著者
服部 等作
出版者
[出版者不明]
巻号頁・発行日
2011-01

制度:新 ; 報告番号:乙2297号 ; 学位の種類:博士(人間科学) ; 授与年月日:2011/1/19 ; 早大学位記番号:新5544
著者
菅原 登 Noboru SUGAWARA
出版者
北見工業大学
雑誌
北見工業大学研究報告 (ISSN:03877035)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.237-252, 1968-03

As for the structure of bridges in these days, there is some tendency to use the plane-framed structures considering the torsional rigidity of their main beams with thinwall of a box section. However, there arise some cases of designing a skew plane-framed structure to be suitable for the conditions of the erection site. Formerly H. Homberg obtained ingeniously the solutions of the plane-framed structures using the group-load (Lastgruppen) method. In this study, this group-load method is applied to the analysis of a skew plane-framed structure considering the torsional rigidity of its main beams, and the influence lines of the bending moments as well as the torsional ones are obtained by a digital computer. The results are as follows : (1) This analysis indicates considerably smaller values of the bending moments than hose without the torsional rigidity. (2) The position of the maximum bending moment is not always at the midspan of main beams. It is affected by the skew angle, the panel length, the spacing of main beams, and other factors.
著者
新井将之
出版者
日経BP社
雑誌
日経エレクトロニクス (ISSN:03851680)
巻号頁・発行日
no.800, pp.195-199, 2001-07-16
被引用文献数
2

NECが米Silicon Graphics,Inc.(SGI)へ18MビットのRambus仕様DRAMのサンプル出荷を始めた矢先,工場に出張していた部下から石川透氏に急報が届いた。作っても半分以上は検査で不良になるというのだ。回路上の問題というのが工場側の見解だった。 「そんなことあるわけないじゃない。工場の評価ミスじゃないの?」 石川氏は全く取り合わなかった。
著者
石川 智 鹿島 薫 七山 太
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100124, 2012 (Released:2013-03-08)

はじめに東北地方太平洋沖地震による津波発生以降、各地の陸上・海底における津波堆積物の記載が行われている(たとえば、Goto et al., 2011;Abe et al., 2012など)。陸上に残された堆積物については、遡上方向に向かって層厚と粒径の変化が確認されている。津波堆積物は、陸上では風雨や人為によって消失してしまうが、水に覆われる湖沼や湿地ではよく保存される。湖沼流入型の古津波堆積物についてはBondevik (1997)によって記載され堆積ユニットが明らかにされている。現世の湖沼流入型の津波堆積物の特徴を明らかにすることによって、北海道東部太平洋側などの沿岸湖沼で認められる津波痕跡への応用が可能となる。本研究では宮城県七ヶ浜町に位置する阿川沼とその周辺に遡上した津波堆積物を扱う。阿川沼は宮城県七ヶ浜町に位置し海岸線に直行する方向に細長い形状の堰止湖である。東北地方太平洋沖地震による津波発生時には、阿川沼周辺においては海岸付近で浸水高10 mを記録し、内陸2 km地点まで到達した。この沼に関する研究例は非常に少なく、水質分析とプランクトン調査報告があるのみである(田中 1993など)。この阿川沼において湖沼の存在が津波堆積物の分布とどう関わるのか検討する。研究手法海岸から阿川沼を通り、浸水域最奥部までの測線を設定する。阿川沼の海側湖岸・沼中・内陸側湖岸と最奥部でそれぞれ柱状試料を採取し、層相観察と帯磁率測定、測色、珪藻分析を行う。観察の結果と今後海側湖岸と内陸側湖岸、浸水域最奥部における柱状試料を観察したところ、これまでの研究と同じく海側ほど砂層が厚く、内陸に向かって細粒化し薄くなっていく傾向が見られた。表層は植生が繁茂しており土壌化も見られた。現在各試料の層相ごとに珪藻分析を進めており、津波が淡水湖に流入した際にその周辺に残される珪藻種構成の変化や珪藻殻の破片化について考察予定である。謝辞GPS測量は産業技術総合研究所の機器をお借りし、渡辺和明氏にデータ解析していただいた。ここに記して感謝いたします。
著者
湯浅 陽子 YUASA Yoko
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.31, pp.15-29, 2014

