著者
吉田 悠太 川端 二功 西村 正太郎 田畑 正志
出版者
公益社団法人 日本畜産学会
雑誌
日本畜産学会報 (ISSN:1346907X)
巻号頁・発行日
vol.92, no.1, pp.17-23, 2021-02-25 (Released:2021-04-03)
参考文献数
54

味覚は,動物の摂食行動を制御する重要な化学感覚である.産業動物の味覚受容機構を明らかにすることで,産業動物の味覚嗜好性に基づいた飼料設計が可能になると考えられる.これまでに我々は,重要な産業動物であるニワトリの味覚受容機構に関する研究を実施してきた.本稿では,これまでのニワトリの味覚研究について概説した後,ニワトリのうま味受容に関する最近の知見をまとめた.一連の研究において,ニワトリがうま味成分に対して味覚感受性を有していること,ならびにニワトリの味蕾においてうま味受容体が発現していることが明らかとなってきている.これらの研究から,ニワトリ飼料の設計においてうま味が重要である可能性が味覚受容の観点から示されている.
著者
若林 信夫
出版者
小樽商科大学
雑誌
商学討究 (ISSN:04748638)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1/2/3, pp.507-536, 1987-01-25
著者
本間 健司 治部 れんげ
出版者
日経BP社
雑誌
日経マネー (ISSN:09119361)
巻号頁・発行日
no.335, pp.66-77, 2010-10

「4月から販売を始めた50物件のうち7割強が即日完売」(野村不動産)、「東京・府中の物件は当社としても想定外の即日完売となった(住友不動産)」 年明け以降、新築マンションの販売が好調だ。販売初日に売り出した住戸がすべてが売れることを「即日完売」というが、その即日完売物件が増えている(下図)。
著者
氣賀健生著
出版者
青山学院
巻号頁・発行日
2014
著者
有川 治男
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.12, pp.7-23, 2014-03-01

ヤーコプ・ファン・ライスダール作《ヴェイク・ベイ・デュールステーデの風車》とメインデルト・ホッベマ作《ミッデルハルニスの並木道》は、17 世紀オランダ絵画の中でも、特定の場所の光景を描いたトポグラフィカルな風景画として良く知られ、また多くの研究がなされている。しかしながら、これまでの研究においては、画面に描かれた個々のモティーフ(風車、帆船、並木道、苗床など)の具体的な検証は充分には行なわれておらず、結果として、これらの作品の意味合い、とりわけ17 世紀後半のオランダの人々が現実の生活との関わりの中で、この作品をどのように眺め、受け止めたのかという問題はなおざりにされてきた。本論文では、美術史以外の諸領域(技術史、経済史、農業史、郷土史など)の研究成果を踏まえつつ、両作品に描かれた個々のモティーフの詳細な検討を行なうことを通して、両作品を17 世紀後半のオランダという歴史的コンテクストの中へ戻すことを試みる。合わせて、美術史学におけるモティーフ研究(Motivkunde)の重要性を確認することも、本論文の目的である。\ The Windmill at Wijk bij Duurstede by Jacob van Ruisdael and The Avenue at Middelharnis by Meindert Hobbema are two of the most famous seventeenth-century Dutch landscape paintings and are well known as representative examples of the topographical landscape. Although many art-historians have concerned themselves with these paintings, the meaning and signi cance of them for the Dutch people of that period, especially for those living in Wijk bij Duurstede and Middelharnis, has by no means been adequately studied. By closely examining motifs(windmill, sailboat, avenue, nursery, etc.)and by referring to the recent literature of related fi elds(technological history, economic history, agricultural history, etc.)the author of this essay tries to bring these paintings back to their original milieu, to the Netherlands in the second half of the seventeenth century. Th e author also hopes that this essay will make way for a renewed recognition of the importance of motif study (Motivkunde)in art history.
著者
高野 道代 福田 文彦 石崎 直人 矢野 忠
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.562-574, 2002-11-01 (Released:2011-08-17)
参考文献数
37
被引用文献数
3 1

