著者
駒井,卓
出版者
東京動物學會
雑誌
動物学雑誌
巻号頁・発行日
vol.31, no.374, 1919-12-29
著者
坂部広胖 著
出版者
永楽屋東四郎[ほか]
巻号頁・発行日
vol.初編上, 1815
著者
涌井 秀行
出版者
明治学院大学国際学研究会
雑誌
明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review International & regional studies (ISSN:0918984X)
巻号頁・発行日
no.42, pp.1-18, 2012-10

1989年ベルリンの壁の崩壊・東ヨーロッパ諸国の資本主義への回帰と1991年12月のソ連邦の解体は,20世紀「社会主義」とは一体なんだったのか,という強烈な問いをわれわれに投げかけた。それに対する回答は様々であろうが,大きく分けて以下の2点にまとめられるであろう。①社会主義体制の生産調整システムである「計画」と分配の公平を担保する「社会的所有(国・公有)」は,経済制度として機能しない。なぜなら,計画の基礎となる経済計算はそもそも不可能である。同時に「社会的所有(国・公有)」は,社会発展を保証する生産性上昇の要にある労働のインセンティブを確保できない。②「社会主義」の基本理念は誤りではなかったが,実行に誤りがあった。スターリン・ブレジネフに象徴されるソ連共産党の官僚主義の硬直性が問題であった。ソ連は崩壊したが,思想的な基盤であるマルクス=レーニン主義は誤ってはいない。初期マルクスに立ち返って,検証すべきである。本稿はこうした議論を念頭に置きながら,ソ連の「社会主義」経済を実証分析し,崩壊の原因を論究しようとするものである。(1) 本稿は①と②のいずれの立場にも立っていない。論究は20世紀の「熱戦と冷戦」という特異な歴史状況を踏まえてなされなければならない。しかもソ連経済のマクロ的実体分析を踏まえてなされなければならない。(2) その結果,①ソ連の計画経済とは,軍事・宇宙=重化学工業化のための官僚的指令的計画であった。そこではコストは考慮される必要はなく,結果的に生産性の上昇は無視される。これは戦前日本の物動計画にもとづく軍事重化学工業化と同質であり,またアメリカの軍産複合体とも相似形をなしている。ここでの計画は軍事目標の達成に向けられ,有効に機能した。②科学=技術革命を基礎に置く1970年代以降の生産の革新(ME=情報革命)は工業生産の激変を引き出した。③その結果生みだされた安価で豊富な民生品は,「社会主義」社会を崩壊させた。1991年のソ連邦解体は,第2次世界大戦後の第2の「相対的安定期」ともいえる冷戦時代の幕を引き,唯一の超大国となったアメリカの単独行動主義の跳梁・跋扈時代の幕を開けたのである。
著者
開 一夫
出版者
The Robotics Society of Japan
雑誌
日本ロボット学会誌 (ISSN:02891824)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.11-15, 1999-01-15 (Released:2010-08-10)
参考文献数
16
著者
北原 かな子
出版者
日本英学史学会
雑誌
英学史研究 (ISSN:03869490)
巻号頁・発行日
vol.1998, no.30, pp.61-72, 1997 (Released:2009-09-16)
参考文献数
29

Arthur Collins Maclay, the son of Rev. Robert Samuel Maclay the founder and first superintendent of the Japan mission of the Methodist Episcopal Church, stayed in Japan from 1873 to 1878 as an English teacher at To-o-gijuku (東奥義塾) of Hirosaki, Kogakuryo (工学寮) of Tokyo, and Chugakko (中学校) of Kyoto. After leaving Japan, he went to America and became alawyer, and a well-known author and lecturer on Japan and the Orient.A Budget of Lettes from Japan, written by Arthur Collins Maclay, was one of his activities to introduce Japanese culture to America. This book which was published in 1886, held public attention and won high praises in over seventy press notices.His writings vividly depict the life of Japanese people in the early Meiji Era as well as his own experiences in Japan. The descriptions of Hirosaki especially show us not only a young foreign teacher's intercultural experience in the province but also many facts which have been unknown so far.Since only a few attempts have hitherto been yet made, the purpose of this paper is to introduce Maclay's writings on Hirosaki with explanations of the circumstance and background of that time and to indicate the significance of his descriptions.
著者
新屋 映子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.4, pp.33-46, 2006-10-01 (Released:2017-07-28)

