著者
谷井 司 加藤 順子 八代 典子 新藤 季佐 幸野 健 濱田 稔夫 山口 武津雄
出版者
Meeting of Osaka Dermatological Association
雑誌
皮膚 (ISSN:00181390)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.155-163, 1991 (Released:2010-08-25)
参考文献数
12
被引用文献数
1

乾燥性皮膚疾患に対するスクワランの有用性, 皮膚刺激性, 保湿性について検討した。貼布試験は73例全例陰性であった。使用試験では乾皮症, 手湿疹に有用で, 炎症を伴わないアトピー性皮膚炎にも有効であったが, 炎症を伴っている場合には慎重に使用することが望ましいと思われた。症状別では皮膚の乾燥に特に有効であった。この理由としては, 保湿能の検討より角層水分の貯留作用によるものと思われた。以上よりスクワランは, 適切に使用すれば安全性が高く, ベタつくという不快感がほとんどなく, 使用感も良好で, 乾燥性皮膚疾息の治療に有用と思われた。
著者
加藤 順一 原 泰久 鳴滝 恭也
出版者
The Society of Physical Therapy Science
雑誌
理学療法のための運動生理 (ISSN:09127100)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.67-70, 1994 (Released:2007-03-29)
参考文献数
15
被引用文献数
1

中年肥満女性14名を対象に有酸素運動(最大酸素摂取量のおよそ60%の運動強度)による運動療法を行い,体重減量の運動生理学的代謝の変化について検討した。血圧,Body Mass Indexと体脂肪率は有意に低下したが,Lean Body Mass(除脂肪体重)は変化しなかった。体重減量の前後で自転車エルゴメーターを用いた運動負荷テストによる呼気ガス分析で,最大酸素摂取量と最大心拍数は変化しなかったが,最大分時換気量は12%,METS maxは14%,LOAD maxは11%それぞれ有意に増加した。また,体重あたりの酸素摂取量も有意に増加した。無酸素性作業閾値(AT点)における最大酸素摂取量と最大心拍数は変化しなかった。これらの結果から中年肥満女性において適度な強度の運動療法による体重減量が,呼吸循環器および生理代謝の面で有効であり,成人病の予防につながることが示唆される。
著者
石川 信 加藤 順
出版者
日本大腸肛門病学会
雑誌
日本大腸肛門病学会雑誌 (ISSN:00471801)
巻号頁・発行日
vol.61, no.10, pp.1010-1014, 2008 (Released:2008-11-05)
参考文献数
41
被引用文献数
8 7

大腸憩室は,欧米,本邦ともに年代とともに増加してきている.本邦での1980年の報告では大腸憩室の保有率は5.5%を占めるに過ぎなかったが,1990年代の発表では10.9%∼39.7%の頻度と報告されている.また,罹患率は加齢とともに増加し,40歳以下では16∼22%の頻度であるが,80歳以上では42∼60%に達する. 欧米において大腸憩室はS状結腸を中心に左側に群発するが,本邦では右側型が多くみられるのが特徴である.しかし,近年は右側型に左側型が合併した両側型が増加してきており,また,年齢とともに左側結腸の憩室が増加する傾向にある. 出血の頻度に関しては欧米の報告では大腸憩室の3∼47%に認めるとされるが,本邦では数%に過ぎず頻度は低い.しかしながら高齢者に多くみられるとの報告があり,今後高齢化が進む本邦においても憩室出血例が増加することが懸念される.
著者
江藤 敏治 弘野 修一 永田 賢治 加藤 順也 堀 剛 井戸 章雄 林 克裕 坪内 博仁 小野寺 誠 阿部 弘一 宮坂 昭生 川上 格 佐藤 彰宏 坂下 佳子 岩井 正勝 遠藤 龍人 滝川 康裕 鈴木 一幸 佐藤 俊一 鈴木 千衣子 内田 耕一 弘中 孝治 萱野 幸三 増原 昌明 坂井 田功 沖田 極 関山 和彦 井上 和明 与芝 真 半田 宏一 樋口 大介 井上 和明 関山 和彦 与芝 真 松原 寛 道堯浩 二郎 山内 雄介 井内 英人 長谷 部昌 山本 和寿 井上 愛 堀池 典生 恩地 森一 中西 崇 東俊 宏 狩山 和也 山野 智子 辻 孝夫 川口 光彦 糸島 達也 品川 克至 乾 あやの 小松 陽樹 松本 浩 茂木 陽 宮川 芳宏 藤沢 知雄 上本 伸二 猪股 裕紀洋 田中 紘一 平松 活志 橋本 悦子 谷合 麻紀子 野口 三四朗 長谷 川潔 林 直諒 次田 正 高崎 健 中島 一朗 渕之上 昌平 古川 博之 岸田 明博 大村 孝志 松下 通明 藤堂 省 藤田 美悧 清水 道夫 橋倉 泰彦 三田 篤義 窪田 達也 三輪 史郎 池上 俊彦 寺田 克 宮川 眞一 川崎 誠治 君川 正昭 渕之上 昌平 春口 洋昭 唐仁原 全 中島 一朗 阿岸 鉄三 白髪 宏司 伊藤 克己 高崎 健 橋本 悦子 林 直諒 田中 紘一 上本 伸二 猪股 裕紀洋 阿曽沼 克弘 江川 裕人 藤田 士朗 木内 哲也 林道 廣 田中 紘一 石井 邦英 古賀 郁利子 神代 龍吉 草場 信秀 佐田 通夫 坂本 照夫 加来 信雄 森岡 千恵 菊池 英亮 松尾 英城 中谷 吉宏 豊川 泰勲 富永 謙太郎 山尾 純一 福井 博 福田 邦明 安部井 誠人 遠藤 憲一 本橋 歩 正田 純一 松崎 靖司 田中 直見 古坂 明弘 高橋 正明 平本 淳 白浜 圭吾 永山 和男 田中 照二 Yusufu Youlutuz 松井 淳 持田 智 藤原 研司 小畑 達郎 中島 千種 岡山 昌弘 大野 研而 宮下 智之 田村 明彦 絵野 沢伸 鈴木 盛一 雨宮 浩 青木 達哉 小柳 泰久 山際 健太郎 川原田 嘉文 八木 真太郎 飯田 拓 横井 一 垣内 雅彦 足立 幸彦 飯田 拓 田端 正己 町支 秀樹 横井 一 川原 田嘉文 東口 高志 今井 俊積
出版者
The Japan Society of Hepatology
雑誌
肝臓 (ISSN:04514203)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.189-198, 1999
著者
小竹 武 新井 仁之 板東 重稔 伊藤 秀一 高木 泉 加藤 順二 小野 薫
出版者
東北大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1989

