2 0 0 0 OA 十八史略

著者
塚本哲三 編
出版者
有朋堂書店
巻号頁・発行日
1924
著者
森田 浩之
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.37-48, 2012-03-25 (Released:2016-09-06)
参考文献数
14

本稿は、東日本大震災後にメディアに表れたスポーツにからむ「物語(ナラティブ)」を検証し、その功罪を検討する。 「未曾有の国難」に沈む日本と被災地を、スポーツとトップアスリートが元気づける──そうした動きと思想は、まずヨーロッパでプレイするサッカー選手3人が出演するACジャパンの公共CMにみられた。「日本の強さは団結力です」「日本がひとつのチームなんです」という選手たちのせりふは何げないものに聞こえるが、そこには日本のメディアスポーツが語りつづけてきた物語が詰まっていた。 メディアが大震災と最も強く結びつけた大ニュースが、「なでしこジャパン」の愛称で知られるサッカー日本女子代表のワールドカップ優勝だった。ひとつは国家的悲劇であり、もうひとつは国民的慶事と、対照的にみえるふたつの出来事が、メディアによって強く接合された。なでしこジャパンは被災地から「元気」をもらったとされ、なでしこが世界一になったことで被災地も「元気」をもらったとされた。それらの物語はどのメディアをとっても均質的、類型的であり、東北出身の選手や東京電力に勤務したことのある選手には特別な役回りを担わせていた。しかもメディアが意図したかどうかにかかわらず、「あきらめない心」や「粘り強さ」といったなでしこジャパンの特徴とされるものは、3.11後の「日本人」に求められる心性と重なっていた。 このような均一化された物語の過剰は、「絆」ということばが3.11後のキーワードになることに加担した。被災地との「絆」がつねにあるかのように語られることで、現実には存在する非・被災地との分断が覆い隠されるおそれもある。
著者
宋 大光
出版者
一般社団法人 日本児童青年精神医学会
雑誌
児童青年精神医学とその近接領域 (ISSN:02890968)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.191-204, 2019-04-01 (Released:2020-02-28)
参考文献数
19

児童精神科の臨床現場では子ども本人が受診を嫌がる,外に出られない,親が子どもに話を聞かせたくないなどの理由で親だけで受診したいと希望するケースが少なくない。しかし親が医療機関に問い合わせると子ども本人が来ないと治療ができないと言われ,親が困っているケースに出会う。そこで筆者は患者本人が通院できない症例に対して,患者本人がいなくても治療が可能と言われるシステムズアプローチを用いて治療を行い,その有効性について検討した。本症例は4年間の盗癖を主訴に初診時は患者と母で来院したが,家族の背景から患者は2回(1回は診察,1回は心理士による心理検査)しか来院できず,実際に筆者が患者に会えたのは1回のみで,それ以降は母だけが通院することになった。そこで筆者はそれ以降母に対してシステムズアプローチによる精神療法を行い,患者の盗癖の症状と家族関係のある程度の改善が見られた。今回の精神療法で用いたシステムズアプローチは親だけが受診する場合にも治療を行える可能性があるため,児童精神科臨床において一度は試みられるべき方法であると考える。
著者
横山 俊一郎
出版者
関西大学大学院東アジア文化研究科
雑誌
東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
no.7, pp.305-326, 2014-03

文部科学省グローバルCOEプログラム 関西大学文化交渉学教育研究拠点東アジアの思想と構造
著者
瀬川 裕司
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
no.474, pp.1-26, 2011-09

よく知られているように,『麗しのサブリナ』(Sabrina, 1954)は『ローマの休日』(Roman Holiday, 1953)でアカデミー主演女優賞に輝き,世界的アイドルとなったばかりのオードリー・ヘプバーンを主役に据えたシンデレラ・ストーリーであり,ロマンティック・コメディーの傑作である。ヘプバーン演じるヒロインは,アメリカの大財閥ララビー家の運転手のひとり娘,サブリナ(実際の発音は「リー」にアクセントを置く「サブリーナ」)だ。彼女は幼いころからララビー家の次男,プレイボーイのデイヴィッド(ウィリアム・ホールデン)に思いを寄せていたが,その思いを告白することすらできなかった。しかし,パリでの料理修業を経て別人のように洗練された姿で帰ってきたサブリナに,デイヴィッドは夢中になる。

2 0 0 0 OA 兵営之生活

著者
稲垣盛人 著
出版者
吉岡書店
巻号頁・発行日
vol.第2, 1901
著者
神戸 和昭
出版者
千葉大学文学部日本文化学会
雑誌
語文論叢 = The Japanese Language and Literature Review (ISSN:03857980)
巻号頁・発行日
no.29, pp.<1>-<52>, 2014-07-10

人称代名詞オレは、歴史的には対称にも用いられ、上代から中世にかけて用例を見るが、本稿では、院政・鎌倉期に現れ、以後現代にまで連綿としてつながる「自称のオレ」を問題にする。自称オレを細かく見れば、語史的になお不明の点が多い。特に今回は、江戸東京語における自称オレの女性忌避の要因を探ることに主眼を置く。なお、調査資料の各使用テキストについては、稿末に一括して掲げる。引用に際しては、適宜、論旨に支障のない範囲で表記を改めたり、[ ] (亀甲括弧) 内に引用者による補注を施したりした場合がある。
著者
数馬 広二
出版者
日本武道学会
雑誌
武道学研究 (ISSN:02879700)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.27-38, 1992-07-31 (Released:2012-11-27)
参考文献数
51
被引用文献数
2

