著者
井保 和也
出版者
Japanese Association for the Contemporary and Applied Philosophy (JACAP)
雑誌
Contemporary and Applied Philosophy (ISSN:18834329)
巻号頁・発行日
no.11, pp.1-22, 2020-01-31

Suppose Ann, who is a colleague of Beth, was thirty minutes late for an important meeting. And suppose, on the next day, Beth was also ten minutes late for her appointment with Ann, and Ann blamed Beth for that. If you had been in the position of Beth then, you would have said, "You are hypocritical. Who are you to blame me for that?" This is because you have a widely shared intuition that some agent R has the standing to blame some other agent S for doing some wrong action φ only if R is not hypocritical with respect to φ. In philosophy of blame, this is called nonhypocrisy condition. My aim in this paper is to explain why nonhypocrisy condition seems to be plausible. (Note that I don't mean to justify it.) This paper is divided into four sections. In section 1, I explain the nature of blame briefly. In section 2, I strictly define hypocrisy that is involved in nonhypocrisy condition. In section 3, first, I see three important features of hypocritical blame, referring to Fritz and Miller. Next, I survey and criticize three theories of hypocritical blame that have been offered so far: inconsistency theory, equality-violating theory, and right-forfeiting theory. I think all of them have a defect respectively. The first one and the second one cannot properly explain one of the three important features of hypocritical blame. And, in order to support the third one, we have to bite bullets. In section 4, I offer a new theory of the nature of blame, looking-down theory, according to which, in many cases, when we blame others, we look down on them in some aretaic aspect. I conclude that we should appeal to this nature of blame to successfully explain why nonhypocrisy condition seems to be plausible.
著者
荒川 吉孝
出版者
舞鶴工業高等専門学校
雑誌
舞鶴工業高等専門学校紀要 (ISSN:02863839)
巻号頁・発行日
no.40, pp.118-123, 2005-03

以下は、スコットランド王ジェィムス六世(1603年以降、英国王ジェイムス一世)の『悪魔学』(1597年エディンバラ刊)を翻訳し註釈を施したものである。この本は三巻から成り、フィロマテスとエピステモンの対話の形を取っている。ここでは第二巻の最初の三章を取り上げる。第一章では、妖術と降霊術が憂鬱と想像力の産物にすぎないとする意見に反駁する。第二章は、降霊術や妖術といった言葉の語源と定義を扱い、魔女の入門と見習いに話題が及ぶ。第三章では、魔女の行為を、「自分自身に関するもの」と「他人に向けられたもの」に分け、魔女の集会と儀式、特に悪魔の礼拝に言及する。
著者
林 明子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.13-24, 2012-03-30

本稿の目的は、経済的に不利な状況におかれている家庭の子どもたちが日常生活と進路選択をどのように経験しているのかを解明し、なぜ彼/彼女らが相対的に低位の進路にたどり着くのかに迫ることにある。ライフストーリーに着目し分析をおこなったところ、子どもたちは家庭の困難により学校では周辺的な位置におかれる一方で、家庭がよりどころとなり「家庭への準拠」を強めていた。その帰結として、子どもたちは低位の進路を選択することになったのである。
著者
都並 敏史
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1473, pp.89-91, 2009-01-12

やっぱり結果が悪すぎました。世界経済が急激に悪くなっている中で、サッカーチームのスポンサーをしている会社も、資金がなくなってきています。僕はちょうど悪いタイミングに当たったということかもしれません。 2007年にシーズン途中でJリーグ2部(J2)のセレッソ大阪の監督を解任されたのに続き、2008年は3年契約だった横浜FCの監督を1年目で辞めさせられました。
著者
坂井 素思
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.33-40, 2007

この小論では、なぜ日本にコーヒー浸透という現象が起こったのか、あるいは日本人はなぜコーヒーを好きになったのかというテーマを考えてみたい。幕末の開港とともに、日本の税関はそれぞれの港で貿易統計を取るようになった。このため、外国との取引貿易品、なかでもとりわけ農産物は全て記録されることになった。明治の初めから、日本がどれだけのコーヒーの生豆を輸入したのかがほぼ完全に把握できることになる。これで見ると、1920年代から1930年代にかけて輸入量が累積的に多くなるという現象が観察される。この小論では、なぜコーヒーが浸透したのか、という点をめぐって、1920年代から始まるコーヒーブームに焦点を当てて、その理由を考えた。以上の結果、喫茶店によるネットワーク型消費の展開、世界のコーヒー市場の影響、都市化と覚醒文化の進展、などが社会経済要因として挙げられるという結論が得られた。
著者
中本 謙
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.1-14, 2011-10-01

