著者
井口 志保
出版者
東京女子大学
雑誌
日本文學 (ISSN:03863336)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.31-51, 2005-03-15

六条御息所は物語中で現身、物の怪という二つの形象をもって描かれる女君であり、葵巻は御息所がその二つの形象で描かれる唯一の巻である。本稿では葵巻から、六条御息所がなぜ二つの姿をもって物語に立ち現れなければならなかったのかを考えていきたい。
著者
高野 和夫 妹尾 知憲 海野 孝章 笹邊 幸男 多田 幹郎
出版者
一般社団法人 園芸学会
雑誌
園芸学研究 (ISSN:13472658)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.137-143, 2007 (Released:2007-03-06)
参考文献数
14
被引用文献数
2 4

モモ果実の渋味の近赤外分光法による非破壊測定の方法について検討した.モモの渋味は果肉中の全ポリフェノール濃度と相関が高く,全ポリフェノール濃度が100 g当たり約110 mg以上で強い渋味を感じた.そこで,モモ果実中の全ポリフェノール濃度の推定を400~1100 nmの反射スペクトルから試みたが,誤差が大きく測定不可能と考えられた.しかし,モモのポリフェノールの主要な構成成分であるカテキンとクロロゲン酸水溶液の1100~2500 nmの透過スペクトルを解析すると,1664 nmと1730 nm付近に相関の高い波長域が存在した.そこで,モモ果実の1100~2500 nmの反射スペクトルによる解析を行ったところ,1720 nm付近に全ポリフェノール濃度と相関の高い波長域が存在し,重回帰分析による全ポリフェノール濃度の推定精度はSEP = 14.7 mg・100 g−1FWと比較的高かった.これらの結果から,1100~2500 nmの反射スペクトルを測定することによって,モモ果実の渋味を非破壊的に判別できる可能性が高いと考えられた.

1 0 0 0 OA 空翠雑話 2巻

著者
野村, 空翠
出版者
巻号頁・発行日
vol.[2], 1858
著者
河崎 吉紀
出版者
同志社大学
雑誌
評論・社会科学 (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.1-14, 2011-01

論文(Article)19世紀のイギリスでは、ジャーナリストは職業としてあいまいであり、主として高級なジャーナリストとレポーターに分かれていた。前者は学識ある人々に知的なコラムを提供し、後者はゴシップやニュースを集める下層階級であった。新聞社の規模が拡大し、ジャーナリストに需要が生じると、参入者が増え組織化の機運が生まれた。1884年に誕生したジャーナリスト連合は資格を定め、取材の技能を中心に専門職として確立することを目指した。そこでは「記述的」に書くことが求められ、意見よりニュースが優先される。しかし、教養を重視する高級なジャーナリストは自由放任を主張し、レポーターは労働条件や賃金の改善を先に求めた。後者は1907年、ジャーナリスト組合を結成し、自らを労働ジャーナリストと位置づけるようになる。The definition of journalists in nineteenth-century England was rather ambiguous. They were roughly divided into two categories: writers and reporters. The former contributed articles targeted at intellectuals, while the latter wrote gossip columns and covered events for the masses. Triggered by the growth of the newspaper industry, when the demand for journalists rose, there was a need for the establishment of a professional organization for journalists. Consequently, the National Association of Journalists, established in 1884, sought the status of journalism as a profession. It focused on compilation of news rather than personal opinions of journalists, and emphasized descriptive writing skills. However, writers in higher positions continued following the laissez-faire approach, while low-ranking reporters were considered as working journalists after the inception of the National Union of Journalists in 1907.
著者
[藤田幽谷] [著]
巻号頁・発行日
vol.[48], 1800
著者
工藤 和美
出版者
日経BP社
雑誌
日経アーキテクチュア (ISSN:03850870)
巻号頁・発行日
no.1097, pp.76-79, 2017-06-08

2復活した連載「私の駆け出し時代」の2人目は、シーラカンスK&Hの共同代表である工藤和美氏。シーラカンス時代の「千葉市立打瀬小学校」(1995年竣工)で注目を浴び、シーラカンスK&Hに改組してからも、学校建築を中心に活躍している。就職活動では女性差別の…
著者
渡辺 満久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.41, 2006 (Released:2006-05-18)

