著者
松田 康子
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.132, pp.149-165, 2018-08-30

This paper attempts to consider current issues and future visions of a qualitative study on the livedexperience of people with mental health consumers/survivors/ex-patients. Note that no differenceexists between the collection of data regarding their lived experience and exploitation or plunder.Though model stories based on their lived experience, they were confined to acceptable stories in society.If lived experience explains model stories, I fear that social environment may not take diversityinto account, causing not inclusion but exclusion. In future visions, I suggested that researchersshould be cognizant of recognizing diversity, asking a primary research question."what is it"in orderto discover and give a name again. Another important point is that researchers attempt to adopta caring perspective in their studies.
著者
蓮井 千恵子 Chieko HASUI
出版者
川口短期大学
雑誌
川口短大紀要 (ISSN:09145311)
巻号頁・発行日
no.30, pp.69-81, 2016-12

心理,精神的問題を有していても精神科を利用しない人は多いが,そういう人たちの中に心理的援助,福祉,内科を利用する人がいるということが疫学調査を通じて明らかになった。しかし,なぜ精神科を利用しないのか,精神科を利用しない人の特徴について,質問紙を用いた研究では一致した見解は得られていない。本研究では,前方向視的1事例研究法を用い,精神障害を有するが精神科を利用しない人の特徴について考察した。対象者は心理療法研究に応募した女性で,SCIDの気分変調性障害に該当した。30回の心理療法の予定であったが,対象者による5回のキャンセルを含め20回で中断となった。さらに中断後2回の著者による半構造化面接を行った。心理療法過程と終了後面接の内容を解釈した結果,対象者は人に安心して依存できず,面接者や医師とも協働する援助関係を持つことができなかった。その為,自分を援助する対象を一時的に活用することしかできない人であるということが理解された。精神障害を有するが精神科を利用しない人は,質問紙で理解することは困難な複雑さを有していることが理解された。
著者
松井 琴世 河合 淳子 澤村 貫太 小原 依子 松本 和雄
出版者
関西学院大学
雑誌
臨床教育心理学研究
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.43-57, 2003-03-25
被引用文献数
2

本研究は,編曲の異なる3曲のパッフェルベルのカノンを被験者に呈示することによって,音楽聴取時における心身の変化を観察するものであった。それぞれのカノンについて音楽分析を行うと共に,生理反応と心理指標を用いて評定を行うことにより,編曲の違いによって生じる聴き手の生理的・心理的影響の変化を検討し,音楽刺激の精神生理学的研究を行うことを目的とした。本実験は,K大学の学生28名,音楽系大学の学生5名(平均年齢21.4歳)を対象とした。実験では,編曲によってポップな感じが与えられるカノン,カノン演奏に並行して波の音が流れるカノン,最も原曲に近い弦楽合奏によるカノンの3曲を呈示し,それぞれの音楽刺激聴取時と,安静(無音状態)時における生理反応を測定した。実験で測定されたのは脳波・筋電図・心拍・呼吸・皮膚電気反射・血圧・皮膚温・重心動揺からくる身体のふらつきの程度であり,本研究では,脳波,皮膚電気反射,呼吸,心拍,重心動揺からくる身体のふらつきの程度の指標を用いた。また各音楽刺激呈示後に,音楽を聴いているときの気分について12項目,音楽を聴いているときの心身の自覚について10項目,音楽の印象について7項目の評定を求めた。音楽刺激による生理反応について,中枢神経系である脳波は,いずれの音楽刺激聴取時においても安静状態に比べて覚醒水準の低下が認められた。また,重心動揺による身体のふらつきについては,音楽刺激聴取時における開眼時の重心動揺総軌跡長が顕著に減少したことによって,ロンベルグ率の増加が導かれた。このことより,音楽刺激が視覚性の姿勢制御機能を高める上で効果的に作用したと考察された。また自律神経系では音楽刺激聴取時の呼吸数の増加に有意差が認められた。次に,本研究で呈示された3曲の音楽刺激別に考察を行うと,ドラムを用いてビートを刻んだポップな感じのカノンでは心理評定において軽い興奮状態が示された。また生理反応においても,心拍・皮膚電気反射の反応回数・呼吸数の増加といった興奮性の刺激的な音楽によってもたらされたと推察される結果が得られた。また,評定に騒々しさが認められるなど,原曲と大きく異なった編曲に抵抗が感じられたことも推察された。しかし,心理評定において他刺激と比較すると興奮状態を示す有意差が認められたものの,それらの項目の得点が顕著に高くはなかった。そのため,原曲のクラシック音楽がもたらした効果と,微量の興奮をもたらす音楽刺激が生体に適度な睡眠導入刺激となって受容されたことにより,脳波において覚醒水準の低下が認められたと推察された。次にサブリミナル効果として波の音が並行して流されたカノンでは,波の音の影響として,評定により鎮静効果が認められた。また,重心動揺によるロンベルグ率が健常平均値と最も近づいたことについて,波の音がもたらす1/f型ゆらぎが,クラシック音楽であるカノン自体が有する1/f型ゆらぎと調和したことによって,重心動揺によりよい刺激となって作用したためであると推察された。脳波においては覚醒水準が低下したが,これは心地よさの指標とされる1/f型ゆらぎが大量に作用したために,睡眠が促されたと推察された。また波の音がカノンに並行して流れたこの曲では,カノンを聴きたい被験者にとって波の音が耳障りとなったことも考察され,さらに波の音による影響をより明確にするため,波の音がもたらす作用について追及する必要性が感じられた。最も原曲に近い弦楽合奏によるカノンでは,他の2曲に比べて多くのα波が誘発されたものの,その程度についてはさらに調査する必要があると推察された。また,原曲のカノンに馴染みがある被験者にとって,この曲が最も聞き慣れた音楽として受容されたために心地よさがもたらされたと推察された。重心動揺においては,ロンベルグ率が最も増加したことが開眼時の総軌跡長の減少によるものと示唆されたため,本音楽刺激聴取時に視覚性の姿勢安定維持機能が最も高まった状態であったことが推察された。以上のように,編曲されたそれぞれの音楽の特徴的な要素を取り上げて考察を行ったが,本研究で用いた音楽刺激は音楽の3要素であるメロディ・和声・リズムの全ての要素において多くの相違点が認められた。そのため,特徴的な要素以外にさまざまな要素が影響し合ったことで反応が導かれたと指摘された。また,より深い音楽分析による検討を行い,多岐にわたるジャンルの音楽を用いて同様の研究を実施することによって,より一般化された音楽における編曲の違いから生じる生理的・心理的反応の変化を検討,考察することが可能となるであろう。
著者
三木 理史
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
アジア経済 (ISSN:00022942)
巻号頁・発行日
vol.46, no.5, pp.2-18, 2005-05
被引用文献数
1
著者
神田 龍身
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.15, pp.222-203, 2017-03-01

