著者
青山 弘
出版者
筑波大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1986

窒素上にエチル基,プロピル基またはイソブチル基を有するピペラジンテトラオンをアセトニトリル中で高圧水銀灯を用いて光照射するとγ水素引き抜きを経由して分子内酸化還元生成物および環化生成物が得られた。この結果より、この複素環化合物のカルボニル基はケトンやイミドのカルボニル基と同様の光反応性を示す事が明らかになった。また上記の環化反応は炭素と酸素の間の結合生成をともなう環化反応であり、これまでに例のない新しい型の環化反応である。窒素上に二個のアルキル基を持つイミダゾリジントリオンを種々のオレフィン存在下、ベンゼン中で光照射したところ、いずれの場合もオレフィンとの2+2付加物(オキセタン)が主生成物として得られた。イミダゾリジントリオンはスチルベンに対しても光付加してオキセタンを与えるが、この反応においては吸光係数から考えてイミダゾリジントリオンではなくスチルベンが光を吸収していると考えられる。このように、オレフィンの励起によるオキセタン生成はきわめて例が少なく、興味深い結果である。
著者
瀬谷 貴之
出版者
神奈川県立金沢文庫
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011

本研究では、運慶やその関連作品が、霊験仏信仰と密接に関わっていたことを指摘した。霊験仏信仰とは特別の由緒を持ち、利益をもたらすと考えられた仏像への信仰である。運慶による造仏は単に芸術的に優れていただけではなく、霊験仏信仰と結びつくことにより、多大な影響を与えたことを明らかにした。具体的には、運慶による建久八年(1197)の京都・東寺講堂諸尊像の修理時の「仏舎利発見」について検討した。そしてこの修理で、運慶や運慶作品へ霊験性が付与されたことを指摘した。また建保七年(1216)の鎌倉・大倉薬師堂の運慶による造仏が、霊験説話と結び付き、後の鎌倉における造仏に多大な影響を与えたことなども解明した。
著者
平山 郁夫 杉下 龍一郎 田口 榮一 水野 敬三郎 田渕 俊夫 福井 爽人
出版者
東京芸術大学
雑誌
海外学術研究
巻号頁・発行日
1988

今回の調査は昭和57年度の予備調査、昭和58年度の第1次本調査、同60年度の第2次本調査に続く第3次最終本調査である。第1次本調査では敦煌初期石窟中から壁画の一部に西魏大統4・5年(538・9)の紀年銘がある第285窟を選んで重点的な調査を行い、第2次本調査では北周代に属する第428窟ならびに隋代の造営になる第427窟の2窟について重点的な調査を行った。その調査研究結果は『敦煌石窟学術調査報告書』第1次および第2次の2冊に記したとおりである。昭和62年度の第3次本調査では、敦煌に10日間滞在し、9日間を石窟調査にあてた。第57窟をはじめとする初唐窟、第217窟など初唐から盛唐にかけての諸窟などを中心として特に第220窟について重点的な調査を実施した。この第220窟は、窟内に貞観16年(642)の年紀があり、また他の銘文により龍朔2年(662)に完成したことが知られる。敦煌の初唐窟ではもっとも早い年紀を持つものとして、また塑像、壁画ともに極めてすぐれた作行きを示すものとして、敦煌石窟のみならずこの期の中国美術史を考えるうえで極めて貴重な存在である。われわれの調査によれば、まず壁画では、南壁の壁面全体に描かれた阿弥陀浄土図が、それまで仏説法図形式を中心として展開してきた浄土図とは全く異なり、広濶な浄土の宝池に阿弥陀三尊をはじめ多数の諸尊を描き、宝楼段や舞楽段などを完備した本格的浄土図の先駆的遺例として注目される。またこの阿弥陀浄土図をはじめ東壁維摩経変相の帝王・諸臣図などにも当代の理想的写実主義の頂点ともいえる表現がみられ、中央に直結した画家の制作と考えられる。なお、同窟の壁画には、第57窟の説法図などをはじめとする敦煌壁画説法図相のさまざまな要素が受け継がれており、わが国の法隆寺金堂壁画に重大な影響を及ぼしていることを実証することができた。次に塑像では、その写真的表現の完成度の高さは以後の敦煌塑像の出発点となるものであり、さらに彩色文様においても新生面がみられる。このように第220窟は、すでに失なわれた中国中央初唐代のすぐれた絵画・彫刻の表現をうかがい知ることのできる重要な窟であることが指摘される。また今回は、このほか、北京の故宮博物院、歴史博物館、ウルムチの新彊ウイグル自治区博物館、クチャのスバシ故城、クムトラチ仏洞、キジルチ仏洞、敦煌西千仏洞、炳霊寺石窟、蘭州の甘粛省博物館を見学した。敦煌においては9月20日より24日まで敦煌研究院で開催された敦煌学会に出席し、専門研究者のすぐれた発表を聞くことができたのも収穫の一つである。なお、今年度は、次の3窟計6図の原寸大現状模写を完成させた。(一)第220窟南壁阿弥陀浄土図から部分図2図、東壁維摩経変相から部分図2図(二)第57窟南壁説法図から部分図1図(三)第217窟南壁法華経変相から部分図1図
著者
長田 真紀
出版者
上田女子短期大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1994

