1 0 0 0 OA 外郎 虎屋東吉

著者
豊国
出版者
ゑひすや
雑誌
歌舞伎十八番
巻号頁・発行日
1852
著者
丹治 史弥
出版者
筑波大学 (University of Tsukuba)
巻号頁・発行日
2017

この博士論文は内容の要約のみの公開(または一部非公開)になっています
著者
和田 謙一郎
出版者
四天王寺大学大学院
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集 (ISSN:18836364)
巻号頁・発行日
no.12, pp.67-92, 2018-03-20

敗戦を経験した年齢層のらい(ハンセン病)療養所入所者、及び療養所医療関係者は、らいの「不治の時代」と「治療可能になった時代」をまたぎ、また、戦争を経験した者が敗戦を迎え、GHQ 主導の下での新しい医療施策を経験する。これらを念頭に置き、当時からの療養所入所者の生活実態や、そこに従事した看護婦らの実態を眺め、敗戦後も、そして「治療可能な時代」になっても、なぜ長年、らい(ハンセン病)療養所が特異な療養所として存在し続け、あるいは、そこでの患者らの生活が継続し続けたのか、その検討を進める。

1 0 0 0 OA 仙石左京一件

出版者
巻号頁・発行日
vol.[25],

1 0 0 0 静岡市史

出版者
静岡市
巻号頁・発行日
vol.第2巻, 1931
著者
岡野 多門 加藤 郁美
出版者
一般社団法人 廃棄物資源循環学会
雑誌
廃棄物資源循環学会論文誌 (ISSN:18835856)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.25-37, 2015

海に流出した浮遊ごみの一部は海岸に漂着するため,漂着量は各国での固形廃棄物の管理体制の指標となる。ここでは日本からのごみの流出抑制を目的として,鳥取県の8海岸の延べ4 km区間で,8年間半の毎月の漂着ごみ量を測定した。その結果,漁業ごみが最も多く,ロープ,フロート,20 Lプラスチック容器の3種の年間平均漂着重量は約65 kg/(hm・y) であった。日本製漁具は少なかったが,飲料や洗剤,調味料容器,耐圧缶,およびライターの民生ごみの年間平均漂着重量は約28 kg/(hm・y) で,その約半分が日本のごみであった。最も深刻な日本ごみは小型のペットボトルで,近くの河川流域と海浜周辺で投棄されていた。この2つの投棄地からの漂着数の比は大型ペットボトルとタブ型飲料缶を説明変数とする重回帰分析で推定できる。これは漂着数と海浜での投棄数を推定するための初めての方法で,実効性のある排出防止対策の実施に利用できる。
著者
坪川 涼子 ボーランド ロバート
出版者
日本貝類学会
雑誌
貝類学雑誌 (ISSN:00423580)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.184-195, 1991