琉球方言のハ行子音p音は,日本語の文献時代以前に遡る古い音であるとの見方がほぽ一般化されている。このp音についてΦ>pによって新たに生じた可能性があるということを現代琉球方言の資料を用いて明らかにする。基本的に五母音の三母音化という母音の体系的推移に伴って,摩擦音Φが北琉球方言ではp,p^?へと変化し,南琉球方言では,p,fへと変化して現在の姿が形成されたと考える。従来の研究に従い,五母音時代を起点にするのであれば,ハ行子音においても起点としてΦを設定しても問題はないと考える。そして,この体系的変化と連動してワ行子音においてもw>b,の変化が起こったとみる。また,ハ行転呼音化現象や語の移入時期という側面からもp音の新しさについて考察する。内的変化としてΦ>pが起こり得る傍証としてkw>Φ>pの変化傾向がみられる語も示した。
著者
林 容子 Yoko HAYASHI 尚美学園大学芸術情報学部情報表現学科
出版者
尚美学園大学芸術情報学部
雑誌
尚美学園大学芸術情報学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Informatics for Arts, Shobi University (ISSN:13471023)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.57-79, 2004-12-24

2002年から2004年の夏にかけて、マンスフィールド財団、アジア財団、パシフィックフォーラムという3つの米国系財団の招聘で、日韓の諸問題を討議するリトリートに参加した。安全保障や外交の専門家に加え、NGO、文化、ジャーナリズムを専門とするそれぞれの国の代表が一同に招聘され、自由に討議した。それぞれの視点より、日韓関係を述べることになったとき、筆者のカウンタパートである韓国の美術史家より、「日本は、日帝期時代に多くの朝鮮墳墓を発掘し、朝鮮美術品を不当に日本に持ち帰り、返還していない。日本には、多くの逸品を含む30万点に上る朝鮮文化財があり、韓国の研究者は、自国の文化財なのに、わざわざ日本まで見に行かなければならないし、なかなか見ることができない。」と開口一番に指摘された。文化分野を代表していたものの、私の専門はアートマネージメントであり、朝鮮美術の専門家ではない。これまで、特に朝鮮美術はおろか、日韓関係についても特別の関心は持ってこなかった。彼女が指摘したのは、いわゆる略奪文化財の問題であるが、略奪文化財といえば、それまで私の脳裏に浮かぶのは、大英博物館保有の古代ギリシアの大理石彫刻(別名:エルギンマーブル)やナチスが略奪して、散逸した美術品の数々であり、「日本が朝鮮から美術品を略奪した」といわれても"晴天の霹靂"といわざるをえなかった。その場では、残念ながら日本代表として弁護することも、謝罪することもできず、とにかく自分なりに事実関係を確認し、次に報告すると約束するのが精一杯だった。これが本稿の切掛けとなった。帰国後、このことを日本の様々な知人に話すと様々な反応が帰ってきた。しかし、この件について無知だったのは、私だけでなく、朝鮮美術や東洋美術の専門家の友人を除いて、多くにとって、このことは初耳のようだった。事情を話すと、一般の人は「それなら返還したらいいじゃない。」と別に人事のような反応だった。一方、日本の東洋美術の専門家の友人たちに話すと、「この件は、すでに決着がついているのに、何故いまさらそんな過去のことを調査するのか。日韓の文化交流はとてもよくなっているのに、あなたがしようとしていることは、全くの時間の無駄であり、それよりも何故、もっと前向きなことにエネルギーを使わないのか。」と大変な勢いで抗議された。本問題に関して、両国の国民の間の意識レベルに大きなギャップが存在する。この問題に対する双方の一般国民の意識の低さおよび事実関係の認識の欠如が他の日韓の歴史問題同様に感情論の問題にしてしまい、根本的な問題解決を妨げていることも否めない。その一方で、日本と韓国の交流は、日韓ワールドカップの共催を経て両者の政府の方針もあり急速に高まっている。韓国側でも政府主導の友好的な外交政策がとられ、少なくとも日本では韓国に対する国民感情が少しずつながら好意的なものになっている。結果として85年以降日本人コレクターによる韓国への文化財の恣意的な寄贈も増えている。今、日本は、国交正常化以来の韓国文化ブームに沸いている。また、韓国でも、日本の朝鮮半島占領政策がもたらした経済効果を数字で分析する経済学者1が現れるなど、単なる感情論を越えて、日本の植民地政策を分析しようという動きが出てきている。調査を進めるうち、本問題は、日本の朝鮮植民地政策、日韓条約などの歴史問題に深く関わることはいうまでもないが、さらに、現在の国際法上での略奪美術品の扱いの問題や日本における美術品に関する税制や公開の制度の未整備など、国内外のアートマネージメント上の問題が大きく関わっていることがわかった。そこで本稿では、大きく第一に、在日朝鮮文化財の歴史的経緯、第二に、国際的および日本の国内事情の抱えるアートマネージメント関連の問題の考察、つまり、多くの在日朝鮮美術品の返還と公開に関わる問題を取り上げる。最後に、これらを踏まえた上でのこの問題に対する改善試案を提案する。Few in Japan's public know that approximately 29000 pieces of Korean artifacts are found housed in Japan's public museums. This accounts for only 10% of all Korean artifacts in Japan including those held in private hands. Many of them were supposed to be taken to Japan from Korea illegally during the colonial period. In Korea, the issue of illegally taken artifacts is a well-known to public. The gap in the awareness between Korea and Japan on the historical issue creates tensions between the two countries. The unsolved issue of restitution goes back to the flawed Korea Japan Treaty. While it is not feasible to solve this problem from legal perspective, voluntary donations of Korean artifacts by Japanese private collectors has gradually increased as the relationship between the two countries became improved since 1985. The research on current status of those Korean artifacts in Japan revealed another problem, which is many of them are still hidden and not even available for public view. The domestic problems surrounding art collection in Japan such as lack of tax incentive for public display and donation of artworks constitute the major factors behind Korean artifacts staying in hidden Japanese private collections. In order to promote the public access to the Korean artifacts in Japanese private collections, tax reform is needed. Also, public and private initiatives should be created to begin joint research and scholarly exchange dedicated to increasing public awareness on this subject, which will contribute to improve relations between Japan and Korea as well as to flowering of cultural sharing in the region.
著者
LEE Hyong Cheol 李 炯喆
出版者
長崎県立大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:2432616X)
巻号頁・発行日
no.1, pp.7-19, 2016-12-28

