著者
宇田川 忠朋 久保 大亮 松崎 拓也
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集
巻号頁・発行日
vol.2021, pp.3J4GS6c03, 2021

<p>本論文では、日本語係り受け解析にBERTを用いることで、既存手法と比較してどういった誤りが改善されるのかを調べた。BERTは、文章を入力し、その中の各単語について文脈に依存した埋め込みベクトルを得る手法である。本論文ではBERTを用いる手法として、係り受け候補に対応するBERTの出力ベクトルを順伝播型ニューラルネットワークに入力する方法と、双線形関数に入力する方法の2つを従来法と比較する。実験を行ったところ、BERTを用いる手法はどちらも従来法の精度を上回った。この差を係り受けペアの品詞の組み合わせや文節間距離などの観点から分析し主な精度向上の要因を探った。</p>
出版者
日経BP
雑誌
日経アーキテクチュア = Nikkei architecture (ISSN:03850870)
巻号頁・発行日
no.1189, pp.68-71, 2021-04-08

政府の緊急事態宣言が3月21日までで全面解除されたが、新型コロナウイルスへの警戒は続く。感染者が自宅療養する場合、家庭内感染を防ぐにはどうすればよいか。日本建築学会のWGがまとめた対応方法を紹介する。
著者
野原 康弘
出版者
桃山学院大学総合研究所
雑誌
桃山学院大学総合研究所紀要 (ISSN:1346048X)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.115-168, 2018-07

Nagasaki city, with a population today of 420,000, used to be a poor village until OhmuraSumitada, a feudal lord, authorized its opening as a port and the initiation of commerce withPortuguese merchants in 1571. Not only trading merchants but also many Christians moved intothis village and colonized it. More than 15 churches were built in the small area one after another,and the village resounded far and wide with church bells, reminiscent of Rome itself. So Nagasakicame to be called "Little Rome." As a matter of fact, the village was donated to the Society ofJesus. The village seemed to grow and flourish, but its prosperous years failed to last, contraryto expectations.In 1614, the ban on Christianity was issued, which led to attacks on Catholicism, including thedestruction of churches and the persecution of Christians. Churches were replaced by temples.Christians were supposed to disappear completely.So Buddhist ceremonies came to be held in Nagasaki. One such ceremony was the BonFestival, which used to be held in the middle of the seventh month in the lunar calendar. Thesolar calendar introduced by the Meiji Government caused a upheaval of events and seasons. Themiddle of the seventh month ( July) in the solar calendar is in the midst of the rainy season, nota suitable season for the Bon Festival. During the Bon Festival, Nagasaki people usually visit theirancestors' grave with their family, clean and decorate the grave, and offer food to their ancestors.It is common for many families to hold a banquet at the graveyard to entertain their visitors,which in former times often resulted in the spread of plague. After a heated discussion, aconclusion was reached : the Bon Festival would be moved to mid-August (the eighth month).During the Bon Festival, people welcome the spirits of the deceased to visit their homes, tostay with their families until the last day of Bon, when the spirits have to return to Jodo, theBuddhist Pure Land. So the family make a ship (called Shorobune) for the spirit, carry it to theseashore, and launch it to sail to the West. This custom is called Shoronagashi. At first, the shipswere quite humble affairs, but over time people wanted to make them fancier as they werebelieved to carry the spirits to Jodo. Many families who lose a family member start making sucha ship.Shoronagashi is, in other words, a spirit boat procession unique to Nagasaki. On the last day ofthe Bon Festival, a large number of ships of various sizes are carried by family members and theirfriends to the seaside area to be sailed to so-called Jodo. The streets leading to the shore throngwith ships and people. Firecrackers explode here and there, and earsplitting noises can be heardall around. People carrying the ships shout with passion. So the procession of the ships isnoisy but joyous. Behavior generally disallowed in daily life and acts beyond the bounds ofcommon sense are traditionally permitted only during Shoronagashi.On arriving at the spot to release the ship, however, deep sorrow falls on the revelers all of asudden. Everybody is filled with a sense of loss and deprivation, recalling the feeling of a ratherdifferent event. Indeed, it seems akin to a funeral, or rather, a second funeral. To be more precise,this event ought to be considered the formal funeral.When the family member passed away, his or her funeral was performed.It was naturally a private funeral. Everything may well have been done all too quickly. Or thefamily might have had no time to think about reflecting their deceased member's intentions. Theysimply followed the instructions of the funeral director. But if this Shoronagashi is regarded as theformal funeral, all the people of Nagasaki, regardless of faith, can join the Bon ceremony to shiptheir ancestors to their respective destinations, whether Jodo, Paradise or elsewhere.Even Christians, if they wish to, can join this event, which originated from Buddhism, withoutqualms, attesting to the fact that Christianity came first to Nagasaki, and Buddhism second.Nagasaki has grown larger through these faiths as a remarkable city.
著者
西本 章宏 勝又 壮太郎 本橋 永至
出版者
日本マーケティング学会
雑誌
マーケティングジャーナル (ISSN:03897265)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.44-57, 2021-03-31 (Released:2021-03-31)
参考文献数
27

