著者
佐々井 俊文 三橋 俊雄
出版者
日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
vol.59, 2012

本研究では、自立自存的な生き方とは何かを探求するに当たり、京都府北部の2地区において、民俗学的および道具学的な視点から聞き取り調査および行動の調査を行った。<br>宮津市の丹後由良地区では、調査対象者1名の生活技術や生活哲学が、自然の循環の中にあり、また物々交換に代表される人との関わりの中にあることが明らかとなった。そのことは特に消し炭の利用に明確に表れており、自立自存的な生き方の特徴的な生活技術の事例の1つを示唆していると考えられる。<br>福知山市雲原地区では、兼業で猟を行っている2名の対象者が、猟を通じた道具の加工技術や、害獣と対峙しながら生活していくための、幅広い知識と技術を持っていることが明らかとなった。<br>こうした対象者らの日常の生活や生活技術は、自然の中で自立自存的な生き方を実現するための、重要な知見であると考えられる。<br>
著者
手塚 博
出版者
有斐閣
雑誌
哲学雑誌 (ISSN:03873366)
巻号頁・発行日
vol.132, no.804, pp.263-302, 2018
著者
野澤 秀樹
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.635-653, 1986
被引用文献数
1

19世紀フランス最大の地理学者の一人に数えられるエリゼ・ルクリュ (1830-1905) は,ほとんど忘れられた存在であったが,近年地理学史やrelevantな地理学への関心から,再評価されつつある.本稿はルクリュ地理学の体系とその思想を彼の地理学三部作の中に探ることを目的とする.ルクリュは人類史の前史として地球の諸現象を地的調和の中に捉え(第1作『大地』),次いで世界各地で自然と人間が織りなす地表面の姿を記述し(第2作『新世界地理』),これらの事実の中から根本法則を引き出し,人類の歴史を跡づけることを課題とした(第3作『地人論』).ルクリュの地理学体系は個別科学としての地理学の体系化に寄与するというより,人類の歴史,人類の歴史的有り様を追究した壮大な歴史哲学といえる.ルクリュの思想は人類の歴史を階級闘争史観で捉える社会科学的視点に立つ一方,自然と人間の調和ある統一を理想とした目的論的世界観であるロマン主義の思潮と進化主義の思想とが統一された思想であった.
著者
森 一郎
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

本研究の初年度である平成29(2017)年度は、「世界への愛」という研究テーマが大きく進捗した一年であった。まず、2017年10月に、単著『世代問題の再燃――ハイデガー、アーレントとともに哲学する』を明石書店から出版した。これは『死を超えるもの 3・11以後の哲学の可能性』(東京大学出版会、2013年)のいわば姉妹編であり、世界への愛をめぐる試論集成である。世代という今日的問題を深く問い直そうとする本書に対する反響は大きく、朝日新聞などで書評に取り上げられ、出版二ヶ月後には増刷となった。また、2018年3月には、初めての書き下ろし単著『現代の危機と哲学』を放送大学教育振興会から公刊した。放送大学ラジオ科目の印刷教材であり、現代人にとっての哲学的思考の重要性を広く、分かりやすく市民に伝える内容でありつつ、ニーチェ、ハイデガー、アーレントについて独創的解釈を展開している。のみならず、年来の「世界への愛」著作構想の第一部という面をもち、「始まりの時間性」や「世界の存続」の謎に挑む大胆な思索の書である。4月から始まったラジオ放送とともに、今後の反響が期待される。論文としては、「ハイデガーからアーレントへ――世界と真理をめぐって」を、実存思想協会編『実存思想論集』第32号に、「『存在と時間』はどう書き継がれるべきか」を、ハイデガー研究会編『Zuspiel』に、「労働という基礎経験――ハイデガーと三木清」を、青土社の『現代思想』のハイデガー特集号に、「世代の問題――マンハイムと三木清」を、明治大学の『異境の現象学』に、それぞれ寄稿した。
著者
土場 学
出版者
数理社会学会
雑誌
理論と方法 (ISSN:09131442)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.157-173, 1996-12-31 (Released:2016-08-26)
参考文献数
8
被引用文献数
6

数理社会学は、社会学を科学として自立化させることをめざす「啓蒙のプロジェクト」として出発した。そのさいそれは、「論理合理主義」のプログラムにもとづき、社会学理論を科学と非科学に峻別し、あわせてこれまでの社会学理論はほとんど非科学的な類似理論であると喝破し、真に科学の名に値する社会学理論の確立を標榜した。しかし現在、数理社会学は社会学のなかで確固たる地盤を築いたにもかかわらず、社会学全体の状況は数理社会学のもくろみどおりにはならなかった。その根本的理由は、論理合理主義のプログラムにこだわるかぎり社会学そのものが非科学にならざるをえず、したがって数理社会学の思い描く社会学理論なるものが多くの社会学者の思い描く社会学理論と乖離していたからである。そもそも、検証(反証)という普遍的基準で科学と非科学をアプリオリに判定するという論理合理主義の科学哲学が厳密には容認できないものであることは今日では明らかである。しかしその一方で、本来、数理社会学のポテンシャルは論理合理主義のプログラムを超えている。すなわち、数理社会学とは、社会学理論としての数理モデルの妥当性を超越的に宣言するのではなく経験的に追求していくプロジェクトであり、その意味で、このプロジェクトは今なお未完なのである。
著者
橋爪 大輝
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2014-04-25

