- 著者
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伊藤 弘了
- 出版者
- 京都大学大学院人間・環境学研究科共生人間学専攻
- 雑誌
- 人間・環境学 (ISSN:09182829)
- 巻号頁・発行日
- vol.25, pp.31-44, 2016-12-20
本論文では是枝裕和の映画作品における入浴の役割を論じていく.第1節では, 是枝のフィルモグラフィを辿りながら, 入浴場面が「他者との親密な関係性を構築する場」として機能している点を確認する.入浴のこの機能は, しばしば「血縁によらない家族関係」という是枝作品の主要なテーマと結びつく.登場人物たちは風呂の水を共有することで家族になっていくのである(『幻の光』[1995年], 『誰も知らない』[2004年], 『花よりもなほ』[2006年], 『歩いても歩いても』[2008年]), その裏返しとして, 他者と水を共有しない入浴(一人きりの入浴)は, その人物の孤独をあらわすことになる(『ワンダフルライフ』[1998年], 『歩いても歩いても』, 『そして父になる』[2013年], 『海街diary』[2015年], 『海よりもまだ深く』[2016年]).第1節の議論を踏まえて, 弟2節では『DISTANCE』(2001年) に入浴場面が完全に欠けている意味について考察する.この作品では, 他者との関係性の不全が描かれており.入浴の欠如はこのテーマを体現しているのである, 水の主題系に彩られた本作では, 他者と関係を深めるための装置として, 入浴の代わりにプールが用いられることになる. This paper sheds light on the function of taking baths in Hirokazu Kore-eda's films. Section 1 demonstrates that throughout his filmography, bathing creates intimate relationships between characters. The function of baths is linked with the theme of families without blood relationships, one of the most important subject themes of Kore-eda's works. His characters create families by taking baths together (Alaborasi 1995 ; Nobody Knows 2004 ; Hone 2006 ; Still Walking 2008). Contrarily, taking a bath alone represents the solitudes of the character (After Life 1999 ; Still Walking ; Like Father, Like Son 2013 ; Our Little Sister 2015 ; After the Storm 2016). Based on this argument, section 2 examines Distance (2001). This film completely lacks a bath scene. It depicts the disorder of intimate relationships, and the lack of bath scenes embodies this theme. Yet, Distance substitutes the scene of swimming pools with the bath scenes and thereby articulates the relationship between water and intimacy as other Kore-eda films do.