「彼はかなり熱心だった。」という形容詞文に似た表現として「彼はかなりの熱心さだった。」という名詞文がある。本稿は後者のように形容詞の語幹に接尾辞「さ」が後接した派生名詞を述語とする文の性質を、形容詞文と比較しつつ考察した。「〜さ」は抽象的な程度概念であるため単独では述定機能を持たず、性状規定文の述語であるためには連体部を必須とする。述語としての「〜さ」には性状の程度を中立的に述定するものと、評価的に述定するものがある。評価的に述定する機能は「〜さ」と形容詞が共通に持つ機能であるが、「〜さ」による述定には何らかの文脈的な前提が必要であり、形容詞文の評価性が形容詞によって表わされる性状の「存在」自体に向けられているのに対し、「〜さ」を述語とする文の評価性は連体部に示される性状の「あり様」に向けられているという違いがある。連体部と「〜さ」との意味関係は多様で、連体部は「〜さ」を述語とする文に豊かな表現力を与えている。
著者
村上 裕一
出版者
一般社団法人 日本計画行政学会
雑誌
計画行政 (ISSN:03872513)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.44-51, 2012-08-15 (Released:2022-04-18)
参考文献数
27
被引用文献数
1
著者
川北 輝 大西 厳 石原 茂和 橋本 健汰 金井 秀明
出版者
日本感性工学会
雑誌
日本感性工学会論文誌 (ISSN:18845258)
巻号頁・発行日
pp.TJSKE-D-22-00001, (Released:2022-07-06)
参考文献数
25
被引用文献数
2

Under difficult COVID-19 situations, restricted movements and increasing stress demand casual counseling. Counseling in a virtual space would lower the psychological barrier to consultation by concealing the client and the counselor’s figure. This study examines whether the willingness to consult would change by the seriousness of consultation and the different appearances of the counselor’s avatar. As a result, in the serious consultation situation, the willingness to consult with the avatar in a white coat was high. In the informal consultation situation, the willingness to consult with the avatar wearing a hood was high. Furthermore, with eye-tracking, we found that people’s attentive areas were different by the situation and by the appearance of the avatar. These results suggest the potential for the avatar counseling system in the Metaverse and remote virtual reality (VR) counseling.
著者
前田 伸也 吉田 勇一 窪田 秀明 桶谷 寛
出版者
九州理学療法士・作業療法士合同学会
雑誌
九州理学療法士・作業療法士合同学会誌 第29回九州理学療法士・作業療法士合同学会 (ISSN:09152032)
巻号頁・発行日
pp.25, 2007 (Released:2008-02-01)

