著者
佐藤 愛
出版者
日本ミシェル・アンリ哲学会
雑誌
ミシェル・アンリ研究 (ISSN:21857873)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-6, 2020 (Released:2020-06-28)
参考文献数
5

In this book, Kawase indicates the parallelism between the ideas of the French philosopher Michel Henry and those of the Japanese psychiatrist-philosopher Bin Kimura around the “phenomenology of life”. The “phenomenology of life” is elaborated by the French philosopher to innovate “proto-phenomenology”, which derives mainly from Husserlian phenomenology. Although Kimura never mentioned Henry’s “phenomenology of life”, Kawase dares to link his thoughts by means of Kimura’s philosophy on life. For Kimura, life had two dimensions: “bios” as the individual life of living beings and “zōē” as life in general. In this review, we support Kawase’s philosophy for presenting new thoughts on life. Concurrently, we have some questions regarding this philosophy. First, how can we think of life as “zōē” through life as “bios”? According to Kawase, it is fine art that connects these two forms of life. We would like to push this concept forward. Second, we wonder about Kawase’s opinion on the link between the two forms of life. According to his assertion, the sense of the link between these two forms of life seems to be lost in our modern daily life; however, if this link really exists, this sense would be received with too much enthusiasm. We hypothesize that there are those who have yet this sense; for example, some autists find the connection with the whole world, or life as “zōē, ” in their daily lives. We conclude that this book has the potential to let us realize that we, as well as this type of person, can find this sense calmly in our life as “bios”.
著者
藤澤 宏幸
出版者
Miyagi Chapter of Japanese Physical Therapy Association
雑誌
理学療法の歩み (ISSN:09172688)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.8-13, 2023 (Released:2023-05-01)
参考文献数
35

理学療法は,疾病治療とリハビリテーション医療における社会復帰支援のための動作の再建を通して,国民の健康・福祉に貢献している。その成熟を図るためには,哲学・倫理レベル,パラダイム・理論レベル,実践レベルの各階層で議論が必要である。臨床に直結する実践レベルにおいては,臨床研究が進められているものの,パラダイム・理論レベルにおいては議論が十分とはいえない。その意味で,理学療法モデルの構築が課題としてあるが,2000年に国際障害分類試案から国際生活機能分類へ移行した際に,理学療法の治療モデルとしていた機能障害-能力低下-社会的不利の因果モデルは臨床では用いられなくなった。国際生活機能分類における生活機能モデルは専門職間の共通言語としては有用と考えられるが,それに連結できる理学療法モデルが必要であり,その一つに行動制約モデルがある。行動制約モデルは運動行動の階層性に基づいたものであり,行為を射程に入れた動作の再建という意味では有用であるが,疾病治療のためのモデルとしては不足しているところがある。そこで,本論では,理学療法を考えるうえでの疾病の捉え方を,病因,病理,機能不全・機能障害の循環的な関係性によって整理し,疾病治療における理学療法モデルの位置づけを検討する。
著者
趙 朋
出版者
日本内観学会
雑誌
内観研究 (ISSN:2432499X)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.43-55, 2013-09-25 (Released:2021-09-25)
参考文献数
14

目的 本稿では内観療法と日本伝統文化との関係を解明することで、中国における内観療法の展開を検討したい。方法 本研究では文化人類学的な研究方法を用いて、日本における「和」の思想の誕生及び発展を述べつつ、その思想が日本社会並びに日本人の人格に対する影響を分析し、内観療法と「和」の思想との関係を解明する。そして比較文化心理学⑶(Cross-Cultural Psychology)の手法で、中日両国間の文化の差を明らかにする。結果 内観療法はまさに日本伝統文化の一つである「和」の思想を土台に発展されたものである。そして、内観療法はその日本伝統文化の中核でもある「和」の思想の体現であり、日常生活における日本人の「和」の考え及び行動モードに対する集中・強化である。結論 内観療法は一種の生活態度であり、健康哲学であり、決して単なる心理療法ではない。内観療法は日本伝統文化に色染められた、ヒューマニスティック心理療法⑷(Humanistic Psychotherapy)の一つである。一方、中国では、個人の自己中心的な傾向が強く、抵抗も大きいため、治療も難しくなる。したがって、内観療法を中国の社会文化に合うようにアレンジすることは内観研究者としての最も重要な課題である。
著者
築地 正明
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.115-136, 2019-07-25 (Released:2019-11-19)
参考文献数
39