平安時代の西暦九百年前後には、『竹取物語』『古今和歌集』『土佐日記』等の仮名文字テクストが相次いで成立する。そして、それを受けて、『うつほ物語』『源氏物語』『狭衣物語』等がさらに登場してくることになる。漢文テクストというエクリチュールが正統の言語状況下にあって、このような仮名文字テクストとは何なのか。仮名が表意文字ではなく、音声還元主義の言葉であることから、これはパロール(音声言語)の問題をぬきにしては考えられない。しかし、仮名も文字には違いないのであり、この仮名という視覚を媒介した音声なるものは音声それ自体ではない。また漢文テクストも音読されたり、演説の言語として使用されたりして、パロールとしての言語空間を構成することもある。ジャック・デリダの「原エクリチュール」という概念を参考にして、平安時代の仮名テクストをめぐって、西洋とは異なる日本固有の「パロール/エクリチュール」の関係構造を考えてみたい。 Texts written in kana, such as the Taketori Monogatari, Kokin Wakashū and Tosa Nikki, came into being one after another around 900 in the Heian Era. Influenced by those texts, the Utsuho Monogatari, Genji Monogatari and Sagoromo Monogatari followed. What is the meaning of the kana literature in a context in which Classical Chinese was the authoritative written language? It is impossible to answer this question without consideration of parole (spoken language) because kana characters are not ideograms but phonograms. They, however, must be characters; thier sound through the sight is not the voice itself. In contrast, Classical Chinese can bring the language space as parole by means of reading aloud or using as a speech. Referring to the concept of "archi-ecriture" presented by Jacques Derrida, this paper examines the relationship of parole / ecriture in the kana texts of the Heian Era, which is charateristic of Japanese language and differs from Occidental ones.
著者
栗田 健一
出版者
九州大学大学院経済学会
雑誌
経済論究 (ISSN:04516230)
巻号頁・発行日
no.158, pp.1-6, 2017-07

