著者
荒井 雄太
出版者
東京海洋大学

東京海洋大学修士学位論文 平成26年度(2014) 食機能保全科学 第2048号
著者
劉 志偉
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 = Saitama University Review. Faculty of Liberal Arts (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.121-135, 2018

本稿は、実生活では日々耳にするものの、日本語教材には取り上げられることがほとんどなかった言語現象であるラ行音撥音に注目して考察を行った。音声学や音韻論における専門用語を可能な限り避け、日本語学習者にとって分かりやすい学習ルールを提案することが、その目的である。具体的には、まず、マスメディアを中心に集めた用例をもって、ラ行音撥音の全体像を明らかにした。続いて、筆者自身が来日以来、記録してきた学習メモに基づいて、ラ行音撥音の中で、学習者にとっての難点と考えられる箇所を示した。そして、以上の点を踏まえた上で、ラ行音に由来する撥音を体系的に理解する学習ルールを提案した。また、近畿方言を含む「準標準語」を学習する際に、上記のルールが援用できる可能性についても言及した。日本語学と日本語教育が「別居」状態にあると言われる中、日本語学習者の視点を重視し、いわゆる標準語に限定せず、方言を視野に入れて学習する必要性、また、通時的観点を部分的に取り入れることがより効率的な現代語の学習に繋がる可能性を、「越境する日本語」という枠組みで捉えるものである。
著者
須田健二 五味弘
雑誌
第76回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2014, no.1, pp.239-240, 2014-03-11

組合せテストの品質を保ち、かつテスト回数を少なくするためのテスト技法として直交表とオールペア法(被覆表)が知られている。しかし今まではその生成ツールの使いやすさやテスト回数が少ないなどの理由からオールペア法の方がより多く利用されてきた。また、組合せの個数を 2個に固定するなど限定的な使用が多かった。そこで我々が開発している万能型直交表生成ソフトGaloisと代表的なオールペア法の生成ソフトであるPICTに対して、因子数やその水準数、強さが与えられた時のテスト回数と網羅率を求めた。そして、それらを比較検討することにより,テスト対象のソフトウェアにより適した技法として、直交表とオールペア法のどちらを選択するべきかの指針を与える。
著者
藤本 雅子 北村 達也 船津 誠也 Masako FUJIMOTO Tatsuya KITAMURA Seiya FUNATSU
出版者
甲南大学
雑誌
甲南大学紀要. 知能情報学編 = Memoirs of Konan University. Intelligence & Informatics Series (ISSN:18830161)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.103-113, 2022-02-01

標準語話者の有声,無声の破裂音/g/,/k/の調音と音声の特徴を/agise/,/akise/の検査語を用いて検討した.音声では閉鎖区間,formant onset time (FOT),子音区間は/k/が/g/より長く,先行母音と後続母音は/g/に隣接する場合に/k/に隣接する場合より長かった.先に報告した同じ話者の調音上の特徴に,閉鎖区間が/k/が/g/より長いこと,閉鎖のタイミングが/k/が/g/より早いことがあった.これらはそれぞれ音声上の閉鎖区間が/k/が/g/より長かったこと,/g/に先行する母音が/k/に先行する場合より長かったことに対応する.MRIの/g/,/k/の最大閉鎖フレームのトレース画を用いた計測では,/k/は/g/に比べ正中面上の閉鎖の範囲が長い傾向が見られたが,咽頭面積は個人差が大きく/g/と/k/で一定の傾向が確認できなかった.
著者
菊帕 歓貝克
出版者
東京海洋大学
巻号頁・発行日
2020

東京海洋大学修士学位論文 2020年度(2021年3月) 食品流通安全管理学 修士 第3614号
著者
村田 彰 ムラタ アキラ
雑誌
流経法學
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.15-58, 2008-06
著者
瀬藤 乃理子 坂下 裕子 黒川 雅代子 井上 ひとみ 山田 至康 森島 恒雄
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 看護学・リハビリテーション学編 = Studies in nursing and rehabilitation (ISSN:18825788)
巻号頁・発行日
no.1, pp.87-93, 2008-03-20

