著者
田島 明子 阿部 邦彦
雑誌
リハビリテーション科学ジャーナル = Journal of Rehabilitation Sciences Seirei Christopher University
巻号頁・発行日
vol.10, pp.37-45, 2015-03-31

本研究では作業療法の実践理論や評価方法とパーソンセンタードケア(PCC)と認知症ケアマッピング(DCM)の比較検討を通して,作業療法におけるPCC,DCM の適用可能性について考察した.作業療法の実践理論と評価方法については人間作業モデル(MOHO)と運動とプロセス技能の評価(AMPS)を採用した.① MOHO とPCC は,「対象」「個人の意志」「自己の同一性」「能力への着目」「人間理解の方法」「倫理的観点」に着眼し,② AMPS とDCM は,「対象」「目的」「評価内容」「評価ポイント」「活用者」「活用方法」に着眼して比較検討した.本研究の結果,①については,「個人の意志」をMOHO は個人の文脈を重視する一方でPCC は心理的ニーズをあらかじめ想定していること,「社会倫理的観点」をMOHO は持たないがPCC は持っている等の相違点が明らかになった.②については,特に「活用方法」について,AMPS では作業遂行能力の向上のための客観的エビデンスとして活用できるのに対し,DCM はPCC の視点に基づいてケアスタッフ間で合意したエビデンスを活用できる特性の違いが見出された. In this study, we discussed the applicability of person-centred care (PCC) and dementia care mapping (DCM) in occupational therapy by comparing the theory of occupational therapy and its method of evaluation with PCC and DCM. We adopted the Model of Human Occupation (MOHO) as the theory of occupational therapy practice, and used the Assessment of Motor and Process Skills (AMPS) for the evaluation. 1) MOHO and PCC focused on "object," "individual will," "self- identity," "client's ability," "human understanding," and "ethics." 2) AMPS and DCM focused on "object," "purpose," "evaluation contents," "evaluation score," "user," and "utilization." Comparison of results of MOHO and PCC showed that MOHO emphasizes the individual context while PCC pre-supposes the psychological needs of the individual and includes "social and ethical viewpoints", while MOHO does not. Results of comparison of AMPS and DCM indicated that AMPS was able to employ "utilization" as objective evidence for the improvement in occupational ability, while DCM was able to use the evidence agreed upon among staff, based on PCC viewpoints.
著者
野口 康彦
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.105-113, 2009

本稿の目的は、大学生におけるデートDVと共依存の関係性について検討するものである。デートDVにおいては、共依存傾向の高い人ほど、その中でも特に女性は、DV被害に遭う可能性が高いのではないのだろうかと考えた。ある私立大学の福祉系学科の大学生に対して質問紙による調査を行い、61名の有効回答を得た。結果として、共依存傾向の高い人ほど、デートのときにパートナーからDVを受けている傾向があることがわかった。さらに、男女別で分けた場合、女性の方がパートナーから暴力的な言動や行為を受けやすいことが明らかになった。
著者
桑野 栄治
出版者
久留米大学
雑誌
久留米大学文学部紀要. 国際文化学科編 (ISSN:09188983)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.105-143, 2007-03