【はじめに】近年、良質な医療が求められ、その指標の1つとして、医療に対する患者の満足度が重視されている。勿論、鍼灸医療においても良質な医療を提供し、患者の満足度を重視していくことが大切である。しかしながら鍼灸医療に対する満足度について多面的な観点から調査された研究はない。そこで、我々は鍼灸院通院患者の鍼灸医療に対する満足度及び満足度に影響を与える要因について疫学的に検討したので報告する。【対象・方法】対象は、明治鍼灸大学同窓会会員の開業する鍼灸院からランダムに抽出した101軒の鍼灸院に通院した患者2,210名とした。調査期間は平成12年7月10日~同年7月23日の2週間であった。調査票は健康状態、鍼灸治療状況全般、鍼灸以外の医療機関の利用状況 (治療院、病院等) 、患者の基本情報等で構成し独自に作成したものを使用した。回答形式は、Visual Analogue Scale (VAS) 、選択式回答法、自由回答法を使用した。調査は、標本調査による配布郵送調査法にて実施した。統計解析は、t検定、信頼性分析、Pearsonの相関係数、重回帰分析 (変数増加法) を使用した。【結果】回収数は、1,319通 (59.7%) であった。満足度 (有効回答数 : 1268名) は、VASにおいて平均81.4±13.8であった。満足度と他の内容とで有意に相関を認めた内容は、治療効果、施術者の技術評価、施術者の信頼度、施術者の理解度、説明の分かりやすさ、施術者の説明度であった。さらに、重回帰分析では、治療効果、施術者の技術評価、施術者の信頼度、診療室の清潔さ、訴えの理解度、尋ねやすさが抽出された。【考察】鍼灸院通院患者の鍼灸医療に対する満足度は高値であった。それは治療効果、施術者の技術評価といった治療要因、施術者の信頼度、訴えの理解度、尋ねやすさといった施術者の人間的要因、診療室の清潔さといった環境要因の3つの要因で構成されていることが示された。

2 0 0 0 OA 武相叢書

著者
石野瑛 編
出版者
武相考古会
巻号頁・発行日
vol.第6編 (横浜旧吉田新田の研究), 1936
著者
横平 弘
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.339-346, 1994-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
24

JR釧網本線は当初の路線計画策定後の路線変更に伴って、施工された現有路線は全体的に迂回路線となった。迂回の著しい2区間について、施工の難易姓や路盤建設費から直結線と比較した結果、いずれも施工難工区を有し、迂回に伴って必要となった費用は全竣工額の18.7%にも達したことから、路線建設の妥当性は不十分とみられ、迂回のより著しい1区間については当初計画 (直結近似) 路線の方が有利である。
著者
河原 梓水
出版者
大阪大学大学院文学研究科臨床哲学研究室
雑誌
臨床哲学ニューズレター
巻号頁・発行日
no.3, pp.148-171, 2021-03-31

特集5 「第2回 臨床哲学フォーラム(規範の外の生と知恵) : テーマ「BDSM をとりまく生の営み:ケアとは何か?」

2 0 0 0 OA 掌蹠膿疱症

著者
上出 良一
出版者
耳鼻咽喉科展望会
雑誌
耳鼻咽喉科展望 (ISSN:03869687)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.355-364, 1994-06-15 (Released:2011-08-10)
参考文献数
36
被引用文献数
1

掌蹠膿庖症は手掌, 足底に限局する再発性の膿疱形成と, それに続く落屑性紅斑性皮疹を特徴とする疾患である。本症の10-15%に胸肋鎖骨異常骨化症を伴うが, 骨シンチグラムを行うと更に高頻度に潜在性の骨関節炎が見出される。大多数の患者では扁桃や歯肉などの細菌感染を基盤とした病巣感染が病因として考えられ, また扁桃上皮と掌蹠皮膚の角層で交差反応を示す抗ケラチン抗体が検出されている。少数の患者では歯科金属除去により軽快する。今後スーパー抗原の関与やサイトカインネットワークの乱れなどについて検討すべきである。治療の第一選択としてステロイド剤の外用が最も行われているが, PUVA単独あるいはレチノイドとPUVAの併用 (Re-PUVA) も用いられる。シクロスポリン内服 (5mg/kg日以下) は極めて有効で難治例に試みてよいであろう。完治には基盤となる病巣感染を扁桃摘出, 歯科処置などで除去することが推奨されているが, 信頼性のある術前の評価法が未だ確立されていない。皮膚科, 耳鼻咽喉科, 歯科, 整形外科その他関連科の密接な連携が本症患者にとって診療上大切である。
著者
荒木 一視 岩間 信之 楮原 京子 田中 耕市 中村 努 松多 信尚
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100001, 2015 (Released:2015-10-05)