子どもの突然の死は,その家族にとって極めて外傷的な喪失体験であり,回復に向かう悲嘆過程は非常に困難なものとなる。その影響は,両親の感情面や世界観,生活や人生そのもの,家族システム,遺された子どもたちなど,多方面に多大な影響を与える。本稿では,小児救急における家族援助の重要性について述べ,子どもの死が予測された時点から死後まで継続的に行われることが推奨される医療従事者によるグリーフケアについて考察した。特に,インフルエンザ脳症のグリーフケアガイドラインの中で提唱した具体的な援助方法と,遺族に手渡す「グリーフカード」を紹介した。
著者
新田 均
出版者
サンケイ新聞社
雑誌
正論
巻号頁・発行日
no.343, pp.286-297, 2001-03
著者
箭野 章五郎 髙良 幸哉 樋笠 尭士
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.377-414, 2014-12-30

責任能力が問題とされた被告人につき,事実審裁判官が,制御能力の著しい減少を認めた鑑定に基本的に従って刑法21条(限定責任能力)の適用を認めた場合に,その判決の中での理由づけについて不十分であるとし,かつ,事案に即して検討の不十分な点を示した判断,についての検討。 / 本稿は,被告人が,StGB184b条4項1文にいう児童ポルノ文書の自己調達行為2件と,それらの結果である同項2文にいう児童ポルノ文書の自己所持を行った事案について,児童ポルノ文書の所持は,当該文書の自己調達の構成要件に劣後する「受け皿構成要件」であり,それゆえ,所持という補足的犯罪による,数個の独立した調達行為を結びつける,かすがい作用は認められないとした事案の検討である。それに加えて,本稿ではキャッシュデータの保存行為および,我が国における児童ポルノの所持罪規制についても検討を加えるものである。 / 被告人が恋敵を殺そうと思い斧を投げたが,その斧が自身の妻に当たってこれを死亡させ,妻に対する殺人の未必の故意が認められた事例である。阻止閾の理論に基づき,行為者が結果の発生を是認しつつ甘受していたか否かを判断する際には,行為後の事情(斧が当たった後の妻への殴打)を考慮することはできないはずであるところ,LGは,被告人の犯行後の行為態様を考慮し,未必の故意の意思要素を是認したのである。BGHは,LGの結論に異を唱えていないものの,阻止閾の判断方法,及び未必の故意の認定方法には疑問を投じている。本稿は,殺人の未必の故意の認定に際し,近年BGHによって用いられている「阻止閾の理論」を基礎に,方法の錯誤ならびに択一的故意の議論を併せて,本判決における未必の故意の内実を考察するものである。
著者
石田 由美子
雑誌
桜美林言語教育論叢 (ISSN:18800610)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.109-124, 2008-01-01

個人の言語管理は、国・政府が行う言語政策に大きな影響を受けることは免れず、多言語が日常的に使用されている国・地域に住む個人と、主に一つの言語が優勢な国・地域に住む個人は、それぞれに違った規範をもって言語管理をしていると思われる。本稿では石田(2006)で考察した個人言語管理の概念および個人言語管理における多言語使用者の規範についてさらに深く考察するために、日本社会における日本語母語話者を単言語使用者の例として調査し、特に席次と習得についての規範に焦点をあてて分析を行った。その上で多言語使用者の規範と比較し、単言語使用者の個人言語管理の特徴について考察を行った。
著者
三輪 英夫
雑誌
美術研究 = The bijutsu kenkiu : the journal of art studies
巻号頁・発行日
no.321, pp.25-32, 1982-09-30

Shinkurō KUNISAWA (1847–77) was the first Japanese artist who studied western painting in Europe. He visited England in 1870 as a student dispatched by the Kōchi Han for the purpose of learning law but shifted to painting around 1872 and studied under John-Edgar WILLIAMS. He came back to Japan in 1874 and opened a painting school called Shōgidō in Tokyo. Ninety-one students studied there in his lifetime. His activity is well represented by the novel content of the instruction at the Shōgidō. All the teaching materials and reference books used there were those KUNISAWA brought back from England. And he followed the European academism in his pedagogy. In that sense, Shōgidō was the earliest art school in Japan. Thus his study in Europe is an important factor in his career, a characteristic difference from other earlier painters like Yuichi TAKAHASHI who studied the western method of painting in Japan. Remaining works by him are few. “Western Woman” and three other works, all executed while in Europe, are the only works known today. Two of them seem to have been painted based on photographs after the people portrayed were dead. As far as these pieces indicate, his style was of moderate realism.