本稿の目的は,COVID-19のアウトブレイクによって大きく市場環境が変化している今日のように,急激な環境変化による非連続な状況下において,次世代イノベーションの源泉として,創発的性質を有する消費者(ENCs)に着目する有用性を示すことである。本稿では,緊急事態宣言下を含むCOVID-19のアウトブレイク(第1波)を分析対象期間とし,消費者のスマートフォンのアプリ起動ログの収集と先端層調査を実施した。その結果,ENCsは同じ先端層であるリードユーザー(LUs)よりも環境変化に対して頑健であり,新しい生活様式に適応した消費者であることが明らかになった。また,ENCsのソーシャルメディアの利用動向はLUsや一般ユーザー(GUs)とは異なり,コロナ禍でも利用数は多いが,その変化量は少なった。このことから,ENCsは平常時からソーシャルメディアを他の消費者よりも広範かつ高頻度で利用している可能性が推察された。
著者
武内 恵美子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.25, pp.63-103, 2002-04-30

関蝉丸神社は滋賀県大津市逢坂に存在する神社で門説教や説教浄瑠璃を行う説教者を掌握していたことで有名である。しかし関蝉丸神社にはそれらの芸能の他に、説教讃語という、江戸時代後期の大坂の芝居興行に関する資料が残存する。 天保一三年(一八四二)、天保の改革によって宮地芝居は禁止され、説教讃語座も興行することができなくなったが、関蝉丸神社は嘉永五年(一八五二)以降、株仲間の再興をきっかけに宮地芝居の再興を訴え続け、安政四年(一八五七)に宮地での興行許可を得る。そして文久二年(一八六二)には大坂宮地での他の興行を排除し、宮地における興行を完全に掌握することになる。 このように関蝉丸神社が説教讃語という名目で寛政の改革を契機に大坂の宮地芝居に進出し、最終的には宮地を掌握するまでに至った経緯とその要因を解明した。それによって日本の舞台芸術史における重要な一側面を見出したと考える。
著者
今井 鉄平 森口 次郎 安部 仁美 前田 妃 助川 真由美 柴田 英治 錦戸 典子
出版者
公益社団法人 日本産業衛生学会
雑誌
産業衛生学雑誌 (ISSN:13410725)
巻号頁・発行日
pp.2021-004-E, (Released:2021-06-24)
被引用文献数
3

目的:新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大により,多くの企業において従業員の安全・健康のみならず,事業への大きな影響を受けていることが考えられる.特に大企業と比べて経営資源が不足しがちな中小企業においては,新型コロナウイルス対策の遅れが懸念されるだけでなく,事業継続へのより大きな影響を受けている可能性が否めない.そこで,中小企業における新型コロナウイルス対策への取り組みの工夫,対策の困難点,および今後求められる支援の内容を明らかにすることを目的に研究を行った.対象と方法:企業として従業員数300名未満,または企業全体では300名を超えるものの50名を超える事業場のない27社の経営者または人事労務担当者を対象に,2020年8~10月に,新型コロナウイルス対策の実態や困難点,今後望まれる支援等に関するインタビュー調査を行った.聞き取り記録を作成し,産業医経験のある2名と産業保健師経験のある2名で,内容分析の方法に準じコードの共通性に着目して小カテゴリーを抽出し,徐々に抽象度を上げ,大カテゴリーを抽出した.結果:新型コロナウイルス感染症対策への取り組みについては,「企業として迅速に意思決定ができる体制を整える」,「正確な情報を入手し全従業員と共有する」,「社内の具体的対策を強化する」,「事業継続のために懸命に対策を練る」の4つの大カテゴリーに集約された.また,対策における困難点については,「情報収集・共有に関する困難」,「未知の感染症対策への困難」,「備品調達・検査受診の困難」,「合意形成・社内体制整備の困難」,「事業継続と感染症対策のバランスの難しさ」の5つ,今後望まれる支援については,「正確な情報を一元化・簡潔にしてほしい」,「Polymerase Chain Reaction(PCR)検査環境を整備・拡充してほしい」,「事業継続支援がほしい」の3つの大カテゴリーに集約された.考察と結論:中小企業の特性を活かしながら,細やかに大カテゴリーとして抽出された4つの取り組みを行っているケースも多くみられたが,これらが成立する前提として経営者が正しくリスクを認識できていることが必要と考えられる.しかしながら,専門資源に乏しい中小企業においては,意思決定に必要な正しい情報が得られない懸念もある.このため,産業保健専門職には,意思決定者が溢れる情報の中から正しい情報を取捨選択できるような支援が望まれる.
著者
澤田 寛子
出版者
公益社団法人 大気環境学会
雑誌
大気環境学会誌 (ISSN:13414178)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.20-26, 2020-01-10 (Released:2020-01-10)
参考文献数
23

