著者
石原 正博
出版者
日本イギリス哲学会
雑誌
イギリス哲学研究 (ISSN:03877450)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.69-81, 1999

<p>Harriet Taylor and J. S. Mill, in the late 1840's and early 1850's, just before and after their marriage, wrote a series of articles on injustice and cruelty, revealing their growing concern over the effects of male violence and authority sanctioned by law. Their intention was to drive legislators and judges to regard violence as a serious crime deserving severe punishment. My analytical approaches are based upon thoughts in their "joint productions"; sometimes Mill comments, "Very little of this article was mine". This paper aims to shed light on Harriet Taylor's ideas and the formative process of Mill's thoughts.</p>
著者
片山 剛 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
vol.15, pp.113-125,

鎌倉時代の説話集、室町時代の謡曲、物語を中心に「うはなり」と「こなみ」の嫉妬や「うはなり打ち」がどのように文学作品に描かれているかを探る。「うはなり打ち」は先妻による後妻への暴力という意味を超えて用いられることや嫉妬の苦しみを救済する仏教の力などに注目する。また、江戸時代になると「うはなり打ち」はおこなわれなくなったようだが、過去のものとして「うはなり打ち」をどのように見ていたかを考えてみる。
著者
戸塚 麻子
出版者
常葉大学教育学部
雑誌
常葉大学教育学部紀要 = TOKOHA UNIVERSITY FACULTY OF EDUCATION RESEARCH REVIEW
巻号頁・発行日
no.38, pp.1-9, 2017-12-31

『東亜新報』は日本占領下の北京で一九三九年から一九四五年まで発行されていた日本語新聞である。北支軍と興亜院が出資する同盟通信社系の新聞であり、北京発行の唯一の日本語新聞として機能した。しかしながら、文芸・文化記事を見ると、時局と連動するような戦意高揚の記事と同時に、国策とは無関係の実にのんびりした記事も少なくない。また、しばしば日本の国策を批判的に見るような言説が紛れ込んでいるのを目にすることもできる。少なくとも太平洋戦争開戦前のこの時期においては、比較的自由な言説が許されていたように思われる 。本稿では、創刊期『東亜新報』の中から文芸・文化記事を中心に取り上げ、その内容紹介を試みたい。
著者
長野測候所 編
出版者
長野測候所
巻号頁・発行日
vol.大正9年12月, 1921
著者
早川 由紀夫 中島 秀子
出版者
特定非営利活動法人 日本火山学会
雑誌
火山 (ISSN:04534360)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.213-221, 1998-08-31 (Released:2017-03-20)
参考文献数
33
被引用文献数
2

The 1108 eruption of Asama is the largest among numerous eruptions of the volcano during the Holocene. The magnitude is twice as large as that of the notorious 1783 eruption, which killed about 1,400 people. It is also the oldest written eruption of Asama. Chuyuki, which was written in Kyoto, 300 km SW of Asama, describes that the eruption started on September 29, 1108, by the Julian calendar, and that fields of rice and other crops were severely damaged. Many fatalities are strongly suspected by the distribution of the Oiwake ignimbrite, but no description is given for human loss in Chuyuki. A thin pumice layer intercalated between the 1108 scoria and the 1783 pumice can be correlated to a record of Pele’s hair-fall in Kyoto in 1596. As many as 800 fatalities at the summit in 1598 described in Todaiki cannot be true. Tenmei Shinjo Hen’iki, which describes that a number of villages along the Jabori River were swept away by hot lahars in 1532, is not a contemporary document. It was written in the late 18th century. Fifteen fatalities at the summit in 1721 can be true. After the 1783 eruption, Asama had been relatively quiet for 100 years. During the early and middle 20th century, Asama had been very active with a peak of 398 times vulcanian explosions in 1941. About 30 Iives were lost at the summit, in the 20th century, by 12 explosions among the total about 3,000 explosions.
出版者
青土社
巻号頁・発行日
1995
著者
オーロスキ ジェーソン 重野 孝明 清川 清 竹村 治雄
出版者
特定非営利活動法人 日本バーチャルリアリティ学会
雑誌
日本バーチャルリアリティ学会論文誌 (ISSN:1344011X)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.117-120, 2014-06-30 (Released:2017-02-01)

In this paper, we construct a prototype of a wearable text input device that can be attached to a user's torso or pants and conduct a pilot study on its use with a head mounted display (HMD). The user can enter text while mobile without having to look at his or her fingers. The layout of the keys is similar to that of a QWERTY keyboard, but the device is separated into two halves so that they can be positioned and oriented for comfortable typing on clothing. It is flexible and conforms to the shape of the user's torso. In our pilot study testing input speed, a total of 7 participants conducted various typing tasks, and reached an average speed of 30.1 words per minute (WPM) amongst all tasks in a 45 minute session. We then conduct an analysis of a large number of recent text entry methods that can potentially be used with wearable displays, including the results from our experiment. We also discuss a lighter, wireless prototype reflecting feedback in the pilot study, which can be easily attached to clothing with magnets.
著者
湯浅 一之 土井 花織 井田 聡
出版者
日本ペット栄養学会
雑誌
ペット栄養学会誌 (ISSN:13443763)
巻号頁・発行日
vol.14, no.Suppl, pp.Suppl_65-Suppl_66, 2011-10-01 (Released:2011-12-20)
参考文献数
2

