著者
高田 知紀 高見 俊英 宇野 宏司 辻本 剛三 桑子 敏雄
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集F6(安全問題)
巻号頁・発行日
vol.72, no.2, pp.I_123-I_130, 2016
被引用文献数
2

本研究の目的は「延喜式神名帳に記載された式内社は,大規模自然災害リスクを回避しうる空間特性を有している」という仮説にもとづいて,特に四国太平洋沿岸部における南海トラフ巨大地震の想定津波浸水域と延喜式内社の配置の関係性を明らかにすることである.<br> 高知県沿岸部777社,徳島県沿岸部438社について,それらの津波災害リスクについてGISを用いて分析を行ったところ,高知県では555社,徳島県では308社が津波災害を回避しうる結果となった.さらに,式内社について分析したところ,沿岸部に位置する式内社はそれぞれ,高知県内18社,徳島県内30社であり,そのうち津波災害のリスクがあるのは,高知県2社,徳島県2社の合計4社のみであった.この結果から,古来,信仰の中枢であり,また国家から幣帛を受ける官社であった式内社は,数百年に一度で襲来する大規模津波についても,その災害リスクを回避しうる立地特性を有していると言える.
著者
堀 芳樹
出版者
公益社団法人日本オペレーションズ・リサーチ学会
雑誌
日本オペレーションズ・リサーチ学会春季研究発表会アブストラクト集
巻号頁・発行日
vol.2015, pp.278-279, 2015-03-26

鬼道の事例研究として、最近では、植村による比叡山浄化の事例と堀(旧姓植村)による生駒山と大和盆地の浄化の事例がある。人間の暴挙(織田信長の比叡山焼き討ち、平氏の平城京焼き討ちと曽我氏による聖徳太子一族の撲殺等)によって、荒血で汚されてしまった神聖な領域は多々ある。これらの荒血で汚された領域について、次元を天界に上げてこれらの暴挙が起こらなかったように神々の世界上で、神聖な領域が再び復活するような鬼道の取り組みがなされている。これらは、数理的にはファジィ事象におけるモンテカルロシミュレーションに帰着される。所謂、ノーデータ問題では、自然の状態上の主観可能性分布とファジィ事象のメンバシップ関数を与えるだけで、消滅・反転・復活のシミュレーションを繰り返すことができる。ここで、ノーデータ問題は、神々の世界を表し、主観可能性分布は神々が生起する可能性、及び、ファジィ事象のメンバシップ関数は、ファジィ事象(人間界)が神から存在を許される度合いを表す。
著者
細谷 雄一
出版者
慶應義塾大学法学研究会
雑誌
法学研究 = Journal of law, politics and sociology (ISSN:03890538)
巻号頁・発行日
vol.92, no.1, pp.47-71, 2019-01

はじめに一 「ユナイテッド・ネーションズ」の起源、一九四一年-四三年 (1) 「大西洋憲章」から「ユナイテッド・ネーションズ」へ (2) イギリス外務省の「四大国構想」 (3) イギリスの「地域評議会」構想 (4) チャーチルの「地域評議会」構想 (5) モスクワ四国宣言二 ダンバートン・オークス会議へ向けて (1) イギリス政府の構想 (2) 自治領首脳会議おわりに赤木完爾教授退職記念号
著者
関 英男
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会誌 (ISSN:09135693)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.10-15, 1995-01-25
参考文献数
8
被引用文献数
1
著者
大塚 将弘
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.737-740, 2010-03-20
著者
櫻井 準也
出版者
尚美学園大学総合政策学部
雑誌
尚美学園大学総合政策研究紀要 = Bulletin of policy and management, Shobi-Gakuen University (ISSN:13463802)
巻号頁・発行日
no.34, pp.65-75, 2019-09

1988年に公開された『となりのトトロ』はわが国だけでなく、世界中の子どもたちに根強い人気を誇るわが国を代表するアニメ映画である。また、この作品の主人公の父親が考古学者であること、トトロの寝床に縄文土器があること、そして作品の自然観にわが国の縄文時代のナラ林文化や照葉樹林文化が影響していることなど、本作品には多くの考古学的要素がみられる。本稿では、作品の概要や父親のモデルとなったと思われる実在の考古学者について説明し、父親が所蔵する書籍や縄文土器などの映像分析を行うことによって、本作品と日本考古学との関わりについて指摘した。
著者
玉置 佳菜子
雑誌
表現文化
巻号頁・発行日
vol.8, pp.67-82, 2014-03
著者
植林 茂
出版者
埼玉大学経済学会
雑誌
社会科学論集 (ISSN:05597056)
巻号頁・発行日
vol.137, pp.57-76, 2012-11

