2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1919年08月12日, 1919-08-12
著者
田村 節子
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学年報 (ISSN:04529650)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.168-181, 2002

学校生活において子ども達は,学習面,心理・社会面,進路面,健康面にわたる多様な援助ニーズをもっている。スクールカウンセラーが,子ども達の援助ニーズに応えるためには,学校心理学に基づく心理教育的援助サービスの理論体系(石隈,1999)が多くの示唆を与える。本稿では,学校心理学を枠組みとしてスクールカウンセラーが実践したコア援助チームの事例を取り上げ,心理教育的援助サービスについて考察した。コア援助チームとは"教師・保護者・コーディネーター(スクールカウンセラーなど)が核になり,他の援助資源を活用しながら定期的に援助する心理教育的援助サービスの形態(田村,1998)"である。コア援助チームでは,それぞれの異なった専門性や役割を生がしながら子どもの状況について検討し,今後の援助について話し合い,援助資源を生かして援助を行う。コア援助チームで行ったコーディネーションや相互コンサルテーションは有効であることが示唆された。さらに,援助資源の把握,アセスメント,援助の立案などのために作成した援助チームシート・援助資源チェックシートも有用であることが示された。
著者
吉田 友彦 リム ボン
出版者
公益社団法人 都市住宅学会
雑誌
都市住宅学 (ISSN:13418157)
巻号頁・発行日
vol.2005, no.51, pp.65-70, 2005-10-31 (Released:2012-08-01)
参考文献数
7

In a decade, stores along “Shokuan-dori” street managed by Korean residents who recently came to Japan in Shinjuku-ku are rapidly increasing and it comes to be called “Korean Town in Tokyo”. This study aims to clarify the characteristics of Korean stores along the “Shokuan-dori” street through an analysis of data of real estate registration for buildings.Findings are as follows. Through an observation from roads in the district, 78 stores are identified as Korean stores and the number of buildings is 48. Korean stores are mainly found in condominium units and the number of stores amounts to over 60 percent. Korean residents and organizations purchase 10 buildings and 5 of them are owned by one company in the district. Most of buildings owned by Korean are located in eastern part of the district. From the viewpoint of sustainability of the commercial use as Korean Town in the street, location of buildings owned by Koreans and type of the store building are important in order to consider a future direction of the district.
著者
上島 有
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.97, no.11, pp.1829-1868,1936-, 1988-11-20 (Released:2017-11-29)

Many attempts have been made to classify ancient and medieval documents written in Japanese. The method which best reflects the essential nature of the documents is classification according to the document style (様式). In Japan, the following document styles have been generally adopted : (1)Kushikiyo-monjo (公式様文書), (2)Kugeyo-monjo (公家様文書) and (3)Bukeyo-monjo (武家様文書). This method of classification corresponds to the three major political systems from ancient to medieval times, namely, (1)the Ritsuryo state (律令国家), (2)the aristocratic (Ocho) state (王朝国家) and (3)the warrior (Buke) political regime (武家政権). However, if we think of a particular document style as consisting of a common writing style (書式) and overall form, for example, not only do we find many differences between Kansenji (官宣旨) / Senji (宣旨) and Inzen (院宣) / Rinji (綸旨), which have been classified as Kugeyo-monjo (公家様文書), but we also fail to find any common features among these documents. The same is also true of documents classified under Bukeyo-monjo (武家様文書). Therefore, the author proposes that the following classification may be more. suitable : (1)Kushikiyo-monjo (公式様文書), (2)Kudashibumiyo-monjo (下文様文書) and (3)Shosatsuyo-monjo (書札様文書). The author attempts to confirm this point by investigating such aspects of writing style as (1)the sentence structure (文体), (2)the identification of the sender (差出書), (3)the name of the addressee (宛名), (4)the identification of official ranks (位署書) and (5)the method of signing the document (署名の仕方) ; such aspects of form as (6)the calligraphy style (書体), (7)how the paper is ornamented (紙面の飾り方), (8)the choice of paper type (料紙の使い方) and (9)how the sheets are pieced together (紙継目の固定の仕方) ; as well as such procedural practices as (10)the transmission of orders (遵行手続) and (11)rules for drafting the documents (書式作成手続規定). The classification proposed here corresponds to the division of the ancient and medieval state into (1)the Ritsuryo state (律令国家), (2)the early oligarchic (kenmon) state (前期権門国家) and (3)the later oligarchic state (後期権門国家).
出版者
吉田四郎右衛門尉
巻号頁・発行日
vol.[18], 1647
著者
孫 江
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
no.24, pp.163-199, 2002-02-28

