる問題を整理, 把握し検討することを目的とした。同公園に関する野宿者への聞き取り調査を実施し, 同公園の野宿者に関する管理方法を公文書, 新聞などから概観し, 1990年の有料化が野宿者排除に与えた影響を考察した。その結果, 同公園の管理方法は野宿者問題と公園を切り離すことには成功したが, 排除された野宿者は外周柵の外に多く存在し, 依然として同公園周辺地域の問題として現存していることが明らかになった。
著者
金 博男
出版者
日本時間学会
雑誌
時間学研究 (ISSN:18820093)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.39-57, 2019

近代中国における「日曜日」の受容に関しては、これまで文学や歴史学、社会学などの分野において研究が進められてきた。しかしながら、それらの先行研究の大多数は、民国期に重点が置かれたものであり、清末期における「日曜日」の受容についての考察は十分とは言えない。本稿は、清末における一週七日制の名称を検討した上で、清末の新聞『申報』の記事を中心に、休息、娯楽、および犯罪事件といった三つの観点から清末における「日曜日」の受容を考察するものである。