生活保護のような公的扶助の受給者は,あたかも他の社会構成員から負の烙印を押されているかのように精神的負担を負う。このようなある個人や集団に対して形成される負の烙印のことをスティグマと呼ぶ。生活保護の文脈では,受給を申請するインセンティブを抑制する要因の一つとして広く考えられている。スティグマには不正受給を抑制する正の効果と正規の受給者にも心理的負担を強いるという負の効果がある。特に,近年では低補足率に関する研究も次第に増えており,それらの多くがスティグマの重要性を示唆している。本稿では,生活保護のスティグマの理論分析を行った代表的文献を紹介しつつ,スティグマに関する理論研究の現状と課題,そして今後の可能性を示す。The individuals which take-up welfare benefit have mental burden as if to be marked negatively by others. It is called "social stigma"that a mark or image of disgrace associated with a specific character, type and quality regarding to some individuals or groups. In the context of welfare, stigma is one of the most important factor,which limits the incentive of take-up welfare benefit. From the social view, welfare stigma has both positive and negative effects, the former is the effect of limiting welfare fraud and the latter is the effect of damaging even the needy mentally. Recently, studies about low take-up rate focusing stigma have gained lots of attention. In this paper, we review previous studies related public policy and stigma focusing on theoretical research.
著者
山本 聡美
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.95, no.2, pp.121-144, 2021

<p>近代的疾病観においては、病を健全な身体の対極にあるものと捉え、加療を通じて健常なる状態へ近づけることに価値が置かれる傾向にある。一方、古代・中世日本においては、これとは異なる疾病観が存在していた。特に仏教の教義や実践において、病には、人間の存在の根源に関わる現象としての重要な意味が見出されていた。病を生存への脅威として排除するのではなく、これと折り合い、場合によっては、秩序ある社会を構築する梃子として肯定的に捉えていくことさえなされた。</p><p>本稿では、平安時代末期の浄土僧、永観による「病は善知識なり」との成句に着眼する。善知識とは、仏教における発心や成道への導き手を指す。通常、多くの修行を積んだ高徳の僧を言うが、悟りに至るきっかけとなる人物や事物を広く指す言葉でもある。「粉河寺縁起絵巻」に描かれた病に発心の契機としての肯定的な意味を読みとくことからはじめ、そのような疾病観が形成された歴史的経緯を、古代日本における造像の伝統から明らかにする。</p>
著者
鈴木 正士
出版者
日本イスパニヤ学会
雑誌
HISPANICA / HISPÁNICA (ISSN:09107789)
巻号頁・発行日
vol.1996, no.40, pp.118-134, 1996

Al final de la segunda parte de <I>Don Quijote</I>, Don Quijote se muere volviendo a ser Alonso Quijano después de experimentar los tres viajes de aventura.<BR>Sobre este aspecto, tengo dos dudas.<BR>¿Existe una razón inevitable para que tenga que morir en el texto? y por qué vuelve a ser Alonso Quijano justamente antes de morir? Estas dos cuestiones pretendo aclararlas en este trabajo.<BR>Pienso que una clave para resolverlas se encuentra en estos dos acontecimientos; la segunda mentira de Sancho en el capítulo X y la aparición del verdader mundo de caballerías en los capitulosLX a LXIII.<BR>Don Quijote no puede existir a no ser que cambie todo su alrededor, el mundo no caballeresco, en el de los libros de caballerias porque él es un personaje ficticio que nace después de leer demasiados libros.<BR>Sin embargo, en el capitulo X, Sancho le miente a Quijote diciendo que es Dulcinea una de las tres labradoras que van delante de ellos. Es decir, Sancho afirma, sin querer, a través de esta mentira que el mundo no caballeresco para Quijote es el de libros de caballerias. Por esta mentira, Don Quijote no puede convertir el mundo no caballeresco en el de libros de caballerias ni puede creer lo que yen los ojos, o sea, a si mismo.<BR>Además en los cap. LX a LXIII salen un caballero verdadero y unos turcos. Por primera vez en este texto, Don Quijote se topa con el verdader mundo de caballerias, no con el de libros de caballerias. Por este suceso, no solamente no se debilita el sino que su misma existencia se esfuma. Por consiguiente, Don Quijote es derrotado por él Caballero de Blanca Luna con mas facilidad de lo que se puede imginar.<BR>A pesar de eso, Don Quijote continúa viviendo. El protagonista del libro de caballerias puede vivir en tanto que existe su dama. Pero al final, en el cap.<BR>LXXIII, Quijote se convence de que no hay Dulcinea en su mundo. Si el caballero no tiene su dama, no puede existir.<BR>De esta manera, Don Quijote, que está cansado por no poder crear el mundo de libros de caballerias, se muere después de volver a ser Alonso Quijano.
著者
神田 洋
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.28, 2018-03-31

本稿は,薬物使用疑惑のある選手が米国野球殿堂の記者投票で得票を伸ばしている背景を分析することで,スポーツジャーナリズムの問題点や野球殿堂が果たすべき役割を解き明かそうとしたものである。 野球殿堂の投票者へのアンケートの結果,1998年に起きた薬物騒動への対応に問題があったと多くの記者が考えていることが分かった。当時の報道の検証から明らかになったのは,球界幹部や報道陣に見られた薬物容認の姿勢であり,それゆえ選手だけに薬物問題の責任を負わせることへの疑問が高まった。今後は,野球殿堂が歴史博物館として薬物問題をどのように取り上げるかが課題となる。
著者
澤田 典子
出版者
千葉大学教育学部
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.303-327, 2019-03