本稿では、ジル・ドゥルーズ著『シネマ 1』、『シネマ 2』における「記号(signe)」概念に焦点を当てた考察を行う。それは、この概念が『シネマ』全二巻における本質的な要素をなしており、ドゥルーズによる「記号」概念の理解と、『シネマ』全体の理論に対する包括的視点を得ることとは、分けて考えることができないと思われるからである。またそれに加えて、ドゥルーズの提起した「記号」の理論は、古典的な映画研究にとどまらず、広く映像理論領域においても、今なお普遍的な価値を有していると考えられる。すでにこれまでにも、『シネマ』の批判的な分析の試みは、多くの理論家によってなされてはいる(1)。しかしながら、特にこの「記号」という点に関しては、必ずしも包括的な論述はなされてこなかったように思われる(2)。それゆえ本稿では、ドゥルーズが、アメリカの論理学者 C.S. パースの記号論、およびフランスの哲学者アンリ・ベルクソンのイマージュ論から引き出し、発展させた自身の新たな記号論と、クリスチャン・メッツの提起した言語学を基礎とする記号学とを対決させている、『シネマ 2』第 2 章の精読を通じて、この概念の重要性とその独特の性質を明らかにすることを試みたい。
著者
長島 平洋
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究 (ISSN:21894132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.79-89, 2009-07-11 (Released:2017-07-21)

土子金四郎著「洒落哲学」は日本最初の笑い学研究である。「洒落哲学」の内容、成立事情を説明する。「洒落哲学」を批判した大西祝の「洒落哲学を評す」の摘要を示し、最後に大西祝の論文「滑稽の本性」の内容を示して、「洒落哲学」が近代日本での笑い学研究の魁であることを証明する。付では「洒落哲学」のうち洒落の種類を表にして紹介する。
著者
サトウ タツヤ 安田 裕子 木戸 彩恵 高田 沙織 ヴァルシナー ヤーン
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.255-275, 2006 (Released:2020-07-06)
被引用文献数
3

質的心理学や文化心理学の新しい出発にあたっては新しい方法論が必要である。こうした方法論は現象の性質に即していることが必要である。複線径路・等至性モデル(Trajectory Equifinality Model:TEM)は,人間の成長について,その時間的変化を文化との関係で展望する新しい試みを目指したものであり,ヴァルシナーの理論的アイディアのもと我々が共同で開発してきたものである。心理学を含む広い意味での人間科学は,その扱う対象が拡大し,また,定量的,介入的方法が難しい現象を対象とする研究も増えてきた。こうした研究には定性的データの収集や分析が重要となる。複線径路・等至性モデルはそのための一つの提案である。本論文はベルタランフィのシステム論,ベルグソンの持続時間などの哲学的背景の説明を行い,複線径路,等至点(及び両極化した等至点),分岐点,必須通過点,非可逆的時間など,この方法の根幹をなす概念について説明を行い,実際の研究を例示しながら新しい方法論の解説を行うものである。心理学的研究は個体内に心理学的概念(知能や性格など)が存在するものとして測定して研究をするべきではなく,TEM はそうした従来的な方法に対する代替法でもある。
著者
武藤 崇 松岡 勝彦 佐藤 晋治 岡田 崇宏 張 銀栄 高橋 奈々 馬場 傑 田上 恵子
出版者
一般社団法人 日本特殊教育学会
雑誌
特殊教育学研究 (ISSN:03873374)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.81-95, 1999-11-30 (Released:2017-07-28)
被引用文献数
3

本論文では、応用行動分析を背景に持つ、地域に根ざした教育方法を、地域に根ざした援助・援護方法へ拡大するために、応用行動分析が持つ哲学的背景や、障害のある個人を対象にした「行動的コミュニティ心理学」の知見を概観し、今後の課題を検討することを目的とした。本稿は、(1)応用行動分析とノーマリゼーションの関係、(2)行動的コミュニティ心理学のスタンス、(3)障害のある個人を対象にした行動的コミュニティ心理学の実証研究の概観、(4)その実証研究の到達点の評価と今後の課題、から構成されている。今後の課題として、概念、方法論、技術の各レベルにおける、他のアプローチとの研究的な対話の必要性と「援護」に関する方法論的・技術的な検討の必要性が示唆された。
著者
塚野 慧星
出版者
日本特別活動学会
雑誌
日本特別活動学会紀要 (ISSN:13437151)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.39-47, 2023-03-31 (Released:2023-04-13)
参考文献数
22

本稿では、近代の哲学者であるカントの多元主義を手がかりに、児童生徒が互いのよさや可能性を発揮することのできる集団活動のあり方を実現するため、集団活動を「冷ます」ことの意義を論じている。活動が盛り上がるなかで熱を帯びる集団活動を適度に抑制することを指すこの実践は、児童生徒が自他について冷静に反省を行うための機会を用意し、互いのよさや可能性を発揮しやすい環境を整えるものである。同実践は、特別活動研究一般において目指されているような、児童生徒の相互作用を豊かにするものとは別なる方向において、集団活動のより良いあり方を実現するための第一歩となりうるものである。
著者
村上 陽一郎
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1984, no.34, pp.31-45, 1984-05-01 (Released:2009-07-23)
著者
天谷 祐子
出版者
一般社団法人 日本発達心理学会
雑誌
発達心理学研究 (ISSN:09159029)
巻号頁・発行日
vol.13, no.3, pp.221-231, 2002-12-20 (Released:2017-07-20)
被引用文献数
3