朝鮮が日本の植民地になってから日本語が国語となり、朝鮮語は民族語となったが、35年間に及ぶ全植民地期間中に朝鮮語使用が禁止されたわけではなかった。1920年代の文化政治期には教育熱が上がったため普通学校の新設が急増し、なお朝鮮人による朝鮮語(ハングル)の啓蒙運動と研究が展開され、制限的ながら言論、文化活動も許された。しかし、1930年代後半になり、内鮮一体を目指す皇民化政策の下で、学校と官公署で朝鮮語の使用が禁止され、国語常用が強要されたが、朝鮮人の日本語解読率が20%くらいしかなかったため、終戦の日まで朝鮮語による新聞の発行と放送を行った。総督府は朝鮮語使用の禁止・国語常用運動を展開しながらも、一方では植民地統治のため、自ら朝鮮語の新聞と放送を活用する方針を採ったが、それでいて朝鮮語使用禁止と民族性の抑圧を否定するのは無理である。
著者
西田厚聰
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1410, pp.58-66, 2007-10-01
被引用文献数
1

9月4日午後6時過ぎ。都市対抗野球大会の決勝戦が開かれていた東京ドームは熱狂の渦に包まれていた。1回表無死満塁。東芝4番、西郷泰之が放ったホームランに、レフトスタンドを埋め尽くした「紅い軍団」が歓喜した。 その中に、東芝社長の西田厚聰の姿があった。白いワイシャツの上に赤いユニホームを羽織り、立ち上がって赤いうちわをたたいて声援を送っている。
著者
田中 ゆかり 上倉 牧子 秋山 智美 須藤 央
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.5-17, 2007-09-30
被引用文献数
1