ペットフードにおいて、重要な事は動物が「好んで食べること」である。例え、ダイエット効果などの機能性を付加していても、イヌが摂食をしないとその効果を得ることは出来ない。一般に、ペットフードの開発過程では、二点比較法嗜好性試験が実施される。この方法は、イヌに2種類のペットフードを同時に給与してどちらを食べるかの反応を見て判断している。イヌに、どのようなペットフードを給与しても、選択確率は約60%であり、嗜好性は判然としない場合が多い。そこで今回、特別な訓練を施し二点比較法嗜好性試験に適したイヌの作出を試みた。
著者
貝沼 良風
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<はじめに>地域では様々な祭りが執り行われているが,そうした祭りの多くは,地域社会との強い結びつきのもとにあるといえよう.これまで祭りと地域社会との関係に関しては豊富な研究蓄積がみられる.中でも地理学の研究に目を向けると,たとえば,古田(1990)は,新住民の流入により,祭りの意味が伝統的な行事から子どものための行事へと変容したことを明らかにしている.また,平(1990)は,地域社会において祭りの担い手が不足する中,祭りを執り行うスケールを広域化することで,祭りが維持されることを示唆した.こうした祭りと地域社会との関係をめぐる研究では,主として存続している祭りに焦点があてられてきた.しかし,地域社会が変容する中,そうした変容に適応し,存続する祭りがある一方で,中断や消滅に至った祭りも多く存在する.そのため,今日における祭りと地域社会の関係をより詳細に理解するためには,そうした祭りにも目を向ける必要があるだろう.<BR> そこで本研究は,地域社会の変容により中断したものの,再生され,再度中断に至った祭りを事例とし,従来と再生後の祭りの比較を通じ,祭りと地域社会の関係を考察することを目的とする.具体的には,秩父市荒川白久地区の天狗祭りを対象とする.<BR> 本研究で使用するデータは,実行委員長をはじめとする天狗祭りの中心人物や,荒川白久地区の住民10名に対して実施したインタビュー調査により収集した.また,従来の天狗祭りの郷土資料やフィールド調査で得られた情報も分析に使用する.なお,本研究では,荒川白久地区の中でも,天狗祭りの再生において中心的な役割を担った後述の上白久町会に特に注目する.<BR><対象地域と地域住民組織の概要>本研究の対象地域である荒川白久地区は,2005年に秩父市に編入された旧荒川村の一部で,中山間地域として特徴付けられる.2015年の国勢調査によると,人口は846人で,高齢化率は41.1%と,高齢化の進んだ地域といえる.荒川白久地区では,40から70世帯ごとに集落区という地域住民組織が編成されている.同地区にはこの集落区が7つ存在する.他方で,上述の編入合併の際に,2から3の集落区をまとめた,町会という地域住民組織が新たに設けられた.<BR><天狗祭りの再生と中断>天狗祭りは,山の神をやぐらに迎え入れ,やぐらを燃やすことで山へと返すという儀礼的な意味を持つ民俗行事で,小・中学生の男子が中心となって,毎年11月に開催されていた.従来,同祭りは旧荒川村の集落区ごとに執り行われてきたが,中でも原区という集落区のものは,埼玉県の無形民俗文化財に登録されている. 1960年代頃になると,同祭りは夜遊びや火遊びとして捉えられるようになり行われなくなっていった.1970年代以降は上述の原区でのみ継続されていたが,同区でも2011年を最後に休止となった.<BR> そうした中,2015年に地域住民の呼びかけにより天狗祭りが再生された.その際,従来の集落区ではなく,より広域な地域住民組織である町会において祭りが執り行われた.しかし,住民の一部から祭りに対する異論が投げかけられ,翌年,天狗祭りは再度中断となった.<BR> 再生された天狗祭りは,祭りの意味や活動内容が従来のものとは異なる点が多くみられた.従来は,主に子どもたちを中心に集落区を単位に行われていた.また,祭りに必要な諸経費は住民からの灯明料によって賄われていた.しかし,再生された天狗祭りは,60から70歳代の住民を中心に,町会を単位に実施された.そして,諸経費は,灯明料ではなく,有志の住民からの協賛金というかたちの寄付で賄われた.また,従来の天狗祭りでは,祠への参拝をはじめ,神事に関わる活動が重視されたが,再生された天狗祭りでは宗教色が極力排除され,地域内外の人々の交流が重視された.その重視する点の違いから,開催場所も人家から離れた場所から,住宅地付近へと変更された.天狗祭りの再生において,祭りを執り行う単位が集落区からより広域な町会となったことは,結果として祭りの再生に賛同し活動に参加する地域住民を集めやすくなったといえる.地域住民からは,再生された天狗祭りに対して懐かしいという声がきかれた一方で,内容や開催場所が従来とは異なることや,火を炊くことに対して否定的な声もきかれた.<BR><まとめ>天狗祭りは,祭りを執り行う単位の広域化や子どもが不在でも実施可能なものへと内容が変更されたことで,一度中断したものの,再生まで至ることができた.しかし,神事であることや子どもが主体といった従来,住民が重視していた点が失われたことで,当時の様子を知る住民が少なくない中,地域社会が一枚岩となって祭りを支えることはできず,新しいかたちの天狗祭りは継続することはできなかったと考えられる.