【はじめに】 脚延長術後の理学療法は、相対的に短縮する軟部組織の柔軟性維持を目的とした可動域訓練を行なうが、下腿延長例の足関節背屈よりも大腿延長例の膝関節屈曲の可動域改善が乏しい様に思われる。そこで下腿延長と大腿延長の下肢可動域と骨延長量を調査し、これらを比較したので報告する。【対象】 軟骨無形成症で低身長を呈し、脚延長術を実施した下腿延長例7名14肢、大腿延長例5名10肢のうち、調査可能であったそれぞれ6名12肢、4名8肢を対象とした。手術時平均年齢は下腿延長例で14歳3ヶ月、大腿延長例で17歳3ヶ月であった。なお、全例でorthofix創外固定器を使用した。【方法】 下腿延長例では膝伸展位での足関節背屈角度(DKE)、大腿延長例では膝関節屈曲角度(KF)をそれぞれ術前と延長後1ヶ月、その後1ヶ月毎に延長後7ヶ月まで調査し、各調査時の左右平均角度を求め、それぞれで術前との比較を実施した。骨延長量は、それぞれの平均延長量を求め比較した。【結果】 DKE、KFそれぞれにおいて分散分析を実施し、DKEは、術前と延長後1ヶ月、術前と延長後7ヶ月は有意差がなかったが、延長後2~6ヶ月までの5ヶ月間は術前と比較して可動域が減少した。(P<0.05)。KFでは延長後1~7ヶ月までの7ヶ月間は、術前と比較して可動域が減少した(P<0.05)。骨延長量は、下腿で平均74.7mm、大腿で平均66.9mmであり下腿が大きい結果となった。【考察】 結果より、DKEよりもKFの可動域改善が低いことが示唆された。理由として、下腿延長例は、斜面台での起立訓練や歩行時において、下腿三頭筋の持続したストレッチ効果が得られやすく、早期の可動域改善が可能ではないかと推察された。一方大腿延長例では、下腿よりも歩行時のストレッチ効果が得られず、また大腿部の筋自体も筋張力が大きいため、可動域改善が得られにくい。その他として、平岡らは、大腿延長はピン刺入により腸脛靭帯のスライドが不十分なために膝関節屈曲制限が起きると述べている。以上により大腿延長例では、軟部組織の柔軟性を獲得しにくいことが推察された。また骨延長量も大腿延長例が小さく、延長量を決定する因子として軟部組織の柔軟性が必要であるということが確認できた。これらを踏まえ、大腿延長例の理学療法は、術前に大腿四頭筋のストレッチを実施し、可動域制限を最小限に留めることが必要ではないかと考える。今後も症例数を増やしていき、更に検討したい。【結語】 下腿延長と大腿延長において、骨延長量と下肢可動域を比較した。結果、大腿延長例ではKFの改善が低く、骨延長量も小さい。大腿延長例に関して、術前に大腿四頭筋のストレッチを実施する必要があると考える。
著者
石川 幹子
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.37-48, 1991-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
22

The Central Park in New York City is the fist municipal urban park in U. S. A., established in 1858. The purpose of this paper is to clarify the role and influence of the Central Park from the point of view of the historical development of landscape architecture in U. S. A.The following four points have analysed in this paper. First; the establishment of the Centeral Park caused a nation-wide municipal urban park movement and many big parks and park systems were created as infrasturcture of the city planning. Second; the planning concept of the Central Park was to create a wide pastoral scenery, within highly developed Urban environment, for the park was regarded as lungs of city and also it had a great contribution to citizen's recreation and welfare. Third; To accomplish the above ideal, the technique of civil engineering took a great role, especially on the thorough drainage system, and the separate road system. Fourth; New professional, “Landscape Architecture” was created from the construction of the Central Park.
著者
平川 新 寺山 恭輔 畠山 禎
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本研究では、幕末開国以前の日露関係を研究するために、主としてロシア側史料の収集を行った。日本における日露関係史の研究は、言語の壁もあって日本側の記録でおこなわれることが多かったからである。まだ日本の学界に紹介されていないロシア側史料を収集し、それを翻訳刊行して日露関係史の研究条件を改善しようというのがプロジェクトのねらいであった。2004年に出版した『ロシア史料にみる18〜19世紀の日露関係』第1集に引き続き、本研究期間に次の2冊の続編を刊行した。*『ロシア史料にみる18〜19世紀の日露関係』第2集(2007年3月刊行)1760年代から1790年代までの49点を収録した。内容は、ロシアが千島列島を南下して日本に接近してくる過程の史料が中心。帝国ロシアや毛皮商人によるアリュート人やアイヌ支配の進展なども具体的に把握可能であり、日本人漂流民大黒屋光太夫を根室に送還した遣日使節ラクスマン関係の史料も収録した。*『ロシア史料にみる18〜19世紀の日露関係』第3集(2008年3月刊行)1701年1762年までの史料54点を収録した。ロシアがカムチャツカ半島を征服し、北太平洋地域へと雄飛していく時期である。これまでに発見された日本人漂流民のもっとも古い記録をはじめ、コサック隊がカムチャツカを足場に千島列島を南下してくる過程の報告書、ロシアの版図を一挙に拡大させたべーリング探検隊の準備過程からの記録、その分隊として組織されたシパンベルグの日本探検隊の記録など、日本の北方世界で展開した特徴的な動きを知ることができる。