災害に対する地理学からの貢献は少なくない。災害発生のメカニズムの解明や被災後の復旧・復興支援にも多くの地理学者が関わっている。そうした中で報告者らが着目したのは被災後の救援物資の輸送に関わる地理学的な貢献の可能性である。 救援物資の迅速かつ効果的な輸送は被害の拡大を食い止めるとともに,速やかな復旧・復興の上でも重要な意味を持っている。逆に物資の遅滞は被害の拡大を招く。たとえば,食料や医薬品の不足は被災者の抵抗力をそぎ,冬期の被災地の燃料や毛布の欠乏は深刻な打撃となる。また,夏期には食料の腐敗が早いなど,様々な問題が想定される。 ただし,被災地が局地的なスケールにとどまる場合には大きな問題として取り上げられることはなかった。物資は常に潤沢に提供され,逆に被災地の迷惑になるほどの救援物資の集中が,「第2の災害」と呼ばれることさえある。しかしながら,今般の東日本大震災は広域災害と救援物資輸送に関わる大きな問題点をさらすことになった。各地で寸断された輸送網は広域流通に依存する現代社会の弱点を露わにしたといってもよい。被災地で物資の受け取りに並ぶ被災者の長い列は記憶に新しいし,被災地でなくともサプライチェーンが断たれることによって長期間に渡って減産を余儀なくされた企業も少なくない。先の震災時に整然と列に並ぶ被災者を称えることよりも,その列をいかに短くするのかという取り組みが重要ではないか。広域災害時における被災地への救援物資輸送は,現代社会の抱える課題である。それは同時に今日ほど物資が広域に流通する中で初めて経験する大規模災害でもある。    遠からぬ将来に予想される南海トラフ地震もまた広い範囲に被害をもたらす広域災害となることが懸念される。東海から紀伊半島,四国南部から九州東部に甚大な被害が想定されているが,これら地域への救援物資の輸送に関わっては東日本大震災以上の困難が存在している。第1には交通網であり,第2には高齢化である。 交通網に関してであるが,東北地方の主要幹線(東北自動車道や東北本線)は内陸部を通っており,太平洋岸を襲った津波被害をおおむね回避しえた。この輸送ルート,あるいは日本海側からの迂回路が物資輸送上で大きな役割を果たしたといえる。しかしながら,南海トラフ地震の被災想定地域では,高速道路や鉄道の整備は東北地方に比べて貧弱である。また,現下の主要国道や鉄道もほとんどが海岸沿いのルートをとっている。昭和南海地震でも紀勢本線が寸断されたように,これらのルートが大きな被害を受ける可能性がある。また,瀬戸内海で山陽の幹線と切り離され,西南日本外帯の険しい山々をぬうルートも土砂災害などに対して脆弱である。こうした中で紀伊半島や四国南部への救援物資輸送は問題が無いといえるだろうか。 同時に西日本の高齢化は東日本・東北のそれよりも高い水準にある。それは被災者の災害に対する抵抗力の問題だけでなく,救援物資輸送にも少なからぬ影響を与える。過去の災害史をひもとくと,救援物資輸送で肩力輸送が大きな役割を果たしたことが読み取れる。こうした物資輸送に携われる労働力の供給においてもこれらの地域は脆弱性を有している。     以上のような状況を想定した時,南海トラフ地震をはじめ将来発生が予想される広域災害に対して,準備しなければならない対応策はまだまだ多いと考える。耐震工事や防波堤,避難路などの災害そのものに対する対策だけではなく,被災直後から始まる救援活動をいかに迅速かつ効率よく実施できるかということについてである。その際,被災地における必要な救援物資の種類と量を想定すること,救援物資輸送ルートの災害に対する脆弱性を評価し,適切な迂回路を設定すること,それに応じて集積した物資を被災地へ送付する前線拠点や後方支援拠点を適切な場所に設置すること等々,自然地理学,人文地理学の枠組みを超えて,地理学がこれまでの成果を踏まえた貢献ができる余地は大きいのではないか。議論を喚起したい。
著者
和田 謙一郎
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.75-89, 2018-09-25

本稿は、主に視覚障害者が65 歳に達した場合に介護保険制度・障害者総合支援制度がどのように適用されるのかを念頭に、高齢・障害双方の在宅サービスを担う「共生型サービス」の位置づけと、高齢障害者がそれをいかに適切に利用可能としていくのか、それらを検討するものである。65 歳問題と共生型サービスは、普遍化されたニーズとそれに応えるサービスに更に特化したサービスを加えるものとはいえない。長年、難病等の疾病や各種障害、そして高齢について個別に制度運用と適用されてきたものが、地域共生の名の下で、在宅サービスに限り社会保障費抑制策としてサービスを普遍化するものと言っても過言ではない。その普遍化とは、市場原理と所得再分配機能が混在するものになる。運営する側の自治体も、サービスの担い手となる事業者も、そしてサービス利用者も、この混乱ぶりを重く感じているのである。
著者
堀江 正知
出版者
産業医科大学学会
雑誌
産業医大誌 (ISSN:0387821X)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.1-26, 2013
被引用文献数
2