本稿は一六世紀前半の朝鮮中宗代に時期を限定し、毎年正朝・冬至・聖節・千秋節に王宮の正殿にて明帝を遥拝する望闕礼、ならびに異域からの使者が集う朝賀礼と会礼宴の実施状況について、官撰史料を中心に整理・分析したものである。クーデタにより即位した中宗は功臣会盟祭を優先するなど、かならずしも忠実に宮中儀礼を実施していない。三浦の乱の鎮圧後、靖国功臣と非功臣勢力という政治上の対立構図が瓦解すると、中宗一一年には倭人と野人を朝賀礼のみならず朔望の朝会にも随班させることが決定する。儒者官僚による成宗代への復古主義であり、倭人と野人を四夷からの「朝貢分子」とみなす華夷意識の表出でもあった。凶年と天災により控えられてきた貞顕王后のための豊呈の儀も翌年正朝に復活し、己卯士禍が発生する中宗一四年までは望闕礼→朝賀礼→豊呈とつづく正朝・冬至の宮中儀礼がほぼ定例どおり実施された。一方、中宗二三年冬至には王世子の望闕礼随班が実現し、ひきっづき王世子は百官を率いて朝賀礼を主宰した。朝賀礼の場には「日本国王使」 一鶚東堂も随班しており、王世子は「朝貢分子」の前で王位継承権者としての役割をつつがなく果たす。僞使は華夷意識から抜けだせない朝鮮側と、その事情を熟知して貿易の権益を求める対馬側の、相互のバランスのうえに成立していた。総じて、中宗が名節の対明遥拝儀礼を忠実に実施していたとはいいがたい。中宗二〇年の聖節を前に司憲府は近年の権停礼を非難し、中宗三四年の千秋節には中宗がこれまで聖節の望闕礼を権停礼により実施していたことを告白している。朝賀礼は権停礼による実施がなかば慣例化し、天災にともなう財政事情により会礼宴も激減した。むしろ前代の燕山君は望闕礼と朝賀礼に積極的であり、朝鮮初期の礼と法を確立した父王成宗はもっとも忠実に名節の宮中儀礼を実施したことがあらためて浮きぼりとなった。
著者
東野 篤子
出版者
慶應義塾大学法学研究会
雑誌
法学研究 (ISSN:03890538)
巻号頁・発行日
vol.82, no.5, pp.47-77, 2009-05

はじめに一 理論的枠組み(1)セキュリタイゼーション・アプローチの概要(2)他の理論的アプローチとの比較(3)セキュリティタイゼーション・アプローチの評価二 EU拡大と安全保障ディスコース(1)EU東方拡大の実証研究におけるセキュリタイゼーション・アプローチの有用性(2)EU東方拡大プロセスの諸段階と安全保障ディスコースおわりに
著者
川﨑 瑞穂
出版者
国立音楽大学
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.109-120, 2013-03

「構造主義の父」とされるフランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)は、神話研究の領域で殊に優れた業績を遺したが、主著『野生の思考』(1962年)は、構造人類学の重要な出発点となっている。『野生の思考』の第1章「具体の科学」は、芸術について研究する上でも非常に示唆的である。特にそこで提示される「器用仕事(ブリコラージュ)」としての「野生の思考」は、現代においてもなお、多くの芸術作品に見出すことができるように思われる。 本稿ではその一例として、1996年に発売されて大ブームとなったテレビゲーム『サクラ大戦』の分析を行った。特に楽曲分析を中心にして、『サクラ大戦』にブリコラージュ的手法が用いられていることを示し、現在のような「非真正な社会」においてもなお、芸術の分野には神話的思考の残滓が存在することを明らかにした。 第1章「『サクラ大戦』の歴史とその器用仕事(ブリコラージュ)的手法」では、『サクラ大戦』の歴史を概観し、3つの先行研究について述べた。そして、山田利博の論文「テレビゲーム『サクラ大戦』の文学性」(『宮崎大学教育文化学部紀要』)において提示される「引用の織物」としての『サクラ大戦』の特徴が、ブリコラージュとして読み替えうる可能性について述べた。 第2章「『サクラ大戦』の楽曲《さくら》にみる器用仕事(ブリコラージュ)的手法」では、その顕著な例として、『サクラ大戦』の中の楽曲《さくら》(1996年)を分析した。分析の結果、この楽曲は、滝廉太郎の歌曲集《四季》の第1曲〈花〉(1900年)を土台にして、そこに《さくらさくら》(筝曲)を挿入することで「桜」を表象していることが明らかになった。 しかし、このような手法は「コラージュ」にすぎないという反論は十分可能である。ブリコラージュは、集められた断片の固有の多義性を保ちつつ創造活動を行なうものであるわけであるが、『サクラ大戦』には、このようなブリコラージュ独自の特性を顕著に示す要素もある。それは『サクラ大戦』という題名である。 第3章「『サクラ大戦』と宝塚歌劇団--《花咲く乙女》と《すみれの花咲く頃》」では、『サクラ大戦』という名称における「桜」の意味を考究した。まず『サクラ大戦』全体に散見される「宝塚へのあこがれ」について概観したが、そこでは特に『サクラ大戦』のエンディングテーマソング《花咲く乙女》と、宝塚歌劇団の《すみれの花咲く頃》の比較分析を行なった。そして次に、『サクラ大戦』と同じく宝塚歌劇団を目指した松竹歌劇団について概観した。なぜなら松竹歌劇団の主題歌は《桜咲く国》という「桜」を主題にした楽曲だからである。そこから、宝塚歌劇団と帝国歌劇団(『サクラ大戦』)との関係は、宝塚歌劇団と松竹歌劇団との隠喩的関係にあるという仮説を提示した。 そして第4章「結論と展望」では、『サクラ大戦』におけるトーテム的分類の論理を考究する必要性を述べた。
著者
巽 俊彰 後藤 正和
出版者
日本万国家禽学会
雑誌
日本家禽学会誌 (ISSN:00290254)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.J8-J13, 2010-04-25
参考文献数
15
被引用文献数
4