「私はなぜ私なのか」「私はなぜ存在するのか」「私はどこから来たのか」「私はなぜ他の時代ではなくこの時代に生まれたのか」といった問い等,純粋に「この私」,世界も身体も剥ぎ取った純粋な「私」といった意味での「私」についての「なぜ」という問いが発せられる現象-自我体験-を解明することが本研究の目的である。自我体験が一般の「子ども」に見られるという仮定のもと,先行研究や哲学の存在論的問いを参考に,自我体験の下位側面を「存在への問い」「起源・場所への問い」「存在への感覚的違和感」と仮定した。そして中学生60名を対象として,半構造化面接法により自我体験の収集を行った結果,38名から51体験の自我体験が得られた。そして自我体験の3つの下位側面がそれぞれ報告され,小学校後半から中学にかけてを中心としたいわゆる「子ども」時代に初発することが示された。自我体験は子どもにとっては身近なものであることが示された。
著者
やまだ りよこ
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究 (ISSN:21894132)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.49-55, 2020 (Released:2021-04-19)

日本笑い学会の研究企画の一環として昨年から「聞き書き」に取り組んでいます。ジャンルを問わず制作や研究など活動を通して長く「笑い」に携わり、同時に、歩みそのものが表からは見えない一つの分野の歴史の側面や裏面を物語る・・、そんな方々にお話を聞いておきたい、体験談を記録に残したいと手探りでスタートした「拾遺録」です。 関西の演芸、特に漫才はめまぐるしい時代の変容と呼応して変化を遂げていますが、活動した時代がほぼ重なる大瀧哲雄さんの道筋と現場で得た哲学からは、普遍的な笑芸の本質も垣間見えてきます。通常の研究ノートとは異なる一人語りのしゃべり言葉でまとめていますが、一貫した笑芸への情熱が伝わり、「笑い」の力も間接的に示してくれているように思います。
著者
吉野 斉志
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.96, no.3, pp.27-51, 2022-12-30 (Released:2023-03-30)

本論では近年翻刻・公刊された西田幾多郎の「宗教学講義ノート」(一九一三~一四年講義)に基づき、時期の近い公刊著作『善の研究』(一九一一年)とも照応して、初期西田の宗教哲学の解明を目指す。西田によれば、一方には純粋経験の統一があり、他方にはその分化発展と自己限定により個物が成立する。そして究極の統一にこそ「神」あるいは「宗教的なもの」が求められる。この思想は「宗教学講義ノート」でも共通しており、西田が同時代の様々な宗教論や思想史に関する著作を参照しながら宗教思想に判断を下す論に、はっきりとその立場が現れている。また、『善の研究』の宗教論は「汎神論」を主張しているが、この論の背景も「宗教学講義ノート」を参照することにより、仏教が汎神論であるという理解と、その仏教を擁護する意図があったことが判明する。西洋の文献を渉猟し、その内在的な批判から独自の論を立てようとした「西洋哲学者」としての西田の姿が、この読解から明らかになるはずである。
著者
加藤 喜之
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 = Christ and the World (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.28-63, 2015-03

本稿は、十七世紀後半のネーデルラント連邦共和国において最も重要な神学者のひとりであったクリストフ・ウィティキウス(Christoph Wittichius、1625–87)の神学・哲学思想を、当時の文脈のなか、とくにスピノザ哲学との関係のなかで読み問いていくものである。具体的には、スピノザの『エティカ』(1677 年)の詳細な論駁がなされるウィティキウスの『スピノザ反駁』(1690 年)に注目することによって、当時のデカルト哲学の多様性、神学と哲学の関係、そしてスピノザの哲学がどのように彼の批判者によって読まれていたかを明らかにしていく。さらに、ウィティキウスの試みが、スピノザのラディカルな思想、特にその神の概念に応答する神学的に重要なレスポンスのひとつであることを示していく。まず第1 節では、ウィティキウスに関する研究動向を紹介していき、第2 節では、現代においては忘れられてしまったこの哲学・神学者の生涯と思想に光をあてていく。さらに第3 節では、『スピノザ反駁』の背景を明らかにし、第4 節では、ウィティキウスの『スピノザ反駁』のなかに現れる二つの論点を分析していく。
著者
高木 廣文
出版者
東邦大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2012-04-01

質的研究での主観的なテクスト解釈の問題点について、構造構成主義、ウィトゲンシュタインの言語に関する論考、科学的言語学であるソシュールの一般言語学およびチョムスキーによる普遍文法に基づき検討した。医療関係者、看護関係者及び哲学者等からテクスト解釈の問題点について情報収集し、心脳構造の言語システムの仮説的モデルを考察した。その結果、テクスト解釈の一般的方法をある程度は定式化できることが示唆された。さらに、ヴィエルジュビツカによる言語の概念的原子要素を用いたテクスト解釈、脳科学からのアプローチ、クワインの科学的な言語哲学の理路が、今後のテクスト解釈の科学的研究上で有用ではないかと考えられた。