北宋中期の欧陽脩ちの世代から蘇賦らの世代にかけての地方官の遊楽をめぐる志向の変化の様相について、おもに記を題材として検討する。慶暦の新政の破綻から至和年間くらいまでの間、「朋黛」として批判を受け地方に左遷されていた人々が制作した官舎庭園や遊楽を記念する記においては、公人の楽のあり方、特に人民との共有というテーマが繰り返し取り上げられ、さらにこのテーマが『孟子』や『讚記』といった経書を踏まえた正当なものであることが強調されており、そこには彼等の士大夫としての自負の強さを見ることができる。また、知定州期の韓埼は、特定の時節に人民に公開するための庭園として「康柴園」を整備しつつ、同時に自分の休息あるいは修養のための場所をも区別して整備している。仁宗嘉祐年間には、欧陽脩らよりもひと世代下の人々の間の「衆楽」をめぐる思考に新たな展開が発生し、孫覺「衆業亭記」。曾撃「清心亭記」は、長官という立場にいるひとりの人物の内面の安定を希求し、君子の修養を国家を治めるための手段として位置づけているが、人民との「築」の共有については言及していない。このような発想は、蘇載が嘉祐八年の「凌虚蔓記」以降、熙寧から元豊年間にかけて多くの記のなかで繰り返し強調する、地方長官の閑居における、外物に煩わされることのない精神的修養の重視に近いものであり、その先駆けとなるものと考えることができる。哲宗熙寧四年に洛陽で引退者となった司馬光は、当地に獨榮園を整備し、自ら「獨楽園記」を制作したが、その記述は、この「獨楽」もまた『孟子』梁恵王下を典拠とし、かつこれ以前に書かれてきた「衆楽」に関する多くの湯浅陽子文章を意識したものであることを示している。すでに退職者となった司馬光には、任地の官舎に附属する庭園ではない自己の退体の地の庭園であるからこそ、「衆楽」と対比される「獨来」をその名とすることが可能だったのだろう。しかし「獨業」は、「衆楽」と対比され、より劣るものとして控えめに提示されており、ここでも知識人のあるべき楽としての「衆業」の持つ規範性は依然として強く意識されている。また、蘇拭がこれに寄せた「司馬君賓獨榮園」詩でヽ司馬光の「獨楽」を、才能と徳とを内に秘めて轄晦するものだと説明し、司馬光が引退者として個人的な閑居に引きこもろうとする態度を批判するのも、「衆柴」を意識することによるものだろう。慶暦の新政の失敗による関係者の左遷のなかで強調された地方官の理想の遊楽としての「衆楽」は、当初は為政者としての自負や理想と強く結びついたものであったが、その後彼等の流れを汲む保守派の官僚たちによって継承されていくなかで次第に変容し、より自由度を高め、個人的な、精神的なものの希求へと変化していったと考えられる。
著者
青木 優子 アオキ ユウコ Aoki Yuko
出版者
大東文化大学人文科学研究所
雑誌
人文科学 (ISSN:18830250)
巻号頁・発行日
no.19, pp.61-78, 2014-03

「淡」は中国美学において重要な概念のひとつである。「淡」を含む中国美学の概念グループが一定の美学的価値を確立したのは、北宋時代の文人官僚(本稿では特に欧陽脩、梅堯臣、蘇軾を中心とする)たちの活発な芸術理論によるところが大きい。北宋期の「淡」は、作品の味わいが無いことを指すのではなく、かえって味わいが深いことを指す。一見逆説のようであるが、実は『老子』の「道の口より出づるは、淡乎として其れ味わい無し」(第三十五章)の忠実な解釈であり、それだけでなく、「味」の根源として「無味」を位置づけている。文人たちの理論は、「特定された個別の味」を超えた味=「無味」を感知するよう促し、「淡」の美学的価値を最大限に高めた。本稿では、あらゆる味を含む中国的「無味」を味わうことで、究極の審美体験を目指した北宋以降の「淡」の美学の構造を説いたものである。
著者
内田 英夫 木曽 茂 柳沢 武三郎
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. EA, 応用音響
巻号頁・発行日
vol.95, no.304, pp.1-6, 1995-10-19