鶏舎壁面や飼育器材への付着、および鶏舎に浮遊する粉塵等の有機物に付着した病原体による感染症を防除する対策として、器材の浸漬消毒や鶏舎内の噴霧消毒がある。本研究では、次亜塩素酸ナトリウム水溶液を塩酸でpH7.0に調整した中性次亜塩素酸水(以下NAHSと記す)の浸漬および噴霧消毒液としての有用性を4つの試験により検討した。最初に、Salmonella Enteritidis(以下SEと記す)に対するNAHS(残留塩素濃度50、80、200 ppm)の試験管内消毒効果を調べた。対照として既存の消毒剤である[モノ、ビス(塩化トリメチルアンモニウムメチレン)]アルキルトルエン製剤、塩化ジデシルジメチルアンモニウム製剤(以下消毒剤Bと記す)の0.05%液と0.2%液を使用した。その結果、残留塩素濃度50ppm以上のNAHSおよび消毒剤B 0.2%液は、有機物が共存していても10秒でSE菌は検出されなかった。次に、NAHS(残留塩素濃度90ppm)および消毒剤B 0.2%液の噴霧が、ろ紙に付着した黄色ブドウ球菌(以下SAと記す)数・大腸菌(以下ECと記す)数に及ぼす影響を有機物が共存した条件で検討した結果、消毒剤B 0.2%液ではSA数が2.16×10(5)CFU/ml、EC数が2.72×10(5)CFU/mlに対し、NAHSではSA数が2.24×10(4)CFU/ml、EC数が4.40×10(4)CFU/mlであった。また、有機物が共存した条件で飛散したSA数・EC数に及ぼす影響を検討した結果、1分間の感作時間で消毒剤B 0.2%液ではSA数が134CFU、EC数が112CFUに対し、NAHSではSAが検出されず、EC数が10CFUであった。さらに、飛散したSA数に及ぼすNAHSの噴霧による影響を検討した結果、1分間の感作時間で無噴霧の1114CFUに対して、NAHS(残留塩素濃度50ppm)の噴霧量が5mlでは79CFU、10mlでは26CFU、20mlでは6CFUで、噴霧量の増加に伴い菌数の減少する傾向が認められた。以上の結果から、NAHSは浸漬および噴霧による消毒効果が認められた。今後は、養鶏分野におけるNAHSの適正な濃度、浸漬時間および噴霧量などを検討する必要がある。