浄土宗の寺に生まれ自らも僧侶となった武田泰淳は、重い体験として仏教のさまざまな問題を切実に文学化した。その問題の一つが、僧侶の妻帯である。自伝的僧侶ものと呼ばれる作品(『異形の者』『快楽』)にも、それが色濃く出ている。本研究では、浄土宗の名僧であり終生独身を貫いた渡邊海旭、武田芳淳、山下現有と武田泰淳との直接・間接的な交流、精神的影響について解明を試みた。京都(知恩院浄土宗学研究所、京都府立図書館、成願寺)への出張では、昭和7年8月3日〜4日に開催された高野山仏教学大会の後、武田泰淳と山下現有の邂逅があったことは判明した。愛知(長谷院、名古屋市鶴舞中央図書館、聖覚寺、源空寺、大森寺、善應寺)への出張では、武田泰淳の事蹟および武田泰淳の父大島泰信との関係を調査する中で、大島泰信の師僧でもあった加賀泰道の存在が浮かび上がってきた。また、大島家の菩提寺はもともと浄土真宗であったことも判明した。加えて『浄土宗学大辞典』『知恩院史』等の浄土宗関係図書によって、日本の近代仏教史の中で、渡邊海旭、武田芳淳、山下現有らの存在はきわめて大きく、僧侶の妻帯の問題において重大な過渡期に立っていたことを確認した。東京(西光寺、潮泉寺、長泉寺)および神奈川(大島淑氏宅)への出張では、武田泰淳には夭折した次兄大島信也がいたことが判明した。水産学者の道を進んだ長兄大島泰雄の存在とも考え合わせると、武田泰淳が僧侶への道を進ことになった一つの必然性が認められる。
著者
中村 太郎
出版者
大阪市立大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2010

spo4^+が胞子形成にどのような役割を果たすか調べるために、Spo4の調節サブユニットであるspo6変異株の形質を多コピーで相補する遺伝子をいくつか取得した。そのうちの1つのAce2についてさらなる解析を進めた。Ace2は細胞分裂に重要なはたらきをする転写因子であることが知られている。また、Ace2は栄養増殖時にはM期に核に局在することが知られている。胞子形成時のAce2の局在を調べたところ、間期には局在が見られなかったが、減数分裂時に核に局在することがわかった。興味深いことに、第二減数分裂前期から中期にかけては核内でも特にSPB(紡錘極体)付近に多く局在がみられた。この時期にはSpo4もSPB付近に来ることが示唆されている。また、Spo4欠損株では、栄養増殖時にはM期に核局在が見られたものの、減数分裂時には核やSPBに局在が見られないことがわかった。ウエスタン解析により、この時期にAce2のタンパク質量の減少はみられなかった。Ace2欠損株では、前胞子膜形成には大きな欠損は見られなかったが、胞子壁の形成の遅れがみられた。実際に、胞子壁の合成に関係すると思われるいくつかの遺伝子の発現が、Ace2欠損株でほとんど見られなかった。以上のことから、Spo4がAce2の有性生殖特異的な局在制御を通して胞子壁形成に関わっている可能性が示唆された。これまで、Spo4は減数分裂の開始と前胞子膜形成に関与していることが知られていたが、今回の解析により、Spo4が転写因子Ace2を介して胞子壁形成に関わっている可能性が示唆された。
著者
長谷川 秀樹
出版者
横浜国立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

フランス領コルシカ島の民族主義運動が、フランスと欧州連合との関係(地域と国家、欧州連合の三者関係)にどのような変化をもたらし、また今後もたらすのかを現地調査、および現地関係者との聴き取り、フランスおよび他の欧州加盟国における「島嶼地域」の三者関係の変容と比較しながら明らかにした。フランスは共和主義の観点から、コルシカ民族主義が主張するコルシカ語の公用語など多文化主義的要求は従前に同じく拒否しながらも、フランス憲法に島嶼性に基づく特別地位をコルシカに規定する条項を設けるという新たな提案を行った。この島嶼性に基づく特別地位は、欧州の島嶼を抱える他の加盟国と島嶼地域の関係においてみられるものである。