[要約] 本稿は,ギリシア世界の権力者崇拝の文脈にマケドニア王フィリポス2世を位置づけ,権力者崇拝という現象の発展における彼の歴史的意義を明らかにすることを目的とする。前半部(本号)では,フィリポス2世以前のギリシア世界における権力者の生前崇拝を示唆する事例と,ギリシア諸都市がフィリポス2世に神的崇拝を捧げたとされる事例を検討し,後半部(次号予定)では,彼自身が自己神化を志向していたことを示すとされる事例を検討した。フィリポス2世は,晩年に諸都市から宗教性を帯びた大きな栄誉を受けており,ブラシダスからリュサンドロスへと発展した外部権力者への「迎合」としての都市祭祀の流れに大きくはずみをつけたと見ることができる。さらにその最晩年には,自身のみならず自身の家族をも神々と肩を並べる存在として宗教的なコンテクストに位置づけ,ヘレニズム時代の王朝祭祀へと発展していくひとつの方向性を示したと言える。
著者
西倉 実季
雑誌
和歌山大学教育学部紀要. 人文科学 (ISSN:1342582X)
巻号頁・発行日
no.71, pp.147-154, 2021-02-08

The purpose of this paper is to explain the problems revealed by the concept of 'lookism'and to explore the significant implications of this concept for studies on discrimination based on appearance. I classify the previous studies on lookism into three groups.The first group raises the issue that appearances are evaluated in situations where appearance should not be evaluated. The second group argues the disproportionate distribution of beauty by social categories such as race, class, and gender and so on. The third group shows that appearances valued in the labor market are organizationally constructed, focusing on 'aesthetic labour,' The results of my paper are as follows;the concept of'lookism'is used quite differently in general society and in academic research.It is therefore necessary to examine which of the above three groups is suitable for the use of 'lookism'in the general public.
著者
黒須 泰行 岩黒 大志
出版者
国際学院埼玉短期大学
雑誌
国際学院埼玉短期大学研究紀要 (ISSN:02896850)
巻号頁・発行日
no.29, pp.87-91, 2008

日本の伝統的な和食には,その味の命として,様々な食材のダシが用いられてきた。特にかつお節のイノシン酸,昆布のグルタミン酸,そしてシイタケのグアニル酸は三大旨味成分として位置づけられており,昔から日本料理に欠かせないものとして重宝されてきた。これら旨味成分の中でも,シイタケのダシの抽出には冷水を用いることが,一般的に知られている。これは加熱抽出が当たり前である他の食材のダシと比べてみて,特異なダシの抽出法といえる。また,ダシ抽出に使うシイタケは,乾燥させた干しシイタケである。そこで,本実験では,なぜ一般的にシイタケのダシ抽出は乾燥シイタケを冷水で5時間戻した後に調理するのが良いといわれているのかを検証するために,抽出温度,戻し時間,シイタケの品種によってどう影響するのかを調べた。その結果,抽出温度では,グアニル酸生成に作用するリボ核酸分解酵素と,グアニル酸分解に作用するヌクレオチド分解酵素の2つの活性に影響を与えていることが推定され,抽出時間では,冷水中で乾燥シイタケに含まれるリボ核酸量が約5時間で,プラトー状態に達することが確認され,品種では,肉質の薄い香信が外部の水温の影響を受けやすく,加熱によってリボ核酸分解酵素が働きやすくなり,また成分も流出しやすいことなどが推定された。
著者
古村 健太郎 松井 豊
出版者
弘前大学人文社会科学部地域未来創生センター
雑誌
地域未来創生センタージャーナル (ISSN:24341517)
巻号頁・発行日
no.6, pp.15-25, 2020-02

本研究は、マッチングアプリの利用経験とリスクのある性交経験との関連を検討することと、マッチングアプリ利用の心理的背景を検討することを目的としたWebパネル調査を行った。調査対象は、18 - 29 歳の484 名(男性239名、女性245名)であった。分析の結果、男女ともに恋人がいる人との性交、恋人以外の人との性交、見知らぬ人との性交の経験といったリスクのある性交経験は、アプリ利用経験がある場合に多かった。また、男性では金銭を支払った性交が、女性では既婚者との性交、首締めなどの危険な性交、金銭を受け取った性交、性病の感染経験が、アプリ利用経験がある場合に多かった。心理特性については、アプリ利用経験がある人は、賞賛獲得欲求やぬくもり希求の得点が高かった。これらの結果から、マッチングアプリの利用経験とリスクのある性交との関連について議論した。