沖縄本島および小笠原諸島父島より採集された18個体の背楯目の標本を調べたところ, 日本産未記録のBerthella martensi (Pilsbry, 1896)と同定された。本種は小型で, 背楯は大きく, 動物体の輪郭は楕円形をしている。背楯は腹足やえらを覆い, その前端中央には深い切れ込みがある。背楯は4個の部分からなり, 刺激によって殻を内包する中央部分を残して, 右側, 左側と後ろ側の3個の部分は自切によって本体より離れるという特徴がある。頭膜は大きく, 台形をしている。頭触手は基部で左右が融合し, その先端は背楯の前端の切れ込みから外側へ突き出して見える。腹足の前端には顕著なmucus groove(粘液溝)がある。えらは懸鰓膜によって右体側につき, 軸の上下にそれぞれ11枚から19枚(平均14.4, N=8)の羽状葉を持つ。えらの基部には前鰓孔があり, 懸鰓膜の後端上側には肛門が開く。体色には3つの型が識別された。殻は背楯の中央部分の下にあり, 楕円形でやや膨らむ。殻の背面には成長線がみられる。殻は白く薄く, ホルマリン固定標本ではしばしば脱灰されて殻皮のみが残る。歯舌は中歯を欠き, 多数の側歯から成る(歯舌式は62-93×76-134.0.76-134)。側歯は強く彎曲し, 単尖頭である。側歯内側に顕著な溝を生じることがある。顎板は特徴のある十字形の小歯からなる。生殖器官系はBerthella属の典型であるが, 雄性輸出管にはprostate gland(前立腺)と呼ぶ膨大部を欠き, 太く長いpenial gland(陰茎腺)が付属する。交尾嚢は球形, 受精嚢は楕円体をしていて, 両者はほぼ同じ大きさである。生殖開口はえらの基部下側に丸い隆起を生じ, その中央に雄性開口があり, 後ろ側へ連続して雌性開口がある。陰茎は円錐形である。食性については消化管内容物より, 少なくとも海綿類を食べることがわかった。本種は1880年のMartensによる最初の記録以来, Willan(1984)とGosliner and Bertsch (1988)の報告があるのみである。今回の報告とそれらを合わせると, 本種の分布はインド洋から太平洋に及ぶ。本種は刺激を受けると背楯を自切するという奇習があるので, チギレフシエラガイという和名を提唱する。

1 0 0 0 OA 両国橋一件

出版者
巻号頁・発行日
vol.巻15,
著者
鹿毛 勇太 磯田 祐士 大川 智子 渡邉 裕子 金岡 美和 相原 道子
出版者
医学書院
雑誌
臨床皮膚科 (ISSN:00214973)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.31-35, 2017-01-01

要約 70歳,男性.右上顎洞悪性黒色腫術後に全身の紅斑が出現した.皮疹出現より4日目に発熱と皮疹が急速に増悪し,Stevens-Johnson症候群と診断した.被疑薬はすべて中止し,ベタメタゾン8mg/日の点滴を開始し,翌日よりステロイドパルス療法を施行したが病勢が進行し,表皮剝離が進行したため,中毒性表皮壊死症(toxic epidermal necrolysis:TEN)と診断した.集中治療室に転棟し,全身処置を行いながら血漿交換療法,大量免疫グロブリン静注療法を併用した.最大表皮剝離面積は80%に及んだが,16日目より皮疹の改善がみられ,32日目には完全に上皮化し,後遺症を残さず治癒した.TENの急速進行期では,各種の免疫調整効果を組み合わせた治療が有効であると考えた.

1 0 0 0 OA 過眼録

出版者
巻号頁・発行日
vol.巻15,
著者
荊木 美行
出版者
皇學館大学文学部 ; 2009-
雑誌
皇學館大学紀要 = Bulletin of Kogakkan University (ISSN:18836984)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.1-43, 2016-03

継体天皇朝に勃発した磐井の乱については、『古事記』『日本書紀』や『筑後国風土記』逸文に記述があるほか、『国造本紀』にもわずかながら記載されるなど、六世紀前半の事件としては関聯史料に恵まれている。とくに、『古事記』は、武烈天皇以下推古天皇に至るまでの部分は、政治的事件にふれた記述はほとんどない。そうしたなか、継体天皇段にみえる磐井の乱は異例の言及といってよい。小論は、これまでの研究の蓄積を踏まえながら、これら諸史料の相互の関聯性や信憑性について再考したものである。卑見によれば、この乱に関する史料としては、『古事記』の記録する内容が、本来の素朴な伝承としてもっとも信頼がおけると思う。『日本書紀』は乱の詳細を記録するが、その勃発を当時の調整半島情勢と結びつけて説明する点などに疑問が残る。また、風土記の記載は、磐井の墓とみられる岩戸山古墳に関する貴重な記録ではあるが、八世紀前半に採訪されたもので、そこにみえる伝承もどこまで二百年前の実情を伝えたものかは疑わしい点もある。ただ、こうした伝承は、風土記の撰者の創作などではなく、あくまで現地で採録されたものであろう。