日本には,労働者数50人以上の事業場に産業医を選任する法令上の義務があり,2010年の選任率は87.0%とされる.1938年に旧工場法の省令が「工場医」を規定し,1947年に労働基準法の省令が「医師である衛生管理者」を規定し,1972年に労働安全衛生法が「産業医」を規定し,1996年に産業医学の研修受講が選任要件となった.労働衛生の歴史上,当初,工場労働者の傷病の治療と感染症の予防で医師が必要とされた.その後,健康診断等の健康管理及び作業環境測定等の衛生管理の手法が開発され,局所排気装置や労働衛生保護具等の対策が普及し,医師以外の労働衛生の専門職が制度化され,産業医と事業者との関係が法令で明確に規定された.現在,日本医師会と産業医科大学は産業医を養成し,日本産業衛生学会は専門医制度を確立した.産業医の専門性向上,労働衛生の専門職の活用,小規模事業場の産業保健活動,リスクアセスメントの推進,複雑化した法令の体系化等が課題である.
著者
長沼 毅
出版者
広島大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1997

ハオリムシ(有鬚動物)は、後生動物にも関わらず口・腸・肛門といった消化器官を欠き、自ら食べることを放棄した生物である。その代わり、トロフォソーム(栄養体)という組織にイオウ酸化細菌を共生させている。本研究ではハオリムシの体内細菌(共生細菌かどうかは調査中)の多様性について遺伝子からの解析を行った。ハオリムシの採取は潜水調査船「しんかい2000」を用いて行った。相模湾の初島沖メタン湧水域(水深1170m)に生息するハオリムシ(Lamellibrachia sp.)とその周辺の堆積物を採取した。ハオリムシのトロフォソーム内容物と堆積物よりそれぞれDNAを抽出し、PCRにより16S rDNAクローン・ライブラリー(>110株)を作成し、塩基配列解析を行った。この結果、ハオリムシ体内の微生物相からRhodobacter (硫黄酸化細菌)やEnterobacter(腸内細菌科に属しメタン酸化細菌に近縁)といった化学合成細菌を含む複数種(>6種)の存在が確認された。これらの細菌は、ハオリムシのトロフォソーム内でmicrobial consortiumを構成し、メタンや硫化水素といった数種類の化学物質を利用した代謝経路により、宿主ハオリムシに有機栄養を供給していると考えられる。また、ハオリムシ体内細菌相と周辺の堆積物中の細菌相には、類似性のあることもわかった。今まで、ハオリムシの精子や卵から共生細菌が見つかっていないことや、ハオリムシは浮遊生活をおくる幼生初期段階には口や腸を一時的に持つことなどから、共生細菌は周囲の環境中から体内に取り込まれた可能性がある。しかし、今回シーケンスによって得られたハオリムシ体内細菌相と堆積物中の細菌相では構成種の存在比率が異なることから、比較的共生しやすい細菌とそうでない細菌がいると思われる。
著者
殷 燕軍
出版者
関東学院大学経済経営研究所
雑誌
関東学院大学経済経営研究所年報 (ISSN:13410407)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.94-124,

1970年代はじめからスタートした米中関係改善と戦略的協議は,ただ単に米中両国間の問題ではなく,国際政治の枠組みに大きなインパクトを与え,世界を驚かせた。1949年の新中国成立後から22年も「隔絶」され,また朝鮮戦争やベトナム戦争により敵国同士となった米中両国は,自国の戦略的国益のため,極めて早いスピードで準同盟関係を結び,首脳同士の間にも一時的に「水入らず」的な信頼関係が形成された。しかも米国はアジア最大の同盟国である日本に事前通告なしで行なわれたため,戦後長い間米国の対中政策に追随してきた日本政府に大きく衝撃を与えた。言ってみれば米国の一種の対日裏切り行為である。そればかりではなかった。戦略交渉のなか,外交関係も持たない米中両国は,二国間問題,地域問題,世界問題など幅広く,深くかつ率直的な意見交換をし,日本問題は「意外」に重要なテーマの一つになった。1970年代の米中交渉は今日の米中関係の基礎とも言える重要な意味があり,その基本的原則は今日も変わっていない。他方,米中接近の連帯的効果として日中国交正常化が実現された。しかし米中接近にはなぜ「日本問題」は米中会談の一つのテーマにならなければならないのかが必ずしも検証されなかった。さらにこの二つの出来事は冷戦構造を変えたばかりではなく,東アジアの枠組みを変化させ,かつて単純な日米対中というイデオロギーで構成した「二者的関係」から日米中の三者関係へ変質させ,日米関係にも亀裂を生じさせた。本稿は近年米国側が公開した米中交渉に関する史料を根拠に,米中両国首脳の対日本認識と1970年代からスタートした日米中の三国関係を再考し,米中接近の意味,米中関係における日本問題の意味,日米関係における中国問題の意味を再吟味しようとするものである。