多様体上の解析学としての大域解析が包括する研究対象は多岐にわたる。本研究では、種々の偏微分方程式の解構造の研究、力学系、関数微分方程式の摂動と安定性の研究、非線型解析の微分幾何学、数理物理学への応用等、解析学と幾何学、数理物理学との境界領域での研究の進展をはかるとともに、これら研究における解折手段として重要な調和解析および作用素の理論等の深化につとめた。以下、本研究において得られた新たな知見、成果の概要を記す。1. 偏微分方程式論に関するものとして、一般な正値ポテンシャルをもつシュレディンガ-作用素に対する固有値の漸近分布についての結果、およびリ-マン多様体上の熱方程式に対するヴィダ-型一意性定理の証明、更に、楕円型作円用素論の幾何学への対用として、ディラック作用素族の芸変指数についての研究、正則ベクトル束の除去可能特異点についての研究等が挙げられる。2. 力学系の分野では、可積分なハミルトン正準方程式系の特異点近傍での標準型への還元に関する研究、一方、遅れをともなう関数微分方程式に対する大域解の存在、安定性についての研究等がある。3. 非線型解析に関しては、拡散・反応方程式系について解の詳しい幾何学的研究がなされ、パタ-ン形成や将異点発生等について興味ある結界が得られた。4. 調和解析では、強擬凸領域上の〓〓調和関数の境界挙動に関するファトゥ型定理の証明がある。 2、作用素環の順序構造と正則完備化の構造との関係について新しい知見が得られた。5. バ-クマン核の研究では、領域がラインハルト領域のとき、核のトレ-スと境界のチャ-ン・モ-ザ-不変多項式との関係が明確化され、その応用として、複素球の大域的特徴づけが示された。
著者
大川 四郎 加藤 順一 原 禎嗣 上野 利三 桝居 孝
出版者
愛知大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

まず、太平洋戦争中の捕虜問題の背景として、防衛省防衛研究所図書館所蔵「金原節三業務日誌摘録」に見られる、陸軍中枢の捕虜観を検討した。当初、当時の俘虜情報局長官は、日本が批准していないとはいえ、俘虜の待遇に関するジュネーブ条約の遵守を主張した。しかし、当時の陸相はこれに反対し、捕虜軽視策が強行された。こうした捕虜観が、軍内部の上意下達機構を通じて、戦場あるいは収容所の現場で、捕虜と直接に接する日本軍将兵らに投影され、例えば虐待という形で現出した(第1部)。次に、本研究の主対象である、日本赤十字社所蔵の太平洋戦争中旧文書(以下、「日赤戦中文書」と略)を調査した。この「日赤戦中文書」には、欠落部分が多いので、本研究では、在ジュネーブ赤十字国際委員会(以下、ICRCと略)附属文書館所蔵の対日関係文書で補完していくという手法を用いた。もっとも、ICRC文書館所蔵文書が膨大であり、実際に閲覧・分析し得た文書は1944年前半期までであった。そこで、分析の対象時期を1942年から1944年前半期と限定し、具体的には、(1)俘虜収容所視察、(2)救恤品配給、(3)赤十字通信、に関する旧文書について検討した。(1)立会人抜きの自由対話が禁じられていたため、俘虜収容所視察が形骸化していた、だが、その枠内ではあれ、函館俘虜収容所のように捕虜処遇に尽力した実例があったこと、(2)日赤俘虜救恤委員部とICRC駐日代表部の尽力で、各種救恤品が各捕虜収容所に配給されていた、だが、救恤品が最終的に、名宛人である捕虜本人にまで届いたかどうかまでは、確認できなかった、(3)赤十字通信は俘虜情報局、日赤俘虜救恤委員部、ICRC駐日代表部の協力で開設されたものであること、を明らかにした(第2部)。総じて、陸軍側の捕虜軽視策に著しく阻まれたが、ICRC駐日代表部と連携した日赤俘虜救恤委員部の捕虜救恤業務が続行された。