山形県では, 三隣亡の年は1年間を通して家を建てることを避けるべきであるという迷信が, 現時点においても広く浸透している。この地域的なアノマリーについて分析すると, 山形県の年間三隣亡は住宅投資(持家の新設住宅着工) への負の効果が認められ, 簡単な計量分析を行えば, 三隣亡の年には住宅着工が平均的に15~20%程度減少している。また, その影響は, 庄内地域だけではなく, 山形県全体に及んでいる一方で, 近隣他県においてはみられない。さらに, 三隣亡という迷信が住宅着工に影響を与えるというアノマリーは, プロスペクト理論を使えば, ある程度説明できる。In Yamagata prefecture, we can find the anomaly that most people avoid building residential houses in the Sanrinbou year which exists three times in 12 years (one circle of the signs of the zodiac in Chinese astrology). Econometric analyses show that the dummy variable of "Annual Sanrinbou" of the estimation equation has a 15~20% negative effect on residential investment. This negative effect spreads to all areas of Yamagata prefecture, but the phenomenon can't be found in other prefectures. The mechanism of this anomaly can be explained mostly by the Cumulative Prospect Theory.
著者
永島 剛
出版者
慶應義塾経済学会
雑誌
三田学会雑誌 (ISSN:00266760)
巻号頁・発行日
vol.97, no.4, pp.541-559, 2005-01

本稿は, 近代における生活環境とその変化を多面的に捉える試みの一環として, 水系感染症のひとつである腸チフスの罹患・死亡データが, 都市の衛生環境を検討する際に重要な手がかりとなることをしめす。事例として, 大正期東京市をとりあげる。とくに山手地域で腸チフスが多発していたことを指摘し, その要因として, 急速な都市化の過程で顕在化した給水, 下水処分の問題に注目する。As part of a project exploring historical changes in living environment, this study shows that morbidity and mortality data of water-borne infectious diseases, in particular typhoid fever, can be important indicators of urban hygienic environments. As a case study, this article considers the city of Tokyo during the Taisho era. It examines why uptown Tokyo had a higher incidence of typhoid, focusing on the problems relating to water-supply and sewage treatment which arose in the rapid urbanization process.小特集 : 日本における生活水準の変化と生活危機への対応 : 1880年代-1980年代
著者
北村 稔 極東国際軍事裁判研究プロジェクト
出版者
國士舘大學比較法制研究所
雑誌
比較法制研究 = Kokusikan comparative law review (ISSN:03858030)
巻号頁・発行日
no.39, pp.123-162, 2016

pp.123-152 講演録pp.153-159 講演時配布資料pp.159-161 主要参考文献pp.161-162 南京事件関係の必読文献期日 : 7月2日 (土)
著者
中井 義明
出版者
日本西洋古典学会
雑誌
西洋古典學研究 (ISSN:04479114)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.12-22, 1989-03-15