関東南部では,4つのプレートが衝突しているため,これまでにも多数の大きな被害地震が発生してきた.江戸時代以降,関東南部から発生したやや大振り(M8クラス)な海溝型地震は,1703年元禄地震・1923年関東地震である.これらの巨大地震の発生前には,ほとんど地震が発生しない静穏期と東京湾周辺における小振り(M7クラス)な直下地震の多発時期があった.その繰り返しをもとに,政府中央防災会議は,埼玉県を含む首都直下地震発生の危険性と被害想定結果を公表した.1923年以後の静穏期が終了し,活動期に入ったと判断したのである.これによって,地震防災全般への関心は高まった.しかし,そこでの議論をみると,地震は「どこでも起きる」ことがあまりに強調されすぎており,我々には理解し得ない内容もあることに危惧を抱く.「関東ローム層が厚い地域では活断層は発見されにくい」,「地震は既知の活断層だけで発生するわけではなく,2004年中越地震はその典型である」といった記述は,いずれも事実と異なり,防災対策を講ずる上で大きな障害となる.未知の活断層が伏在している可能性が高いのは,ローム層の分布域(古い土地)ではなく,ローム層のない「新しい土地」である.中越地震は既知であった活断層が引き起こした直下地震であり,一定規模以上の地震は,起こるべき場所(活断層分布域)に起きているのである.文科省地震調査研究推進本部は,今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布図を公表した.中越地震がこの図の発生確率が小さい地域で発生していることも,「どこでも起こる」ことを強調する根拠となっている.しかしながら,この図には,確率計算に必要な資料が不足地域であっても,何らかの数値が示されていることに注意が必要である.中越地震の震源域では,「発生確率」に関わる基礎的な資料はほとんど何もない.「発生確率が低い」ことが明らかであったわけではない.地震被害は,揺れによる被害と,土地の食違いによる被害に分けて考えるべきである.震源域では揺れが激しいので,それによる被害も大きくなる.しかし,やや遠くで発生した地震であっても,地盤が悪い地域では揺れが大きくなるので,居住地以外で発生する地震にも注意を払わなければならない.まさに,地震は「どこでも起こる」と考えておく必要がある.後者の被害は,活断層のずれによって,周辺の建造物が倒壊するものである.1999年台湾の集集地震においては,この被害が際立っていた.土地の食違いによる被害は,震源域以外では発生しない.地震防災に対する意識を高める上においては,「どこでも起こる」という指摘にはある一定の意味がある.しかし,阪神淡路大震災や中越地震時の被害のような大きな地震被害は,大きな揺れと土地の食い違いによって,震源域に発生するのである.巨大な地震被害に備えるためには,地域を特定した対策が必要となる.そのためには,どこに,どのような活断層が存在するのか,活断層を特定した政策レベルでの防災対策が必要となる.そこに目を向けず,「どこでも起こる」という理解だけに立脚していては,間違いなく,巨大な惨劇が繰り返される.政府中央防災会議や文部科学省地震調査研究推進本部の研究成果のうち,埼玉県に関わる部分は,基本的には「どこでも起こる」地震を想定したものである.唯一,埼玉県北西部の「深谷断層」の活動性を考慮した内容があるものの,この活断層の活動履歴等はほとんど不明である.また,埼玉県南東部の「綾瀬川断層」は深谷断層の南東方向延長部にあり,一連の活断層帯となっている可能性が高いものの,綾瀬川断層の活動性は全く考慮されてない.このため,「被害予測」も「確率分布図」も,リアリティを欠くものとなっていると言わざるを得ない.深谷断層は,群馬県高崎付近から連続してくる大活断層(関東平野北西縁断層帯)である.また,その南東への延長部,東京都江戸川区・千葉県浦安市周辺にも,深谷断層と同様のずれが確認されている.綾瀬川断層はこれらの活断層をつなぐ位置にあり,ずれ方も同じである.調査未了地域があるものの,高崎から東京まで,長さ約120kmの長大な活断層が首都圏直下に存在する可能性が提示されている.これが見落とされているとすれば,大変大きな問題である.政府中央防災会議は「東京湾北部」を震源域とする地震も想定し,被害を予測している.上記の長大な活断層は,この想定震源域に達するものであるが,その地震像は想定を大きく上回る可能性がある.「どこでも起こる」地震に備えることも重要ではあるが,それだけでは活断層周辺における巨大な地震被害を軽減することはできない.綾瀬川断層の活動性(活動様式,最新活動時期,平均的活動間隔など)を明らかにすることが非常に重要である.
著者
久米島博物館 [編]
出版者
久米島博物館
巻号頁・発行日
2012
著者
南 コニー
出版者
日本フランス語フランス文学会関西支部
雑誌
関西フランス語フランス文学 (ISSN:24331864)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.58-69, 2006-03-31 (Released:2017-07-14)