本研究は、政治理論家ハンナ・アーレントの思想を哲学/倫理学的な観点から体系的に解明することを目ざすものである。当該年度は、下記の点において研究の進展を見た。(1)アーレントは、世界において他者とかかわる人間が、かかる他者と世界から後退し自分自身と対話することで自立を確立すると考える。彼女が思考と呼ぶのはこうした動態に他ならない。思考の機制と構造を、論文「〈一者のなかの二者〉の構造と成立機序」(『倫理学年報』第66集、日本倫理学会、2017年3月)において私たちは示した。(2)アーレントは、人びとが形づくる共同性(〈政治〉)が公と私に分かれると考える。このような公私二元化には批判も多いが、私たちはこの二元論が公共性を確保するために欠かせない論理構成であることを、その〈親密圏〉批判を手掛かりに以下の学会報告において論証した。「アーレントの親密圏批判の意義」(ワークショップ「親密さの倫理」日本倫理学会第67回大会、2016年9月)。(3)人びとの共同性が営まれる場は〈世界〉と名指される。世界は、彼女にあってその外延を伸縮させるものであり、彼女は人間が制作する〈もの〉からなる世界を「物世界」と呼ぶ。論文「有用性を越えて持続する〈もの〉」(『社会思想史研究』第40号、藤原書店、2016年10月)では、このような〈もの〉に関する理論を解明した。(4)本研究は2015年度公刊の論文にて、アーレントの政治概念を「関係と主体を同時に出来させる〈あいだ〉の生成」として、高度に抽象的なその理路をひとまず解明していた。とはいえ、彼女は政治を具体性の相においても思考していた。論文「政治の闘争性」(『倫理学紀要』東京大学大学院人文社会系研究科 倫理学研究室、2017年3月)では、彼女の「戦争」や「アゴーン(闘争)」といった概念を糸口に、かかる抽象的概念を具体性の場に受肉させることを試みた。
著者
鶴田 尚美
出版者
京都倫理学会
雑誌
実践哲学研究 = STUDIES FOR PRACTICAL PHILOSOPHY (ISSN:02876582)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.37-59, 2015-10-29

許諾条件により本文は2016-10-30に公開
著者
加地 伸行
出版者
大阪大学
雑誌
中国研究集刊 (ISSN:09162232)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.51-55, 1985
著者
太田 紘史
出版者
京都大学哲学論叢刊行会
雑誌
哲学論叢 (ISSN:0914143X)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.102-113, 2007
著者
内海 健
出版者
上智大学哲学会
雑誌
哲学論集 (ISSN:09113509)
巻号頁・発行日
no.37, pp.19-40, 2008
著者
森 哲彦
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-14, 2008-12-23

カントの哲学フレーズに「人は哲学を学ぶことはできない...ただ哲学することを学びうるのみである」(B866)とある。カントのいうこの「哲学を学ぶ」とは、知の認識偏重に対する諫めのことで「哲学すること」とは、哲学を通しての思考を求めていることである。カントも前批判期で苦闘して道を開いたように「哲学すること」は、哲学と哲学史の相互関係問題でもある。つまり「哲学すること」にとっては、誰かの根源的なものを問う哲学や人間社会の現実を思考する思想を手掛かりとして、歴史的に対話することが問題となる。従って「哲学の過去に立ち戻ることは、常に同時に哲学的自己省察と自己反省という行為でなければならない」といえよう。さて十八世紀後半のカントが課題とする理性、人間、人格、平和、啓蒙、多元主義をめぐる諸問題は、今日的課題とある種の類似関係がある、と思われる。そうだとするとこのような問題意識を自覚するために、本論では、カント批判哲学の理性哲学、実践哲学、美学、宗教哲学、そして人間学を解明るものである。なおカントは、今日に至るまでドイツや日本のみならず世界的にも、多くの市民により、高く評価されてきている。では人々を引き付けて止まないカントの偉大な精神とはなにか。まず第一は、批判の精神といえよう。カントの批判精神は、恣意的、独断的見解や懐疑的見解を退け、厳密な思考により、対象を全体的な関連から明晰に解明する。つまり批判とは「書物や体系の批判のことではなく、理性が全ての経験に依存せずに切望するべく全ての認識に関してのことであり、従って形而上学一般の可能性もしくは不可能性の決定、この学の源泉、範囲、限界を規定」(AXII)することにより、普遍的なものを求める精神である。第二は、人格尊重の精神である。カントによれば、理性的存在者としての人格は、相対的価値しかもたないものから区別され、目的自体として絶対的価値をもつとする。つまりカントは、人間尊厳の根拠のために、普遍的な道徳的法則を立て、理性自ら立法する自律的、理性的人格を確立する。その理性的人格は、良心の声、絶対的な道徳の声、道徳的義務の声を要請する。そしてこの道徳的義務の使命を発するところの人間を尊ぶカントの人格主義が、カントの名を不朽のものにしているのである。