日本でもっとも多言語化が進行している東京圏のデパート37店舗を対象に,言語景観調査を2005年に実施した.ランドスケープの観点から店内案内のパンフレットと店内の全館案内掲示,サウンドスケープの観点から閉店時の店内放送の多言語化の実態について報告する.その上で,東京圏のデパートにおける多言語化の進行過程と,デパートという商業形態における言語の経済価値について述べる.実態調査結果からは次の点が明らかとなった.(1)「23区内多言語使用」対「東京近郊単言語使用」という地域差が観察された(2)23区内には次のような地域特徴が観察された.「新宿地域の東アジア系言語重視」「銀座・有楽町・日本橋・東京の西欧言語の取り入れ」(3)東京近郊における「大宮・立川・吉祥寺の多言語化の萌芽」(4)旗艦店に多言語化が著しい(5)パンフレットの多言語化がもっとも進んでいる.ついで店内放送が多言語化している.店内掲示はほとんど多言語化していなかった.(6)多言語化の進行過程として次のパターンが指摘できる.「日本語単言語⇒日本語・英語(2言語)⇒日本語・英語・中国語・韓国/朝鮮語(4言語)⇒日本語・英語・中国語・韓国/朝鮮語+α(5言語以上)」上記結果の背景としては,東京23区における日本語以外の言語を使用する居住者ならびに観光などによる一時滞在者数の多さと,東アジア系ニューカマーの新宿地区における増加が指摘できる.顧客が使用する言語に対応した実質言語としての英語・中国語・韓国/朝鮮語の採用と,デパートのイメージ戦略に対応したアクセサリー的言語(イメージ言語)としての西欧言語(フランス語・イタリア語)の取り入れの両側面が指摘できる.
著者
神長 英輔
出版者
新潟国際情報大学
雑誌
新潟国際情報大学情報文化学部紀要 (ISSN:1343490X)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.1-14, 2012-04

1950年代,全国各地で若者の合唱サークルが組織された.1940年代末に起こったこの運動はうたごえ運動と呼ばれた.うたごえ運動は文化運動,労働運動,反核平和運動と連携し,1950年代半ばに最盛期を迎えた.しかし,早くも1960年代前半には人気を失った.この運動はどのようにして同時代の若者の心をとらえたのか.またなぜ若者の心はうたごえ運動から離れていったのか.この論文は進化論の観点から文化を理解するミーム学の知見を用いてこの疑問に答える. ミームとは模倣であり,遺伝子に似た「文化の自己複製子」として理解される.うたごえ運動とは「正しく,美しく歌え」などの指示のミーム,「歌の力によって大衆を組織し,世を動かす」という物語のミーム,ミームとしての歌からなるミーム複合体である.うたごえ運動が拡大し,一転して衰えた過程はこれらのミームが複製された(されなくなった)過程として説明できる.
著者
津田 悦子 Tsuda Etsuko ツダ エツコ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科教育学系
雑誌
大阪大学教育学年報 (ISSN:13419595)
巻号頁・発行日
no.5, pp.29-44, 2000-03

西洋の近代的子ども観の基本枠組みを明るみに出したアリエス著『〈子供〉の誕生』の「子ども」はいかなる年齢集団を対象としているのか。これについてのこれまでの見解は一致せず矛盾の様相さえ見せている。「子ども」年齢の追究は、発達段階理論の発展に伴って未成年者全体と単純に想定するだけでは不都合な場合もあり、今後その必要性は増していくように思われる。そこで、アリエス論における「子ども」年齢を探る手段として、「新生児期」という最初で最短の時期を取り上げ、「新生児」への言及を拾い出し、考察を加えながらその位置づけを模索する。その一連の作業から見出されたのは、「子ども期」の歴史が「新生児」に関わる事象とそうでない事象に二分されていることであった。つまり、近代以前の「子ども」が軽率に扱われた証拠となる事象は「新生児期」と関わりを持ち、反対に、近代以降の「子ども」の記述内容においてはなぜか人生初期の「子ども」への焦点がぼやけるのである。一括りにして述べられる「子ども観」の中で、最も「大人」にとって異質な「子ども」である「新生児」は、過去の親子関係の劣悪さを強調する役割を担わされたのだろうか。これから必要とされる「子ども観」にとって、重要な基礎となる歴史把握に疑問を提起する。