Redecouverte au Danemark vers la fin du 19^e siecle et traduite en allemand a partir de 1905, la pensee de Kierkegaard a ete considerablement developpee en France dans le mouvement existentialiste mene par Sartre. Cette reevaluation de Kierkegaard n'est pas sans rapports avec l'interrogation incessante de Sartre sur le choix et la liberte ainsi que sur la responsabilite et l'engagement. Notre article vise a elucider les relations entre la pensee morale de Kierkegaard et celle de Sartre, relations peu etudiees jusqu'a present. Nous avons revele, dans revolution de la pensee morale de chacun, trois etapes. La pensee morale de Kierkegaard, pour qui le pathos compte le plus dans les choix, evolue d'une morale esthetique a une morale ethique avant d'arriver a une morale religieuse dans laquelle les hommes peuvent se Her avec reternel a travers la repetition des Mans verticaux (spring, en danois). Quant a celle de Sartre, pour qui c'est l'ethos qui compte plus que tout dans le choix, elle va du moralisme traditionnel au moralisme nouveau en passant par le realisme (politique). Pour arriver au moralisme nouveau, les hommes sont invites a s'engager entierement en mettant en oeuvre leur pluralite. Les trois etapes des deux cotes se correspondent de facon surprenante, et nous poursuivrons leur etude.
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地學雜誌
巻号頁・発行日
vol.123, no.2, pp.Cover02_1-Cover02_2, 2014

&emsp;この巨大都市模型は,六本木ヒルズなどおもに東京都心部の大規模な都市再開発(街づくり)を手がける森ビル(株)が,都市や景観を俯瞰的に捉えるためのツールとして独自に制作したもので(通常は一般に公開していない),港区を中心に東京都心部約 220 km<sup>2</sup>の範囲を1/1000のスケールで精巧に表現している.模型の大きさは17.0 m×15.3 mで,南北は大井競馬場から上野間,東西方向には葛西臨海公園から新宿までの範囲をカバーしている.この模型では建造物の外形や色が忠実に再現されているだけでなく,道路や鉄道などのインフラ施設も都市を構成する重要な要素として組み込まれている.<br>&emsp;巨大都市東京が抱えているさまざまな制約条件(インフラ施設の老朽化,景観のモザイク化,都市機能の過度な集中,大規模な自然災害リスクの増大など)を考慮した上で,将来的に都市全体としての機能向上を図るためには,実態を反映した3Dモデルの構築とそれに基づいた都市設計を進めることが不可欠である.近年の地理空間情報プラットフォームの整備にともない,建造物を含んだ3次元の空間情報数値モデルの構築とその利活用が推進されている.しかし,実際の都市開発計画の検討にあたっては,多くの人びとが同時に見ることができる都市模型(ジオラマ)が最も有用なツールの1つであることに変わりない.このジオラマも,東京のグランドデザインの構築や都市景観の検討に活用されることに期待されている.<br>(写真:森ビル株式会社提供;説明文:稲崎富士・菊地俊夫)
出版者
巻号頁・発行日
vol.第304冊,
著者
前川 和也 前田 徹 依田 泉 森 若葉 松島 英子
出版者
国士舘大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2005

前4千年紀末にメソポタミア南部で成立したシュメール文字記録システムが、遅くとも前3千年紀中葉にはシリア各地で受け入れられ、シリア・メソポタミア世界が一体化した(「シュメール文字」文明)。アッカド語などセム系言語を話す人々も膠着語であるシュメール語彙や音節文字を容易に利用できたのである。本研究は、「「シュメール文字」文明」の展開過程、またセム諸民族がこれを用いてどのように社会システムやイデオロギーを表現しようとしたかを考究した。