一九三二年三月一日、関東軍によって作られた傀儡国家「満州国」が中華民国の東北地域に現れた。本稿で取り上げる満州の宗教結社在家裡(青幇)と紅卍字会は、いずれも満州社会に深く根を下ろし、「満州国」の政治統合のプロセスにおいて重要な位置を占めていた。今までの中国社会史および「満州国」の歴史に関する研究において、これらの宗教結社は見逃されており、それに関する数少ない記述も偏見に満ちたものである。在家裡と紅卍字会の実態を問わず、在家裡を「秘密結社」、紅卍字会を政治的もしくは「邪教的」存在とみなす見解は今でも依然主流的である。本稿において、このような見解に疑問を投げかけ、一時的資料に基づいて実証的考察を行った。それを通じて明らかになったように、二十世紀に入ってから満州移民社会の形成に伴って、在家裡・紅卍字会のような宗教結社や「秘密結社」が満州社会において発展し、一定の社会的影響力を持つようになった。在家裡と紅卍字会のほとんどの組織は自らの組織的優勢を獲得するために、関東軍および「満州国」に協力する道を選んだ。「満州国」側の一部の資料では、「類似宗教結社」とされる在家裡・紅卍字会などが「満州国」の政治統合の支障となったという記録が残されている。しかし、実際には、満州地域の数多くの宗教結社の活動を全体的に見ると、宗教結社の反満抗日に関与するケースは非常に少なく、しかも特定の時期(満州事変初期)、特定の地域(熱河・北満など)に限られていた。反満抗日運動に参加した在家裡と紅卍字会のメンバーは確かに存在していたが、それは在家裡と紅卍字会の組織的性質を反映するものではない。総じていえば、「満州国」支配における宗教結社の統合は、単なる「植民地」という支配空間に生じた問題ではなく、実は日本近代国家の形成と関連して、日本国内=「内地」が抱える「類似宗教」や「邪教」「迷信」といった諸問題の延長上にあるのである。
著者
齋藤 民徒
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社会科学研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.83-112, 2005

本論文では,国際人権法の近時の研究動向を「文化」という切り口からレビューする.(1)国際法研究において「文化」を語る意義がどこにあるか,(2)国際人権法とりわけ人権条約研究において「文化」を具体的にどのように語りうるか,という2つの課題を軸に近時の諸研究を概観することを通して,国際法学において「文化」概念が持ちうる可能性と問題点とを探究する.具体的には,これまでの国際法学・国際人権法学において,どのように「文化」が捉えられてきたか,従来の研究に批判的検討を加えた上で,「文化としての人権」や「文化としての条約」といった人権条約の重層的構築の様々なレベルに位置づけながら近時の各種研究を整理する.これらの作業を通じて,本論文は,「文化としての国際法」を語りうる方法としての文化概念,すなわち,国際法実践と国際法学を通じた法的世界像の構築を1つの地理的・歴史的な文化的営為として把握しうる再帰的な文化概念を近時の研究動向に見出し,今後の国際法研究に繋げることを試みる.
出版者
日経BP社
雑誌
日経アーキテクチュア (ISSN:03850870)
巻号頁・発行日
no.749, pp.65-67, 2003-07-21

「F1を誘致するサーキット場」をうたい文句に、それを眺めるVIPホテルとロイヤルスタンド、美術館を備えた複合レジャー施設「オートポリス」。大分県上津江村に、総事業費540億円を投じて建設された。ホテルなどに先がけ、サーキット場は90年10月にオープン。だが、92年9月、発注者の日本オートポリスが、約883億円の負債を抱えて破産した。
著者
落合 博志 陳 捷 小川 剛生 岡 雅彦 堀川 貴司 住吉 朋彦 岡 雅彦 藤本 幸夫 堀川 貴司 陳 捷 和田 恭幸 住吉 朋彦 小川 剛生 岡崎 久司 村木 敬子
出版者
国文学研究資料館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2007

本研究では、中世日本の刊本、特に五山版(主に禅宗の寺院で出版された本)を対象として、日本国内及び海外に存在する原本を調査して書誌データを採取し、それに基づいて五山版序跋・刊記集成、中世出版年表、五山版所在目録を作成するとともに、五山版の持つ様々な問題について考察した。具体的には、各伝本の版本としての位置付けと資料的価値、同時代における五山版の受容、五山版と中国・朝鮮刊本との関係等であり、これらを通して、五山版の日本の出版史における意義や、文化の発展に及ぼした役割などについて、多くの新しい知見を得た。
著者
須田 珠生
出版者
日本音楽教育学会
雑誌
音楽教育学 (ISSN:02896907)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.13-24, 2020 (Released:2021-03-31)
参考文献数
44

本稿では, 校歌の歌詞内容の変容を明らかにし, そのうえで1930年代に校歌が全国的に普及した背景に何があったのかを検討した。学校が校歌を作成し, 歌うようになったのは1890年代のことである。当初の校歌の歌詞に学校の所在を顕著に示す語句, 例えばその地域の山川や歴史が詠われることはほとんどなく, そうした語句が積極的に校歌の歌詞に出てくるようになるのは, おおよそ, 大正期になってからであった。1930年代になると, 郷土教育運動の展開に伴い, 地理的・歴史的環境を詠んだ校歌は「郷土の歌」として位置づけられるようになる。「郷土の歌」として位置づけられた校歌は, 学校という範囲を越え, 地域社会にまで結びつきを持つ歌として性格づけられるようになった。すなわち, 学校は, 在学児童・生徒だけでなく, その地域全体の人々を校歌の歌い手にすることで, それぞれの地域社会における共同体意識の形成という地域づくりの一端を校歌に担わせたのである。
著者
蓮池 利隆
出版者
龍谷仏教学会
雑誌
仏教学研究 (ISSN:02870312)
巻号頁・発行日
no.65, pp.78-104, 2009-03