Herodotus says that king Xerxes led his unprecedentedly huge forces and invaded Europe in 480 B C The size of the expeditionary force, including troops from Europe and non-combatants, was more than five million persons Other ancient sources agree that the great king's forces were vast in scale, but differ as to their number The German empire mobilized seven armies, i e, one million, five hundred thousand soldiers, on the western front at the beginning of the First World War The German troops were supplied, via thirteen railways, five-hundred-fifty trains a day Nevertheless, they were distressed by shortage of provisions Could the Persian empire, which had only primitive transport, maintain such huge forces for a long time and in a far distant country? Her transportation capability was meager It seems impossible that she mobilized and continued to supply such huge forces Modern historians doubt the size of the Persian forces which Herodotus gives They try to reduce his number to reasonable levels For that purpose they use two methods One is the philological method, used by many historians They criticize the texts and make known the organization of Xerxes' forces and the commanders' names There were three infantry divisions, three cavalry brigades, the Immortals, the guard troops and the non-combatants But, if one doubts about Herodotus' number, the size of the forces remains unknown The other method used employs logistics Gen Maurice and Gen v Fischer used this method They heed that the volume of provisions carried by the transport corps determined the scale of the forces This necessitates the fixing of some variables the mean speed, the size of the files, the carrying capability of pack animals and the rate of consumption of provisions What was the Persians' speed? It must have been that which reached the maximum value of the rate of flow There are some models for inquiring into the relation between the mean speed and the rate of flow I use Greenschields' model The outcome of my computation is that six parasangs a day is best, five a day next best and seven a day third best According to Xenophon's Anabasis, the Persians frequently marched six or seven parasangs a day When they crossed a bridge or river, their speed slowed Five parasangs a day was the usual speed So, I think that Xerxes' forces crossed the Hellespontos at the rate of five parasangs a day The rate of flow of animals was 500 4 heads/h, the rate of flow of infantrymen 1,429 7 persons/h What was the size of the Persian files? Gen v Fischer thought four files to be the usual size of the infantiy and two files that of the cavalry and transport corps I follow his view As the transport corps continued to cross for 7 days and nights, the total number of pack animals is 168,134 The transport corps carried 33,626,800 Ibs, consumed 31,945,460 Ibs, and could offer 1,681,340 Ibs to the combatants Such volume of provisions can maintain 41,000 infantrymen and 4,000 cavalrymen The number of an infantry division was 10,000 men, the number of cavalry brigade 1,000 men Xerxes' forces numbered 45,000 men Many historians think that the Persian fleet was far superior to the Greek Some believe in Herodotus' number, some modify his number to 1,000 or 800 or 600 Before the battle of Salamis, all Persian ships anchored in Phaleron bay I use this fact as a clue to estimating their scale I divide the length of the seashore by the width a trireme occupies in action The outcome is 300 ships The original fleet probably numbered about 400 ships My conclusion is that the land forces numbered 45,000 persons and the fleet 400 ships
著者
五島 淑子 大石 奈津美 竹中 りえこ 古川 和樹
出版者
山口大学
雑誌
研究論叢. 人文科学・社会科学 (ISSN:02860589)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.A31-A50, 2003-12-20
被引用文献数
2

大学生の朝食の実態を把握する目的で、山口大学学生を対象にアンケート調査を行い、以下のような結果を得た。1)山口大学学生の起床時刻は平日では7時台が多く、休日はより遅い傾向にあった。また、就寝時刻では0時〜2時が多かった。2)17時以降アルバイトをしている学生は4割であった。外食(市販の弁当などの利用を含む)の利用頻度は、7割の学生が週1回以上外食を利用していた。3)朝食を食べる習慣のある学生は約6割であり、4分の1の学生に欠食傾向があった。朝食を食べない理由は、「時間がない」「面倒くさい」であった。4)6割の学生は起きて20分以内に朝食を食べ始めていた。また、朝食摂取時間は20分以内で済ませるものが9割であった。朝食の内容は、「パンを食べる」ついで「ご飯を食べる」であった。5)朝食を約半数が作っていなかった。作らない理由は、「作る時間がない」「店で買った物を食べる」「面倒くさい」であった。6)朝食を外食で済ませたことがある学生は、4分の1で、「半年に2〜3回」がそのうちの半数であった。場所はファミリーレストランが最も多く、和食が半数を占めていた。朝食を外食する理由は、「作るのが面倒くさいから」が多かった。今後、朝食の外食が増える可能性がある。7)平日早く起きる学生は、休日の起床時間も早く、平日の就寝時間が早い傾向があった。平日早起きの学生は、起床から朝食までの時間、朝食摂取時間が長く、朝食を料理する学生が多かった。朝食にかける時間が短い学生ほど作らない学生が多かった。8)自宅の学生は、平日早起きが多く、朝食を毎日食べている学生が多かった。9)アルバイトの回数が増えると就寝時刻が遅くなる傾向があった。アルバイトをしている学生の方がしていない学生より朝食を食べていない。10)学年別にみると、高学年になるにつれ、平日の起床時刻、休日の起床時刻、平日の就寝時刻が遅くなっていた。1年生では、朝食を「毎日食べる」が5割であったが、学年があがるにつれてその比率が減少し、「ほとんど食べない」が増加した。また、朝食を作らない学生も増加した。朝食の外食は、学年が上がるに従い増加した。11)理想の朝食を和食と答えた学生が多かった。品数は2〜4品が多かった。食生活の問題点として、朝食、栄養、食生活に関する内容があげられていた。12)朝食を食べるためには、まず早起きの習慣をつけることが必要である。高学年になるほど欠食率の増加、外食への依存が高まることから、「食べること」の意識を改めて問い直すための総合的な食教育が必要と考える。