対流圏オゾン濃度は経済発展が著しいアジア地域で増加しており、農作物生産に及ぼす影響が危惧されている。アジア地域の主要作物であるイネも現状のオゾンレベルで減収している可能性が指摘されているが、収量などに関わる慢性的なオゾン影響の発現メカニズム解明は遅れていた。著者は共同研究者とともに国内外の数十品種を用いたオゾン暴露試験や感受性が異なる品種のプロテオーム解析、さらに分子遺伝学的解析を行い、オゾンによるイネ、特にインド型品種の収量低下において、従来指摘されてきた葉の可視障害などによる光合成機能の低下を主因としない新たなメカニズムが関与することを発見した。本稿では、オゾンによるイネの収量と品質低下に関する新たな分子メカニズム解明のため、著者が共同研究者とともに取り組んできた研究の成果について概説する。
著者
塚常 健太 黒川 茂莉
雑誌
じんもんこん2018論文集
巻号頁・発行日
vol.2018, pp.39-46, 2018-11-24

日本の苗字はその由来と地域性の点で多様性があり,由来に関する文献学的研究および地域性に関する統 計学的研究が行われてきた.しかしながら,苗字の由来を考慮した定量的分析を行っている研究は少ない. 本論文では,苗字の由来に関連すると考えられる植物の名前が含まれる苗字(植物苗字)に着目し,その統 計学的分析を行う.電話帳に基づく苗字統計の Web サイトより収集した上位1万位の苗字データを用い,漢 字辞典を基に植物苗字の分類を行った.その結果得られた1,154種の植物苗字を対象とし,非植物苗字との 比較も行いながら地域的な偏りに関する統計的傾向を明らかにした.さらに,その地域的偏りの要因をマル チレベル分析により分析し,植生分布が正の影響を及ぼすことなどが分かった.

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1924年12月08日, 1924-12-08

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1941年08月27日, 1941-08-27

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1897年11月25日, 1897-11-25

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1904年05月06日, 1904-05-06
著者
能城 修一 佐々木 由香 鈴木 三男 村上 由美子
出版者
日本植生史学会
雑誌
植生史研究 (ISSN:0915003X)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.29-40, 2012 (Released:2021-03-17)

近年,コナラ属アカガシ亜属のうちイチイガシの同定が木材組織から可能となり,それをもとに,関東地方で弥生時代中期から古墳時代の木製品を多数産出した7 遺跡を対象として,アカガシ亜属の木材を再検討した。その結果,この時期を通して鋤鍬にはイチイガシが選択的に利用されていた。海岸に近い神奈川県池子遺跡と,千葉県常代遺跡,国府関遺跡,五所四反田遺跡では,鋤鍬の完成品だけでなく,未成品や原材でもイチイガシとイチイガシの可能性の高い樹種が50 ~ 70%を占めており,遺跡周辺で原材の採取から加工までが行われていたと想定された。それに対し,内陸部の埼玉県小敷田遺跡と群馬県新保遺跡ではイチイガシの利用比率が下がり,イチイガシ以外のアカガシ亜属やコナラ属クヌギ節を鋤鍬に用いる傾向が認められた。もっとも内陸部の新保遺跡では,鋤鍬の完成品だけでなく未成品や原材でもイチイガシ以外のアカガシ亜属とクヌギ節がほとんどを占め,イチイガシの鋤鍬は完成品と未成品が少数しか出土せず,これらは関東地方南部から移入されたと想定された。鋤鍬以外の木製品では,神奈川県や千葉県の遺跡でもアカガシ亜属以外の樹種が70%以上を占め,アカガシ亜属の中でもイチイガシの比率は低い。このように,イチイガシが鋤鍬に限定して選択されていた理由は,イチイガシの木材がアカガシ亜属の他の樹種の木材に比べて柔軟性があり,軽いわりに強度があるためであると想定された。