The Taihei-Shinkyo-Ryu (Kenjyutsu School) was founded by Wakana Shinkyosai, a masterless Samurai (Ronin), in 1778. This study aimed at explaining the situation behind Taihei-Shinkyo-Ryu, one of the Military Arts schools, among Hachioji-Sennin-Doshin.Results are summarized as follows:1. At the beginning of the. Edo Period, a group of Ronin (who were the last Takeda followers from the Kai District), were deployed at the crucial points in Hachioji for the defense of the Edo Castle by the Tokugawas. They were composed of three classes (Senninkashira, Kumikashira and Hiradoshin), and had to practice military arts.2. After the Kansei Era, the Tokugawas encouraged Sennin-Doshin to practice martial arts, and at that time Wakana Shinkyosai taught his philosophy to Hachioji-Sennin-Doshin.In case of Hachioji-Sennin-Doshin, the number of students was as follows: (for example, in case of Wakana Seishinsai >Shinkyosai's son< ) Senninkashira had 16, Kumikashira 11 and Hiradoshin 36.In this way, members from all classes practiced Taihei-Shinkyo-Ryu.3. The best student of this school was Shiono Tekisai, from Kumikashira. He spread the school philosophy to all classes of Sennin-Doshin. For example, during every winter, he practiced martial arts early in the morning with his students for about 50 days. The Dojo (practicing hall) was in the open air. It was so cold that they got their hands chapped, but they devoted themselves to practicing. Then, his Dojo came to be supported by Senninkashira. And some of students were selected to demonstrate Kenjyutsu in front of the Tokugawa Shogun and were given awards.4. The philosophy was derived from Confucianism. The parents of students needed it for the education of their children. They wanted their children to become the students (Nyumon) at the age of 16.5. Many Hiradoshin who lived in the village were farmers. So they harbored ill feeling toward Samurai who lived near the Edo Castle. But on the other hand, they had a dream to be promoted to higher classes.6. Specially, in the Tama District, there ware a lot of Ronin who came from the Kai District. They continued to practice Kenjyutsu as the followers of the Takeda Clan, despite the fact that the practice of Kenjyutsu had been prohibited in the village. They were thought to be Samurai who had practiced Kenjyutsu.7. And Hachioji-Sennin-Doshin wanted to be recognized as Samurai, so Shiono Tekisai set up his school with the Hachioji-Sennin-Doshin and became the chief mentor in many areas around Hachioji.
著者
高荷 久昌
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.73-91, 2002-07-01 (Released:2010-04-30)
参考文献数
81
被引用文献数
1

東京湾は, 1950年以降港湾施設や臨海工場の立地のため広大な埋立造成が行われ, 自然の海岸が多く失われてしまった。このため1970年代後半から東京湾各港において, 港湾地帯の環境改善を進める計画がたてられるようになった。本研究は東京港で実証した公園緑地の形成過程を, 東京湾内の千葉港, 川崎港, 横浜港における公園緑地を中心とした環境施設に対して同様な分析を行って東京港と比較することにより, 東京湾の港湾地帯における環境施設の形成過程の体系化とそれぞれの港湾がもつ地域特性を明らかにすることを目的とする。研究の結果, 東京湾の港湾における環境施設の形成過程は, 1970年代から港湾環境整備施設の制度化により, 港湾管理者を中心とする環境施設が整備され, その形成過程は緑地広場, 運動施設整備期から始まり, 70年代後半からの自然環境回復施設整備期を経て, 80年代から90年代にかけて親水施設整備期, 90年代の集客施設整備期に進展している。さらに東京湾の港湾における環境施設形成の内容を見ると, 複数の自治体を後背地にもつ東京港, 千葉港と, 同一の自治体である川崎港, 横浜港の2つのグループに分けることができ, 後背地の都市がもつ地域の特性が形成過程に差をもたらしている。
著者
吉村 祐紀 西本 一志
出版者
情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告.GN, グループウェアとネットワークサービス (ISSN:21888744)
巻号頁・発行日
vol.2017, no.17, pp.1-7, 2017-03-03

各種パーティにおいて,「同じ相手との会話を終えられず,他の人々と会話ができない」,「自分から話しかけることができない」などの問題を抱えた気弱な参加者を対象として,会話を希望する相手に対して,その意向を匿名で緩やかに伝えることでコミュニケーションの機会形成を支援するメディア ShyQueue を構築した.中規模のパーティを想定した運用実験によって,本システムの基本的有効性を確認した. : In various parties, there are often timid participants who cannot talk to someone with whom they want to talk and who cannot change conversation partners because they cannot finish current conversations. To support such timid people, in this paper, we propose a communication opportunity formation media named "ShyQueue," which allows a timid participant to anonymously convey his/her intentions that he/she wants to talk with you. We hosted a party with tens of participants and tried ShyQueue at this party. As a result, we confirmed basic effectiveness of ShyQueue.
著者
仲田 誠
出版者
筑波大学
雑誌
哲学・思想論集 (ISSN:02867648)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.214-232, 2001

序論 昨年(2000年)のことだが、週刊文春をたまたま読んでいたらこんな記事に遭遇した。記事というよりは短い評論だが、最近のテレビや新聞の情報社会賛美の記事、報道に辟易してこれをばっさりと切り捨てた記事だ。 ...