一般幹線道路において、3ヶ月間にわたり10分おきに道路交通騒音を測定し、道路交通騒音の日変化について検討した。その結果、月曜日の朝から土曜日の午前ぐらいまでは同じ日変化になることが明らかとなった。日変化の原因を知るために、30分おきに交通量と車速を調査した。その結果道路には交通容量があり、交通量と車速がおおむね2次曲線的な関係にあること。このため交通量がある範囲では騒音レベルが余り変化しないことが明らかになった。
著者
万谷 志郎 的場 幸雄
出版者
一般社団法人 日本鉄鋼協会
雑誌
鉄と鋼 (ISSN:00211575)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.666-672, 1963-04-01 (Released:2010-10-12)
参考文献数
9
被引用文献数
8 7

Equilibrium of phosphorus-carbon-oxygen in liquid iron in contact with a mixture of solid calcium phosphate and calcium oxide was studied in a controlled gas atomosphere of CO-CO2 gas mixture in the range of 0.03-1.2% of phosphorus in liquid iron at 1530.., 1560.., and 1585... It was found that the stable phase of calcium phosphate was of tetracalcium phosphate, 4CaO.P205, at the presence of free lime in this experiments.The results obtained were summerized as follows: (1)(1b)(1c)(2)(2b)(2c)(3)(3b)(3c)
著者
波多野 完治
出版者
日本幼稚園協会
雑誌
幼児の教育
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.12-13, 1954-02-01
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1022, pp.94-98, 2000-01-03

「いままで土地によってもうけたというとこが、今度は土地によって損する、こういう状況が起こっているわけですな。(中略)悪人は一時栄えても、やっぱり罰せられるということが原則ですわな。その原則がやっぱり、そういう商売にも及んでいるわけですわ」 「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助は、石油ショック後の地価下落に狼狽する企業経営者に向けてこう語った。
著者
若山 浩
出版者
愛知学院大学
雑誌
愛知学院大学教養部紀要 (ISSN:09162631)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.91-110, 2006-08-31
著者
杉山 吉弘
出版者
札幌学院大学総合研究所
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
no.97, pp.25-42, 2015-03

本論の課題は古典ギリシャ以来のエコノミー概念の基本的な意味と用法を明らかにすることであり,したがってまたたとえばフーコーの言う権力の「エコノミー」とは何かを問うことでもある。まず最初に,ラローシュによる語源的研究を活用して古典ギリシャのオイコノミア概念の解明を試み,エコノミー概念の基礎的な成り立ちを明らかにした。その考察に依拠して,アリストテレスのオイコノミア,神のオイコノミア,自然のエコノミー,アニマル・エコノミー,モラル・エコノミーなど,エコノミー概念の系譜学における主要なテーマについてその概要を論述した。本論で明らかになったことは,エコノミー概念は共同体の「管理運営」または「統治」を基本的な意味としつつ,ある全体の統御,統御の術または学,(被)統御系という複合的な用法をもつということである。The aim of this treatise is to throw light on the meaning of economy used from ancient times. For instance, what meaning has the economy of power that Michel Foucault insists on in his philosophy ? Therefore I try to retrace the genealogy on concept of economy. First of all, I attempt to inquire into, by means of the etymological study by E. Laroche, the concept of oikonomia used in ancient Greek literature. After this critical research, I treat the principal subjects of this genealogy, for example, oikonomia in the philosophy of Aristotle, oikonomia of Christian God, economy of nature, animal economy, moral economy etc. I come to the conclusion that the concept of economy has fundamentally the meaning of administration or government of community, and moreover the complex implications of control, art or science of control and order or system controlled.論文Article
著者
大西 泰博
出版者
敬文堂
巻号頁・発行日
2010-01

制度:新 ; 報告番号:乙2300号 ; 学位の種類:博士(法学) ; 授与年月日:2011/2/9 ; 早大学位記番号:新5548
著者
安部 真理子
出版者
日本科学者会議 ; 1966-
雑誌
日本の科学者 (ISSN:00290335)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.326-328, 2015-06